ホーム » エッセイ » 福島第一原発事故 – 日本政府と東京電力『欺瞞と妄想の10年』
福島第一原子力発電所を完全廃炉にするための取り組みは先行き絶望的
放射性物質が直接降り注いだ地域では、人々の生活は取り返しのつかないほど、そして永遠に変わってしまった
日本列島の北側半分から国民全員を避難させる計画が、密かに作成されていた
ジュリアン・ライオール / ドイチェ・ヴェレ 2021年3月11日
環境保護団体は、事故によって破壊・機能不全に陥った福島第一原子力発電所を完全廃炉にするための取り組みは先行き絶望的であると述べています。
一部の地元住民は、福島第一原発が放出した放射性物質が降り注いだかつての故郷に戻ることは安全ではないとの不安を隠せません。
日本史上最大の破壊を行った自然災害とそれによって引き起こされた原子力発電所事故が発生してからちょうど10年が過ぎました。
福島第一原子力発電所を運営していた東京電力は、事故収束・廃炉作業が予定通りに進んでいることを確信していると公表しました。
しかし原子力発電に反対する活動を行っている人々はそうした見解を明らかにすることに批判を強めています。
メルトダウンに見舞われた3基の原子炉の廃炉措置を完了することができるという東京電力の計画は、「成功の見込みがなく、妄想に過ぎない」と主張しています。
2011年3月、福島第一原発が吹き上げた放射性物質が直接降り注いだ地域では、人々の生活は取り返しのつかないほどそして永遠に変わってしまったと語りました。
福島第一原子力発電所の危機は、2011年3月11日午後、マグニチュード9.1地震が襲った東日本大震災に続くものでした。
地震災害に関する近代的な記録管理が始まったのは1900年のことですが、それ以来世界史上4番目に強力な東北太平洋沖地震が場所によっては高さが40メートルを超える巨大な津波を引き起こしました。
▽「戻っても安全だとなど告げられるべきではない…」
津波は福島第一原発でも防波堤を乗り越えて殺到し、施設内の6基の原子炉建屋のうち4箇所の階下部分を浸水させ、原子炉の冷却水を循環させるウォーターポンプを稼働させるために必要な非常用発電機の機能を破壊しました。
その結果原子炉炉心が過熱状態になり、メンテナンスのため稼働を停止していた4号機以外の3基の原子炉がメルトダウンしたのです。
事故の翌日、日本政府は周辺の市町村で生活していた154,000人以上の人々に避難を命じました。
そしてさらに多くの原子炉格納容器が破壊され、大量の放射性物質が大気中に放出された場合に備え、日本列島の北半分の広大な地域から住民を避難させる計画が密かに作成されました。
福島の事故はチェルノブイリ事故に次ぐ史上2番目に深刻な原子力事故に分類されていますが、日本の国土の半分が汚染されてしまうというシナリオは現実にはなりませんでした。
しかし専門家は、約18,000テラ・ベクレルの放射性セシウム137が太平洋に放出され、同時にストロンチウム、コバルト、ヨウ素およびその他の放射性物質も海に流出したと推定しています。
福島県の伊藤信義さんは10年前の震災の際、飯舘村郊外にある自宅から避難するよう求める当局の要請を無視しました。
伊藤さんは自分はすでに高齢であり、放射線による被曝が今後の寿命に影響を与える可能性は低く、自ら人間の実験台としての役割を果たすため、そのまま留まる決意をしました。
現在76歳になった伊藤さんは過去10年間、周囲の丘や、自分が栽培している作物や野生の果物や野菜の放射線レベルを計測・記録してきました。
「3年前、日本政府の当局者は避難命令を解除し、それ以来人々に帰還するよう促してきました。」
「私は事故発生以来、放射線量を記録してきました。確かに線量は下がってきましたが、ここの土壌は今後何年も汚染が続くでしょう。私はここが安全だとは思っていません。ですからかつての住民たちにもう戻っても安全だなどとは言うべきではありません。」
福島第一原子力発電所の責任者であり事故収束・廃炉作業の最高責任者である小野晃氏は3月上旬のインタビューの中で、2041年から2051年の間に設定された原子炉を安全にするための作業完了の目標を修正する必要はないと語りました。
「私たちは30年から40年の最終目標にこだわっており、それに応じてタイムラインと技術および開発計画をまとめていきます。」
小野氏はAP通信の取材にこう答えました。
この発言は、2基の原子炉の一次格納容器のセシウムの放射線量がこれまで予測されていた量よりもはるかに高いという新たな事実が判明し、事故収束・廃炉作業を一層困難にするであろうと予測される中、行われました。
さらにはメルトダウンした3基の原子炉の格納容器の底部に落下した溶融核燃料については、まだ不明の点が数多く残されています。
またこれ程の規模の廃炉事業はこれまで試みられたことすらなく、一部の分野においては作業を完了させるための技術がまだ開発されていません。
それでも東京電力は作業を前進させられるとしており、3月末までにスケジュールを更新の上、公表することにしています。
▽ 欺瞞と妄想の10年?
