星の金貨 new

星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

ホーム » アーカイブ

【 東日本大震災発生から5年のニッポン 】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 8分

広告
広告

「日本は原子力発電をあきらめない!」国民の原子力行政に対する疑惑をより強いものにした安倍首相の発言

ドイチェ・べレ(ドイツ国際放送) 3月11日

NBC01
国を揺るがすほどの大災害となった2011年3月11日の東日本大震災の発生から、5年が経ちました。
そして巨大地震と巨大津波が引き起こした福島第一原子力発電所の事故は、チェルノブイリ以来最悪の原子力発電所事故となりました。
日本は3月11日金曜日、5年前に発生した東日本大震災で犠牲となった約20,000人の人びとを哀悼しました。
東日本大震災は東北地方を始めとする東日本に壊滅的被害を与えました。

Fukushima residents
明仁天皇と美智子皇后陛下、安倍晋三首相は国が開催した追悼集会の席上で、そして日本中の人々が午後2時46分、5年前に地震が発生した正確な瞬間に合わせて黙とうを捧げました。
この前日警察庁によって発表された東日本大震災に関する集計によれば、3月11日に襲った巨大地震と巨大津波による犠牲者の数は15,894人、そして今なお2,561が行方不明になったままです。
「多くの人々未だに被災地で、不自由な生活を強いられています。そして原子力発電所事故のため愛する故郷に戻れずにいる多くの人々がいます。」
安倍首相は政府関係者や震災の被災者が参加し、東京で開催された式典でこう語りました。

anti-nuclear01
巨大地震が原因となって発生した津波は、福島第一原子力発電所に襲いかかり、6基中3基の原子炉をメルトダウンさせました。
事故により放出された大量の放射性物質が福島県内の広域を汚染しました。
この結果160,000人にのぼるを超える人々が故郷にある自宅を捨てて、避難を強いられる事態となり、福島第一原発の事故は、1986年に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故以降、最悪の原子力災害とされるに至りました。

公式の集計では未だに約100,000の人々が、故郷の放射線量が下がらないために自宅に戻ることができずにいます。
事故を起こした原子炉の事故収束・廃炉作業については、福島第一原発の所有者である東京電力によれば、これから40年以上の歳月を必要とします。

2015oct01
しかし日本が原子力発電を必要とするという安部首相の態度は変わることはありませんでした。
同じ席で首相は津波によって壊滅的被害を受けた東北地方の復興事業を加速させると約束しました。
「資源に乏しいわが国が、経済性や気候変動の問題に配慮しつつ、エネルギー供給の安定性を確保するためには、原子力は欠かすことはできません。」
安倍首相は別の記者会見の席上でこう述べました。
しかし原子力発電の継続の問題について日本政府が直接言及したことは、逆に多く国民に原子力発電の安全性と日本の原子力発電担当行政に対する疑惑をより一層大きなものにすることになりました。

▽ 人々の祈り

黙とう2016
明仁天皇と美智子皇后陛下、安倍晋三首相は国が開催した追悼集会の席上で、そして人々が午後2時46分の東日本大震災発生の時間に併せ黙とうを捧げる姿は日本中で見られました。
日本国内のすべての電車や列車はこの時間、運行を止めるよう依頼を受けました。
そして国中の人々に、巨大な悲劇によって命を落としてしまった人々に哀悼するため、黙とうを捧げるよう呼びかけが行なわれました。

アジア各国の原発
[上の図 : アジア各国の原子炉の数、赤は現存する原子炉、黄色は建設中の原子炉。]

http://www.dw.com/en/japan-marks-fifth-anniversary-of-tsunami/a-19110119
 + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

【 フクシマ発生から5年後の世界の原子力発電 】
今や原子力発電は『儲からない商売』

エコノミスト 3月10日

ECO Meltdown
22011年3月11日に発生した巨大津波は日本の東北地方の太平洋沿岸に襲いかかり、いくつもの市町村や農地をのみこみ、福島第一原子力発電所に致命的なダメージを与えました。

約19,000人の市民が津波によって死亡しました。
そして福島第一原発では原子炉の炉心が溶け落ちるメルトダウンの事故が発生、1986年に発生したチェルノブイリ以来最悪となる原子力発電所事故は付近一帯の環境中に大量の放射性物質を放出、約160,000人が故郷、自宅を捨てて避難を強いられました。

5年が経った今も福島第一原発の事故は終息しておらず、多くの市町村が人間の生活できないまま、数万人の人々が仮設住宅などで避難生活を送っています。

川内原発再稼働
事故発生後、日本は暗然上の懸念から国内の稼働可能な原子炉43基のうち、2基を除くすべてを停止させました。
他の国々でも原子力発電に代わり、再生可能エネルギーへと発電手段を変える動きが加速することになりました。

ドイツでは2022年までに国内にある17基の原発すべてを停止させるという政治決断を行い、現在そのための作業が進行中です。
フランスも全発電手段の中で現在75%を占める原子力発電の割合を、10年以内に50%にまで引き下げるという議案を可決設立させました。

一方では経済市場における物価が著しく下落し、電力会社の電気の卸売価格もこれにスライドして下落することになりましたが、多くの原子力発電所の運営を難しくすると同時に、廃炉費用の捻出にも黄色信号が灯ることになりました。

01再稼働反対
市場の自由化・規制緩和が進む中、原子力発電所の経営から利益を得ることはますます難しくなり、かつ危険な原子力発電所を一から建設しその安全性を確保することには莫大な費用がかかるようになりました。
一方で各国政府が二酸化炭素の排出に取り組む中、原子力発電所の閉鎖はしばしば火力発電所がさらに多くの化石燃料を燃やすことにつながっています。

再生可能エネルギーの発電能力の拡大は、風が吹かないとき、そした太陽が輝かないときには、安定した電力供給手段にはなりません。
この点、原子力発電所は二酸化炭素排出料の少ない安定した「ベースロード電源」であることを認めざるを得ません。
原子力発電所の全廃に踏み切ったドイツでは、石炭火力発電所の操業率を引き上げざるを得ず、結果的に二酸化炭素の排出量が増加しました。

原子炉建屋
各国の政府は原子力発電を含めたエネルギー供給計画を形にしなければなりませんが、原子力発電所はそのまま操業を継続するにせよ、廃炉に踏み切るにせよ、莫大な費用がかかります。
福島第一原子力発電所の廃炉には2兆円以上かかると見積もられていますが、事故の収束作業及び汚染された地区の除染には別に10兆円以上の費用がかかるとみられています。

ECO Nuclear map

http://www.economist.com/blogs/graphicdetail/2016/03/daily-chart-5

【 アフター・フクシマ : 悲劇から5年が過ぎて – 人びとの素顔 】《4》

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 6分

広告
広告

海で生きる人々の生計を、わずか数分で根こそぎ奪い去った3.11の巨大津波
震災後のボランティアも加わっての清掃活動は、かつて以上にきれいな海を実現させた

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2016年3月10日

GRDフクシマ01
▽ 小石浜(大船渡市三陸町綾里小石浜)
5年前、佐々木淳氏は生計を立てるために海に戻るという考えをすべて捨てるという選択をする事も可能でした。
佐々木氏は3.11の巨大津波が小石浜に押し寄せる直前、海での仕事を終え港に向かって漁船を操縦していました。
小石浜を襲った津波が大切なホタテガイの養殖棚を次々と無惨に破壊していく様子を、佐々木さんと家族は絶望的な思いで見守る以外どうすることもできませんでした。

わずか数分で、佐々木氏は金額にして約5,000万円、1,000トンの養殖ホタテガイを失ってしまいました。
「押し寄せた津波が引き波となって去って行った時、私のホタテガイ全部が一緒にさらわれてしまったことを思い知らされました。」
この地で生まれ育った45歳の佐々木さんがこう語りました。

