星の金貨 new

星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

ホーム

【 津波の後の姉妹都市 】第3回〈最終回〉

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 6分

広告
広告

「太平洋を隔てた遥か遠くの町の人々が、東日本大震災の被災地を助けるために立ち上がる」

アメリカCBSニュース 10月2日

彼女は大槌町の副町長に贈り物をする際、日本の人々に対する彼女の悲しみを打ち明けました。
副町長のかつての上司の写真、大槌町の町長は津波を生き延びることができませんでした。
彼は町役場の二階にとどまり、町民の避難の指示をしていました。
デイビス「その後町長は彼の部下に、屋上に避難するよう命じました。その指示を行っている最中に津波にのまれ、20名の役場の人々とともに命を失ったのです。」

サイモン「屋上に避難した人は助かったんですか?」
デイビス「助かりました。」
サイモン「どう表現していいかわからない程の英雄的行為だね。」。
デイビス「彼は英雄的な死をとげてしまいました。」

海岸沿いのすべての町がそうであるように、大槌町にも防潮堤がありました。しかし、海はそれを軽々と乗り越えるほどの波を起こすことがあります。
大槌の防潮堤は子供が砂浜に作る砂のお城よりも、はるかに素晴らしい働きをすることはできませんでした。
津波は恐ろしく巨大であり、海から船を持ち上げ、建物の屋上に放り上げました。
そしてこの船の写真は、日本全体の悲劇の象徴となったのです。

サイモン「これは本物の船だったんですよね?」
デイビス「この船は今回の大災害の象徴になってしまいました。」
サイモン「あなたが大槌町を去る直前、あなた方はこの船上で談笑し、ダンスをしていたんでしょう?」
デイビス「その通りです。」

この船こそは5ヶ月前、フォートブラッグの送別会が開催された船だったのです。
この船が再び海に浮かぶことは無いでしょう。
廃棄処分を待つだけです。

時折、もはや二度と見ることができないものを探しながら、あてどなくさまよう老人たちに出会います。
我々が大槌町にいたのは津波が襲ってから3カ月たっていましたが、遺体の発見はなお続いていました。
公式な報告によれば、大槌町の死者は1,500名に上ります。

サイモン「正確な数字なのでしょうか?」

デイビス「私は本当にどうなのかわかりません。私は日本人の中でいったい誰が亡くなったのか、特定するために行うべき作業はまだまだたくさんあると思います。誰かが指摘するまで、いったい誰がいなくなっているか、確認しようがないのです。
家族全員が津波にのまれてしまったら、それを報告すべき人はもう残っていないのです。

無くなってしまったのは人だけではありません、家族の思い出もまた、泡とともに波にさらわれて行ってしまいました。
毎週土曜日、がれきの間から見つかった写真が高校で公開されます - 生まれたばかりの新しい妹、新しい髪形でおめかしして。
幸せとは自分の思い出を取り戻すことなのです。

すべてのがれきを片付けるためには、数年かかります。
時にはその作業は有史以前の方法に頼らなければなりません、がれきを手で持ち上げて。
彼らは漁業組合の人々です。津波を防ぐことができず、彼らを今の立場に追い込んだ防潮堤に沿って、彼らは海岸の片づけを行っています。

これは、エアロバイクではありません。ここはガソリンスタンドです。
ペダルを踏んで、ガソリンをくみ出しているのです。この光景が伝えるものは、この町の人々の決してあきらめない、という姿です。
これはほんの一例です。

この町の人々には、遠く離れた友人からも援助の手が差し伸べられました。
フォートブラッグの人口はたった7,000人ですが、その町から約1,400万円が寄付されました。
この町には便せんもなければ、ましてやグリーティング・カードなどは手に入りません。
そこでこの町の人々はその手に残された唯一の字を書けるもの、防水シートに「ありがとう!」と書きました。

この人々を見ている限り、彼らがどれほどの体験をさせられたのかわからないでしょう。
ここ日本では、自分自身のトラウマにこだわり続けることは、ほめられたことではないのです。

