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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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【 放射能のない日本への戦い 】第6回

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所要時間 約 7分

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[ 苦難の道を歩む東北地方のコミュニティ ]

アルジャジーラ 2011年9月

入所者の平均年齢が84.7歳 という、飯舘村の特別養護老人ホームの総務部長の佐々木さんは、『計画的避難区域』内に帰ってくることにした少数の人々の中のひとりです。

『計画的避難区域』内にある特別養護老人ホームの運営を続ける、という決定は単独で決めたわけでもなく、簡単な決定であったわけでもありません。
患者とその家族に相談し、代わりになる収容施設についても検討しました。さらに、リスクについても検討を行いました。
「私たちは患者さんの安心と安全の、両方を考えなければなりませんでした。
屋内の放射線の内部のレベルはそれほど悪いわけではなく、また、他の施設で入所者を移動させた際に死亡者が出ていたので、移動は困難だと判断したのです。」
佐々木さんは語ります。
「そのため、私たちはここに留まることにしました。その方が家族の方も見舞いに来やすいですから。」
佐々木さんは自ら訴えようとはしませんでしたが、その顔には明らかに苦悶の表情が浮かんでいました。

放射線が漏れ始めてから、一部のスタッフは辞めていきました。
残ったスタッフは、ガイガーカウンターを携行しています。
佐々木さんは今以上に状況が悪化し、100人ほどの入所者を避難させなければなくなった時、いったいどうしたらいいのか、と懸念しています。
「たぶん私はここにいる皆さんを、一度に収容できる施設を見つけることはできないでしょうから、少人数のグループに分けなければならなくなります。」
これは患者さんにとって大きなストレスとなるだけでなく、10パーセントの人は車いすで移動しなければならないなど、それぞれのグループが独自の看護師や設備を必要とするので、同様に主要な人員配置の問題を提起することになるでしょう。

彼はそれをやってのけることができたとしても、患者にとっては環境の変化自体が有害である可能性があります。

「今のところ、入所されている皆さんの環境は変わりないと思います。」
こう佐々木さんは言いますが、もちろん、これからもそうである保証はありません。

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【ピーナッツ・バターはもはや手軽な食材ではなくなります】

アメリカNBCニュース 10月30日

現在スーパーマーケットで起きている、何ともいただけない価格上昇のお話です。
つい最近の食料品の購入明細を見て、あなたは合計金額が高くなっていることに気がつかれるかもしれません。
原料価格の高騰が、メーカーからあなたの家庭に転嫁されようとしています。一部の家族にとってはお気に入りの食品の価格が高騰しようとしています。
NBCのジャネット・シャムリアンから報告してもらいましょう。

レポーター「家族が学校のカフェテリアや食堂で好んで注文する、主要食材の一つ。アメリカの家庭なら9割の食品貯蔵庫にそれはあるはずです。
主婦にとっては、ありがたい存在でもあります。」

しかし、しばしば手軽なタンパク源として利用されてきましたが、価格が一気に高騰しようとしています。明日という早いタイミングで、メーカーは価格を引き上げようとしています。
あるメーカーは価格を4割引き上げようとしています。
一家の主婦ティナには、ハロウィーンのキャンディのような物が大好きな2人の子供がいます。
「4割も値段が上がったら、誰だって気がつくでしょうに。特にピーナッツバターとなれば、誰もがショッピングカートに入れたくなるような商品でしょ。」

リポーター「農民の側では、今年の落花生の収穫は13%減少となっており、そのことも需給関係に影響を与えています。」
全米ピーナッツ生産者組合 / ラファエラ・マリー・フェン「燃料価格の上昇、熱波、そして干ばつが手をつないでやってきたのです。」
リポーター「特にジョージア、テキサス、アラバマ各州の収穫は、仮借ない熱波により大幅に落ち込みました。この結果、落花生の価格が高騰することとなりました。
2010年には1トン当たりの価格が450ドルであったものが、今年2011年にはほぼ1,200ドルにまで上昇しました。この商品については、小幅な値上がりですら家計に響くことでしょう。
平均的な子供は中学校を卒業するまでに、1,500回ピーナッツ・バターのサンドウィッチを食べる、という統計があるのです。こうした数字は下がらざるを得ないでしょう。
最近の研究では、アメリカではその商品の価格が上昇すると、3分の2の消費者が買うのを思いとどまる傾向がある、という結果が出ています。」

