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[ 未来を奪われた原発避難民]
デア・シュピーゲル(ドイツ)12月22日
第2部[隠され続けた真実]
馬場町長は、3月15日朝の高い放射線レベルについて何ひとつ知りませんでした。その日彼はさらに西にある二本松市の市長の自宅に向け、車を走らせていました。
しかし彼はそのとき、直感的に状況がさら悪化する可能性について、恐怖を感じていました。
二本松市では人口60,000のうち、2,000人を上回る人々が地震によって家を破壊され、住む家を失っていました。
その状況の下、馬場町長は二本松市長にこう尋ねました。
「浪江町からこの二本松市に、町民5,000人から8,000人を受け入れてもらえませんか?」
それ以来、二本松市には何千人もの旧浪江町町民が、仮設住宅やトレーラーハウスの中で生活しています。
9歳と12歳の息子を持つ渡辺恵子さんは、もうすでに3回引っ越しをしました。
この取材を行った時は、二本松市郊外のトレーラー・ハウスで暮らしていました。
渡辺さんの住居にはシミひとつなく、息子たちの教科書はきちんと緑色の本棚に並べられていました。
「私は子供たちのことがものすごく心配です。たとえすべては政府と東京電力の過失であったとしても、私は彼らを叩きのめしてやりたい、そんな気持ちです。」
福島大学から派遣された科学者たちがこの10月、 渡辺さんの息子たちの甲状腺に蓄積された放射線量を測定して行きましたが、結果報告については彼女は未だに待たされたままです。
彼女は時々パンフレットを配布したり、避難している人々に話を聞いたりして県の仕事を手伝うことがあります。
彼女の息子たちが学校から帰ってきて、自分で 冷蔵庫からアイスキャンディを取り出しました。そんな子供たちを見て恵子さんは微笑みます。
しかし彼女には子供たちに言えずにいることがあります。
「子供たちはいつかは家に戻れる、そのことを少しも疑っていはいません。」
いつの日か子供たちにもう二度と家には戻れない、そう話したときいったいどうなるか、それは彼女にもわかりません。
▽かなわぬ未来への願い
高齢者であり農民でもある半谷正夫さんは、彼の孫娘たちのことを心配しています。
彼女たちは両親と一緒に、浪江町からはるか遠く、日本海に面する新潟まで避難しました。
しかし浪江町に留まっていた間に、いったいどれだけの放射線を浴びてしまったのか、それはどれ程有害なことなのでしょうか?
正夫さん自身は浪江町がたとえ放射性物質によって汚染されているとしても、 町に戻ることだけを望んでいます。
今やそれだけが生きる目標になってしまいました。
正夫さんは時々仮設住宅の周りの砂利の上に立って、知り合いの老人たちと彼らの住まいについて話をします。
彼が失ってしまったもの、それは高瀬川で遡上する鮭をつかまえること、そして自分の畑で白菜を作ること。
「私が一番心配していることは、はたして家に帰ることができるのか、という事です。」
「それがかなう日は来るのでしょうか?」
バスの運転手をしていた菊池則人さんも、将来のことを考えると喪失感に襲われます。
「私はもう働けません。もう何もできないのです。」
彼の友人たちは日本中に散っていきました。
「親しかった人たちと話もできなくなり、さびしい思いでいっぱいですだけが残りました。」
彼の息子と娘は職を求めて、かなわぬ努力を重ねています。
菊池さん一家は仮設住宅の家賃を支払う必要はありませんが、電気代、ガス代は支払わなければなりません。
息子の卓也さんは家族としばしば口論になりますが、彼もまた孤独を感じています。
「私は放射線が原因で病気になることが怖いのです。それが本当はどれだけ恐ろしいものなのか、誰も教えてはくれないんです。」
事実、卓也さんは耐え難い苦痛を伴う、避難民としての暮らしを強いられています。
「もう一年以上も家に帰っていないような気がします。」
父親の則人さんがこう付け加えました。
「この状態のまま人生が終わってしまうなんて、そんなことは考えたくもありません。」
▽ 怒りで体が震える
馬場町長は二本松市内に小さなアパートを見つけ、妻と母親と一緒に暮らしています。
彼もまた、なぜ自分がこんなところで暮らさなければならないのか、時々疑問に思います。
しかし窮屈な仮設住宅で暮らさなければならない以上に最悪なのは、浪江町の人々のため仮設住宅の敷地内に街灯を設置するような、そんな単純なことでもいちいち許可を取らなければならない、その手続きの煩雑さの方です。
馬場町長、そして仲間である町議会議員は、本来なら東京電力と日本政府に向けられるべき人々の怒りの、避雷針としての役回りを求められます。
今でも、SPEEDIが発した警告があまりにも遅く彼のもとに届けられたことを考えると、怒りで身のうちが震えてくると言います。
「それは怒りなどではありません。」
「それ以上のものです。これは殺人です。どうして彼らは、私たち浪江の人間を殺そうとしたのですか?」
馬場町長はそう語ると、メガネの下にハンカチを差し込み、しばらくその目を押さえていました。
「どうして誰も彼らを法廷に引っ張り出して、裁こうとはしないのでしょうか?」
「人々が事故のために、こんなに苦しんでいるというのに。」
大惨事以来、馬場町長は国の根幹にかかわることについて、自分にこう問いかけるようになりました。
「日本は文明国家だ、という。そして原子力発電もその文明の象徴の一つだったはずだ。」
彼は津島の避難所にある数枚の写真、爆発した福島第一原発の原子炉の写真を見ると、いつもこう考えると語りました。
「どうして我々は、これを制御できないのだろう?」
「我々は今、自分たちが創り出してしまった、悪魔との戦いを続けているのです。」
〈 完 〉
http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,805337,00.html#ref=rss
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『かなわぬ未来への願い』の部分で、半谷正夫さんの最後の望みを訳した途端、涙がこぼれました。
人生の最後に望むことが故郷の川で鮭をつかまえたり、自分の畑で白菜を作りたい。
豪華客船で世界を一周するとか、高級料理店で豪華な食事をしたい、というのではないのです。
そんな実直な方の、人生の締めくくりにおそった大きな悲劇。
そしてその悲劇の源を作り出したのは他でもない、私たち自身、人間でした。
イランのニュースは原発推進の立場に利用されそうだな、と感じたので載せました。
問題の発言は外交・軍事に影響力の無いイラン副大統領の発言、という点を抑えておきましょう。
最後のビデオの翻訳は、ちょっと手を抜かさせていただきました。
難しい事を言っている訳ではないので、リスニングに挑戦してみていただけませんか?
