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「ゴキブリ」「ババア」:故国を離れて暮らす韓国朝鮮人への執拗ないやがらせが続く日本《後編》

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所要時間 約 7分

人権という言葉がどんな意味も持たなかった時代に逆戻りしていく日本、黙認する安倍政権

心の中では金正恩(キム・ジョンウン)体制を非難していても、口に出すことができない北朝鮮国籍の住民たち

 

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2017年9月2日

韓国籍や北朝鮮国籍の人間であることがわかれば差別されたり悪罵を投げつけられる恐れがあることから、各国朝鮮国籍を持つ人々の多くが日常生活で日本人の名前を使用しています。
生まれてからずっと日本で暮らしてきた若い韓国朝鮮人でさえ、日本に対しては複雑な思いを抱くようになりました。

「私は日本で生まれて日本でで育ちました。私が最初に覚えた言葉は日本語ですが、心の中では自分を日本人だとは感じていません。」
大阪の小学生のこどもたちに朝鮮の文化と言葉を教えているリュウ・ユウジャさんがこう語りました。
「私は大学に進学するまで、自分の朝鮮のルーツについて真剣に考えたことはありませんでした。しかし学べば学ぶほど、自分が朝鮮(韓)民族としての受け継いだものの意義はますます重要になったのです。」

 

1950年に朝鮮戦争が勃発したのをきっかけに祖父の代に日本に避難移住した今年28歳の若い女性は、最近は両親が彼女につけてくれた日本名の優子よりも、韓国語の名前で自分を語ることを選択することが多くなりました。
他の多くの韓国人と同様、彼女も北朝鮮にも家族関係を持ち、韓国の旅券を持っています。
「もし私が北朝鮮のパスポートを持っていれば、差別され人種攻撃を受けることになるのはわかりきっています。」

大阪にある鶴橋地区には多くの朝鮮半島出身者が暮らしていますが、金正恩(キム・ジョンウン)によるミサイルの発射が日本の北朝鮮国籍住民のコミュニティにどのような影響を与える可能性があるか、おおっぴらに話をする人はほとんどいません。
「こちらには金正恩(キム・ジョンウン)政権を批判している人がいると聞いてはいますが、私的な会話でしかありません。私の周囲にいる人々は、 - ほとんどが本当の思いを口にすることを恐れているのです。」
地元の焼肉レストランで家族と一緒の時間を過ごしていたソン・ジョンミさんがこう語りました。

 

かつて大阪の北朝鮮学校に通い、普段は日本人の名前を名乗っている48歳の男性は、
「拉致事件について北朝鮮政府が公式に関与を認めた後、私は散々悪罵を投げつけられました。今は自分のこどもたちが学校の行き帰り、安全が確保されるかどうかいつも気に病んでいます。」

 

リーさんによれば1923年に発生した関東大震災で発生した朝鮮人労働者の虐殺事件の犠牲者に対し、新たに東京都知事として選出された小池百合子氏が哀悼の辞を贈ることを取りやめた決定を行ったという事実は、日本国内の韓国朝鮮人に対する感情が変わったことを証拠立てる出来事です。

1923年9月1日の関東大震災の後、朝鮮人労働者が暴動を起こし、略奪したり毒を流したりしているという根拠不明のうわさが流布され、凶悪な暴力集団が朝鮮系住民に襲いかかり、多数の死者がでました。


「当時の虐殺事件と今自分たちが受けている差別や攻撃について考えると」

いったんは裁判で勝訴したものの上級審に持ち込まれ係争が続く中、リーさんがこう語りました。

「日本は現在、人権という言葉がどんな意味も持たなかった時代に逆戻りしているように感じます。 そして現在の政権はその事について何とも思っていない、そう感じるのです。」

 

https://www.theguardian.com/world/2017/sep/02/cockroaches-and-old-hags-hounding-of-the-north-korean-diaspora-in-japan

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人種差別に対して湧き上がる嫌悪感・不快感というものは、一種独特のものです。

確かに江戸時代の朝鮮通信使の記録などを見ても、朝鮮半島の人びとが日本人に対し好感を持ったという話はあまり聞きません。

また従軍慰安婦像の設置など、その執拗さに少々辟易することもあります。

しかしそれについては豊臣秀吉の朝鮮出兵や1910年の韓国併合など、『された側』の感情を『した側』が理解するのはなかなか難しいのだろうな、と感じる程度の話です。

 

さらには戦後日本が奇跡的な復興をとげた背景に、1950年に勃発した朝鮮戦争『特需』があったことは否定しようのない事実です。

こうした事実についても、朝鮮半島の人びとが日本に複雑な思いを持つ一因になっているのかもしれません。

歴史というものには様々な背景があり、こちら側の解釈を相手に一方的に認めさせるなど、土台無理な話だとも思います。

 

要は何かすべきことがあるとすれば、これ以上状況がこじれないように、双方にとって好ましい展開を考えるべきだという事ではないでしょうか?

