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福島第一原発事故から8年後の原発難民の帰還、その真の理由《後編》

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所要時間 約 8分

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原発避難民として過ごし、もう二度と稲作はできないのではないかと悶々としていた日々

事業を再生させるにはもう歳をとり過ぎている…そう言って地元の農民たちの多くが去っていった

             

             

ジャスティン・マッカリー / オブザーバー(英国紙)特派員報告 / ガーディアン 2019年3月10日

         

チェルノブイリ以降最悪となった福島第一原発事故発生から8年が経ちましたが、英国オブザーバーはかつては原発事故による立ち入り禁止区域とされていた地域での生活、仕事、通学、そして現役引退後の生活を、かつては故郷と呼んでいた場所で過ごす決心をした人々を取材しました。

          

▽ 稲作農家

         

根本孝一さんが3年前福島県南相馬市桃内の集落に最初に戻ったとき、彼の夢は彼の家族を養うために必要なだけの米を育てることでした。
しかし当時はまだ稲作は禁止されており、根本さんは解除を待つしかありませんでした。
「私は少しだけ試験用に稲を育て、その放射線量を測定したのです。放射線量は政府が設定した限度をはるかに下回っていました。」
「でも私は全部廃棄しました。自分が栽培した米であっても、法律で食べることが禁止されていたのです。」

         

         

写真:根本孝一さんは、自分の稲作は雑草などには負けないと語っています。

          

現在てその制限は解除され、福島の自然農法業界のパイオニアである81歳の根本さんは再び販売用の米を栽培し、近くの日本酒醸造所やスーパーマーケット、レストランに納めています。
「私は自分の農場を放棄することは考えたことはありません。」
「最初は福島米についてひどい噂がありましたが、状況は変化しています。私の友人や親戚は、検査を受けていない他の都道府県産の米よりもむしろこの場所で栽培した米を食べる方が安心だといっています。」

           

原発避難民として過ごし、もう二度と稲作はできないのではないかと悶々としていた日々と比べれば、現在の状況は格段に異なっています。
しかし避難命令が解除された後桃内地区で営農を再開すると決断したのは8人に留まり、根本さんはそのうちの1人です。
最近では根本さんは残留放射性物質のことより、ともすればたちまちに水田のいたるところに繁茂する雑草の方が心配だと語ります。
「有機的に取り組むのであれば、必ずついて回る問題です。」
「でもこれまで、私が栽培する米が雑草に負けたことはありません。」

            

▽ 旅館経営者

           

原子炉建屋の一つが爆発した音が聞こえると、小林友子さんと夫の武則さんは、高価な貴重品を手荷物にまとめ、4代にわたって友子さんの家族が小高地区で経営してきた日本旅館の双葉屋を飛び出しました。
2人とも最初のうちは数日で戻れると思っていました。
「私たちは避難所にいましたが、その時初めて津波と原発事故の映像を見て、どれほど恐ろしい災害が起きたのか解ったのです。」
結局2人は小高地区の避難指定が解除される2016年まで戻ってきませんでした。

            

近隣の住民は立ち入ろうとしませんでしたが、友子さんは桃内駅近くの旅館の建物の手入れと旅館や駅周辺に花を植えるため、短時間の訪問を繰り返しました。
「私たちはこの場所にもどって自立する決心をしたのです。」
夫妻はたちまち放射線と食品の安全のエキスパートになりました。
「私たちは7年間この地区の食品の検査を続けてきました。そしてもう安全だということが分かったのです。その事実が私たちに帰還とこの場所での再出発を決心させたのです。」
域社会のために食べ物をテストしてきました、そして我々はそれが安全であることがわかっています。」
武則さんがこう語りました。

           

双葉屋の宿泊客には多数の来日外国人が含まれていますが、彼らは福島についてもっと知ろうという探究心を持っています。
「私たちはもっと多くの人々にここに宿泊してもらい、何が起きたのかその真実について一層理解が深まったと感じて故国に戻ってもらいたいと思っています。」
「しかし、事故発生からここまでなんということもなかったなどというふりはできません。ものすごく辛い時が何度かありましたから。」

            

▽ 酪農家

           

8年前、祖父が第二次世界大戦直後に創業した畜産農家の崩壊を防ぐのに、三代目の佐久間哲二さんは自分の無力を思い知らされました。
福島第一原発の原子炉がメルトダウンした年、佐久間さんが飼っていた130頭の牛は死んでしまうか、他の牧場に売られるか、屠殺されました。
同時に何千リットルもの牛乳を捨てなければなりませんでした。

           

しかし2017年に福島県産の生乳の出荷禁止の制限が解除された後、佐久間さんは畜産業を再開しました。
厳格な試験によって佐久間さんが飼っている牛のミルクが安全であることを証明しました。
しかし買う立場の人々の疑いを克服するために最初の壁に突き当たりました。

           

          

「私は放射線について勉強し、安全性に関する疑問を持たれた際にきちんと回答できるよう準備しました。」
20年以上前父から葛尾村にある農場を引き継いだ佐久間氏がこう語りました。

            

地元の農民たちの多くは、自分たちが事業を再生させるにはもう歳をとり過ぎている、そして彼らが生産する農産物が福島の環境中に放出された放射線によって永遠に汚染されることを恐れ、すべて売却することを決めました。

          

写真:佐久間哲二さんは、農場を成功させるために何年もの間働いてきました : Justin McCurry / The Observer

             

「他の場所で生計を立てる時間が長くなればなるほど、この場所に戻って生活を再建することは難しくなります。」
「しかし私たち家族はこの農場を成功させるために長い間一生懸命働いてきました。牛舎も自分たちの手で建て、今でも使っています。そんな農家の息子に生まれた私は農場を再開し、この場所で何でもできるのだということをみんなに証明してみせることにしたのです。」

           

※ 英文からの翻訳のため、個人のお名前の漢字が違っている可能性があります。ご容赦ください。           

https://www.theguardian.com/world/2019/mar/10/fukushima-eight-years-on-evacuees-come-home

福島第一原発事故から8年後の原発難民の帰還、その真の理由《前編》

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所要時間 約 11分

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3.11…福島では津波の破壊的な力がさらに深刻な危機を引き起こした

時の中で凍りついたまま、荒廃だけが進んだ福島第一原発に最も近い地域

写真:2019年2月福島県大熊町、雑草で覆われ廃墟と化した自動車販売店              

                

ジャスティン・マッカリー / オブザーバー(英国紙)特派員報告 / ガーディアン 2019年3月10日

           

2011年3月11日の襲来と福島第一原発の3基の原子炉のメルトダウンにより、数十万人の住民が緊急避難を強いられました。
この中で帰還したのは4分の1に満たない人々でした。
なぜそう決断したのか、その胸の内を明かした人々がいます。

              


            

2011年3月11日に、これまでに記録された最大の地震の1つが日本の東北地方太平洋沿岸を襲い、19,000人近くの人が命を奪う津波を引き起こしました。
そして福島では津波の破壊的な力がさらに深刻な脅威を引き起こすことになりました。

           

放射線の脅威は数十万に上る人々が避難を余儀なくされ、それまで暮らしていた町や村が瞬時に立ち入り禁止区域に変わってしまいました。
今日、福島第一原発に最も近い地域は時の中で凍りついたまま、荒廃だけが進みました。
家々は朽ち果て、生い茂る雑草歩道も車道もかつては手入れの行き届いた庭園であった場所も関係なく呑み込み、イノシシや他の野生動物が通りを我が物顔に歩き回っています。

             

しかし少し先に行くと、そこにはこの場所に戻ってやり直すことをことを決めたそう多くはない人々を対象とした新しい店舗、レストラン、公共施設があります。
鉄道線路が復旧し再び列車が走るようになり、道路も再開通されています。
東京2020オリンピックの聖火リレーはJビレッジから始まることになっています。
Jビレッジは福島第一原発事故の対応拠点として使用されていましたが、現在では本来の役割であるサッカー・トレーニング施設に戻りました。

            

しかしそれらはわずかな前進でしかありません。
これまで幾つかのエリアで人間が居住しても問題ないとされる安全宣言がなされましたが、元住民の多くは立ち去る方を選択しました。
理由の主なものは放射線に対する懸念、特に子供達への健康被害です。
また医療機関をはじめとする社会的インフラの欠如もそうした決断を後押ししました。

            

福島第一原子力発電所の労働者は莫大な量の放射能汚染水と戦っていますが、福島第一原発の廃炉の完了までは少なく見積もっても40年以上かかると見られています。
チェルノブイリ以降最悪となった福島第一原発事故発生から8年が経ちましたが、英国オブザーバーはかつては原発事故による立ち入り禁止区域とされていた地域での生活、仕事、通学、そして現役引退後の生活を、かつては故郷と呼んでいた場所で過ごす決心をした人々を取材しました。

