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事故前も隠ぺいを繰り返し、事故後も隠ぺいを続ける!それが日本の原発 – 100年災害!福島第一原発の崩壊《1》

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所要時間 約 17分

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福島第一原発・福島第二原発の10基の原子炉が全てメルトダウンしていれば、北半球全体が『帰宅困難地域』になっていた
莫大な費用を要しながら死にゆく宿命を背負いこんだ原子力産業に固執し続ける日本
1950年代に計算尺を使って設計された古くて時代遅れの20世紀の方法論、それが原子力発電

                    

                      

アーニー・ガンダーセン / フェアウィンズ 2021年3月10日

                 

福島第一原子力発電所事故の発生からちょうど10年が経過した今日という日も、私たちの心と思いは、日本全体で進行している放射能汚染の影響を受けている人々、そして2011年3月11日を境に半永久的避難を強いられることになってしまった人々と共にあり続けています。

                    

ご紹介したことがありますが、作家でジャーナリストのトーマス・バス氏がかつて彼の著作のために福島第一原発の事故をどう分析しているのか、フェアウィンズにインタビューしたことがありました。
私たちフェアウィンズのメンバーは彼の研究方向が的を得たものであり、原子力科学者会報(BAS)に掲載された彼の最新記事においてもその傾向が変わっていないことを確認しました。

                     

福島第一原子力発電所の3基の原子炉のメルトダウンしてから10年が経過したことに関するトーマスのBASの記事を読んだとき、フェアウィンズが2011年の段階で提唱していた先駆的な分析と解説が、ついに福島第一原発事故の一連のストーリーの核心の部分として公認のものになったことに感銘を受けました。

                      

                    

フェアウィンズを核としたコミュニティの長年のメンバーは、福島第一原発の廃炉に必要な本当の金額、ホットパーティクル(高温微粒子)による汚染、デトネーション(超音速衝撃波爆発)、女性と子供たちを優先して避難させるべき必要性、その他様々な事実についてフェアウィンズが先駆的な分析を行ってきたことを覚えておられるに違いありません。

                   

私たち、そして世界にとって幸いなことに、福島第一原子力発電所におけるメルトダウンはそれ以上の破壊は行いませんでした。
そして現実になれば地球の北半球全体に人間が住めなくなる福島第一原発・福島第二原発の10基の原子炉が全てメルトダウンするような事態も起きませんでした。

                    

私たちが使命感に燃えて提示した先駆的な見解と考察については、数百本という単位のビデオ、著作『福島第一原発 / 真相と展望』、そして数百回に及んだメディア・インタビュー(CNN、ワシントンポスト、ニューヨークタイムズ、その他多くの新聞各紙、テレビ、ラジオ、インターネットメディア)に記録されています。

                     

その結果としてフェアウィンズが注視すべきであると指摘した数々の問題、先駆的な言語、および原子力工学に関する評価について、2011年3月から今日に至るまで世界が福島第一原発事故をどうとらえるか評価する際の基準の一つとなっていることを誇りに思います。

                 

                   

そして改めてここに妻のマギー・ガンダーセンと彼女が設立した組織、コンセプト、タスクモデルに敬意を表します。
そのおかげで私たちは、福島第一原発の事故が進行している間、常にリアルタイムで的確な対応をすることが可能になりました。
さらに何より、フェアウィンズに寄付をしてくださっている皆さん、私たちの仕事を支援し続けている財団、そして私たちと協力しながら大切な研究を続けてくれている科学者の同僚のみなさんに特別な感謝を捧げます。

                    

私たち単独ではここまでの仕事をすることはできませんでしたし、成果もあげられなかったでしょう!
世界を見渡した時、原子力発電、核廃棄物の貯蔵、廃坑になったウラン鉱山からの放射能の漏出、そして実験用原子炉の著しい危険性を軽視する傾向を変えるため、私たち全員が協力し続ける必要があります。

                     

莫大な費用を要しながら死にゆく宿命を背負いこんだ原子力産業に固執し続けることは、世界に進むべき道を誤らせることになります。
私たちが進むべき方向には地球環境と地球上の生命にとって安全で、完全に持続可能で、数十億ドルの費用を節約することができ、新しい雇用を生み出し健全な経済を形成できる発電技術があるべきです。

                   

1950年代に計算尺を使って設計された、古くて時代遅れの20世紀の方法論から脱出すべき時が来ています。
早く21世紀にふさわしい場面に移りましょう。
私たちはすでに20年以上の時間を失ってしまっているのです!

                   

では2020年5月に発行された原子力科学者会報(BAS)に掲載された、トーマス・バス氏の手による『メイド・イン・ジャパン』という題名の記事をお読みください。
トーマス・バス氏の記事はみずみずしい筆致の挿絵、そして福島の犠牲者が毎日直面しなければならない現実を鮮やかに描き出し、読み手を魅了していきます。

                   

                      

福島は今、森に覆われた丘陵地帯と深い緑色の水を湛えた川が流れる谷間に潜むすべての死に対して奇妙な静けさを保っています。

                  

これからの2か月間、フェアウィンズ・エナジー・エデュケーションは日本の福島第一原子力発電所、米国ペンシルベニア州スリーマイル島原子力発電所、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所、それぞれにおいて発生したメルトダウンとそれによって引き起こされた人災のフォローアップを継続していきます。

                  

さらに原子力発電は世界の緊急課題である気候変動の解決策のひとつであるという考え方が明確な誤りであるということを指摘し、議論していきます。

                   

私たち人類は、何百万人もの雇用を生み出し、環境を汚染したり極めて毒性の高い核廃棄物で地域社会を汚染したりしない、再生可能で持続可能なエネルギーに焦点を当てるべきです。

                     