そう考えると差別などというのは、対処法として最悪ということになります。

アメリカでは人種差別の意識を持つ人間、レイシストとの定義とは『最悪の部類の人間』というものです。

となれば、レイシズムを容認することもすなわち最悪だということになるでしょう。

 

近々日本では降って湧いたような国政選挙が行なわれるようです。

この機会に日本人はこれ以上『最悪』を続けるつもりなのかどうか、そんな選択もしなければならないのではありませんか?

 

「ゴキブリ」「ババア」:故国を離れて暮らす韓国朝鮮人への執拗ないやがらせが続く日本《前編》

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所要時間 約 8分

基本的人権の蹂躙が日常化、子供たちまで攻撃の対象にする日本の差別主義者達

極右の人間たちが虐待・差別発言をオンライン上で日常的に行うようになった

 

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2017年9月2日

日本国内で暮らす朝鮮人の李信恵(リー・シネ)さんは、政治的な緊張がたちまちに、そして残酷な形で生活の場に持ち込まれ、個人攻撃という形で自分に向けられたことを思い知らされました。
フリーランスのライターある李さんは昨年、日本の極右グループの在特会に対する名誉毀損の裁判に勝訴した後、公の場で望まないプロフィールを押しつけられることになりました。

在特会の元リーダーであった櫻井誠氏は李さんをオンライン上と路上でのデモの最中に「朝鮮ババア」と呼んでいました。

「私はこの日本で生まれたのですが、それでも在特会のメンバーたちはここを出ていけ、韓国北朝鮮に帰れと命令しているのです。」

 

現在、北朝鮮は大陸間弾道ミサイルの発射実験を繰り返し、日本の北海道沖にミサイルを撃ち込むなどし、東アジア地区における外交的危機を劇的に悪化させました。

こうしたことから北朝鮮との間に家族関係を持つ数万人の韓国朝鮮系の住民が、日本人が北朝鮮に向ける敵意がそのまま無関係の自分たちに向けられる事を恐れなければならない事態に陥っています。
日本国内には約600,000人の韓国・朝鮮人居住者がいますが、その多くは太平洋戦争当時に強制的に徴用され日本に連れて来られた人々の子孫です。

北朝鮮政府に150,000人が忠誠を誓う一方、全員がキム・ジョンウン政権の行動のために敵意を向けられているのです。

 

約600,000人の在日韓国朝鮮人のほとんどは、第二次世界大戦前と大戦中労働者として朝鮮半島から日本に強制的に徴用されてきた人々の子孫です。
このうち約15万人が北朝鮮の体制に忠誠を誓っていると言われます。

彼らは北朝鮮の事実上の大使館である朝鮮総連の傘下にある学校に子供を通わせています。
その教室には金日生の肖像画が飾られています。

 

このうち小学生の子供たちに対する言葉による虐待が明らかになったのは2002年、当時の金正日(キム・ジョンイル)朝鮮労働党総書記が1970年代から80年代、日本国民を拉致したことを認めた後のことでした。
北朝鮮のコミュニティにつながりのある学校は、嫌がらせメールや電話による脅迫を受けるようになりました。
女子生徒たちに関しては、朝鮮半島の伝統衣装であるするのをやめろという嫌がらせを学校が受けました。
現在も子供たちはチマゴリの制服を着ずに登下校を行っています。

 

そして2010年になると日本政府は今後朝鮮学校への公的補助金の給付を打ち切ると発表、学校側では多くの分野で資金不足が発生する結果となり、政策の転換を求る住民たちによる一連の訴訟を引き起こすことになりました。