GRDフクシマ漁師
2011年3月に発生したこの東日本大震災により仕事を奪われた他の多くの人々と同様、佐々木さんも他の漁師たちも最悪の状態から抜け出すために、差し伸べられた慈善の手にすがる以外の途はありませんでした。

数日の内には400人ものボランティア・ダイバーたちが養殖を含めた小石浜の漁業を一日でも早く再開できるよう、昼夜交代で漁場のがれきの片づけに懸命に取り組む姿が見られるようになりました。
そして東日本大震災の後設立された非営利法人の絆プロジェクトが財政援助を行いました。
「私たちが前向きな取り組みを続けられるよう、優しく背中を押された思いがしました。」
 佐々木氏がこう語りました、
そして2014年には佐々木氏は、ほぼ震災前と同じ規模のホタテガイの生産を実現させたのです。
現在の小石浜湾内の水は、2011年3月11日よりもさらにきれいになった、佐々木さんがこうつけ加えました。

12190
松に覆われた崖が連なる小石浜では、特産品として有名なカキ、ホタテガイ、ホヤを全国的に売り込み、多くの観光客を呼び込もうとしています。
「この地域全体の傾向として漁師の高齢化が進んでいますので、地域経済立ちいかせるために私たちは別の産業基盤を整備する必要があるのです。」
佐々木さんは現在12名が加盟するホタテ養殖組合の組合長も務めています。
「私たちはこの場所を新鮮で美味しい魚貝類を食べたいという人々が集まってくる場所にしたいのです。」

災害後この地にやって来たボランティア・ダイバーたちに触発され、佐々木さんもダイバーの資格を取り、暇を見つけては漁場に残されたがれきの撤去を行う一方、生計手段についても改めて見直す機会を得たと語りました。
「3.11の津波を経験させられましたが、やはり私は海に入るのが好きなのです。」
「今再びこうやって自分が育てたホタテガイを見ることができるようになりました…言うまでもありませんが、私自身が育てたホタテガイこそ、私にとって世界最高のものなのです。」

〈 完 〉
http://www.theguardian.com/environment/2016/mar/10/the-faces-of-japans-tsunami-disaster-survivors-five-years-on
 + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

【 3月26日の報道写真から 】

アメリカNBCニュース 3月26日

day01
3月26日東京の代々木公園で開催された【原発ゼロの日( No Nukes Day )】でプラカードを掲げる人々。(写真上)

3月26日付、印刷版として最後の号を発行した英国の日刊紙ザ・インディペンダント。同紙は今後オンライン専門紙として『発行』を続けます。(写真下・以下同じ)
day02
3月25日キューバの首都ハバナで開催されたローリングストーンズのコンサートを、自宅のテラスで楽しむ人々。
day03
3月26日、アメリカ、テキサス州オースティンで開催された世界ゴルフマッチプレー選手権、準々決勝でアプローチしたボールの行方を見つめるジェイソン・デイ(オーストラリア)。
day04
3月26日、歴史遺跡が散在する古都パルミラにある建物の中から、イスラム国と交戦するバシャール・アサド・シリア大統領指揮下の政府軍兵士。
day05
イスラエル、テルアヴィヴ近くの地中海で、ユダヤの祭りのイベントでパドルボード・サーフィンをする女性たち。
day06
http://www.nbcnews.com/slideshow/today-pictures-march-26-n546036

【 アフター・フクシマ : 悲劇から5年が過ぎて – 人びとの素顔 】《3》

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 6分

広告
広告

津波で家を失った人々に、さらなる負担を強いる仮設住宅の劣悪な居住環境
息つく暇もなく医師と看護師が働きづめ……3.11被災地の病院の今

 

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2016年3月10日

GRDフクシマ01
佐藤さんは今、仮設住宅内のコミュニティのリーダーとして自分の自分に価値を見出し、住民の自治会長とボランティアの消防士として時間を使い分けています。
そして津波の到達線上に桜を植樹していく『桜ライン311』( http://www.sakura-line311.org/ )プロジェクトにも参加しています。

佐藤さんが詰めている事務所は仮設住宅群を見下ろす丘の上にありますが、佐藤さんの最初の仕事は雨漏りのひどい屋根、そしてプライバシーが筒抜けになる仮設住宅への改善要望に向き合う事でした。

佐藤さんは時には調停者の役割を演じなければなりません。
「プライバシーというものがここにはありません。それが住民自身が抱える問題に上乗せされるのです。」
佐藤さんは昨年49歳の時、自宅を失い仮設住宅暮らしを強いられる中、軽度の脳卒中の発作を起こしましたが、仮設住宅での生活がいかにストレスの多いものであるか、厳しい口調で語りました。
「私たちはしばしば騒がしい隣人に対する不満を爆発させている人をなだめたり、ストレスの多さから多量のアルコールを飲んでしまった人を介抱しなければなりませんでした。」

3.11仮設住宅
若い人々の転出が続く中、そして被災地で高齢者の孤独死が増えている状況下、佐藤さんが最も懸念するのは仮設住宅で暮している高齢者の福祉問題です。

「私たちは、何か問題が発生した場合に迅速に対応出るよう、ひとり暮らしの高齢者の方にはドアをロックしないようにお願いしています。」

プレハブ造りの仮設住宅の居住環境は劣悪なものですが、佐藤さんは恒久的に住むことができる自宅を新築するだけの資金を貯めるまで、ここで暮らす覚悟は出来ていると語りました。
「私たちは今仮設住宅の端っこで暮らしていますが、隣の世帯が最近出て行ったので比較的プライバシーが保たれるようになりました。仮設で暮らす多くの人々が我慢を強いられているのに比べれば、私たちは幸運な方です。」

▽ 陸前高田市

医師の島貫正明氏の仕事上の入手必要リストの中身は、医師一般のそれと大差ないように見えます。新しい医療機器、より大きな治療施設、そしてより多くのスタッフなどです。

120122
しかし2011年3月11日の午後、73歳の医師が抱え込んだ問題は次元が違うほど大きなものでした。
三陸沿岸の陸前高田市にある岩手県立高田病院の内科医だった島貫氏は、地面が大きく揺れ始めた時、自分の診察室の中にいました。
科学的記録が行なわれるようになって以降、史上最大となった東日本大震災の地震が始まろうとしていました。
そして約30分後、この地震が引き起こした巨大な津波が陸前高田市に押し寄せました。
「私たちの最優先課題は、患者を危険な場所から移動させることの介助でした。」
高田病院はこの町唯一の総合病院ですが、震災後高台に移転再建されたプレハブの仮設病院で、島貫医師は休憩時間にこう語りました。

「私たちは患者さんたちを4階まで移動させました。しかしそれすら十分ではありませんでした。」
水位はなおも上がり続け、残された唯一の避難場所は病院の屋根の上でした。

51名の入院患者のうち、11名がその日の夕暮までに亡くなりました。そのほとんどは高齢者でした。
また、4人は氷点下にまで下がった屋外の寒さのために死亡しました。
そして9人の病院スタッフも亡くなりました。

GRDフクシマ島貫医師
今日、病院が開院して数分後には、島貫医師の診療室前の廊下には、マスクの着用を義務付けられた患者が何十人と並んで診察を待っています。
週5日勤務の高田病院の5人の医師と30人の看護婦は、平均して一人170人の患者の診察と治療にあたります。
訪れる患者の約4分の1はいまだに仮設住宅暮らしです。
この病院で働く医師も医療関係者も、ほとんど息つく暇もなく働きづめの毎日を過ごしています。
島貫医師が一人の患者の診療を終えると、また新たな患者が診察待ちの列に加わります。