放射線に国境など関係ないということを、どうか忘れずにいてください!
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福島の現在(いま):「生きているうちに自分の過ちに気づいて良かった…」
トーマス・A・バス/ 原子力科学者会報 2021年3月10日

                   

                      

福島の原発事故の後、周辺から避難した人々は一時的な仮住まいをするのだと思っていた仮設住宅に収容されました。
仮設住宅は福島県の内陸部の市町村の郊外にある駐車場や畑に建てられました。

                   

薄っぺらな鉄板を使って造られた仮設住宅は、日本の伝統的な畳数を基準に設計されました。
福島県の場合、畳1枚の大きさは通常は182cm×91cmです。
しかし結局小林武則さんと朋子さん夫妻は8畳の部屋しかない仮設住宅でその後5年間暮らす羽目になりました。
原発事故から避難した人々は一様に広さ12平方メートル程の居住空間で暮らすことになったのです。

                   

2016年、小林夫妻は福島第一原発の周囲20 km圏の立入禁止区域の端にある小高地区の、朋子さんが3代目の女将を務める旅館を営む自宅に戻ることを許されました。
小林さん夫婦が営む小さな旅館は共同浴場、そして家族連れその他の宿泊客が一緒に食事を摂る長いテーブルを備えた食堂のある伝統的旅館でした。

                    

朋子さんはボランティアを募って旅館を掃除したり、道端に花を植えたり、ギフトショップをオープンさせたり、この地区を特徴づける『サムライ馬』の救助に努めました。
しかし現在、この地域の有名な「侍馬」の何頭かの馬体には放射線を浴びたことを示す白いマークがつけられています。

                   

                  

昨年の9月、小林さん夫妻が経営する旅館は私の研究助手を務める阿部勇樹さんなどの宿泊客で賑わいを取り戻しました。
(現在は新型コロナウイルスCOVID-19の感染拡大のため、日本国籍を持っていない人は、たとえ長期ビザ保有者であっても日本への入国は許可されていません。)

                    

彼らは、アブラナ科アブラナ属の菜の花の秋の植え付けを記念する毎年恒例の祭りに来ていました。
セシウムに汚染されている土壌で菜の花を栽培することには2重のメリットがあります。
一つは土壌中のセシウムを吸収して土地を浄化してくれること。
さらにセシウムは油には溶けない性質を持つため、セシウムに汚染されている土壌で育った菜の花から採取された菜種油はセシウムには汚染されていないのです。

                    

この地域の伝統的な稲作農業を菜の花栽培に置き換えるというアイデアは、放射能で汚染された地域での生活方法を学ぶため、小林さんとその友人たちがチェルノブイリを訪れた際に手に入れたものです。

                      

小林さんたちは他にもチェルノブイリから重要な教訓を持ち帰りました。
妻の朋子さんが経営する旅館の周囲で忙しく飛び回っていた間、武則さんの方は南相馬市の郊外に放射線の検査施設を開設しました。
研究施設はテレビの特別番組を通して、資金、設備、そして人員の寄付が集まって出来上がった小林さんの検査施設は、土壌サンプルや栽培されたキノコ、さらには食料品店の店頭にある汚染された可能性のある食品などを持参してくる人々を誰でも受け入れました。

                   

                      

「チェルノブイリから得た教訓、それはすべてを測定し、測定作業を継続する必要があるということです。」
小林さんがこう語りました。

                  

チェルノブイリは福島第一原発の25年前に事故を起こしました。
しかし原発事故は数年で片がつく問題ではなく、チェルノブイリの周辺で暮らす人々にとって長期的な影響を抱えてどう生きていくかというのは、今まさに直面している問題なのです。
日本政府はすべてが正常に戻ったという公式見解を繰り返し表明し、2020年に開催予定だったオリンピックを「復興オリンピック」として宣伝してきました。

                    

しかし福島での生活は正常とはほど遠い状況にあります。

                      

新型コロナウイルスの感染拡大により開催は1年延期されましたが、現在もその名称は「オリンピック2020」ですが、オリンピックの聖火は、2021年3月25日に日本サッカー協会の所属選手の訓練施設であるJ-ヴィレッジで点灯される予定です。

                   

J-ヴィレッジは福島第一原発の南方約20kmの場所に位置しますが、2021年3月は別に大切な意味があります。
福島第一原子力発電所(F1)で6基の原子炉のうち3基がメルトダウンしてからちょうど10年の節目を迎えるのです。

                      

2011年3月11日、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が時速800キロ(ジェット機と同じ速度)で日本の東北地方の太平洋岸に向け、最大で高さ40メートルの津波を殺到させました。
津波は18,000人以上の命を奪い、原子炉でメルトダウンが発生、爆発し始めたのです。

                             

津波到達以前、福島第一原発はすでに地震によって被害を受け、高レベルの放射線を放出していました。
そこに襲い掛かった津波はバックアップ発電機と冷却システムを破壊しました。
原子炉の爆発が始まった事を受け、風向きと雨量によって破壊された原子炉から放出されたセシウム、プルトニウム、ストロンチウム、ヨウ素131、およびその他の放射性物質の堆積量に応じて、日本政府当局は福島第一原発を中心とする最大半径100キロメートル以内を指定避難区域としました。
福島県内の指定避難区域からは合計16万人が避難することになりました。

                    

                      

それから10年後、避難した人々のほとんどは小林さん夫妻とは異なり、いまだに避難生活を続けており、かつての自宅は都市の廃墟に巣を作る野生のハクビシン、サル、その他の動物の住み処となり、捨てられた町や村独特の不気味な風景を作り出しています。

                      