大阪大学客員研究員の丸岡康子教授は北朝鮮のミサイル発射により、北朝鮮系の学校がさらなる嫌がらせや攻撃を受けるようになったと語りました。
「政治的状況が悪化していることについて、誰もが緊張感を持つようになっています。特に子供達が敏感になり、怯えてもいます。」
北朝鮮系の教育機関に対する公的資金拠出の削除に弁護士として反対する運動に関わっている丸岡さんがこう語りました。
「日本政府は今、また朝鮮によるミサイル攻撃について、国民の間に懸念をかき立ています。そして韓国に基盤を置くものなら受け入れることは可能だという雰囲気を作り出しています。そして北朝鮮は最早敵だとみなされ、その延長として日本国内にいる北朝鮮出身の住民も敵だとしているのです。」

日本国内の北朝鮮系住民社会に対する敵対心が再燃したのは、ちょうど10年前に北朝鮮政府が核実験に踏み切った年であり、キム・ジョンイル体制がミサイル開発を加速されるのに比例して過激になっていきました。
そして在特会をはじめとする極右集団が、韓国朝鮮人を「ゴキブリ」と呼ぶようになり、「死ね」「日本から出て行け」などというスローガンを掲げてデモ行進するようになったのです。

 

こうした状況に対し国連人権委員会から圧力がかかり、日本は昨年、ヘイトスピーチをはじめとする差別的な発言のこれ以上の拡大を止めるための法律を可決しました。
しかしこの法律は違反者に対して罰則を課すことはありません。
それでも差別を煽る集会等の数は、法律の発効後1年でほぼ半減しました。

 

その代わりに今度は極右の人間たちはその虐待・差別発言の大半をオンライン上で行うようになりました。こう語るのは日本で韓国朝鮮人の人権問題の解決に取り組む活動家のキム・ウーキさんです。
「近頃はオンライン上で常時敵意と偏見に満ちた書き込みが見られるようになりました。」

キムさんは第二次世界大戦の戦前戦中に、主に朝鮮半島から徴用された来た数万人の若い女性が従軍慰安婦とされ前線に送り込まれた史実を象徴する彫像の設置を支援するFacebookページを運営していますが、彼女は毎日多量の攻撃的な書き込みに直面しているます。
典型的な書き込みのひとつの例は、「従軍慰安婦」は今で言う風俗嬢であり、生き残った少数の女性たちは日本政府から補償を「ゆすりとろう」としていると主張しています。

これらのコメントには、フォトショップで加工された屈辱的な姿勢の少女像の卑劣な写真が添付されていることがあります。
「日本で暮らす韓国人として、こうした画像を見なければならないのは極めて不快なことです。」
キムさんがこう語りました。

 

〈後編に続く〉

https://www.theguardian.com/world/2017/sep/02/cockroaches-and-old-hags-hounding-of-the-north-korean-diaspora-in-japan

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アメリカで黒人差別が人権問題としてクローズアップされた1960年代、最も激しく差別をしたのが「プア・ホワイト」と呼ばれる社会的に最下層にいた白人達だったことは以前もご紹介しました。

アメリカン・ドリームを叶えたり、充実した教育を受け高い社会的地位を得たり、努力によって何事かを成し遂げた同じ白人と比較し、誇るべきものは肌の色が白いというだけの人間達でした。

相手が傷つきやすい心を持つ、自分と寸分変わらない人間だということをなぜ考えることができないのでしょうか?

差別などというものが愛国心などというものと何の関係もないことだけは、はっきりしているのですが…

【 21世紀社会が抱える深刻な課題 : ノーム・チョムスキー 】《5》

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所要時間 約 11分

一般市民の基本的人権を蹂躙し、暴力と不寛容によってアメリカの強国化を図るトランプ政権、追従する日本

巨額の軍事予算のわずかな部分を削ることで、富裕な国々は大量の難民に人道的援助を提供できる

自分たちの政府が何をしているのか?市民の側にはできるだけ多くの情報が必要

 

デモクラシー・ナウ 2017年5月29日

 

ノーム・チョムスキー :

では私たちはシリアの現状に対し、何をすればよいのでしょうか?
私たちに出来ることは本当に簡単なこと、とても簡単なことです。
この戦禍から逃れて来る人々を援助することです。
皆さんも考えてみてください、いま膨大な数の人々がシリアから脱出を試みていますが、私たちは彼らのために何をしているでしょうか?
アメリカは彼らにここに来るな!と言っているのです。

