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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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荒れ果てた故郷、目に見えない恐怖:2011年東日本大震災・福島第一原子力発電所の崩壊《前編》

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所要時間 約 10分

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地震と津波により何もかも破壊された後、今度は目に見えない恐怖を伴う徹底的な破壊が襲ってきた

3.11の災害現場、どんな心の準備も許さない容赦ない徹底的な破壊を見た

                      

                    

スティーヴ・チャオ / アルジャジーラ 2021年3月10日

                    

※ 日本の北東海岸に4階建て相当の高さの高津波が襲来してから10年になりますが、スティーヴ・チャオはアルジャジーラのアジア特派員であり、2011年の東日本大震災・福島第一原子力発電所の崩壊が発生した際、最も早く被災地に入った海外リポーターの一人です。

                  

名取の街に入った瞬間の事は決して忘れることはないでしょう。
私たちアルジャジーラの取材チームは地震発生の直後、東京を出発し夜通し運転して被災地に入りました。
冷たく澄み切った朝を、太陽が照らし出していました。

                    

高速道路を降り、私たちは消防署に立ち寄り津波の被害を受けた場所がどこなのか署長に尋ねました。
彼は私たちに通りを進み数ブロック先で右に曲がるように告げました。

                    

私たちが実際に目にしたものについて、どんな心の準備もできていませんでした。
私たちは海岸から何キロも離れた場所にいましたが、80,000人の人間が暮らしていたはずの都市のほぼ半分が平らにされていました。
それはまるで、海から出てきた巨大な手が名取市内に立っていた何もかもを一気に太平洋の海の中に引きずり込んだかのような景観でした。

                     

2011年3月12日、東日本大震災の津波に襲われた翌日の岩手県田老町

               

残ったのは一面の泥の海とあたり一面に散らばるひっくり返った車、破壊された家屋などの文明の断片でした。
海岸に向かって歩いていくと、津波の衝撃であるいはがれきに押しつぶされた人びとの手や足がぐったりと動かないまま伸びていました。
この津波により死亡したのは15,899人でした。
そして2,500人以上が行方不明のままです。

                        

現地で実況レポートを始めた途端、大きな余震が地面を揺るがしました。
また別の津波が発生したことを告げると警報が鳴り渡り渡り、私たちは被災地に唯一残された建物の2階に急いで駆け上がりました。
緊張したまま数分が過ぎ、やがてサイレンが止まりました。
それは誤報でした。
こんな事がこれから先何度も繰り返される事になるのでしょう…

                   

▽ 喪失感、痛み

                       

2011年3月12日、東日本大震災の津波に襲われた翌日の岩手県大槌町

                       

私たちの取材チームは、岩手県大槌町、宮古市、宮城県南三陸町、石巻市など、被災したコミュニティを次次と移動しました。
このうち岩手県田老町は1611年、1896年、1933年に大きな津波に襲われています。
こうした経験から住民は町を守るために高さ10メートルの護岸を建設していました。

                       

しかし2011年の津波は高さ15メートルに達しました。
家々はまるで巨大な洗濯機でもみくちゃにされた後、あたり一面にばらまかれたようになっていました。

                       

写真 : 2011年3月、田老町の被災地に立つスティーヴ・チャオ。

                 

破壊を免れた堤防の上で、在宅介護の仕事をしている畠山房子さんに会いました。
彼女の家も流されて無くなってしまいました。
彼女の隣人や友人は皆亡くなってしまいました。
彼女は破壊された町をあてもなくさまよっていました。
畠山さんは国内の別の場所に住んでいる息子に自分の無事を伝えるために、携帯電話のバッテリーを充電する方法はないかと私たちに尋ねました。

                          

写真 ; 岩手県田老町で自衛隊の捜索救助隊が残骸の中で発見された犠牲者のために黙祷を捧げていました。
救助隊のメンバーは、遺体が見つかるたびにに黙祷を捧げていました。

                    

後に畠山さんは東京の郊外に引っ越すことになりました。
現場にも同行したアルジャジーラのプロデューサーである朝倉綾氏がこの時畠山さんを取材しましたが、彼女は自宅と故郷を失ってしまった事について、震災の影響をほとんど受けていない日本の日常をとても遠くに感じるし、自分が日本の普通の生活とはもはや別の場所で生きているように感じていると語りました。
「津波の犠牲者は、日本の復興が進んだ事をしたことを知っています。しかし彼らはまだなにもかも失ってしまったことの痛みを感じており、トラウマを抱えています。」
朝倉氏はこう語りました。

                    

帰郷した人々のために、日本政府は沿岸部に最大高15メートル全長400キロメートルに及ぶ「巨大防潮堤」を建設するという前例のない計画に着手しました。
しかしこの計画には多数の批判が集中しました。
沿岸で暮らす一部の人々は壁は目障りであり、何世紀にもわたって家族を養うために大切にしてきた海から沿岸で暮らしてきた漁業関係者を切り離していると語っています。
しかし日本政府は、防潮堤の『防護』効果をはそうした心情的問題より優先されるべきだとしています。
この防潮堤がいついかなる時も津波を防ぎきれるのかどうかというのはまた別の問題です。

                        

多くの生存者が前に進もうとしました。
津波が気仙沼の町を襲ったとき、牛乳配達業の千葉清秀さんは真っ黒な津波に飲み込まれました。
千葉さんが生き残る事ができたのは、一個の発泡スチロールの箱にしがみついていたおかげでした。
数時間後、彼はなんとか橋の上によじ登り、氷点下前後まで気温が下がった夜を震えながら過ごしました。

                        

岩手県田老町の防潮堤の上に立つスティーヴ・チャオ特派員。

                     

翌朝、千葉さんは妻と2人の娘が亡くなったことを知りました。
9歳の息子瑛太くんだけが生き残りました。
仮設の避難所で出会った際、千葉さんは瑛太くんを支えていくためにすべての時間と愛情を注ぐ必要があり、嘆いている暇などはない、そう語っていました。
牛乳配達の事業を再建するための努力を続けながら、千葉さんは努めて空いた時間を瑛太くんと一緒に野球をして過ごしました。
瑛太くんは野球が大好きでした。

                     

千葉さんは『希望のヨーグルト』というマーケティング・キャンペーンを立ち上げ、瑛太くんのためにバッティングの練習施設を作るための資金集めにも挑戦しました。
同じ時期の始め頃、瑛太くんは母親と姉妹2人を喪ってしまった事にどう向き合えば良いのか、どう表現すれば良いのか苦しんでいました。
瑛太くんはいつの日か自分が生まれ育った町の再建に貢献し、母と姉妹の霊を慰めたいという願いを何とか口にしました。

                       

現在、瑛太くんは東京の高校を卒業し、イギリスに留学する事になりました。
海外に行くことにより、故郷の気仙沼と世界の都市との新たな絆を築く方法を模索していくつもりだと語りました。
3月11日の荒廃の中から生まれた瑛太くんの誓いは、彼の中で力強く脈打っています。

                     

                    

しかし破壊はそこで終わらなかったのです。
地震と津波により何もかも破壊された後、今度は目に見えない恐怖を伴う徹底的な破壊が襲ってきたのです。

 

※英文からの翻訳のため、個人名の表記に誤りがある場合があります。                        

《後編》に続く
https://www.aljazeera.com/news/2021/3/10/devastated-communities-unseen-fear-japan-tsunami-2011

福島第一原発事故 – 日本政府と東京電力『欺瞞と妄想の10年』

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所要時間 約 13分

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福島第一原子力発電所を完全廃炉にするための取り組みは先行き絶望的
放射性物質が直接降り注いだ地域では、人々の生活は取り返しのつかないほど、そして永遠に変わってしまった
日本列島の北側半分から国民全員を避難させる計画が、密かに作成されていた

                   

写真 : 2021年3月1日、津波で被害を受けた福島第一原子力発電所の原子炉建屋の脇を歩く作業員

                    

ジュリアン・ライオール / ドイチェ・ヴェレ 2021年3月11日

                 

環境保護団体は、事故によって破壊・機能不全に陥った福島第一原子力発電所を完全廃炉にするための取り組みは先行き絶望的であると述べています。
一部の地元住民は、福島第一原発が放出した放射性物質が降り注いだかつての故郷に戻ることは安全ではないとの不安を隠せません。

                    

日本史上最大の破壊を行った自然災害とそれによって引き起こされた原子力発電所事故が発生してからちょうど10年が過ぎました。
福島第一原子力発電所を運営していた東京電力は、事故収束・廃炉作業が予定通りに進んでいることを確信していると公表しました。

                    

しかし原子力発電に反対する活動を行っている人々はそうした見解を明らかにすることに批判を強めています。
メルトダウンに見舞われた3基の原子炉の廃炉措置を完了することができるという東京電力の計画は、「成功の見込みがなく、妄想に過ぎない」と主張しています。

                  

2011年3月、福島第一原発が吹き上げた放射性物質が直接降り注いだ地域では、人々の生活は取り返しのつかないほどそして永遠に変わってしまったと語りました。

                    

