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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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【 原子力の真実:広島、長崎から六ヶ所村再処理施設、安全保障関連法案…つながる一本の線 】《2》

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核兵器の目的は一回の爆発で可能な限り多くの人間を殺すこと、その意味で広島、長崎への原爆投下は全くの成功
核兵器による武力行使を前提とした核保有国の『核抑止力』という考え方は、究極の威嚇に他ならない
広島・長崎の被爆者の方々の存在こそが、本物の『核抑止力』

金子千穂、フェアウィンズ理事会メンバー / フェアウィンズ 10月18日

FW Title 1
破滅的な威力を発揮した原爆による外傷を免れた人々も、その後の一生は『被爆者』として放射線被ばくによる恐怖に支配されるものになりました。
77歳の女性の被爆者は次のような体験を語られました。

「広島に原爆が投下された時、私は小学校の2年生でした。原爆投下後の数日間、私はいとこたちが一人ずつ死んでいくのを見送らなければなりませんでした。
私自身も秋になって、髪の毛が抜けていく体験をしました。
それでも両親の懸命の看護によって、私は命を取り留めることが出来、今日までこうして生きのびることが出来ました。」

「結婚して娘を妊娠した時、私は出産すべきか諦めるべきか、身を引き裂かれるほど悩みました。当時は放射線被ばくによる障害の発生については、まだ未解明でした。
最終的には出産を決意した私は、その後娘が健康に育っていくのを見てどれ程安心したことか…」
「しかしその娘も極めて特異なガンを発症し、45歳で亡くなってしまいました。それ以来ずっと、私は自分自身を責め続けています。」

核兵器の目的はただ一つ、一回の爆発で可能な限り多くの人間を殺すことです。
その意味で広島、長崎への原爆投下は、合わせて20万人以上という犠牲になった一般市民の数を見る限り、全くの成功と言って良い結果を残しました。

広島14
広島、長崎への原爆投下は日本との戦争を終わらせるために投下されたのではありません。
そのための交渉はすでに水面下で進んでいました。
アメリカ合衆国は自分たちが手にした破壊力を、ソビエト連邦に現実として見せつける必要があったのです。

ヒストリー・チャンネルにはこうあります。
「トルーマン大統領とその顧問の多くは、ソビエト連邦との外交交渉を有利に進めるための道具として、原子爆弾の技術を独占することを望んでいました。こうした意味から、日本への原爆投下は、アメリカ・ソビエト連邦の冷戦の第一撃とみなすことが出来ます。」

これ以降私たち人類は、文字通り壊滅的な威力を持つ核兵器テクノロジーの支配下に置かれることになったのです。

核兵器不拡散条約(NPT)は世界の大部分の国から代表が集まり、直接に話し合う機会を持つ場として代表的なものですが、現在インド、イスラエル、北朝鮮、パキスタン、南スーダンの5カ国が加盟していません。

しかしこれは私の個人的見解ですが、核兵器不拡散条約(NPT)では人類が手に入れるべき最も重要なゴール、すなわち広島・長崎以降たった一人であっても核兵器による犠牲者を出さないという到達点に行きつくことはできません。
最終目標の達成のためには、核兵器保有国によるウラン濃縮作業を中止すること、核兵器の新たな製造を止めること、備蓄されている核弾頭や核兵器の廃棄を行うこと、これらを実行する以外に方法は無いと考えています。

広島資料館
いわゆる『核抑止力』という考え方については、核攻撃があり得るということを前提としている以上、核兵器による威嚇のひとつの形だと思っています。

私たちは歴史から学んでいないのでしょうか?
兵器を作り続けたその先に、数多くの戦争や紛争が発生したという事実を。

今年4月広島と長崎の被爆者の方々が国連に滞在したおられた間、私は様々なお話を聞く機会を持ち、そしてある真実に気づきました。
被爆者の方々こそが、本物の『核抑止力』なのだと。

機会がある度、被爆者の方々が残酷で恐ろしい体験について誰彼と無く繰り返し語り続け、体に残された無残な傷跡を恥を忍んで人目にさらし、そして心に刻まれた消すことの出来ない記憶について絶望的な思いを吐露されて初めて、私たちは核兵器というものが人間をどれ程残酷な目に遭わせるものなのかを理解することが出来るのです。

広島平和記念資料館内
被爆者の方々のメッセージは聞く者すべての胸を打ち、そして誰もが理解できる明快なものです。

この世界に核兵器は不要である。
二度と戦争などしてはならない。

私も心から願います。
世界から核兵器が消えてなくなる日を。
世界から戦争が亡くなる日を。

-《3》へ続く –

http://www.fairewinds.org/nuclear-energy-education//nuclear-is-atomic
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【 10月27日までの報道写真から 】

アメリカNBCニュース 10月27日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

day01
10月24日に、トルコの海岸からディンギーに乗ってギリシャのレスボス島までたどり着いた後、ボランティアが提供した発熱式の毛布にくるまり、体を温めようとする中東難民の女性。(写真上)
国際移住機関によると、10月最終週には1日あたり平均約9,600人とこれまでで最大規模の難民がギリシャに流入しました。

10月24日晴天の日、黄色に染まったワイン用のブドウを育てるフランス、ボルドー地方の農園。(写真下・以下同じ)
day02
10月24日セルビア、ベルカソボ、クロアチア領内に入るため設けられた仮設のテント村で毛布にくるまっている男性。
現在も数千人の難民がバルカン諸国を移動中です。
DAY03
10月24日、オーストリア国境に向け難民たちを誘導するスロベニアの警官。アルプス地方の小国に殺到する難民の対応に追われる同国は、EU加盟各国に対し積極的な受け入れ措置を求めています。
Day06
10月27日、ギリシャのレスボス島近くまで来た過密状態のゴムボートから降りて、陸地を目指して懸命に泳ぐ中東難民の男性。
Day04
10月27日、アフガニスタンのタハル地方、地震で倒壊した自宅跡の門に立つ子供たち。
Day05
http://www.nbcnews.com/news/photo/today-pictures-october-27-n452596

【 原子力の真実:広島、長崎から六ヶ所村再処理施設、安全保障関連法案…つながる一本の線 】《1》

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所要時間 約 8分

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血だらけの衣服、身体中に突き刺さったガラスの破片…233人の女学生の中たったひとり生き残った私の姿
原爆の熱線は人間の体内の液体を瞬時に沸騰させ、皮膚がそのまま剥がれずり落ちる現象を引き起こした
原爆投下後の惨憺たる光景は、強烈な臭いの記憶とともに脳裏に焼きつき、今日まで被爆者を苦しめ続けた

金子千穂、フェアウィンズ理事会メンバー / フェアウィンズ 10月18日

FW Title 1
今回は特別ゲストのブロガーとして金子千穂さんに登場してもらいます。
千穂さんは、多くの才能を併せ持つ女性です。
英語と日本語の両方に堪能であり、経験豊かな翻訳者、コラムニスト、著者、アーティスト、ピアニスト、そして歌手でもあります
そしてフェアウィンズの理事としての献身的活動に加え、世界中の人々のために尽くしたいという彼女の勇気と思いやりに心からの敬意を表したいと思います

金子千穂:
私は2015年4月、国連において日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のためにボランティアの通訳を務めました。

2015年は広島と長崎が原爆の被害を受けて70周年にあたる年であり、日本原水爆被害者団体協議会は国連で行われる核拡散防止条約会議の再検討会議に大人数の代表団を派遣しました。
核拡散防止条約会議への代表団は被爆者で構成されていました。
彼らは原爆が投下された『その日』の体験、そして被爆者として過ごした日々、週、月々の過酷な体験について語りました。

私は直接耳にした被爆者の体験に愕然とさせられました。

「当時私は7歳でしたが、4歳の弟、そして同年齢のいとこと一緒に外の通りで遊んでいました。
突然閃光と爆発があたり一帯に襲いかかりました。
通りに面した家がすべてなぎ倒され、そして紙でも燃えるようにたちまち炎を吹き上げました。
私と弟は近くにあったビルディングの風下側にいて、奇跡的にかすり傷ひとつ負いませんでした。
しかしいとこは違いました。
熱線をまともに浴びてしまったのです。
いとこが死んだのは3日後でした。」

