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【 しぼむクリスマス商戦 : 英エコノミストの日常経済データ 】

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最早消費者の財布のひもを緩める効果を失ってしまったクリスマス・ムード

クリスマス商戦とモノのプレゼントから離れていく先進社会の消費者

 

エコノミスト 2016年12月25日

 

グラフ左側 : クリスマス商戦の小売市場への波及効果 2000年 – 2015年

グラフ右側 : 先進各国の季節ごとの消費支出 2010年 – 2016年 左上から下に向かってイタリア、英国、日本。右上から下に向かってフランス、米国、ドイツ。

 

アメリカの歌手のアンディ・ウイリアムズの1960年代のヒット曲の中にIt’s the most wonderful time of the year(一年でもっとも素晴らしい季節)というクリスマス・ソングがありました。

1960年代こそそうだったのかもしれませんが、現代の先進各国の小売業者の賛同を得るのは難しそうです。

 

2016年、先進各国のクリスマス休暇中の小売業者は、季節調整を加えた月間売上平均よりも売り上げを15-35%程度増やしました。

アメリカだけを見てみても、消費者の支出金額の出費増加分の合計金額は750億ドル(約8兆5,000億円)以上になります。

 

しかし最近の傾向を見てみると、クリスマス・シーズンの買い物客はもはや楽しい気分に浮かれてばかりいる訳ではないのかもしれない、そんな傾向を示唆しています。

2000年に時点でアメリカ人は、クリスマス休暇の季節変動の影響を考慮しない測定方法を用いた場合、12月になると29%消費支出金額が増えていました。

しかし2015年には、その金額は21%にまで減少しました。

 

ドイツ、日本、フランスを含む他の豊かな先進諸国も、クリスマス・シーズンの消費行動の類似した低下傾向が確認されています。

ヨーロッパ諸国の中でも目立ってお祭り好きのイタリアでさえ、12月に突出していた消費金額は2000年の50%から2015年には33%にまで低下したことが明らかになりました。

 

最近の消費者がクリスマスにあまり心を動かさなくなったことに関しては、3つの理由が考えられます。

まず最初に電子商取引市場の成長により、消費者は一年中季節アイテムを買うことが簡単にできるようになりました。

 

第2の理由として、プレゼントとしてギフトカードが選ばれることが多くなったことが挙げられます。

プレゼントとしてカードを受け取った人がそれを実際に使って商品やサービスと交換するまで、ギフトカードに支払われた対価は売上として認識されません。

今やや多くの人が1月になってから、あるいはそれ以降にならないとギフトカードを使う事が無くなりました。

 

調査の結果、最後に若い買い物客程、伝統的なクリスマス商戦の場、実店舗の店先に姿を現したがらない傾向が、明らかにしました。

そして西暦2000年以降に生まれた世代は明らかに旅行とエンターテイメントのようなイベントやソフトウェアなどのプレゼントを喜び、『モノ』にはあまり興味を示さなくなっていることも明らかにしました。

 

http://www.economist.com/blogs/graphicdetail/2016/12/daily-chart-4?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227

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下の稿を訳し終え、自分が尊敬する歴史上の人物がマハトマ・ガンジーとキング牧師であることに改めて気がつきました。

2人とも人間としての当然の権利が弱者にも平等に与えられるべきであると、凶弾に倒される瞬間まで訴え続けていました。

そして2人とも徹底して非暴力主義を貫きました。

 

世界の右傾化が極端になり、排外主義、排他主義という暴力的発想が横行する今、私たちはガンジーとキング牧師が始めたと言って良いこうした運動に対する知識と理解を深める必要があると思いました。

 

私事で恐縮ですが、自分が愛する歴史上の人物はベートーヴェンとジョン・レノンです。

 

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【 市民の権利を歴史に刻み続けた生涯:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 】《7》

 

アメリカNBCニュース 2017年1月16日

 

バプティスト派キリスト教の牧師であったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、人種的な正義の実現を飽くまで平和的手段にのみ訴え続け、市民権(公民権)運動を前進させました。

しかし彼は1968年、暗殺という最悪の暴力によって生涯を終えることになってしまいました。

 

1967年3月25日、シカゴ市内でベトナム反戦デモ行進の先頭を歩く小児科医であり子供の行動科学分野の草分けであったベンジャミン・スポック博士とキング牧師。

スポック博士はこの時全米健全核(原子力)政策委員会の共同議長を務めていました。(写真上)

 

1967年3月24日シカゴ市内で市民権運動のデモを前に記者会見場で話すキング牧師。彼はこの時、次のように語りました。

「昨年の夏よりはるかに大きな規模に膨れ上がるでしょう。」(写真下・以下同じ)

1968年4月3日のテネシー州メンフィス市のローレイン・モーテルの前でキング牧師とその支持者に、法廷の許可なく予定されていなかったデモ行進を臨時に率いることを禁止する命令書を手渡すメンフィス市警察署長。

この命令は、都市清掃局員を支持して4月8日に予定されていた市の清掃局員によるデモ行進がそれ以上支持が拡大しないようにすることが目的でした。

これに対しキング牧師らは次のように答えました。

「催涙ガスも禁止命令も、私たちのデモ行進を阻むことはできません。」

1968年4月3日テネシー州メンフィス市のローレイン・モーテルのバルコニーに立つキング牧師。

この時キング牧師は、清掃局員によるデモ行進に関する戦略を協議するためにこのモーテルに集まりました。

翌日、キング牧師はこのバルコニーで射殺されることになります。

1968年4月9日アトランタ市内で催された市民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング・ジュニア博士の葬儀。葬列の先頭を歩くのは彼の家族、左から長女ヨランダ12歳、弟A.D. キング、次女バーニス5歳、夫人のコレッタ・スコット・キング、盟友のラルフ・アバーナシー牧師、次男のデクスター7歳、長男マーティン・ルーサー・キングIII世10歳。

1968年4月9日アトランタ市内のキング牧師の葬儀会場、妻のコレッタ・スコット・キングと次女バーニス。

http://www.nbcnews.com/slideshow/martin-luther-king-jr-n707546

【 上昇を続ける日本の子どもたちの貧困率、経済不振の最大のしわ寄せがここに 】《後篇》

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「貧困問題に取り組んでも、選挙戦で票を獲得できる訳じゃない…」それが安倍首相の本音?