グリーンピース東アジアの原子力発電の専門家であるショーン・バーニー氏は、東京電力が示したスケジュールが実現できる可能性はなく、日本政府当局は人々の生命への危険がまだ存在している事を無視し続けていると主張しています。
「これまでの10年間、歴代の日本政府は…原子力災害について偽りの神話をつくり上げようと試みてきました。」
バーニー氏はドイチェ・ヴェレに寄せた声明の中でこう述べています。
「東京電力と日本政府は除染作業の有効性を不当表示し、放射線リスクを無視することによって、日本国民を欺こうとしてきたのです。」
「同時に彼らは福島第一原子力発電所が今世紀の半ばまでに『緑の大地』状態に戻すことが可能だと主張し続けています。」。
「日本政府と東京電力が続けてきた『欺瞞と妄想の10年』は終わらせなければなりません。廃炉計画を作り直す事は避けられない現実なのに、なぜ今やっている偽りをこのまま続け、さらに時間を無駄にしようとしているのでしょう?」
グリーンピースが実施した調査によると、福島第一原発の放射性物質による汚染が最も深刻だと特定された840平方キロメートル(324.3平方マイル)の面積のうち、除染が行われたのはわずか15%にとどまっています。
そして放射線量が安全基準を上回っているにもかかわらず、日本政府は浪江町と飯舘村は住民が帰還しても安全であると発表したのです。
バーニー氏は福島第一原発の事故収束・廃炉作業を実現させるためには「アプローチの根本的な見直しと新しい計画」が必要であると述べています。
グリーンピースは、最悪の選択は溶融核燃料の残骸を含め、放射線で汚染されたすべての物質を『仮に回収できた場合』でも、それをそのまま無期限に保管することであると考えています。
「福島第一は、すでに放射性核廃棄物の長期にわたる貯蔵場所になっており、今後もそうならざるをえないでしょう。」
バーニー氏はこう結論付けました。
福島第一原子力発電所が引き起こした事故は、前例が無い程多量の放射性物質を太平洋に流し込みました。
しかしそれ以前も、海は度重なる核実験と原子力発電所が放出する放射性廃棄物によって汚染されていました。
その影響は今日、見過ごせないレベルに達しています。
写真集
2011年の地震で被害を受けた水戸市のアートセンター(写真)は、日本のアーティストの目を通して10年前の大惨事を振り返る「アーティストと震災:10年目の想像」展を開催しました。
02
帰宅困難区域の魅惑的な風景
アーティストの加茂晃氏は作品の中で、帰宅困難区域における災害後の風景に対する心情の二面性を描いています。
放射性物質による汚染のリスクのため、誰も入ることができない場所の美しい風景が描かれています。
2019年作品のこの絵のタイトルは『福島県双葉郡浪江町北井手近くに立つ』というものです。
03
『二層の町』
津波で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市の復興過程と、その変貌を動画、執筆、絵画で表現した作品です。
写真は映像作品『二層の町、私たちの立場を置き換えるための歌を作る』からの1シーンです。
04
恐怖と差別に向き合う
ドキュメンタリー映画『赤い線で仕切られた教室』の中で、藤井光氏は、見えないものへの恐怖と苦悩に苦しめられた福島の人々が経験した差別の問題に取り組んでいます。
05
絆を作る
実在の人々との出会いを題材にしたこのビデオシリーズでは、原発事故が大災害後の人々の日常生活に与える影響と、日本社会に生じた放射線リスクに関する混乱を描いています。
06
『山が砂を積み上げた山に変わった』
佐竹真希子さんの絵は、被災地の景観が東日本大震災の後に劇的に変化した様子を描いています。
「ひよりやま - ハローアゲイン」と題されたこの作品は、仙台の蒲生にあった日本で最も低い山の印象を描いたものです。
津波に襲われた結果、蒲生地区は荒れ地に変わり果てました。
07
『Don't Follow the Wind - DFW (風を追わないで)』は、2015年から複数の『帰宅困難区域』で行われている共同プロジェクトです。
12人のアーティストが帰宅困難区域内で作品を展示しています。
しかし、制限が解除されるまで誰も実際に会場を訪れることはできません。
プロジェクトに関わったアーティストの一人であるグランギニョール・ミライは、アーティストが帰宅困難区域を訪れた際のビデオを制作しました。