今日で2011年が終わります。
どんな年だったか?という質問が愚劣に思える程、日本人にとっては1945年以来の痛烈な年になってしまいました。
3.11の発生により突き動かされるようにして始まったこのブログですが、10ヶ月間おつきあいいただき、ありがとうございました。
2012年も1月1日から、毎日新しい記事をアップしてまいりますので、興を起こされましたら覗いてみてください。
フィンランドの作曲家ヤン・シベリウスは、念願にしていたロシアからの祖国の独立が達成されると間もなく、その作曲活動が静かに終わりを迎えました。
このブログも、3.11をきっかけに人々の間に生まれた悲願が達成されるまで続けて行きたい、そう考えています。
2012年もよろしくお願いします。
皆さんにとっても良い年になるよう、心から願っております。
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【イラン、ホルムズ海峡封鎖を警告】
世界の原油供給体制に脅威
アメリカABCニュース 2011年12月28日(AP)
火曜日、イランの国営報道機関は政府高官の発言として、西側諸国がイランの石油出荷に制裁を課す場合、イランはホルムズ海峡を閉鎖し、石油の輸出を遮断する用意がある、と伝えました。
IRNAレポートによると12月27日火曜日、モハメド・レザ・ラヒミ副大統領は、イランは決して戦闘を開始したい訳ではないが、西側諸国はイランに対する敵対行為には断固とした態度を取る、と話しました。
西側は問題となっているイランの核開発疑惑に対し、その石油取引に規制をかける制裁を検討しています。
イランの貿易収入の80パーセントが原油輸出によるものです。
ワシントンでは国務省報道官マーク・トナーはこの脅迫ともとれる発言に対し、「こけ脅しに過ぎない」と斬って捨てました。
「この発言は国際的核規制の違反を続けているイランが、問題から目を逸らさせようとまた別の手を考え出したに過ぎない。」と話しました。
ラヒミ副大統領はイランの外交・軍事問題に影響力を持っていません。
イランは世界で取引される原油の約40%が通過するホルムズ海峡で、10日間の海上演習を行っています。
海峡を封鎖すれば、世界経済に甚大な影響を与える事になります。
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【 終わる2011年 】
アメリカABCニュース 2011年12月29日
▽悲劇 - ガブリエル・ゲフォーツ上院議員、と聴衆銃撃事件
▽大災害
東日本大震災
福島第一原発
ミズーリ州ジョップラン
▽アメリカの戦争
オサマ・ビン・ラディン殺害
アフガニスタン
イラク撤退
▽飢餓
▽変革・暴動
チュニジア / エジプト / リビア
▽ロイヤル・ウェディング
▽復活
ガブリエル・ゲフォーツ上院議員
デア・シュピーゲル(ドイツ)12月22日
▽大パニック、そして爆発
半谷正夫さんは自分のスバルの軽トラックに乗り、渋滞に巻き込まれながら何とか町から脱出しようとしていた一人でした。
消防士たちがその朝、彼の農場に来ていました。
「彼らは放射線のことなんか、何も言いませんでした。」
「避難するように、とか何とか、それしか言いませんでした。」
75歳、身長はちょうど1メートル60cmでやや猫背の正夫さんは、こう振り返りました。
彼の軽トラックには、高齢者が運転していることを示すステッカーが貼られています。
彼は突然17歳と19歳の2人の孫娘の面倒を見なければならなくなりました。
彼女たちの母親は特別養護老人ホームで働いていましたが、そのまま施設に留まって高齢の患者の世話をしなければならなくなり、父親は日本海側で仕事をしていました。
町を出たところで、彼の軽トラックはパンクしてしまいました。彼は軽トラッ クを道の脇に止め、自分でタイヤを交換しようとしました。
「車を止めて手伝おうなんて人は、一人もいなかった。」
3時間かかって、正夫さんとその妻、二人の孫娘はやっと浪江町津島の避難所にたどり着きました。普段なら30分しかかからない道のりに、たっぷり3時間以上かかりました。
シングルマザーの渡辺恵子さんと彼女の二人の息子も、交通渋滞で立ち往生しました。
彼女は自分の家が破壊されてしまうことを恐れながら、子供たちと小学校で眠っていました。
「燃料切れのため、道路に車を放棄しなければならなくなった人を何人か見かけました。
2人の女性が車を押して、道からどけようとしているのも見かけました。」
渡辺さん自身は何とか取り乱さずに我慢することができました。
「一生懸命子供たちを守ることだけ考えていました。」
馬場町長もテレビで菅首相のメッセージを確認しました。
彼はすぐに街のアラームを作動し、町内放送で自らの意志で町内に残ろうとしていた人々に警告を発しました。
午前11時までには、 ほとんどの住民が浪江町を放棄し、国道114号線を北西に向かっていました。
この時点で、福島第一原発の1号基の原子炉で最初のメルトダウンが始まり、 原子炉内の圧力は容赦なく高まっていきました。
エンジニアは必死に原子炉からの圧力を下げようと絶望的な戦いを続けていましたが、とにかくまず、彼らはバルブを開くことができませんでした。
当日昼ごろになってやっとバルブを開くことに成功しましたが、その結果放射性物質の放出が始まったのです。
この時、馬場町長と清水さんは約20キロ先にある浪江町津島に向かう途中でした。
しかし清水さんの妻は、子供たちと一緒にまだ浪江町に留まったままでした。
彼女は流れる様子の無い交通渋滞を見たとき、自宅で待機する方が安全だと判断しました。
そして午後3時36分、彼女は大きな爆発音を聞いたのです
「巨大な橋が破壊されたような、そんな音でした。」
それは原子炉1号機の爆発音でした。
この時、清水さんはなんとか浪江町を脱出していました。
▽いつわりの安心
東京にある一棟の政府の建物の中、"SPEEDI"として知られているコンピュータのシミュレーション・システムは、放出された放射性物質の雲がどの方向に動いていくか予測していました。
SPEEDIは、福島第一原発から放出された放射性物質は浪江町と同町津島を通り、北西に向け移動していくと予測していました。
この早期警戒予報は内閣府には報告されましたが、馬場町長も、そしてその他津島方面に向け避難した人の誰もが、数ヶ月経ってから初めて知りました。
彼らは福島第一原発から北西に20km離れたその場所で、ひと安心といったところでした。彼らはこの地区のコミュニティセンターと学校に収容されました。
シングルマザーの渡辺恵子さんは、調理をする係りに志願し、屋外で野菜を刻みました。
最も大量の放射性物質が降り注いだのは、津島にたどり着いて3日目の3月15日でした。
それは、原子炉3号機を格納する建屋の爆発によって、放射性物質が放出されたためだと考えられています。
その日、渡辺さんの子どもたちは放射能雨が降る中、外で遊んでいました。
この日までに津島の学校の放射能汚染は、1時間あたり20マイクロシーベルトあるいはそれ以上の値を記録し、ほとんどどこよりもひどくなっていました。
弘前大学からやって来た研究チームは、3月中旬ごろから現地で測定を始めました。その測定結果を利用し、津市地区に避難をした浪江町の人々の被ばく線量の計算を行いました。
その数値は68ミリシーベルトという高い値、または政府が緊急時の被ばく線量の限度としている値の3倍というものでした。
これとは対照的に、福島県が行った浪江町、およびその周辺市町村の人々の被ばく線量は最大でも37ミリシーベルトでした。
さらに比較してみると、原子力発電所で働く人々の被ばく限度は50ミリシーベルトです。
〈つづく〉
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〈『血涙』が流され続ける福島 〉
私自身はすっかり忘れていたのですが、最近会社の部下の一人が私にこう言いました。
「私たちが屋外の喫煙所で煙草を吸っていると、小林さんが来て『今原発が爆発したから、すぐに屋内に入れ!』と言ったんです。ああ、自分も死ぬのかぁ、とその時思いました…」
冷静に考えれば福島第一原発が爆発して数分後に、仙台まで放射性物質が飛んでくるはずはないのですが、その時はとにかく周囲の人間を屋内に退避させなければならない、それ以外の考えは思い浮かびませんでした。
その日から私たち仙台市、そして宮城県の人間も放射能汚染と向き合う生活が始まりました。
伝えられなければならない情報が伝えられなかったために、ここに出てくる渡辺さんの子どもさんたちを始めとする多くの人々が、本格的な被爆をしてしまいました。
私たちはテレビを通じ、この時政府や関係機関が何を一生懸命やっていたかを目撃しています。
「心配するようなことは起きていません。デマに惑わされないでください。」
デア・シュピーゲルのこの記事に登場する浪江町の人々は、まして子どもたちは、デマや『風評』で被爆してしまったのでしょうか?