しかしその混雑は徐々に整理され系統だったものとなり、岩手県立高田病院はかつての日常を取り戻しつつあります。
「津波直後の最悪の数日間ですら、私たちはあきらめるつもりはありませんでした。」
島貫医師はこう語りました。
「私たちは病院を続けるという選択肢以外をとることは許されない程、外部の方々から多くの支援を受けてきました。でも正直なところ、あとひとつだすぐに望みをかなえてもらえるなら、医師と看護師の増員をお願いしたいと思っています。」

 

《4》に続く
http://www.theguardian.com/environment/2016/mar/10/the-faces-of-japans-tsunami-disaster-survivors-five-years-on

【 アフター・フクシマ : 悲劇から5年が過ぎて – 人びとの素顔 】《2》

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 9分

広告
広告

3.11の傷跡はあまりにも深く、その後の人生がまるで別のものになってしまった人も数多くいる
私たちがここで諦めてしまったら、被災地の悪い話がまたひとつ増えることになる

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2016年3月10日

GRDフクシマ01
▽ 大船渡

東日本大震災の被災写真の中、最も心痛むものの一つは、がれきの山と化した陸前高田市街地の中に埋まった酔仙酒造の折れ曲がった、今にも倒れそうな看板を写した一枚でしょう。

日本国内でも屈指の酒造会社のひとつと見られている酔仙酒造にとって、57人の従業員のうちの9人が津波によって命を奪われたことが明らかになったことは、悲劇が未だ始まったばかりであることを告げるものでした。
「震災発生の数日後、父が生き残った従業員に対し、努めて冷静に私たちは酒造りを続けなければならないと語っていたことを覚えています。」
酔仙酒造の社長金野泰彦氏の子息、金野泰明氏がこう語りました。
泰彦氏の言葉通り、酔仙酒造は岩手県内のライバルとも言うべき同業者、岩手銘醸株式会社の醸造施設で酒造りを再開しました。
被災地では数多くの企業が被災したかつてのライバル会社の再建のため援助を惜しみませんでしたが、岩手銘醸と酔仙酒造もその代表的な例となりました。

GRDフクシマ酔仙酒造
現在、政府の補助金と愛する酒の復活を願う愛飲者の寄付などにより、酔仙酒造は大船渡港を見下ろす丘の上に上質の酒造りを再開すべく、新たな醸造施設を立ち上げました。
そして2014年には酔仙酒造の初の海外向け新商品『希望』の米国市場への輸出が実現したのです。
「私たちは当初陸前高田市の会社でしたが、しかしその水質はもう酒造りには向かないものになってしまったのです。」
同社の村上ゆき部長がこう語りました。

酔仙酒造は70年以上前に8軒の造り酒屋が合併してできた会社です。
現在の従業員数は東日本大震災前と比較し少なくなり、生産量は震災前と比較し40%程度に留まっています。

しかし目下のところ金野泰明氏にとっては、米を使って伝統的な日本酒を作る能力はこれで十分です。
「5年前の3月、私たちは冬の間に仕込んだ酒の輸出販売を始めようとするまさにそのタイミングで、津波に襲われたのです。」
金野氏はその時の出来事についてこう語りました。
「私は震災の翌日に醸造所があった場所に戻ってきたのですが、いったい何が起きたのかすぐには理解できませんでした。」

GRDフクシマ酔仙蔵人
金野氏は20種類の商品の品質管理を行っていますが、酔仙酒造はその商品を愛飲してきた人々に対し、再建の義務を負っていると語ります。
「もし私たちが酒造りを断念してしまったら、この町にとっても、そしてその多くが住む場所を失ってしまった愛飲者の皆さんにとっても、悪い知らせが一つ増えることになります。」
「もし私たちが再建のための努力を放棄してしまったら、陸前高田の人々にあわせる顔が無いと思いました。」

金野氏は酔仙酒造が設備その他を一新したことにより、製品の味が微妙に変わってしまったかもしれないことを認めました。
「酒はただ作ればいいというものではありません。そこには信じられない程複雑な深みがあります。」

「私たちの再建はまだ緒に就いたばかりです。私たちが本当の意味で森を抜けるには、あと10年はかかるかもしれません。しかし5年前、私たちが追い込まれた程悪い状況というのはもう考えられません。」
「あの状況を乗り切った私たちは、これからどんな状況に遭遇しても、きっと乗り越えられると思います。」

120120
▽ 陸前高田

変だと思う人がいるかもしれませんが、佐藤一男さんは自分自身を幸運な人間の一人だと考えています。

彼は故郷の陸前高田市1,700人の命を奪った津波によって、自分の家を失いました。
しかし彼自身と妻、3人の子供たち、そして佐藤さんの両親も震災を生きのびることができました。

一方で元漁師である佐藤さんですが、再び海に出て漁をするには、心に受けた傷が大きすぎました。
今佐藤さんたち一家は、かつて避難場所とし使われた元中学校の敷地に建てられた仮設住宅で、全員が生活しています。

子供たちのいる他の世帯は担保となる要件を何とか確保し、ローンを組んで自宅を再建し、仮設住宅を出ていきました。
佐藤さんたち、そしておよそ100人ほどの平均年齢が60歳を越える人々が仮設住宅に残されました。
中には90代後半の人びともいます。

GRDフクシマ陸前高田佐藤氏
78歳になる佐藤さんの父親の吉朗さんは、いつでも海に出てシラス漁を再開できるよう、漁網の修理に余念がありません。

東日本大震災発生以前は、吉朗さんと息子は、一緒に釣りに行くことがありました。
しかし一男さんは、この春、釣りに行く父親に同行しようとはしませんでした。

「私は、災害以前は漁師でした。」
50歳の佐藤さんはこう語りました。
「津波に襲われた後も、私は漁師を続けようと努力しました。しかし私はフラッシュバックに襲われ続け、心理面で影響されるのを避けることができませんでした。私はあの時、丘の上から津波がやってくる様子を見ていました。必死に逃げようとする人々、そして悲鳴…でも私はどうすることもできませんでした。」

《3》に続く
http://www.theguardian.com/environment/2016/mar/10/the-faces-of-japans-tsunami-disaster-survivors-five-years-on
 + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

【 シリアの子どもたち 】《2》

アメリカNBCニュース 3月16日

子ども07
シリア内戦では250,000人以上が死亡、約2,300万の内戦前の人口のうち約半数の国民がそれまでの自宅を追われて流民化するなどしています。
そして国外に逃れ出た480万人のシリア人の約半数は子供たちです。

AP通信のカメラマン・マホメット・ムヘイセンは、ヨルダン国内のマフラクにあるシリア難民キャンプに数日間滞在し、ここに掲載されている子供たちの肖像写真を撮影しました。
現在最年少でも6歳になった子供たちは、故国シリアの記憶については曖昧になっていますが、それでも皆一様に故郷を恋しがります。
そして破壊されてしまった学校の事も。

3月中旬、国連の子どもたちのための機関は、難民化している70万人を含め、シリアでは300万人の子供たちが学校に通えなくなっていると報告しました。
ハサカから避難してきた7歳のマヤダ。・ハミド。
「シリアのことはもう何も覚えていません。」(写真上)

ハマから逃れて来た6歳のアヤ・バンダル。(写真下・以下同じ)
子ども08
ハサカから避難してきた5歳のモナ・エマド。
「私はシリアに帰りたいのですが、お父さんはアメリカに移住したいと言っています。」
子ども09
ハサカから避難してきた3歳のハマド・ハディル。
子ども10
ダマスカス東郊から逃れて来た11歳のヤスミーン・ムハンマド。
「私が願う事のすべては、シリアの私が通っていた学校に戻って、友達と会うことです。」
子ども11
ホムスから避難してきた12歳のマリアム・アローシュ。
「自分の家のことも通っていた学校のことも覚えています。帰りたいです。」
子ども12
ハマから逃れて来た13歳のムハンマド・バンダル。
「僕は人を助けることができるいしゃ医師になりたいです。」
子ども13
http://www.nbcnews.com/slideshow/portraits-capture-piercing-gaze-syrian-refugee-children-n540531