広島33
「私は当時13歳で女学校に通っていました。その日の朝8時15分でした。私たちは広島市の中心部から少し外れた場所にある工場の外にいました。
その時同級生の一人が急に叫び声をあげました。
『B29がいる!』」
「そのB29が白いパラシュートを一個放出したのがはっきり見えました。
次の瞬間あたりの建物が熱線を浴びて燃え上がり、私は衝撃波で身体を逆さまにされ吹き飛ばされました。
倒壊して瓦礫の山と化した工場跡からやっと這い出した時、私は自分が来ていて制服が自分の鼻血で血だらけになっていることに気がつきました。
そして体中にガラスの破片が突き刺さっていたのです。
その日の朝は、この工場で勤労奉仕を行うため、女学校の1年生全員233人が集まっていました。」
「生き残ることかできたのは、私一人だけ…誰も助かりませんでした。」

人類史上初めて罪のない人々の上に落とされ邪悪なまでに恐ろしい破壊を行った原爆の被害を生き延び、国連まで来てご自分の体験を語られた勇気ある方々とお会いし、私は改めて問題意識を新たにするとともに、もっともっと原爆の真実について学びたいと思いました。

長崎01
2015年8月、日本で暮らしている家族のもとを訪れた際、私は原爆投下70周年の節目に制作されたテレビの特別番組を見ました。
原爆を生き延びたひとりの女性の証言を聞いた時、私は全身が凍りつく思いをさせられました。

「当時私は13歳でした。原爆が投下された数時間後、私は治療を待つ人々の列に並んでいましたが、少し前の方に父がいることに気がつきました。
ああ、よかった…お父さんもあの信じられないほど恐ろしい爆弾の被害を生き延びたんだ、私はそう思いました。
私は父のところへ行き、その腕を両手でつかみました。
すると父の袖が、肩のところからずるずると抜け落ちました。
私の手の中にあったのは父の上着の袖ではありませんでした。
私が父の身体から剥ぎ取ったのは、父の腕全体の皮膚だったのです。」
「私はすっかり混乱してしまいました。
なぜ父の腕の皮膚がすっぽり抜け落ちてしまったのだろう?」

「後になって私はその理由を学びました。」
「原爆の熱線を浴びた人間の体内では、汗や血液などの液体は瞬間的に沸騰します。
沸騰した液体が皮膚から蒸発すると、その部分が閃光熱傷を引き起こすのです。
原爆投下後、かろうじて生き残った人々が幽霊のように歩き回っていたという目撃証言が数多くありますが、これらの人々は腕を前に垂らし、その腕や手からはボロきれ、ずたずたの雑巾になったような皮膚が剥がれ落ち、ずり落ちていました。」
「中には敗れた腹部から腸が擦り落ちてきそうになるのを、自分で抑えている人々もいました。」

平和祈念資料館02
原爆の最初の衝撃を「生きのびた」人々も、その多くが数時間のうちに死んでいきました。
そしてまた2、3日以内に、さらに多くの人々が死にました。
生き残った中で広範囲な火傷を負った人々は、日本の蒸し暑い真夏の季節、患部にわいた蛆(ウジ)に苦しめられることになりました。
何人かの生存者は、家族の身体にわいた蛆を取り除く作業をしなければならなかったと語りました。

こうした情景はその時の表現のしようのないひどい臭いを伴い、強烈な記憶となって生存者の脳裏に焼きつけられ、今日この日まで被爆者を苦しめ続けてきたのです。

-《2》へ続く –

http://www.fairewinds.org/nuclear-energy-education//nuclear-is-atomic
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【 10月22日までの報道写真から 】

アメリカNBCニュース 10月19日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)
Week 1
10月16日テキサス州スミスヴィル近くで、山林火災現場でくすぶる松の木にバケツで水をまくナショナルガードのヘリコプター。
テキサス州中部ではこの山林火災で7平方マイル以上、40棟の建物が焼失しました。(写真上)

10月20日クロアチアから入国したシリア、イラク、アフガニスタンの難民を誘導するスロベニアの騎馬警官。(写真下・以下同じ)
流入する難民の増加は社会不安、犯罪、そしてイスラム国(ISIS)のテロリストの流入など、様々な憶測を生んでいます。
Week 2
10月16日ハンガリー兵士が国境を封鎖する前に、急いで国境を越えようとする難民。
ハンガリー政府は「不法」移民の流入を防ぐために有刺鉄線フェンスを張り巡らしました。
Week 3
10月20日フィリピン北部のサラゴサで、台風のため浸水した道路を耕運機トレーラーで引かれていく人々。
Week 4
10月16日メキシコチアパス州、16世紀中頃に建設され1966年にネサウアルコヨトル・ダムが建設された際に水没したサンチァゴ教会の残骸。
干ばつによりダム湖の水位が下がり、再び姿を現しました。
Week 5
http://www.nbcnews.com/news/week-in-pictures/week-pictures-oct-15-22-n449681

【 多くの国民の反対意見を無視、2基目の原子炉再稼働を強行した安倍政権 】[AFP/GRD]

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原子力発電という危険で時代遅れのエネルギー供給を続けるより、再生可能エネルギーの開発に力を注ぐ方がはるかに合理的
「一般市民の安全を無視する安倍政権」が推進する原子炉再稼働、しかし日本がもはや原子力を必要としていないことは証明済み
原子力発電は現在も、そしてこれからも、日本のエネルギー供給源として重要な役割を担うことはない

AFP通信 / ガーディアン 10月15日

川内原発再稼働
2011年3月11日に襲った巨大地震と巨大津波が重要な設備である原子炉冷却システムを破壊し、福島第一原発の3基の原子炉でメルトダウンが発生した事故から4年以上が経った日本で、九州電力・川内原発2号機の再稼働が行なわれました。

福島第一原発の事故以降、日本国内の原子炉はすべて稼働を停止していましたが、広範な一般市民が反対を唱える中、日本政府は15日木曜日燃料費が安く済む原子力発電所の2基目の再稼働を行いました。
再稼働されたのは東京から約1,000キロメート南西にある、九州電力・川内原発2号機です。
1号機はすでに今年8月に再稼働され、2年間続いた日本国内の全原子炉停止の状態は終わりを告げました。

11月からの電力供給開始を目指し、九州電力の技術者はこれから数日を費やして、新たに再稼働された原子炉を本格的稼働レベルにまで持っていく予定です。

川内再稼働反対
今回の再稼働は、2011年3月に襲った巨大地震と巨大津波が重要な設備である原子炉冷却システムを破壊し、福島第一原発の3基の原子炉でメルトダウンが発生した事故から4年以上が経った時点で行われました。
福島第一原発の事故は国内の原子炉50基すべてを停止状態に追い込み、これから日本で原子力発電を継続すべきかどうか、激しい議論が交わされています。

安倍晋三首相は世界第3位の規模の日本経済を支えていくために原子力発電は欠かせないと主張し、原子力発電所の再稼働を推進しています。

しかし1986年のチェルノブイリの事故以来最悪の原発事故となった福島では、福島第一原発から大量の放射線が広範囲に放出され、原発周辺の住民が避難を余儀なくされ未だに帰還できずにおり、多くは二度と戻ることが出来ない状況にあります。
こうした事実を目の当たりにした国民の多くが、日本でこれ以上原子力発電を続けることに反対しています。

川内原発再稼働
日本政府は2011年の福島第一原子力発電所事故の後改定された新たな基準の下で安全だと判断された原子炉については、すべて再稼動を続ける、菅義偉官房長官はこのように語りました。
「政府のこの方針に変更はありません。」
菅官房長官は記者会見の席上、こう発言しました。

日本の公共放送のNHKは約70人の人々が2号機の再稼働に抗議するため、川内原発前に集まりました。

「多くの人々が原子力発電所の再稼働が続くことに懸念を深めています。」
九州電力・川内原発の再稼働に破綻する市民グループの代表を務める鳥原りょうこさんがNHKのインタビューにこう答えました。