福島第一原子力発電所の危機は、2011年3月11日午後、マグニチュード9.1地震が襲った東日本大震災に続くものでした。
地震災害に関する近代的な記録管理が始まったのは1900年のことですが、それ以来世界史上4番目に強力な東北太平洋沖地震が場所によっては高さが40メートルを超える巨大な津波を引き起こしました。

                   

                

▽「戻っても安全だとなど告げられるべきではない…」

                      

津波は福島第一原発でも防波堤を乗り越えて殺到し、施設内の6基の原子炉建屋のうち4箇所の階下部分を浸水させ、原子炉の冷却水を循環させるウォーターポンプを稼働させるために必要な非常用発電機の機能を破壊しました。
その結果原子炉炉心が過熱状態になり、メンテナンスのため稼働を停止していた4号機以外の3基の原子炉がメルトダウンしたのです。

                       

事故の翌日、日本政府は周辺の市町村で生活していた154,000人以上の人々に避難を命じました。
そしてさらに多くの原子炉格納容器が破壊され、大量の放射性物質が大気中に放出された場合に備え、日本列島の北半分の広大な地域から住民を避難させる計画が密かに作成されました。

                   

福島の事故はチェルノブイリ事故に次ぐ史上2番目に深刻な原子力事故に分類されていますが、日本の国土の半分が汚染されてしまうというシナリオは現実にはなりませんでした。
しかし専門家は、約18,000テラ・ベクレルの放射性セシウム137が太平洋に放出され、同時にストロンチウム、コバルト、ヨウ素およびその他の放射性物質も海に流出したと推定しています。

                      

福島県の伊藤信義さんは10年前の震災の際、飯舘村郊外にある自宅から避難するよう求める当局の要請を無視しました。
伊藤さんは自分はすでに高齢であり、放射線による被曝が今後の寿命に影響を与える可能性は低く、自ら人間の実験台としての役割を果たすため、そのまま留まる決意をしました。

                     

                         

現在76歳になった伊藤さんは過去10年間、周囲の丘や、自分が栽培している作物や野生の果物や野菜の放射線レベルを計測・記録してきました。
「3年前、日本政府の当局者は避難命令を解除し、それ以来人々に帰還するよう促してきました。」
「私は事故発生以来、放射線量を記録してきました。確かに線量は下がってきましたが、ここの土壌は今後何年も汚染が続くでしょう。私はここが安全だとは思っていません。ですからかつての住民たちにもう戻っても安全だなどとは言うべきではありません。」

                       

福島第一原子力発電所の責任者であり事故収束・廃炉作業の最高責任者である小野晃氏は3月上旬のインタビューの中で、2041年から2051年の間に設定された原子炉を安全にするための作業完了の目標を修正する必要はないと語りました。
「私たちは30年から40年の最終目標にこだわっており、それに応じてタイムラインと技術および開発計画をまとめていきます。」
小野氏はAP通信の取材にこう答えました。

                     

この発言は、2基の原子炉の一次格納容器のセシウムの放射線量がこれまで予測されていた量よりもはるかに高いという新たな事実が判明し、事故収束・廃炉作業を一層困難にするであろうと予測される中、行われました。
さらにはメルトダウンした3基の原子炉の格納容器の底部に落下した溶融核燃料については、まだ不明の点が数多く残されています。

                  

またこれ程の規模の廃炉事業はこれまで試みられたことすらなく、一部の分野においては作業を完了させるための技術がまだ開発されていません。
それでも東京電力は作業を前進させられるとしており、3月末までにスケジュールを更新の上、公表することにしています。

                     

▽ 欺瞞と妄想の10年?

              

                    

グリーンピース東アジアの原子力発電の専門家であるショーン・バーニー氏は、東京電力が示したスケジュールが実現できる可能性はなく、日本政府当局は人々の生命への危険がまだ存在している事を無視し続けていると主張しています。
「これまでの10年間、歴代の日本政府は…原子力災害について偽りの神話をつくり上げようと試みてきました。」
バーニー氏はドイチェ・ヴェレに寄せた声明の中でこう述べています。

                  

「東京電力と日本政府は除染作業の有効性を不当表示し、放射線リスクを無視することによって、日本国民を欺こうとしてきたのです。」
「同時に彼らは福島第一原子力発電所が今世紀の半ばまでに『緑の大地』状態に戻すことが可能だと主張し続けています。」。
「日本政府と東京電力が続けてきた『欺瞞と妄想の10年』は終わらせなければなりません。廃炉計画を作り直す事は避けられない現実なのに、なぜ今やっている偽りをこのまま続け、さらに時間を無駄にしようとしているのでしょう?」

                   

グリーンピースが実施した調査によると、福島第一原発の放射性物質による汚染が最も深刻だと特定された840平方キロメートル(324.3平方マイル)の面積のうち、除染が行われたのはわずか15%にとどまっています。
そして放射線量が安全基準を上回っているにもかかわらず、日本政府は浪江町と飯舘村は住民が帰還しても安全であると発表したのです。

                   

                  

バーニー氏は福島第一原発の事故収束・廃炉作業を実現させるためには「アプローチの根本的な見直しと新しい計画」が必要であると述べています。
グリーンピースは、最悪の選択は溶融核燃料の残骸を含め、放射線で汚染されたすべての物質を『仮に回収できた場合』でも、それをそのまま無期限に保管することであると考えています。

                   

「福島第一は、すでに放射性核廃棄物の長期にわたる貯蔵場所になっており、今後もそうならざるをえないでしょう。」
バーニー氏はこう結論付けました。

                

福島第一原子力発電所が引き起こした事故は、前例が無い程多量の放射性物質を太平洋に流し込みました。
しかしそれ以前も、海は度重なる核実験と原子力発電所が放出する放射性廃棄物によって汚染されていました。
その影響は今日、見過ごせないレベルに達しています。

                      

写真集
2011年の地震で被害を受けた水戸市のアートセンター(写真)は、日本のアーティストの目を通して10年前の大惨事を振り返る「アーティストと震災:10年目の想像」展を開催しました。

                     

02
帰宅困難区域の魅惑的な風景
アーティストの加茂晃氏は作品の中で、帰宅困難区域における災害後の風景に対する心情の二面性を描いています。
放射性物質による汚染のリスクのため、誰も入ることができない場所の美しい風景が描かれています。
2019年作品のこの絵のタイトルは『福島県双葉郡浪江町北井手近くに立つ』というものです。

                  

03
『二層の町』
津波で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市の復興過程と、その変貌を動画、執筆、絵画で表現した作品です。
写真は映像作品『二層の町、私たちの立場を置き換えるための歌を作る』からの1シーンです。

                    

04
恐怖と差別に向き合う
ドキュメンタリー映画『赤い線で仕切られた教室』の中で、藤井光氏は、見えないものへの恐怖と苦悩に苦しめられた福島の人々が経験した差別の問題に取り組んでいます。

                   

05
絆を作る
実在の人々との出会いを題材にしたこのビデオシリーズでは、原発事故が大災害後の人々の日常生活に与える影響と、日本社会に生じた放射線リスクに関する混乱を描いています。

                     

06
『山が砂を積み上げた山に変わった』
佐竹真希子さんの絵は、被災地の景観が東日本大震災の後に劇的に変化した様子を描いています。
「ひよりやま - ハローアゲイン」と題されたこの作品は、仙台の蒲生にあった日本で最も低い山の印象を描いたものです。
津波に襲われた結果、蒲生地区は荒れ地に変わり果てました。

07
『Don't Follow the Wind - DFW (風を追わないで)』は、2015年から複数の『帰宅困難区域』で行われている共同プロジェクトです。
12人のアーティストが帰宅困難区域内で作品を展示しています。
しかし、制限が解除されるまで誰も実際に会場を訪れることはできません。
プロジェクトに関わったアーティストの一人であるグランギニョール・ミライは、アーティストが帰宅困難区域を訪れた際のビデオを制作しました。

                 

https://www.dw.com/en/japan-fukushima-nuclear-disaster/a-56825937

10年では消えない!あの日の悪夢のような光景《後編》

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所要時間 約 13分

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津波の破壊力の凄まじさは、体験したものでなければ理解できない
福島第一原発の事故の影響を受けたか?受けなかったか?それがその後の運命を大きく変えた

                    

地震と津波が襲った数日後、事故を起こした福島第一原子力発電所が煙とともに大量の放射性物質を噴き上げました。

                     

城塚恵美子、ブレイク・エッシグ、小倉淳子、ダニエル・カンピシ / 米国CNN 2021年3月11日

                  

黒沢さんと黒沢さんが救助した男性が乗った車はたちまち脱輪したため、2人は車を捨てて避難所を求めて走り出しました。
黒沢さんは急いで木によじ登ろうとしましたが、枝が折れて土手に墜落しました。
それでも再び木に登ろうと木に飛びついた瞬間、津波が押し寄せてきました。
黒沢さんが救助した男性も同じように木にしがみつきました。

                 