 

わずか数代前の私たち自身の祖先も実際に迫り来るナチス・ドイツの脅威を目の前にして、大挙して東ヨーロッパを逃れ、アメリカにやってきました。
その当時のことと現在のシリアの状況を考え合わせてみてください。

しかしトランプはこう言っています。
「私たちはシリア難民の受け入れを望んでいない。アメリカには不要だ。」

ですから、シリア人はここにはほとんど来ないでしょう。来てもほんの一握りの人々だと思います。
しかしヨーロッパもそれほど良くはありません - 実際、状況としては絶望的です。
ですから私たちは自分に何ができるかを考え、実際に行動しなければなりません。

 

私たちに出来る別の選択肢、それはこの地域の人々に人道援助を提供することです。
すでに難民を受け入れている国があります。
例えばレバノンです。
しかしレバノンは私たちのような豊かな国ではありません。貧しい国なのです。
人口の約40%が難民であり、シリア難民の数が最も多く、その他1948年のイスラエル戦争から逃れて来た人々も多数に上っています。
もう一つの貧しい国ヨルダンも膨大な数の難民を受け入れてきました。
そしてトルコにも数百万人の人々が避難しています。
イランも難民を受け入れています。

このように非常に貧しい国が難民を受け入れている一方で、豊かな国は受け入れを拒否しています。
豊かな国々にとって難民の受け入れは義務ではありません、確かに私たちの義務ではありません。
私たちアメリカが直面しているのは中南米諸国からの難民問題であり、私たちにとっては人間としてのモラルが問われている一層深刻な問題ですが、ここでは話をシリアにとどめておきます。

 

私たちが出来るもう一つのことは、戦禍から逃れた人々、そしてかろうじて命を守ってはいるものの恐ろしい状況の下で生活しているシリアに残っている人たちに、必要とされる支援を行うことです。
いずれを行うにしてもすべて安価で手続きも簡単です。
軍事予算を増額して破壊活動を大規模なものにすることに比べれば、ほんのわずかな金額で済む話です。

エイミー・グッドマン:
さて、チョムスキーさん、あなたの最新著作に触れる前に、現在アメリカで進行中の社会情勢についてお尋ねします。
中央情報局(Central Intelligence Agency - CIA)長官が就任後最初の基調演説を行い、ウィキリークス(WikiLeaks)の存在を重要な問題として取り上げました。
そして現在アメリカ政府は、約5年もの間ロンドンのエクアドル大使館に軟禁状態となっているジュリアン・アサンジ氏の逮捕状を準備しているようです。
トランプ政権の下でマイク・ポンペオCIA長官はジュリアン・アサンジ氏を「悪魔」と呼び、米国憲法修正第1条で保障されている権利(基本的人権)によって保護されることはないと語っています。
あなたのお考えはいかがですか?

 

ノーム・チョムスキー:
それは事実をもって語るべきでしょう。
ウィキリークスは、政府にとって都合の悪い数多くの情報を公開しています。
しかし市民の側にはできるだけ多くの情報が必要です。
それは自分たちの政府が何をしているのか、についての情報です。

一方権力の中枢にある政府側が情報をできるだけ表に出ないようにするのは当然の成り行きであり、情報の流出を防ぐためにできるだけのことをします。
こうして権力の側は不名誉な行為に走ることになります。

ジュリアン・アッサンジ氏をエクアドル大使館に実質的に軟禁していること自体、恥ずべき行為だと思います。

 

私は自分自身一度彼を訪ねたことがありますが、もし自分が5年もの間一箇所にずっと居続けることになったらどうなるか想像してみてください。
あらゆる点で、刑務所に入れられるより悪い環境に置かれています。
刑務所にいれば、少なくとも他の囚人と接触する機会があります。
そして屋外に出て、太陽の光を浴びることもできます。
しかしアサンジ氏がいるのは外出することができない小さなアパートです。
バルコニーに出ることはできますが、基本的には小さなアパート内の小さな2部屋に閉じ込められています。
エクアドル大使館は大きな建物ではありません。