サイモン「こうしてここに座って周りを見渡すと、あなた方が何もかも失ってしまったことが、よくわかりますね。」
佐々木「その通りです。」
サイモン「でもあなたは笑顔でいる。どうしたらそんなふうにできるんですか?」
佐々木「泣くことができないんですよ。わかります?泣きたくなんかないんです。私たちに必要なのは笑顔、そして笑うことなんです。」

我々が去る前、ケンさんは彼の家があった場所で、がれきの間から芽が出ているところを私たちに見せようとしました。

佐々木「ほら、これを見て...」

ア ジサイが芽吹いていました。
佐々木「これも希望の一つですよ。新たな命の…」
サイモン「あなたが家を建て直すのがいつになるかはわからないと思うけど、もしそうなったらまたアジサイを植えようと思いますか?」
佐々木「ええ、できるといいですね。私たちは生きているんですから。」
サイモン「ここでは新たな人生が始まる?」
佐々木「その通りです。」
〈完〉

【 福島 – それでも原子力発電に未来はあるのか?〈後編〉 】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 7分

広告
広告

「このまますべての原子炉の最稼働が阻止されれば、2012年9月には日本で稼働中の原子炉は1基だけになる」

ステファニー・クック / ニューヨーク・タイムズ / 2011年10月10日

4基の原子炉について、何らかの対応を迫られている台湾は、がけっぷちに立たされているように見受けられます。
しかし、それでも最近造られたばかりの5番目の原子炉の稼働は許可されることになりそうです。

ベネズエラとイスラエル、両国は核開発に関する野心を隠してきましたが、結局、原子力発電についてはこれを放棄することを決定しました。
「我が国は天然ガスを選択することになると思います。」
ベンヤミン・ネタニヤフ首相はCNNに話しました。
「私は、我々は核開発を見送ることになると思います。」

もちろん、日本での影響が最も劇的でした。
13基の原子炉が地震が襲った際に自動停止しました。14基目の原子炉はメンテナンスを終えたばかりでした。その他の15基の原子炉が、定期点検と燃料補給のため停止中でした。
この国に54基ある原子炉のうち、稼働中の原子炉は25基にまで減少することになりました。
5月に、政府はさらに3つの原子炉(一基はすでに点検のため停止していました)の閉鎖を浜岡原発に命じました。
この原子力発電所は、東京に近く、特に被害を受けやすい地震帯の上に位置していました。

原子力の「能力要因」 - 原子力発電所がどれくらいの割合で、電気を供給できるかという基準 - は急激に低下しました、2月の71パーセントから5月の51パーセントまで、しかし、この影響はその後の数か月に及ぶことになります。

2011年の夏の間、大規模な電力不足の見込みに直面させられ、日本の政治指導者たちはより多くの原子力発電所に対し、一時閉鎖するよう命令する勇気を持つことができませんでした。
しかし、その必要はありませんでした。
13ヵ月ごとの点検を必要とする規則により、より多くの原子炉は次々に停止状態に置かれることとなったのです。

現在、わずか11基の原子炉だけが稼働しています。
(日本原子力産業フォーラムは19基の原子炉により、供給総量の34パーセントを原子力発電によって供給していることを報告したのを最後に、7月以降月報の発行を中止しています。)
確かに電力不足という状況はありましたが、予想された停電などは起こさずに、日本はこの夏を乗り切ったので す。
正常な状態の原子炉は数週間の停止の後、再稼働されました。

しかし、日本はもはや正常な時代などではありません。
再稼働は関連する地方自治体の承認を必要としますが、災害以降、再稼働を承認した自治体はありません(この部分、北海道泊原発の再開が見落とされています:訳者注)
まだ運転中の11台 の原子炉は2012年の9月までの間、メンテナンスのために停止することになります。
このままでいけば、それまでに稼働中の原子炉は(再稼働されたばかりの泊原発を除けば:訳者注)ゼロの状態になることになります。
しかし、いくつかの都道府県知事の原子力びいきの感情と、日本政府の再稼働への圧力を考えれば、これはありそうにないシナリオのようです。