【 アフター・フクシマ : 悲劇から5年が過ぎて – 人びとの素顔 】《1》

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 7分

広告
広告

生活と希望の復活に向けた人々の歩みは、本当にゆっくりとしか進まない
今日の生活は、2011年3月当時の地獄と比べれば天国…
東京電力は自分たちが負うべき責任すべてを引き受けようとする姿勢を、一切見せていない

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2016年3月10日

GRDフクシマ01
2011年3月11日に襲った巨大地震と巨大津波は福島第一原発の重要設備である原子炉冷却システムを破壊し、3基の原子炉でメルトダウンを誘発させました。
160,000に上る住民が放射線障害を避けるため福島から避難した一方、津波の直接被害により約19,000人が死亡しました。
そして災害発生から5年という歳月が過ぎた今も、放射線の問題から故郷に戻れずにいる100,000人を含め、174,000人以上の生存者が恒久的な住まいで暮すことができずにいます。

しかし一方では、一部ではありますが生活が徐々に普段通りの形を取り戻しつつある徴候が見てとれます。
地震と津波に襲われた東北地方は第二次世界大戦(太平洋戦争)以来最悪とも言う壁被害を受けましたが、こうした場所で周囲の人々の立ち直りを支えるため勇気と決断に満ちた行動をとった6人の人々に、ガーディアンはインタビューを試みました。
放射性物質が直接降りそそぐ中避難することを拒んだ地方自治体の長、悪夢のような体験を強いられた後地元で高齢者の世話に明け暮れる漁師、そしてわずか数分間の出来事により生活がまるで違うものになってしまった市井の人々…。

南相馬

GRDフクシマ桜井市長
近頃は桜井勝延市長が窓から外を眺めることがめっきり少なくなったことは、別に驚くべきことではなくなりました。
ちょうど5年前、桜井市長は巨大津波が南相馬市内の農地や住宅を破壊して回る直前、海岸線に広がっていた松並木を次々なぎ倒していく様を同じ窓から見つめていました。
地震と津波が市民500人以上の命を奪った時、桜井市は市長に就任して未だ数か月しか経っていませんでした。

しかし津波で大勢の市民の命が失われたことは、今も続く南相馬の激しい苦痛の始まりを告げるものでした。
南方25kmにある福島第一原子力発電所始まったメルトダウンは、人口90,000人の市民の内71,000人に市外への避難を決意させることになりました。
南相馬市は重要な行政機能やマーケット機能を喪失したゴーストタウンになってしまったのです。

南相馬が災害に襲われた当初、桜井市長にはなす術はありませんでした。
そして2011年3月24日、彼は明らかに憔悴しきった様子でユーチューブ(YouTube)の画面上に現れ、世界に向け救援を訴えました。英語の字幕付きのこの映像は世界中で繰り返し再生されることになりました。

5年後の今、南相馬市の人口は約57,000まで回復しました。
さらに現在、福島第一原発に最も近いため避難したまま誰も住んでいない場所に住民が戻るための準備が進められています。

2015oct03
しかし相馬市の都市機能は正常からは程遠い状態です。

桜井市長は今や南相馬市内の放射線量はイタリアのローマを下回るまで低下したことを指摘しますが、多くの母親とその子供たちは避難を続けており、市内の幼稚園の半分は空になったままです。

昨年選挙が行なわれた市町村では、復興事業の手際の悪さを指摘された首長が相次いで退任に追い込まれましたが、桜井市長は再選されました。

「誰もいなくなった後も、私はこの場に留まり続けました。」
桜井市長は自分の家系が代々武士同精神を受け継いできたことに言及し、その事が彼を現場に留まる決意をさせたのだと語りました
「市民はその点を評価したのだと思います。」

しかし課題は山積しています。
市内全体の除染を完了させるには45,000億円の費用が必要だと見られていますが、現在は対象の約半分の23,000世帯の除染が完了しました。
「日本がこれほどの規模の除染を行うほど豊かな国であるのは幸いです。」
桜井市長はいたずらっぽくこう語りました。

Fukushima children
しかし話題が福島第一原発を運営する東京電力に及ぶと、彼のユーモアセンスは消え失せました。
「東京電力に対する私の姿勢は変わっていません。」
「そして東京電力が事故処理と向き合う姿勢にも変化は見られませんでした。東京電力は自分たちが負うべき責任すべてを引き受けようとする態度を、一切見せていません。」

かつてマラソンランナーだった桜井氏は市長としての務めを果たす長い道のりの中、絶望の縁から抜け出るための復興事業というものが、ゆっくりとしか進まないことを痛感してきました。
「私たちはまだまだこれから長い道のりをこなさなければなりません。」
桜井市長が語りました。
「しかし今日の生活は、2011年3月当時の地獄と比べれば天国です。」

《2》に続く
http://www.theguardian.com/environment/2016/mar/10/the-faces-of-japans-tsunami-disaster-survivors-five-years-on
 + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

【 ブリュッセル市内の空港と地下鉄駅で自爆テロ 】

アメリカNBCニュース 3月22日

ベルギー01
3月22日にブリュッセルでのスハールベーク地区で、自爆テロの爆弾製造が行なわれた疑いがあアパートを側索するベルギーの捜査官。現場からは爆弾を製造した際に使われたとみられる化学薬品、釘、ボルトなどが発見されました。(写真上)

爆発の後、現場付近を封鎖するベルギーの警察。(写真下・以下同じ)
ベルギー02
爆破されたブリュッセル、ザベンテムにあるブリュッセル国際空港。
ベルギー03
空港内の負傷した女性。
ベルギー04
負傷し、空港内に横たわる男性。
ベルギー05
ブリュッセル市内の地下鉄アールロワ駅とメルベーク駅の間で、停止した車両を降り歩いて避難する人々。
ベルギー06
http://www.nbcnews.com/slideshow/airport-subway-blasts-kill-dozens-brussels-n543456

【 日本の首相、3.11発生5周年前日、原発を決して捨てないと発言 】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 8分

広告
広告

福島第一原発の事故を引き起こした東京電力に対する国民の怒り、規制当局への不信は未だ根強い
日本では制度的とも言うべき政治家、官僚、原子力産業界の癒着は、解消されないまま

ドイツ国際放送 3月10日

安倍首相DW2016
安倍晋三首相は東日本大震災から5周年を迎える前日に記者会見を行い、日本にとって「原子力は不可欠である」と語りました。
同時に安倍首相は福島第一原発の事故で放射性物質に汚染された地域の除染作業について、一層のテコ入れを行うと語りました。

そして2020年のオリンピックまでに、巨大津波と福島第一原発の事故によって大きな被害を受けた東北地方の復興事業の加速に努力すると語りました。

しかし裁判所が福井県の高浜原子力発電所の2基の原子炉の運転停止を命じる前例のない仮処分の決定を行ったことに関しては、天然資源が不足する日本のエネルギー事情に照らし、原子力発電所は日本にとって不可欠であるとの考えを改めて強調しました。
「資源に乏しいわが国が、経済性や気候変動の問題に配慮しつつ、エネルギー供給の安定性を確保するためには、原子力は欠かすことはできません。」
安倍首相は記者会見の席上でこう述べました。

しかし3月11日に襲ったマグニチュード9.0の巨大地震が引き起こした巨大津波が、福島第一原発を襲い、3基の原子炉がメルトダウンを引き起こした事故に対する怒り、規制当局に対する不信感は未だに国民の間に根強く残っています。