この大使館は実質的にはロンドンのアパートのようなもので、常に警察に包囲されています。

アサンジ氏がこうした状況に置かれなければならない明快な根拠は私は無いと考えています。
しかしアメリカ政府はそれを無理やり刑事告発のレベルにまで引き上げようとしているのではないかと思いますが、こうした類の行為は日常生活の中では決して褒められるべき類のものではありません。
権力は情報を隠すことよって自分の身を守るという傾向を持つものであり、本来なら市民が知るべき情報もこうして隠されてしまいます。
市民が本来知るべき情報を持つことを権力は望みません。
私はその点が重要な課題だと考えています。

 

エイミー・グッドマン:
そうした事実を考えると、私たちはチェルシー・マニング氏やエドワード・スノーデン氏のような人間に対する支持や援助の姿勢を明らかにする必要があるかもしれません。
エドワード・スノーデン氏は未だにエクアドル大使館に閉じ込められていますが、彼は公式の場で市民の知る権利が守らなければならないと語っていました。

 

ノーム・チョムスキー:
刑事告発するというのが真実なら、スノーデン氏はむしろそのことを誇るべきです。
チェルシー・マニング氏やエドワード・スノーデン氏は勇気ある行動を繰り広げました。
彼らは民主主義社会の市民はこうあるべきであるというその通りに真剣に責任を果たしました。

つまり国民は自分たちの政府が何をしようとしているのか常に把握していなければならないという信念です。
お分かりですか?
自分の国の政府がイラク国内で残酷な殺人を繰り返しているとしたら、国民全員がその事実を知っておくべきである。

 

1967年にマーティン・ルーサー・キングが行った演説を振り返ってみましょう。
もし政府、あるいは企業が偶然にもあなたの電話での会話を聞いていたとしたら、あるいはあなたがしていることを把握しているとしたら、あるいはこの場での議論を盗聴しているとしたら、そうした類の行為をする権限は民主主義国家の政府にはありません。人々はこのことを肝に銘じておく必要があります。
もし政府機関や企業がこうした行為をすることを決めたことを秘密にしなかったら、誰もが反対することでしょう。
これが政府機関や企業の行為が秘密にされている理由です。

 

ではなぜ多くのことが秘密にされたままなのでしょうか?
マーティン・ルーサー・キングも、チェルシー・マニングも、エドワード・スノーデンも、自分の身を大きな危険にさらして情報を白日のもとにさらしたのです。

ですから彼らは勇敢なのであり、行ったことは勇気ある行為なのです。
もしウィキリークスが彼らの行為をさらに拡大していれば、彼らはもっと力を得ることができたでしょう。
かれらはやるべきことをやった人々なのです。

 

エイミー・グッドマン:
確かトランプ大統領はウィキリークスを支持していましたよね?彼は大統領選挙期間中に「私はウィキリークスが大好きです。」と発言していました。

 

ノーム・チョムスキー:
その通りです。ただしトランプが好む内容のものが暴露されていた時に限ってそうだということです。
どのような権力機構も次のように言うに違いありません。
「私の望む通りの情報を公開するなら大歓迎だが、私自身の情報の公開はお断りだ。」

 

《6》へ続く

https://www.democracynow.org/2017/5/29/noam_chomsky_in_conversation_with_amy

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トランプ政権というのはまさに一般市民の基本的人権を蹂躙し、暴力と不寛容によってアメリカを強国に持ち上げようとする政治体制のようです。

それに追従する日本の政治体制も大差がなくなってきました。

私たちはそうした体制に対し悪口を言って一時的な快感を得るのではなく、トランプ体制や安倍支配といった政治勢力がこれ以上力を持つことがないように、自分に一体何ができるかということを真剣に悩んでいかなければならないと思います。

【 津波の下に消えてしまったこどもたち : 3.11の想像を絶する悲劇の真相 】《5》

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所要時間 約 8分

生き残った子供たちが迷いながら口にした証言が、それまで誰も気がつかなかった過誤を明らかにしていった

関係者の経歴に傷がつかないよう、悲劇が起きた本当の原因に関する異議を封じ込めることを目的に組織された事故調査委員会

 

 

リチャード・ロイド・パリー / ガーディアン 2017年8月24日

大川小学校における悲劇の本当の惨状は、その後時間が経ってから明らかになりました。

その日学校には108人の子供たちががいました。

津波が襲いかかった瞬間、その場にいた78人のうち74人が亡くなり、11人の教師のうち10人が死亡していました。

 