※英文からの翻訳のため、個人のお名前、固有名詞等の漢字が間違っている場合があります。

《2》に続く
https://www.fairewinds.org/demystify/fukushimas-first-decade-in-a-100-year-long-catastrophe?ss_source=sscampaigns&ss_campaign_id=604974fba3438c548995b0b4&ss_email_id=60497ef445867a5842acaa5a&ss_campaign_name=Fukushima%E2%80%99s+First+Decade+in+a+100-year+Long+Catastrophe&ss_campaign_sent_date=2021-03-11T02%3A22%3A59Z
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この稿はもっと早くご紹介するつもりでしたが、みなさんもご存知の松山英樹選手のマスターズ優勝で翻訳の手が止まったりしたため、このタイミングでのご紹介になりました。

加えてフェアウィンズの記事は速訳では文章にしたくないという気持ちもあります。

そのため要所要所を検証しながら翻訳作業を行い、自分として満足できるクオリティに仕上げたいと常々考えています。

みなさんにとって読む価値のある翻訳であることを願うのみです。

崩壊から10年 :『復興』の現実は無い《後編》

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所要時間 約 13分

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日本を福島第一原発の崩壊以前の状態に戻すことはできない
福島第一原発の崩壊という事実を記憶から消し去り、すべてを無かった事にしてしまいたい原子力行政と産業界
福島第一原発の放射能によって汚染された被災地は、オリンピック開催にとって邪魔な存在でしかない

約1,000万個の大きな黒いバッグにいれられ、福島県内各所に『一時』保管されている放射性廃棄物

                    

                      

アーニー・ガンダーセン / フェアウィンズ 2021年3月30日

                   

2. 関東以北の放射能汚染は解決していない

                      

核分裂の連鎖反応が停止した時点で、それまでに分裂したウラン原子の危険な残骸は婉曲的に『核分裂生成物』と呼ばれ、何世紀にもわたって放射能を出し続けます。
2011年3月の福島第一原子力発電所1号機、2号機、3号機の3回に及ぶメルトダウンと爆発により、これらの核分裂生成物が環境中に大量に放出されました。

                     

当時吹いていた風がこの放射性物質の80%を太平洋に運び出し、残りの20%が関東以北の各地に降下し、約16万人の日本人が先祖伝来の土地から避難せざるを得なくなりました。

                   

人の手が入らなかった場所では、汚染物質の半数以上を占めていた崩壊年数の短い放射性物質は、これまでの9年間ですでに放射性崩壊を終え、さらに多くの放射性物質が台風や雨風によって太平洋に流れ込みました。
日本政府により除染作業が行われた場所では汚染物質がさらに減少しました。
初戦の結果1000万トンを超える放射性物質が収集され、数百カ所に及ぶ一時保管場所で約1,000万個の大きな黒いバッグに保管されています。

                    

                     

しかし福島県の70%以上は山岳地帯のため、除染されていません。
福島県の70%以上は今後も除染されることはないのです。

                     

日本政府による放射能汚染を取り除く除染の取り組みは、メルトダウンによって住民が避難せざるを得なくなった都市部や住宅地にのみ焦点を当てていました。
我々は人間の居住地域と非居住地域、そして福島県内のオリンピック聖火リレーの予定通過道路を調査しました。

                   

聖火リレーの予定路線の10メートル以内は除染作業が行われたために放射能汚染が比較的少ないことがわかりましたが、同じ計測方法を用いて調査した路線から30メートル離れた森の中の汚染レベルは5倍近く高いことが判明しました。

                   

福島県内全域を完全に除染する事になればその労力も費用も天文学的な高さになるため、日本政府は人間の居住地域のみの除染に力を注いできました。

                

最初の限られた範囲での除染の後、避難によって放棄された市町村の再居住を促すため、放射線被ばくの『安全基準』を年間1ミリシーベルトから20倍の20ミリシーベルトに引き上げました。
20倍の量の放射線を浴びるようになれば、放射線が誘発するがんの発症確率は20倍に上ります。
制限が一気に引き上げられた事により危険性が高まってしまった事を認識したかなりの割合の住民が、もう戻らないという選択をしました。

                     

3. 再び放射能に汚染された『除染完了』地区

                       

                   

南相馬市は福島第一原子力発電所崩壊の危機が頂点に達した際、放射能に汚染され、全域から住民が避難しました。
数年後、市内の除染作業が完了し、かつての住民の再居住が許可されました。
南相馬市役所も除染が行われ、2011年のメルトダウンを受け、新たにエポキシ樹脂の屋根が設備されました。

                          

フェアウィンズのチームは2016年と2017年、すでに『除染が完了』した4階建ての屋根からサンプルを収集し、どこにでもあるはずの放射性セシウムが比較的少ない状態で高レベルのアルファ線の存在を確認しました。
これは除染が行われていない地域からの風などによって汚染物質が飛来し、居住可能であると宣言された地域を再日汚染していると解釈するしかありません。

                     

4. 汚染が残る福島県のオリンピック会場

                      

東京郊外は、福島第一原発の原子炉から約200km離れた場所にあります。
東京都内のオリンピック会場における放射線量は、世界中の他の都市と比較しても正常範囲内であることがわかりました。
しかしオリンピック会場以外の場所は、会場と比べ7倍の放射能汚染があることが確認されました。

                    

                  

今回のオリンピックは福島の復興を世界にアピールする事に利用される事になっていますが、福島県のオリンピック会場は東京の会場よりも汚染されていました。
これら福島県内のオリンピック会場は、『ホットパーティクル(放射能汚染濃度の高い微細な粒子)』に関して平均で東京の会場より2~3倍汚染されていることがわかりました。

                  

さらに福島県の国立サッカー総合施設であるJヴィレッジでは、少量ではありますが統計的に有意なレベルのプルトニウムを検出しました。

                     

日本政府はこれら福島県内各所について徹底的に除染したと主張していますが、福島のオリンピック会場が汚染された状態にあることは驚くべきことではありません。
前述のように県内全域が除染される訳ではないため、除染が行われていない場所から風によって放射性物質が運ばれてくる状態が今後何世紀にもわたって続く事になるでしょう。