「私はもうダメだと思いました。」
黒沢さんがこう振り返りました。
「津波の破壊力の凄まじさは、体験したものでないと理解できません。津波はその通り道にあるすべてを飲み込み、そして破壊し尽くす驚異的な的力を持っています。」

                   

▽ 福島第一原子力発電所事故

                   

                   

津波は東北地方の太平洋岸一帯に押し寄せました。
宮城県に隣接する福島県に押し寄せた津波は、福島第一原子力発電所において原子炉のメルトダウンを引き起こしました。
日本は1986年のチェルノブイリ事故以降最悪の原子力災害に落ち込み、2011年3月11日午後4時36分、原子力緊急事態を宣言しました。

                    

赤十字の資料によると、福島第一原発の近くに住んでいた30万人以上が一時避難を余儀なくされました。
さらに5万人が自主的に放射線量の高い区域から移動しました。

                  

               

その後の数ヶ月そして数年で、福島第一原発周辺の一部の地域はゴーストタウンと化し、東京電力(TEPCO)の職員、安全検査技術者、そしてあえて危険な場所に行くスリルを求める観光客だけが訪れる場所になってしまいました。

                

東京電力は原子力発電所事故を引き起こして以降、原子炉を冷却して放射性物質の流出を止めるため、毎日数百トンの地下水を汲み上げ原子炉に注入する作業を続けてきました。
あたり一面に散乱した放射性物質を取り除く作業と事故収束・廃炉作業には数十年かかり、数十兆円の費用がかかると予想されています。

                   

                   

福島当局によると、事故が始まってから10年が過ぎた現在でも、35,000人以上が避難を余儀なくされたままです。

                     

原子力発電に反対する公益団体である東京の原子力情報室のスポークスマンである松久保肇氏は、東日本大震災で地震と津波の被害だけを受けた地域では、復興はほぼ実現したと語っています。

                 

しかし福島第一原子力発電所周辺の復旧作業は多額の費用が注ぎ込まれたにもかかわらず、2010年以降人口が半減したことも加わって、メルトダウンした後ほとんど進展がありません。。
「事故発生から10年、私たちが学んだことは一度原発事故が発生してしまったら、環境を元どおりにすることはほとんど不可能だということです。」
松久保氏がこう語りました。

                   

                     

現在東京電力は、原子炉を冷却するために使用された100万トン以上の放射能汚染水を福島第一原発敷地内の巨大なタンク群に貯蔵しています。
しかし貯蔵スペースは急速に減少し、環境大臣を含む日本政府当局は唯一の解決策はそれを海に放出することであると発言しました。
しかしこの計画は環境保護活動家と漁業関係者からの強い反対に直面しています。

                        

2014年、日本政府は年間放射線量が20ミリシーベルト未満になった指定避難区域の避難命令の解除を始めました。
20ミリシーベルトは国際的な原子力安全監視機関が推奨する最大被ばく値であり、2度の全身CTスキャンによって浴びることになる放射線量に相当します。

                     

                 

日本の環境省は2020年3月の時点で、居住者も立ち入りが禁止される帰還困難区域のままになっているのは福島全県の2.4%にとどまり、これら地域の一部では短期間の訪問なら可能だと述べています。

                      

しかし関西学院大学が2020年に実施した調査では、除染作業が実施されたにもかかわらず、避難した人々の65%は福島県に戻りたくないという意思を明らかにしました。
全体の46%が環境の残留放射能汚染を恐れており、45%がすでに他の場所に定住したと回答しました。

                    

福島第一原発の事故は日本の原子力発電への長年の関わり方をも揺るがすことになりました。
原子力業界団体である世界原子力協会によると、事故前、日本は約50基の原子炉が国内の電力需要の30%以上を供給していました。

                   

                      

この状態は最後に稼働していた北海道内の原子炉が検査のために停止した2012年5月5日に途絶し、日本は45年以上ぶりに原子力発電所がまったく稼働していない状態になりました。
※大飯原子力発電所の2基の原子炉は2012年に一時的に再稼働されましたが、1年後に再び停止しました。

                        

福島第一原発で原子炉がメルトダウンしたことを受け、ドイツなど数カ国は2022年までにすべての原子炉を閉鎖することを宣言しました。
しかしその事故から10年後、日本の専門家の間では、化石燃料を燃やすよりも環境に良いとされる技術の利用継続について意見が分かれています。
その間にも原子力発電の存在意義は徐々に失われていきましたが、2015年8月、九州南部の鹿児島県川内市にある原子炉が再稼働しました。

                   

▽ 歳月の経過

                    

東日本大震災直後の石巻市門脇小学校の校舎から眺めた石巻市内の様子。

                  

3月12日の朝になって、黒沢さんはやっと松の木から降りることができました。
彼が暮らしていた街は巨大な爆弾によって破壊されたかのようになっていました。
自宅に戻るためにはがれきや陸に打ち上げられた船の残骸を避けて歩かなければな李ませんでした。

                     

倒壊した建物は水に浸かり、火災の煙が充満した中で呼吸をするのにも苦労しなければなりませんでした。
黒沢さんの奥さんは、高台の学校に避難して無事でした。
しかしたった1日で、黒沢さん夫妻は自分たちの生活を構成していた友人、そして生活手段も財産その他身の回りにあった一切のものも、何もかも失ってしまいました。

                    

福島県南相馬市で生存者の捜索をする救助隊員

                  

それから半年の間、黒沢さん夫妻は賃貸住宅、そして友人の事務所で暮らしました。
そして2011年8月になり、彼らは3年以上にわたって自宅になったプレハブ作りの仮設住宅に引っ越しました。
黒沢さんは配管技術を生かして地域社会で必要とされる仕事を不定期で手伝うボランティアをしました。

                      

黒沢さんはまだ石巻に住んでいます。
「私の暮らしはあたりまえだと思っていた日常から異常な日常に移行し、それがあたりまえになりました。そして1年が過ぎ、2年が過ぎました。そして今やっと異常な現実が正常に戻りました。」

                     

彼は5年間、夜毎瓦礫と化した故郷をさまよい歩く夢を見ました。

                     

                     

今日の石巻において原子力発電に対する人々の感情は、東日本大震災発生から10年間の人々の体験がそれぞれ異なるのと同様、一言では言い表せないと黒沢さんが語りました。
「この10年について私はどう感じているのかと尋ねられることがあります。でもその時間はまだ終わってはいません。私はとにかく最善を尽くたいと願っているだけです。」

                  

写真 : 2011年4月10日、宮城県石巻市で車のヘッドライトで照らされた看板に「がんばろう!」と大書きする黒沢健一さん(中央)とその仲間。

                     

黒沢さんは長年にわたり自分の人生、ビジネス、そしてコミュニティを再建するために戦ってきました。
今日、沿岸には故郷の石巻を海から守るため、高さ10メートル近い堤防が約56キロメートルに渡って築かれました。
市の郊外に新しい災害公営住宅が出現しましたが、他の住宅はまだ再建途上です。

                      

黒沢さんによると、人々の感情的な傷跡が言えるためには、少しずつ環境を整備していくのと同じくらい時間がかかります。
しかし過去に生きることには意味はないと語りました。

                       

宮城県亘理町で泣き崩れる女性を慰める男性

                  

今日、黒沢さんは災害への備えについて他の人々に教えることに積極的な役割を果たし、前進し続けています。
「この災害から私が学んだことの一つは、人々はお互いに支え合う必要があるということです。私たちには希望があると思います。」

                   

時々、彼は自分の命を救った木の脇を通り過ぎることがあります。
彼はもう一度だけ、その木に登ろうとしたことがあります。

                    

※英文記事からの翻訳のため、個人のお名前、固有名詞の表記に誤りがある場合があります。ご容赦ください。

《完》
https://edition.cnn.com/2021/03/10/asia/japan-tohoku-fukushima-tenth-anniversary-hnk-dst-intl/index.html
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10年では消えない!あの日の悪夢のような光景《前編》

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もう戻らない命、鮮明に残る残酷な光景の記憶、歳月の経過では埋められない心の穴

原子力発電所の事故がもたらした荒廃は自然災害よりもなお一層深刻だった

                       

写真1 : 3.11東日本大震災によって破壊された岩手県陸前高田市内。のちに『奇跡の一本松』として有名になる右手の松は300年間防風林として陸前高田を守ってきた70,000本の森の中の1本です。

                    

城塚恵美子、ブレイク・エッシグ、小倉淳子、ダニエル・カンピシ / 米国CNN 2021年3月11日

                      

黒沢健一さんは、周囲の水面が上昇し、足下の道路が完全に浸水していく中、まさに死と隣り合わせの状況で木にしがみつきました。
2011年3月11日の午後2時過ぎ、約6分に渡りマグニチュード9.1の地震(日本で史上最悪の地震)が発生、巨大な津波が発生、黒澤さんがずっと住み続けてきた石巻市(東京の北東370 kmの場所にある太平洋沿岸の都市)に襲いかかりました。

                     

写真2 : 2011年3月11日時点の石巻市内の様子

                      