人類の敵
東北地方太平洋岸を襲った巨大津波は約18,500人を死亡あるいは行方不明に追いやり、チェルノブイリ原発事故以降最悪の原子力災害を引き起こしました。
事故により福島第一原発が環境中に放出した放射性物質は周辺一帯を汚染し、場所によっては数世代にわたり居住不可能な場所になってしまいました。

今日本国内では政府などが新たな安全基準の下で原子力発電所の安全は確保されているとの広報活動を行っていますが、日本においては制度的とも言うべき政治家、官僚、そして原子力産業界の癒着は、一般市民の間に原子力発電に関わる改革は未解決との思いと広範囲にわたる疑念を抱かせる原因となっています。
「日本の官僚機構と産業界との結びつきは未だに非常に強いままです。これは日本が第二次世界大戦(太平洋戦争)後、官僚機構の強力な主導の下に、経済復興を進めていった負の遺産なのです。
千葉大学で政治学を専攻する新藤宗幸名誉教授はAFP通信社の取材にこう答えました。

安倍首相は今後5年間で復興事業を一層加速させると約束しました。

汚染水タンクDW
しかし3月10日木曜日、日本の右翼を代表しする政治家であり、産業界の利益の守り手である阿部首相は、これまで負けを一挙に取り返そうとでもするように、2020年のオリンピックまでに被災地での復興事業を最大限加速すると宣言しました。
「今後5年間を「復興・創生期間」と位置づけ、十分な財源を確保し、被災地の自立につながる支援を行っていく考えであります。」
安倍首相はこう語りました。

さらに安倍首相は、観光客が「彼ら自身の目を通して」地域の再建を確認することができるように、そして
「2020年には外国人観光客の数を3倍の150万人に押し上げることを目指す。今年を、まさに、「東北観光復興元年」にする考えであります。」

3月11日には天皇陛下ご夫妻を迎え、安倍首相や他の政府高官が参加して東日本大震災発生5周年の国の追悼式典が開催されます。

国会事故調査委員会が調査を行なった結果、事故の責任は東京電力が負うべきであると結論しました。
そして現在、当時の東京電力の役員3人が刑事裁判に直面させられています。
「福島第一原発の事故は人間が作り出したものである。」
国会事故調査委員会の報告書の中の有名な一文です。

東京電力3役員
被災地においてはすでに、明らかな変化が見られる場所もあります。
被災地の沿岸にはこれまで以上の高さの堤防や防潮堤が築かれ、事故を免れた原子力発電所のための防潮堤の建設も進んでいます。
沿岸市町村の中の、津波に襲われた地区の高台移転も進んでいます。

世界の地震学者は世界の巨大地震の20%が集中し、毎年大きな地震が発生する日本の国土にあっては、地震多発期の見極めが大切だと指摘しています。
日本は相次ぐ火山の爆発等、地震の多発期に入ったと考えられる兆候が見られるようになっています。

http://www.dw.com/en/japanese-premier-defends-nuclear-powers-necessity-on-eve-of-fukushima-anniversary/a-19106430
  + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

【 シリアの子どもたち 】《1》

アメリカNBCニュース 3月16日

子ども01
シリア内戦では250,000人以上が死亡、約2,300万の内戦前の人口のうち約半数の国民がそれまでの自宅を追われて流民化するなどしています。
そして国外に逃れ出た480万人のシリア人の約半数は子供たちです。

AP通信のカメラマン・マホメット・ムヘイセンは、ヨルダン国内のマフラクにあるシリア難民キャンプに数日間滞在し、ここに掲載されている子供たちの肖像写真を撮影しました。
現在最年少でも6歳になった子供たちは、故国シリアの記憶については曖昧になっていますが、それでも皆一様に故郷を恋しがります。
そして破壊されてしまった学校の事も。

3月中旬、国連の子どもたちのための機関は、難民化している70万人を含め、シリアでは300万人の子供たちが学校に通えなくなっていると報告しました。
3月11日、ダイル・アッザウルから避難してきた6歳のアフマド・ズガーヤルはこう話してくれました。
「僕は家が爆破された瞬間の轟音をはっきりと覚えています。」(写真上)

ハマから逃れて来た10歳のザーラ・ヤシム。(写真下・以下同じ)
「私はシリアに戻って友だちのラガド、ハリマ、ナージャとまた一緒に遊べる日が来ることをいつも夢見ています。」
子ども02
ダイル・アッザウルから避難してきた5歳のザーラ・マフムード。
子ども03
ハマから逃れて来た11歳のラカン・ラスラン。
「ハマで暮らしていた時はちゃんと学校に通っていました。友達もいました。でも僕も友だちもみんな家を破壊されてしました。」
ラカンは教育が受けられなくなってしまい、将来が不安だと語りました。
「僕の最高の夢はドライバーになることです。」
子ども04
ダイル・アッザウルから避難してきた9歳のアムナ・ズガーヤル。
子ども05
ハサカから避難してきた6歳のヒバ・スード。
「私の夢は学校の先生になる事です。」
子ども06
http://www.nbcnews.com/slideshow/portraits-capture-piercing-gaze-syrian-refugee-children-n540531

【 アメリカ全土に『日本叩き』の火をつけてまわるドナルド・トランプ 】《後篇》

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 8分

広告
広告

一般市民の雇用不安をかきたてるグローバリゼーション、トランプ氏独特の保護主義の格好の攻撃目標に
最終段階ではトランプ氏を支持しない、しかし日本政府の円安政策を問題視する姿勢は評価する

ジョナサン・ソブル、キース・ブラッドシャー / ニューヨークタイムズ 3月7日

トランプ01

ドナルド・トランプ氏は中国に加え、日本もまたアメリカ人の雇用機会を奪っていると攻撃の矛先を向け始めました。
スーパー・チューズデーに勝利した後、彼アメリカの建設機械メーカーであるキャタピラー社が円安誘導政策により不公正な競争を強いられ、日本のライバル会社であるコマツが不当な利益を得ていると名指しで批判しました。
彼は先に公約として掲げていた不法難民流入防止フェンスをメキシコ国境沿いに建設する際にはキャタピラー社とジョン・ディア社(米国大手建設機械メーカー)の建設機械を大いに活用すると公約しました。

グローバリゼーションは一般市民に雇用に関する不安をかきたてていますが、トランプ氏はこの状況に飛びつきました。
日本の対米輸出額はアメリカの対日輸出額の約2倍という金額です。

しかし現代社会のグローバリゼーションはトランプ氏が展開する批判において語られるような、単純な図式のものではなく、国内企業と外国企業を明確に区別することは難しいというのが現状です。
日本国内の工場に加え、小松には世界各国に生産拠点があり、油圧ポンプとモーターという基幹部品を日本から輸入し高額な設計料と技術開発費用を日本に支払ってはいるものの、アメリカ国内にも3カ所の工場があります。

Abenomics 2
キャタピラー社とジョン・ディア社の状況は似たようなものですが、製造部門はアメリカ国内と海外の両方にあります。
ただし、技術設計部門のほとんどはアメリカ合衆国に留め置いています。

しかしこうした客観的事実はさておき、トランプ氏の攻撃は、予備選挙の重要な緒戦となったミシガン、オハイオ両州で効果を発揮しました。
この2つの州はその産業構造から、海外メーカーの力が強まると直接的に不利益を被ることになります。
これらの州では自動車メーカーとその組合が大きな影響力を持っていますが、両者とも日本政府が実質的に円の切り下げ政策を行ったとして批判を強めてきました。

伝統的に民主党を支持してきた全米自動車労働組合の担当者は次のように語りました。
「最終段階ではトランプ氏を支持するつもりはありませんが、日本政府の円安政策について問題だとする姿勢は評価します。」
日本の円は2012年以降、ドルに対して約40パーセントと大幅に値下がりしましたが、今年に入りいくぶん値を上げています。
円安は、トヨタとホンダなどの日本の自動車メーカーが海外での売上を日本に持ち込む際、為替差額を利用しその額面が膨らむという効果をもたらしました。