                 

▽ 靴ひもの科学

                    

福島第一原子力発電所の崩壊が続いていた当時、米国の原子力発電推進擁派はワシントン州議会で次のように証言していました。
日本の原子力発電所の全てが問題なわけではなく、原子力発電所で働くことは「トイザらスで働くより安全である」と…
当然のことながら、この当時と同じ原発推進派の人間たちは、福島の3基の原子炉のメルトダウンの直接の影響により癌によって死亡する人間が増えることはないと主張しています。

                  

                

しかし私たちが調査によって問題の存在を明らかにしたホットパーティクルによる汚染を除いても、国連は福島第一原子力発電所のメルトダウンは数千人から数万人の死者を生む可能性があると結論を出しました。

                         

さらに私たちを含め様々な分野の研究者が、実際には福島第一原発のメルトダウンによる癌の増加は、ホットパーティクル(高放射性微粒子)が環境中に散らばったことにより、10万人以上の死者の増加をもたらす可能性があると信じています。

                    

福島第一原子力発電所の3基の原子炉が立て続けにメルトダウンしてから10年が経ち、日本の放射能汚染の状況は当時と比べ改善したことは間違いありません。
しかし私たちの調査研究結果は、日本はまだ『復興』していない、そしてもちろん福島第一原発の崩壊以前の日本に戻ることはできないことを示唆しています。

                     

原子力発電の利害関係者による広報キャンペーンも、今後も発生し続ける福島第一原発周辺の人々が生活する空間の再汚染を隠蔽すことはできません。

                       

福島第一原発が崩壊した当時、福島第一原発近くのコミュニティの区長を務めていた長谷川氏はこう語っています。
「原発は私たちからすべてを奪いました……そして今、私たちはオリンピックにとって邪魔な存在です。結局、福島第一原発の放射能によって汚染された地域は、オリンピック開催にとって邪魔な存在でしかないのです。」
「彼らは福島第一原発の崩壊という事実を記憶から消し去る事によって、その事実が無かった事にしてしまいたいのです。」

                     

「こぼしたものをきれいにする最善の方法は、こぼれるようなものは置かないようにすることだ」というあまり使われなくなった古い格言があります。
規模ははるかに巨大ですが、これは福島第一原発崩壊の被災地全域の除染が経済的に実現不可能な日本にそのまま当てはまります。

                 

日本が放射能に汚染されたままである、その仮説が正しいかどうかを検証するため、あるテストを行う事を提案します。
それはオリンピック選手と福島第一原発周辺地区を訪れた人の靴ひもの放射線量を測定する事です。
靴ひもという織物は道路にあるほこりを閉じ込める性質があり、ある意味便利です。
このテストは東京と比較し、福島第一原発周辺の人口集中地域の汚染の程度を判断するのに役立つ可能性があります。

                

《完》
https://www.fairewinds.org/demystify/fairewinds-nuclear-spring-series-japan-hasnt-recovered-10-years-after-fukushima-meltdowns?ss_source=sscampaigns&ss_campaign_id=60635f5d4fab780f88c38da6&ss_email_id=6063713ec1bf7f39008bac2e&ss_campaign_name=Fairewinds+Introduces+New+%23NuclearSpringSeries&ss_campaign_sent_date=2021-03-30T18%3A43%3A37Z

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前回、相対性理論の公式 E = mc2 に関する個人的な話をご紹介しましたが、原子力発電もこの公式に基づくものであることは皆さんもご存知の通りです。

しかしアインシュタインが E = mc2 という仕組みを解き明かしたものの、人類はそれを完全に制御できるだけの公式を持っていません。

なのに世界中で原子力発電所を建設している人間の行為が、少し角度を変えて見てみれば、取り返しのつかないほど危険な行為である事に気づかされます。

福島第一原子力発電所の崩壊はそれを現実として私たちに突きつけました。

原子力発電は止めなければならない、それが良心の科学の答えであるはずです。

崩壊から10年 :『復興』の現実は無い / 福島第一原発《前編》

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所要時間 約 16分

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直接放射能汚染の被害を受けた場所は、何事もない穏やかな春を取り戻すため大変な苦労をする事になる

日本の放射線マップは、放射線被ばくの重要な要因を無視して作られている
被ばくすると健康に深刻な影響が及ぶアルファ線の存在の確認と線量を測定する必要がある

                    

2021年3月7日、福島県双葉町の集合住宅の前に置き並べられた放射性廃棄物の入った黒い袋

                 

マギー・ガンダーセン / フェアウィンズ 2021年3月30日

                     

日に日に空気が暖かくなり、いたるところから鳥たちのさえずりが聞こえ、太陽が明るさを増してきました。
皆さんと同様、私も春の訪れを感じています!
心も体も自分たちの庭でゆったりと時間を過ごす事を楽しみにしています。
サウスカロライナ州にある自宅で私は芝の手入れを始めました。
手入れされたばかりの芝生やクローバーから醸し出される空気は新鮮な香りに満ちています。

                        

しかし私を含めたフェアウィンズのメンバーにとって残念な事に、『原子力の春』は私たちの生活を永久に変えてしまいました。
私たちにとって『原子力の春』は、発生から何年も過ぎた過去の悲惨な原子力の悪夢の記憶を呼び覚まし、春が来る度、原子力 = 核エネルギーが私たちが住む地球の運命を永遠に変えてしまった事を改めて認識する季節になりました。

                       

                    

過去42年間、5回に渡り原子炉がメルトダウンを引き起こしましたが、発生はすべて春だったことはご存知ですか?