高さ10メートル(約30フィート)の津波が押し寄せる数分前、当時40歳だった黒沢健さんは急いで松の木を3メートルほどよじ登り、両足をしっかりと幹に巻き付け、全力で木にしがみつきました。
「あたり一面が海になったように感じました。水がとても冷たくて、骨まで凍えるほどでした。」
黒沢さんはこう回想しました。

                   

水面が膝の高さまで来た時と、黒沢さんはハンドルを握ったままの人が乗った車が次々と押し流されていくのを目撃しました。
黒沢さん同様他にも木にしがみついていた人々がいましたが、押し寄せる波が叩きつけ水中に沈んでいきました。

                     

黒沢さんは何時間もの間氷点下の気温に耐え、木にしがみついていました。
彼は彼の妻のことを考えました-彼は回線が途絶える前、木によじ登った後携帯電話で15秒間妻と話をしていました。

                       

写真3 : 市街地に津波によって打ち上げられた船舶が横たわるこの時の光景は、10年を経た今もなお多くの人々の心をかき乱します。

                   

やがて夜が明けると、黒沢さんは遠くにいる誰かが最後の力を振り絞るようにして助けを求めているのを聞きました。
彼はその人のその後の運命を知らないと言います - しかしこの瞬間黒沢さん自身は日本の歴史の中で最も破壊的となった自然災害を生き延びたことになったのです。

                      

巨大地震と引き続き発生した津波により2万人以上の人々が死亡または行方不明になりました。
しかし、しかし原子力発電所の事故がもたらした荒廃は自然災害よりもなお一層深刻でした。
東日本大震災の被災地にあった福島第一原子力発電所は、それ自体が大惨事の震源になったのです。

                    

写真4 : 2011年3月11日宮城県名取市。津波は各地で大規模な火災を引き起こしました。

                   

最初の地震から50分も経たないうちに、原子力発電所を守るはずだった高さ10メートル(33フィート)の護岸設備を乗り越えて津波がやってきました。
原発の敷地内に水がなだれ込み、原子炉の冷却システムが機能を停止した結果、3基の原子炉で核燃料が溶け落ち、人が浴びればたちまちのうちに死んでしまう高放射性物質が周辺地域に向け放出されました。

                     

予定されていた東日本大震災・福島第一原発事故10周年を記念する式典は新型コロナウイルスの感染拡大のため、人の密集を避けるためなどの理由から、ごく小規模な形で行われることになりました。
東京では、菅義偉首相、今上天皇・皇后両陛下が追悼式に出席し、10年前の地震が発生はた時刻である午後2時46分に黙祷を行います。

                    

写真5 : 行方不明になった息子を捜索しながら泣き崩れる男性。男性の長男は津波で大量の犠牲者を出した大川小学校の教師でした。

                    

東日本大震災による破壊は徹底したものでしたが、生存者の多くは自分たちの生活と地域社会をなんとか再建しました。
それでも災害の深い傷跡は永遠に残りることになにるでしょう。

                        

写真6 : 犠牲者の遺族の多くは、大切な家族の遺品として写真アルバムだけが手元に残ることになりました。

                     

▽ 津波の破壊力

                      

宮城県で2番目に大きな都市である石巻は、津波による被害が最も大きかった市町村の1つでした。
国際津波情報センターの記録では、津波は約5平方キロメートル(約500ヘクタール)の土地を浸水させ、都市のほぼ15%が水没しました。

津波は石巻市内だけで5万戸以上の家屋や建物を破壊し、かつては賑わっていた市の中心部や港湾設備などインフラのほとんどを破壊しました。

石巻市内だけで3,100人近くが命を落としました。

                      

写真7 : 震災発生から一夜が明けた宮城県気仙沼市内。この場所で暮らしていた人々の中には、10年を過ぎた今もまだ仮設住宅で暮らしている人がいます。

                         

配管の仕事をしていた黒沢さんは、地震が発生したときは自分の街から約12 km離れた隣の町で働いていました。

彼は銀行に避難していた妻に電話をし、自分が行くまで自宅で待つように伝えました。

                    

写真8 : 行方不明の家族を探すため、情報を求めるメモが大量に貼られた掲示板

                    

その数分後、津波警報が発令されました。

                   

黒沢さんはもう一度妻に電話をかけようとしましたが、もう電話はつながりませんでした。
妻の身を案じる黒沢さんは車に飛び乗り、自宅に向かって車を飛ばしました。妻を車に乗せて一緒に高台に避難するつもりでした。
たくさんの車が黒沢さんとは逆の方向に向け走り去って行きました。度々地震が発生するこの国土で、制度的に設定された指定避難区域に向かう車列でした。

                   

写真9 : 宮城県利府町の公共施設に並べられた東日本大震災の犠牲者の棺の列。しかし遺体が見つからないままの人もまだ大量に残されていました。

                      

自宅に近づくと、遠くに真っ黒な津波の壁のようなものが見えました。
近づくとそれは津波にのみ込まれ、波頭で浮き沈みしている何台もの車であることに気がつきました。。

                    

それを見て必死に車をUターンさせていたとき、足元まで水に浸かりながら歩いて逃げようとしていた男性の姿が目に飛び込んできました。
「私は車の窓を開けてその男性を車の中に引きずり込み、スピードを上げて津波から逃れようとしました。」
「でもまさにその瞬間、津波が頭上から襲いかかってきたのです。」
黒沢さんが当時の様子についてこう語りました。

                 

写真10 : 宮城県南三陸町で瓦礫の上を乗り越えて生存者の捜索を続ける救助隊員。

                        

《後編》に続く
https://edition.cnn.com/2021/03/10/asia/japan-tohoku-fukushima-tenth-anniversary-hnk-dst-intl/index.html

真実の解明は道半ば、3.11福島第一原発:山積する課題、見つけられない解決の糸口

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増大する一方だった放射線の漏出、立入禁止区域を次々と拡大

国民の間に大きな怒りのうねりを生んだ福島第一原発の巨大災害

                  

東日本大震災の巨大津波に破壊された瓦礫の中で涙を流す女性 / 宮城県

                   

英国BBC 2021年3月11日

              

ちょうど10年前の2011年3月11日金曜日の午後、東北地方太平洋岸を襲った地震は日本における観測史上最も強力なものでした
マグニチュード9.0の地震は極めて強力なものであり、地球の主軸にズレを生じさせるほどのものでした。

                  

この地震は本州の太平洋岸を襲った津波を引き起こし、18,000人以上の人々を殺し、地図の上から町全体が一掃されてしまった場所もありました。

                 

福島第一原子力発電所では、巨大な津波が防潮堤を乗り越えて殺到し、原子炉を水没させ、巨大災害をなお一層悪化させました。
日本政府当局は、増大し続ける一方の放射線の漏出に合わせ、立入禁止区域を次々と拡大せざるをえなくなり、結果的に15万人以上が周辺地域からの避難を余儀なくされました。

                    

10年後、立入禁止区域は帰宅困難地区としてそのまま残り、多くの住民が戻らないままになっています。

                     

当局は、すでに日本数十兆円の費用がかかっている作業を完了するためには最大40年を要すると見積もっています。

                 

▽ 福島第一原子力発電所はどこにありますか?

                 

                     

立地するのは福島県大熊町です。
東京の北東約220km(137マイル)の太平洋沿岸に位置しています。
東日本大震災は2011年3月11日現地時間14時46分、東北地方太平洋沖地震が仙台市の東の海中、福島第一原子力発電所の北約97kmの場所を震源として発生したことにより始まりました。

                   

津波が沿岸一帯を襲うことを住民が知ったのは、わずか10分前に警告によってでした。
地震、津波、原発事故の結果、全体で50万人近くが自宅を捨てて避難することを余儀なくされたのです。

                    

▽ 福島では何が起きたのですか?

                    

原子力発電所のシステムが地震を検出、原子炉が自動的に停止しました。
非常用ディーゼル発電機が稼動し、原子炉炉心の周囲に冷却水を送り続けました。
原子炉炉心は停止により核反応も止まりましたが、温度は高温のままでした。

               

                   

しかし、14メートルを超える高さの波が福島県沿岸に到達、津波はあらゆる防御対策を圧倒し、福島第一原子力発電所の敷地内で海水が氾濫し、非常用発電装置も機能しなくなってしまいました。

                  

原子力発電所の職員は必死に電力供給装置の復旧作業を行いましたが、3基の原子炉内にあった核燃料が過熱して原子炉の炉心溶融が始まりました。
これが原子炉のメルトダウンです。
福島第一原発はさらに、原子炉建屋が崩壊する一連の化学爆発に見舞われました。

                   

                   

その結果、大気中、そして太平洋に向け放射性物質の漏出が始まり、避難を勧告される人の数が増大、周辺地区が次々と立入禁止区域に設定されました。

                 

▽ 死者・負傷者はいましたか?