アベノミクス01
これについて日本の政府当局は、円の値下がりは日本国内で続くデフレーションを何とか収束させようと採られている政策の副作用であり、もとより円安を狙って採られた政策ではないと主張しています。
しかし安倍首相は2012年、日本の製造業の業績の回復を目的として、円安誘導のため公然と働きかけを行いました。

「日本政府はこうしたあからさまな干渉はもうしないかもしれませんが、だからと言ってその目標とするところが変わった訳ではないのです。」
フォード社の国際政治情勢担当のスティーブンE.ビーガン副社長がこう語りました。

選挙目的でこの問題を取り上げ始めたのだとトランプ氏を批判することは当たりません。

彼は何十年もの間何度もこの問題を取り上げてきました。
「日本人はアメリカにやって来ては、車をビデオ機器を思う存分売って回る。そしてアメリカの同業社を存分に叩きのめしている。」
1988年、トランプ氏はオプラ・ウィンフリーにこう話しました。
1990年のプレイボーイ誌のインタビューでは次のように語りました。
「日本人は、まず最初に日本製の耐久消費財を大量に買わせて、アメリカ人から根こそぎ金を巻き上げる。次にその金を使ってマンハッタン全域を買い占めてしまうのだ。」

防空識別04
軍事についてトランプ氏は、締結されてから数十年が経つ日米軍事同盟の不平等について批判しています。
もし日本が他国に攻撃を受けた場合、アメリカ合衆国は支援のため軍事行動を起こさなければなりません。
しかし戦争を放棄している平和憲法を持つ日本は、逆の場合にアメリカを軍事的に援助することはできません。
この憲法は第二次世界大戦(太平洋戦争)直後のアメリカの占領下で起草公布されたものでした。

この点は安倍首相もトランプ氏同様、『対等ではない』軍事同盟の内容、すなわち日本が軍事力を行使できないことに不満を抱いています。
憲法の専門家、そして日本の多くの市民たちが反対しているにもかかわらず、彼は日本の軍隊が海外紛争などの場でもっと積極的に軍事的に『貢献』できるよう、法改正などに取り組んできました。

もしアメリカ合衆国が孤立主義の方向にかじを切れば、安倍首相のこうした姿勢への追い風が吹くことになるかもしれません。
しかしより高い視点から見れば、日本が単独で東アジア地区の勢力均衡を図るのは、明らかに難事です。
アメリカがこの場所から手を引けば、軍事的台頭を続ける中国と北朝鮮の狂信集団の存在を前に、日本の政治指導者たちは、たとえ一瞬たりとも気を抜く暇など無くなってしまいます。

日米艦船
「米国は極東アジアの安定のため、日本がもっと大きな役割を担うべきだと言い続けてきました。」
安倍首相率いる自民党の愛知治郎議員がこう語りました。
「トランプ氏はその点についてこれまでにない程極端な言い方をしていますが、日本がもっと大きな負担を背負わなければなくなっていることは事実です。」

〈 完 〉

  + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

【 シカゴでぶつかったトランプ支持者と抗議反対グループ 】

アメリカNBCニュース 3月11日

トランプ11
シカゴ市内でトランプ支持者と抗議反対するグループが衝突、『双方の安全のため』トランプ氏の支持者集会は中止されました。
トランプ氏の支持者集会の開催に抗議する人人。(写真上下・以下同じ)
トランプ12
トランプ13
トランプ14
トランプ氏の支持集会が中止になったことを祝う抗議反対するグループの人々。
トランプ15
http://www.nbcnews.com/slideshow/protesters-trump-supporters-clash-chicago-n537066

【 アメリカ全土に『日本叩き』の火をつけてまわるドナルド・トランプ 】《前篇》

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 10分

広告
広告

『貿易分野でアメリカの利益を台無しにしている』相手として中国とメキシコに加え、日本を名指しで非難
トランプ氏の主張に引きずられる他の大統領候補者、選挙の進行に合わせ、日本バッシングが過熱加速する恐れ

ジョナサン・ソブル、キース・ブラッドシャー / ニューヨークタイムズ 3月7日

トランプ01
( 写真 : 1987年当時のドナルド・トランプ )

ドナルド・J・トランプは、共和党大統領指名獲得争いにおけるその騒々しいキャンペーンで、しばしばアメリカの貿易相手国に攻撃の矛先を向けてきました。

中国の場合は、貿易によってアメリカから雇用機会を『むしり取っている』と非難しています。
そしてメキシコの場合は、国境の向こう側で不法移民の流入と麻薬の氾濫を『見て見ぬふりをしている』相手です。

しかしもし時代錯誤をしていないのであれば、最も興味深いのは日本に対する批判です。
トランプ氏は3月に入ってからの各州における共和党指名争いの集会における議論で、『貿易分野でアメリカの利益を台無しにしている』相手として中国とメキシコに加え、日本を名指しで非難しました。
トランプ氏はこれまで日本を、
◎ 円対ドルの相場を人為的に操作し、不正に経済的に優位な立場を得ている
◎ 日米軍事同盟のリスク負担とコスト負担についてはアメリカ側が一方的に重く、不平等である
として、非難してきました。

トランプ04
( 写真 : 1987年時のアメリカの雑誌『タイム』の表紙 )

トランプ氏のこうした批判はかつて日本が経済的な絶頂期にあった時代を思い起こさせます。
当時の日本はアメリカ文化の象徴とも言える映画会社やロックフェラーセンターなどを次々買収して行きました。

しかし1990年代に入ると日本の経済成長はほぼストップしました。
アメリカの対日貿易赤字は一向に減る気配はありませんでしたが、貿易摩擦問題はほとんど問題にされなくなりました。
かつて日本の政府当局者は『日本叩き – ジャパン・バッシング』を恐れていましたが、今はアメリカの関心が活動がもっと活発な他の地域、たとえば中国などに向かっている『日本離れ – ジャパン・パッシング』について懸念しなければならない時代になったように見受けられます。

「日本についてのトランプ氏のコメントは、日本がアメリカの絶対的優位を脅かす存在になり得ると考えられていた1970年代後半から1990年代半ばの時代を思い起こさせます。」
かつての防衛担当アメリカ政府職員で、現在はリベラル派のアメリカの政策研究グループ『センター・フォー・アメリカン・プログレス』の上級研究員を務めるグレン・S・フクシマ氏がこう語りました。
「日本経済がこの20年間停滞を続けているにもかかわらず、トランプ氏がアメリカ人の雇用機会を奪っている経済的ライバルとしての日本という考え方をみがえらせようとしていることは、興味深い事実です。」

トランプ02
( 写真 : 1989年アメリカのロックフェラーセンターの買収を発表する三菱の役員 )

また韓国の釜山国立大学の東アジア・スペシャリストであるロバートE. ケリー氏は、トランプ氏が共和党の大統領指名争いの議論の場で、度々日本をやり玉に挙げていることについて、ツイッターで次のようにツィートしました。
「日本、日本、日本!トランプは、マイケル・クライトンの80年代を生きている!」
(マイケル・クライトンは1992年に発表した説『ライジング・サン』の中で、ゴルフ接待や系列、やくざなど日本ビジネスの暗部に迫り、日本人とアメリカ人のモノの考え方の違いや文化の壁を表現したとされる。)

トランプ氏の優勢は現在、日本で重大な懸念を引き起こし始めました。
たとえホワイトハウスに到達する前にトランプ氏が力尽きてしまったとしても、キャンペーン期間中に彼が繰り返し訴えた主張により、アメリカ人が日米貿易の中身について神経質になり、日米同盟の継続について懐疑的になることを、日本は警戒しています。