市民活動を続けるグリーンピース・ジャパンは「一般市民の安全を無視する安倍政権」を批判し、日本がもはや原子力を必要としていないことは証明済みの事実だと主張しています。

101318
「原子力発電は、現在も、そしてこれからも日本のエネルギー供給源として、重要な役割を担うことはありません。」
グリーンピース・ジャパンでエネルギー問題について活動を行っている関口守さんがこう語りました。
「原子力発電という危険で時代遅れのエネルギー供給源を続けることにより、一般市民の安全な暮らしが危険にさらされることになります。日本政府はそんなことをするより、安全でしかもクリーンな再生可能エネルギーへの移行を実現するための政策を支持すべきです。」

http://www.theguardian.com/world/2015/oct/15/japan-restarts-second-nuclear-reactor-despite-public-opposition
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【 バルカン諸国で足止めされる難民たちに降込める冷たい雨、つのるみじめさ… 】《2》

アメリカNBCニュース 10月19日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)
難民07
バルカン半島の各国の国境には、現在数多くの中東地区からの難民が足止めされています。
彼らの上には連日冷たい雨が降り、その境遇を一層惨めなものにしています。
10月19日クロアチアのヴァラズディンの東郊で、たき火をして暖を取る難民。(写真上)

10月19日クロアチアのヴァラズディンの東郊で、スロベニアへの国境通過を待ちながら雨に打たれる難民。(写真下・以下同じ)
難民08
セルビア西部のベルカソボからクロアチアに入ろうとする難民の監視をするクロアチアの警官。
難民09
10月19日にセルビア西部のベルカソボで、冷たい雨が降る中クロアチア国境近くを歩く難民。
難民10
難民11
10月19日にクロアチアからスロベニアに入国し、ドラビにある民キャンプのテントの外に立つ女性。
この日列車で1,800人の難民がクロアチア領内を通過し国境まで運ばれてきましたが、そのうち『最も弱っている』500人だけがスロベニアへの入国を許され、近くにある難民登録センターに贈られました。
難民12
http://www.nbcnews.com/storyline/europes-border-crisis/cold-wet-weather-increases-misery-migrants-stuck-balkans-bottleneck-n447146

【 沖縄 – 日本政府とアメリカ政府に挑戦する闘士 】[ECO]

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所要時間 約 9分

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翁長知事の建設許可取り消しは、安部首相にとっても、アメリカ軍当局にとっても痛恨事
アメリカ軍の基地と26,000人の米軍兵士が、全面積のほぼ5分の1を占有している沖縄
過半数を超える日本国民が、沖縄の基地問題に対する安倍政権の姿勢を支持していない

 

沖縄米軍基地地図
エコノミスト 10月17日

 

2012年12月に政権の座に返り咲いて以来、長い間議論の的となって来た新しいアメリカ軍海兵隊基地の辺野古への移転建設問題について、安倍首相は嫌がる沖縄県の指導者たちを交渉の席に着かせ、抵抗を止めるよう懸命の説得を続けてきました。
辺野古は沖縄本島の中にあり、手つかずの自然が残された場所です。

翌年、当時の沖縄県知事が建設許可を出すと、安倍首相もアメリカ軍当局も事態が進展したものとして歓迎の意を表しました。

しかし2014年に選挙で選ばれた現在の沖縄県知事、翁長雄志氏は建設許可を取り消しました。
この展開は安部首相にとっても、アメリカ軍当局にとっても痛恨の事態です。

沖縄の人々の多くは、翁長知事がもともと安倍首相と同じ自民党の出身であったことから、基地建設に全面的に反対する強い姿勢を示すかどうか疑問を抱いていました。

沖縄米軍基地02
しかし今や、彼は日本の政権与党である自由民主党の保守派のかつての仲間たちときっぱりと袂を分かち、特に安倍首相とは立場の違いを明確にしました。
安倍首相は国内に異論の多かった安全保障関連法案を強引に成立させ、自衛隊に課せられていた同盟国との軍事行動の制約を大幅に取り払うことに成功したばかりです。

翁長知事は自らの決断について、独立した法務委員会の見解を引用し、その正当性を強調しました。
前知事の建設承認許可には、環境保護の観点において重大な欠陥があったと指摘したのです。

沖縄の面積は日本全土の1%にも足りません。
しかしアメリカ軍の基地と26,000人の米軍兵士が、全面積のほぼ5分の1を占有しています。
安倍首相は沖縄のアメリカ軍の存在こそは日本の安全保障にとっての重要な土台であり、その安全保障を強化するために一連の安全保障関連法案を成立させたのだと語りました。
日本政府は翁長知事の決定を覆すために、法的措置を講じると宣言しました。
しかし中谷元防衛大臣は、防衛省による工事を一時的に延期すると語りました。

沖縄06
過疎の遠隔地に建設予定の辺野古の基地は、人口稠密な場所に位置し様々な問題を作りだしている普天間航空基地の代替の意味を持っています。
しかし辺野古に基地を建設するとなれば付近の海を埋め立てる必要があり、環境問題に加え、沖縄の古代伝説において神聖とされる場所を破壊してしまうことになります。

9月にスイスのジュネーヴで開催された国連人権委員会の場で翁長知事は、こうした沖縄の価値を否定する事について、日本政府が自由、平等、人権と民主主義の民主主義の価値を他の先進諸国と共有していると主張できるのかどうか、疑問を投げかけました。

しかし日本政府側は新基地の建設を受け入れる代わりに莫大な金額の補助金を交付し、問題の本質を別の形に変えてしまうことにより、反対運動を葬り去ろうとしています。

大方は日本政府側が法廷闘争において勝利するものと見ています。
それでも翁長知事の抵抗は安倍首相にとっては無視できるレベルのものではありません。

 

安倍首相は今年一度、すでに後じさりせざるを得ない局面に追い込まれました。
この夏安全保障関連法案を強引に可決成立させたことにより、タカ派的姿勢を取り続ける安倍首相の本当の目的について、日本国民の多くが大きな疑念を抱くようになりました。
夏の間安倍政権の支持率は下がり続け、これ以上安倍首相の印象が悪くならないようにするため、そして翁長知事との交渉を容易にするため日本政府は辺野古での基地建設工事をとりあえず一カ月間休止させることにしました。

しかし会談は、いずれの側にも譲歩する意思がないことを明らかにしました。
翁長知事は仮に建設工事が続けられることになっても、これを妨げる方法はいくらでもあると語っています。
翁長知事はつい最近、辺野古近くの名護市長が建設現場に土砂を運び込むためのコンベヤーベルトの設置に関し許可を出さなかったために、ダンプトラックを使わざるを得なくなった事態を、戦術例として引き合いに出しました。

翁長知事のこうした姿勢は日本各地で、かなりの支持を集めることになりました。

沖縄02
朝日新聞が行なった最近の世論調査は、過半数を超える日本国民が沖縄の基地問題に対する日本政府の姿勢を支持していないことを明らかにしました。
今後建設現場周辺で抗議活動を行う人々の数が増えることになりそうです。

これまでの抗議活動は平和な形で行われてきました。
しかし日本政府の一方的な姿勢に憤りを募らせている沖縄県民が、警察と衝突する場面が現実になることもあり得ます。

翁長知事は個人的な会話の中で、抗議活動がすべて平和的なものに留まるという保証はないという事をほのめかしたと日本国内で報道されたことがありました。
日本政府の側と沖縄県民が、ともに実力行使に踏み切れば、妥協を求める安倍首相に対する圧力と風当たりはより強いものとなるでしょう。

http://www.economist.com/news/asia/21674839-okinawa-takes-governments-japan-and-america-island-warrior?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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【 バルカン諸国で足止めされる難民たちに降込める冷たい雨、つのるみじめさ… 】《1》

アメリカNBCニュース 10月19日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

難民01
バルカン半島の各国の国境には、現在数多くの中東地区からの難民が足止めされています。
彼らの上には連日冷たい雨が降り、その境遇を一層惨めなものにしています。

10月19日クロアチアのオパトバクで、難民テントの中から外を眺める子供。(写真上)
ハンガリーが南側の国境を封鎖し、スロベニアが難民の流入に対し制限措置を講じた後、バルカン諸国は増え続ける難民対策に苦慮しています。
難民たちは各地で足止めされ、冷たい雨が降りこめる中、やりきれない境遇に絶望の思いを深めています。

