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【 核廃棄物処分場、そこで起きている現実 】〈後篇〉[フェアウィンズ]

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所要時間 約 8分

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核廃棄物の地下格納施設で事故が起きれば、危険過ぎて人間が入れなくなる危険性がある
核廃棄物の地下格納施設での事故は、全く手のつけようがない深刻な事態に陥る可能性を持っている
管理当局、規制当局の隠ぺいと過少申告が、本来なら不要な悲劇の連鎖を作りだす

フェアウィンズ・エネルギー・エデュケイション 2014年3月6日


当時鉱山内で働いていた職員の家族と内部告発者は、鉱山内のひとつの区画の天井が崩落したと主張しています。
崩落した天井が高レベル放射性廃棄物を格納していたキャニスターを直撃して破壊してしまい、閉じ込められていた放射性物質が鉱山内全体に拡散し、その一部が施設外にまで漏れ出してしまったものだと証言しました。

これに対し米国エネルギー省がこれまで発表したデータは想定されるうち最小の数値を、核工学の専門用語を多用して表現していますが、フェアウィンズはこの件に関し以下の見解を有しています。

1. 米国エネルギー省は独立した立場の専門家や科学者が、今回の事故による放射性物質の放出量、あるいは環境に与える影響を検証するために充分な資料を未だに公開していません。

2.労働者が内部被ばくし、現場から遠く離れた場所でも放射性物質を検出したという事実から、地下鉱山(実験施設)内が高濃度に汚染されてしまった可能性があります。

3. 数千から数万個のキャニスター(密封容器)が、地下鉱山内にありますが、このうち最低一個が破壊され、放射性物質の密閉保管が出来なくなっています。
この施設の内部関係者の証言通り、もし屋根が崩落し複数のキャニスターが損傷を受けているような状況であれば、半減期が25万年の極めて毒性の高いものも含め放射性核物質が施設内に散乱してしまっている可能性があります。

米国廃棄物処分場05
4. もしそうした状態であれば、地下坑内は広範囲にわたり汚染されてしまっている可能性があり、高い放射線量のため危険過ぎて人間が入り込めない状態になっている可能性があります。

5. 排気フィルタの機能は完璧ではなく、稼働しているとしても放射性物質の放出は続いていると考える必要があります。
米国エネルギー省はフィルタにより99.9%の放射性物質が取り除かれると主張しています。
しかし私はそれは真実ではないと考えています。
米国エネルギー省は数値の扱いについて、もっと科学的態度に終始すべきです。
99.9%の意味は、1,000分という時間があれば、フィルタは999分間はすべての放射性物質をブロックするものの、残る1分間はすべてを無条件で通過させてしまうという事です。
これを現実に充てはめてみましょう。

1日は1440分です。
WIPP(Waste Isolation Pilot Project)核廃棄物隔離保管実験プロジェクトは、約3週間に渡り放射性物質を放出していました。
1,000分ごとに1分間、フィルタはすべてを通過させていたと考えれば、WIPPは約30分間、すべての放射性物質を環境中に放出していたことになります。
周辺の市町村は事故が起きた最初の1分間、放射性物質の放出にさらされ、さらにその後3週間の間に、合計30分間の放射性物質の放出が加わったことになります。

米国廃棄物処分場06
6. 米国国立科学アカデミーはそのBEIRリポートにおいて、人間の行為によって作りだされた放射線に被曝した場合、何も問題が起きる可能性が無いレベルというものは存在しないとしています。

そして私たちには、さらに次の4つの大きな懸念があります。

7. まずこの事故はどれほど深刻なものなのでしょうか?
そして放射能汚染はどこまで拡散したのでしょうか?
WIPPは記者会見を開き、半径160キロ圏内の住民について、申し出があれば誰でも被ばくの検査を受けられるようにすると発表しました。
もし健康被害を確認したら、どう対応するつもりなのでしょうか?

8.2番目の懸念は被ばくしてしまった職員への対応です。
米国エネルギー省は当初被ばくした職員はいないとする態度を取ったため、職員に日常と変わらない生活を許す結果になりました。
本来であれば、着ていた服や靴、その時身に着けていたものすべてを処分し、本人も除染措置を受けるべきでした。
今や家庭内や家族に放射性物質が付着してしまった可能性があります。
家族はもちろん、乗っていた自家用車、家屋、着などについてはすべて検査をし、必要があれば除染の措置を行うべきです。
彼らは被ばくした状態で帰途食料品店に立ち寄ったり、コーヒーショップで友人と会ったりはしなかったでしょうか?

米国廃棄物処分場07
彼らは出勤してから自宅に戻るまで、同じ服を着ていた可能性があります。
私は話を大げさにするつもりでこういう事を言っているのではありません。
原子力発電所や各施設の労働者、病院関係者、被ばく患者が放射性物質を身に着けたまま自宅に戻り、結果被ばくが拡大してしまった例は、世界中で記録として残されている事実なのです。

9. 第3は、日中に屋根が崩落したことが事実だとすれば、近くに人間はいなかったのかという事です。
間近でキャニスターが破壊され中身が露呈すれば、近くに居合わせた人間は高濃度の放射線被ばくをしてしまうことになり、そうなった場合には医学的治療が非常に困難になります。
これまで犠牲者の報告が無いのは、単に運が良かったからだと言わざるを得ません。

10. 周辺の市町村や環境問題に取り組んでいる人々は、この施設を作るために大規模な掘削を行っていることについて懸念を抱いてきました。
工法に水圧破砕技術が用いられていますが、これによる地下水脈の破壊が起きる可能性があります。
今回の内部崩落事故と周辺で今も続けられている水圧破砕工事に関連性は無いのでしょうか。

フェアウィンズはアメリカ政府当局に正しい対応を促すため、これからも質問をぶつけ続けるつもりです。

〈 完 〉

http://www.fairewinds.org/whats-leaking-nuclear-waste-isolation-pilot-program/
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【 日本の核廃棄物処分場建設、強まる懸念 】
日本には高放射性核廃棄物を、安全に埋蔵処分できる場所など無い

ハリー・フォーセット / アルジャジーラ 3月21日

核廃棄物の地下処分場の建設場所を決定する日本政府の計画が、長期の安全に対する懸念を引き起こしています。

日本政府は現在、国内にある原子力発電所を再び稼働させるため、福島第一原子力発電所の事故後に策定された安全基準に適合しているかどうかの審査を続けています。
しかし福島第一原発の事故は一方で、原子力発電によって生み出される高放射性核廃棄物を、長期にわたって安全に保管しなければならない問題の存在を浮かび上がらせました。

日本政府はどうにかして核廃棄物の地下処分場の建設予定地を見つけ出そうとしています。
しかし原子力発電の継続に反対する人々は、日本には高放射性核廃棄物を安全に埋蔵処分できる場所など無いと語っています。

http://www.aljazeera.com/video/asia-pacific/2014/03/japan-nuclear-waste-disposal-raises-fears-201432145945421435.html

【 核廃棄物処分場、そこで起きている現実 】〈前篇〉[フェアウィンズ]

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所要時間 約 9分

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アメリカの実験施設で起きている、『完全隔離の不可能』を証明する事故
周辺の環境に全く影響を及ぼすことなく核廃棄物を保管している施設など、世界中どこを探しても無い
高レベル放射性廃棄物を10年間保管し続けても、最終処分方法は未だに見いだせない

フェアウィンズ・エネルギー・エデュケイション 2014年3月6日


ニューメキシコ州カールズバッド近くにあるアメリカ・エネルギー省(DOE)の核廃棄物集積場は、処理実験の機能も併せ持ち、アメリカ国内の廃棄された核兵器から回収された放射性物質、プルトニウム、アメリシウムが保管しています。