           

▽ 土地所有者

           

佐々木清明氏は原発事故の避難民として仮設住宅で8年間暮らす内に地元の著名人となりました。
佐々木さんは毎日の早朝のラジオ体操を通じてコミュニティ意識を築いた住民の一人です。
約500年前に先祖が根を下ろした小高地区の路上で困っている人がいれば、93歳になった佐々木さんは献身的ドライバーとして手助けします。

             

山林地主である佐々木さんはつい先ごろ古い大きな木造家屋に戻ってきました。
3人の息子とその家族は近くに住んでいますが、佐々木さんは自立して一人でやって行く決断をしました。
それがこれからの日々、たった一人で生きていくということを意味するとしても…
その理由について佐々木さんは武士の血筋がそうさせたのだと語っています。

            

佐々木さんが暮らす地区はかつて230人の住民がいましたが、帰還したのは23人だけであり、その平均年齢は70歳を超えています。
佐々木さんは帰ってきた人々の名字をスラスラと並べて見せました。
「この村の将来がどうなるのか私には想像もつきません。ゆっくりと死に絶えていくのではないかと心配しています。」

写真:自宅の前に立つ佐々木清明さん。村がゆっくりと死に絶えていくのではないかと心配しています。
Justin McCurry / The Observer

             

「私の健康状態は完璧ですし、私は被災者のためデイケア施設を無料で利用できます。仮設住宅に暮らしていた時からの友人とも行き来があります。」
佐々木さんは自分の将来について楽観的に考えています。
少し気がかりなのはお気に入りの自分の車のことです。
「12月に運転免許が期限切れになりますが、その後どうすべきなのかわからないのです。」
彼の年齢では、それを返納すべき時だと考えるべきなのかもしれないのです。
家の外に1台のスクーターが置いてありました。
友人がプレゼントしてくれた中古のバイクですが、佐々木さんは気に入らないようです。
「遅いし、カッコも良くないしね。」

            

▽ 姉妹

           

今野るみ子さんとえり子さんの姉妹が通学する学校では、教師に注意を向けられることはまず問題にはなりません。
姉妹は福島第一原子力発電所から約6キロの場所にある浪江創生小中学校に通っている7人の生徒のうちの2人です。
全天候型サッカー場は、2017年に避難命令が部分的に解除されて以来、災害前21,000人いた人口のうち900人だけが戻ってきた浪江町に若い家族を連れ戻すため日本政府の資金で建設されました。

             

「娘たちをこの場所につれて帰ることについては、私の中で葛藤がありました。
姉妹の母親である真由美さんがこう語りました。
私はそれらを取り戻すことについて矛盾していました。」
「でも1年が過ぎた今、何とか落ち着きました。私自身も仕事を見つけ、自分は正しいことをしたと確信しています。」
新しい年度が始まる4月には、学校はさらに6人の生徒の転入を歓迎することになっています。

              

写真:るみ子さんとえり子さんはチームスポーツができるようになることを願っています。

           

「この1年間で子供たちは大きな進歩を遂げました」
こう語るのは校長の馬場龍一氏です。
「子供たちにとって一番の不満はチームスポーツができないことです。」

              

るみ子さんは11歳、えり子さんは8歳、ともにドッジボールやかくれんぼができなくて寂しいと語ります。
「クラスメートがもっと欲しいのですが、それはそれでまた違う種類のプレッシャーがかかるかもしれません。」
るみ子さんがこう語りました。

             

姉妹は学校で津波と福島第一原発事故について学びましたが、当時は幼すぎて自分たちの記憶と直接結びつくものはありませんでした。
「8年前の出来事だったので、本当に何も思いつくことはありません。」
るみ子さんがこう語りました。
「最近起きた自然災害に対処しなければならない人々のことの方がもっと心配です。」

            

《後編》に続く

https://www.theguardian.com/world/2019/mar/10/fukushima-eight-years-on-evacuees-come-home

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ジャスティン・マッカリー氏の3.11に関するルポルタージュは、3年前にガーディアンに掲載された今回よりさらに長文の【 アフター・フクシマ : 悲劇から5年が過ぎて – 人びとの素顔 】を4回に分けてご紹介したことがあります( http://kobajun.chips.jp/?p=27237、http://kobajun.chips.jp/?p=27246、http://kobajun.chips.jp/?p=27267、http://kobajun.chips.jp/?p=27278 )。
この時の記事は岩手県の被災地の取材でしたが、あらためて読み返して今回の記事と比較すると、『放射線の脅威』が存在するかしないか、ということがいかに大きな問題であるかということを痛感させられます。

            

             

3.11東日本大震災で私が暮らす宮城県では最大数の犠牲者が出ました。
その後まもなく米国CBSが伝えた
「地震より津波、津波より福島第一原発、それが住民の人生を最もひどく破壊した」
【 時の中で凍りついたまま、核廃棄物だらけにされた町 】( http://kobajun.chips.jp/?p=18234 )
という表現はまさにその通りです。

              

しかし福島第一原発事故はすでに現実のものになりました。
私たち日本人がすべきことは2度とこのような事故を繰り返さないこと。
そして犠牲を強いられた人々に、最もふさわしい救済を提供することです。


オリンピック・イベントの犠牲にされる人々(命を脅かす原子力の嘘)《後編》

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所要時間 約 10分

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一度原子炉がメルトダウンしてしまった後の除染は容易ではなく、完全に放射性物質を取り去ることは技術的に不可能
福島の原発難民がいまだに現在進行形の放射線被ばくを経験させられているという事実を一人でも多くの人に認識してもらうことが重要
安倍政権の福島の原発難民の人々への扱いは実験台のモルモット並み、放射能汚染が解消されていないエリアへの帰還を強制し、世界に向け問題が解決したかのような印象操作を行っている

             

             

アーニー・ガンダーセン / フェアウィンズ 2019年3月8日

           

ここにご紹介する3本のビデオは2017年9月に私自身が福島で撮影したもので、福島近郊で実際に起こっていることを示しています。
2020年に日本が東京オリンピックを開催するため、福島第一原発の周辺があたかも正常な状態に戻ったかのような印象を与えるために人々を帰還させ、結果的に大量の放射線を浴びさせる結果になったことを忘れることはできません。

           

かつて福島第一原発周辺で生活していた人々のうち、数万人は遥か離れた場所に避難したまま、そこでの生活再建に取り組んでいる一方、何千人もの人々は経済的に追い詰められ今や帰還を余儀なくされています。
福島第一原発周辺に存在する移動性放射性ダストは、帰還を選択した人々にこれまでもこれからも壊滅的な影響を与え続けることになりました。
この極めて高い放射線量を持つ移動性放射性ダストは、東京のように遥か離れた人口密集地でも存在が確認されています。

             

福島第一原発がトリプル・メルトダウンを起こす前と同じ状態になるよう、あらゆるものを回復させようと試みてはいるものの、日本政府は日本も周辺世界もかつてとは非常に異なる場所になってしまったことを理解できずにいます。
安倍政権は原発難民を汚染されたかつての居住地へ強制的に帰還させ、放射線のさらされた福島県産品の販路拡大に取り組んでいます。

           

一度原子炉がメルトダウンしてしまったら、その後のクリーンアップは容易なことではなく、完全に放射性物質を取り去ることは技術的に不可能です。

           

実際、どこまで問題が及んでいるかの範囲の特定、深刻度、根本的な原因を検証する代わり、あちこちに絆創膏を貼りまくり、応急措置だけを繰り返しても問題は無くなりません。
そして日本の政治家や政府高官、東京電力は自分たちの政治的地位、会社の財政基盤や個人の財産、そして原子力産業の財政基盤を守るために何千人もの日本国民の命を危険にさらしています。

          

先週号のアジアパシフィック・ジャーナル(APJ)には、シカゴ大学教授ノーマ・フィールド博士、東アジア言語・文明学の日本研究における功労賞受賞者のロバートS.インガソール教授による秀逸なエッセイが掲載されています。

            

2020年の東京オリンピック - パラリンピックは当初これまでで『最もコンパクトな』で低予算での開催を約束していながら、現在はその何倍もの約3兆円の費用がかかってしまう可能性があるという予測に、私たちは凝然(ぎょうぜん)たらざるをえません。
そして日本では殊更に 『復興オリンピック』ともてはやされているのです。

          

これほど多額の予算を巨大地震、巨大津波、原子炉のメルトダウンという三重災害に見舞われた地域全体、特に原発難民にされた得難い思いをされているの犠牲者たちのために役立たら、という思いを持つのは当たり前のことではないでしょうか?