消費者「我が家ではもはやピーナッツバターは必需品としてではなく、ときおり楽しむ贅沢な食品になるかもしれませんね。」

リポーター「今のところその値段はまだ、許せる範囲にとどまっています。しかし、『子供たちのランチトレイ』 という名のブログも書いているテキサスのこのお母さんは、いずれピーナッツバターについては、今様に気軽に使うことをやめなければならない、と語ります。」
ティナ「価格はあまりにも高くなっています。私はこの価格高騰はたくさんの困っている人々を、さらに困らせることになると思います。」

リポーター「南部で発生した干ばつが北部の落花生の価格を高騰させ、またもや主要食材に対する家庭の出費を増やすことになりました。」

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【 放射能のない日本への戦い 】第5回

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所要時間 約 6分

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[ 苦難の道を歩む東北地方のコミュニティ ]
「福島で開催された非公開の国際放射線防護委員会は、住民が感じている不安には耳を貸そうとはしなかった」

アルジャジーラ 2011年9月

確かにこの半年間は日本人にとって、懸念の上に、さらに懸念を積み重ねてきた6ヵ月間だったのです。

浄土真宗本願寺派の僧侶松村さんは、心の奥深い部分で、国民の苦悩と向かい合っています。

「私たちは仮設住宅が建てられた地区のコミュニティセンターを訪れ、お茶や軽食を一緒にとるのです。」
松村さんは普段は京都を拠点にしていますが、現在は寺の災害救援の事務所で働も働いています。
「人々がリラックスして私たちと話しをするうちに、自然に私たちに助けを求めるようになるかもしれません。」
「今人々が最も強く求めているのは、亡くなった大切な人々に対する祈りなのです。」
しかしあまりに大きな損失と、これからやらなければならない山のような仕事を前に、人々はどうすれば苦痛を和らげることができるというのでしょう?
「地震と、津波と、そして原子力災害によって破壊されてしまう文明を、これまでずっと築き上げてきたことについてもう一度考え直す、よい機会かもしれません。」
松村さんはこう、仙台市でアルジャジーラに話しました。
「文明の発展によってだけでは私たちの幸せを築けないのなら、本当の幸せとはいったいなんでしょう?」

④ 不安定な生存

国際放射線防護委員会(核ロビー、いわゆる原子力ムラやそこに属する専門家の幹部により構成される)は、9月11日福島市に集まり、放射線被ばくのリスクが一般の人々にほとんど誤解されている、と結論づけました。
しかし、誤解をしていようがしていまいが、すべての一般の人々は、福島での日常生活に対処していかなければなりません。

この会議は非公開で行われましたが、福島という場が使われたにもかかわらず、集まった専門家は住民が感じている不安に耳を貸そうとはしなかった、と感じた福島の住民を憤慨させることになりました。

⑤しかし、人々の営みは続く

住民が避難を余儀なくされている浪江のような町は、いまだにほとんど住民は暮していません。一方で福島第一原発から30キロの『計画的避難区域』とされている地区に、あえてとどまり続けている人々がいます。
ここでは、住民は避難するよう勧告を受けていますが、原発から20km圏内の日本人が『警戒区域』と呼ぶものとは違って、数名の人々が例外的に残留しています。

『計画的避難区域』とされる飯舘村車で通過すると、亡霊の町を通りすぎるのに本当によく似ています。商店の窓は打ち付けられた板で覆われ、外を歩く人の姿は見当たりません。作業目的の車両が通りすぎていくだけです。

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【 末期がん患者の85歳の女性 - 人生の最後に望んだものは 】