10月19日スロベニアに入ろうとして、雨の中クロアチア側で許可を待つ難民。(写真下・以下同じ)
難民02
10月19日毛布にくるまりスロベニアへの入国許可を待つ難民。
ハンガリーが国境を封鎖したのに続き、スロベニアが難民の流入制限に踏み切り、その影響はバルカン半島内でドミノ効果を生みました。
現在セルビアがマケドニアとの国境に、何らかの制限措置の導入を検討しています。
難民03
10月19日雨の中スロベニアへの入国許可を待つ難民の少年。
ハンガリーの国境封鎖により、スロベニアは第二次世界大戦以降最大規模となった難民問題の真っただ中に入り込んだことに気づかされました。。
難民04
10月19日雨の中スロベニアへの入国許可を待つ難民の親子。
約200万人の難民がハンガリー、イタリア、オーストリア、クロアチアを通過して行きました。
スロベニア当局は確認・登録の手続きを踏んだ上でなければ、国内を通過してオーストリアへ入国することは認められないと発表しました。
難民05
難民06
http://www.nbcnews.com/storyline/europes-border-crisis/cold-wet-weather-increases-misery-migrants-stuck-balkans-bottl

【 沖縄県知事、アメリカ軍基地の建設を凍結 】[NYT]

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20年に渡り日本、アメリカの軍当局者が進めてきた計画が初めて頓挫
南方の小さな島に対して突出して重くなっている米軍基地負担、根本解決を求める沖縄県民
これ以上沖縄県民の意見を無視すれば、何事にも傲慢だという安部首相の評価はさらに大きくなる

ジョナサン・ソブル / ニューヨークタイムズ 10月13日

沖縄米軍基地
沖縄で長期間にわたり政治的紛争が続いているアメリカ軍海兵隊航空基地の移転・建設問題は、13日火曜日新たな局面に入りました。
沖縄県知事は現在計画中の口が稠密な場所にあるアメリカ海兵隊の普天間航空基地を、人口の少ない島嶼地区に移転・建設する許可を取り消す決定を行いました。
この決定について日本政府の官僚は取り消しを求めて異議の申し立てをすると表明していますが、20年に渡り日本、アメリカの軍当局者が進めてきた計画が初めて頓挫することになりました。

基地を巡る意見の対立は、安倍政権の下で一層深刻なものとなりました。
安倍首相は辺野古への海兵隊航空基地の移転建設計画を最後までやり遂げることを誓っています。
これまでの日本政府の政権は、完成時期の関係で工事の着手とは無縁でいることが出来ました。

日本政府とアメリカ政府の移転に関する合意は1990年代に成立していましたが、死元沖縄における一般市民の反対が激しく、計画の実行は見送られてきました。
県民はアメリカ軍の基地負担が沖縄という南方の小さな島に対して突出して重くなっていることに長年不満を募らせており、単なる県内の移転ではなく、基地負担の軽減を求めています。

沖縄米軍基地02
安倍首相は基地の移転・建設計画を復活させることにより政治的反発を受けるというリスクを敢えておかしましたが、これは日本の安全保障の物理的側面を強化するという政策の一環になります。
安倍首相の軍事面における政策は、部分的には中国の軍事的台頭という事実に影響されてはいますが、本来タカ派的なものです。

すでに強力なアメリカ合衆国との間の軍事的同盟関係を一層強化し、武器輸出に対する規制を撤廃し、10年間続いていた防衛予算の削減を覆して増額に転じさせ、さらには国内での反対議論が最も激しかった平和憲法の解釈変更による集団的自衛権の行使容認を実現しました。

しかしながら安倍首相が進める政策によって、また新たな役割を演じるようさらなる負担を強いられることになる人々の不満もうっ積し続けています。

県庁所在地の那覇市で13日火曜日に行われた記者会見の席上翁長雄志知事は、防衛省の管理監督の下で建設工事に従事する建設業者に前任者の沖縄県知事が交付した許可証には「法律欠陥」があると語りました。
「私は、許可を取り消す旨の通知をすでに送付しました。」

沖縄05
翁長知事が望むのは海兵隊基地が沖縄の地から移転・撤去されることです。

沖縄は約25,000人の米国軍人の拠点となっており、日本全国に展開するアメリカ軍兵士の半分以上がこの狭い島に常駐しています。
世論調査によれば、沖縄県民の大部分が翁長知事の姿勢を支持しています。

翁長知事がこうした決定を行うだろうことは、日本国内では広く予測されていたことですが、辺野古湾(キャンプシュワブ)にすでに存在する米軍施設前で抗議のため詰めかけていた数十人の反対派の住民は、この決定を伝える日本の国内報道に歓喜し、その様子は日本の放送局によって全国に中継されました。

新しい移転計画の下では新設される滑走路は海域を埋め立てて建設されるなど、キャンプシュワブは大幅にかくだい拡充される予定です。
これまで実質的に作業と言える作業は行われてきませんでしたが、事前の調査測量程度であっても抗議を招いてきました。

安部沖縄式典02
日本政府は翁長知事の決定を覆すべく直ちに対策を取ると語っています。

国土交通省は基地建設の可否に関する最終的な権限を持っていますが、防衛省の訴えにより翁長知事の建設許可取り消しを覆すことになれば、日本政府が日本政府に訴えて自治体の首長の決定を無効にすることになります。

「基地移転を実現させるため、建設を続ける我々の計画に変更はありません。」
政府のスポークスマンである菅義偉内閣官房長官がこう語りました。

専門家は問題が最終的に司法の場に持ち込まれることになるだろうと語っています。
訴状の提出から裁判官の決定までは何年もかかる可能性があり、その間新基地建設工事が続行できるのかどうか、あるいは凍結が続くのかどうか、その点は不明です。

阿波連正一(あはれんまさかず)静岡大学教授は、翁長知事の決定を覆すことについての安倍首相の政治的代償は高くつく可能性があると語りました。

この夏安全保障関連法案を強引に可決成立させたことにより、安倍首相に対する支持率が大きく下がったことを、世論調査の結果が明らかにしました。

沖縄04
沖縄の問題についても沖縄県民や一般市民の意見を無視することになれば、何事にも傲慢だという安部首相の評価はさらに大きくなる可能性があります。

「翁長知事の決断は、非常に大きいものです。」

http://topics.nytimes.com/top/news/international/countriesandterritories/japan/index.html?8qa

【 大型台風によりあふれ出した福島第一原発の汚染水、知られざる事実、知られざる危険 】[FW]

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東日本・北日本一帯に大きな被害をもたらした台風21号、大手メディアが伝えなかった福島第一原発の実情
日本政府が福島第一原発の現状の粉飾を続ける限り、太平洋岸で暮らす日本・アメリカ他の市民の危険は続く

スー・プレント / フェアウィンズ 2015年9月18日

台風21号被害
福島第一原発の事故の影響が続く日本では、繰り返し日本列島にやってくる大自然の脅威により人々は安閑とはしていられません。

その状況は福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンしたことにより全町民が避難した福島県楢葉町で、日本政府が元住民の帰還を促す誘導政策を行っている最中に発生しました。

日本政府は楢葉町の放射線量が、もはや人間が暮らしても危険ではないレベルにまで下がったとする公式見解を9月11日に明らかにし、数少ない住民が即時帰還を選びましたが、今度は線量計に関わる問題が明らかになりました。
そして福島第一原発による放射能に汚染されたしまった市町村が、元通りになるという希望が決してかなう事は無いという現実を浮き彫りにしたのです。

7名の死者、15名の行方不明者を出した台風21号は、楢葉町の安全が宣言されたほぼ同時期東日本から北日本を襲い、改めてこの島国が自然災害の発生しやすい場所であることを痛感させました。
茨城県や宮城県では川の堤防が決壊、大量の水と土砂が住宅に押し寄せ、静かな田園地帯で地滑りが発生し、耕作地が泥で埋まってしまうなどの被害が発生しました。
多数の住民が避難を余儀なくされました。