福島の会津地方に「白虎隊血涙史」という記録があります。
2011年の今年、福島では白虎隊どころのスケールではない『血涙』が流され続けています。
そしてそれは私たち自身の、今起きている問題なのです。
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【 帰ってきたアメリカ人の先生 – 南三陸町 】
アメリカNBCニュース 12月28日
たとえどれほどの時が過ぎたとしても忘れられない大災害が今年、日本を襲いました。
津波、そして福島第一原発の事故。
9カ月を過ぎた今も、すっかり破壊されてしまった南三陸町の様子にほとんど変化はありません。
今年9月そんな町にひとりのアメリカ人女性、英語教師のキャノン・バーディさんが戻ってきました。
携えてきたのは一台のビデオカメラ。
キャノン「この建物は病院、そしてこの場所は公園、学校のクラブ活動も行った場所だったのですが…」
彼女が指差す場所には町内の瓦礫が一カ所に集められ、巨大な山が築かれていました。
そして仮設住宅が見慣れた景色になってしまいました。
津波に襲われた直後の景色がこれ、そしてこちらが現在の様子。
緑に覆われ、少しばかり慰めを感じます。
キャノン「ここで生まれ育った人々にとっては、かけがえの無い故郷なのです。この場所にとどまり、再建を目指す、それ以外に選択肢はありません。そして再建は今、やっと始まったのです。」
3月、津波は谷あいにあるこの町に、まるでバスタブにお湯を満たすようにして押し寄せてきました。
あらゆる場所から再建の槌音が聞こえてきます。
これが彼女が戻ってきて、最初に見た光景でした。
彼女は本当に特別なタイミングで帰ってきました。
それは卒業式。
日本では通常3月に卒業式が行われますが、災害のため中止されていましたが、やっと行われることになりまし た。
そして彼女は小さな希望の芽を見つけました。
次の世代が、何事にもやる気を見せ始めたのです。
悲しい出来事があったこの場所で、人々の営みは絶える事無く続いています。
キャノンがこの場所にいるのは美徳のためではなく、そうしなければならないからなのです。
NBCニュース、ショージ・ルイス
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デア・シュピーゲル(ドイツ)12月22日
▽ゴーストタウン
9カ月の間、浪江町はゴーストタウンとなっています。
清水なかさん、市長のアシスタントは、定期的に放棄された市庁舎の現在の状態を確認するため、出かけて行きます。
今日もまた、彼は数時間の間、旧市街に戻っていきました。
立ち入り禁止のバリケードの2キロメートルほど手前で、彼は防護服、防護マスク、そして手袋を身に着け、靴を青いビニールのカバーで覆いました。
バ リケードの向こうに山並みが見えます。
植物が道路の半分以上を覆っていますが、牧草地や農場だけでなく、地震によっててできた道路の亀裂からは雑草が生え、人間の背丈と同じぐらい異常なほど大きくなり、伸び放題のままになっています。
清水さんは車のフロントガラス越しに、放射性物質を吸収した植物の様子をじっと見ながら、こうつぶやきました。
「セシウムの草…」
彼は微笑んでいるようにも見えましたが、むしろ泣き顔に近かったかも知れません。
黒毛の牛が放たれたまま草を食んでいました。
電話ボックスに灯る灯りが、その内部にも雑草がはびこっている様子を浮かび上がらせています。
一軒のバーの入り口の前には腰掛けが並べられたままになり、家々の前には黄色く変色した洗濯物が乾されたままになっています。
浪江駅の線路は、野生のブドウの蔓と葉ですっかりおおわれてしまっています。
太平洋に面した地区は何もかも津波にさらわれ、すっかり平らになってしまっています。
自衛隊の隊員とその他の作業員が、ひときわ大きな瓦礫の山の前に集まっていました。
清水さんが車から降り、コンクリートのビルのひとつを指さしました。
請戸(うけど)小学校です。
「先生が完璧な対応をとったため、子供たち全員が助かりました。徒歩で高台まで避難したのです。」
そう清水さんが説明してくれました。
しかし町以外の行政機関は、人々が放射能汚染から逃れるため、結局は役に立ちませんでした。
「日本政府も、福島県も、どちらも私たちを助けてはくれませんでした。」
清水さんは避難区域を運転している間ずっと無言でしたが、彼は突然記者の方を向いてこう言いました。
「どうか、私たちを助けてください、福島を!ヨーロッパの皆さん、助けてください!」
▽緊急避難
3月12日へと続く夜、この場所には誰からも助けの手はおよびませんでした。
家屋を津波や地震によって破壊されてしまった何千人という人々が、浪江市役所または市内の学校に避難しました。外からの情報伝える唯一の手段は、テレビとラジオだけでした。
福島第一原発を抱える双葉町と大隈町では、夕刻前に警告が発せられ、人々を避難させるためにバスがやって来ました。
一方、制御不能に陥ってしまった福島第一原発からほんの数キロしか無いにもかかわらず、浪江町では馬場町長も、そして町民も何も知らされなかったのです。
バスの運転手の菊池則人さんと、彼の息子の32歳になる拓也さんはその夜テレビの前に座り、繰り返し放映される今世紀最大の津波の様子と、どんどん不吉な様相を帯び始めた福島第一原発の様子を食い入るように見つめ、そして呆然となりました。
いつもなら彼らの家からは、飛行機などにその存在を教えるための、発電所内の塔の赤いランプの点滅を見ることができました。
しかし、その夜は真っ暗でした。
拓也さんは身の回りのものを袋に詰め、父親に避難を促しましたが、父はもう少し様子を見たい、と言ったのです。
土曜日の朝、午前6時ごろ、ニュースキャスターが福島第一原発の周囲10km以内にいる人々に、避難を呼びかける当時の内閣総理大臣菅直人からの警告を読み上げました。
その時点で、発電所の技術者は過熱している原子炉内の圧力を下げる操作を行う必要があり、結果として放射性物質が浪江町に向かって飛来することが明らかになりました。
拓也さんは飛び上がり
「みんな逃げなければならない!」そう言いながら妹を起こしました。
則人さんも母親を揺り起こし、仏壇から亡くなった妻の遺影を急いでつかみ出しました。
拓也さんは、自分のポータブルプレイステーションを、妹は小さなぬいぐるみが4つぶら下がっている携帯電話を握りしめました。
家を飛び出して10分後、祖母は自分の心臓の薬を忘れてきたことに気づき、家に戻ろうとしました。
則人さんは自分に落ち着くよう言い聞かせていましたが、思わず悪態をつきました。
道がだんだん混みはじめていました。則人さんはホンダの小型車を運転し、国道114号線を北西に向かい走り始めました。その道は彼が39年間、バスの運転をしていた道でした。
車が浪江町近くの山上にたどり着いた時、彼らは車を止めて町を見下ろしました。
車が数珠つなぎになって、渋滞が続いていました。
「まるでアルマゲドンのようでした。」
「それが現実の出来事だとは、すぐには信じられませんでした。」
〈つづく〉
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ゴースト・タウン段落の最後、
「どうか、私たちを助けてください!」
という訴えには胸を突かれます。
そして同時に私たちは何という事をしてしまったんだろう、という後悔にも苛まれます。
現在この稿と同時進行で翻訳しているニューヨークタイムズの論文にこんなくだりがあります。
「私たちは原子力発電に関し、これまで何の教育も受けてこなかった。」
その通りだ、その事実が福島第一原発の事故につながった原因の一つなんだ、という事に気づかされました。
これからの日本の社会が行き先を間違わないようにするためには、今起きている現実を、真実を丹念につまびらかにして行く必要があると思います。
尚、原文が英語のため、登場される方々の漢字表記には誤りがあるかもしれません。
失礼があった場合には、お詫び申し上げます。
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【 日本人とベートーヴェン第九 – 佐渡さん米国CBSニュースにも登場 】
アメリカNBCニュース 12月26日
今年は特別の意味を持つ、12月にベートーヴェンの『歓喜に寄す』を歌うというこの日本の伝統は、その起源を第一次世界大戦当時に求めることができます。
私たちにはそれぞれ年の瀬に聴きたい音楽があり、『選択の余地は無い』などという事はありません。
しかしここ日本においては、どうやらみんなが同じ曲を聴きたいと思うようです。
そして今年は…いつもの年よりそのことに大きな意味があるようです。
ほとんどの人々が仏教の宗派、あるいは日本古来の神道により色分けされる日本 では、クリスマスの行事に熱中するような人々はむしろ少数派に属します。
しかしある日本のクリスマスの季節の伝統行事は、目立たないものではありません。
この時期、ベートーヴェンのあの傑作、交響曲第9番の第4楽章『歓喜に寄す』に対する日本人の熱の入れ方には、ちょっと驚かされるものがあります。
12月に『第九』、すなわちベートーヴェンの交響曲第9番の感動的な 演奏が行われることなく、その年が終わってしまう、そんなことは考えられないのがこの日本、それほどにこの曲は愛されているのです。
いったいなぜ、と言いたくなるほどの日本人のこの曲へのこだわりは、第一次世界大戦当時にその起源がありま す。
捕虜として日本に抑留されていたドイツ兵が行った演奏が、この曲の日本での初演でした。
日本人はこの曲をたちどころに気に入り、以来第九は20世紀の半ばまでには、年末の定番として親しまれるようになりました。
12月いっぱい、演奏会場からデパートまで第九が演奏され、そして歌われます。
第九はこの季節もっとも好まれる曲であり、音楽家、そして指揮者にとっては必須演目です。
「私はもうこの曲を150回以上演奏しています。」
指揮者の佐渡裕さんが話しました。
一部の熱狂的なファンはこの曲を原語で歌うことができます。
「私はところどころ覚えているだけです。後は口パクしてるだけ。」
9歳の女の子はこう答えました。
規模の大きさでいえば、大阪で開催された1万人による『第九の合唱』を超えるものはありません。
才能のある人も無い人も、等しくこのステージに立つチャンスがありました。
3月に発生した大災害に思いを巡らせるとき、第九の歌詩にはさらに深い意味を 持つことになります、特に津波を生き抜いた人々にとっては.....