          

巨額のオリンピック予算のごく一部であっても、福島第一原発の周辺から避難者している人々 - 命令された人『自主避難』した人を問わず - が必要としている住宅支援のために使えば、人々はもっと生活の先行きを見通すことができたことでしょう。

             

しかし現実にはこれまで入ることが厳しく制限されていた福島第一原発の周辺の地区では、科学的根拠が乏しいまま避難区域の指定が解除されました。
これらの地区では広い範囲にわたって汚染されていることが懸念されているにもかかわらず、避難指定が解除され、元住民に対し無謀とも言える帰還を強制しているのです。

             

東京電力が提供しているJ-ヴィレッジは放射能で汚染された一帯の処理作業を行う作業員の防護服の着脱、仮眠、放射線量の測定場所として使われてきたため、当然放射能で汚染されているはずですが、オリンピック期間はナショナル・サッカーチームのトレーニング施設として利用される予定です。

          

アジアパシフィック・ジャーナル(APJ)に掲載されたシカゴ大学教授ノーマ・フィールド博士のエッセイには、最近引退した京都大学原子炉実験所の小出裕章博士の長文の論説が紹介されています。

             

…医療ジャーナリストの藍原寛子氏が決して少なくはない皮肉を込め、こう語っています。
「確かに東京オリンピックは「災害からの復興」を世界にアピールする素晴らしい機会になるでしょう。」
しかしその一方で、
「国家の原子力政策がもたらした人為的災害の結末、その本当の状況について」も、国際社会に明らかにすることになるでしょう。すなわち長期にわたる避難を課し、一部の地域住民に犠牲を強いること。」

       

アジアパシフィック・ジャーナル(APJ)に掲載されたシカゴ大学教授ノーマ・フィールド博士と小出裕章博士の長大な論文を読むと、いてもたったもいられないような気持ちにさせられます。
それでも彼らはまだすべてを語っているわけではないのです。
3基の原子炉がメルトダウンしてからすでに8年、私が感じるのは16万人の福島の原発難民がいまだに現在進行形の放射線被ばくを経験させられているという事実を、一人でも多くの人に認識してもらうことが重要だということです。

            

この科学的事実を世界各国の政府は人々の目の届かないところに隠そうとしています。
しかし私たちが各国の政府が密接な関係がある原子力発電と核兵器の開発に巨額の投資を続けてきたという事実に焦点を合わせれば、彼らが金銭的に、政治的に、そして感情の上でも真に望むものが何であるか理解するのは難しいことではありません。

          

日本で初めて著作を刊行して以降、私は4度にわたる調査旅行中、数多くの原発難民の人々に会って話をし、情報を交換しました。
そしてフェアウィンズは彼らが被った衝撃的なまでの痛手を理解していると確信しています。

           

見逃せないのは日本政府がオリンピック開催のために多額の資金を投入していながら、福島第一原発の事故処理費用をできるだけ切り詰めようとしている点です。
そのために安倍政権は16万人に上る福島の原発難民の人々を実験台のモルモット並みに扱い、放射能汚染がまだ解決していない避難指定解除エリアに戻るように強制し、世界に向けてあたかも問題が解決したような印象操作を行っています。
そして帰還した原発難民の人々がどれだけの放射線被曝をすることになるのか、誠実な志を持った科学者が検証することを妨げるということまでしています。

             

オリンピック開催に数兆円という国費を投入するより、まず福島第一原発事故で自宅や故郷を失ってしまった人々の救済のために使う方がはるかに有効であると考えます。
帰還を強制されている家族が今まさに帰還を強制されている汚染された場所ではなく、遠く離れた安全な場所で永続的な雇用と住居を手に入れることができるよう、新たなコミュニティの建設のために資金は使われるべきです。

           

《 完 》
https://www.fairewinds.org/demystify/atomic-balm-part-2-the-run-for-your-life-tokyo-olympics
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福島の問題は話たしたち日本人の『良心の質』の問題かもしれません。

世界レベルの壮大なイベントを日本で開催することが、ただただ嬉しいのか?

このようなイベントに国を挙げて取り組む一方で、国としての体面と巨大企業救済のため、切り捨てられていく人々がいることを常に忘れずにいることができるのか?         


オリンピック・イベントの犠牲にされる人々(人々の命を脅かす原子力の嘘)《前編》

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所要時間 約 9分

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日本政府はたった1種類の放射性物質の調査のみ優先して行い、避難民に帰還を強制している - プルトニウムは?ストロンチウムは?

被災地に散らばる放射性ダストには平均よりも最大10,000倍放射能の値が高いものが約5パーセント含まれている

アーニー・ガンダーセン / フェアウィンズ 2019年3月8日

フェアウィンズの記事『アトミック・バーム第1部』に賛辞をいただいた皆さんに感謝の意を表し、2020年のオリンピックがなぜ東京で開催されることになったのか、その本当の理由についての分析を読んで理解しようとされているフェアウィンズの友人たちに感謝の意を表します。

第2部を始めるにあたり、2012年に立ち戻りマルコ・カルトフェン博士と私が行った科学的研究についてまずお話します。

福島第一原発の原子炉のメルトダウンによって作り出された大災害は現在も進行していますが、この事故発生以前、商業用原子力原子炉から漏出する放射線に対し、一般市民の許容被曝線量は年間100ミリレム(1ミリシーベルト)でした。

          

原子力発電所作業員は放射線被曝リスクの高い環境での作業によって受ける身体的ダメージの増加について補償を受けていますが、彼らには年間最大5,000ミリレム(50ミリシーベルト、あるいは5レム - どの単位が適用されているかにより表現が異なりますが)の放射線被曝が許されていました。
法的な上限ですが、実際には原子力産業のほとんどの労働者が受ける被曝線量は年間およそ2,000ミリレムに止められています(20ミリシーベルトまたは2レム)。

福島第一原発の原子炉のメルトダウンの発生に対し、日本政府は放射線許容量を従来の20倍に増やすという規則変更を行いました。
これは原子力発電所作業員が1年間に被曝する上限の放射線量とほぼ同じ数値です。

2020年に開催予定の東京オリンピックで最も象徴的なのは、男子野球、女子ソフトボール、聖火リレー、そしてサッカートレーニング施設を、日本政府が「原子力非常事態」を宣言した地域の中に協議会場が設定されたことです。

          

競技選手と一般市民は、日本列島以外の場所にある運動施設で許されているより20倍も高い放射線レベルが設定されている場所に滞在することになるということを意味します。
米国科学アカデミーのしきい値なし直線(Linear No-threshold)放射線リスク・アセスメント(判断基準)によれば、アスリートの放射線関連疾患のリスクも今いる場所に留まっている場合よりも20倍高くなります。

          

福島第一原発事故の周辺および周辺地域に住む人々は、日本政府から、放射線量が20ミリシーベルトであれば、汚染された家や村に戻らなければならないと宣告されました。
日本国内のどの原子力発電所の近隣住民も経験したことがない、これまでの基準の20倍という多量の放射線被曝の危険にさらされる可能性があっても帰れと言われているのです。

日本政府はもっとも効果的な方法で除染を行ったから安全だと言っている訳ではなく、原子力災害被災者に対し、公的な補助金を受け続けたいと望むなら、除染が終わったとされるものの現実にはまだ放射能汚染が深刻な自宅に戻ることを強制しているのです。

一般市民が新しい基準をはるかに上回る放射線被曝の危険にさらされている点について、根本的問題が3つあります

           

第1の問題、それは日本政府の除染基準で、家の中とその周辺のみの作業によって除染が完了したとされている点です。
私は福島でまず高速道路の放射線量を計測した後、周囲にある森の中に50フィート(約15メートル)ほど入った場所でも計測を行いました。
その結果明らかになったのは、結局のところ森の中は依然深刻に汚染されたままだということでした。
つまり雨や雪が降ったり、あるいは風によって森の中の埃や花粉が飛ばされて来れば、そこに付着としている放射性物質が除染によって汚染が除去されたとされる場所に舞い戻ってくるということです。

           

私は南相馬市に行って、福島第一原発のメルトダウン事故後に完璧に除染されたとされる4か所の屋根に上りました。
これらの屋根は周囲の山や丘から風によって飛ばされてきた放射性物質によって再び汚染されてしまっていました。
これらの街並みは、周囲の山々から風によって運ばれてきた放射性物資を含む塵埃によって再び汚染されていました。
人々の家も、そのコミュニティもこうした形で日々再び汚染されてしまっていたのです。

            