アメリカNBCニュース[メイキング・ア・ディフェレンス] 9月27日

今夜のメイキング・ア・ディフェレンスのレポートはアーカンサスからです。
このレポートを受け取った時、私たちは迷い無くこの話を皆さんと共有すべきだと考えました。
NBCのアン・トンプソンが「今は私は、満たされている」と語る女性の物語をお伝えします。

レポーター:これは楽しくなる騒音です。

レポーター:マーティ・バレットは、残り少ない人生の時間に、再びこのバンドの演奏を聴けるとは思っていませんでした。

マーティ「私にとって一番のスリルだわ。」

レポーター:ロジャース記念ハイスクール・バンドで孫のアンソニーが誇らしげに演奏するのは、マーティが買ってあげたトランペットです。

彼女は今、癌の最末期、ホスピスのケアの下にいます。
マーティは、アンソニーがフットボールの試合で演奏する様子を見に行くことができません。
彼女にはもう時間が残されていませんが、もう一度だけハイスクール・バンドの演奏を聴きたいと思っていました。

その願いを知った120人のメンバー全員が今週、彼女のもとにやって来たのです。
もちろん、アンソニーが今日の主役として、ひときわ目立つ場所にいます。

85歳のマーティは伝説のビッグバンド時代(1930~50年代)に生きた女性です。
一番のお気に入りはベニー・グッドマン。
でももうずいぶん時間が経ちました。

マーティの息子(アンソニーの父)「これほどのことをしてもらって、ほんとうに言葉もありません。」

マーティの顔に浮かぶのは、カーニバルが始まったことに興奮する子どものような表情です。
音楽を聴ける喜びと孫に対する誇り。

「愛してるよ、おばあちゃん」
「わたしもよ」

彼女にはまたひとつ、生きた証となる思い出ができました。

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【 津波の後の姉妹都市 】第2回

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所要時間 約 5分

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「太平洋を隔てた遥か遠くの町の人々が、東日本大震災の被災地を助けるために立ち上がる」

アメリカCBSニュース 10月2日

海はかつて、ケンさんから大切なものを奪いました。
2歳の時、ケンさんの父は大槌町の沖合で漁船事故のため死亡しました。彼は少年時代、父親の姿を求めてじっと海を見つめることがありました。

彼はいつもその海の反対側に、何があるのか想像をめぐらせていました。
彼は大きくなったとき、彼は世界地図を取り出すと、太平洋の上を指でなぞっていきました。すると、カリフォルニア州フォートブラッグの町にたどりついたのです。

カリフォルニア州フォート・ブラッグ

佐々木「海を越えてまっすぐ行ったところに、フォートブラッグの町があったのです。」
サイモン「直線上に?」
佐々木「その通りです。」
サイモン「いままでフォートブラッグの名前は聞いたことがありましたか?」
佐々木「いいえ、カリフォルニアと言えば、サンフランシスコぐらいしか聞いたことはありませんでした。そしてその後、フォートブラッグとは一 体どんなところか、調べてみたんです。」
サイモン「何かわかりましたか?」
佐々木「世界最大の鮭のバーベキュー。」
サイモン「世界最大の鮭のバーベキューですって?」
佐々木「そのとおりですよ。」
サイモン「それはまた変わった分類ですね。」
佐々木「ご存かもしれませんが、この町も鮭に関する長い歴史があるんです。」
サイモン「太平洋を隔てた2つの鮭の町。」
佐々木「そうですね、なんだかいい感じですね。」

ケンさんはカリフォルニア州フォートブラッグについて、詳しく知りたいと思いました。そこで彼は1997年に、彼は大槌町で開催される海に関するイベントに市長を招こうと、フォートブラッグの市役所にファックスを送りました。
驚いたことに、市長は『OK!』という返事を送ってきたのです。

それが美しい友情の始まりでした。
2つの鮭の町は、プログラムの交換を始めました。
10年間に渡り、人々が太平洋上を行き来したのです。
大槌町への最後の訪問のとき、すべての催しが中止になるちょうど5か月前、フォートブラッグか らやってきた人々のためのお別れパーティが観光船の中で開催されました。