2014年2月14日、この施設で放射性物質の保管上の事故が発生しましたが、アメリカ・エネルギー省(DOE)は正確な事実を公表しませんでした。
今回の映像でアーニー・ガンダーセンが指摘するのは、フェアウィンズ・エネルギー・エデュケイションが主な懸念としている施設自体の危険性、発生した事故、そしてアメリカ・エネルギー省(DOE)がその事実を隠ぺいしているという問題です。

私はフェアウィンズのアーニー・ガンダーセンです。
いつもと多少違うのは、今回私は施設の検証を行った専門家の証言を直接この耳で確かめるため、オフィスの外にいることです。

福島第一原子力発電所の3基の原子炉が継続的に放射性物質を環境中に放出している問題とは別に、今回はニューメキシコ州におけるアメリカの核廃棄物処理計画が、実際にはそこで働く作業員を被ばくさせ、さらにはここでもやはり放射性物質を環境中に放出させた事実について検証したいと思います。

ニューメキシコ州カールズバッドの近くにある、米国エネルギー省(DOE)の実験的な核廃棄物保管・処理施設は、廃棄された核兵器から回収した放射性物質、プルトニウムとアメリシウムを長期に渡り『安全に』保管することを目的としています。

原発などだ出す『核のゴミ』、すなわち核廃棄物の問題に多少なりとも詳しい人なら、アメリシウムが数百年、そしてプルトニウムが250,000年という半減期を持ち、その間人間にとって、そして地球環境にとって極めて危険な存在であり続けるという事をご存じのはずです。

フェアウィンズ・エネルギー・エデュケイションには、この深刻な核=原子力の事故についての問い合わせが多数寄せされています。

米国廃棄物処分場03
私たちはフェアウィンズのツイッターフィード、フェイスブック・ページ、そして記者会見等においてこの問題に関する情報が常に最新のものになるように、更新を繰り返してきました。

コモン・ドリームス( https://www.commondreams.org/ )のサイトでも、この深刻な事態に関し私に対する4回のインタビューの完全記録を掲載しています。このページへのリンクは映像の最後やフェイスブック、ツイッターでもお知らせしています。

それでは本題に入りましょう。
頭文字をとってWIPP(Waste Isolation Pilot Project)核廃棄物隔離保管実験プロジェクトとは何なのでしょう?

原子力発電も核兵器開発も、それが使用された後には非常に毒性の高い核廃棄物を作りだすことになります。
それらは皆非常に長い時間、実に100万年の4分の1という長い期間、いっさい環境中に放出されないように隔離して保管を続けなければなりません。
極めて高い毒性を持っているため、私たちが呼吸をする空気、そして私たちが口にする飲料水や食料に絶対に入り込むことが無いよう、万全の処置をして気の遠くなるほど長い期間隔離・保管を続けなければならないのです。

米国廃棄物処分場01
WIPP(核廃棄物隔離保管実験プロジェクト)を運営する核兵器産業界と原子力産業界は、これらの核廃棄物は水を通さない岩塩鉱内に保管されるため、水に溶けだして他の場所に移動する懸念は無く、人間が暮らす環境中で問題を引き起こすことは無いと主張しています。

しかしこうした施設が存在する場所の州議会、市議会、司法関係者、地主、農場主などは、周辺の環境に全く影響を及ぼすことなく核廃棄物を保管している施設など、世界中どこを探しても無いと懸念を募らせています。

ニューメキシコ州カールズバッド核廃棄物隔離保管実験プロジェクトは、地下800メートルの岩塩鉱の中にあります。
米国エネルギー省(DOE)はこの施設と取り組みを『実験的』と表現していますが、それは廃棄された核兵器から回収された高レベル放射性廃棄物を10年の間引き取り続けていながら、その最終処分方法が未だに見いだせていない事を象徴するものです。

この鉱山は一般的な鉱山施設同様、その頂点となる地表部分に穴を開け、そこに複数の巨大なファンを取り付け、鉱内の淀んだ空気の排気を行い、新鮮な空気を取り込む仕組みを持っています。

米国廃棄物処分場02
そして3月14日夕刻、この鉱内の奥深い場所で、何か危険な出来事が発生しました。
米国エネルギー省はそれを単に『ある出来事』と表現しています。
しかしそれは実は核廃棄物の保管上の事故、すなわち放射性物質の放出、あるいは流出を婉曲に表現する言葉に過ぎません。

フェアウィンズはこの問題について、2月17日以降コモン・ドリームスのサイトに最新情報を提供し続けてきました。

これまで私たちが知り得たことを整理してみましょう。
いつものアメリカ政府機関の例にもれず、米国エネルギー省はこの件に関しては充分な情報提供を行っておらず、したがって私たちはWIPP(核廃棄物隔離保管実験プロジェクト)で核廃棄物の保管に関し何か事故が起きた以上の事を知ることが出来ません。
以下はこれまでに米国エネルギー省に明らかにした内容です。

1.2月14日夜、WIPPの換気システムに取り付けられた放射線検出器が、岩塩鉱から排出されている排気から放射線を検出。

2. 検出された放射性物質の中には、微量であっても人体に入れば危険なプルトニウム、アメリシウムの2種類の放射性物質が含まれていました。

3. 当初米国エネルギー省は、放射性物質が放出されたタイミングで、鉱山内に人はおらず、夜勤の職員が離れた場所の別の建物内にいただけであり、放射線被ばくをした職員は皆無であると公表していました。

米国廃棄物処分場04
4. 米国エネルギー省はさらに、放射線が検出されて1分以内に放射性物質フィルター装置が稼働し、直ちに坑外に放出される空気から放射性物質を取り除く動作を始めたため、高レベル放射性核廃棄物を保管している岩塩鉱内からの排気を濾過し始めました。

5. しかし実際に調査を行った結果、施設の半径2.4キロの範囲が放射性物質によって汚染され、それ以上離れた場所の周辺市町村でも放射線が検出されたのです。

6. そして核廃棄物の保管トラブルによる放射性物質の放出事故発生から2週間後の2月27日、米国エネルギー省は当時現場にいた13人の労働者が被ばくしていた事実を明らかにしました。
彼らは内部被ばくの有無を確認するための尿検査を行い、陽性の結果が出たのです。

7. この事実が明らかにされたさらにその後で、米国エネルギー省は2月15日時点で現場にいたすべての職員について、内部被ばくが無いかどうかの検査を行うと発表しました。
この施設では650人以上の職員が昼間勤務シフトに就いています。

8. 最終的に米国エネルギー省はこの深刻な放射能漏れ事故以降、核廃棄物が保管されている岩塩鉱内への職員の立ち入りを一切禁止していると語りました。

しかし、本当はいったい何が起きていたのでしょうか?

〈 後篇につづく 〉

http://www.fairewinds.org/whats-leaking-nuclear-waste-isolation-pilot-program/
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高レベル放射性廃棄物というものが、地下深く穴を掘って埋めてしまえばそれで終わるような問題ではないという事を改めてお伝えしたくて、この記事を翻訳しました。

【 あの時、福島第一原発で本当に起きていたこと… 】[ニューヨークタイムズ]

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所要時間 約 8分

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福島第一原発の事故の真実を隠ぺいしたまま、原子炉の再稼働を推進する安倍政権
全職員の10分の1以下の68名ではなく、720名全員で事故収束作業に取り組むつもりだった吉田所長
吉田所長が大半の職員の『施設外避難』を把握した時点で、すべては手遅れになっていた

マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 5月20日

廃墟の現場
3年前、福島第一原子力発電所の事故が最も深刻な事態に陥っていたそのタイミングで、東京電力の職員は持ち場に残り何とか原子炉の制御が可能になるよう努力を続けるよう命じられましたが、パニックに陥ってしまった多数の職員が持ち場を捨てて避難してしまったことが明らかになりました。
日本を代表する新聞社が5月20日、この事実を明らかにしました。