               

原発事故による直接の死者はいませんでした。
しかし爆発で少なくとも16人の原子力発電所職員が負傷し、さらに数十人が原子炉の冷却と原子力発電所の安全確保のために作業をしている間に放射線にさらされました。
高レベルの放射線被曝により、3人が病院に搬送されたという情報もありました。

                  

福島第一原発が放出した放射線の長期的な影響については多くの議論があります。
世界保健機関(WHO)は、2013年、福島第一原発の事故によってこの地域のがん発生率が、目に見えるほど増加することはないと述べた報告書を発表しました。
国内外の科学者は、福島第一原発周辺の地域を除けば、放射線のリスクは比較的低いままであるという見解を示しています。

               

2021年3月9日、事故発生10周年の目前、国連は福島の住民の間に第一原発が放出した放射線に直接関係する「健康への悪影響はない」とする報告書を公表しました。
将来の放射線関連の健康へのいかなる影響についても「認識できる可能性は低い」、国連の報告書はこう述べています。

                    

                    

しかし多くの人は実際の危険ははるかに大きいと考えており、住民は警戒を続けています。
当局は多くの地域で立入禁止の制限を解除しましたが、ほとんどの住民は自宅に戻っていません。

                 

2018年、日本政府は放射線に被ばくした後に1人の労働者が死亡したと発表し、遺族に対する補償に同意しました。
しかし、放射線への被曝を防ぐため急いで移動しなければならなかった数十人の入院患者を含め、多くの人々が避難中に死亡したことが確認されています。

                     

福島第一原発事故は、国際原子力機関によってレベル7の災害に分類されており、チェルノブイリに次ぐ巨大原子力発電所災害となりました。

                

▽ 責任は誰にあるのか?

                      

福島第一原発の巨大災害は国民の間に大きな怒りのうねりを生み、日本の原子力発電所からの脱却を促しました。

                  

災害発生後、自然災害への備えが欠如していたことに加え、原子力発電所を所有運営していたの東京電力と日本政府の双方の対応に混乱があったことに非難が集まりました。

                    

日本の国会によって設立された独立した調査委員会は、福島は「深刻な人為的災害」であり、電力会社が必要な安全対策を怠った上、今回のような事故の可能性があることを想定もしていなかったと非難しました。
しかし2019年、日本の裁判所は福島第一原発の災害に関する唯一の刑事事件で、東京電力の元幹部3人に過失はなかったと無罪判決を下しました。

                 

                 

2012年、当時の日本の野田佳彦首相は国にも災害の責任があると語りました。
2017年の裁判では、日本政府にも責任の一端があり、避難者に補償を支払うべきであるとの判決が示されました。

                      

▽ 福島第一原発の事故収束・廃炉作業の現況は?

                       

10年が経った現在も、福島県内のいくつかの町や村は立ち入り禁止のままです。
当局は、住民が自宅に戻って生活出来るように地域の除染作業に取り組んでいます。

                  

しかし大きな課題が残っています。

                    

放射性核廃棄物、核燃料棒、および敷地内に保管されその量が増え続けている100万トンを超える放射能汚染水を安全に除去するには、今後30〜40年間で数万人の作業従事者が必要になります。

                

しかし、一部の住民は放射線の存在を警戒して他の地区で新しい生活を築いたり、あるいはあれほどの災害が発生した場所にはもう戻りたくないという理由から、二度と戻らないことに決めました。

                    

2021年2月、福島第一原発から2.5km離れた家族の墓地で防護服を着て祈る女性。

                    

2020年の日本の国内メディアは、日本政府は放射性物質を減らすためにろ過された放射能汚染水を早ければ2021年にも太平洋に放出し始める可能性があると伝えました。

                   

一部の科学者は放射能汚染水を海洋中に放出しても、巨大な海が水を希釈し、人間と動物の健康へのリスクは低いとの見解を示しています。

                  

しかし、環境保護団体のグリーンピースは、処理済みであっても福島第一原発の放射能汚染水には人間のDNAに損傷を与える可能性のある物質が含まれていると述べています。
日本政府当局は、放射能汚染水をどうするかについて最終的な決定はまだなされていないと述べました。

                     

https://www.bbc.com/news/world-asia-56252695

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国連の諸機関に対し疑念を持つようになったのも福島第一原子力発電所の災害がきっかけでした。

この記事中に出てくる世界保健機関(WHO)の3月9日の『見解』もそうした疑念を強めこそすれ、それが公平な科学的見解だとは到底思えません。

みなさんに対し申し訳なく思うのは、WHOの福島第一原発事故に関する『見解』は、自分たちが現地に足を運んで調査をしたわけではなく、ただ単に持ち込まれた『資料』をまとめあげただけのものだという事実を指摘した記事を翻訳した記憶があるのに、翻訳した記事が多すぎて自分で見つけられない、ということです。

であれば、自分たちの望むような『見解』を引き出すため、せっせとWHOに『資料』を持ち込んでいた人間たちがいるということです。

誰なのでしょう?

                     

それにしてもこの10年の歳月は、私にとっては自分では整理しきれないほどの量の英文記事の翻訳の日々でもありました。

写真集 : 福島第一原発事故発生10年後の今

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人間の想像を超えた破壊、予想もしなかった荒廃

物理的荒廃と人々の暮らしがそこで断ち切られてしまった痛みを伝える福島の廃墟

                 

                     

山口真里 / AP通信 2021年3月10日

                    

福島第一原子力発電所から約10 kmの場所にある富岡町の一部は、メルトダウンによって放射性物質による汚染が発生してから10年経った現在でも帰還困難区域となっています。

                   

立ち入りが禁止されている帰還困難区域は町の面積の約12%ですが、かつては富岡町の人口16,000人のうちの約3分の1にあたる人々が住んでいました。
2017年には原発周辺の他の市町村の居住禁止が解除されましたが、この場所はその後も閉鎖されたままです。

                  

町役場の正式な許可を得た人だけが日中、自宅を訪れるためにエリア内への立ち入りが許されます。
夜ノ森と呼ばれる富岡町の一部は、商店街、住宅街、セブン-イレブン、そして地域の人気スーパーマーケット・ヨークベニマルなどが点在する商業の中心地でした。

                   

桜並木に囲まれた夜ノ森公園では町民が花見の宴会に集まり、花の下でピクニックをしたり、桜の花のトンネルを散策したりしていました。
帰還困難区域の中でこの部分は特別復興場所に指定されており、当局は2023年の解除を目指しています。

                  

しかし残りの半分は放射性核廃棄物の処分場と化しています。
町中から集められた放射能に汚染された切り払われた木の枝、汚染土、瓦礫などが詰まった黒い大きな袋が積み上げられています。
これらの袋は最終的に、福島第一原発が立地する双葉町と大熊町にある放射性核廃棄物の中間貯蔵施設に送られることなっています。

                    

冒頭の写真
2021年2月27日(土)、福島県富岡町の帰宅困難区域に立つ、雑草に囲まれた廃墟となったレストラン。
富岡町の北東角にある帰宅困難区域は、2011年に大量の放射性降下物を噴出させた福島第一原発の約10 km圏内にあります。

                    

写真上 : 2021年2月27日(土)、福島県富岡町の帰宅困難区域にある廃墟となったレストランの内部。
2011年に破壊された福島第一原子力発電所から大量の放射性降下物が噴出し、周辺一帯に深刻な汚染を広げました。

               

写真上 : 2021年2月26日(金)、福島県富岡町の帰宅困難区域にある公園内で、雑草に囲まれた銅像。

                    

写真上 : 2021年2月26日(金)、バリケードで閉鎖されたままの福島県富岡町の帰宅困難区域。

                     

写真上 : 2021年2月27日(土)、福島県富岡町の帰宅困難区域にある廃墟となった事業所の内部。

                   

写真上 : 2021年2月26日(金)、福島県富岡町の帰宅困難区域にある放射性核廃棄物の一時保管場所。福島第一原発事故の影響を受けた地域から収集された放射能に汚染された土壌、切り払われた木の枝などの廃棄物が詰め込まれた黒いバッグが大量に積み上げられています。

                    

写真上 : 2021年2月26日(金)福島県富岡町の帰宅困難区域にある公園。富岡町職員が案内する見学ツアー中に訪れた場所の一つ。汚染物質を詰め込んだ大型の袋の一時保管場所として使われていました。町役場の正式な許可を得た人だけが日中に限ってこの地域に入ることができます。

                 

写真上 : 2021年2月28日(日)、福島県双葉町の消防署の内部。消防署はかつて帰宅困難区域に指定されていた地域にありますが、2020年3月の一部解除により立ち入りが許されることになりました。(AP Photo / Hiro Komae)

                      

写真上 : 2021年2月28日(日)、開いていた窓越しに撮影した福島県双葉町の民家の内部(AP Photo / Hiro Komae)

                  

写真上 : 2021年2月27日土曜日、福島県大熊町、破壊された福島第一原子力発電所、背面側から見た1号機の原子炉、および1号機2号機の原子炉で共有する排気筒。 安全上の懸念からこの排気筒は上部構造が切断されています。

                    

写真上 : 2011年4月8日福島県南相馬市小高地区。津波で破壊され廃墟と化した街並みを見つめる首輪をつけた犬。
福島第一原子力発電所から約10km圏内の一部地域は、福島第一原発の3機の原子炉のメルトダウンによって放出された放射性降下物が地域を深刻に汚染してから10年経った現在でも、立ち入りが禁止される帰宅困難区域のままになっています。

                     

https://apnews.com/article/world-news-japan-459df85eaf8df17ea68f7bf42693eab7

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ちょうど10年前、この【 星の金貨 】のブログを始めた理由は福島第一原子力発電所の事故の報道内容が国内メディアと海外メディアではあまりに違うことでした。

                    

福島では本当は何が起きているのか?!