                      

3月は、それは2011年3月11日の福島第一原子力発電所での3基の原子炉のメルトダウンが発生した月です。
同じ3月、1979年3月28日はスリーマイル島でメルトダウンが発生しました。
そして史上最も悪名高いチェルノブイリ原子力発電所でのメルトダウン事故が発生したのは4月28日(1986年)の事でした。

                        

私たちの多くが福島、スリーマイル、チェルノブイリで原子炉のメルトダウンという悲劇がいつ始まったかを知っています。
しかしいずれの大惨事もどれも終わっていないので、いつ終わったかは誰にもわかりません。

                     

いずれのメルトダウンについても、その影響は今の今まで発生場所の周辺はもちろん世界的にも残っています。
大量の高レベル放射性物質が放出されたため、これらのメルトダウンの影響はわたしたちの大切な地球全体に何千年という単位で長く残る事になり、とりわけ直接放射能汚染の被害を受けた場所では、何事もない穏やかな春を取り戻すため大変な苦労をする事になります。

                   

                 

フェアウィンズのメンバーにとっては、春は報道機関の問い合わせに応え、原子力業界や各国政府が人為的に核反応を引き起こすときにもたらされる危険について、知っている限りの真実を話すという使命を果たすべき季節です。

                   

しかし1979年7月16日に米国ニューメキシコ州のナバホ・ネイションで発生したチャーチロック原発事故に言及しない事には、波のタイミングで5度にわたって発生したメルトダウンの忌むべき記録も不完全なものでしかないことにご注意ください。
チャーチロック原発事故が起きたのは1979年7月、スリーマイル島事故のわずか3ヶ月前の事です。

                         

しかし、どんな犠牲を払っても原子力の使用を続けるという典型的な近視眼的なやり方で、米国政府はまるで深刻なことなど何も起きなかったかのように行動しました。
各国の政府も原子力発電所によって生成された核物質をそのまま核兵器製造に転用する手法に磨きをかける中、どの国の政府も認めようとしない隠れた原子力災害とほとんど認識されていない大惨事が存在するのです。

                   

                        

この春、ご紹介した6度にわたる原子力災害を念頭に、フェアウィンズではあなたを含めた読者、サポーター、そして私たち自身が記憶を正確なものにするため、現在であると過去のものであるとを問わず、資料へのリンクを多数投稿していきます。

                     

気候変動の危機の解決策であるかのように喧伝される高度な新型原子炉については、それらは新しいものでも高度なものでもないことということを忘れないようにしてください!。
世界中に散らばる400以上の原子力発電所がすべて閉鎖された時はじめて、心穏やかに庭を手入れし、屋外の美しい景色を楽しみ、鳥のさえずりに耳を傾ける事ができるようになるのです。
私たち全員がこうして心から春を喜んで歓迎することができるようになるのです。

                   

今回は2011年3月11日に発生した日本の福島第一原子力発電所の3基の原子炉のメルトダウンの10周年に合わせ、Truthoutが公開した『福島メルトダウン・10年後の今も未解決』の記事をシリーズ掲載します。

                        

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【 発生から10年・未解決のままの福島第一原発・原子炉メルトダウンによる大崩壊 】

                     

                       

アーニー・ガンダーセン 2021年3月31日

                          

宮城県沖を震源とする巨大地震とそれによって引き起こされた巨大な津波が東北太平洋岸を文字通り壊滅させ、福島第一原子力発電所において3基の原子炉で炉心溶融を引き起こしました。
2020年の東京オリンピックが新型コロナウイルスの感染拡大を受けて1年間延期されるまで、日本政府はこのイベントを『復興オリンピック』と表現していました。
これは2011年に壊滅的な打撃を受けた東日本大震災の被災地の復興が実現した事を、オリンピックを利用して世界的に宣伝することを狙いとしたものでした。

                      

しかし、日本は本当に「復興」したのでしょうか?

                     

最近、フェアウィンズ共同研究者であるウースター工科大学のマルコ・カルトフェン博士、フェアウィンズ・エナジー・エデュケーションのマギー・ガンダーセンと私アーニー・ガンダーセンは、日本の科学者と一般市民のみなさんのを協力を得て主に東北地方で収集した数百点の放射性物質サンプルを分析した、2番目となる査読付きジャーナル記事を公表しました。
ほぼ10年間に5回のサンプリングを行いましたが、延べにすると合計70日間の地上でのサンプリングを行いました。

                      

以下は私たちが確認検証した4つの項目です。

                    

1. 既存の日本の放射線マップは、放射線被ばくの重要な要因を無視している

                       

                       

北日本の放射線マップのほとんどは、市民や科学者が携帯用機器を使って測定した外部放射線量に基づいています。
外部放射線量は、その測定結果を大規模なデータベースにダウンロードされてGPS座標にリンクしていきます。
直接的な外部放射線に関するこうした情報は確かに重要ですが、日本の場合は被災した市町村のどこを再び居住可能地域にするのかその政策を決定する人間が最終的なデータ作成を行っています。

                      

こうしたやり方ではどのような政策を採用すべきかについて限られた選択肢しか提供できず、しかも2つの理由から被曝をしている可能性のある人の人数について最小の値しか提示しないことがわかりました。

                   

第1に外部線量計の測定結果は人体とは無関係に単に地面の上の放射線量を測ったものであり、「ホットパーティクル」として人体に吸着あるいは吸入された場合の放射線量などは無視しています。

                   

第2に、東北地方で指標として主に使われている放射線量は、外部測定された放射性同位元素のひとつであるセシウム137(Cs-137)から放出された放射線、その1種類だけに基づくものです。

                     

                  