サイモン「津波が襲った後、フォートブラッグから何かメッセージはありましたか?」
佐々木「たくさんの方々から、ほんとうにたくさんの電子メールを受け取りました。私は泣いてしまいました、わかりますか、この気持ち?」
サイモン「泣いてしまったんですね。」

佐々木「ええ、私はフォートブラッグのたくさんの友人から多くのメッセージを受け取り、とても幸せな気分になりました。」

そうした友人の一人にシャロン・デイヴィスがいました。
私たちの招待に応え、彼女は大槌町に戻ってきました。
彼女はそこで彼女を待ち受けるものが何かを知っていた、と語りました。

デイビス「私は写真も見たし、映像も見ましたが、現実はもっともっとひどいものです。」

彼女は特にケンさんのこと、初めて大槌町とフォートブラッグを結びつけた男性のことが心配でした。

デイビス「ケンさん、あなたに会えて本当によかったわ。あなたの大切なギター、全部無くなってしまったこと、知ってるわよ。」
佐々木「仕方ないよ。」

昨年、シャロンは、交流プログラムの一環として、カリフォルニア州の自宅に2人の大槌町の学生、さと子とななを招待・世話をしました。
彼女たちは津波を生き延び、シャロンが町にやってきたことを聞き、学校にもやって来ることを知りました。

さと子とななはそわそわしながら、そして笑いさざめきながら待っています。そしてやってきたシャロンと大きな抱擁を交わしました。

デイビス「太陽が雲間から顔をのぞかせたようでした。すばらしいわ。」
サイモン「彼女たちは大丈夫ですか?」
デイビス「彼女たちは、さと子とななは大丈夫です。彼女たちは強い女の子です。少女でしかない彼女たちがどれほどの困難を克服してきたか、それを考えると私は驚くほかありません。」

シャロンは、バックフォートブラッグ、カリフォルニア州の子供たちからの数えきれないほどの手紙を携えてきました。

しかし、再会のいくつかは厳しいものでした。大槌町の教育長はシャロンと会って微笑もうと努力しましたが、顔が引きつり、結局できませんでした。

【 津波の後の姉妹都市 】第1回

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「太平洋を隔てた遥か遠くの町の人々が、東日本大震災の被災地を助けるために立ち上がる」

アメリカCBSニュース 10月2日

3月の巨大津波は日本の大槌町を破壊しましたが、カリフォルニア州フォートブラッグとの絆を断ち切ることはできませんでした。
そして今、フォートブラッグは、姉妹都市である大槌町を救うべく立ち上がろうとしています。

[姉妹都市]という定義は往々にして、二つの都市間での握手や写真の交換よりは、少しばかり発展した関係を意味します。
しかし、日本の大槌町で2011年3月11日、巨大地震と巨大津波が人々を虐殺した時、太平洋を隔てて数千キロの彼方のカリフォルニアにあるフォートブラッグの町は、精神的にも金銭的にも最大限の援助をすることにしたのです。
アメリカCBSニュース特派員、ボブ・サイモンがレポートします。
〈以下のスクリプトは2011年10月2日 に放映された番組『津波の後に』からのものです〉

これまであなたがどれほどの写真を見たとしても、そしてどれほどたくさんのニュースを視聴したとしても、ここに立つことはまさに衝撃的です。
日本の東北沿岸を海の中に叩き込んだのは原子力発電所の事故でも、巨大地震でもありません。
それは津波、悪夢よりも暗い、真っ黒な波でした。

3月の津波で大槌町ほどの被害を受けた街はありませんでした。ほんの数分で、15,000しかいない人口のうち、少なくとも1,500の命が失われました。
大槌町は非常に辺鄙な場所にあり、行ったことのある人はほとんどいません。
しかし14年前、アメリカ人のグループがこの町との絆を生み、震災を経てその絆は強くなる一方です

世界は原発事故にばかり目が行き、しばらくの間、これらの沿岸の町の存在は忘れられていました。
私たちは実際に大槌町に行ってみて、この町がまさに絶滅の瀬戸際にあることに気がつきました。