                   

私はインターネットを通して世界各国の英字ニュースを読み進むうち、国内で報道されないことの多さに危機感を募らせ。一人でも多くの方に海外メディアが何をどう伝えているかを知っていただきたくて【 星の金貨 】を続けていました。

                    

始めて1年ほど経つと【 星の金貨 】の月間のアクセス数が400万を超え、一定の役割を果たせたのだと感じることができました。

                      

あれから、いったいどれだけの回数『廃墟』という言葉をタイピングしただろうと考えると暗然としてしまいます。

人の一生の一面はささやかな幸せを積み上げていくことだと考えていますが、10年間海外メディアの翻訳を続けてきて、戦争と原発事故はそれを根こそぎ奪うものだ、ということを思わざるをえません。

                     

このAPの写真集に綴られている廃墟は、物理的荒廃と同時に人々の暮らしがそこで断ち切られてしまった痛みを伝えるものだと思っています。

東京オリンピック・パラリンピックの会場で検出された放射性物質について

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福島の福島第一原発周辺 : 東京2020オリンピック開催会場以外の場所は、放射線量が平均して約7倍
いったん除染されても、周辺の未着手の場所から放射性物質が飛来・再汚染される事態に
原子力発電所という誤った選択肢に乗って利益追求に走った挙句、自滅し、取り返しのつかない破壊を行った東京電力

                  

                  

マギーガンダーセン / フェアウィンズ・エナジー・エデュケーション 2020年11月12日

                     

米国マサチューセッツ州ウースターのウースター工科大学物理学部マルコ・カルトフェン博士が執筆し、第三者による検証を終えたジャーナル記事がJournal of Environmental Engineering Science(ジャーナル・オブ・エンバイロメンタル・エンジニアリング・サイエンス : 環境工学・環境科学雑誌)に掲載されました。

                 

2020年10月末に公開された投稿要約の中で強調されているように、フェアウィンズ・エナジー・エデュケーションはデータを公開するとともに、ウースター工科大学物理学部マルコ・ポール・ヨハン・カルトフェン博士とフェアウィンズのチーフ・エンジニアであるアーニー・ガンダーセンが執筆したJournal of Environmental Engineering Scienceに掲載された査読記事へのリンクを公開します。

                     

                      

以下、マギー・ガンダーセン
「気候変動、環境リスクの評価と管理、グリーン・テクノロジー、持続可能エネルギー、環境政策を網羅した、大気、水、土地の汚染と廃棄物処理の問題に対する画期的な解決策の探求」で知られる『環境技術科学(Environmental Engineering Science)』は、メアリー・アン・リーバート社から出版されています。

                     

『福島県と東京のオリンピック会場・パラリンピック会場で測定された「放射性同位元素」』と題された研究は、「日本国内のオリンピック開催予定会場で中程度の放射能汚染を検出し、国立トレーニングセンターにおいては重大なアルファ、ベータ、ガンマ線放射能汚染を検出した。」という報告を行っています。

                  

「福島第一原子力発電所の原子炉のメルトダウンに関連する放射能汚染を評価するため、首都圏と福島県並びに両方の場所のいわば回廊ともいうべき北関東地区において、合計146か所からそれぞれ異なる土壌と粉塵のサンプルが収集されました。

                  

                  

さらに代々木国立競技場、潮風公園(東京港埠頭)、オリンピック村、皇居庭園(すべて東京)、福島県のあずまスタジアム、J-Villageオリンピック・パラリンピック国立トレーニングセンターなど、2020年のオリンピック/パラリンピック会場36からもサンプルが収集されました。 」
『環境技術科学』の要約にはこう記されています。

                   

フェアウィンズ・エナジー・エデュケーションとマルコ・カルトフェン博士による日本国内のオリンピック会場と日本の本州北部全体での放射性ダストと汚泥に関する研究については、すでに検証作業が終わっていますが、より、4つの重要な結論が得られました。

さまざまな種類のアルファおよびベータ放射性微粒子がそれぞれ別のタイミングで放出され、日本中のさまざまな場所に飛散しました。
「したがって、内部被ばくおよび外部被ばくの総被ばく線量を調査しないまま、セシウム137ベータ活性レベルデータの調査だけを行えば、被ばく線量に関する調査には測定エラーが発生します。」

                    

「南相馬市内で一度除染が行われた屋根なども、周辺地域に福島第一原発のメルトダウンによって放出された後周辺に散乱していた放射性物質を含め、大気中の放射能を帯びた粉塵によって再び汚染されてしまっています。
こうしたデータが指し示ているのは、福島県内各地での継続的な線量測定と、場合によっては繰り返し除染作業を行う必要性です。」

                     

                  

首都東京圏のオリンピック各会場では、米国内にある観測地点とさほど異ならない測定結果が得られました。
対照的に、福島に近い東北地方から北関東のオリンピック会場では、平均して東京の約2倍の放射能が測定され、Jヴィレッジ国立訓練センターではプルトニウムも検出されました。

                  

日本国内各地のオリンピックとは関係ない場所では、オリンピック会場と比べ平均して約7.0倍のベータ活性が確認されました。
これらのデータは、日本国内で行われた除染作業がオリンピック会場を最優先して行われた事実を証明しています。

                       

フェアウィンズとマルコ・カルトフェン博士が初めて出会ったのは、東京電力福島第一原子力発電所での3基の原子炉のメルトダウンの直に、互いの同僚の紹介によるものでした。
福島第一原子力発電所の3基の原子炉のメルトダウンは、商業用原子炉として人類史上3番目、4番目、そして5番目のものでした。

                      

                

1番目の災害は1979年、米国ペンシルベニア州ハリスバーグ近くのスリーマイル島(TMI)原子炉2号機で発生しました。
2番目の大惨事は1986年、ウクライナのプリピャチにあるチェルノブイリ原子力発電所で発生しました。

                   

そして2011年3月、日本においてほぼ同時に発生した3回のメルトダウンは、電力会社がコストを削減し、利益追求に走ったために、防潮堤などの安全を確保する上で必要不可欠な整備がなおざりにされた結果、原子力発電所がありえないほどの危険を生み出すことを見せつけたものでした。

                  

                  

原子力発電のコストを下げようとする試みは、わずか40年で商業用原子炉の5回のメルトダウンを発生させました。

                   

しかしこれらの5回のメルトダウンには、、フェアウィンズが世界中で調査およびサンプリングしたカリフォルニアのサンタスザーナ・フィールドラボ(SSFL)や英国のセラフィールド/ウィンドスケールなどの原子力発電実験場やその他の多くの核実験施設で発生したメルトダウンや重大な放射能放出は含まれていないのです。

                      

良心に基づく科学には時間とお金がかかります。
フェアウィンズの日本への調査旅行費用とそれに関連するプロジェクト費用を支援するため、一貫して支持・寄付してくださった個人個人の寄付と財団などの支持がなければ、日本で科学的検証作業を行うことはできなかったでしょう。
みなさんが私たちと科学を信じてくれていることに感謝しています。
福島のメルトダウン直後に開始した作業を継続するよう、シンシア・アンド・ジョージ・ミッチェル財団、ウォレス・リサーチ財団、サミュエル・ローレンス財団、タイズ財団、モーニング・サン財団、ボイル財団、リンダ・ルイスソンなど、フェアウィンズ・ジャパン・プロジェクトの寄付者、および時間とお金を寄付してくださった個人の支援者に特に感謝申し上げます。

https://www.fairewinds.org/demystify/radioactive-isotopes-measured-at-olympic-and-paralympic-venues-in-fukushima-prefecture-and-tokyo-japan

  + - + - + - + - + - + 

                            

私たち日本人が『福島第一原子力発電所の真実』を知るのに、アーニー・ガンダーセン氏やフェアウィンズ・エデュケーションの皆さんがどれほど大きな貢献したことか!