+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

【シボレー100周年】

アメリカABCニュー ス 11月3日


ゼネラルモーターズのシボレー部門は、世界中の誰もが無理せず購入できる者集を提供し、アメリカ自動車界の歴史と地位を象徴しています。
カーレーサーのルイス・シボレーは1911年、夢のレースカーを製作することを目的として、ウィリアム・デュラントとシボレー・モーター・カンパニーを設立しました。
シリーズCの『クラシック6』が1912年に公開され、2,150ドルで発売されました。
ルイスはレースに専念するため、1913年に社を去りましたが、デュラントに対し引き続き発売される車種にシボレー名を使用し続ける権利を許諾しました。
シボレーは、彼ら自身のポリシーに基づく車作りにこだわります。
個性があり、新旧のシボレー愛好者に受け入れられる車 - すなわちダイナ・ショアがかつて歌ったような『アメリカらしさにあふれた車』作りです。

ゼネラル・モータースのデザイン部門の副支配人、エド・ウェルバーンは初めてシボレーを見た時のことが忘れられません。
彼が6歳のとき、母親と2人でフィラデルフィア郊外の街路樹のある通りを歩いていると、55年型コルベットが角を曲がってやって来て、道に落ちた枯れ葉を巻き上げながら、走り去っていったのです。

コルべットのピカピカの、スポーティなフレームは幼いウェルバーンの心にも長く残る印象を与えました。
そして、数年後11歳になった彼は車を設計することに興味があること、そして車のデザイナーになるためにはどうすれば良いか、ゼネラル・モーターズへの手紙を書きました。
しばらくしてウェルバーン少年はどんな勉強と訓練が必要か、詳しく説明する手紙をGMから受け取ったのです。
彼はそのことを心に刻み込みました。そしてワシントンDCにあるハワード大学を卒業した後、GMでのインターンシップを経た後、フルタイムの従業員として採用されたのです。
2010年型のシボレー・カマロは、ウェルバーンが参加してデザインされた車のひとつです。

過去一世紀の間、シボレーは時代を象徴する車を何種類も世に送り出し、GMのラインナップを革新し続けました。
シボレーはアメリカのポップカルチャーの中でも特異な地位を獲得し、ドン・マクリーン、ビーチ・ボーイズ、エルトン・ジョン、ブルース・スプリングスティーンやプリンスの歌の中にも登場しました。

シボレーの最初のサバーバン・キャリーオールの発売は、シボレーのラインナップを変えてしまっただけでなく、アメリカの自動車業界全体に影響を与えました。1936年型のサバーバンは乗用車とトラックの両方の性格を併せ持つ世界初の多目的自動車であり、SUV市場のパイオニアとなりました。
そして1960年代のピックアップ・トラックや1950年代のコルベット、スポーツクーペなど、シボレーは個性豊かな車を生み出し続けたのです。
video platformvideo managementvideo solutionsvideo player

【 キセノン検出 – 新たな核分裂の脅威を軽視する東京電力 】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 6分

広告
広告

ドイチェ・べレ(ドイツ国際放送) 11月2日

東京電力は福島第一原子力発電所でのさらなる問題の発生を確認しました。
発電所の技術者が放射性キセノンの存在を確認し、制御不能が続く同発電所の問題をさらに難しいものにする恐れが出てきました。

事故を起こした福島第一原発は、東京電力が原子炉2号機から核分裂の副産物として生成される放射性キセノン133と135の存在を報告したことで、またもや目が離せない状況に陥りました。
東電は冷却水にホウ酸の注入を開始しました。
ホウ酸は核分裂における中性子の放出速度を遅くし、核反応の加速による危険を減少させるために用いられます。