「外務省職員である私の友人は、今パニック状態です。」
東京大学の国際政治の専門家である藤原帰一教授がこう語りました
「私は長い間アメリカの政治史に注目してきましたが、これ程あからさまに保護貿易主義を主張するアメリカ大統領候補を見たのは初めてです。」

共和党大統領候補選びに決定的な影響力を持つスーパー・チューズデーでトランプ氏が決定的勝利を収めた翌日、日本の主要な全国紙はこぞって批判的な社説を掲載しました。

トランプ
「アメリカの政治の舞台で大きな地殻変動が起きているとすれば、そこにはアメリカ国内の格差の拡大とその他の諸問題について、アメリカの大衆の不満のはけ口として日本が利用される危険性があります。」
日本経済新聞はこう伝えました。

懸念のひとつは、ライバル候補たちもトランプ氏の主張に引きずられ、孤立主義的主張を強める可能性があるという事です。
2月、民主党の大統領候補指名争いでトップを走るヒラリー・クリントン氏も、ライバル候補のバーニー・サンダーズ氏同様、アメリカの地方紙に掲載された論文の中で日本と中国を批判し、両国に対する貿易上の懐疑論者の列に加わりました。
「中国と日本、そして他のアジア経済圏各国は、自国通貨を安根に誘導することにより、その産品価格を人為的に引き下げる政策を長期間にわたり続けてきました。」
懸念のひとつは、ライバル候補たちもトランプ氏の主張に引きずられ、孤立主義的主張を強める可能性があるという事です。

2月、民主党の大統領候補指名争いでトップを走るヒラリー・クリントン氏も、ライバル候補のバーニー・サンダーズ氏同様、アメリカの地方紙に掲載された論文の中で日本と中国を批判し、両国の対米貿易のあり方に疑問を呈する立場に変わりました。
「中国と日本、そして他のアジア経済圏各国は、自国通貨を安根に誘導することにより、その産品価格を人為的に引き下げる政策を長期間にわたり続けてきました。」
クリントン氏はこのように書き、アメリカ合衆国が
「効果的新しい対策、新たな税の検討あるいは関税制度について」
検討しなければならないと書きました。
TPP05
クリントン氏はさらに、現在批准待ちとなっている日本を含む12カ国が参加する環太平洋パートナーシップ(TPP)に対する支持を取り下げることを表明しました。
クリントン氏はこれまで国務長官として、これまでTPPの締結を支援する立場を取ってきました。

「私たちは(TPPの交渉内容に沿って)新しい法律やこれまでの規制に関する見直しを進めてきましたが、それがすべて空中分解してしまう可能性があります。」
TPP交渉に加わって来た日本の所轄官庁の高官がこう語りました。ただし交渉内容は機密事項のため、匿名を条件に取材に応じました。
「私たちは合意内容について、できるだけ早く参加各国と一緒に批准を行い、アメリカがこの期に及んで態度を翻さないように圧力をかける必要があります。」

〈 後篇に続く 〉

 + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

 + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

【 大詰めに近づく民主共和両党の大統領選候補者選び 】

アメリカNBCニュース 3月15日

予備選01
15日火曜日、オハイオ、フロリダ、イリノイ、ノースカロライナ、ミズーリの5つの州の有権者は、共和党、民主党の大統領候補指名のため投票を行いました。

シンシナティの救世主エスコパル教会で投票する人々。(写真上)

ノースカロライナ州では賛否両論が解れる中、「有権者ID」法が施行されました。
投票資格を確認するため運転免許証を確認する作業。(写真下・以下同じ)
予備選02
ミズーリ州にファーガソン市内の小学校で投票用紙を受け取る手続きをする女性。
予備選03
コインランドリーで投票するイリノイ州の有権者。
予備選04
ノースカロライナ州の投票所となった消防署に夜明け前から行列を作る人々。
予備選05
http://www.nbcnews.com/slideshow/voters-hold-candidates-fate-separation-tuesday-n538861

【 遥かな先にしか見えない福島第一原発の事故収束 】《後篇》

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 7分

広告
広告

福島第一原発の溶け落ちた核燃料取り出しの着手は、70年~80年先と見るのが現実的
かつて人間が暮らしていた場所は、1000万個を超える低線量放射性廃棄物の詰まったビニール袋でいっぱい
福島の被災地の環境中の放射線量を1ミリシーベルト以下に下げるのは、『非現実的』

 

2016GRD

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 3月11日

 

溶け落ちた燃料の除去にいつ着手すべきなのか、その答えを明確にすべきだとの求めが各方面から寄せられる中、日本の原子力発電所の運用を監督する立場にある人からも、現在の廃炉計画に対する疑問が提示されるようになりました。

先月、原子力規制委員会の更田(ふけた)豊志委員は、溶け落ちた燃料の全てを取り除くためには40年以上の時間が必要なのではないかとの考えを明らかにしました。
「私は正確な答えを知っているわけではありませんが、溶け落ちた核燃料デブリを取り出すにはこれから70年〜80年という年月が必要ではないだろうかと考えています。」
更田委員は取材した記者にこう語りました。
「他にいくつかの方法が考えられます。可能な限り多くの核燃料デブリを取り出した後、取り出せない残りを固化させてしまうのも選択肢の一つです。」

福島第一汚染水タンク
福島第一原子力発電所の安定した状態は、核燃料が再加熱しないよう絶え間なく原子炉内に注ぎ込まれている大量の水によって実現しています。
今のところそれ以外の手段はありません。
この方法はその効果が実証されていますが、一方で大量の放射能汚染水を作り続けています。
発電所の丘側から流れ込む地下水と冷却剤が混じり合った液体が原子炉内の核燃料に直接触れるため、高濃度の放射能汚染水と化してしまうのです。

こうして高い放射能に汚染された水が毎日大量に作りだされる結果、福島第一原発の敷地内を覆うようにして莫大な数の汚染水補完タンクが作り続けられています。
東京電力はこの汚染水から62種類の放射性物質を除去し浄化する装置を有しますが、トリチウム(三重水素)だけは取り除くことができません。
このため地元の漁業組合などから上記の浄化処理済みの汚染水を太平洋に放水することについて、同意を取りつけることができずにいます。

凍土壁01
地下水が福島第一原発の敷地内に流れ込む前にポンプでくみ上げ、これをそのまま海洋中に放出する対策を取った結果、汚染される地下水の量を一日あたり400トンから150トンに減らすことができました。
しかし今、長年福島第一原発の事故収束・廃炉作業現場を苦しめてきたこの汚染水問題を解決するための決定打となるはずだった技術が、別の問題に行き当たりました。

東京電力は約3,000億円の費用を投じ、地中を凍結させることにより遮水壁を建設し、汚染水問題の決定的解決方法とする予定でしたが、工事作業が遅れている上、その効果に疑問が呈せられるようになったのです。
この方法は今年の始めに工事を完了させた地中に埋め込んだ無数のパイプに、冷却剤を注入し地中に遮水壁を築き、地下水の流入を防ごうというものです。

福島第一原発の敷地内には現在1,000基850,000トン分の汚染水保管タンクが建造済みですが、その限界に近づいています。
そこでさらにタンクを増設し、汚染水の収容能力を100万トン近くにする計画が進められています。

汚染水浄化装置
東京電力の原子力・立地本部長代理を務める菅野定信氏は、2020年までに前述の方法によって放射性物質を処理した汚染水を原子炉の周囲で保管し、これに必要なだけの処理を繰り返し冷却水として使用する計画を持っていると語りました。