朝日新聞はこの出来事について、2011年3月福島第一原発の事故発生以降、日本政府の調査チームによって行われた一連の聞き取り調査により、当時所長を務めていた吉田正夫氏の記述によるものであるとしています。

朝日新聞社は400ページに上る聴き取り調査の筆記録のコピーを手に入れたことを明らかにしましたが、この記録はこれまで政府内の報告書に一部が記載されることはあっても、一般にすべてが公開されることはありませんでした。

現在このコピーは当時所長を務めていた吉田氏であればこそ残すことが出来た、事故の事実を伝える唯一の証拠です。
その吉田氏はガンが原因で、昨年58歳で亡くなりました。

吉田所長は原子炉が過熱して破滅的事態が眼前にあった当時、原子炉が再び使えなくなることを恐れた東京電力の本社の制止命令を振り切り、独断で原子炉に海水を注ぎ込み、事故のそれ以上の拡大を防いだ数少ない本当のヒーローとして広く知られていました。

FR24 破壊された福島第一原発
3月11日に巨大地震と津波が重要な冷却装置を完全に使えなくしてしまってから4日後の15日、福島第一原発はまさに壊滅間際の様相を呈し、職員全体が恐慌状態に陥っていた事実をこの報告書は伝えています。
調査に対し吉田所長は、結局中間管理職を含む650人の職員が福島第二原発に避難してしまったことを明らかにしました。
原子炉建屋が爆発した原子炉ではまさに炉心のメルトダウンが始まろうとしていた段階で、現場に残されたのは吉田所長と68名の職員だけであったのです。
この原子炉は福島第一原発の事故において、最終的にメルトダウンを起こしたことが確認された3基の原子炉のうちの1基でした。

この記述がもし本当であれば、東京電力はこの日、必要最低限の人員を除き職員の大部分を『あらかじめ』あるいは『計画的に』避難させる措置を採り、残された強い使命感を持った職員が命を危険にさらしながら事態が最悪の局面に陥るのを防いだという、事故対応の全体像が違ってくることになります。

そして北日本の広域を放射性物質で汚染してしまった福島第一原子力発電所の事故について、発生後3年が過ぎた現在ですらなお、日本政府と東京電力は事故の全容を明らかにしていないことが明らかとなった事で、新たな批判が寄せられることになるでしょう。
朝日新聞は記事中で、福島第一原発の事故後停止していた国内の原子力発電所の再稼働を推進しようとしている一方、福島第一原発の事故の記録全てを公開しようとはしていない日本政府を非難しました。

定例記者会見の席上、日本政府のスポークスマンを務める菅義偉官房長官は、朝日新聞の記事の正確さに疑問を呈することはしませんでした。
菅官房長官は吉田所長を始め事故現場に居合わせた人々に行ったインタビューの筆記録は、公的に記録を残すために行ったのではないため公開しなかったと語りましたが、なぜそのような対応を採ったのかについては説明しませんでした。

白煙を上げる現場
東京電力の広報担当の清水氏は、朝日新聞の記事にはある重要な側面に関する記述が欠落していると語りました。
すなわち、吉田所長は職員に対し漠然とした表現で「放射線量の低い」場所まで下がるように指示を出しており、その場所には10キロ離れた福島第2原子力発電所も含まれると語りました。
清水氏は東京電力はこのような理由から、当時の職員の行動について規律違反とは考えていないと付け加えました。

朝日新聞側はこの記録は、2011年7月から11月にかけて調査委員会が行った29時間以上にわたるインタビューに基づき、吉田所長の発言を一語一語の性格に記録したものであると伝えました。
この筆記録はその大分部分が未だに公開されていない他の771人の聞き取り調査記録とともに、首相のオフィス内に保管されていると朝日新聞は伝えています。

この筆記録の中で吉田所長は3月15日早朝に起きた爆発について、当初2号機の原子炉格納容器が破裂してしまったのではないかと、その事を何よりも恐れたと語っています。
もしそうなっていれば、莫大な量の放射性物質が環境中に放出されていたはずでした。
しかし発電所内に設置されていた放射線量の測定装置では計測値の著しい上昇は無く、その事によって格納容器が無事であることを確信できたと語っています。
しかし午前6時42分、吉田所長は放射線量の測定値について確信が持てるようになるまで、発電所内で最も放射線量の低い場所で待機するよう職員に対し指示を出しました。
吉田所長は聴き取り調査の中で、事故収束のための作業に出来るだけ早く着手できるように、720人の職員をできるだけ手元に置いておきたかったと語っています。

CNN05
「指示があればすぐ持ち場に戻れるよう、職員は福島第一原発の敷地内に留まってください。」
吉田所長は発電所内の会議システムの装置を使い、職員にこう呼びかけたことを憶えていました。

しかし職員がとった行動はその指示とは異なるものでした。
記録によれば、ある者は東京電力のバスを挑発し、ある者は自家用車に乗り、多くの職員が福島第2原子力発電所に避難してしまったのでした。
吉田所長によれば、一部の人間は午後になって福島第一原発の敷地内に戻ったものの、一時は職員の90%が敷地外に避難してしまったのです。

朝日新聞は吉田所長が調査に答えて、管理職ですらあまりに多くの人間が避難してしまったことに驚き、福島第2原発に連絡を取ってそこにいた職員に対し直ちに持ち場に戻るように命じました。

「事実として、私は第2原発まで避難するように指示はしていません。」
吉田所長の発言はこのように記録されています。

「職員の大半が第2原発まで避難したことを私が告げられた時点で、すべてはもう手遅れになってしまっていました。」

【 日本の裁判所、2基の原子炉の再稼働を禁ずる判決 】

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所要時間 約 7分

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「核廃棄物 - 幾世代にもわたる後の人々に対する我々世代の責任という、道義的にはこれ以上ない重い問題」
「原発の運転停止が多額の貿易赤字を生んでも、それを国富の流出や喪失というべきではない。豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」
「基準地震動である700ガルを下回る地震によって外部電源が断たれ、かつ主給水ポンプが破損し主給水が断たれるおそれがある」

AP通信 / ワシントンポスト 5月21日

福井地裁判決
日本の地方裁判所が21日水曜日、日本にある2基の原子炉の稼働を禁止する判決を下しました。
判決文で裁判所は大飯原発が持つ危険性に対する関西電力の見通しがあまりに楽観的であり、その安全対策には福島第一原子力発電所の事故の教訓が充分に生かされていないと指摘しました。

現在日本国内のすべての原子炉は停止し、複数の原子炉が再稼働の許可を受けるため新しい基準に基づく安全審査を受けています。
日本の中でも原子力発電所が集中する福井県の地方裁判所による判決は、福島第一原発の事故後初めて下された司法判断です。
今回の判決について原告とその支援を行っている人々は、地方自治体による稼働の認可を撤回させられる可能性が出てきたと語りました。

2011年に発生した福島第一原発の事故は、その周辺地域を放射性物質で汚染し、100,000人以上の住民に避難生活を余儀なくさせましたが、以来日本国民の間では電力会社と日本の原子力行政に対する不信が決定的なものとなり、原子力発電に対する反対感情も強まることになりました。

福島第一原発の事故発生以来、日本国内にある50基の稼働可能な原子炉は点検と安全確認のため停止を続けていましたが、大飯原発の3号機、4号機のみが夏場の電力不足に備えるためとして、2012から2013年にかけ、一時再稼働しました。
現在、国内の50基の原子炉のうち、18基が再稼働の認可を得るため新安全基準に基づく審査を申請中です。

大飯原発の周辺で生活する約200人の住民が、2012年11月関西電力を告訴、そして今回福井地方裁判所が2基の原子炉の再稼働を禁じる命令を下したのです。
関西電力は判決が下された当日、判決を不服として控訴する方針を明らかにしました。

Prorest 02
技術的に安全が確保されていることが新しい安全基準の下で確認されれば、この訴訟が係争中である限り大飯原発の2基の原子炉を稼働させることは可能です。