これに対し、私たち(マルコ・カルトフェン博士、マギー・ガンダーセン、アーニー・ガンダーセン共著)の論文は、携帯型ガイガーカウンターでは検出できない、あるいは外部計測では検出不可能な多種多様な放射性物質に関する検証に基づき作成されました。。
そして被災地の人びとが吸い込む、あるいは飲み込んだりして体内に入り込んだ放射性ダストの中に存在し得る、あらゆる種類の放射性物質についても検証しました。

                    

私たちの論文で指摘してる事ですが、問題の放射性ダスト粒子の中には放射能濃度の差は100万倍にまで広がっています。
そして放射性ダスト粒子の中に5パーセントの割合で含まれている『ホットパーティクル』は平均値の10,000倍の放射能を持っています。

                 

私たちが調査した中で最も放射性が高い放射性ダスト粒子は、メルトダウンした福島第一原発から約480km離れた場所で採集されたものです。

                 

さらに私たちの調査では福島第一原発が放出した放射線のアルファ線、ベータ線、ガンマ線の各汚染物質は、それぞれが異なる拡散パターンを持っていた事が確認されました。

                     

                 

これはすなわち、セシウム137のようにベータ線だけを放出する放射性物質、あるいはガイガーカウンターを使った場合のように総ガンマ値のみを測定するだけでは、すべての放射性物質がどのような拡散固着したのか結果を完全にマッピングするのには十分ではないということを証明するものです。

                     

市民の健康と安全を確保するためには、アルファ線の線量も測定する必要があります。
アルファ線に被ばくすると健康に深刻な影響が及ぶ可能性があり、このことは特に重要です。

                   

《後編》に続く
https://www.fairewinds.org/demystify/fairewinds-nuclear-spring-series-japan-hasnt-recovered-10-years-after-fukushima-meltdowns?ss_source=sscampaigns&ss_campaign_id=60635f5d4fab780f88c38da6&ss_email_id=6063713ec1bf7f39008bac2e&ss_campaign_name=Fairewinds+Introduces+New+%23NuclearSpringSeries&ss_campaign_sent_date=2021-03-30T18%3A43%3A37Z

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実を申し上げると私はフェアウィンズの原稿を翻訳するのを楽しみにしています。

海外メディアの報道記事を翻訳している時とは少し異なる愉悦感のようなものがあります。

フェアウィンズの記事は長文のものが多いのですが、一向に苦になりません。

『良心の科学』に接しているという実感があるのかもしれません。

                        

私は父親が数学者の端くれ、息子は工学博士で一見理系の家系ですが、私自身は高校2年の物理でつまづいて以降、そっちの方はさっぱりの頭です。そのかわり世界史人物辞典を読みだすと面白くてやめられなくなるという文系の典型のような人間です。

アインシュタインの相対性理論の公式 E = mc2 について、私は速度の二乗という概念がどうしても理解できず、当時東北大工学部の博士課程にいた息子に「この公式について説明できるのか?」と尋ねた事があります。

息子は「できるよ。」と即答しました。

そして、「説明しても良いけど、父、説明されて理解できるの?」と逆に尋ねられました。

私は少し考えて、「説明してくれなくていい。」と答えました。

あの時程、自分の理科的能力の限界を思い知った時はありませんでした。                       

                        

そんな私ですが、アーニー・ガンダーセン氏の『科学』はすいすい頭に入ってきます。

平易でわかりやすいという事は、ごまかしが無い、という事の証明では無いでしょうか?

だからこそ福島第一原子力発電所の崩壊が続いていたあの時、ニューヨークタイムズやCNNやAPなどの米国メディアはもちろん、英国メディアもガンダーセン氏の見解を真っ先に引用していたのだと思います。

荒れ果てた故郷、目に見えない恐怖:2011年東日本大震災・福島第一原子力発電所の崩壊《後編》

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所要時間 約 9分

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崩壊によってむき出しになった原子炉が、致命的な量のヨウ素-131、セシウム-134、セシウム-137を大気中に噴きあげた

避難した先で『放射線の運び屋』呼ばわりされ、嘲られた原発難民

                      

                   

スティーヴ・チャオ / アルジャジーラ 2021年3月10日

                

破壊はそこで終わりませんでした。
地震と津波により何もかも破壊された後、今度は目に見えない恐怖を伴う徹底的な破壊が襲ってきたのです。

                   

東北太平洋岸で徹底的な破壊を行った津波は、福島第一原子力発電所において原子炉を損傷させ、1986年のチェルノブイリ原発事故に次ぐ前例のない3基の原子炉のメルトダウンという世界最悪の原子力災害の1つを発生させたのです。

                   

▽ 放射能汚染と混乱

                     

福島第一原子力発電所の崩壊により、急いで避難する人びとの車列

                     

放射能による汚染によって大きな混乱とパニックが引き起こされた事を、私は記憶しています。

                   

崩壊によってむき出しになった原子炉から大気中に噴きあげられたのは、致命的な量のヨウ素-131、セシウム-134、そしてセシウム-137でした。

                     

日本政府は当初、住民に屋内に避難するように告げましたが、福島第一原発の周囲20キロメートルに立入禁止区域を設置することを発表しました。
その範囲は30キロメートル、さらに80キロメートルと瞬く間に拡大していきました。

                   

そして約160,000人の住民に対し、通知からわずか数時間のうちに荷造りを済ませて自宅を放棄して避難するよう勧告が行われたのです。
その際、再び自宅に戻る事ができるかどうかについては何も知らされませんでした。

                    

                    

大規模な避難が行なわれてから数週間、避難先の市町村でまるで厄介者扱いを受けた経験がある、アルジャジーラの取材に避難民となった家族の多くがそう語りました。

                   

避難民の複数の家族が子供たちが転校先の学校でいじめに遭い、『放射線の運び屋』呼ばわりされ嘲られた経験を持っていました。

                  

そして10年が過ぎた今、人びとの中の恐怖は目に見えにくくなりました。
差別についても同様です。

                          