放射線量を測定するボランティアは現状での住民の帰還に反対している。

第2の問題、それは日本政府がたった1種類の放射性物質の調査のみを全てに優先させ、避難民に対して帰還を強制している点です。
現在日本政府が公表している放射線量とは、携帯式のガイガーカウンターを使い、セシウムから直接放出されている放射線だけを測定した値なのです。
通常こうした測定方法が使われるのは、胸部X線検査のように人体を一定の形で通過する外部ガンマ線などです。

           

ホット・パーティクルまたは細かい放射性ダスト(またはナノ粒子)と呼ばれる放射性粒子は、人々の肺や消化器系に入り込み、その人間の内臓は何年もの間、大量の放射線を浴び続けることになります。
東京電力も日本政府も、このような微細な放射性ダストの存在を無視しています。

            

第3の問題、すなわち最後の問題は、こうしたホット・パーティクルの中に平均的なものと比較して異常に放射性が高いものがあることです。

             

カルトフェン博士と私が共同で執筆し、第三者の科学者による審査を論文において、私たちは300種類に及ぶ微細な放射性ダストについて調査研究を行った結果、平均よりも最大10,000倍放射能の値が高い放射性ダストが約5パーセント含まれていることを確認しました。
こうした高放射性ダストが存在する場所で暮らしている人々の内臓や体内組織は一般的な避難生活者と比べ、絶えず非常に高いレベルの放射線の照射にさらされていることを意味するのです。

            

《後編》に続く
https://www.fairewinds.org/demystify/atomic-balm-part-2-the-run-for-your-life-tokyo-olympics

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もはや日本のメディアが2020年東京オリンピックについてはこぞって『楽しみ』と大政翼賛的報道にはしる中、ご紹介するレポートは非常に貴重なものになりました。

福島の原発難民の人々の本当の意味での救済については、オリンピック以上に国民全員の議論が必要なはずですが、日本全国各放送局から聞こえてくるのは、『オリンピックへの盛り上がり』云々という話ばかりです。

これも国策なのかと、つくづく『人間として』という思考が無視される時代になったなと厭世観にとらわれそうです。

       

そんな中でも福島の原発難民に対する安倍政権の扱いについては、顔が青ざめるほどの怒りを覚えます。

戦後日本の政治は国民の暮らしと安全を守ることを第一義とする方向に進んできたはずですが、それが安倍政権になって国家行事を人権に優先するという思想があらわになりました。

          

その国家行事も安倍政権の場合は最大公約数の国民のためではなく、自分たち政権の周囲に群がる人間たちの利権につながる建設業界や長年ナショナルスポーツに寄生してきた広告業界を潤すことの方が先なのではないか?という深刻な疑問があります。

誰もが受け入れを拒絶する放射能に汚染された土砂、抱え込む福島(GRD)

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福島第一原発事故により発生した放射能汚染土砂、物理的に手っ取り早く処理する方法などは存在しない
福島第一原発の周辺地区にはまだ放射線量の高いホットスポットが残っている
帰還させた避難住民と除染作業員が直面するリスクについて、日本政府は国際社会に誤解させている

東日本大震災から8年、数カ所に残る数百万立方メートルの放射性汚染土砂に苦しめられる福島

写真:除染作業によって発生した汚染土と大熊町の土壌分別施設の作業員

           

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2019年3月12日

            

世界最大規模の原子力災害の被災地で処理作業を続ける、防護マスク、ヘルメット、そして手袋をつけた作業員たちを苦しめるのは、海岸から吹いてくる凍ったように冷たい風だけではありません。

           

一般の人々の目が届かない場所で、作業員たちは新たに収集された放射能で汚染された土砂が詰まった1,000個以上の黒い大きなビニールバッグの中身を巨大なふるいにかけています。
ふるい落とされた土砂は覆いをかけられたベルトコンベヤーで巨大な施設の隅に運ばれ、さらにその上に新たに土砂を重ねることができるように平にならされていきます。
それは骨の折れるうんざりするような作業の繰り返しですが、8年前近くにある福島第一原子力発電所で起きた3基の原子炉のメルトダウン事故によって発生し、現在最も物議を醸している汚染土砂については、物理的に手っ取り早く処理する方法などは存在しないのです。

         

東日本大震災・福島第一原発の事故以降の数年間、約70,000人の労働者が2兆9,000億円の予算を注ぎ込み、家屋、学校、公共施設などの近くの地域から表土、木の枝、下草、その他の汚染物質を除去し、事故で避難した数千人の被災者が自宅に戻っても安全とされるレベルにまで放射線量を下げる作業を行ってきました。

            

その除染作業により発生した数百万立方メートルに上る放射能に汚染された土砂は、大きな黒いビニールバッグに詰められ、福島県内の保管場所に巨大なカーペットを敷いたように置き並べられているのです。。
福島県の津波で被害を受けた浪江町の近くには、地震の被害者のための花が置かれています。

            

写真:津波に襲われた浪江町の付近、東日本大震災の被災者を悼んで置かれた花

          

日本政府は自分たちが暮らす地域を核廃棄物の最終的な投棄場所にされたくない住民との協定の一環として、汚染された土砂を県内の暫定的な保管施設に移動し、その後2045年までに福島県以外の恒久的な処分場に移動することを約束した。

         

しかし日本政府による汚染された土砂の具体的な処分方法は明らかにされていません。
これまでのところ、有害廃棄物を仮置きすることに合意している場所は1か所だけではありません。

            

廃墟と化した福島第一原子力発電所内の労働者は、流れ込み続ける1メートルトンを超える放射性汚染水を封じ込めるのに苦労していますが、その外側では14メートル立方メートルに達する汚染土砂を除去、処理、貯蔵する作業が2021年までに続けられることになっています。

            

しかし環境庁の平塚次郎氏によると、この作業にはさらに2年を要する見込みです。
「私たちは福島県以外の場所に最終的な保管場所を確保することを法律で義務付けられています。そのためこの場所に無期限に保管することはできません。」
取材のため中間貯蔵施設を訪れた少人数の外国人記者たちに環境庁の職員の一人がこう語りました。
「適切な場所をまだ見つけられずにいるのは事実です。問題はどれだけの空間が必要なのか、土壌中の放射能レベルがどの程度のものになるのかということです。」

         

また、福島の道路、堤防、その他のインフラ整備の基礎工事に、比較的低い放射線量(キログラムあたり8,000ベクレル以下)の汚染土砂を使用するという考えに反対する人もいます。

          

写真:2011年3月に発生した宮城県多賀城市の港での大規模地震と津波により発生した激しい火災による煙

           

中間貯蔵施設は福島第一原子力発電所の西に位置する大熊・双葉の両町にまたがっており、周辺地区の放射線量は住民が戻って生活するにはまだレベルが高すぎます。
これまでのところ、汚染土砂の総量の約15%にあたる230万立法メートルの土壌が持ち込まれました。

           

総計1,600回に上る往復運搬を行う運転手を含め、数千人もの作業員がこの作業に参加しています。
これまでに使われたトラックの累計は355,000台にのぼりますが、関係する政府職員によればこれでもまだ足りません。

         

「汚染土砂についてはこのまま中間貯蔵施設での保管を続けたほうが良いという意見もありますが、大熊町と双葉町の人々は非常に厳しい状況に置かれています。私はそのことが気がかりです。大熊町と双葉町の人々は最終的には福島県外の最終処分場に搬出するという約束を信じ、中間貯蔵に同意しているのです。」
平塚氏がこう語りました。

           

地方自治体のデータによれば、除染作業が完了し避難命令が解除されたにもかかわらず、3基の原子炉のメルトダウンにより避難を命じられた住民のうち、再びこの場所に戻ったのはごく少数のグループだけです。
朝日新聞と地元の放送局による世論調査では、政府側は除染作業は成功したと表明しているものの、避難した住民のほぼ3分の2は放射線の存在について懸念を抱いていることが明らかになりました。

          

3月11日月曜日、日本は福島第一原子力発電所で3基の原子炉のメルトダウンを引き起こした東日本大震災、マグニチュード9.0の巨大地震と致命的な津波が発生してから8年を迎えましたが、環境保護団体はいくつかの『安全』とされている福島第一原発の周辺地区にはまだ放射線量の高いホットスポットが残っていると警告してます。

          

独自の調査を行った結果、安全だと宣言されている地域で高レベルの放射線が計測されたことが明らかになり、グリーンピースは日本政府が帰還させた避難住民と除染作業員が直面するリスクについて国際社会に誤解を与えていると非難しました。

            

写真:福島の中間貯蔵施設における黒い袋の列。こうした場所は一箇所に留まりません。

           

「一部地域では、依然としてかなり高いレベルの放射線の存在が確認されています。」
グリーンピース・ドイツの上級原子力専門家で、現在日本を拠点に活動しているショーン・バーニー氏がこう語りました。
「福島第一原発事故が発生する以前と比較し、著しく高い放射線量が計測されています。」