裁判長の樋口英明裁判官は関西電力が想定している地震の規模についてあまりに楽観的であるとし、緊急時の安全確保手段と安全確保の鍵となる冷却装置のバックアップ電源の確保について不充分であるとの指摘を行いました。

福島第一原子力発電所の事故では、2011年3月11日に襲った巨大地震と巨大津波が安全確保の要である原子炉冷却システムの外部電源装置と緊急電源装置の両方を破壊してしまったために、3基の原子炉でメルトダウンが起きました。

原告団を代表する一人、海渡雄一弁護士は記者会見で、今回の『分別ある』判決が日本の原子力発電の段階的廃止に貢献することを願っていると語りました。

日本のNHKは全国で約30件の原子力発電所と電力会社に対する訴訟が現在係争中であると伝えました。

日本の原子力規制委員会の田中俊一委員長は、今回の判決が現在行われている原子力発電所の安全審査に影響を及ぼすことは無いと語りました。
「我々は原子炉が安全基準を満たしているかどうか、科学的、技術的に審査を行い、その合否の判断を行うだけです。その後の決定を行うのは私たちではありません。」

原子力規制委員会01
田中委員長のこの発言は、原子炉の再稼働を決定するのは日本政府であるという事を意味しています。

日本政府の菅官房長官は、安全基準をクリアした原子炉を順次再稼働させていくという方針に変更は無いと語りました。

「我々が世界で最も厳しいと考える安全基準をクリアしているという客観的な判断をくだされたのであれば、原子炉を再稼働させる事に問題は無いと私自身は考えています。」

福島第一原発では東京電力が汚染が少ない場所で汲み上げた地下水を太平洋に放出する作業を開始しました。
約560トンの地下水は特段の処理を行わなくとも、海洋中への放出が可能であるとしています。
一方、高濃度の汚染水は引き続き発電所内に保管を続けていますが、貯蔵の限界が目前に迫ってきました。

この問題の鍵となるのは、これ以上高濃度汚染水が作られないようにするため、地下水のバイパス・システムの構築です。

原子力の専門家と政府当局者は、汚染水の貯蔵スペースのこれ以上の確保は不可能であり、今回放出された地下水よりも放射性物質の含有量の高い汚染水も、最終的には海洋放出を行わざるを得なくなると見ています。
しかしこれには地元民を始め、強力な反対があります。

汚染水タンク
発電所内に流れ込む以前の地下水をくみ上げ、一時的にタンクに貯蔵する作業は現在も続いていますが、東京電力の広報室は次回の海洋への放出のタイミングは未定であるとしています。

汚染水の問題について、もし地下水のバイパス・システムが想定通り機能すれば、現在毎日400トンずつ流れ込んでいる地下水を、最大で4分の1減少させることが可能になります。

http://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/japan-nuke-plant-releases-tested-ground-water/2014/05/21/e5f7a674-e0be-11e3-9442-54189bf1a809_story.html
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この判決文は以下のURLで閲覧が可能です。
http://www.labornetjp.org/news/2014/1400765883365zad25714
この判決文にすべてが語り尽くされていると言っても良いと思います。
裁判所の判決文など普段接する機会はありませんが、この判決分はぜひお読みください。

【 路上の抗議が原発の稼働を止めた!】

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所要時間 約 6分

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原子力発電所の稼働・建設を撤回した台湾政府
ハンガーストライキ、路上の一般の人々の声が、台湾の原子力政策を転換させた

エコノミスト 2014年5月3日

台湾02
4月半ばを過ぎたころ、ひとりの男性がかつて自宅があった敷地に建てられた台北市内の教会を立ち退くことを拒否しました。
来客を拒否し、一切食べ物を口にせず、林義雄氏は34年前に母親と双子の娘が(おそらくは当時の国民党政府に雇われたならず者に)惨殺された場所を頑として動こうとはしませんでした。

当時の国民党政権は、恐怖政治に近い独裁体制をもって台湾を支配していました。
そうした状況下、林氏は民主主義のために戦う闘志として、徐々にその世評を高めていきました。

72歳になった現在、林氏は未だに民主主義のため闘志であり続けています。
彼は徹夜のハンガーストライキを始めるに当たり、現在の国民党(かつての独裁体制から組織改革を行い、現在は選挙によって選ばれた)政権が、原子力発電を台湾の重要かつ不可欠な発電手段であるとする政策を転換するよう求め、必要なら餓死することも厭わないと語りました。

結局は『殉教者』の出現を望まない国民党政府側が妥協する形で、4月30日、林氏はハンガーストライキを終わらせました。

いまや台湾の原子力政策はぼろぼろです。

台湾03
発電手段としての原子力発電の放棄は、野党民主進歩党(民進党 - 林氏はかつての党主席でした)にとって、長い間の党の政策でした。

この政策に対する支持は、2011年3月の福島第一原子力発電所の事故により台湾全土で拡大しました。
そして林氏のハンガーストライキがきっかけとなり、再び火がついたのです。

台湾には、老朽化した3つの原子力発電所があります。
今回のハンガーストライキは、台北からそう遠くない新北市に建設中の第4(龍門)原子力発電所に反対するため行われました。
同発電所は台湾の電力需要の約9%の電力を供給することになっていました。

国民党政権が進める原子力政策に国民の支持を取り付けるため、馬英九総統は台湾では珍しい野党民進党の蘇貞昌主席とのテレビ討論を行いました。
席上馬総統は、経済的に台湾の将来は原子力発電を必要とすると主張しました。
それにもかかわらず4月27日、原子力発電の継続に反対する路上での抗議活動に参加した人はほぼ30,000人に達しました。

抗議者の数の多さに急きょ馬総統は彼の顧問を招集し、対策を協議しました。
顧問のひとりは、馬総統の主張は100%正しいものだったと語りました。
「しかし困ったことに…」
馬総統は言いました。
「誰も私の話など聞いていませんでした。」

台湾04
彼は林義雄氏を餓死させるようなことをすれば、国民党の地位に影響が出る上、路上での抗議活動が過激化する恐れがあり、そのリスクを踏むよりは方針をいったん撤回する方が得策だと主張しました。

そして江宜樺首相が抗議者であふれかえる台北市内の路上に現れ、方針の撤回を表明したのです。

第4(龍門)原子力発電所において第1期工事で建造された2基の原子炉は、安全点検が行われた後、そのまましまい込まれることになります。
第2期工事は完全に中止されることになりました。
そして第4(龍門)原子力発電所を稼働させる場合には、国民投票によってその是非を決定することになったのです。

世界が驚く方針転換が現実のものになったのです。

台湾の路上の抗議行動はその時々の民意を象徴するだけでなく、国政の決定の場にも直接的な影響を与えることになったのです。

台湾の反原発運動は、中国との貿易協定締結に抗議する学生たちによる台湾立法院を占拠に続く大規模な抗議行動でした。この時も馬総統は妥協せざるを得ない立場に追い込まれました。

人びとの抗議行動が政治の決定の場において、決定的役割を果たしたことに始め民進党は驚かざるを得ませんでした。
しかし党の一部のメンバーは、将来の党勢拡大のため市民運動との提携を進めることにより、世代交代を実現しようと考えています。
しかしそのやり方は民進党にとってリスクがあります。

第三世界05
2016年の大統領選挙で、民進党候補として有力視されている蔡英文氏は、路上での抗議活動の目的に共鳴はしていますが、次のように語りました。
「路上での抗議活動に基礎をおいて、国政の運営はできません。国政の運営は飽くまで政治の場で行うべきです。」

問題は台湾の国政運営の中心がどこに行くかという事です。

路上での抗議活動が活発化する背景には、国民全体の間に広がる台湾の政治機構の脆弱さに対する幻滅があります。
そして今回の原発政策の転換により、台湾政治の脆弱性がさらに増すことになりました。
馬総統にはまだ2年の任期が残されていますが、すでに死に体です。
台湾の将来は、今後増々路上で決まる可能性が出てきました。

http://www.economist.com/news/asia/21601553-president-bows-street-protests-against-nuclear-power-when-wind-blows

【 巨額の税金をつぎ込む凍土壁対策、ほんとうに根本的解決策となり得るのか?! 】

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地下凍土壁の建設プラン、期待通りの効果を発揮できるかどうか確信が得られない
懸念される地下凍土壁の建設による、事故現場『想定外の』事態が新たに発生する可能性
政治的意図に引きずられる事無く、福島第一原発の現場はほんとうに必要な判断を下せるか?