台風18号04
その時、未だに危機が続いている福島第一原発では、排水用ポンプが押し寄せた大量の水に没して完全に機能不全に陥り、2011年3月に発生した事故により汚染された周辺地区を、あふれ出した放射能汚染水や廃棄物によって再度汚染する事態となったのです。

その時、未だに危機が続いている福島第一原発では、排水用ポンプが押し寄せた大量の水に没して完全に機能不全に陥り、2011年3月に発生した事故により汚染された周辺地区を、再び放射能汚染水や放射性廃棄物によって汚染する事態となったのです。

日本国内が台風21号の被害の対応に追われていた日曜日の早朝、東京を含む関東地方一帯をマグニチュード5.2の地震が襲い、改めてこの国が『環太平洋火山帯』と呼ばれる、活火山の活発に活動し地震が多発する場所にあり、日々こうした危険に見舞われる可能性が高いことを痛感させられることになりました。

7割以上の国民が原子力発電に反対しているにもかかわらず、政府官僚がそれを無視して原子力発電を推進する姿勢を明確にしている日本で、次に起こりうることは何でしょうか?
福島第一原発周辺に置き並べられた、汚染土や汚染された雑草や落ち葉などの低レベル放射性廃棄物が詰め込まれた膨大な数の黒いビニールバッグは、雨ざらしにされたままの状態が続いているためそれ自体劣化が進んでいたはずですが、海沿いの場所では高潮や河川の氾濫により押し流されたという報告が入っています。

楢葉町05
この問題について東京電力は82個の袋が流出し、うち30個が回収されたと発表、52個の低レベル放射性廃棄物入りの袋が行方不明になった事実を確認したことになります。

この事実に対する一般市民の懸念を和らげるため、日本の公式報道は流出した放射性廃棄物入りの袋の周囲で検出される放射線の量は『わずか』であるとしています。

しかし福島第一原発の事故発生以降、日本国内の公式報道や健康問題に対する公式の見解が、国民の安全や健康よりも、電力業界や工業界、それに伴う政治的利益を優先していることを目の当たりにした一般市民は、こうした発表に対して懐疑的な目を向けています。

無責任な大手メディアは東京電力の信じがたい主張を、検証もせずにそのまま流しています。
すなわち太平洋は広大無辺であり、福島第一原発から流れ出した放射能汚染水その他は大量の海水によって希釈され、何万トン流出しようが、影響は『ほとんど影響ない』というものです。

2013年に台風第18号が日本の東北地方を襲ったとき、東電は廃棄物が散乱する福島第一原発の敷地内から回収した雨水を海洋中に放出する機会として利用しました。
この際東京電力は、放出した雨水の放射線量は安全基準の範囲内であると主張していました。
しかし2015年2月、福島第一原発の施設屋上で回収された放射線量が極めて高い汚染水が、長期間直接太平洋に流れ出していたことが発覚するなど、太平洋に放出されている汚染水の濃度が安全基準範囲内に留まっているといる東京電力の主張は疑わしいと言わなければなりません。

03 Spiegel
最新の調査では、福島第一原発の施設内で回収された雨水の放射線量は、東京電力が安全基準の範囲内だと主張しているのに対し、実際には70倍の汚染濃度を示していたという報告もなされています。

この問題に関心を持つ日本国内の一般市民、そして世界中の人々は、今回の台風21号がもたらした洪水により、福島第一原発に大量に蓄積されている放射能汚染水が再び周辺地区を汚染したのではないかという疑問を抱いています。

この問題はすでに周知の福島第一原発の地下から汲み上げられ、定期的に海洋中への放出が続けられている汚染水とは全く別の問題であることに留意しなければなりません。
2011年の事故以降、原子炉建屋内には一日24時間水が注ぎこまれ、高濃度汚染水が大量に作られ続けています。
そしてここでも東京電力は、いったん除染処理を行った汚染水の放射線量は、太平洋の広大さを考えると影響はきわめて小さなものだと主張しています。

日本政府も台風の影響により、大量の雨水が福島第一原発の敷地内から太平洋中に流れ込んだことによる影響は、軽微なものに留まっていると断言しています。
こうした政府の態度は、より深刻な現実から人々の目をそらさせることにもなっています。
故意界の災害による大量の雨水や河川の氾濫により福島第一原発の敷地内の汚染水が流れだし、これまでは汚染されていなかった場所まで二次汚染、三次汚染が広がってしまったという事実です。

汚染水タンク05
この問題による内陸部の影響は深刻なものです。

台風21号は当然ながら、福島第一原発の施設そのものより、周辺の山間部に大量の雨を降らせ、そのは所にあった放射性物質を周辺に流しだしました。
しかし東京電力も日本政府も、このことによる健康被害については考慮せず、調査もしていません。

日本政府が福島第一原発の事故によるあらゆる汚染について調査し、発生する可能性のある健康被害について調査し、現状を正しく認識しようとしていない以上、日本やアメリカを含む太平洋岸の一般市民の健康は、常に危険にさらされ続けることになるのです。

http://www.fairewinds.org/nuclear-energy-education/demystifying-nuclear-power-the-fukushima-toilet-overflows

【 福島第一原発の被災地、安全が確保されたと言えるのか?】《後篇》[GRD]

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住民は町内各所に突出して放射線量の高い場所を確認、除染のやり直しを求めている
4年半もの間放置せざるを得なかった家の中は動物の糞だらけ…とても人間の住める場所ではなくなってしまった
美しかった故郷はもう二度と元通りにならない…解っているのはそんなことだけ…

 

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2015年10月12日

楢葉町住民01
渡部さんの自宅も地震で被害を受けました。
4年半の間無住だった家は害獣のすみかと化していました。
「家の中は動物の糞だらけです。とても人間の住める場所ではなくなってしまいました。」
56歳になった渡辺さんがこう語りました。
「古い家は取り壊し、同じ場所に家を建て直して、5年か10年以内には妻と一緒に戻ってくるつもりです。」

「将来この場所がどうなるかは全く分かりません。でも二度と元通りにならない事だけは解っています。
住民の多くが70代、そして80代です…30代や40代の人、特に幼児がいる家庭は、誰もこの場所に戻ってくることに関心を示しません。」
「この町は本当は風光明媚な美しい場所なのです。でも生きていくのには全く適さない場所になってしまいました。」

楢葉町の担当者は住宅地、学校、店舗、そして公共施設の周囲から汚染された土を除去する面倒な除染作業が完了したと語っています。
しかしおよそ100世帯が自宅周辺に放射線量が突出して高い場所があると報告し、除染作業のやり直しを求めています。

 


行政側の調査では、町内の放射線量の平均は1時間あたり0.3マイクロシーベルト、年率に換算するとちょうど3ミリシーベルト(mSv)未満ですになっています。
この数値は1年につき1mSvという日本政府が設定した「野心的」目標より若干高めです。
この目標については専門家が非現実的な程低いと批判していました。
専門家は被ばく線量が年間100ミリシーベルトを上回らなければ、ガンを発症する確率は極めて低いとすることでほぼ一致しています。

「私たちが目指しているのは。全世代が戻って来てくれることです。しかし、確実なスケジュールなどは存在しません。」
住民の帰還に向けて取り組みを続ける80人の楢葉町職員のうちのひとり、猪狩祐介さんがこう語りました。
「住民の中にはもう5年、10年、あるいはもっと長い間待ち続ける人がいるかもしれません。」

「私たちは他の市町村の復興のモデルケースになりたいと思っています。楢葉町の住民の生活再建が実現しなければ、他の市町村はなおさら復興は難しくなるでしょう。私たちはの点について、大きな責任を感じています。」

請戸04
私たちは福島第一原発の危機が頂点に達していた時に重要な役割を果たしていた人々、そして住んでいた場所が放射能に汚染されたために避難を余儀なくされ、未だに生活再建を果たせない原発難民の人々と話す機会を持ちました。