事故発生から5年の間うちすてられた町や村の周辺には、福島を再び人間が住める場所に戻すための数多くの骨の折れる作業が遅れがちになっている状況が見てとれます。

福島第一原発の事故では160,000人が自宅を捨てて避難することを強いられました。
そして未だにそのうちの100,000人は自宅に戻ることができずにいます。
そして放射線の低線量被ばくが引き起こす健康障害を懸念する両親の判断により、約10,000人の子供たちは避難したまま福島に戻ることなく別の場所で暮らし続けています。

この子供たちがかつて暮した場所には除染から出た汚染土その他の低線量放射性廃棄物の詰まった1,000万個以上の黒いビニール袋が、家や学校、そして公共施設の周囲などに山積みにされ、そこがそのまま放射性廃棄物の一時保管場所になってしまいました。

低線量放射性廃棄物ビニールバッグ
進展の遅れはここでもまた著しく、各地方自治体の報告を集計すると40カ所以上の地区・村落の除染が終わらないままになっています。
前例のないほど巨大な規模で進められている除染作業は、環境中の放射線量、つい先ごろ日本の環境大臣が『非現実的』だと批判した1ミリシーベルト以下にするという目標の下、進められています。

日本政府は今後12ヵ月間にさらに多くの市町村の避難命令を解除しようと、現在作業を進めています。
しかし事故発生5周年の直前に行われた原発被災者を対象とした調査では、3人に2人が故郷に再び戻って生活するという希望を永遠にあきらめたと答えました。
「福島第一原発の事故発生後の緊急事態は未だに続いていると認める一方で、住民政策においては避難命令を解除し、原発被災者に自宅に戻れと日本政府が言うことは間違っています。」
2016年3月始め、東京で行われた集会の会場で、福島から避難している73歳の熊本美也子さんがこう語りました。

〈 完 〉
http://www.theguardian.com/environment/2016/mar/11/fukushima-daiichi-nuclear-reactors-decommission-cleanup-japan-tsunami-meltdown

【 遥かな先にしか見えない福島第一原発の事故収束 】《前編》

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 7分

広告
広告

溶け落ちた核燃料の塊を取り除く作業を、2021年に開始するという構想は非現実的
福島第一原発の状況が正常に近づいているという宣伝工作、目的は反原発感情を殺ぐこと

2016GRD

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2016年3月11日

 

2011年の津波の後発生した福島第一原発の3基の原子炉のメルトダウン、そこから溶け落ちた核燃料を取り除くには最低でも40年、場合によってはそれ以上の月日を要する見込みです。

事故発生から2年間続いた名状しがたい混乱は、原子力発電所事故史上に福島第一原子力発電所の名を永久に刻み込むことになりました。
福島第一原発の現場の事故収束・廃炉作業という、最も重い課題と向き合っている一人の男性が当時を振り返り、
「まるで野戦病院のようでした…」と語りました。
男性は事故現場から溶け落ちた核燃料を取り除くという、日本がかつて経験したことの無い難しい作業を進めなければなりません。

「現在、現場の状況はずいぶんと落ちついている、そして私たちがやっと前に進める状況になっている、心からそう感じられるようになりました。」
福島第一原発で事故収束・廃炉作業の指揮を執る東京電力社員の増田尚宏氏がこう語りました。

2016GRD2
2011年3月マグニチュード9.0の巨大地震が引き起こした巨大津波は日本の東北地方太平洋岸で約19,000人の命を奪い、福島第一原発では3基の原子炉をメルトダウンさせました。
それから5年、その場所は今、巨大災害の現場から多種多様な建造物が立ち並ぶ建設現場に様相を一変させました。

増田氏は今、1,200人の東京電力職員に加え、約6,000人の作業員が働く現場で、彼らに温かい食事と休憩場所を提供する施設の中に居て、福島第一原発の施設の内外で放射線量が下がったことを指摘できるようになりました。
さらには放射能で汚染された膨大な量の地下水についても、処理の目算が立ってきたと語りました。

2014年後半、東京電力は福島第一原発の事故発生以降、恐らく最も危険とされる作業に着手しました。
4号機の核燃料プールから数百本に上る使用済み核燃料を取り出す作業を完了させたのです。

しかし破壊された1~3号機の中から溶けた核燃料を除去するという、これまで原子力発電所を運営する機関がかつて経験したことの無い困難な作業については、やっと緒に就いたというのが実態です。

福島線量01
現在東京電力が把握しているのは、2011年3月11日の事故では原子炉の冷却装置が完全に機能停止し、3基の原子炉がメルトダウンしたという事だけです。
そのすら東京電力は当初、認めようとはしませんでした。

最も懸念されるのが原子炉1号機です。
国際原子炉廃炉研究機関によれば、1号機の溶解した高温の核燃料は圧力容器の底を突き破って原子炉格納容器の底に達し、さらにはそこを通過して原子炉の基礎部分であるコンクリートの中にまでもぐりこんでいると見られています。
2号機と3号機で発生したのは、部分的なメルトダウンであったと考えられています。

ガーディアンの取材に対し、増田氏と東京電力の技術者は、溶け落ちた核燃料がどういう状態でどこにあるか、正確には把握できていないと認めました。
「正直なところ、私たちは未だ取り出さなければならない核燃料がどこにあるのか、正確には把握していません。これからさらに詳細な調査を進める必要があります。」
増田氏は最近行われた記者会見でこう説明しました。
「しかし対象となる核燃料が低温状態で固体化し、核分裂が起きていないことだけは解っています。」

「このような作業はこれまで誰も経験したことがありません。しかし30年~40年という時間をかければ、事態を着実に前に進めることができると考えています。状況が変化する度、この事故収束・廃炉作業完了の目標を変更するのは間違っていると指摘する関係者もいますが、私たちは考え得る限りの方法について検討し、決して安易な結論を出さず、こうした目標を設定したつもりです。」

waste06
原子炉内部の奥深くまでロボットを到達させるための技術開発も必要です。
こうした場所では放射線量がきわめて高く危険であり、こうした場所で正常に動作する装置は未だ開発されていません。
昨年になり特にがれきが散乱する配管や連結部分について検証するよう改造された2台のロボットがきわめて放射線量が高い原子炉内部に入り、炉心近くの様子を確認することができました。
こうした状況にあるにもかかわらず、東京電力は約2兆2,000億円と見積もられる予算をかけ、2021年からこの溶け落ちた核燃料の取り出しに着手し、以後事故収束・廃炉作業を30年から40年で完了させるというロードマップにこだわり続けています。

しかしグリーンピース・ドイツの原子力問題の専門家の幹部であるショーン・バーニー氏は、この事故収束・廃炉作業のスケジュールは、日本が巨大原子力発電所事故から確実に立ち直りつつあるという事を一般市民に信じ込ませるための宣伝工作に過ぎないと語りました。

「溶け落ちた核燃料の塊を取り除く作業を2021年に開始するという構想は現実的なものではありません。現実にそれが可能になるとは到底考えられません。」
バーニー氏はこう語りました。

no more 05
「ロードマップは技術的根拠に基づくものではなく、政治的配慮によるものです。」
「これは福島第一原発の危機に対する日本政府と原子力産業界の姿勢を、如実に表すものです。現状は着実に正常な状態に近づいているという印象を広めることにより、一般市民の原子力発電所の再稼働に対する反発を弱めようというのがその狙いです。」
「溶け落ちた核燃料を取り出し、それを安全な状態で保管できるようになるまで、いったいどれ程の時間を要するか、それを解っている人など存在しません。解っているのは何十年、それからさらに何十年、さらに何十年という歳月が必要だという事だけです。」

〈 後篇に続く 〉
http://www.theguardian.com/environment/2016/mar/11/fukushima-daiichi-nuclear-reactors-decommission-cleanup-japan-tsunami-meltdown

このサイトについて
ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
最近の投稿
@idonochawanツィート
アーカイブ
広告
広告
カテゴリー
メタ情報