その後、地震の後すぐに子どもたちを引き取るため学校に駆けつけなかった親たちは、激しく自分を責め苦しむことになりました。

しかし当時彼らがどのような状況にあったにせよ、子どもたちの安全を、そして命を守ることを最優先に行動したであろうことは間違いがなく、事態を軽視したとかどこかがだらしなかったなどという指摘は的外れです。

日本中どこにおいても自然災害に対する各家庭の備えは、国などが運営する学校よりもしっかりしています。

 

2011年3月11日、東日本大震災の地震と津波による犠牲者の数は約18,000人、その中で当時学校にいた子供たちは75人だけでした。

そして1人を除く全員が大川小学校の子どもたちだったのです。

 

佐藤かつらさんの娘さんのみずほさんは、大川小学校で起きた悲劇による犠牲者の一人でした。

「娘の葬儀の後、ですか?今はおおむね健康を取り戻しましたが、当時は病気になりました。」

かつらさんがこう語りました。

「私は起き上がることができなくなりました。3日韓寝込んでいました。そして繰り返し繰り返し娘を失った事ばかりを考え続けていました。そして段々、娘が命を失ってしまった当時の状況について強く疑いを持つようになったのです。それは確かに抗いようのない巨大な自然災害でした。当初私はこうした悲劇がたくさんの学校で起きたのだと考えていました。」

「でもそのうちに、そうした話が全然聞こえてこないのはなぜなのだろうと考えるようになったのです。」

北上川に沿ったいくつもの集落は、東日本大震災の発生から数週間を経て、ようやく息を吹き返し始めました。

そして他の親たちも同様の疑問を持ちはじめていたのです。

何が起きたのか、明らかになった真実は津波そのものとは対照的なものでした。

そこには巨大なクライマックスもなければ、すべてを破壊する波も無く、地軸が歪むほどの巨大な揺れもありませんでした。

真実は少しずつ、滴るようにしてその姿を現し、あるものは成り行きによって自然に、そしてあるものは人間の手で懸命に絞るようにした結果、現れ出てきました。

 

生き残ることができた子供たちが迷いながら口にした証言が、それまで誰も気がつかなかった過誤を明らかにしていきました。

そうした証言は結局『公式説明』の誤りの矛盾を明らかにする文書を形成することになったのです。

 

公式説明はそれ自体ぐらついたもので、何度も訂正が繰り返されました。

数ヶ月に1度、石巻教育委員会の公務員たちが開く、『新たな事実に基づく説明会』が開催されましたが、その都度彼らは子どもを亡くした両親たちの激しい怒りに直面しなければなりませんでした。

人びとは当初は気か進まぬ様子でしたが、自分たちが体験した事実について恐怖を込めて進んで証言するようになりました。

 

子どもたちの遺族の深い悲しみに人間として向かい合うことを拒否する市の職員たちの姿勢は、当初は市当局全体の機能不全やリーダーシップの不在という問題ではないと見なされていました。

しかし時間の経過とともに、両親は別の動機を疑うようになりました。

すなわち法的責任を認めたと解釈される可能性のあるいかなる言動も回避したいという脅迫観念にとりつかれているのではないか?という疑いです。

弁護士による遺族の感情を無視した助言は、市の職員たちすべての発言に反映されるようなりました。

市の職員たちは進んで深い悲しみと哀悼の意を表明しました。そして喜んでへりくだり、自分のような者は皆さんの悲しみを癒すだけの器ではないという態度を示しました。

しかし当事者の一員として特定の過失について責任を負うことや制度的欠陥、あるいは組織としての過失については誰一人として認めようとはしませんでした。

石巻市は、津波の23カ月後、大川小学校事故調査委員会の設立を発表しました。大川小学校事故調査委員会は1年をかけ、記録の点検と面接による聞き取り調査を行うことになりました。

こうしてまとめられた知見が2014年2月、200ページの報告書として公表されたのです。

 

委員会の使命は「検証」でしたが、その視野は詳細でありながら限られた内容のものでした。
報告書は起きた事実と原因を明らかにしていますが、決して個人的責任を特定する記述は何もありませんでした。
報告書は死者の数が多数に上った原因として校庭からの避難が遅れたこと、そして子どもたちと教師が最終的に津波から遠ざかるのではなく逆に津波が来る方向に逃げてしまったことを挙げました。

 