我々は大槌町に着いた途端、忘れられない儀式を目の当たりにすることになりました。
仏教の僧侶は経を唱えながら、800年の歴史を持つ旧市街の残骸の中を練り歩いていました。

大槌町の惨状は、ここが66年前の広島市の一部分であるかのような連想を引き起こします。
そこにある光景は原子爆弾による破壊の後のようです。
この町の一割に上る人々が押し流されてしまいました。
それは文明の脆さについて啓示する、致命的な教訓を与えたのです。
地震そのものも非常に強力で、地盤を沈下させ、日本列島全体を東に約25メートル移動させました。

毎日、満潮時には町の中は洪水のようになります。
数ヶ月を経た現在、生存者はまだ仮設住宅に住んでいます。しかし、こうした生活が長引かざるを得ないことを誰もが理解しています。
この映像は津波の前の大槌町です。
そして2011年3月11日15:25、大槌町のすべてが停止してしまいました。

佐々木ケンさん「これが私の家です...」
ボブ・サイモン「あなたの家?」
佐々木「そう...」

佐々木ケンさんは消えてしまった町の役場に勤務していました。

サイモン「どのくらいの期間ここに住んでいた?
佐々木「ええと、20年以上。」
サイモン「さて、あなたが津波の後に最初にここに戻った時、あなたの持ち物で何か残っているものはありましたか?」
佐々木「何も残ってはいませんでした。」

ケンさんは地震発生当時、港の近くで会議中でした。
30分後、彼は海の方から不気味な音が聞こえてきました。
佐々木「ああ、津波が来るに違いない!丘の上に逃げなければ!そして、振り返ると、そこには……」
サイモン「そこには地獄の光景が見えたんですね。」
佐々木「そう、確かにそれは地獄でした。」

彼の親戚9人が津波で死亡しました - 叔母、従兄弟……
ケンさんは三週間の間、車で暮らさなければなりませんでした。
佐々木「それはひどかったし、それはとても寒かった。ガスはもちろんのこと、ウィスキーもなければ、ビールもない。」
ケンさんは日本人の中でもユニークなキャラクターです。
音楽愛好者でギタリスト、彼はビートルズを聴いて英語を学びました。

佐々木さんがビートルズのゲット・バックのワンフレーズを歌いました。
『もとの住処に帰ってこいよ…(Get back to where You once belonged...)』

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【 放射能のない日本への戦い[ 苦難の道を歩む東北地方のコミュニティ ]】の連載がまだ終わっていないのに(全8回のうち、あと4回分残っています)、別の連載を始めてしまいしまた。
どちらもも保留のままにしておくのが忍びないので、交互に連載していきたいと思います。

被災地の真ん中(仙台)にいて7ヵ月、全国の『一般の方々』には本当にあらゆることで助けていただきました(もちろん自衛隊・消防の方々も)。
すべての費用をご自分で負担され、宮城や岩手でボランティアをされた方々には本当に頭が下がります。

そして、海外からもたくさんの支援をいただきました。
自国の独立記念日に何をすべきか、と考え、「7月4日独立記念日には、東日本大震災の被災地でボランティア活動をする」と決心したアメリカの青年たちもいました( http://kobajun.biz/?p=693 )。
線路までぐちゃぐちゃに折れ曲がった東松島で、JRの復旧に汗した人たちの中には、アメリカ海兵隊の兵士の姿がありました。

これから被災地は冬に向かいます。
東北の冬は長く、厳しく、そして時には暗い日々が続きます。
しかし、私たちは孤立しているのではない、と思うことで、前を向いていけると思っています。

【 かぼちゃ大作戦発動!そしてハロウィーンが輝く 】

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「それだけの時間があれば、もっとほかのことができた?」
「参加したみんながこれほど楽しくなるようなことは、できなかったと思うよ」