「あの災害は私たちに、助け合うことがどれだけ大切なことかを教えてくれまし た。」
合唱団のメンバーが語りました。
「この曲は何もかも破壊されてしまった日本の人々への、なぐさめと励ましなのです。」
[ 未来を奪われた原発避難民]第1回
12月22日 デア・シュピーゲル(ドイツ)
パート1[国からも県からも『捨てられてしまった』人々]
もう何か月もの間浪江町の住民21,000人は、日本全国の仮設住宅や避難所暮らしを続けています。
暮らしていた家を捨てさせられ、彼らはそれと知らず、福島第一原発が放出した 放射性物質が流れていく方向に避難をしてしまいました。
その心配と怒りについては察するに余りありますが、それでもほとんどの人々ただひたすら帰れる日が来ることを願い続けています。
馬場保氏は今や彼の後ろに貼られた地図の上だけにしか存在しない、浪江町の町長です。
9ヶ月前、馬場町長は福島第一原子力発電所で発生したメルトダウンから人々を逃がすため、21,000人の浪江町町民を避難させました。
当時日本政府にも、福島第一原発の管理者である東京電力にも、大惨事の際の避 難誘導などは無く、何もかもを町長自身が一人でやらなければならなかった、 と語ります。
そして今日に至るまで、彼はたった一人の戦いを続けてきました。
二本松市の男女共同参画センターにある馬場町長の事務所は狭く、窓もありません。
この場所以外に、浪江町の緊急事態の対応を行える場所はありませんでした。
彼の顔にはあごひげが伸び放題になり、疲労によるしわが深く刻まれています。
彼は何か月もの間、彼は浪江町の将来を救うための努力を重ねてきました。
「全員そろって、一緒に浪江町に帰りたいのです。」と彼は語りました。
「でもそれは難しいでしょう。そしておそらく、町内の一部はこの先もずっと帰れない場所になるかもしれません。それでも皆、浪江町に帰りたいので す。」
破壊された福島第一原発の北西わずか8キロメートルにある浪江町は、一部のわずかなエリアを除き、立ち入りが許されない避難区域になってしまいました。
放射線量が非常に高い場所が確かに存在します。
対策チームには浪江町の町役場その他数か所を、除染するという考えがあります。
「技術的な支援が必要です。」
と馬場町長が語りました。
▽ 危険に向かって逃げた
浪江町の町民はこの除染に、かなえられることは難しい程大きな期待を寄せています。
まるで放射性物質のセシウム137が排水溝に洗い落され、再び町が 汚染されることは無い、とでも言うように…
「町民はせっぱつまった様子で私にこう尋ねるのです、『いつになったら家に帰 れるのか?』と。」
馬場町長が語りました。
浪江町の住民は47都道府県のうちのほとんど、44の市町村にばらばらに暮らしています。
すでに何か月も経過した今、
「住民は避難生活に疲れ果てています。町民の当たり前の暮らしは、破壊されてしまいました。」
福島第一原発の管理者、東京電力は浪江町の住民ヘの補償を約束しました。
「東京電力は住民の心の傷が、時間の経過とともに癒されていくと考えていますが、私が見ている限り、住民の苦しみは時間が経つにつれますますひどくなっています。」
浪江町は避難区域に含まれる10以上の市町村の一つです。
この3月、これらの市町村の100,000人を超える人々が、皆等しく避難民になってしまいました。馬場町長は町民の避難計画を、彼自らが立案しなければなりませんでしたが、町長にも、そして住民にも、彼らが避難しようとしている方角に向け、汚染物質の雲が広がり続けていることを警告する者は誰もいませんでした。
浪江町の町民は避難し、その後を放射性物資が追いかけました。
事故が起きて4日目までに、町民は放射能汚染が最もひどい土地に、自分たちがいることに気づくことになったのです。
〈づづく〉
http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,805337,00.html
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今日からまた新しいシリーズものを掲載します。
原題は[ Scattered across Japan]、scatterはばらまく、まき散らす、追い散らす、といった意味なので、放射性物質がばらまかれた事と、浪江町の人々が追い散らされた、双方の意味をかけているものと思われます。そこでご覧のような表題にしました。
一度4回に分けてご紹介した[ 福島J-ヴィレッジ潜入記 : 使い捨てられる人々 ]と同じ、ドイツの雑誌、デア・シュピーゲル(ドイツ語で『正論』という意味)からです。
前回も翻訳していて観察眼の鋭さと、文章力の確かさに感動した私ですが、今回の内容も今年最後を締めくくるにふさわしい、重厚なものです。
浪江町の人々は、福島第一原発の事故でどのような悲劇的運命に追い込まれたのか?
そしてその原因は何なのか?
今回、この原稿を翻訳し、よく理解できました。
そしてひたひたと迫る、人々の悲しみと恐怖 - 第一回にはまだ現れませんが。
4回に分けて掲載する予定ですが、ぜひ最後までお読みくださるよう、心からお願いします。
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【 殺人ウィルス完成、公表を差し止められる 】
アメリカNBCニュース 12月20日
この恐ろしい可能性に関する話題は一度取り上げましたが、追加情報をお伝えします。
考え得る中で最も恐ろしいこのウィルスについて、合衆国政府の諮問機関は研究者に対し、他 国への研究の詳細に関する発表を行わないよう命じました。
ロバート・バゼルがお伝えします。
レポーター : ひとりの医師がウィルスを作成した経緯を説明しました。
彼はこの医師はめったに人には感染しない鳥インフルエンザ・ウィルスを、フェレットを使って人間に対する感染力が極めて高いウィルスに作り変えました。
このウィルスに対してはほとんどの人は免疫を持っておらず、恐ろしい爆発的流行を引き起こす恐れがあり、感染した人の60%は死んでしまう可能性があります。
トーマス・イングレスビー博士(ピッツバーグ大学病院)「これは今まで世界に現れたものの中で、最も危険なインフルエンザ・ウィルスです。」
レポーター : 米国政府に助言する立場の諮問機関は一歩踏み込んで、二つの科 学雑誌(サイエンスとネイチャー)に研究の詳細に関する記事を削除するよう依頼し、テロリストの手に情報が渡らないようにしました。
イングレスビー博士「私はこうして研究が行われること自体に反対でしたが、実際行われてしまった以上、政府のこうした対応は妥当なものだと思いま す。」
彼らは、研究が公表されればどういうことになるか、そこまでは考慮していませんでした。彼 らは学ぶべき教訓を得た、と言えるでしょう。
アンソニー・フォウシ博士(国立健康研究所)「私たちはこのような研究が行われたこと、そして政府がこうした対応をとったこと、その結果がどうなっていくか注視していかなければなりません。」
二つの雑誌は今後数ヶ月内に、この研究の編集されたバージョンを公開する予定です。
これはすべての科学的研究がテロに利用される危険性をはらんでいる、という一つの実例です。
ロバート・バゼル、NBCニュー ス、ニューヨーク
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「危険な原子力発電の存続を望まない、普通の人々の決意を象徴」
国際報道サービス(IPS)2011年12月22日
長い間経済的繁栄と勤勉さに価値を見出し、出世と成功に重きを置く日本社会にあって、未だ成熟が見られない社会運動の分野で、このたびの女性たちの戦いは記念碑的な意味を持つ、と専門家は分析しています。
「進行中の抗議活動は、危険な原子力発電の存続を望まない普通の人々の決意を象徴しています。我々一般市民はもはや政府を信頼していないという、大きなメッセージもこめられています」と、松戸市で市民ネットワーク運動の責任者を務める小林たかのぶさんはこう語りました。
放射能漏れによって、地元住民の健康に著しい危険をもたらした福島第一原発のメルトダウンが、すぐには市民に知らされなかったという事実から人々の疑念は生じました。
福島第一原発の安全性を主張する東京電力と日本政府に対し、インターネット・サイトで 人々から突きつけられた不信のコメントは、何十万という数を記録しました。