キセノンは最近行われた原子炉2号基の格納容器から、除去される放射性物質のサンプルの徹底的なテストの結果見つかったものです。

東京電力のスポークスマンは少量のキセノンの検出は、大規模なメルトダウンを証明するものではない、と強調しました。
原子炉内の温度と圧力は未だに安定しており、放射能の漏出量も増えてはいない、とも述べています。
キセノンの検出は福島第一原子力発電所の詳細な監視を行っている、日本の原子力安全保安院によっても確認されました。

キセノンの検出とその結果生じた核反応の脅威は、年末までに破壊された原子力発電所を制御下に置く、という日本政府とその計画に対する障害になるかもしれません。

3月11日 の地震と津波の後、福島第一原子力発電所の冷却システムは停止し、原子炉1号基、2号基、3号基の燃料棒は部分的に、あるいは完全にメルトダウンを起こしました。

水素爆発が原子炉を覆っていた建屋にさらなるダメージを与えました。
続く数カ月間の間、現場作業員が大量の海水を注水することにより、先週になってやっと原子炉の安定化の第一段階である、圧力容器内の温度を摂氏100度以下まで下げることができました。
加えて原子炉1号基のタイヤを再建、原子炉をすっかり覆うことによって、放射能漏れ減少させたところでした。

+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

今日は【福島 - それでも原子力発電に未来はあるのか?〈後編〉】をお贈りする予定でしたが、キセノン検出のニュースがドイチェ・ベレ(ドイツ国際放送)に掲載されましたので、いつものことですが予定を変更し、こちらをお送りします。
これで掲載中の未完の原稿が、
▽【 放射能のない日本への戦い [ 苦難の道を歩む東北地方のコミュニティ ]】
▽【 3.11 津波の後の姉妹都市 】
▽【福島 - それでも原子力発電に未来はあるのか?】
いずれも翻訳は完了していますので、順次掲載をさせていただきます。

加えて情けないニュースを下記に掲載します。
このパフォーマンスは英国BBC放送、米国NBCニュースで取り上げられましたが、当然のことですが賞賛などはありません。
こうした安手のパフォーマンスは、これまでこの[星の金貨]で繰り返しご紹介して来た被災地の方々の苦しみや不安に対し、どんな解決にも慰めにもなりません。

どころかアメリカ・イギリスのキャスターたちが眉をひそめるように、
「いったい何をしたいのだ?!」
という、困惑だけを世界中から買ったかもしれません。
この方は日本の衆議院議員です。
世界は別の意味で驚いたと思います。

+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

【 福島第一原子力発電所内の水を飲む日本政府当局者 】

英国BBC放送 11月1日

日本政府の当局者が、昨日、制御不能となっている福島第一原子力発電所内で、放射能を帯びた水槽から採取した1杯の水を飲みました。
テレビの画面は、民主党衆議院議員の園田康博(内閣の議会内スポークスマン)氏が、地域から汚染を除かれた水の安全についてジャーナリストによって疑問を呈された後、意を決してコップの水を飲むシーンを放映しました。
立ち入り禁止区域は3月11日 の地震と津波の後、福島第一原子力発電所の周囲に設定されました。
当発電所は3基の原子炉でメルトダウンを引き起こしています。

BBCのローランド・バーク特派員(東京)は、この水は人間の飲用には明らかに適さないと語りました。

【 決死の?!パフォーマンス、しかし得たものは… 】

アメリカNBCニュース 11月2日

私たちに言えることは、水を飲むなら飲むのにふさわしい水を飲んだ方がいい、ということです。
昨日公衆の面前で、日本の国会議員が福島第一原子力発電所内の貯水槽の水を、コップ一杯飲んで見せました。
やって見せた理由は汚染除去作業が順調に進み、このエリアの水道水が安全なことをアピールするためでした。

しかし今日になって、原子炉2号機からの放射性物質キセノンの漏出への対応に大わらわになっていことが新たに報告されました。
原子炉内で核分裂反応が続いていることが懸念されています。