             

自ら除染と行に参加した池田稔氏は、作業員が厳しいスケジュールに間にあわせるため各所で工程を省いたと指摘しました。
「汚染された地区の土地の表面を削り取り、葉っぱを取り除くことだけを命じられたときがあり、そのために私たちは最終的にスケジュール通り作業を完了させることができたのです。」
「時々私たちは顔を見合わせ、あたかもこう会話しているようでした。『いったい我々は何のためにここでこんなことをしているのだろう?』」

               

池田氏は日本政府が汚染された土砂の最終処分場を確保できるという見通しを持っていることについて、疑いを持っています。
「日本政府がすべての汚染土砂を福島県外に運び出すことができるとは、私は一瞬たりとも信じたことはありません。」
「いずれ日本政府は第二の計画を実施せざるをえなくなると思います。」

             

https://www.theguardian.com/world/2019/mar/11/fukushima-toxic-soil-disaster-radioactive

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この記事の3枚目にある東日本大震災発生の際の宮城県多賀城市のプラント火災、私も10キロ以上離れた自宅のバルコニーから立ち上る黒煙を数日間見続けていました。

宮城は太平洋側東北3県で津波による最大の死者を出しました。

それでも尚私たち仙台市民が恵まれていたのは、県内の女川原発が福島第一原発と同じ事故を引き起こさなかったことです。

東日本大震災発生から8年が経った現在、自分たちがいる場所が深刻な放射能汚染を受けたか受けなかったか、ということが比較できないほどの差を作り出しました。

どう考えても、福島の人々の苦境を救うために放射能で汚染された土砂を我が都道府県に持ってきてくださいという自治体があるはずがありません。

政治に関わる人間ならこの問題について正面から向かい合うべきですが、現在の安倍政権はこうした本質的な、それだけに簡単に答えが見つかりそうにない問題は全て後回しにし、オリンピックやカジノや憲法改定など、国民が今今解決して欲しいとは思っていないことばかり優先し、それを数の力で強引に成立させようとしています。

それに対する国民の抵抗はあまりに微弱であり、日本人というのは真の民主主義社会を実現できないまま21世紀を進んでいくのでしょうか?        

世界最強の軍隊・アメリカ軍!なぜ勝てないのか?《4》

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ベトナムでもイラクでもアフガニスタンでも、腐敗と機能不全に陥った統治機構がはびこっていた
『敵を太らせるだけ?』アメリカの納税者から集めた莫大な資金の行方

戦争と現実の世界についての誤った理解のため、記念碑的とも言える代償を支払ったアメリカ

             

アーノルド・アイザック / ルモンド・ディプロマティーク 2018年5月6日

           

20世紀、我々アメリカ人がベトナムで支援し続け、そして崩壊した軍隊と政権、21世紀に支援したのもまた同じ性格のものであったことはもう明らかです。
ベトナムでもイラクでもアフガニスタンでも、腐敗と機能不全に陥った統治機構がはびこり、アメリカの目的達成の障害であったことを証明することになりました。
そしてこれらの問題のすべてにおいて、アメリカ人が何をしてもほとんど効果はなかったのです。

             

ジャーナリストのダグラス・ウィッシングが著書『敵への資金提供』に書いているように、腐敗に対して効果的な対策をとる代わり、アフガニスタンであらゆる分野に及んでいた腐敗に関する大規模な調査報告を、米国政府その大部分を「無視あるいは公開しただけで何もしなかった」のです。
外交的に配慮した表現が用いられてはいますが、アフガニスタン復興特別監察官による多数の報告書の結論ははっきりしていました。

            

タリバンがアメリカの資金をどうやって利用しているかそのさまざまな手口にいて具体的な説明をした後、手に入れた資金でタリバンが武器、オートバイ、携帯電話などを手に入れていると書いています。
タリバンが南ベトナム軍と違うのは、宗教的良心によって資金を利用している点です。
「少なくともタリバンは、米国の納税者から集めた現金を個人的に着服したりはしていない。」
ウィシングはこう皮肉っています。

          

▽ 新しいドラマ、でもシナリオはいつも同じ

            

2018年の世界は、半世紀前の世界とは大きく異なっています。
ベトナム、アフガニスタン、そしてイラクは全く異なる国々であり、それぞれの戦争は原因も状況も異なっています。
今日の米軍はかつてベトナムで戦った米軍とはほとんど別物です。
したがって、比較することはそれほど簡単ではありません。
それでもそれぞれの戦争をつき詰めていけば、話は驚くほど似ています。
無制限の火力を持つ大編成のアメリカ軍は、はるかに貧弱な装備しか持たない敵を相手に何年も費やしながら、まるで終わりが見えません。
その間アメリカの援助当局者は多額の現金と助言を与え続け、機能的な政府と繁栄している国家、あるいは少なくとも必要最低限の機能性とそこそこの繁栄を実現した国家を創り出すことを目指しています。
その成功によって現地の市民たちがごく自然にアメリカの側に立つことを選択するよう仕向けています。

                 

しかし結局、アメリカ人が悪戦苦闘して手に入れようとした目標は達成できないままです。
すなわち自力で体制を防衛する能力を持ち、市民の目から見ても公正な体制であり、そして米国の国益にも好意的な安定した現地政府です。

              

最終的には我々アメリカ人が自分たちの手で任務を達成することは諦めた上で、現地の人々にどうすれば目的が達成できるのか、我々の成功体験を教えることになります。
ただしそこにはもう有り余るほどの物資補給はありません。
具体例を挙げれば、たとえ金持ちのアメリカ人たちがまだそこにとどまっていたとしても、現地政府軍はより少ない機数のヘリコプターを使って負傷兵を救出できるようにしなければなりません。
当然ながら、そうした方針はあまりうまく機能しません。

                  

こうしたシナリオが、特に2度目(イラク)または3度目(アフガニスタン)の際、しょせん錯覚にすぎないということになぜもっと早くそして多くの関係者が気づかなかったのかわかりません。
部分的にはそれは疑いなく、実態がどういうものなのか、ゆっくりとしか明らかになっていかないという状況にあったからだと考えられます。

               

そしてアメリカ政府も国防総省の考えは、アメリカ人が思い出すことが苦痛である記憶についてはそれを美化という傾向に、さらに拍車をかけたものです。
国防総省のベトナム戦争に関するサイトがその良い例です。
起きたことを正確に記録することを避けているのです。

         

たとえそうだとしても、ベトナム戦争の後、アメリカ国内の戦争の専門家も、そうでないアメリカ国民も、これまでの数十年間に起きた事実と向き合わなければ、イラク介入以降、アフガニスタン介入以降、引き続きは津制している混乱を収束させることはできません。
それは現場の将軍達も自問自答していることですが、私たちアメリカ人が達成したいことは何なのか、現地の政府や軍にはその達成能力はあるのかということです。

             

当たり前のことですが、何が問題なのかを書き出すことは、問題を解決することよりも簡単です - ずっと簡単です。

           

必要なのは根本的構造、信念、そして組織的にも個人的にも自己の利益に関わる大規模で、しかも痛みを伴う変更です。
(それでもなお私たちアメリカは、米国が世界最強の軍隊を持っていると自負できますか?)

               

私たちは戦争と現実の世界についての誤った理解のため、記念碑的とも言える代償をすでに支払いました。
今になっても尚その教訓を生かそうとしないのであれば、その代償は悲劇的なほどに高くつくことになるでしょう。

                

《 完 》
https://mondediplo.com/openpage/why-can-t-the-world-s-best-military-win-its-wars
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世界最強の軍隊・アメリカ軍!なぜ勝てないのか?《3》

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イラク政府軍の名簿上だけの兵士5万人分の給料が全て上官たちのポケットに入っていた

アフガニスタンでは、政府の給与支払い台帳に載っている兵士と警官の半数が実在しなかった

戦争による決着、軍事的な解決という手段について、アメリカは考え直す必要がある

アーノルド・アイザック / ルモンド・ディプロマティーク 2018年5月6日

南ベトナム政府の腐敗ぶりを厳しく糾弾した報告書の編集責任者であり、汚職に関するセクションの主な執筆者はフランク・スコットンでした。
彼はベトナムで最も経験が長く、最も知識造詣の深いアメリカ政府職員の一人でした。

           

スコットンはこの問題について『丘の上の戦い』と題した回想録の中で、ひとりのベトナム人の将軍が彼にこう語ったと記しています。
「多くの腐敗した将校を名指しすることができたが、腐敗した将校でありながら有能な指揮官でもあったという人物は存在しなかった。」
この将軍は結局、政権批判を理由に免職となり、亡命せざるをえなくなりました。