国はすでに大規模な原子力発電推進計画に乗りだしており、国民の支持を獲得するための取り組みを数十年にわたって続けてきましたが、福島第一原発の事故が原子力発電の安全神話を台無しにしてしまいました。
国民の怒りに直面し、政府と東京電力は事故処理の誤りを認め、大幅な見直しを約束することになりました。
中央大学の社会学者、中沢英雄教授は現在行われている抗議行動は、原子力発電の実施と同時に、政府に対する憤りを象徴している、と分析します。
「抗議活動は日本の原子力問題を市民運動の最前線に押しやり、都市の中にも浸透していきました。」
中沢教授がIPSに語りました。
今回の反原発運動には政党色が希薄であり、この点、強い左翼傾向があった以前の反核運動と対照的である、と教授が付け加えました。
女性が指揮する市民運動も前例がありません。
母親たちがこの抗議活動を引っ張ってきましたが、子供たちを放射の危険性にさらすのを防ぐための運動に共感と支持を獲得するため、女性たちの多くがこのような活動を初めて体験することになりました。
中沢教授はさらにこのように説明しました。
「日本の市民運動は社会の中で冷たくあしらわれ、そのためほとんどだめになりかかっていましたが、今やこうした限界は取り払われました。」
日本の主要な女性政治家の1人であり、反原発抗議活動にも積極的に参加している国会議員の福島瑞穂は、原子力に対する抗議は鎮静化しそうにも無い、とIPSに話しました。
「原発廃止を実現できる可能性は、非常に大きくなっています。」
2003年以来、社民党の党首を務める福島氏はこう語りました。
http://ipsnews.net/news.asp?idnews=106282
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【 子供たちの心に、伝えるべきこと 】
アメリカNBCニュー ス[メイキング・ア・ディフエレンス]12月7日
ブライアンウィリアムズ:
今夜の[メイキング・ア・ディフエレンス]は青年たちのグループが、かつて生まれ育った街に戻り、ちょっと想像がつかない方法で、その街の子供たちの心のケアを行っている様子をご紹介します。
ボルティモアからNBCのレヒーマ・エリスがお伝えします。
レポーター(レヒーマ・エリス):彼らが初めに依頼されたのはサッカーのコーチでした。でもアリとアートマンのスミスの兄弟と一緒に訪れたアンデイ・ゴンザレスには、別のアイディアがあったのです。
アリ・スミス(ホリスティック・ライフ財団共同創設者)「さあ、思いっきり息を吐いて。」
レポーター : ...ヨガは『心の平安』という事について知識を持たないボルティモアの子供たちに、特別な体験をさせてくれます。
アリ・スミス「私はこの地区ではたった1週間で4度の発砲事件が起きたこともある、と記憶しています。」
レポーター : 発砲事件が起きたのはスミス兄弟が育った地区のすぐそば、その後で兄弟はヨガを父親から教わりました。
アリ・スミス(ホリスティック・ライフ財団共同創設者)「私たちはこの地区を捨てて出て行ったわけではないのです。私たちは大学に進学するため、この地区を一時的に離れただけなのです。だからこの場所に戻ってきたとき、私たちはその必要性を感じたのです。ご覧になった通りです。」
レポーター : 9年前、彼らは非営利組織のホリスティックライフ財団を設立、無料のヨガ教室を開催、子供たちに参加を呼びかけました。
アリ・スミス「この地区の子供たちは日常の行動、怒りコントロールすること、そして感情の面で、様々な問題を抱えていました。」
レポーター : 教室は15人から始まりました。現在では教室に通う子供たちの数は1,000人を超えました。
アートマン「1フィートは何インチかな?」
レポーター : ヨガ・マットを離れても、彼らは家庭教師であり、個人教授です。
彼らは一度可能性を失ってしまった子供たちを、立ち直らせようとこの場所での指導を行っています。
彼らはヨガのトレーニングが、ボルティモアのような都市部の子供たちに、特に内面にどのような影響を与えるか、必ずしも豊富な経験を持っているわけではありません。
しかしこうした鍛錬が子供たちのストレス解消に役立っていることが、早くも証明されているのです。
ジャネイサ・ブラウン(9歳)「だれかとケンカになりそうになると、そのときは… そのとき私は大きく深呼吸するの。そうすると気持ちがすーっと落ち着くのよ。」
レポーター : ボ ランティアの一人、ダリウス・ダグラスは10年前にここでヨガを始めるまでは、毎日喧嘩ばかりしていたと言います。
ダリウス・ダグラス「もし僕がアリとアートマン、そしてアンデイと知り合うことができなかったら、未だに路上で誰かに喧嘩をふっかけているような、恥ずかしい人間になっていただろうね。」、
アリ・スミス「この子たちが成長して、おさまるべきところにちゃんとおさまっていることを見ることができれば、その時はきっと自分たちも役に立ったんだ、そう思えることでしょう。」
レポーター : 体をほぐし、そして一番大切なことを伝える若者たち…
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国際報道サービス(IPS)2011年12月22日
かつて一度原子力発電への反対の声を無視した日本の原子力産業界ですが、3月11日に襲った巨大地震と巨大津波によって破壊された、福島第一原発からの放射能汚染の実態を明らかにしようとしない政府や自治体に対する怒りを燃え上がらせる母親たちによって、その存在が脅かされています。
「さまざまな草の根運動を行うグループから集まった母親たちは、2012年以降日本のすべての原子力発電所の操業を止めさせるために、ともに最前線に立ち、戦いを行っています。」
再生可能エネルギーの普及活動を進める非-政府組織(NGO)『緑の活動』の代表を務めるアイリーン・ミヨコ・スミスさんがIPSに語りました。
100人以上の反原発デモ参加者は、そのほとんどが女性ですが、今週原子力安全保安院の担当者に会い、事故調査の透明性を保つこと、そして国内すべての原子力発電所の永久停止の要求書を手渡しました。
現在、福島事故が日本の原子力業界の重大な安全管理違反を暴露した後、日本の56基の原子炉のうち6基が停止しており、再稼働のためストレステストを受けることになっています。
福島第一原発の周囲で暮らしていた100,000人以上の人々が、今自宅に戻れずにいます。
今や放射能が原発周辺の農地を中心に、コメや野菜の汚染が拡大していることが明らかとなり、スーパーマーケットの棚に並ぶ乳児用食品までもが汚染されていることがわかりました。
日本政府は昨週、破壊された福島第一原発が冷温停止状態に到達したと発表しました。
「恐ろしい事故をコントロールための最初の段階は、成し遂げられました。引き続き政府は30年から40年をかけて再び福島を安全な場所に戻すための明確なロードマップを作成します。」
と、細野豪志原子力問題担当大臣は語りました。
細野大臣は報道機関に対し、現在福島第一原発では放射能漏れにつながる核反応は起きていない、と説明しました。
電力会社と政府機関は、安全規則を厳格に運用し、透明性を保つ公約をしました。
スミスさんは、この最新の発表を彼らが原発再稼働を目論んでいるという警告ととらえています。
「原子力発電は安全であるという既成概念を作ろうと必死の政府と電力業界に対し、原子力発電所を再開できないようにするため、私たちは活動をさらに進化させていきます。」と、スミスさんが話しました。
実際に女性のグループは、経済産業省前での新しい座り込みキャンペーンに備え、寒い冬の到来をものともせず、 先週からテントの設置を始めました。
女性たちは、日本で伝統的に女性の妊娠期間とされている『十月十日(とつきとうか)』の間、彼女たちの抗議行動を続けると誓いました。
「わたしたちの抗議行動は、日本の社会の再生を成し遂げることが目的なのです。」
こう語るのは福島からやって来た参加者で、祖母でもある篠ちえこさんです。
「国民の命を守るより、経済成長の方を優先するこの国の為政者の在り方を、変えて行く必要があります。」
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冬の訪れも本格化し、寒さに縮み上がる日も増えてきました。
そんな中、記事にあるように女性たちがくじけずに戦いを続けています。
それにしてもこの女性たちに対する、日本のマスコミの徹底した無視は何なのでしょうか?!