                          

私たち日本人はいくら感謝してもしきれないと思います。                  

福島第一原発事故10年:欠陥が多いまま、東京電力の原子力発電所運営能力

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自らが引き起こした福島第一原子力発電所の巨大事故から大切な教訓を何も学んでいない
透明性に対する組織的アレルギーがあるかのような東京電力の体質

                    

                   

ジュリアン・ライオール / ドイチェ・ヴェレ  2021年2月26日

                

写真 : 2021年2月に撮影された福島第一原子力発電所。2月に発生した大きな地震で地震計が故障したことが明らかになりました

                  

福島第一原子力発電所の運営会社である東京電力(TEPCO)は、2011年の福島第一原子力発電所の巨大事故から学ぶべき教訓を学んでいないという新たな批判にさらされています。

               

2021年3月、日本は3基の原子炉のメルトダウンを引き起こした東日本大震災発生から10周年を迎えます。
原子力発電に反対する団体をはじめいくつもの市民団体が、東京電力がその事業についてもっと透明性を高めるよう求めています。

                     

彼らは東京電力がまだその責任を果たしていない証拠として、東京電力が運営する原子力発電所の一つで最近明らかになった重大なセキュリティ違反を指摘し、同社が未だに多くの問題を抱えたままであると指摘しています。

                  

自分の身文証明書を忘れた東京電力の柏崎刈羽原子力発電所の従業員が、同僚の身分証明書を使用して中央制御室に入ったことが、2月上旬になって明らかにされました。

                     

事件が発生したのは5か月前でしたが、東京電力は重大なセキュリティ違反とは見なさなかったという理由で、1月下旬開催の四半期に一度開かれる会議まで原子力規制委員会(NRA)に報告しませんでした。

                      

しかし原子力規制委員会は東京電力の判断を否定し、労働者による工場の神経中枢への無許可の侵入は「安全管理上重大な問題を生じさせた」と結論づけま、東京電力は改善を命じられました。

                   

                  

◇ 福島の地震問題

                  

2021年2月13日に発性した福島県沖を震源とする大きた地震が福島第一原子力発電所が位置する北日本・東日本を襲った後、上述の事件によって失墜した東京電力の評価はなお一層の悪化することになりました。

                       

地震学者は今回のマグニチュード7.3の地震は、2011年4月以降日本を襲った中で最大の震度が計測され、事実10年前の東日本大震災の最新の余震と判断されました。

                    

東京電力は地震の後間もなく、原子炉建屋に設置された地震計のうち2機が昨年故障したまま修理されていなかったことを認めました。

                

それに加え原子力規制委員会への報告によれば、この地震で敷地内の放射能汚染水タンクの周辺に放射能に汚染された水が散乱し、2基の原子炉の格納容器内の水位が低下が確認されました。

                     

                 

これは、破壊された原子炉の温度の上昇と放射性物質の大気中への飛散を防ぐための冷却水を貯めているコンクリートの覆いに、今回の地震によってもともとあった亀裂が拡大した可能性、あるいは新しく亀裂ができた可能性を示唆しています

                 

柏崎刈羽原子力発電所におけるセキュリティ違反について朝日新聞は厳しく非難する社説を掲載し、この事件が東京電力の『原子力発電所の運営能力の適性』について『疑念を提起した』と述べました。
「原子力発電所を運営する電力会社は、考え得るすべての問題を徹底的に再検証し、自社の職員の安全意識を高めて、ミスステップを完全に防ぐ必要があります」とつけ加えました。

                  

東京電力はドイチェ・ヴェレの質問に対する回答書の中で、昨年7月の大雨が原因で故障した可能性のある地震計の問題について「対応中」であると述べています。
「現在、可能な限り早くシステムを復旧させるよう取り組んでいます。」と同社は回答しています。

                   

                  

◇ 東京電力の弁解は「受け入れられない」

                 

東京に本拠を置く市民原子力情報センターの松久保肇事務局長は、世界史上上二番目に深刻な原子力事故を引き起こし、現在その4基の損傷した原子炉の廃炉を行っている東京電力の弁解は「受け入れられるものではありません。」と語りました。

                       

「東京電力のやり方を見ていると、彼らは2011年3月に自らが引き起こした福島第一原子力発電所の巨大事故から大切な教訓を何も学んでいない、私はそう思わざるをえません。」
「一例を挙げれば東京電力は柏崎刈羽原子力発電所を再稼動させる準備が整っていると言っていますが、実際には非常に深刻なセキュリティ違反が発生しています。」
松久保事務局長がこう語りました。
「福島第一原発の状況を安定させ損傷した原子炉を廃炉にするために進められている技術開発において、東京電力が大きく前進したことには私も認めます。しかし彼らの操業姿勢にはヒューマンエラーが多すぎます。」
松久保氏はこう指摘しました。

                      

「東京電力は福島第一原子力発電所や柏崎刈羽原子力発電所を完全な形で管理運営できていません。東京電力は原子力関連施設を管理する能力を持っていないと思わざるをえません。」

                  

                 

原子力発電所監視組織セイフキャスト・ジャパンのアズビー・ブラウン主任研究員は、同社が廃炉作業を一定程度前進させていることは認めますが、一方で人為的ミスが増え続けていると述べています。
「福島第一原発の事故収束・廃炉作業は非常に困難な作業の連続であり、東京電力が適切な対応を続け数々の実績を挙げていることは評価すべきであり、その点にいては信頼すべきだと思います。しかし公共の信頼を再び得たいというなら、いくつもぽっかりと穴の空いている部分を本気になって埋めてゆく経営をしなければなりません。」

                    

「東京電力はすべてあるべき場所に適切な安全対策を実施しているはずなのに、現実には数々の問題が起きていることを私たちは目の当たりにしているのです。」
「まるで透明性に対する組織的アレルギーがあるかのようです。問題が起きたら直ちに規制当局に通知し、その問題に対処することについても制度的欠陥があるかのようです。結局そうした態度が東京電力の評価を下げています。」

                  

                    

◇ 放射線量の増大

                  

東京電力の対応の誤りは直ちに周辺の環境に影響を及ぼしていると見られるとブラウン氏が指摘しました。
福島第一原発が位置する海に設置された監視装置が地震後の数日間、高放射性セシウムの検出量が少し増加したことが確認されました。
これは実際に福島第一原発から漏れ出した汚染水が海に拡散していた事実を示しているとブラウン氏が語りました。

                   

そのことは福島県沖で漁協が採取した黒メバルのセシウムレベルが、政府が定める安全基準の5倍であったという発表と一致するものです。

                     

福島第一原発の事故によって生計手段を奪われてしまった地元の漁師たちは、2012年6月から限定的な試験漁業を行っていますが、今年検査官に対しすべての魚類が食べても安全であることを証明できれば、小規模ではあっても魚の出荷を再開できるようになることを望んでいました。

                   

                   

しかしここになって明らかにされた東京電力が関わる様々な事実は、日本の東北地方の生産物を購入しても安全だと国民に安心を与える可能性はないようです。

                     

https://www.dw.com/en/fukushima-disaster-is-tepco-nuclear-plant-still-a-safety-risk/a-56713519

10年後の今も続く、原子炉3号機爆発の真実の隠蔽

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新たに公開された映像が明らかにしている福島第一原発メルトダウンの正体
10年を経ても尚、多くのことが未解明・解決方法も具体化できないまま

福島第一原発の事故に関する公正で公平な調査検証はまだ実現していない

                  

                      

フェアウィンズ 2021年2月17日

                      

福島第一原子力発電所の事故発生から10年の節目を迎えます。
この機会に世界中の環境団体、フェアウィンズをはじめとする非営利団体、技術関係団体、原子力発電を支持する団体、そして日本テレビなどのメディアが新しい情報を公開することになります。
これらの情報中には、本当に新しく、最近になって明らかにされたものが含まれています。
他のメディア・イベントでは福島第一原発で起きた巨大規模のメルトダウンが日本の人々にとって、そして世界全体にとってどんな意味を持つことになったのかが議論されます。

                     

しかし中には原子力発電に潜む危険性を認めようとはせず、原子力発電に前向きなスピンをかけることによって新しい原子力発電所を設置することにより利益を得ようとする、単なる企業宣伝あるいはエージェントによるプロモーションです。

                 

例を挙げると何が何でも原子力発電を推進しようとしている人間たちは、原子力発電所はトイザらスで働くよりも労働者にとって安全な環境を提供できる、そして原子炉はメルトダウンなどしないし、まして爆発などするはずがないと主張し続けています。
福島第一原発の事故は彼らが間違っていることを証明したはずですが、それでも彼らは同じ主張を繰り返しています!