        

2007年3月にルモンド・ディプロマティークに掲載されたヘレナ・コッバンの「米国:心と思いを取り戻す」という論説を読んでみましょう。
この研究グループも南ベトナムに必要な改革を提言するリストの先頭に「腐敗を徹底して減少させること」を掲げました。

            

私が政府職員として南ベトナムに赴任したのはスコットンの報告書が作成されから約6年後のことでしたが、私が目撃した現実も完全にスコットンの報告書通りのものでした。
彼が何年も前に書いていた通り、南ベトナムの最も誠実で有能な将校たちは、最もフラストレーションをためこみ完全にやる気を無くしていました。
それからほぼ3年後、私は崩壊する南ベトナムから脱出しなければならなくなりましたが、汚職こそは南ベトナム政府が戦争に負けた最大の理由であると確信することになったのです。

         

▽ 幽霊兵士部隊

          

私はイラクやアフガニスタンについては、現地に赴いたことはありません。
しかし、たとえ遠くから見ていてもベトナムと全く同じというわけではありませんが、その状況から歴史は繰り返すという事実を確認するのは難しいことではありません。

            

時折、イラクやアフガン戦争からのニュースはこれまで明らかにされた際には - ショッキングな現実認識とともに伝えられました。
2014年の秋、イスラム国の攻撃がイラク国内各地で激発し、過激派の比較的小さなグループに国内の都市が次から次へと陥落してしまった後 - アメリカ軍が訓練を施したイラク軍の現実の戦闘能力は、書類上に記されていたものに比べてはるかに低いものでした。

           

その理由はイラク政府軍の名簿上の5万人もの部隊(まるまる4個師団に相当)が「幽霊兵士」であり、現実には存在しない、あるいは支払われていた給料が全て上官たちのポケットに入っていた名簿上だけ登録されていた幽霊兵士だったのです。

例えば、過激派のイスラム国兵士が攻撃してきた際、モスル市は書類上は25,000人の政府軍によって守られていたはずでした。
しかし実際の数はその半分以下であり、いくつかの部隊では兵員数が半分にも満たない状態でした。
これは2003年にイラクに侵攻した後の10年間、アメリカが250億ドル(約2兆7,600億円)規模の支援を行った結果として特筆されるべきものです。

         

アフガニスタンでもあらゆる分野における腐敗の蔓延により、同様の状況が明らかになっています。
アメリカ軍にとってアフガニスタン治安部隊の能力向上は最優先課題とされ、訓練、助言、そして資金提供が行われていましたが、ある紛争地域では、政府の給与支払い台帳に載っている兵士と警官の半数が実在しないか、いても勤務には就いていないことが明らかになりました。

           

ベトナムで起きたことはイラクでも何から何まで同じでした。
米軍の援助によって運営されていたベトナムのある部隊では、支払われる1ドルごとに、そして一つ一つの武器、車両、弾丸、ブーツにいたるまで、給与支払い台帳に兵士1人につき2つの名前が記載されていました。
『幽霊兵士』はすでに戦死していたにもかかわらず戦死報告書の作成は行われず、そのまま給与が支払われ続け、上官はその給与を集めてまわり自分の懐に入れていました。

           

『飾りの兵士』というのもいました。
彼らは給与の全額を上司に差し出すかわり、自宅で家族と暮らし続けることが許されていました。
こうした事情からベトナム軍の戦力は、実際よりもかなり低いものだったのです。

公称300人の兵士がいるはずの大隊は、実際にはその半分、ひどい場合には100人しかいませんでした。
モスルで敗れた『幽霊兵士』だらけのイラク部隊の場合と全く同じだったのです。

              

《4》に続く
https://mondediplo.com/openpage/why-can-t-the-world-s-best-military-win-its-wars
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イラクやアフガニスタンと同じことが日本でも起きているとは思いませんが、CIAの中で最大の規模を持つのが対日本局だと伝える本をずいぶん前に読んだことがありますが、現在は間違いなく対中国局が最大規模になっているのでしょう。

しかし日本も重視されていることは変わらない事実だと思います。

CIAが『衛星国家』を操縦する常套手段について、オリバー・ストーン監督は「右翼に金を渡し繰り返し暴力沙汰の騒乱を引き起こして社会不安に陥れ、民衆に治安の強化を願うように仕向け、独裁政権の樹立を促す…」と紹介していました。

          

日本では『暴力沙汰の騒乱』こそ起きていませんが、一つ疑問に思っていることがあります。

それは安倍政権を賛美する私に言わせれば三流ですら無い右翼雑誌が、なぜ全国の主要新聞に全面広告を掲載するだけの資金を持っているのか?ということです。

新聞の全面広告ともなれば全国紙で数千万円、地方紙やブロック紙は発行部数に応じて数百万円かかります。

あの雑誌がなぜそれほど多額の広告掲載料金を支払うことができるのか、不思議でなりません。

          

世界最強の軍隊・アメリカ軍!なぜ勝てないのか?《2》

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アメリカの同盟国の最大の弱点は蔓延する腐敗

市民に対する警官の暴力的取り締まりをやめさせること、政府・自治体の役人たちが私腹を肥やすために弱者を利用することをやめさせることの方が大切

2000年以降の18年間の実績は、アメリカ軍による「全領域における優位性の確保」など妄想に近い空想の産物だと語っている

アーノルド・アイザック / ルモンド・ディプロマティーク 2018年5月6日

          

1996年に原版が作られ2000年に改訂版が作成された文書「ジョイント・ヴィジョン 2020」の中の標語「全領域における優位性の確保」は、以後20年間にわたる米軍の進化に関する「概念的なテンプレート」として説明されています。
そこで語られていたのは標語から連想される内容よりももっと徹底したものでした。
「あらゆる分野の軍事作戦において卓越した軍事力を発揮し、平和的にも説得力を持ち、そして戦争全体を支配し、どのような紛争においても卓越した存在であること。
世界中のどんな場所での軍事作戦であっても常に勝利できる、どのような敵であっても倒す能力を持ち、軍事作戦上のあらゆる状況を支配下に置くことができる能力を持つこと。」

         

敵を圧倒する?
あらゆる状況を支配下に置く?

            

2020年までの道のりは現在その9割を踏破したことになりますが、米国の兵士たちはそのすべての火力と技術をもってしても、参戦していた戦場を完全な支配下に置くための手掛かりすら手に入れることはできませんでした。
アメリカ軍は貧弱な装備の敵の戦闘員たちを支配下に置けずにいます。
そして原始的構造の低コストの爆破装置を手にアメリカに歯向かう反乱分子も抑え込むことができずにいます

              

現実的には警官が一般市民に対する暴力的取り締まりを行うのはやめるべきだと思うこと、政府や自治体の役人たちが弱者に対する公的支援を卑劣な手段で弱体化させることはやめてもらいたいと思うことの方が、争乱を沈静化させるために有効なのです。
はっきり言えば2000年以降の18年間の経験から、アメリカ軍による「全領域における優位性の確保」など妄想に近い空想の産物としか思えません。

            

ベトナムに対する大規模な介入を始めたとき、第二次世界大戦においてアメリカが圧倒的勝利を得たのはわずか20年前のことでした。
アメリカがベトナムへの介入を決定した時の軍の高官たちは、第二次世界大戦における勝利経験によって軍人としての思考法を確立した人間たちであり、その傲慢さは当然ともいうべきものだったのです。
しかし「全領域における優位性の確保」を考案した人間たちとその考え方に影響を受けた軍の指揮官たちは、ベトナム戦争終了後ほぼ同じ時期に登場しました。
彼らはなぜアメリカ軍は全能だと錯覚したのか理解しにくい原因がここにあります。

              

2011年8月にルモンド・ディプロマティークに掲載されたザビエル・モンテアルドの「昨日の敵は今日の友」。
戦争の敵味方のそれぞれの側では、両陣営の幹部たちはいずれも失敗の原因は自分たちの戦略あるいは指揮命令のせいではないと主張し続けています。
その代わり彼らは政治家が過度に干渉し制約を課し、早すぎるタイミングで戦争から手を引かざるを得なくされられたせいで、最後の勝利が得られなくなったと主張しています。
こうした事実に反する主張については証明する方法も反証する方法もありません。

         

しかし第二次世界大戦で勝利をつかむまでの時間と比較すると、ベトナムでは2倍、イラクでは3倍、アフガニスタンでは実に4倍の時間(年数)を与えられていることを考えれば、そうした主張が片手を後ろ手に縛られていたという主張同様、実に虚しいものであることがわかります。

         