AP通信 5月8日

汚染水排水設備01
原子力の専門家が5月2日、東京電力が福島第一原発の事故現場で行おうとしている凍土壁建設による汚染水の流入防止策について、高額に昇る費用をかけただけの効果が得られない可能性について言及し、計画の実施が遅れる可能性が出てきました。

専門家と日本の原子力規制当局の職員は東京で会合を開き、2011年3月11日に襲った巨大地震と巨大津波がきっかけとなって福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンを引き起こした事故で、今日深刻になっている放射能汚染水の問題を根本的に解決する方法として、地下に凍土壁を建設するプランが所定の効果を発揮できるかどうか確信が得られないと語りました。

凍土壁は320億円の巨額の政府資金を投入し、メルトダウンした3基を含む原子炉1~4号機の原子炉建屋と付属するタービン建屋がある敷地の地下を凍結させ、地下水が流れ込んで溶け落ちた炉心から漏れ出している非常に高い濃度の汚染水と混じり合い、大量の汚染水が作りだされている現状を解消するために建設されるものです。

03 Spiegel
この問題を所管する日本政府の担当者は、東京電力が行った福島第一原発での凍土壁建設実験は成功しており、政府としては6月にも凍土壁の建設が開始されることを希望すると語りました。
しかし専門家が懸念を表明したことで、凍土壁の建設は遅れる可能性があります。

原子力規制委員会の委員を務める更田豊志(ふけたとよし)氏は、この場所において凍土壁を建設した場合の水文学的影響は不明であると語りました。

「私たちは凍土壁が期待通りの効果を発揮できるかどうか、事前に明快な見通しを持つ必要があります。もっと大切なことは、凍土壁を建設することにより予想外の障害が発生しないかどうか、見定めておく必要があるという事です。」
更田氏がこう語りました。

海外の専門家も同様の懸念を抱いています。
かつてのアメリカ原子力規制委員会の委員長であり、現在東京電力の外部監視委員会の委員長を務めるデール・クライン氏は、それだけ高額の費用を投入する価値のある最良の選択であるかどうか、確信が持てないと語りました。

01 Spiegel
彼もまた、東京電力と日本政府は凍土壁建設プランを実施した場合の効果と副作用について厳密な検証を行うべきであり、予算を投ずべき課題が他に無いかどうか再検討すべきであると語っています。
「決定を下す場合には、関連する最新の科学的所見を総合した上でなければなりません。さらには科学だけに偏るのでもなく、政策的意図に引きずられる事も無く、公平な判断をしなければなりません。」
クライン氏は5月1日、東京でのインタビューにおいてこのように語りました。
「結局は凍土壁の建設が最良の選択である可能性は否定しません。しかし私自身は確信を持てずにいます。」

専門家は、凍土壁は過去に実施されたことがある技術ではあるものの、今回福島で計画されているような規模で、しかも長期間継続できるものなのかどうか、そのような前例はないと語りました。

東京電力は現在、作りだされる汚染水の総量を減らす対策として、地下水が原子炉付近に流れ込む前にポンプでくみ出し、そのまま海に放出するバイパス対策のための配管工事を行っています。

東京電力はさらに、原子炉建屋の周囲に新たな地下水排水網設備の建造を行っていますが、専門家の中には凍土壁に代わる対策として、充分に機能する可能性があると語っています。

福島は2011年3月のメルトダウンから3年以上が過ぎた今も、大量の汚染水問題を解決できずに苦しみ続けています。

汚染水タンク02
そして貯蔵タンクからの汚染水漏れ事故が繰り返され、その都度これから数十年かかると予想されている事故収束・廃炉作業が遅れる結果につながっています。
そしてこれ以上の環境破壊を望まない地元の漁業関係者の懸念を、一層かきたてているのです。

http://bigstory.ap.org/article/experts-question-ice-wall-japan-nuclear-plant

【 地下水の太平洋への放水を開始 – 福島第一原子力発電所 】

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事故発生から3年余、『著しい事態の進展』を歓迎する東京電力
1,000基を超えるタンク内の、きわめて高い濃度の放射性物質を含む大量の汚染水の問題は手つかずのまま
日本の地方裁判所、大飯原発の再稼働に差し止め判決

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 5月21日

福島第一空撮01
増え続ける汚染水対策の一環として東京電力は、破壊された福島第一原発の敷地内に流れ込む地下水を事前に組み上げ、太平洋への放水する処置を開始しました。

東京電力は、メルトダウンした原子炉の上流に位置する12か所の井戸からポンプで汲み出した560トンの地下水を太平洋に放出したことを明らかにしました。
地下水は一時的に敷地内の貯水タンクに保管して放射性物質濃度の検査を行い、安全性を確認した上で放出を行ったと東京電力はつけ加えました。

敷地内に保管されている放射能汚染水が日々増え続けている状況は、福島第一原発の事故収束・廃炉作業にあたる担当者にとって最大の緊急課題のひとつであり、事故発生から2年が過ぎた段階では日本の環境庁は、毎日約300トンの汚染水が敷地内から太平洋に漏れ続けていることを明らかにしました。

敷地の西側にある丘陵地帯から福島第一原発の敷地内に地下水が流れ込み、メルトダウンした核燃料の冷却に使われた汚染水と混じり合うことにより、大量の汚染水が発生してしまいます。
東京電力側はこの問題を解決しない限り、メルトダウンした原子炉の廃炉作業に着手することは不可能であることを認めています。

01 Spiegel
放出される地下水は敷地内に流れ込む以前に流路を変更し、福島第一原発を迂回する形で太平洋に放出されます。
この対策により、敷地内に流れ込む地下水が一日あたり100トン減少するとされています。
現在敷地内に流入する地下水の総量の4分の1にあたり、限界が目前に迫っている汚染水貯蔵タンクの確保に多少のゆとりが生まれることになります。

しかし2011年3月に巨大地震と巨大津波に襲われてメルトダウンしてしまった原子炉から流れ出し、地下にまで到達した核燃料を冷却するため毎日現場に送り込まれ、きわめて高い濃度の放射性物質を含む大量の汚染水の問題は手つかずのままです。
これらの汚染水は福島第一原発の敷地内に建造された1,000基以上のタンクに貯蔵されており、どうすればこの汚染水を安全に処分することが出来るか議論が続いています。

この問題は汚染水から放射性物質を取り除くはずの浄化システムが頻繁に技術的な不具合を繰り返したため、解決が一層困難になってしまいました。
さらに東京電力と日本政府は地下水の流入量をさらに減少させるため、凍土壁を建造する計画を進めています。
しかしこの技術がこれ程の規模で実施されたことは無く、その効果を疑う専門家もいます。
奏している間にも増え続ける汚染水を格納するため、東京電力は貯蔵タンクの建造に追われる毎日を送っています。

汚染水タンク
東京電力の特別顧問を務める元米国原子力規制委員会の委員長のデール・クライン氏は最近、東京電力に対し大衆的には汚染水の海洋投棄しか選択肢は無いかもしれないとの警告を行いました。
東京電力は放出される地下水が世界保健機構(WHO)が定める飲料水に関する放射性物質の基準値を下回っていることを地元の漁業関係者に説明し、その了承を得た上で今回初めてとなる地下水の放出を行いました。