日本政府と関係当局は福島県内の放射能汚染地域の除染に何千億円もの費用をつぎ込んできました。
人が住む事ができない帰還困難区域は約307平方キロメートルに縮小しました。
10万人以上の住民が帰還を果たしました。

                       

「福島第一原子力発電所の崩壊が始まった当時、これ程の悲劇、その規模の大きさを忘れることなど考えられませんでした。」
とアルジャジーラの朝倉ディレクターがこう語りました。
彼女は2011年以降、取材スタッフを率いて被災地を何十回も訪れてきました。
「その記憶は一面に広がるとても広大なものであり、今なお私たちの心のから消える事はありません。しかし今では、多くの日本人にとってその記憶は遠いものになっています。今私たちが一番懸念しているのは新型コロナウイルスの方です。」

                       

                   

東京電力は崩壊した福島第一原発の事故収束・廃炉作業と放射性核廃棄物の安全な処分を行わなければなりませんが、その現状に関する報道はほとんどが新聞の中面の目立たない場所に小さく掲載されているだけです。

                   

しかし、福島の問題ははまだ何も終わっていません。

                   

3基の原子炉がメルトダウンしたことによって引き起こされた放射能汚染の脅威は残されたままです。

      

▽ 犠牲者を追悼する

                    

昨年、東京電力と日本政府は放射能汚染水125万トン以上(オリンピックサイズのプール約500個分の水量に相当)を太平洋に放出したいと発表しました。
理由は福島第一原発の敷地内にこれ以上保管場所を確保できなくなったことが理由です。

                     

これに対し様々な環境保護団体に加え、国連もこの決定を批判しました。

                      

                   

福島から放出された放射能はすでに広範囲にわたる漁業資源の汚染を引き起こしており、カリフォルニア沖で漁獲されたマグロからも検出されています。

                      

日本政府の発表を聞いて、私は田所忠義さんのことを思い浮かべました。
福島第一原発の原子炉がメルトダウンしてから数ヶ月後、私は彼が操船する漁船に乗っていました。
日本政府当局は福島県沖のすべての漁獲を禁止していたために、田所さんと船の乗組員たちは魚種ごとの放射性セシウムについてテストする見返りに、政府から少額の金銭的補償を受けていました。

                        

福島第一原発を正面に見ながら流し釣りをしながら原子力発電所の反対側をトローリングしていた際、誇り高き漁師の一団から尊敬されていた田所さんは、彼の家族と彼自身が経験している経済的困難について語りました。
田所さんは福島の海で生計を立てる漁師の家系が自分の代で終わってしまう事を心配していました。

                   

数年後、日本政府は福島県沖で漁獲された魚を再び市場で販売することを許可しました。
しかし計画されている放射能汚染水の放出が現実になれば、田所さんを初めとする漁業関係者は福島県沖での漁獲を再び諦めざるを得ない状況に追い込まれるでしょう。

                   

                  

日本政府は10周年を機に、東日本大震災の犠牲者を追悼する政府主催の公式の式典を終了させると述べています。

                     

先に進むことの大切さを認めながらも、東北地方太平洋岸のコミュニティは忘れられてしまうことへの懸念を表明しました。
多くの人が死者を悼むために、そしてさらに重要な意義として災害の教訓を忘れないようにするために、独自に追悼式典を主催し続けることを検討しています。

                       

※スティーヴ・チャオは、日本での3重災害発生当時、アルジャジーラのアジア特派員でした。
エミー賞にノミネートされた経験を持つジャーナリストであるチャオは現在、ドキュメンタリー映画の製作者として活躍しています。

《完》
https://www.aljazeera.com/news/2021/3/10/devastated-communities-unseen-fear-japan-tsunami-2011

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2011年3月11日に始まった福島第一原子力発電所の大崩壊を、人として忘れて良いのか?!

声を大にして言いたいのはその事です。

暮らしを、住む場所を、家族というつながりを台無しにされた原発難民の人びと。

私は絶対あのような形で自分の人生を壊されたくない!

そう痛感するから、こうして福島第一原発の問題を取り上げている海外の記事をいちいち翻訳しているのです。

                       

荒れ果てた故郷、目に見えない恐怖:2011年東日本大震災・福島第一原子力発電所の崩壊《前編》

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所要時間 約 10分

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地震と津波により何もかも破壊された後、今度は目に見えない恐怖を伴う徹底的な破壊が襲ってきた

3.11の災害現場、どんな心の準備も許さない容赦ない徹底的な破壊を見た

                      

                    

スティーヴ・チャオ / アルジャジーラ 2021年3月10日

                    

※ 日本の北東海岸に4階建て相当の高さの高津波が襲来してから10年になりますが、スティーヴ・チャオはアルジャジーラのアジア特派員であり、2011年の東日本大震災・福島第一原子力発電所の崩壊が発生した際、最も早く被災地に入った海外リポーターの一人です。

                  

名取の街に入った瞬間の事は決して忘れることはないでしょう。
私たちアルジャジーラの取材チームは地震発生の直後、東京を出発し夜通し運転して被災地に入りました。
冷たく澄み切った朝を、太陽が照らし出していました。

                    

高速道路を降り、私たちは消防署に立ち寄り津波の被害を受けた場所がどこなのか署長に尋ねました。
彼は私たちに通りを進み数ブロック先で右に曲がるように告げました。

                    

私たちが実際に目にしたものについて、どんな心の準備もできていませんでした。
私たちは海岸から何キロも離れた場所にいましたが、80,000人の人間が暮らしていたはずの都市のほぼ半分が平らにされていました。
それはまるで、海から出てきた巨大な手が名取市内に立っていた何もかもを一気に太平洋の海の中に引きずり込んだかのような景観でした。

                     

2011年3月12日、東日本大震災の津波に襲われた翌日の岩手県田老町

               