小泉新平さんは楢葉町で家族と一緒に生活を再建することが現実味を帯びている、数少ない住民の中の一人です。
「楢葉町に戻って生活を何とか再建できるよう、母と娘は家屋の修理を私に嘆願しました。しかし他にこの場所で生活再建をすることに同調する人を見つけることはできませんでした。」
現在65歳の大工職の小泉さんがこう語りました。
小泉さんは地震でだめになった自宅の屋根瓦を葺き替え終わったところでした。

しかし小泉さん自身は家族と行動を共にしようとはせず、いわき市内での仮設住宅暮らしを続けています。
「もう水道水を飲んでも大丈夫だと言っていますが、私には信じられません。2、3のコンビニエンスストアと自動販売機以外、生活のために必要な品々を賄えるだけの店舗もありませんし、近所には誰も住んでいません。ここに留まっている方がまだましなのです。」

楢葉町が史上最悪の原子力発電所事故の被災地であるという証拠は、町の周辺部一帯に衝撃的な光景を生み出しました。

楢葉町05
低レベル放射性廃棄物を詰め込んだ約580,000個の黒い袋が、かつて有数の米作地、そして畑作地であったその場所を埋め尽くすようにして置き並べられています。
米や野菜は例え生産することが可能になったとしても、『福島産』というだけで収穫されても販売には厳しい状況が続いており、その場で朽ち果てるしかないという状況が続いています。

しかし今、町内の各所で市民生活再建に向けた静かな胎動が始まりつつあります。

スーパーマーケット1店舗と現金自動預け払い機コーナーに加え、コンビニエンスストア2店舗が営業を再開しました。
間もなく地元の郵便局も再開される予定です。
11月には住民は新しい健康センターで健康相談を、信用組合で金銭的な相談ができるようになります。

日本政府は福島第一原発のすぐ近くの汚染のひどい場所を除き、2017年3月までにすべての地域で避難命令を解除することを目指しています。
そのため帰還した家族には1世帯につき、最高100,000円の補助金を提供することになっています。

福島県内の他の市町村同様、楢葉町においても原発事故の責任について住民の意見は様々です。
東京電力に対する批判が多いのは当然ですが、原子力発電所が立地したことで多額の補助金が交付され町が潤い、雇用も充分に確保されていた事実を皆が覚えています。

楢葉町06
「私は事故は誰の責任でもないと思っています。」
渡部さんがこう語りました。
「この町には東京電力からたくさんのお金が流れ込みました。そのおかげで私たちは豊かな暮らしを享受してきました。原子力発電所が立地しない市町村と比べ、金銭的にも条件的にも有利な状況にあったはずです。」

7代にわたって同じ家で暮らし、農業を営んできた山内さんも非難を口にしようとはしません。
山内さんは先代の人びとも大切にしてきたこけしや達磨に囲まれているだけでほっとすると語りました。
「起きてしまったことに腹を立てても、くよくよしても始まりません。」
「そんなことをしても何も変わりません。とにもかくにも私たちがしたいのは、生活の再建、そのための具体先な作業を始めることなのです。私たちは故郷に戻りたいとずっと思ってきました。ここが私たちの家なのですから。」

〈 完 〉
http://www.theguardian.com/environment/2015/oct/12/safe-at-last-view-from-naraha-the-first-fukushima-community-declared-fit-for-humans
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【 放射能汚染がれき : 福島第一原発の指定避難区域の今 】《2》

ガーディアン 10月15日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

2015oct05
これらは福島第一原発から20km圏内の不気味な光景です。
2011年3月、巨大地震と巨大津波が東日本に壊滅的被害を与え、福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンした結果、生み出された光景です。
カメラマンのアルカディウス・ポドニーシンスキが防護服に身を固め、ゴーストタウンとなった双葉町、浪江町、富岡町の写真撮影を行いました。
無人飛行機で撮影した低レベル放射性廃棄物を詰め込んだ袋置き場の写真。場所を節約するため、袋は何段にも積み重ねられています。(写真上)

食事が始まる直前の事故発生により、そのまま打ち捨てられた宴席。
1986年のチェルノブイリの事故以降最悪となった福島第一原発の事故の被災地から、放射能汚染を取り除く気の遠くなるような巨大な仕事が続けられています。
数千数万の作業員が福島県内各地に散らばり、土地の表面を削り取り、家建物の壁や屋根をこすり洗いする作業を延々と繰り返しています。(写真下・以下同じ)
2015oct06
放置された車両を包み込むように生い茂る雑草。
元住民の人々は、30年たてばここが再び人間が住める場所になるという日本政府の見解を信じようとはしません。人々はこの場所が永遠に汚染されてしまったのではないかと、懸念を深めています。
2015oct07
生徒、住民、自衛隊員や除染作業員などが寄せ書きをした中学校の黒板。
2015oct08
http://www.theguardian.com/artanddesign/gallery/2015/oct/11/radioactive-wreckage-inside-fukushimas-nuclear-exclusion-zone-in-pictures

【 福島第一原発の被災地、安全が確保されたと言えるのか?】《前篇》[GRD]

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見切り発車の住民の帰還は、見当違いの楽観主義がもたらす新たな教訓を語ることになるかもしれない
福島第一原発の事故から4年半、初めて住民の帰還が認められた楢葉町からの眺め
帰還を決めた住民のほとんどは現役を引退した高齢者、しかしその姿はどこにも見当たらない

 

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 10月12日

楢葉町住民01
楢葉町の住民である山内幸平氏と妻のとも子さんが自宅の居間に久しぶりに足を踏み入れた時、彼らを襲ったものはとまどいでした。
畳敷きの部屋に置かれた棚の上にはこけしが整然と並んでいました。
壁の一方には幸運を呼び込むための大きなだるまが置かれています。
その壁の上の方からは、これまでの当主とその妻の白黒の肖像写真が部屋を見下ろしています。
これ以上掃除の行き届いた清潔な部屋は考えられない程、この居間はきちんとしています。

福島第一原発の事故発生以来4年半、福島県楢葉町、絵のように美しかったこの町の家々も、そして山内家も荒れるがままの状態が続いてきました。

2011年3月12日、楢葉町の住民たちは直ちに避難するように命じられました。
その前日、史上最大規模の地震が東北地方を襲い、今生きている人々が初めて見るような被害が各所で発生していました。

この地震は約19,000の人命を奪い、福島第一原子力発電所の3基の原子炉がメルトダウンを誘発した高さ14メートル以上の津波を生みました。
山内さんたちの頭が巨大津波による膨大な数の犠牲者の事でいっぱいになっていたころ、目には見えない脅威、第2の災害が襲いかかろうとしていました。
楢葉町の北方約19キロの場所にある福島第一原発から漏れ出した、莫大な量の放射性物質です。

白煙を上げる現場
「私たちのこどもたちは、もう二度とこの場所には戻らないと言っています。」
放射性物質による汚染が明らかになった福島県内の市町村のうち、初めて人間が生活できる水準にまで放射線量が下がったと宣言された楢葉町に、先月帰還を果たした数少ない住民の一人である山内さんのご主人がこう語りました。

避難場所から避難場所へという生活には厳しいストレスが伴いますが、山内さんたちは災害発生以来すでに6回もの移動を余儀なくされました。
79歳を越えた山内さんにとって、そのストレスは放射線に関わるいかなる懸念をも上回るものでした。
「私たちは放射線被曝が原因となってガンを発症することについて心配するには、すでに年を取り過ぎています。私は同じ年代の高齢者だけがこの町に戻ってくると思っています。でも子どもたちや孫たちの世代はそうはいかないでしょう。ここで子供たちを育てるのは難しくなっていくでしょう。」
町の職員はメルトダウンが発生した事故から5年近くが経った今、いわき市周辺にある仮設住宅や民間のアパート、いわゆる見なし仮設住宅で暮す人々も含め、かつての住民たちの多くが楢葉町以外の場所で生活の再建に取り組んでいるという現実に直面しています。

9月上旬避難命令解除を宣言した楢葉町の松本町長は次のように語りました。
「楢葉町の時計たった今、再び時を刻み始めました。町の機能の完全な回復を目指した、私たちは全力で取り組みます。」