報告書によれば学校、教育委員会、石巻市の教育担当部署はこれほどの自然災害に対する準備は整っていなかったとしています。
津波の直接的被害を受けると想定されていた地域に、釜谷地区は含まれていませんでした。
学校の災害マニュアルの作成の際に津波に襲われる可能性は考慮されておらず、津波からの避難訓練も行われていませんでした。
そしてこうした学校の準備状況を確認していた地方自治体の関係者は一人もいませんでした。
報告書によれば学校の先生たちは「心理的に自分たちが重大な危険に直面していると認識することが」できませんでした。
これらのうち一つでも回避することができていれば、これほどの悲劇になることは避けられたはずだと、報告書は結論づけました。

しかしこの事件の最大の論争の的は、丘の上に避難したいと訴えた男の子たちについて沈黙していることです。
この少年たちは無視され、どこにも記述がありません。
2年もの間待たされた挙句、犠牲になった子供たちの両親に示された調査委員会の結論は、学校・教育委員会・石巻市当局はこれまでの見解を変えるつもりなどないということを再確認させただけでした。

 

この調査報告の真の目的は『独立した立場の』専門家たちが責任があるはずの関係者の経歴や評判に傷がつかないよう配慮を加えながら、遠慮がちに体制を軽く批判するという熱意に欠ける報告書を作成することで、悲劇が起きた本当の原因に関する異議を封じ込めることだった、両親たちはそう結論せざるを得ませんでした。

 

-《6》に続く –

https://www.theguardian.com/world/2017/aug/24/the-school-beneath-the-wave-the-unimaginable-tragedy-of-japans-tsunami

【 津波の下に消えてしまったこどもたち : 3.11の想像を絶する悲劇の真相 】《4》

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所要時間 約 8分

最もおぞましかったのは、津波が通り道にある人間世界のすべてをのみこんでいく際に立てた強烈な騒音

悪臭を放ち恐ろしい咆哮をあげながら海そのものが陸に上がってきた、そして人々に襲いかかった

 

リチャード・ロイド・パリー / ガーディアン 2017年8月24日

津波を経験した人が見たもの、聞いたもの、そしてその時嗅いだ匂いはすべて微妙に異なっています。

それらの違いはどの場所で津波に襲われたのか、そして津波が何を乗り越えてやってきたのかによって異なっていました。

防波堤や護岸堤防を乗り越えてやってきた津波を目撃した人々は、それは巨大な滝の様だったと証言しました。

家や建物の中にいた別の人びとにとっては、急激に水面が上昇した洪水でした。

始めのうちは見た目にたいした事はありませんでしたが、足や足首がグイッと引きずられる感じががしたと思うとすぐに足、胸、肩を引っ張られそして殴られるような感覚に襲われました。

津波の色も、茶色、灰色、黒、白と人によって様々です。

 

実際の津波は日本人が伝統的に持っていた波のイメージとは似ても似つかないものでした。

日本人が伝統的に持っていた波のイメージ、それは有名な北斎の版画に描かれたような青緑色の、波頭にはまるで装飾のように優雅な白い泡のかたまりが浮かんだ海の波ですが、実際の津波はそんなものとはまるで違っていました。

現実に襲ってきた津波はすべてが桁違いで、もっと暗く、巨大で強力で暴力的であり、優しさや残虐性、あるいは美しさや醜さなどという価値判断とは無縁の、それまで見聞きしてきたものとは全く違うものでした。

海そのものが陸地に上がって来てどんどん迫って来ました。

そして恐ろしい咆哮をあげながら人々に襲いかかったのです。

そして悪臭を放つ海水、泥、海草が交じり合った物体でした。

 

最もおぞましかったのは、津波が通り道にある人間世界のすべてのものをのみこんでいく際に立てる強烈な騒音でした。

木材やコンクリート、金属やタイルが破砕されぶつかりあい、まるで悲鳴をあげるようにギイギイと鳴き声にも似た音を立てていました。

巨大なうねりが発生した場所では津波の表面に、破壊された建物の破片やがれきが寄せ集められたような、正体不明のごみのようなものが渦巻いていました。

まるで付近の町や村、都市全体が巨大なコンプレッサーのアゴに噛み砕かれ、粉々になってしまった後のような様相を呈していました。

 

釜屋地区全体を見渡すことができる丘の上に間一髪で逃れた永野和一さん、秀子さんの夫婦は、堤防を越えてなだれ込んだ津波が村や田畑全体にみるみる広がっていく様子を見つめていました。