私のコンピュータの検索機能が適切に機能しているとすれば、「同盟国」「同盟軍」「当事国政府」および「地方部隊」という言葉は「ジョイント・ヴィジョン 2020」白書のどこにも記載がありません。
意図的に削除されていることは明らかです。

            

ベトナムやアメリカが関わった近年の戦争において米国政府の当局者は認めることを驚くほど嫌がっていましたが、現地におけるアメリカ軍の同盟軍の弱点こそ、米軍とその同盟軍が装備や火力において圧倒的な優位を誇っていたにもかかわらず、これらの戦争において勝利を得られなかった根本的な理由と見なされるべきです。

        

アメリカの諜報活動については狭義と広義の両方の意味がありますが、ここにひとつ言外の意味があります。
軍事力の行使が何を意味するのかを再考しなければなりませんが、それと同時に諜報活動が何を意味するのかについても再考すべきはずです。
特に2500年以上前に中国の賢者孫武( 紀元前535年? - 没年不詳)によって語られた古典的な教義を再検討することが役に立ちます。

          

諜報の第一の目的は「あなたの敵を知ること」です。
20世紀後半にアメリカが関わった戦争において米軍の司令官が敵が何者なのかということをもっとよく知っていたならば、結果はもっと異なっていたでしょう。
ベトナムとそれ以降の戦争において、状況を最悪のものにした諜報活動の最大の失敗は敵について十分な理解がなかったことではなく、同盟関係にあった軍についての理解が足りなかったことでした。
ベトナム戦争以降で一貫していることは、故意であろうとなかろうとアメリカは同盟関係にあった軍隊の重大な弱点を知らないまま、その能力を過大評価していました。

            

ベトナムでは、アメリカの武器、資金、アドバイスによって南ベトナム軍が創設されました。
紙の上では、アメリカが自国民に説明していたように、南ベトナムの防衛は容易に可能になるはずでした。
しかし米国が提供した資金と物資は同盟軍の指揮官を実戦で役に立つ人材に変えたりあるいは有能にしたり、不十分な指導力を補ったりはしませんでした。
そして最終的には南ベトナム軍よりはるかに貧弱な装備しか持たないものの、巧緻でしかも臨機応変の作戦を展開できる規律ある敵軍を敗北に追い込むことはできませんでした。

            

アメリカの同盟国だったサイゴン政権の最大の弱点は蔓延する腐敗であったという事実については、強い言葉で主張することができます。
腐敗は前線の兵士を含む南ベトナムの人々を激怒させ、政権を見限る原因になっただけではありませんでした。
それは十分に実害を与えていました。
そして致命的だったのは、汚職が彼らの政府と軍の両方の職務遂行能力を回復不能なレベルになるまで奪ってしまった点にありました。

          

サイゴンにおけるアメリカ軍の任務の遂行状況を調査するグループが1966年に作成した報告書は、厳しい言葉でこの点を指摘しました。
「行政機関における上層部の腐敗、それがさらに部下の腐敗を生み育てるという形で組織内に無能力が蔓延するという致命的な相関関係が存在する。さらには成果の出ない仕事ぶりとあからさまな命令不服従が事態をさらに悪化させている。こうして出来上がったシステムが有能で献身的でしかも腐敗とは無関係な人材のやる気を奪い、挙げ句の果てには組織内で『浮き上がった』存在にしてしまっている。」

           

《3》に続く
https://mondediplo.com/openpage/why-can-t-the-world-s-best-military-win-its-wars
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なぜアメリカの同盟国は腐敗するのか?これはもうベトナムやアフガニスタンに限った話ではなく、現在の日本にも十分当てはまる、そう考えるのは私だけでしょうか?

その原因は?と言えばCIAが腐敗の元凶に多額の現金をばらまいて、自分たちの意のままに操ろうとするからでしょう。

操る側にとっては腐敗していればいるほど操りやすいということになります。

南米で一時期社会主義政権はもちろん、民主的な政権がCIAの工作によって次々と転覆させられましたが、仕掛けた連中はまさにゴロツキ、人を殺すことにどんな躊躇もしない連中まで含まれていました。

そんな連中がなぜ高性能の武器をたずさえ、しかも資金力が豊富だったのですか?

          

それは発展途上国に限ったことではありません。

『アメリカ最大の同盟国』はどうでしょう?

現に英国のエコノミスト誌は、2012年の民主党政権崩壊の最大の立役者はアメリカの政府機関だったと書いていました。

私は2012年12月以降、日本の権力中枢に腐敗臭を強く感じるようになっています。

まさにそこには「行政機関における上層部の腐敗、それがさらに部下の腐敗を生み育てるという形で組織内に無能力が蔓延するという致命的な相関関係」が存在していると私は感じています。

カルロス・ゴーン氏の保釈 / 真実の行方

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「私は無実であり、今回の無価値な根拠のない告発に対し、公正な手段を用いて自分の身を守ることに全力で取り組む」
「今回の事件は本来なら日産の社内問題として扱われるべき案件だった…」
日産の幹部がゴーン氏を追い出し、これ以上ルノーとの関係強化が進まないよう妨害を企てた

           

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2019年3月6日

           

財務上の処理で巨額の不正を行ったとして逮捕された元日産の会長カルロス・ゴーン氏は、逮捕されてから約4ヶ月後、東京拘置所から解放されました。

          

長期にわたる逮捕拘留によって、日本の「人質司法」に対する国際的な批判を巻き起こしたゴーン氏は、3月6日水曜日午後、東京地方裁判所が保釈を認めた翌日、詰めかけた何百人もの記者、カメラマン、テレビ関係者の前を車で走り去りました。

              

テレビの中継映像は、ゴーン氏が紺色の作業服、水色の野球帽、手術用フェイスマスクを身に付け、数人の職員によって周りを取り囲まれた状態で東京拘置所を出て、銀色の軽ワゴン車に乗り込む様子を伝えました。
上空を何機ものメディアのヘリコプターが旋回する中、東京拘置所に着いたのはフランス大使館差回しの車だとメディアが伝えていました。

            

ブラジル生まれのレバノン人として出生し、現在はフランス国籍のゴーン氏は保釈後はそのまま東京都内の自宅に向かうものと思われていました。ゴーン氏はその場所で裁判が始まるまで、おそらく数ヶ月間は厳格な保釈条件のもとで生活しなければならないとみられています。

           

ゴーン氏は5日火曜日の夜、弁護士を通じて発表した声明の中で、こう述べました。
「私は無実であり、これらの評価に値しない、そして根拠のない告発に対し、あくまで公正な手段を用いて自分の身を守ることに全力で取り組んでいます。」

         

「私はこのおぞましい試練の中で私に寄り添い続けてくれた私の家族や友人たちに非常に感謝しています。無罪を確信して公正な裁判のために戦っている日本国内および世界中のNGOや人権活動家にも感謝しています。」

         

ゴーン氏の弁護のために新たに任命された法律顧問団が、自身の行動と電子的および他のコミュニケーション手段に対する厳格な制限を自分自身に課すとの申告を受けた東京地方裁判所は、保釈金の額を10億円に設定しました。

          

共同通信社によれば、こうした措置によりゴーン氏は携帯電話の使用が制限され、平日の昼間は弁護士事務所でのみコンピュータにアクセスすることが許され、インターネットの使用と今回の事件に関わりのある人々との接触の一切を禁止されることになりなります。
この中には日産の元幹部や共犯とされている人々、日産の元代表取締役グレッグ・ケリー氏が含まれます。

          

これまで裁判所は、1月にゴーン氏の前任の法務顧問団によって提出された2度の保釈申請を却下しましたが、理由として飛行機を使っての国外逃亡の危険性があり、証拠隠滅の可能性もあると主張してきました。

          

しかし3月5日火曜日、同じ裁判所が今度は検察官による申し立てを棄却した後、64歳のゴーン氏は解放されました。
保釈によってゴーン氏は自らの報酬について数億円の過小申告を行い、さらに個人として投資した分の損失を日産に付け替えたという訴追に対し、反証を行う法務チームとともに作業する時間を増や酢ことができます。

        

日産、ルノー、三菱自動車の三社連合を成功裏に導いた日産の元会長は、日産の幹部がゴーン氏を追い出し、これ以上のフランスの自動車メーカーとの関係強化の妨害を企てたと非難しています。

          

ゴーン氏は先月法律顧問団のメンバーを交代させ、『無罪請負人』の蔑称を持つ元検察官の弘中淳一郎氏をトップに据えました。
弘中氏は著名な人物の弁護を請け負った日本国内の案件において、依頼人の無罪判決の獲得率が99%を超えている弁護士です。

          

2018年11月にゴーン氏が逮捕されて以降、日産のコーポレート・ガバナンスは世界中から厳しい目で精査されてきましたが、弘中惇一郎氏は今回の申し立ては本来なら日産の社内問題として扱われるべき案件だったべきだったと主張しています。