東京電力はこの処置を『画期的な事態の進展』と表現し、次のようにつけ加えました。
「放出される水については、独立した第3者機関により、日本の安全基準よりも厳しい数値内に収まっているかどうか監視を続けることになっています。」

この発表は日本の新聞が2011年3月に福島第一原発で原子炉建屋が爆発した際、職員の大半がパニックに陥り、残留命令を無視して逃げ出してしまった事実を暴露した後に行われました。
事故発生当時、残った少数の職員が駆けつけた消防士と自衛隊員とともに現場に留まり、24時間交代で核燃料の冷却作業を続けました。
その英雄的行動に対し、彼らには後に世界的に有名になった『フクシマの50人』の尊称が贈られることになりました。

今週朝日新聞は当時福島第一原発の所長を務めていた吉田正夫氏の証言記録を明らかにし、3月15日に原子炉建屋が爆発した際、当時発電所内で勤務していた720名の職員のうち650名が、制止を振り切って約10キロ離れた場所にある福島第二原発まで避難してしまった事実を伝えました。
吉田所長は昨年7月、ガンで亡くなりました。

福島第一原発で事故収束・廃炉作業が行われている一方、21日水曜日、裁判所が西日本の原子力発電所の安全確保が不十分であるとし、再稼働を行わないよう電力会社に命じる判決を行い、日本政府が進める国内の原子炉の再稼働計画に疑問を突き付けることになりました。

原発止めろ
脱原発を進める側の数少ない勝利となった判決において、福井県の地方裁判所は大飯原子力発電所の2基の原子炉の再稼働を差し止める判決を行いました。
現在日本国内にある数十基の原子炉は、福島第一原発の事故後に策定された新しい安全基準に基づく審査が行われている段階で、稼働しているものはありません。

「こうした訴訟で原告の訴えが認められる例は、これまでほとんどありませんでした。再稼働の動きが本格化する中で、初めて正しい判断が下されたのです。正しい認識が広まる可能性があります。」
日本の環境団体、グリーン・アクション( http://www.greenaction-japan.org/modules/jptop1/ )の代表を務めるアイリーン・美緒子・スミス氏がこう語りました。
一方、関西電力は判決を不服とし、控訴する方針であることを明らかにしました。

http://www.theguardian.com/environment/2014/may/21/fukushima-groundwater-pacific-nuclear-power-plant
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この記事については、書かなければならないことがいくつかあります。
まず上記URLをクリックしてご覧いただくと解りますが、記事に対する読者からのコメントが掲載されたばかりに関わらず大量に寄せられていることです。
それだけこの問題に対する世界の関心の高さがうかがえます。

そして私が指摘したいのは判決が出された夜の官房長官の会見です。
日本は三権分立国家であり、行政と司法は同等の権能を持っているはずです。
ところが官房長官は、地方裁判所の判決など政府が決めた国家の運営方針に影響を与えることは無い、そうとれる趣旨の発言を行いました。
これはまさに民主主義の根幹を理解していない、現政権の本質が現れた発言だと思っています。

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【 癒えない心の傷 - 国立9.11記念博物館の開館 】

アメリカNBCニュース 5月15日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

9.11mus01
9.11のテロ攻撃によって犠牲となった約3,000の人々の記憶を刻み、事件の記録を残すため、発生から13年後に国立9.11記念博物館がオープンしました。

テロにより倒壊した世界貿易センタービルの基礎の鉄骨。(写真上)

『生存者の階段』(写真下・以下同じ)
9.11mus02
倒壊した世界貿易センタービルのノース・タワーのテレビ・アンテナ。
9.11mus03
ノース・タワーの崩壊により押しつぶされたニューヨーク消防局のはしご車3号車。乗員11人全員がノース・タワー内で救助活動中に死亡しました。最後の活動場所は35階付近だったことが後に確認されました。
9.11mus04
自爆攻撃に使われた旅客機第11便の残骸。
9.11mus05
ペンタゴンに突っ込んだ旅客機の残骸
9.11mus06
事故現場から回収された様々な遺品や残骸を展示している部屋
9.11mus07
家族や友人の記憶で埋め尽くされた最後の展示室
9.11mus08

【 時の中で凍りついたまま、核廃棄物だらけにされた町 】〈3〉

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スリーマイル事故現場はシンプル、それでも廃炉に10年を要した、ならばフクシマは…
福島第一原発の廃炉は途方もなく困難な作業、いたるところに破壊、混乱があり、その規模は甚大
災害が地震と津波だけで終わっていれば、この子供たちはもっとずっと早く自宅に戻ることが出来たはず

 

ボブ・サイモン / アメリカCBSニュース 2014年4月6日

 

レイク・バレット : 母なる自然は、日本に対し巨大津波という形で深刻な警告を発しました。

昨年、東京電力はアメリカの原子力技術者のレイク・バレット氏を、特別顧問という形で迎え入れました。バレット氏はアメリカ、1979年のスリーマイル島原子力発電所事故の後、その収束・廃炉作業を直接指揮した人物です。

ボブ・サイモン:福島第一原子力発電所では事故収束・廃炉作業の完了まで30年から40年かかると言われています。専門家ではない私たちから見ると、なぜそれほど長い時間が必要なのか、今ひとつ解りかねるところがあります。私たちにも理解できるようにご説明いただけますか?

レイク・バレット:私にしてみればそれほど長いとは思えません。その程度の時間が必要になることは始めから解っていました。
これは途方もなく困難な作業なのです。彼らが収束させなければならない破壊、混乱は無数にあり、その規模は莫大です。
スリーマイルの場合、事故収束・廃炉作業には10年を要しましたが、状況は福島と比較すればきわめてシンプルでした。
福島ではやらなければならないことは複雑であり、かつ膨大です。

4号機核燃取り出し
ボブ・サイモン:さらに3年が過ぎたら、福島第一原発の状況はどうなっているでしょうか?
レイク・バレット:もちろん事態が好転していることを願っています。
数多くの課題があります…技術的な問題はもちろん、日本固有の文化に関わるもの、そして日本の政治的な体制に関わる問題もあります。
しかし福島第一原発では、徐々に光明が見え始めたと思います。
ボブ・サイモン:少々外交辞令が含まれているように聞こえますが?
レイク・バレット:そうですね、日本では決定が下されるまでの過程が非常に複雑です。

日本では重要な決定が下される場合は『合意』が求められ、『合意』が形成されるまでに時間がかかることがしばしば見受けられます。

事故収束・廃炉作業において最も困難なのは、メルトダウンを起こした原子炉の廃炉作業です。しかしその数は3基というものであり、しかも放射線強が極端に高く、作業員が現場に入ることは不可能です。

目下のところ東京電力はこのメルトダウンした原子炉近辺に流れ込み、汚染されてしまう地下水が莫大な量に昇り続けている問題に直面しています。
この汚染水が海洋に直接流れ込むことの内容、東京電力は毎日400トンの汚染水をポンプでくみ上げなければなりません。

汚染水タンク01
東京電力はさらに増え続ける汚染水を収納するための汚染水タンクをこのペースで作り続けなければなりませんが、この貯蔵タンクこそ度々汚染水漏れを切り返している悪名高い存在なのです。

さらに放射能を取り除くための大規模な作業が、福島第一原発の外でも行われています。

除染作業の結果作り出されることになった大量の核廃棄物を、全ての市町村において何世代にもわたって安全に保管し続けなければなりません。

日本国内において福島第一原発の周囲は農業地帯として知られていますが、大熊町のような場所では作物が育つ代わりに、放射性核廃棄物を詰め込んだ黒い袋が際限もなく増え続け、空いている土地に山と積み上げられているのです。
現在大熊町の子供たちのうちの数人が、100キロ以上離れた町で生活し、学校に通っています。