楢葉町03
安倍首相は楢葉町の避難命令の解除について、警報が解除されず未だ戻れずにいる他の市町村の住民約70,000人にとっての希望の光だと宣伝しました。

しかし太陽がさんさんと降り注ぐ金曜日の午後も人の気配が感じられない楢葉町の街路は、見当違いの楽観主義がもたらす新たな教訓を語ることになるかもしれません。

地元当局によると事故前7,400人の人口があった楢葉町には、今回の避難命令の解除によって200人から300人の住民が帰還しました。
このうち子どもはわずか2人です。

今回町への帰還を決めた住民のほとんどは現役を引退した高齢者ですが、その姿はどこにも見当たりません。
町役場近くの仮設の商店街で買い物をしたり食事をとったりしている人のほとんどは、破壊や荒廃によってぼろぼろになった町の施設の修復工事を行うためやって来た1,000人の建設労働者たちです。

地震の被害を最も端的に表している町の道路は未だに通行が出来ません。
町の中学校は修復工事が仕上げの段階に入っていますが、2017年春までは開校の予定はありません。
しかし2017年になって、果たして通学してくる生徒がいるかどうかは、今のところ解りません。
大きな木造家屋にも人の姿は無く、泥棒除けの分厚いテープが窓中に貼られていました。

楢葉町04
廃墟と化したガソリンスタンドの前のアスファルトの道路の割れ目には雑草が生い茂っています。
今年6月、再開を果たしたローカル線の駅の外側には、何十台もの自転車やバイクが錆びだらけになって捨てられたままになっています。

「どう見てもここはゴーストタウンです。」
楢葉町のレストランで働くため毎日いわき市から通勤している渡辺正準さんがこう語りました。
「店内は一見すると多くの人々がひしめきあっているように見えますが、全員が復興工事の建設労働者です。災害の発生前、この店に通っていた人は一人もいません。」

〈 後篇に続く 〉
※原文が英文のため、氏名の表記に誤りがある可能性があります。ご容赦ください。
http://www.theguardian.com/environment/2015/oct/12/safe-at-last-view-from-naraha-the-first-fukushima-community-declared-fit-for-humans
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【 放射能汚染がれき : 福島第一原発の指定避難区域の今 】《1》

 

ガーディアン 10月15日

2015oct01

これらは福島第一原発から20km圏内の不気味な光景です。
2011年3月、巨大地震と巨大津波が東日本に壊滅的被害を与え、福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンした結果、生み出された光景です。
カメラマンのアルカディウス・ポドニーシンスキが防護服に身を固め、ゴーストタウンとなった双葉町、浪江町、富岡町の写真撮影を行いました。
世界的に有名になった看板の前に立つカメラマンのアルカディウス・ポドニーシンスキー。(写真上)

雑草が生い茂る通り。160,000人が避難生活を強いられている事故から4年半が経ちましたが、多くの場所が人間が暮らすには危険な程放射能に汚染されたままです。(写真下・以下同じ)
2015oct02
遺棄されたケンタッキーフライドチキンの店舗。
「事故が起きたのがまるで昨日の事のように感じる程、ここでは時間が静止したままです。」
カメラマンのアルカディウス・ポドニーシンスキーがこう語りました。
2015oct03
遺棄された自家用車の空撮写真。
2015oct04
http://www.theguardian.com/artanddesign/gallery/2015/oct/11/radioactive-wreckage-inside-fukushimas-nuclear-exclusion-zone-in-pictures

【 『新たな』3本の矢?それこそさらなる的外れ 】[ECO]

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安倍首相の『新たな3本の矢』には、日本経済の閉塞状況を打開するためのどんな効果もない
安倍政権の日本経済の回復策に対する疑問を膨らませる海外の専門機関
正しい的(まと)を設定し、そこに向かって正確に矢を射る能力が安倍首相にはあるのか、疑いは大きくなるばかり

 

エコノミスト 9月26日掲載10月1日更新

日本経済04
多くの国民の怒りを買った4ヵ月間に渡る安全保障関連法案を巡る攻防が終わると時を移さず、安倍首相はそれよりはいくらか安全な場所に戻ってきました。
経済です。
9月24日、安倍首相は続行中のアベノミクス、すなわち金融緩和策、景気刺激策に広範囲な講座改革を進める政策について、意気揚々と『新たな三本の矢を放つ』と披露しました。
しかしここ一年間の日本経済に関する最新のデータは、安倍首相が一息つけるような状況では無いことを示唆しています。

第一四半期の拡大の後、第二四半期に入ると日本のGDPは年率換算で1.2%縮小しました。
現在、第3四半期についての懸念が高まっています。
鉱工業生産指数は8月も連続して下落し、第三四半期は『不況』局面に入ったかもしれないことを示唆しています。
加えて物価はアベノミクスがスタートした2013年4月以降初めて、わずかではありますが再び下落に転じました。
インフレに関する重要な指数のひとつであるコア消費者物価指数(CPI・生鮮食品を除く消費者物価指数)は8月には0.1%下落しました。

Abenomics 2
これは日本銀行にとっては最悪のニュースになりました。
日銀は来年秋まで、1年につき2%ずつ物価を上昇させる政策を実施に移すと宣言していました。
日銀が重視するインフレ指標は『コアコア』CPIと呼ばれるもので、エネルギー価格と食品を除外したものですが、この2品目の価格は現在上昇しています。
しかし他品目に渡るインフレ予想は、現実のデフレーションへの回帰のニュースに影響を受ける可能性があります。
10月末に新たな経済予測を発表するにあたり、日銀は現在行っている金融緩和策の一層の拡大についてさらなる重圧がかかることは間違いありません。

安倍首相の『新たな3本の矢』には、こうした閉塞状況を打開するためのどんな効果もありません。

安倍首相は日本の名目国内総生産を22%増やし600兆円にまで拡大すると宣言しましたが、具体的にどのような内容で、いつまでに達成できるのか一切明らかにはしておらず、概要すらつかめない発表に対しては当初より強い疑問が呈されています。
安倍首相が政権に返り咲いてからの2013年以降、名目国内総生産は継続的に増加していますが、これまでの実績は年率2.3%というものであり、22%という数字の根拠が問われています。

新しいGDP目標を掲げたことは日本の莫大な公的負債の改善に取り組むのではなく、飽くまで経済成長を追求する安倍政権の意思を強調することになりました。
日本の公的負債は現在GDPの246%もあります。

しかし安倍政権のこうした方針は、信用格付機関を納得させられるものではありませんでした。

女性賃金
その結果は日本の国債の信用格付けの引き下げとなって現れました。
9月16日、スタンダード&プアーズは日本の信用格付けをさらに引き下げたのです。
日本の国債は国内の機関投資家や一般投資家が保有し、さらには新規に発行される分はその大半を日銀が買い入れていると見られるため、格付けによる利率の大きな変動はありませんでした。

しかしこうした動きは、安倍政権の日本経済の回復策に対する疑問を一層大きくしています。

今回安倍首相が発表した『第二の矢』と『第三の矢』は、国内の有権者の受けを狙ったものであり、旧アベノミクスの中の構造改革について再度広告宣伝を行ったに過ぎず、人々の失望を買っただけでした。

安倍首相は高齢者のための介護態勢の充実に加え、日本人の出生率の低さを改善するために、これまで以上の財政的援助を約束しました。
現在1億2,700万人の日本の人口は、2060年までに8,700万人にまで減少すると予測されていますが、安倍首相は一億人以下にならないよう対策を取ると繰り返し約束しました。

しかし改革派の人々は今度の『新たな3本の矢』が、実際には約束していた根本的な構造改革を先送りするための方便に過ぎないものであることを懸念しています。
特にこれまで日本の中で政治的影響力を振るってきた農民、医師、薬剤師などの特権的な地位に踏み込むことはうやむやになりそうです。

アベノミクス01
かつて首相の顧問を務めたコロンビア大学の伊藤隆敏教授は、今やアベノミクスは大衆の人気取り政策に変質してしまう危険に陥り、当初掲げていた構造改革による日本経済の立て直しという野心などはどこかに吹き飛んでしまっていると懸念しています。