Visit msnbc.com for breaking news, world news, and news about the economy

【 福島 – それでも原子力発電に未来はあるのか?〈前編〉 】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 6分

広告
広告

「福島の事故に対する一般の人々の反応は、ちょっと冷静すぎませんか?」

ステファニー・クック / ニューヨーク・タイムズ / 2011年10月10日

3月11日の福島第一原子力発電所の大事故の2か月後、アメリカの原子力の専門家が興味深い質問をしました。

「福島の事故に対する一般の人々の反応は、ちょっと冷静すぎませんか?」
「スリーマイル島事故、チェルノブイリ事故への反応に比べ、この事故に対する反応だけがなぜこのように違うのでしょう?」
彼はこのように電子メールの中に書きました。

「あなたは、福島は今どんな状態だと思っていますか? なぜ、それほど冷静なのでしょう?」

私には、確かなことは何も言えませんでした。
確かにアメリカ国内の反応は、彼の言う通りだったのです。

しかし、この事故はいったん原子力発電所で事故が発生すれば、どのような恐ろしいことになるか人々に思い知らせることとなり、その影響はドイツ、中国、そしていくつかの他の国に重大な影響を与えました。

ドイツ(アンゲラ・メルケル首相も国の最も古い原子炉の8台の即時運転停止を要求しました)では段階的な廃止が決定し、スイスがこれに続きました。
中国は安全チェックまで新しい原子炉のために承認を停止しました。しかし、伝えられるところでは、承認作業は現在は完了しています。
福島の事故以前は中国では2020年までに86ギガワットを供給できる原子力発電施設を建設する予定でしたが、これは下方修正されることになりました。
現在では(現状の12ギガワット前後から引き上げられ)、およそ60ギガワット、あるいはそれより少しだけ高い出力規模に落ち着きそうです。

イタリアは再び新しい原子炉に『ノー』を突きつけました。
そして、チェルノブイリ以降長い間の凍結の後、原子力事業推進派との比較的短い期間のせめぎ合いに決着をつけました。

「イタリアの原子力発電の未来には、0.01パーセント未満の可能性しかない、と私は思います。」

と、ミラノにあるブッソーニ大学のエネルギー経済学専攻のルイージ・デ・パオリ教授がロイター通信に語りました。

〈つづく〉
+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

最近思うことは「日本はいつから〈死の商人〉になった?!」ということです。
トルコの大地震は死者が400人を超えてしまったようですが、そのニュースを訳した際、トルコが日本と同等、あるいはそれを上回る地震発生国であることを知り、その国に『原発輸出』を目論む日本政府に心底がっかりしました。
そして、インド、ベトナム。

上記の3ヶ国は実は世界でも貴重な親日国家です。
親日感情をこういう形で利用されてしまっては、私たち日本国民のモラルも地に墜ちてしまいます。

チェルノブイリでも、スリーマイルでも起きなかった、3基もの原子炉のメルトダウン。
その「真最中」に、「安全なクリーン・エネルギー / 原子力発電」を売って回る姿を見て、
「日本人は発狂したのか?」
思う人々が、世界中にいると思うのですが?

+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

【 70億人目の赤ちゃんはどこで生まれましたか? 】
「いまや中国語を話す人は、英語・スペイン語を話す人の4倍」

アメリカABCニュース 10月30日

国連によると、10月30日月曜日、世界で70億人目となる赤ちゃんが地球に誕生しました、この地球上の人口にとって重要な瞬間です。

地球の人口の対象に選んで、指数ペースで成長し続ける国連によると、70億人目の赤ちゃんは、月曜日に世界に迎え入れられます。
実際、地球の人口は驚くべきペースで増え続けています。
あなたもご自分が地球で何番目に生まれた人間なのかを知ったら、きっと驚かれることでしょう。

ちょうど12年前、国連によると、地球の人口は60億人でした。
さらに、1960年代までさかのぼるとに、地球の人口はその半分しかなかったのです - そう、30億人。
そしてこの地球に文明が築かれた時代の地球には、ちょうど10億人の住民が暮らしていました。