ボブ・サイモン:大熊町に帰りたいと思っている人は手を挙げてください。
ボブ・サイモン:どうして大熊町に戻ることが出来ないのか、誰か説明できる人はいますか?
子供: 放射線量が高いからです。放射性物質でいっぱいだからです。

都路町帰還03
事故収束・廃炉作業が終わる以前に、この子供たちは中年世代になっています
もし、災害が地震と津波だけで終わっていれば、この子供たちはもっとずっと早く自宅に戻ることが出来たはずです。
子どもたちが数十年間も故郷に戻ることが出来なくなった原因は、人間が作り出しました。

実はここは始めにご紹介した木村則雄さんの娘、ゆなさんがもし生きていればここにいたであろう、そのクラスです。
まゆさんと友人だったくれあさんは、一緒に昼食をとったことを憶えていました。

ボブ・サイモン: まゆさんは、今どこにいますか?
くれあ : 大熊町にいます。これまでずっと一人ぼっちでいて、きっと寂しいに違いありません。

大熊町の住民の3分の1程は一緒に行動することを決め、政府が『仮設住宅』と名づける施設に入りました。
しかしその『仮設』は長いものとなりました。

則雄さんの母親のともえさんは仮設住宅で独り暮らしをし、則雄さんと長女は現在そこから車で5時間ほどの長野県で暮らしています。
亡くなった家族の写真が飾られた仮設住宅の部屋は狭く、そして冷え切っています。

木村さんの家族も他の多くの日本人同様、死者を含めた家族間の強いつながり、そして亡くなった人が安らかな後生を送れるよう祈る気持ちを持っています。
そして死者の魂が冥界と現世との中間にいる限り、生きている人間と同じ感覚を持ち続けると考えています。

ボブ・サイモン: あなたはあまりに多くのご家族を失ってしまいました、なのになぜ今息子さんと一緒には暮らさないのですか?

木村ともえ:私は今、灰になってしまった夫と一緒に暮らしています。夫の遺灰をふさわしい場所に葬ることが出来れば、私も長野に行って息子や孫と暮らしたいと思っています。

ボブ・サイモン: ご主人を葬ることが出来る場所は見つかるとお考えですか?
木村ともえ:大熊町にある木村家の墓地は、放射能に汚染されてしまいました。私自身は年に2、3回なら線香を手向けるために行くことが出来るでしょうが、孫を生かせるわけにはいきません。
夫は生前孫を大変かわいがっていました。その孫が来る子も出来ないような場所に、夫を葬るのはあまりにも残酷です。

年間10回、木村則雄さんは祖先の霊を慰めるために、大熊町の中の一族の墓参りをします。
しかし木村さん自身は、行方不明のゆなさんを見つけ出さない限り、心の平安などあるはずがないと語りました。

120911
ボブ・サイモン:お嬢さんを見つける、そのことにわずかではあっても可能性はあるとお考えですか?
木村 : 可能性が非常に低いことは解っています。しかしどんなに可能性が低くても、私は娘の捜索を止めるわけにはいきません。
はたから見れば、私がまるで不可能なことを続けているように見えるでしょう。
手もたとえ永遠に娘を見つけることが出来なくとも、私はこの作業を止めるわけにはいかないのです。

 

〈 完 〉

http://www.cbsnews.com/news/fukushima-japan-disaster-three-years-later-60-minutes/
+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

 

福島の現状については、新たにまた以下の事実が明らかにされました。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201405/20140520_63009.html
福島の現状について語ろうとすると、一部の大手メディアから『いたずらに風評を煽る』などと言う表現により、あたかも道徳的に問題があるような指摘、あるいは攻撃を受けます。
私自身は『風評』という言葉自体、まやかしだと思っています。

鼻血が出る人もいる、出ない人もいる。
人間の体には『個体差』がある以上、そして福島第一原子力発電所程の、すなわち3基の原子炉が同時にメルトダウンするような事故を人類は経験したことが無い以上、どのような影響が現れるか、それはこれから明らかになっていく問題のはずです。

それを「そんなことは起きるはずがない」と『断定』することこそ非科学的であり、中世の魔女狩りと変わらない『底意』を感じます。

【 時の中で凍りついたまま、核廃棄物だらけにされた町 】〈2〉

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福島第一原子力発電所の周囲をぐるりと取り囲む、いくつものゴーストタウン
スリーマイル事故現場はシンプル、それでも廃炉に10年を要した、フクシマは…
そもそもの始めから日本政府は実業界と共謀、国民に原子力発電の安全性を信じ込ませようとしていた

 

ボブ・サイモン / アメリカCBSニュース 2014年4月6日

 

ボランティアの人々も、津波によって運ばれた大量のがれきを丹念に片づける木村さんの作業を手伝うようになりました。
被ばく線量を減らすため、誰もが放射線防護服を身に着けています。
がれきを取り除く作業は徒労のようにも見受けられます。
しかしこの日、木村さんは生き残った彼の娘、まゆさんが着ていた洋服を見つけ出しました。

 

3月11日、木村さんは自分自身を決して許すことが出来ない間違いを犯しました。
木村さんはその時農場で仕事をしていましたが、地震の後もその場所に留まっていたのです。

ボブ・サイモン : あなたはその時、津波の襲来を疑わなかったのですか?

木村 : 今考えれば、すぐに家に戻るべきでした。家族の身に深刻な危険が迫っていた時に、提供された情報を安易に信じ込んでしまったことは、悔やんでも悔やみきれません。
今になっても自分にこう問いかけています、いったい何を考えていたのだ?!

福島第一原発が放射性物質を放出し、町民が避難を余儀なくされる事態が訪れ、町の責任者は木村さんに行方不明者の捜索を打ち切り、生きている人間の安全を守るべく行動するように言いました。

NBC 8
ボブ・サイモン: そして木村さんは一人生き残った上の娘さんと一緒にここ日本アルプスにやってきました。
さわやかな空気に満ち、雪を頂いた山々が連なるこの地は、放射線の存在や津波の脅威など想像することも難しいような場所です。
木村さんは地元での農業をあきらめ、日本アルプスで近々オープン予定の宿泊者用の施設で働くことにしたのです。

娘のまゆさんは、行方不明のままの妹についてよりも亡くなった母の思い出話をする機会が多く、なぜ未だに父親が福島まで行って妹を探し続けているのかについては尋ねようとしません。
現在2人が暮らしている場所は海抜600メートル、福島第一原発からは300キロも離れた場所にあるのです。

福島第一原発の周囲をぐるりとゴーストタウンが取り囲んでいます。
事故から3年が過ぎた今も、福島第一原発では4,000人以上の作業員が働いています。
彼らは放射線防護服を何枚も重ね着しています。

非常に高い放射線量のため、作業員は建物内では一日あたり2時間30分しか働くことが出来ません。
福島第一原発が電気を生み出すことはもうありません。
ただひたすらに事故収束・廃炉作業が行われているだけです。

100306
ボブ・サイモン:東京電力の職員は緊急事態に対処するための訓練を、充分に行っていたのでしょうか?