女性たちにも生活があり、家族があり、そして仕事もあるかもしれません。
女性たちはそうしたものをすべて犠牲にして、寒空の下、なぜ経産省前で抗議行動を続けなければならないのでしょう?
その思いを丹念に取材し、国民に伝えるメディアは無いのでしょうか。
赤絨毯の上、黒塗りの車で送り迎えされながら、被災地で凍える人々の苦しみなどどこへやら、愚劣などうでも良い確執を繰り返す永田町。
そしてその周りに群れて、マイクをぶら下げ、言われたままを記事にする大手マスコミ。
せめて私から女性たちに、[サモトラケのニケ]をその象徴として捧げます。
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【 退役後も支え合う兵士たち 】
[この世界をかえていく![ メイキング・ア・ディフェレンス ]アメリカNBCニュース 11月11日
オバマ大統領は兵士の墓に花輪をささげた後、すべてのアメリカ人に向かって彼らの雇用に努めるよう訴えました。
今夜の[メイキング・ア・ディフエレンス]は退役した兵士たちが、国に戻って別の道を歩む際に、新たな援助を 提供する内容です。
皆さんは「バイ・アメリカン(アメリカ製品を購入しよう)」という言葉はお聞きになったことがあると思います が、今日は「バイ・ヴェテラン(退役した兵士がかかわるビジネスを利用しよう)」という取り組みについて、NBCのミゲル・アルマゲールがお伝えします。
「やあ、シャロンさん!」
リポーター: ジム・ワスコは軍隊当時と同じ熱心さそのままに、カニ料理の店を経営しています。
「おいでいただいて、光栄です。」
リポーター:ワスコの家族は海軍勤務経験がありますが、彼は現在他の職業についている家族が、家業をついてくれることを望んでいます。
ジム・ワスコ「部隊勤務は、規律、働くことの意義、そして自己管理の仕方を教え込んでくれます。それは、一般社会で働くことになっても、非常に役に立ちます。」
リポーター:ワスコのカニ料理の店は、年商300万ドルを達成する退役兵士経営企業の一つです。
ほとんどの人は食事をするためここを訪れますが、この店のドアに掲げられた小さな表示を目的に訪れる人々もいます。
「ビジネスを軌道にのせなければならない、もう一つの理由がここにあります。」
リポーター:ワスコはバイ・ヴェテラン.comのメンバーです。この組織は2人の退役兵士によって、部隊勤務経験を生かした会社作りを目的に設立されました。
バイ・ヴェテラン.comのサイトを見てみると、郵便番号を入力すればその地方の退役兵士企業のオーナーが表示されるようになっています。
リポーター:むしろ多くのアメリカ人は、退役兵士の企業を利用することに積極的なようです。市場調査によると、3分の2の人々が退役した兵士が経営する店や企業から、物やサービスを購入したい、と考えているようです。
大企業も利用を検討しています。
156業種1,000社が退役軍人の企業を仕入れ先に組み込む事か、取引する事を重視しています。
そうするのは、彼ら自身の最終利益に貢献するからなのです。
フランチャイズ・チェーンのオーナーでイラク戦線を退役したドン・ジョンストンの場合は…
「一度店の前を通り過ぎた人でも、この小さな表示が目に入ると戻ってくるんです、たとえその時サンドイッチを食べたい訳ではなくとも。みんな退役した兵士を応援したいんです。」
リポーター: クリス・カレンゴッシの場合は、より小さなビジネスであるコンサルティング会社をまず立ち上げました。
「バイ・ヴェテラン(退役した兵士がかかわるビジネスを利用しよう)」の取り組みは成果をあげ始めています。
「こうした結果は私たち退役した兵士にとって、大切な事なのです。私がどんな形であれ、それを支えることができるならば、私はそうします。」
リポーター:国のために尽くして来た誇り高き兵士たちが、今度は彼ら自身のコミュニティに貢献しています。
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アメリカCBSニュー ス 12月23日
往々にしてこの世で最高のプレゼントには値札などついていませんし、動かすのに電池も必要ではありません。
CBSの特派員ステイーヴ・ハートマンは、出張先でまさにその通りの出来事を体験したようです。
サンタクロースがノース・キャロライナ州ラレイのそばにある、ター・リバー小学校を訪れたとき、彼は2年生の子供たち全員があらかじめサンタ宛の手紙で伝えていた、その通りのおもちゃをたずさえてやって来ました。
でも彼が持参したものは、それだけではなかったのです。
「みんな、頼んだ通りのものを受け取ったかい?」
サンタが子供たちに尋ねました。
「ありがとう!」と、子供たちが答えました。
確かに子供たち全員が望んだ通りのプレゼントを受け取りました。
たったひとり、ベサニー・アーノルドを除いて……
彼女が望んだのは、おもちゃではありませんでした。
サンタ宛の手紙に、ベサニーはこう書きました。
「サンタさん、私のおとうさんはイラクにいます。クリスマスになったらおとうさんを家に連れてきてもらえますか?」
「君はずいぶんと難しいお願いをした、ってわかっているかい?」
ハートマンは、ベサニーに尋ねました。
「わかってる。」と、彼女が答えました。
「一晩のうちに地球を半分回って来る、なんてできないことは知っているの…で もほかに欲しい物なんて、何もないから。」
ベサニーのおとうさん、ウィンダル・アーノルドが契約した仕事はイラクにありました。
彼はイラクで緊急に必要とされる、電気関連のインフラの整備に取り組んできました。
「私もお父さんがそこにいて、たくさんの人を助けなければならないことはわかってるわ。でも、やっぱりお父さんがいないのは、ものすごくさびしいの……」
ベサニーが言いました。
この2年間、ベサニーが父親と一緒に過ごすことができた時間は、2週間にも満たないものでした。
ベサニーと父親が最近、ドイツで一緒に休暇を過ごしたとき、2人はハート形のキーホルダーを交換しました。
父親はベサニーのキーホルダーを、ベサニーはお父さんのキーホルダーを身に着けることにしたのです。
「私はベサニーにこう言いました、『次に会った時、このキーホルダーを返してあげるからね。』と。」
ウィンダル・アーノルドが語りました。
残念なことにクリスマスを一緒に過ごしたいという親子の願いは、いつも合衆国政府の都合が優先されたため、かなえられることはありませんでした。
そこで今年はベサニーはもっと偉い人、そう、サンタクロースにお願いすることにしたのです。
彼女は学校でも、サンタクロース宛の手紙にこう書きました。
「サンタクロース様、クリスマスの日に、私はおとうさんに帰って来て欲しいのです」
さあ、そしてこれがベサニーの願いがかない始めた瞬間の映像です。
サンタはハート型のキーホルダーを取り出し、ベサニーに手渡しました。
そして、私たちにクリスマスの本当の意味を教えてくれたのです。
「おとうさん!」
やって来たサンタクロースが大好きなおとうさん、ウィンダル・アーノルドであることがわかると、ベサニーはサンタに抱きつきました。
受け取ったものがおもちゃであったなら、ベサニーもこれほど喜ぶことはできなかったでしょう。
「ほんとうに他に欲しいものは無いのかい?」
ウィンダルは、ベサニーに尋ねました。
「お父さんといっしょだから、もう充分にしあわせよ!」
彼女が答えました。
この大きな喜びを包むのに、サンタが持参した袋はちょっと小さすぎたかもしれません。
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この原稿を訳していた時、私は休日出勤した自分の席にいたのですが、3行訳すごとに目薬をささなければなりませんでした。
「ずいぶんと目がお疲れなんですね?」
という問いに
「ええ、まあ」
と答えながら、今度は鼻をかむ……
クリスマスイヴに、職場でパソコンをいじりながら涙を流している五十男。
これほどクリスマスに似つかわしくない光景も無いでしょう。
でもお読みいただいたみなさん、これほどクリスマスにふさわしいお話もない、そうお思いになりませんか?
みなさんにも、メリー・クリスマス!