アメリカNBCニュース 10月23日

レスター・ホルト
「今夜最後の 話題は大きなかぼちゃの大冒険のお話です。今週ニュージャージーの都会で暮らす子供たちが、輝くばかりに立派に成長したジャック・オーランタン(かぼちゃをくりぬいて作ったオバケ)と対面することになりました。かぼちゃの大豊作に恵まれた、オハイオ州の一人の農夫のアイディアが、ちょっとした楽しい奇跡を実現させました。
NBCのロン・アレンがお伝えします。」

ロン・アレン
「実際、ニュージャージー州パターソンのような都会で、かぼちゃの栽培は不可能です。少年少女クラブの子供たちが熱狂的に喜んだ理由、それは他でもない自分たちの庭園に、かぼちゃ畑が現れたからでした。」

ミズ KT アンガラ(パターソン少年少女クラブ責任者)
「ここの子供たちはかぼちゃ畑を知りません。私たちもそうです。まれにリンゴやバナナを見かけることはありますが、2,000個のかぼちゃはちょっと…」

ロン・アレン
「数百マイルも離れたオハイオのグレッグ・クレメンツの農場では、どう処分していいかわからないほどの、かつて無いかぼちゃの豊作に見舞われていまし た。」

グレッグ・クレメンツ
「子供のころ、秋にはハロウィーンのかぼちゃを手に入れることが、どれだけ大切なことだったか、思い出したんだよ。そして手に入れたとき、満面の笑みが浮かんだことをね。だから、今年の収穫を利用して、誰かとそういう喜びを分け合いたいもんだ、と思ったわけなんだ。」
ロン・アレン
「かくして、グレート・パンプキン作戦は開始されました。呼びかけが行われ、雨の中にも関わらず数百人のボランティアが参加して一列に並び、かぼちゃを運び出しました。」

参加した男性「すべてがうまくいったよ。」

ロン・アレン
「かぼちゃはトラックに積み込まれ、ニュージャージへと運ばれました。2,000個を超えるかぼちゃが運び込まれました。」

アレン「8時間かけて、運んだんですね。」
クレメンツ「そうだよ。」
アレン「300から400マイルもあるんでしょ。」
クレメンツ「その通り。」
アレン「それだけの時間があれば、もっとほかのことができた、ということもできると思うんですが。」
クレメンツ「そうだね、全くその通りだとは思うよ。だけど、参加したみんながこれほど楽しくなるようなことは、できなかったと思うよ。」

ロン・アレン
「クレメンツさんがニュージャージーを選んだのは、ハリケーン・アイリーンによって、アメリカの中でこの場所の作物が大きな被害を受けたからでし た。」
クレメンツ「助けは必要ですか、それとも、もう大丈夫ですか?ほんとに?」

ロン・アレン
「さらにクレ メンツさんはここの子供たちがまだかぼちゃ畑を見たことがない、と聞いてパターソンを選びました。」
「こんなに大きなカボチャ、どうするつもり?」
少女「パイを作るわ。」
少年「ハロウィーンで使うんだよ。」
少女「かざりつけするわ。」

ロン・アレン
「この大スケールのかぼちゃ畑はすべて10歳の少年、アントニー・ロジャースのアイディアです。」
ロジャース「ほかの人たちにも分けてあげたかったんだ。」
アレン「ほかの人たちにも?」
ロジャース「みんな近所の人だからさ。」
アレン「ほんと?どうして?」
ロジャース「誰もがほんとうに(生活が苦しくて)、かぼちゃを手入れることができないんだ。ぼくはかぼちゃが手に入ったことを感謝したくて、みんなで分け合うことにしたんだよ。」

アレン「このような少年の答え、予想していましたか?」
クレメンツ「感激だよ、ほんとうに感激だよ。じっさい、こんなに喜んでもらえて興奮するよ。」

少年「僕のかぼちゃ、見て!見て!」

アレン「そしてクレメンツさんの言葉を借りれば、子供たちの満面の笑みとともに、かぼちゃ畑は一面に広がっていったのです。」

「はい、チー ズ!」

NBCニュース、ロン・アレン。

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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