船橋洋一博士: 私はそうは思いません。

事故から数ヶ月のうちに、元新聞編集者の船橋洋一氏は、福島第一原発の事故原因を探るための調査を主宰し、精力的に検証を行いました。
その調査は日本政府が後援しない唯一の調査でしたが、この調査で得られた結論は衝撃的なものでした。

船橋博士: 私は日本政府が国民に大切な情報をほとんど伝えていないことに、非常に危機感を募らせていました。

船橋氏が調査結果を公表すると、人々の怒りと不安に改めて火がつきました。
船橋氏はこう書いています。
そもそもの始まりから日本政府は原子力産業界と共謀し、国民に対して原子力発電は安全なのだと信じ込ませようとしていました。

ボブ・サイモン:という事は日本政府の努力はその時、人々に何も心配することは無いと思わせることに向けられていたことになりますね。

船橋博士:まさにその通りです。『何も心配する必要は無いのだから、安心していなさい。たとえ過酷事故に対する事前の体制が整っていなかったとしても、大丈夫です。不必要な不安に駆られたり、不必要な誤解を抱いたりするだけ損なのだから、心配などしない方が良いのです。』」

01再稼働反対
ボブ・サイモン:そして事前に対策をする必要などない。

船橋博士:そうです、事前の対策など不要。結局こうした考えは、過酷事故に対応するための事前の態勢など未整備で構わない、そんな考えが広まっていく結果につながったのです。

 

〈 第3回へ続く 〉

http://www.cbsnews.com/news/fukushima-japan-disaster-three-years-later-60-minutes/
+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

この記事を読んで愕然としたのは、いつの間にか緒に就いたばかりの福島第一原発の事故収束・廃炉作業の作業員の数が、いつの間にか6,000人から4,000人に減っていたことです。
これもまた、ひとつの緊急事態なのではないでしょうか?
なぜなら、福島第一原発の事故収束・廃炉作業現場の崩壊の危険性については、早くから海外のメディアが指摘していたからです。

【 頭数合わせ?! 福島第一原発の事故現場、ホームレスの人々が送り込まれている 】インデペンダント( http://kobajun.biz/?p=16139 )
【 廃炉のための専門技術者、福島第一原発で完全に不足 】AP通信( http://kobajun.biz/?p=15581 )
【 崩壊の危機が続く、福島第一原発・事故収束・廃炉作業の現場 】ワシントンポスト( http://kobajun.biz/?p=11604 )
などです。

そして福島第一原発の事故は収束どころか、未だにその全容が明らかにされていない、その事を痛感します。
安易な幕引きを、決して許してはならないと思います。

【 時の中で凍りついたまま、核廃棄物だらけにされた町 】〈1〉

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地震より津波、津波より福島第一原発、住民の人生を最もひどく破壊したもの
破壊のすさまじさは、福島第一原発の周辺市町村の様子を見ればすぐに理解できる
3月11日の出来事は人々の人生に深刻な傷跡を残し、救いようもない程暗いものにした

               

ボブ・サイモン / アメリカCBSニュース 2014年4月6日

                   

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東日本で破壊をほしいままにしただけに留まりませんでした。
日本人の自国の政府、そして原子力産業に対する信頼も同時に破壊されたのです。

その破壊のすさまじさは、福島第一原発の周辺市町村の様子を見ればすぐに理解できます。
ただし、実際にその場所に足を踏み入れることは不可能です。

                  

巨大地震は破壊をもたらしました。
次に襲った津波は、さらに大規模な破壊を行いました。
しかし今日、周辺市町村に立ち入り禁止の措置が採られ、無人のゴーストタウンと化してしまったのは、福島第一原子力発電所が巨大事故を引き起こしてしまったためです。

            

今やこれらの市町村には大量の放射性核廃棄物が堆積し、かつての住民たちはいつになったら元通りの故郷を取り戻せるのか見当も付けられずにいます。

                 

そして多くの人々が、自分自身戻りたいと考えているのかどうか、わからなくなっているのです。3月11日の出来事は人々の人生に深刻な傷跡を残し、救いようもない程暗いものにしてしまいました。
人びとはすべてを『3.11』と、きわめて短く表現します。

               

2011年3月11日、日本に地獄を作りだしたもの、それは記録に残っている中で最も強い地震でした。
その揺れが収まった後、今度ははるか沖合で大自然が作り出す中で最大級の巨大な波が形成され、陸地に向かって一気に疾走しました。

                 

3.1108

                   

この日東北地方沿岸で亡くなってしまった18,000人のほとんどは、この津波の犠牲者でした。

             

地震そのものは福島第一原発の施設にそれ程の損害を与えてはいません。
しかし津波は別でした。
緊急時に原子炉を冷却する装置の電源を喪失させ、原子炉内の温度の上昇が続き、メルトダウンが始まったのです。
そして原子炉建屋内に充満した水素ガスが爆発、周囲40キロの市町村に放射性物質を飛散させてしまいました。

                

事故から3年が過ぎた現在、福島県富岡町では日中に人々が短時間滞在する程度なら安全な程に放射線量が下がったと考えられています。
拡声器が午後3時までに町から出るように警告を発し、私たちはその日最後まで町内に残っていたのが自分たちに他ならないことに気づきました。

                 

福島で発生した三重災害は、あたかも時間を止めてしまったように感じます。
破壊された放置された町に残る時計は地震が発生した時刻、2時46分を指したまま止まり、ほとんど手つかずのままの廃墟は災害が昨日起きたばかりであるかのような錯覚を抱かせます。

                  

新聞販売店に残っていた束になったままの新聞の日付は2011年3月12日、東日本大震災が発生した翌日のものでした。
この朝、政府はこの町、近隣市町村の住民に対し、直ちに避難するように命令を発したのです。

                    

NBC19

                   

束のまま残された新聞は、人々があわててこの場所を去って行った様子をうかがわせるものでした。

                    

『ようこそ大熊町へ」と書かれた看板を見つけました。
しかし事故から3年以上が過ぎた現在、大熊町の人口はゼロです。
11,000人以上の住民がこの日の朝町を去ったまま、二度と帰ることはありませんでした。

                  

ボブ・サイモン:この場所で暮らすために、もう一度大熊町に帰りたいと思いますか?
木村則雄:ええ、できることなら死ぬ前にもう一度この町で暮らしたいと思っています。

                 

木村さんは、彼の両親の家の隣に自宅を構え、妻と2人の娘と一緒に暮らしていました。

             

津波は彼から父親、妻、そして下の娘を奪い去りました。
ゆうな、明るく快活な7歳の少女。

                    

ここにあるのは2011年3月11日以前に撮影された木村さんの自宅の写真です。
そしてこれが現在の姿。
家の基礎部分しか残っていません。
そして家の玄関の前には、様々な思い出の詰まった小さな箱があります。

              

請戸04


木村 : これは下の娘がその日はいていた靴です。この靴は震災の6ヵ月後に、がれきが積み上がった場所で見つかりました。
この場所は放射線量が高く、木村さんがかつての自宅を訪れることが出来るのは年に10回まで、1回につき5時間以内と決められています。
2月に、木村さんに割り当てられた一時帰宅の日は吹雪の真最中でした。

                   

訪問の度、木村さんは亡くなった家族を祀るために作った祠に花を捧げることを忘れません。
大熊町では3月11日に111人の人が亡くなりましたが、木村さんの家族もその中に含まれています。
犠牲者の遺体は一人を除き、すべて収容されました。
たった一人遺体が見つからない犠牲者、それが木村さんの娘、ゆうなさんです。
1年間に10回、木村さんはゆうなさんを捜すため、かつての自宅に戻ります。

                   

ボブ・サイモン: この間の土曜日もあなたは、大熊町で土を掘り返す作業をしていました。あの日は雪が降り、しかも気温は氷点下まで下がっていたにもかかわらず…なぜですか?

                    

木村: もちろんゆうなを捜し出すためです。
ゆうな自身を見つけ出すか、あるいはその遺品を探すことを止めてしまえば、私とゆうなとの絆が断ち切られてしまうような気がするのです。

                 

実を言えば今私が毎日こうして生きていられるのは、ゆうなや彼女の遺品を探し出すという目的があるからなのです。
気が変にならないようにするためには、この作業を続けるしかありません。

                 

〈 第2回につづく 〉

http://www.cbsnews.com/news/fukushima-japan-disaster-three-years-later-60-minutes/
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この稿の記者、ボブ・サイモン氏が被災地を訪れたのはこれが最初ではありません。
2011年10月に岩手県大槌町を取材した番組がアメリカCBSニュースの同じ『60分』で放映され、【星の金貨】でも翻訳・ご紹介しました( http://kobajun.biz/?p=1217 )。

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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