                   

                    

福島第一原発1号機、2号機、3号機がメルトダウンしていく中、日本テレビ・ネットワークのキー局である日本テレビは撮影クルーを派遣し、メルトダウンする様子の監視を続け、一部始終を記録しました。
世界ではまだ誰も原子炉炉心が溶け落ちる様子を捕らえたことはありませんが、日本テレビはメルトダウンによって引き起こされた2度の爆発をフィルムに記録しました。

                    

公開されたばかりの日本テレビの福島第一1号機と3号機の爆発の瞬間を捉えた新しいデジタルフィルムをご覧ください。
(動画はフェアウィンズのオリジナルサイトでご覧ください。
https://www.fairewinds.org/demystify/japans-fukushima-meltdowns-10-years-later-new-video-shows-much-still-unknown?ss_source=sscampaigns&ss_campaign_id=602da17ca9775141c7a6129a&ss_email_id=602da5e6679bf7012bf908d8&ss_campaign_name=NEW+VIDEO%3A+Japan%E2%80%99s+Fukushima+Meltdowns+10+Years+Later&ss_campaign_sent_date=2021-02-17T23%3A25%3A38Z )

                    

フェアウィンズは、2011年にオリジナルの爆発時の速報映像を作成し、2021年にこの重要なリマスター版を完成させるに至った日本テレビが行った素晴らしい作業に賛辞を贈ります。

                   

                    

日本テレビが新しく公開したデジタル映像は、歴史的および技術的に重要です。
しかしながら新しい爆発の映像に続いて収録されたインタビューにおいて、福島第一原子力発電所の6基すべての原子炉を所有する東京電力が、明白に技術的に誤っている3つの見解を示していることを見逃してはなりません。

                  

第一点はこれらの爆発の原因に関する東京電力の技術的解釈についてであり、フェアウィンズはそのことにずっと重大な懸念を抱いてきました。

                  

第二は、東京電力が新たに原子炉格納容器の上部に極めて高い放射能が確認されたことについて、その原因が超音速衝撃波であるとしている点です。

                  

第三は東京電力は、原子炉3号機で最初の爆発の3秒後に2度目の爆発が発生した可能性があることについて言及していません。

                    

爆発の原因を構成するメカニズムを理解することは、福島で何が起こったのか、そしてこうした危険が世界中の原子力発電にとって何を意味するのかを理解するために重要なことです。

                     

原子炉の爆発には2種類あります。

                  

一つはデフラグレーション(爆燃)衝撃波、これは福島第一原発1号機と米国ペンシルベニア州ミドルタウンのスリーマイル島原発で発生しました。
かなりの破壊力を持ちますが、爆燃衝撃波は亜音速(音速の時速約760マイル未満)で伝わります。

                   

                    

もう一つの爆発はデトネーション(超音速衝撃波爆発)と呼ばれます。
音速を超えるスピードで衝撃が伝わるため、はるかに大きな破壊力を持っています。                                  

                       

2011年、英国のジェフ・サットン氏の協力を得て、フェアウィンズは福島第一原子力発電所1号機の爆発がデフラグレーションであったのに対し、3号機の爆発がより破壊力の大きなデトネーションであったことを明らかにしました。

                  

では福島第一原発での爆発がデフラグレーションであったかデトネーションであったかは重要なことなのでしょうか?

                  

きわめて重要です!

                   

大気中に存在する水素ガスは爆発してもデトネーションを発生させることはできません。
3号機の爆発によってデトネーション(爆発あるいは爆轟)衝撃波が発生したというフェアウィンズの2011年の調査結果は、世界中の原子力事故の科学的および原子力工学的分析に関する見解を変えるはずのものでした。

                    

世界のどこにであっても既存の原子炉の放射能放出封じ込めシステムは、デトネーション(爆発あるいは爆轟)衝撃波に耐えることはできないのです!
そのデトネーション衝撃波が2011年福島第一原発3号機で発生したという事実を、フェアウィンズのアーニー・ガンダーセンとジェフ・サットンが確認したにも関わらず、原子力産業界はずっと無視し続けてきました。

                    

                      

原子力産業界と各国の規制当局は、デトネーションが原子力発電所で発生するとは考えていないのです。
原子炉密閉システム(密閉容器)がデトネーションによって破壊される可能性を認めてしまったら、原子力産業界は現在の原子力発電所が構造的欠陥を抱えたままであることを認めざるをえなくなります。

                         

デトネーション(超音速衝撃波爆発)が発生すれば、既存の原子炉密閉システム(密閉容器)は機能しなくなるのです。

                   

福島第一原発では原子炉3号機のフェイルセーフ(事故が起きても確実に安全を確保する)設計の封じ込めシステムが機能しなくなり、大量の放射能が周辺地域はもちろん、世界を覆う大気中に放出されました。

                   

こうした人の手による巨大規模の悲劇は、原子力発電が存在する限り、世界中のどこかの原子炉で再現されることになります。
よく考えてみてください。
フェアウィンズが語ってきたことは、世界のどこにあろうと、デトネーション(超音速衝撃波爆発)に耐えられる原子炉は存在しないのです。
2011年に福島第一原発原子炉3号機で実際に発生したその事実について、世界中のテレビとインターネットで公開された映像に証拠が残っています。

                    

                     

日本テレビが公開した動画で伝えられている東京電力の分析に対しフェアウィンズが抱いている2番目の懸念事項は、原子炉格納容器の上部で最近確認された致死量の放射線量とデトネーションとの関連性についてです。

                    

2021年になって東京電力が初めてその存在が確認されたと主張している原子炉格納容器の上部の高放射線量について、10年前の2011年の福島第一原発の3機の原子炉のメルトダウンの直後、フェアウィンズはその同じ場所から高温の高放射性ガスが放出された事実を特定していました。

                  

格納容器は爆発が起きる前にすでに一部が破壊されており、爆発後さらに放射能を漏出し続けました。
さらに、損傷した密閉システムから重大なレベルの汚染物質が漏れ続けていることに驚いた原子力技術者や科学者は一人もいません。
密閉が破られたために、このように放射線が漏れだしたのです!

                      

しかしデトネーションが襲う以前にすでに原子炉格納容器の密閉性は失われていたため、デトネーションが高濃度の汚染の原因であることを特定する証拠はありません。

              

最後に日本テレビのリマスター・ビデオは、フェアウィンズの3番目の懸念が現実のものであることを明快に示しています。

                

デトネーションの突然の閃光とそれに続き黒煙が上空に吹き上がっていく様子に目が釘づけになります。

               

                     

さあ、もう一度よくご覧ください。
最初の垂直爆風の約3秒後、白い雲が突然北方向に地を這うようにして水平に移動していきます。

                       

アーニー・ガンダーセンが福島県で放射性物質のサンプルを収集しているときに出会った地域ボランティアの市民科学者のひとりは、複数の爆発音を聞いたと証言しました。
彼らはそれが火の中で燃えている竹がはぜるような音だったと語っています。

                        

この新しいビデオは、爆発が少なくとも2度あったことを示しています。
1度目は垂直方向、2度目は水平方向です。

                       

より多くのデータが利用可能になれば、フェアウィンズ・エデュケーションは爆発のメカニズムをより詳細にご説明できるようになりますが、現時点では、福島3号機の爆発の全体像は原子力発電の熱狂的支持者が無視したいと考える類のものだと言うことができます。

                          

                 

彼らは、なお一層危険で放射線量が非常に高い原子炉の建設と運用を続け、人類が自らの歴史に学ぶことをしないよう望んでいます。

                     

日本テレビのアナウンサーはビデオ全体を通し、東京電力と日本の規制当局を「当局」「当局者」と敬意を表して呼んでいます。
この種の公共の場での宣伝は、東京電力、日本政府とその規制当局、および国際原子力機関(IAEA)が日本のメディアを自分たちに都合良く利用できている状況が生み出したものです。
2011年当時も、そして2021年になった今なお本当に必要とされているのは、独立した専門家です。

                   

独立した専門家とは、東京電力と無関係であり、政府当局から束縛されず、原子力産業にとりこまれてはいない人々のことです。

                    

繰り返しになりますが、フェアウィンズが求めているのは独立した立場の専門家が集まって結成された組織による調査であり、これから取り組まなければならない福島の汚染の解消のために問題の規模と程度を率直に評価できる人々です。

                     

2013年、フェアウィンズに加え16人の国際的な専門家が、このような独立したパネルを設立するよう求める手紙を国連(UN)に共同で提出したことをご存知ですか?
残念ながら国連は、このような真摯な要請や勧告を受けたことを認めるだけの分別は持ち合わせていませんでした。

                        

                

東京電力、日本政府、そして国際的な原子力産業界がおこなっている謀略は世界規模の人権問題、そして環境破壊の問題に他なりません!

                     

福島第一原子力発電所事故発生から10年が経過しましたが、幸いなことに日本の市民は未だに独立した立場の人々による公平な調査を待ち望んでいます。
日本においては、事実を隠蔽し嘘の上に嘘を重ねようとしている政府当局や電力会社などより、一般の人々の方が正しい見方をしているのです。

               

https://www.fairewinds.org/demystify/japans-fukushima-meltdowns-10-years-later-new-video-shows-much-still-unknown?ss_source=sscampaigns&ss_campaign_id=602da17ca9775141c7a6129a&ss_email_id=602da5e6679bf7012bf908d8&ss_campaign_name=NEW+VIDEO%3A+Japan%E2%80%99s+Fukushima+Meltdowns+10+Years+Later&ss_campaign_sent_date=2021-02-17T23%3A25%3A38Z

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2011年3月11日午後2時46分の揺れが襲ったあの長い長い2分間のことは忘れようとしても忘れられるものではありません。

それから10年、東日本大震災で大切な家族を失った方々の喪失感は未だに癒えていない、地元の新聞が1面で伝えていました。

                    

そして福島第一原子力発電所事故。

この二つは21世紀日本の、いや世界の価値観を変えてしまうほど衝撃的な出来事でした。

なのに今の日本の政権や政権与党の対応はどうでしょうか?

まるで『無かったこと』のようです。

これは政府与党の問題ではなく、私たち日本人の良心の問題であるはずです。

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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