「それは巨大な黒い山のようでした。津波は一気にやってきて、辺り一帯の建物を一瞬で破壊しました。」

「一個の巨大な物体の様でした。そして聞いたことがない音を立てていました。聞きなれた海の音とは違っていました。それは地球そのものがたてる轟音のようで、何かをぐしゃぐしゃに踏みつぶすような類の音と一緒になり、そしてうめき声のようにも聞こえました。」

そのはざまにもっと弱々しい別の音が聞こえていました。
「それは子どもたちの叫び声でした。」

永野秀子さんが振り返りました。

「子供たちはこう叫んでいました。『助けて!助けて!』」

半身が水に浸かりながらも丘の上に這い上がって何とか命が助かった高橋和夫さんにも子供たちの声が聞こえました。

「私も子供たちの声を聞きました。しかし津波がものすごい勢いで渦を巻き、水とがれきがぶつかり合うような音が響き渡る中、子どもたちの声はだんだん聞こえなくなっていきました。」

 

只野哲也君は泥で目が見えなくなり、津波の轟音で耳もほとんど聞こえない状態で丘の上にたどり着きました。
その手足は、瓦礫や木材、その他確認のしようもない何かに押さえつけられ、身動きができなくなっていました。
そして何やら動くものがその体の上にあり、その重量が哲也君にのしかかっていました。
それは哲也の友人で5年生の高橋航平君だったのです。
航平君の命は家庭用の冷蔵庫によって救われました。

航平君が津波に揉まれるようにして流されていた時、ドアが開いたのままの冷蔵庫が目の前に流れてきました。
彼は冷蔵庫の中に体をよじるようにして乗り込み、ボート代わりに身を乗せていましたが、最終的に学校の友人の背中の上に乗り上げたのです。
「助けて!君の体の下敷きになってる!」
哲也君はこう叫びました。
航平君は哲也君を冷蔵庫の下から引きずり出し、自由にしてあげました。
そして2人は急な斜面に立ち、眼下に広がる光景を見つめました。

 

かつての釜谷地区は点々と村落が連なり、その向こうには畑や丘陵が広がり、その間を蛇行しながら川が流れ、それが太平洋へと流れ込んでいました。
しかし津波に襲われた後、家も集落も畑も何もかも、見渡す限り海に続くまで消え失せてしまっていました。

哲也君の脳裏に最初に浮かんだのは、友達も自分自身もすでに死んでしまったのだという考えでした。
目の前を轟々と流れていく濁流こそ、話に聞く三途の川に違いないと思ったのです。

生前の行いが良かった人々は安全に橋を渡って天国に行くことができますが、行いの良くなかった者は恐ろしい龍が隠れている川をイチかバチか泳いで渡らなければなりません。
これに対し無垢の子供たちは善悪に関係なく親切な地蔵菩薩に導かれ、途中鬼や悪魔にさらわれたりすることなく、天国への道を進むことができるのです。

 

「もうすっかり自分は死んだものと思っていました。」

哲也君が当時をこう振り返りました。

「目の前を三途の川が流れれていると…。でもその時新北上大橋とその手前の大きな安全地帯が目に入りました。ああそうか、自分はまだ釜谷にいるのかもしれないと、その時思ったのです。」

一度引いたかに見えた津波が再び丘に向って押し寄せてきました。

男の子2人はさらに坂を上りました。

 

哲也君の顔は真っ黒で、おまけに傷だらけでした。

着用していたプラスチックのヘルメットは津波にもまれているうちにストラップがねじれ、完全にずれた状態で目に突き刺さるように顔を圧迫していました。

哲也君はその後数週間、正常な視力を取り戻すことができませんでした。

哲也君は津波に流されていたその瞬間の記憶はぼんやりとしたものでしかありません。

航平君は左手首を骨折し、肌には棘のようなものが刺さっていましたが、視力には影響がありませんでした。

航平君は一緒に学校に通っていた仲間の子どもたちと学校がどのような運命に見舞われたのか、目にはいるものすべてを目撃しました。

しかし航平君はその事について、決して人前で話そうとはしませんでした。

 

-《5》に続く –

https://www.theguardian.com/world/2017/aug/24/the-school-beneath-the-wave-the-unimaginable-tragedy-of-japans-tsunami

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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