アメリカABCニュー ス 12月15日
このニュースをお読みいただく前に、『レイアウェイ』というアメリカ独自の買い物システムについてご理解いただく必要があります。
「すぐには現金を用意できないが、欲しい商品がある」という顧客のために、手付金を支払言えば、残金を支払うまで一定期間商品の取り置きに応じる制度。商品予約購入法とも言います。
アメリカは月給制ではなく週給制のため、労働者などはとりあえず頭金を支払い、残金の清算は翌週の給料を受け取った後で、とする場合があります。
短いお話ですが、長ければ良いというものでもありませんね。
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たくさんの幸運なKマートの顧客が、13日の火曜日に「天使」の魔法の恵みを受けました。
ABC系列会社ステーションWRTV-テレビ6によれば、匿名の女性がインディアナポリスにあるスーパーKマートに魔法の旅を行い、目にとまったたくさんの顧客の取り置き商品の残金をすべて清算していきました。
Kマートの事務所の面々は、すぐには返事ができない程驚きました。
未亡人の中年女性の「レイアウェイの天使」は、ワシントン州西部にあるスーパーKマートに、人々に幸せなクリスマス休暇をプレゼントするためにやってきたのです。
「彼女はお金はある、と言いました。そして、人々のクリスマスを素敵なものにしたいのだ、と話したのです。彼女は本当に天から舞い降りてきた天使のような女性でした。」
店長のエドナ・ディップはABCニュー ス系列のWRTV-テレビ6に話しました。
ひょっとしたら彼女は映画から抜け出してきて、34番街に現れ、この世で奇跡が起きることを教えてくれたのかもしれません。
WRTV-テレビ6によれば彼女は買い物客のリストをチェックすると、中には残金が800ドル(64,000円)も残っているような買い物も含め、残金をすべて支払っていきました。
アンジー・トレスと彼女の幼い娘は、レイアウェイのカウンターで驚くことになりました。
「私は最低限支払わなければならない金額を清算するつもりで、クレジットカードを取り出しました。すると彼女がこう言ったのです。『その支払いはちょっと待ってくださる?あなたへの贈り物として私が支払いますから。』と。そして全額を支払ってくれたのです。」
トレスさんはWRTV-テレビ6に話しました。
彼女の気前の良い恵みを受けたのは、レイアウェイを申し込んだ客だけではありませんでした。
レイアウェイのカウンターで精算を済ませると、彼女は店内を歩き回り、買い物客たちのために50ドルずつの寄付をして回ったのです。中には400ドル以上するおもちゃもありました。
名前を尋ねられると、彼女は亡くなった夫の名前を告げました。
3時間ほど店内にいて、数万ドル(数百万円)に上る支払いを済ませ、彼女は店を後にしました。
「はっきりしていることは…」
店長のディップさんが言いました。
「昨日まちがいなくこの場所に、天使が降り立ったという事です。」
「冷温停止、そして廃炉などという言葉は、現在予想される福島第一原発の状況を表現するための言葉ではない」
【 福島は冷温停止状態に到達 : 日本の首相が宣言 】
ドイチェ・べレ(ドイツ国際放送)12月16日
チェルノブイリ以来最悪となった福島第一原発の事故発生から8カ月余り、日本の野田首相は事故対策委員会の席上、「事故そのものは収束した」と宣言しました。
「万一、何らかのトラブルが生じても敷地内の放射線量が十分低く保たれるといった点が技術的に確認されました。」
東京の北東240キロにある福島第一原発は、3月11日に発生した地震と津波により破壊されました。災害は原子炉冷却システムを壊滅させ、3基の原子炉で燃料のメルトダウン、そして深刻な放射能漏れが発生しました。
▽ 放射能汚染の除去と原子炉の安定
福島第一原発の事故は100,000人近い人々に避難と移住を余儀なくしました。
冷温停止という事になれば、政府はこの中の人々の一部に帰宅を許可するかどうか検討することになります。
しかし原子炉の周辺半径20kmに関しては、少なくとも数年間は帰宅困難だと思われます。
▽ 消えぬ疑い
原子力発電に反対する持続可能エネルギー協会の責任者、飯田哲也さんのような専門家はこう語ります。
「冷温停止、そして廃炉などという言葉は、現在予想される福島第一原発の状況を表現するための言葉ではないのです。」
「私はこうした言葉が独り歩きして、人々に今やすべてがうまくいっている、という印象を与えてしまうことを恐れています。」
「廃炉という言葉は通常、核燃利用を除去し、施設を解体することを意味します。」
飯田氏はこのように指摘します。そして
「なのに日本政府は事故を隠ぺいする意味で、この言葉を使っているのです。」
「廃炉までには40年前後、かかることになるでしょう。」
「もう一度大地震や津波が襲ってくれば、これまでの労苦はすべて水の泡になる。」
原子力政策推進の立場の学者・技術者の集まりである日本原子力学会の澤田隆副会長は、このように警告します。
実際のところ日本政府は、福島第一原発は冷温停止「状態」に達した、と表現しています。
冷温停止というのは通常圧力容器内の空気圧が大気圧に等しくなり、原子炉内の温度が摂氏100度以下に保たれ、核崩壊の連鎖反応が起きない状況のことを言います。
福島第一原発を運営する東京電力は、原子炉内の温度計は圧力容器内の温度が摂氏70度であることを示している、と話します。
そして日本政府は福島第一原発の周囲に漏れ出している放射線の量は、年間1ミリシーベルトを下回っており、この値は一般市民が一年間に浴びてもよいとされる量に等しい、と語っています。
http://www.dw-world.de/dw/article/0,,6681833,00.html
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冷温停止についての世界各国の報道のご紹介、今日のドイチェ・べレ(ドイツ国際放送)の記事で最後になります。
ニューヨークタイムズから始まり、計6本掲載しました。
英国BBC放送の記事のようにむしろ日本の報道よりおとなしい物もありましたが、複数並べてみて、私たちがこれまで気づかなかった問題点も見えてきました。
それは『冷温停止を実現した』冷却システムが、『間に合わせ』のものであり、今日の記事にもあるようにもう一度地震・津波が襲えば、すべてが台無しになる恐れがある、というものです。
このブログのサイトマップを見ると、ずいぶんとたくさんの福島第一原発事故関連の記事を訳したものだと自分でも驚きます。
しかし、自分でもどこに何があるか解らなくなっている、というのが正直なところで、今後の資料性に問題が出そうです。
一度機会を見つけて整理しないと、思いつつ年が暮れ、年が明けそうな気配です。
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【 ガラスの天井とガラスの壁 】
[女性たちが支え合い、経済社会を変えていく]
アメリカNBCニュース[この世界を変えていく[メイキング・ア・ディフエレン ス]11月10日
ブライアン・ウィリアムズ :
そして今夜最後の話題となる[メイキング・ア・ディフエレンス]レポート、この厳しい経済情勢の中、自ら事業を立ち上げ素晴らしい実績を上げている一人の女性をご紹介します。その事業が新たな雇用機会を生み、社会に貢献していることはあまり知られていません。
NBCのアン・トンプソンがお伝えします。
アン・トンプソン(レポーター): リーア・ブラウンは、シングル・マザーとして2人の息子を育てながら、年商3000万ドルの健康調査会社を築いたエネルギッシュな女性です。現在、彼女は女性オーナーの企業がアメリカ経済を再び盛り上げていくよう望んでいます。
リーア・ブラウン「女性にもそれができる、というレベルの話ではなく、女性こそが経済低迷打開のカギだと言いたいのです。私たち女性の企業は今や、この国の経済の発展分野です。」
レポーター : 今日、ブラウンのような女性経営者は、1993年に『あなたのお嬢さんにも仕事をさせてあげて!』という組織を立ち上げたネル・マーリノがリーダーを務める『私たちに任せて!』という名の組織の援助を受けています。
彼女は今、年商数百万ドルに達する女性たちが経営する企業を成功させ、雇用を創出したい、と願っています。
ネル・マーリノ「ほとんどの女性は年商100万ドルを超える企業の女性経営者には、会ったことがないと思います。」
レポーター : 国中でマーリノさんは『アメリカン・アイドル』タイプのコンテストを開催しています。
サイモン・カウェルさんが熱弁をふるっています…
マーリノ「何をなさりたいのか、説明をお願いします。」
レポーター : 彼女たちが自分のアイディアを披露します。
マーリノ「そして彼女たちは精いっぱいの励ましを受けるのです。そしてまた望むだけ大きく、偉大になるための援助を確約されることになるのです。」
トンプソン: レア・ブラウンは、ちょうど4年前に認められました。