安倍首相は9月末、ニューヨークに集まった国際的な投資家の前でより大胆な発言を行いました。
コーポレートガバナンスで更なるステップアップを約束しましたが、じつはその多くはすでに達成済みのものです。
さらに野心的な自由貿易協定であり、域内の経済の自由化を目指すトランス太平洋パートナーシップ(TPP)の合意も間近に迫っていると胸を張って見せました。

しかし実際に求められる大胆な決断、そして縮小を続ける人口問題を解決するために実現可能な政策は、非常にきびしい日本の出入国管理政策を緩めることです。
人口動態を安定させると公約しているにもかかわらず、安倍首相はこの点まで踏み込むことには全く意欲を見せていません。

Syr20
9月末国連総会における演説で、安倍首相はシリア、イラク難民問題に関する資金援助を昨年実績の3倍にまで増やすと誓いましたが、難民の受け入れについてはただの一人も受け入れるとは口にしませんでした。

正しい的(まと)を設定し、そこに向かって正確に矢を射る能力が安倍首相にはあるのかどうか、その点に関する疑いは増々大きくなっています。

http://www.economist.com/news/asia/21668283-japans-new-three-little-arrows-shinzo-abe-tweaks-his-economic-programme-japan?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227

【 自衛隊の新たな役割 – それは日本の民主主義史上の汚点?効果的抑止策?】[ECO]

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安倍首相周辺による脅迫的国家主義は、敵対する人々を『反日(裏切り者)』と攻撃し、彼らが日本国内で孤立するように謀ってきた

エコノミスト 9月26日

安全保障関連法案成立
議会の中では怒気に満ちた論争が絶え間なく続き、国会議事堂の外ではこちらも怒りに満ちた抗議の声が盛り上がる中、9月19日日本の上院にあたる参議院は一連の安全保障関連法案を可決成立させました。
この法案は日本国憲法の中身について解釈の変更を行い、戦後続いてきた日本の平和主義路線を大きく転換させることが目的です。

投票の結果は148対90、安倍晋三の保守タカ派連立政権は法案成立を押し通しました。

この法案成立はふたつの場面で大きな転換点となりました。
ひとつは第二次世界大戦(太平洋戦争)中に日本が数々の非人道行為を行った中国との関係において、もう一つは安倍政権の支持率を急落させる結果をもたらしたという点において。

中国と国境接する近隣諸国とアメリカを核とした同盟関係にある、ただし韓国を除く各国政府はおおむね歓迎の意を表しました。

この法案の成立により大きく変わるのは、日本が直接攻撃を受けていなくとも、日本の自衛隊がアメリカその他の同盟国を掩護することが出来るようになることです。

安部自衛隊行進
2、3の弱小政党との話し合いにより、自衛隊を海外に派遣する際には国会の承認をえるという1項が加えられましたが、いずれにしても不測の事態が発生した場合には米軍が日本を防衛するための戦闘を行なわなければならないとする長年の日米安全保障条約の中身が、今後は一方通行ではなく双方向に掩護し合うという内容に変わりました。

これは今後自衛隊は国連平和維持活動においても、戦闘行動的な役割を担う可能性が高くなることを意味します。
興味深い最初の任務は南スーダンになりそうです。
当地では自衛隊は中国軍と協力して国連のPKO任務にあたる予定です。

新しい法律のもとでは、万が一にも中国軍兵士が攻撃にさらされた場合は自衛隊は直ちに援護のための戦闘を行なわなければなりません。

にもかかわらず、中国政府は安全保障関連法案を強引に成立させたことについて、安倍政権を厳しく非難しました。

参議院で安全保障関連法案が成立した数時間の後には、中国外務省は日本に対し『歴史から厳しい教訓を学び取る』ように『真剣な姿勢』で迫りました。
そして対立をあおるのではなく、『地域の平和と安定』にこそ貢献すべきだとコメントしました。

安保法案02
この法案が今年7月に衆議院を通過した際、中国の国営通信社である新華社は、安全保障関連法案は日本が軍国主義に復帰したことを象徴する『汚点』になったと表現しました。
論説委員の一人は武士の刀を比喩として用い、安倍首相が70年間続いた日本の平和主義を『バッサリ斬り倒してしまった』と表現しました。

安倍首相とその取り巻きによる脅迫的国家主義に対し、あからさまな怒りをぶつけることには慎重な態度をとってきました。
安倍首相周辺による脅迫的国家主義は、自分たちと敵対する主張をする日本人を『反日(裏切り者)』と攻撃し、彼らが日本国内で孤立するように謀ってきました。

安倍首相に対し、第二次世界大戦(太平洋戦争)中に日本が中国国内で行ったむごたらしい仕打ち、残虐行為について、中国国民は決して忘れることも許すことも無いという事を解らせることは正しいことです。

しかし中国自身は、その軍事的野心が日本を含む近隣諸国の不安をかきたてているという事にはかなり鈍感なようです。

中国の国防支出は実質で2009年までの5年間に2倍に増え、その後の5年間でさらに50%増加し、今年も経済が減速傾向にあるにもかかわらず10%以上増えています。

日中軍事支出比較
日本も国防予算を増額していますが、中国の規模とは比較になりません。(上の表)
今年日本は防衛予算を2%増額し4兆9,800億円(420億ドル)に達し、来年さらに2%増額されることになっています。

中国の軍事支出は昨年公式には1,320億ドル(約15兆6,500億円)と公表されましたが、スウェーデンの首都ストックホルムに本部があるシンクタンクのSIPRIは本当の数字が2,160億ドル(約25兆6,100億円)であると見積もっています。
アジア太平洋地域の他の諸国も引きずられるようにして、軍事支出を増額しています。
中国は近隣諸国と紛争が生じている領土問題については、強硬な姿勢を崩さず一方的な主張を繰り返しており、当事国として対応せざるを得ない状況にあります。

日米安全保障条約はしばしば日本では国内問題として争いの種になりますが、アメリカ軍との協働において自衛隊の対応範囲が広がることは、中国にとって明らかに好ましいことではありません。

特にアメリカ海軍と日本の海上自衛隊が今後は密に協力し合う可能性があり、そうなれば中国にとっては直接的な難題が出現することになります。

しかし中国政府は、新たに成立した安全保障関連法案に対して日本国民の反発が拡大していることに慰めを見出すことになりそうです。

SEALDs 5
法的問題に強い影響力を持つ日本弁護士会の村越進会長は今後、法廷闘争において安全保障関連法案の違法性を明らかにすると語りました。
村越会長は安全保障関連法案を国民の意思に反して強引に成立させた安倍政権のやり方は
「日本の立憲民主主義史上に『汚点』を残すものだ」と新華社通信と同じ表現を使って批判しました。

日本の軍事能力の拡大に対する中国政府の懸念にはかなりの裏がありそうですが、懸念を深めているという点に限っていえば、多くの日本国民もまた同じことのようです。

http://www.economist.com/news/asia/21667981-chinas-angry-reaction-japans-new-security-laws-echoed-home-abes-stain?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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この文章、中国の台頭する軍事的プレゼンスに対し日米が同盟関係を強めることは、国際政治学的に必然性はあるとする一方で、安倍政権のやり方は『脅迫的国家主義( the menacing nationalism of Mr Abe )』であると断じています。
国力が尽きかけていた機会をとらえて南ベトナムから西沙諸島の領有権を奪ったやり方、そしてチベット問題を見れば、領土問題に関して中国が善意の国家でないことは明らかです。
だからと言って私たち日本人はこれ以上、『脅迫的国家主義』の跋扈を許すわけにはいきません。
『脅迫的国家主義』こそは今回の安全保障関連法案に対し、国民がこれだけ怒りを爆発させた大きな要因の一つであり、民主主義とは絶対相容れないものだからです。

この記事の結びの部分については、普段【星の金貨プロジェクト】をご愛読いただいている方々には異論も多いとは思いますが、『脅迫的国家主義』という新たな表現が用いられたという点の重要性を考え、ご紹介します。
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【 10月9日の報道写真から 】

アメリカNBCニュース 10月8日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

難民20
10月9日、トルコからゴムボートでエーゲ海を横断し、無事ギリシャのレスボス島に上陸し、互いに無事を喜び合うカップル。
http://www.nbcnews.com/news/photo/today-pictures-october-9-n442041

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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