誰もこの70億人目の赤ちゃんが誰であるか、あるいは、彼らがどこで生まれるかはっきりとは断定することなど不可能です。
しかし、科学者は彼らには、理にかなった推測するための方法があると語ります。
数学的に突き詰めていくと、その場所はインド。
現在世界一速いスピードで成長を続けているインドでは、ほぼ毎秒一人ずつ赤ちゃんが生まれています。

インドの人口は、今から14年後には中国(現在世界で最も人口の多い国)の人口を凌ぐと見られています。

10年後には我々の地球は80億人目の人を、世界に迎え入れる準備をすることになる、と科学者は語ります。
それがビスマルク(アメリカ・ノースダコタ州)なのか、バンガロール(インド南部の都市)なのか、はっきりしたことは全く分かりません。

video platformvideo managementvideo solutionsvideo player

【 東日本大震災で地球の重力配置が変わった 】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 9分

広告
広告

Our Amazing Planet(私たちの素晴らしい地球) 10月5日

今年始めに日本を襲った東日本大震災の巨大地震は、地震が発生した区域で重力配置を変えてしまう程強力なものだったことが、科学者の研究により、新たに解りました。

質量を持つすべての物体は引力を持ち、対象となる物体を自分の方に引きつけます。
この引力の強さは、その物体の質量によって変化します。
地球の引力は、均等に分布している訳ではありません。その意味するところは、地球の引力はある部分では強く、ある部分では弱い、ということになります。
3月に発生したマグニチュード9.0の東北太平洋沖地震は、これまで日本を襲った地震の中で最も大きく、地球上で記録の残っている地震の中で5番目に大きな地震でした。

この地震が地球をどのように変形させたのかを確認するため、科学者は重力・天候観測を行うGRACE人工衛星を使い、地震の前と後では地球の重力配置がどのように変化したのかを分析しました。

その結果、東北太平洋沖地震は地震発生エリアの地殻を薄くし、そのことによってこのエリアの重力が平均で百万分の2ガル減少しました。
比較すると、地球表面の引力の大きさは980ガルです。
「私たちの研究結果の中、最も重要な示唆は今回の巨大地震は地表だけでなく、地球内部の構造まで大きく変化させてしまった、という点です。」
日本の北海道大学の地球物理学研究者、松尾功二氏( http://www.sci.hokudai.ac.jp/~kouji-matsuo/index_J.html )が Our Amazing Planet に語りました。

GRACE人工衛星はかつて2004年に発生した、史上3番目の大きさのマグニチュード9.1と9.3を記録したスマトラ-アンダマン地震に起因する重力変化をとらえました。史上8番目のチリ地震の際にも、重力変化は起きています。
これらの地震が重力を減少させた過程は、東北太平洋沖地震のものとたいへん良く似通っており、このことからこの3つの地震が同じタイプのものであることが解ります。

研究者は地殻の復元運動によって、地震発生以前に重力変化が起きるかどうか、この点に注目しています。

松尾功二氏と彼の同僚日置幸介氏は、9月22日付けのオンライン上のジャーナル地球物理学的研究報告で彼らの調査結果を詳述しました。


図解説明〈 近年の地震のマグニチュード 〉
アメリカ地球日本最大の島、本州の東海岸を襲った地震は世界史上5番目の巨大地震であり、日本では記録が始まって以来最大の地震です。
この地震を他の有名な地震と比較すると :
地震のエネルギー
マグニチュードは1段階ごとに10倍強力なものになります。円の大きさは地震のエネルギーのや大きさを表現しています。

+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

ご覧いただいている【星の金貨】を改めて確かめてみると、3.11震災以来、どうやら翻訳したニュースその他は200本を超えているようです(自分でも数えるのはもう不可能です)。
しかし、未だに訳すことができずにいるフレーズがあります。
それが後半のアメリカNBCニュースのシリーズ・タイトル[ Making a Difference(メイキング・ア・ディフェレンス)]です。