今や彼女は従業員250名の企業を率いる経営者です。
「あなたが2007年にこのコンテストに参加した時、どれほどの援助を受け取ったのですか?」
ブラウン「マーリノさんに聞いてみてください。」
レポーター : ブラウンさんは一連の融資、戦略的アドバイスそして事業展開に必要な保証を得ることができました。
この国では1,500万人の女性がビジネスを展開していますが、年商が100万ドルを超える事業は2%に届きません。
問題は『ガラスの天井(職場における少数派 - 特に女性の出世[昇進]の行き止まりを表現する言葉)』ではありません。
女性がもう一歩踏み出せずにいる理由について、専門家は『ガラスの壁』と名づけています。すなわち、
すべて自分だけでやり遂げようとすること
戦略的互恵関係を築けないこと
そしてどうしても小さくまとめてしまおうとすること。
性差別が理由ではないと語ります。
リーシャ・ミッチェル(カウフマン財団): まさにこの瞬間から、我々は女性問題としてこの問題を取り上げることをやめ、経済上の課題として話し合いを始めなければなりません。
レポーター :コミュニティと信頼の助けを借りて、昇ってゆく力。
アン・トンプソン、NBC
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冷温停止【 今後の本当のシナリオとは?! 】
「山のように積み上がる課題、そして山のように積み上がる危険、それが福島第一原発に未だ解決されずに残っている」
アメリカCNNニュース 12月16日
日本当局は、12月16日金曜日に、福島第一原発で「冷温停止」が達成されたと発表します。
これは同原発の原子炉の温度がここしばらく、沸騰点以下にとどまっていることを意味します。
この発表は一つの区切りを象徴しています。
しかし複数の専門家は、チェルノブイリ以来最悪のこの原子力事故を完全に解決するには、これからさらに数十年以上の年月を必要とするだろう、と語っています。
3月の地震と津波によって冷却装置が破壊されたため、福島第一原発から放出された放射性廃棄物の浮遊物質は、原発から半径20kmの範囲、そして北西40kmの範囲に暮らしていた人々に避難・移住を余儀なくさせました。
これらの人々が自宅に戻れるかどうか、日本政府は未だはっきりとした見解を示していません。
山のように積み上がる課題、そして山のように積み上がる危険、それが福島第一原発に未だ解決されずに残っています。
「解決には程遠い状態です。これから長い間の作業を続けることになります。」
と、東京電力の西沢利夫社長が今週CNNに語りました。
政府筋の情報として日本の共同通信社は、破壊された原子炉を廃棄するまでに最高40年の期間が必要である、と木曜日に報告しました。
10月に福島第一原発を管理する東京電力は、メルトダウンを起こした3基の原子炉の温度が摂氏100度を下回ったことを確認した、と発表しました が、冷温停止を宣言するにはしばらく様子を見なければならないとしていました。
「日本政府や東京電力はこれを大きな一つの達成と表現したいのでしょう、大きな転換点とでも。しかし、事実はそうではありません。」
こう語るのは、アメリカの原子力発電所の管理責任者だったマイケル・フリードランダー氏です。
「問題は、現在のこれらの原子炉の状況を『冷温停止』と表現することは、正当性を欠いた行為である、という事です。原子炉の状態は6月時点と比較 し、安全になったものは何もありません。」
「来年、原子力発電所内から使用済み核燃料を取り除くことはできるでしょうが、原子炉そのものの処理に着手するまでは、少なくとも10年はかかるはずです。」
「日本がそのことをその目で確認するまで、2、3年を要することになるでしょう。」
1979年に部分的なメルトダウン事故を起こしたアメリカ・スリーマイル島の事故で、除去作業の指導助手を行ったジャック・デヴァイン氏は冷温停 止について、日本の当局がある重要な一点を見落としていると危惧します。
これまでも現場で働く作業員を悩ませてきた問題ですが、原子炉の温度を下げ続けるためにこれ以上彼らが水を使わないのであれば、汚染された冷却水がたまっていくことを心配することは無いでしょう、と彼が語りました。
「大きな前進があったと言える状況ではありません。ほんのちょっと気持ちが楽になるような、その程度の変化があったにすぎないのです。」
3月11日の地震と津波は、日本の東北地方で15,000人以上の命を奪いました。
福島第一原発では冷却装置が故障したために、数週間の間日本は危機的状況に陥っていたのです。
そして東京の北240kmの場所にある福島第一原発で、発電所と政府の職員が事故が国を滅す原子力大災害に発展しないよう、緊急態勢をとり続けました。
水素爆発が原子炉1号基と3号機の原子炉建屋を吹き飛ばしましたが、2号基でも同様の水素爆発によって建屋が破壊されたものと推測されます。
4号基では使用済み核燃利用プールの過熱によった発生した火災が、原子炉建屋に損傷を与えたものと思われます。
結局、日本の原子力安全保安院は今回の事故を、原子力事故の国際基準で最も高いレベル-7に分類しました。これは1986年に発生したチェルノブイリの事故と同じレベルです。
「我々は原子炉を一基ずつ正しく検証し、今後起こり得ることとしてどんなことがあるか結論を出すつもりです。」と、東京電力の西沢社長が水曜日に語りました。
その次の段階として核燃利用棒の除去があるが、その前に一帯の徹底的な調査を行うつもりである、とも語りました。
「我々は現在利用可能な方法の中で、良い方法としてロボットを燃料タンクの中に送り込み、状況を確認することを検討中です。」
「その結果が現在われわれがシュミレーションしたものと180度違うものであろう、とは考えていません。しかし実際に内部を見てみることは100の話を聞くことよりも有益なことであり、実際何が起きたのか、内部を詳細に検証するつもりです。」
「スリーマイル島の事故は、福島に比べ損傷は軽微であり、事故を起こした原子炉も一基だけでしたが、それでも原子炉内に入って実際に検証を始めるまで、2年半という月日を必要としました。」
前述のデヴァイン氏がこう語ります。
「当然ながら福島の場合、そこに至るまでさらに長い年月を必要とすることでしょう。」
「この先こなさなければならない課題については、これまで同様本当に気が重くなる仕事ですが、まず最初にしなければならないのは、何がどこにあるか正確に把握することです。
その仕事はすべての燃料の位置を確認すること、現在は冷えて固まった溶け落ちた放射性物質の残骸を捜索し、がれきの中から探し出すことです。」
http://edition.cnn.com/2011/12/15/world/asia/japan-nuclear/index.html?iref=allsearch
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冷温停止については、ニューヨークタイムズ、英国BBC放送、ザ・インデペンダント(英国)、アルジャジーラの順でご紹介してきました。
翻訳した甲斐があった、と思えたのはニューヨークタイムズとザ・インデペンダントでしたが、今日訳したCNNのニュースにも大切な情報が含まれて いました。
大切なのは、原子炉内の本当の状況がわかるまで最低2、3年を要する、という部分だと思います。
言い換えれば、だんだん深刻さが増してきた東日本・北日本の汚染の問題、その問題の原因について検証できるようになるまでさらに2、3年が必要 だ、ということになります。
この点に鑑み、東日本・北日本全域における汚染実態の調査の重要性は、いやがうえにも高まります。
間違っても為政者の口から「騒ぎが大きくなるだけだから、汚染調査などやらない方がいい」などという発言が飛び出さないよう、私たち国民が監視を 強め、情報を共有していくことが大切です。
そして、声を上げていくことが。
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【 NASAついに地球とよく似た星を発見 】
アメリカNBCニュース 12月20日
ここのところ新しい惑星の発見が続いていますが、ほんの2,3日前、さらに二つの新たな惑星が見つかりました。
新しく発見されたのはケプラー20-eとケプラー20-fの二つの惑星です。
二つとも地球に似通った大きさであり、地球同様太陽に似た惑星の周囲を回っています。
失望させられるのはその地表温度です。
昼間の最高気温は華氏800度(摂氏427度)から1,400度(同760度)の間。しかも乾燥している800度、そして1,400度です。
この星にたどり着くには現存の宇宙船では数百万年かかりますが、行けばそこにこれらの星がある、という事は良いことかもしれません。
http://www.msnbc.msn.com/id/3032619/ns/nightly_news/#45744187
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