           

専門家らは、今回裁判所がゴーン氏の保釈を認めた背景には、世界的な世論と保釈のため提示された厳格な条件があると語っています。
日本の検察には幾つかの異なる訴追理由によって容疑者を繰り返し逮捕し、弁護士不在のまま1日あたり8時間に及ぶ尋問を行うことが
許されています。

          

「裁判所の決定に影響を与えたものの一つは全世界的な世論です。」
と元検察官の牛島信氏がこう語りました。
「一般的に、日本の拘留期間は長すぎると考えられていました。今回の事件により日本の刑事手続は変わらざるをえないでしょう。」

           

3月1日土曜日に65歳になったゴーン氏は暖房設備のない狭い独房で108日間を過ごし、人生の貴重な時間を浪費しました。
ゴーン氏は1月、自分のさ夷蛮の行方について
「いずれにせよ最終的には自分を守るための機会を手にすることになる。」
と語っていました。

           

https://www.theguardian.com/business/2019/mar/06/carlos-ghosn-former-nissan-chairman-released-on-bail-in-tokyo

世界最強の軍隊・アメリカ軍!なぜ勝てないのか?《1》

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戦争による決着、軍事的な解決という手段について、アメリカは考え直す必要がある

ベトナム戦争はアメリカにとって間違いなく全面戦争であった

          

アーノルド・アイザック / ルモンド・ディプロマティーク 2018年5月6日

          

「今度こそ、彼らはするべきことをしている。」
2018年の春初め、5日間に渡ったアフガニスタン訪問の最後にこの国の最高軍将校が楽観的見解を示したことをAP通信の記事が伝えました。
AP通信の記者はアメリカ海軍のジョセフ・ダンフォード・ジュニア多国籍軍参謀長が視察を終えて帰国の途についたと伝え、アメリカが支援するアフガニスタン国内でのタリバンとイスラム国家に対する戦争について、『明白に楽観的な感覚』を明らかにしたと付け加えました。

             

暗闇の向こうに光が見えてきたのでしょうか。

              

現地で随行していた記者たちがダンフォード将軍に、世界をリードする世界最強を誇る軍事力を持ちながら、将軍の言葉を借りれば米軍とアフガニスタン政府軍が今度こそ間違いなく勝利を手にできる『これまでと根本的に異なるアプローチ』を考え出すのになぜ16年もかかったのか、そのことを尋ねたかどうかは伝わっていません。

            

しかしそこが肝心なところであるはずです。
もしもアメリカが自分たちは歴史上最も強大な国家であると言い続け、その軍隊はトランプが語るように「史上最強の戦闘能力を持っている」のであれば、資金力においてもアメリカとは比較にならないほど少額した持っていない敵を最終的に倒す方法を見つけ出すのに(もしそんな方法が本当に見つかったとしての話ですが)、なぜこれほど困難に遭遇し長い時間を要したのですか?

             

2017年12月に掲載されたセルジュ・ハミリ氏の『宗教戦争』を読んでみてください。
現在再び混迷のどを深めているアフガニスタン発の断片的なニュースは、ボルティモア・サンの特派員として3年間私が直接目撃した戦争初期の状況について改めて考えさせました。

             

ベトナム以後関わってきた戦争ではアメリカと現地の同盟国はすべての軍事力、少なくとも既存の概念において、圧倒的な優位性を持っていました。
しかしまだ勝利したことはありません。
米国の政治指導者、司令官級の軍人、そしてアメリカ国民がベトナムについてありのままに記憶していたならば、苦痛に満ちた真実が現実を糊塗する神話に覆い隠されていなかったなら、21世紀になってなお暴力的解決の道を探り続けるアメリカにもっと知的なそして効果的解決方法を与えることができたでしょう。

           

ロナルド・レーガンがこう語ったことがあります。
アメリカ軍は片手を後ろ手に縛られたまま戦った、つまり軍の力がこれ以上大きくなることを望まない政治家がいたためにベトナムで負けたのだという、性こりのない話を考えてみてください。
その意図するところははっきりしています。
アメリカがこれまでやってきたやり方をもっと徹底してやることで、あるいはもっと長く続けることで、戦争に勝つことができはずだという考え方です。
そして表面上は軍事衝突が終了した形になっているその他の紛争においても、同じ手法を用いるべきだというのです。

            

しかしアメリカは本当に投入した軍事力が足りなかったためにベトナムで負けたのでしょうか?
ベトナムは厳密には限定的な戦争などではありません。

            

実質的に全面戦争であった証拠には事欠きません。

              

米国が投入した軍事力がどれほど破壊的なものであったか検証してみましょう。
アメリカ陸軍兵站部隊の研究記録文書にはこう書かれています。
「軍事史上かつてない規模の破壊的火力戦力」が投入された。
そして並外れた量の空軍力と地上兵器兵力が投入され、さらには指揮官たちには機動力、装備、または補給について実質的に無制限に使用して戦争が行われたことが記録されています。
物資補給については、
「ほとんど無制限の供給体制が作られ、そして戦場から要求される兵器や装備については驚くほどスムースに可及的迅速に提供するシステムが整備され、銃砲弾と燃料については途切れることなく十分な補給が続けられましたが、そのほとんどが軍部以外からの掣肘をうけない体制になっていたのです。」

             

実際にベトナムの戦場に出た経験を持つ人々にとってすら、米国の火力に関する統計は驚くべきものです。
国防総省の長期間記録によると、アメリカ軍とサイゴンの南ベトナム政府軍は長期間、敵の600倍のスピードで砲弾を使い続けました。
1969年の1年間、北ベトナムの砲弾使用量が150トンだったのに対し、アメリカ側は地上兵器だけで100万トンの弾薬を使用しました。
1974年になるとアメリカ軍はもはや実際の戦闘は行っていませんでしたが、同盟国の南部ベトナム軍司令官は、アメリカの軍事援助の減少に起因する弾薬や装備の不足について絶えず嘆き続けていましたが、それでも南ベトナム軍は北が1トンの弾薬を発射する間に65トンの弾薬を使用していたのです。

           

これらの数字には航空兵器は含まれていません。
その数字を含めると、比率は尚一層グロテスクなものになります。
ベトナム戦争の全期間を通じてアメリカの航空機は、第二次世界大戦中に連合軍がドイツと日本に投下した爆弾の総量と比較し、北ベトナム、南ベトナム、ラオス、カンボジアにおいてその2倍の数の爆弾を投下しました。

             

こうした数字を見る限り、ベトナム戦争に置いてアメリカは過度な制限のもとで戦わなければならなかったという主張に説得力はありません。
火力、技術、そして機動力の点で想像を絶するほどの優位性を保ち続けて7年間戦ったにもかかわらず、アメリカ軍は勝利出来ませんでした、あるいは軍事援助を行っていた同盟国の軍隊を勝たせることはできませんでした。
そのもっとも論理的な結論は、米軍の軍事的原則とアメリカ政府の軍事に関するコンセプトは勝利の方程式には当てはまらないということなのです。

それでは後世のアメリカの兵士たちが、アフガニスタンとイラクに持ち込んだコンセプトはどうだったでしょうか?

          

《2》に続く
https://mondediplo.com/openpage/why-can-t-the-world-s-best-military-win-its-wars
  + - + - + - + - + - + - + - + 

           

私が多少なりとも文字を理解できるようになった時、ベトナム戦争に関しては日本国内でも毎日のように報道されていました。
当時は映画の世界で戦争映画はトップ・ジャンルの一つでしたが、その多くが第二次世界大戦において人類の敵・ナチスドイツと死闘を繰り広げる『正義の軍隊』アメリカという描かれ方がされていました。

しかしベトナム戦争のニュースを見ながら、子供心にアメリカ軍の変容を感じていました。
その印象を決定付けたのがソンミ村事件などの残虐な事件の報道でした。

ベトナム戦争が終わって早くも半世紀近く経ちますが、現在のベトナムとアメリカの良好な外交関係(対中国という問題を軸にした『敵の敵は味方』という側面があるにしても)を見ていると、何のためにあれほどの人々が殺され、人生を破壊されなければならなかったのか、との思いを強くします。

          

人生を破壊された人間の多さは、実はベトナムより戦場に駆り出されたアメリカ人の方が多かったのではないか?
これは表立っては報道されませんが、今日のアメリカ社会の荒廃の決定的要因の一つであることは間違いがないと思います。
無差別殺人や薬物依存の深刻化との深い関連性は自明のことです。

           

原文が長文のため4回にわたり掲載しますが、2019年の今日、軍事力により何が解決できるのかということを考えてみたいと思います。

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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