ある取り組みをしたことによって、周囲の人々や地域社会が豊かになった、救われた人々がいた、といった内容の番組です。
これまでご紹介した中では、「レイチェルの願い」「価格の無いレストラン」や「ステイ・ハングリーが彼女の人生を変えた」などが代表的な作品です。

訳すと「成果が上がりました」「効果がありました」ということになりますが、このタイトルでは番組から伝わる登場した人々への愛情のようなものが、希薄になってしまうような気がします。
という訳で、しばらくはそのまま[ メイキング・ア・ディフェレンス ]としてご紹介させていただくことにしました。

+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

【 この星を守ること、それはこの星を愛すること 】

アメリカNBCニュース 9月26日

メイキング・ア・ディフェレンスの時間です。
今回は学習と教育についてです。
ただし、今回は学校の敷地の壁の内側でのお話ではありません。
でも、最良のクラスルームかもしれません。
環境問題担当特派員、アン・トンプソンがお送りします。

手つかずの美しい自然から遥か遠くの場所にあるのは、落書きや傷だらけのブロンクスのコンクリートの壁です。
新進の環境保護活動家を見つけるには一番意外な場所かも知れません。
「もっと良い環境にすることができると思いますか?」
「できると思っています。これは一人の人間が他のメンバーをその気にさせたことから始まりました。そして私は他の人々からやる気をもらったのです。」

レポーター「前進せよ、一歩一歩進め、という訳です。」
ジャージー海岸に沿って、彼女にやる気を起こさせるものがたくさんあります。開発のため伐採された樹が再び植樹されています。
彼女は泳げないのに、パドル・ボードの上に立ち上がっています。

レポーター「パドルボードだってできるなら、もう何でもできるんじゃないの?」
エメリン「やろうと思えば、できないことは無い。だったらボートもこげるはずだと思ったのよ。」

レポーター : エメリンは自然環境を守るための、将来のリーダーを育成するための『リーフ・プログラム』に参加する、72名の有給研修生の一人です。

リーフ・プログラム監督官・ブリジット・グリスウォルド「私たちは野外活動に若者を参加させるだけではなく、それ以外の活動も行っています。私たちは、自然の中で生きていく方法、科学的に捉える考え方、自然を大切にする当考え方などについても、子どもたちに伝えているのです。

レポーター「生徒たちは環境問題について学習している高校生たちです。20の州からやってきました。彼らは様々なテーマごとに科学者と一緒に活動します。
ジャージーのこの川の中で、17歳のエメリンと彼女の仲間はトンボを捕まえています。
「このトンポは頭が青くて、しっぽは緑色をしている。」
「きれいね。」

レポーター : 彼ら研修生にとって、自然界はとんぼや水質、そこで暮らす生き物などについて学ぶための、最高の教育の場となっています。彼らは始めは怖がっていましたが、克服するのに...
研修生「ほうら、見て、見て」
レポーター : ...それほど長くはかかりませんでした。
研修生「とってもいい気分だわ。まるで専門家になったみたい!」

レポーター「リーア・ベネットは、いちばん最初の研修生の一人で、現在はバージニア州北部の中学校で理科の先生をしています。」
レポーター「ここの少女たちに、あなたは何を学んでほしいと思っていますか?」
リーア「私は、彼女たちはきちんと自立していくための方法、そして挑戦を続ける姿勢を学んでいくものと考えています。」

レポーター
「彼らはここで学んだ様々なスキルや自然についての問題意識を自宅に持ち帰り、周囲の人々にそれを伝えていくことになるでしょう。
自然の美しさへの感動は、単なる夏の思い出にとどまるのではないのです。」

アン・トンプソン、NBCニュース、ジャージー海岸にて。

Visit msnbc.com for breaking news, world news, and news about the economy

このサイトについて
ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
最近の投稿
@idonochawanツィート
アーカイブ
広告
広告
カテゴリー
メタ情報