残ったのは一面の泥の海とあたり一面に散らばるひっくり返った車、破壊された家屋などの文明の断片でした。
海岸に向かって歩いていくと、津波の衝撃であるいはがれきに押しつぶされた人びとの手や足がぐったりと動かないまま伸びていました。
この津波により死亡したのは15,899人でした。
そして2,500人以上が行方不明のままです。

                        

現地で実況レポートを始めた途端、大きな余震が地面を揺るがしました。
また別の津波が発生したことを告げると警報が鳴り渡り渡り、私たちは被災地に唯一残された建物の2階に急いで駆け上がりました。
緊張したまま数分が過ぎ、やがてサイレンが止まりました。
それは誤報でした。
こんな事がこれから先何度も繰り返される事になるのでしょう…

                   

▽ 喪失感、痛み

                       

2011年3月12日、東日本大震災の津波に襲われた翌日の岩手県大槌町

                       

私たちの取材チームは、岩手県大槌町、宮古市、宮城県南三陸町、石巻市など、被災したコミュニティを次次と移動しました。
このうち岩手県田老町は1611年、1896年、1933年に大きな津波に襲われています。
こうした経験から住民は町を守るために高さ10メートルの護岸を建設していました。

                       

しかし2011年の津波は高さ15メートルに達しました。
家々はまるで巨大な洗濯機でもみくちゃにされた後、あたり一面にばらまかれたようになっていました。

                       

写真 : 2011年3月、田老町の被災地に立つスティーヴ・チャオ。

                 

破壊を免れた堤防の上で、在宅介護の仕事をしている畠山房子さんに会いました。
彼女の家も流されて無くなってしまいました。
彼女の隣人や友人は皆亡くなってしまいました。
彼女は破壊された町をあてもなくさまよっていました。
畠山さんは国内の別の場所に住んでいる息子に自分の無事を伝えるために、携帯電話のバッテリーを充電する方法はないかと私たちに尋ねました。

                          

写真 ; 岩手県田老町で自衛隊の捜索救助隊が残骸の中で発見された犠牲者のために黙祷を捧げていました。
救助隊のメンバーは、遺体が見つかるたびにに黙祷を捧げていました。

                    

後に畠山さんは東京の郊外に引っ越すことになりました。
現場にも同行したアルジャジーラのプロデューサーである朝倉綾氏がこの時畠山さんを取材しましたが、彼女は自宅と故郷を失ってしまった事について、震災の影響をほとんど受けていない日本の日常をとても遠くに感じるし、自分が日本の普通の生活とはもはや別の場所で生きているように感じていると語りました。
「津波の犠牲者は、日本の復興が進んだ事をしたことを知っています。しかし彼らはまだなにもかも失ってしまったことの痛みを感じており、トラウマを抱えています。」
朝倉氏はこう語りました。

                    

帰郷した人々のために、日本政府は沿岸部に最大高15メートル全長400キロメートルに及ぶ「巨大防潮堤」を建設するという前例のない計画に着手しました。
しかしこの計画には多数の批判が集中しました。
沿岸で暮らす一部の人々は壁は目障りであり、何世紀にもわたって家族を養うために大切にしてきた海から沿岸で暮らしてきた漁業関係者を切り離していると語っています。
しかし日本政府は、防潮堤の『防護』効果をはそうした心情的問題より優先されるべきだとしています。
この防潮堤がいついかなる時も津波を防ぎきれるのかどうかというのはまた別の問題です。

                        

多くの生存者が前に進もうとしました。
津波が気仙沼の町を襲ったとき、牛乳配達業の千葉清秀さんは真っ黒な津波に飲み込まれました。
千葉さんが生き残る事ができたのは、一個の発泡スチロールの箱にしがみついていたおかげでした。
数時間後、彼はなんとか橋の上によじ登り、氷点下前後まで気温が下がった夜を震えながら過ごしました。

                        

岩手県田老町の防潮堤の上に立つスティーヴ・チャオ特派員。

                     

翌朝、千葉さんは妻と2人の娘が亡くなったことを知りました。
9歳の息子瑛太くんだけが生き残りました。
仮設の避難所で出会った際、千葉さんは瑛太くんを支えていくためにすべての時間と愛情を注ぐ必要があり、嘆いている暇などはない、そう語っていました。
牛乳配達の事業を再建するための努力を続けながら、千葉さんは努めて空いた時間を瑛太くんと一緒に野球をして過ごしました。
瑛太くんは野球が大好きでした。

                     

千葉さんは『希望のヨーグルト』というマーケティング・キャンペーンを立ち上げ、瑛太くんのためにバッティングの練習施設を作るための資金集めにも挑戦しました。
同じ時期の始め頃、瑛太くんは母親と姉妹2人を喪ってしまった事にどう向き合えば良いのか、どう表現すれば良いのか苦しんでいました。
瑛太くんはいつの日か自分が生まれ育った町の再建に貢献し、母と姉妹の霊を慰めたいという願いを何とか口にしました。

                       

現在、瑛太くんは東京の高校を卒業し、イギリスに留学する事になりました。
海外に行くことにより、故郷の気仙沼と世界の都市との新たな絆を築く方法を模索していくつもりだと語りました。
3月11日の荒廃の中から生まれた瑛太くんの誓いは、彼の中で力強く脈打っています。

                     

                    

しかし破壊はそこで終わらなかったのです。
地震と津波により何もかも破壊された後、今度は目に見えない恐怖を伴う徹底的な破壊が襲ってきたのです。

 

※英文からの翻訳のため、個人名の表記に誤りがある場合があります。                        

《後編》に続く
https://www.aljazeera.com/news/2021/3/10/devastated-communities-unseen-fear-japan-tsunami-2011

このサイトについて
ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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