ともすれば貧困を辱め、攻撃対象にしたがる日本の社会

 

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2017年1月17日

 

(写真上) 川口市の子ども食堂で食事の準備が整うのを待つ吉田さん母娘。2年前ガンになって仕事を辞めなければならなくなって以来、吉田さんは10代の3人の子供たちの養育が困難になっています。(写真: ジャスティン・マッカリー / ガーディアン)

 

日本で子ども食堂がこれほど必要とされている背景には、為政者たちが解決しなければならない問題が多岐にわたっていることを象徴しています。

日本政府は2013年に『子どもの貧困対策の推進に関する法律』を可決成立させましたが、専門家は貧困状態にある子供たちへの援助計画は明らかに予算不足であり、官僚的な非効率性と政治的な無関心によって支配されてしまっていると指摘しました。

「子どもたちの貧困問題にも全体的な貧困問題にも、安倍首相はほとんど関心を持っていないと私は思っています…。この問題に取り組んでも、選挙の際の得票にはつながらないという、ただそれだけの理由で。」

「政治家は常に眼前の問題にばかりとらわれているように見えます。彼らはが現在の子どもたち、そして人々がこれから40年から50年という長い期間どのように暮らしていくのかをじっくり考えることが出来ないのです。」

 

2013年には全国で21ヵ所だった子ども食堂は過去4年間で300カ所以上になり、そのうち約半分は過去12カ月間に開設されました。

ほとんどの子ども食堂は無料で書を久慈の提供を行っていますが、100円から300円の間で料金がかかるところもあります。親が一緒に食事をする場合は、少しだけ料金を多く支払います。

川口子ども食堂は地元の企業の寄付によって運営されていますが、付近の農家とボランティア自身が持ち寄った食材が使われています。

毎月ここで食事をする50人ほどのうち、およそ3分の1は母子家庭、父子家庭の子どもたちです。

 

この日、子ども食堂で食事をしている中に吉田久子さん(仮名)と2人の子供たちの姿がありました。

3人の子供を持つ吉田さんは不動産会社で働いていましたが、2年前にガンと診断され勤めを辞めなければならなくなりました。

それ以来、離婚していた吉田さんは経済的苦境に立たされることになりました。

 

43歳の吉田さんの子どもたちは全員が10代前半ですが、収入のほとんどは育児費用に費やされていると語りました。

「私自身は自分を貧しいと認めることは仕方がないと思っています。しかし他の多くの人々は、そうではありません。日本の社会が貧困に対し汚名を着せようとするためです。」

「私には2人の娘と息子が1人いますが、全員が育ち盛りで食欲も旺盛です。私は自宅でも料理をしますが、どうしても充分な食事を与えてあげることが出来ません。もしこの子ども食堂が無かったら、私たちの生活はもっと窮迫したものになっていたでしょう。」

 

特定非営利活動法人の豊島(東京都豊島区)子どもWAKUWAKUネットワークの理事長を務める栗林知絵子さんは、一日にたった1回、貧しい食事しかとれない子どもたちと出会った後、『子ども食堂』の取り組みを全国で初めて行う決心を行いました。

「私が出会った子供たちの中には、まる1日何も食べていない子供たちすらいたのです。」

栗林さんがこう語りました。

「毎日母親から昼食代として500円ずつ受け取っていることもたちもいますが、実際にはそのお金ですべてをやりくりしなければならないのです。」

「日本政府は貧困問題の深刻さを少しでも軽減するために、これまでとは比較にならないレベルでの取り組みをしていかなければなりません。しかし少なくとも今は、一般の人びとも日本には深刻な貧困問題が存在することを認識するようになり、議論もするようになりました。この機会に私たちは、きちんと日本の子供たちの将来について考えるべきです。」

 

日本では財政基盤に問題があるという原因で社会的に窮迫している人々とみなされることを恐れる気持ちから、貧困問題はなかなか一般の人々の目に触れる機会がありません。

こうした家庭が子供たちに外見上普通と変わらない服装をさせることや、高額な修学旅行の費用を賄うためには、気の遠くなるような努力が必要です。

しかしこうした費用を支払った後は結局帳尻を合わせるため、食費や他の支出項目を削る必要が出てきます。

貧困線の下での生活を強いられている世帯の約半分が母子家庭、父子家庭ですが、状況は彼らに特に厳しいものとなっています。

 

現在のところ川口子ども食堂がオープンするのは月に一回だけですが、吉田さんのような母子家庭にとって子供たちのための大切な生活の場になっていると同時に、こうした貧困に苦しんでいるのが吉田さんたちだけではないという事を思い起こさせる機会を提供します。

 

「私の子供たちはとにかく食べなければなりません。」

吉田さんがこう語りました。

「私がここに子どもたちを連れてきたのはしばらく前のことですが、子どもたちはすぐにこの場所が好きになりました。子供たちはここに来ることを別に恥ずかしいとは考えていませんし、おなかがいっぱいになるまで食べることもできます。日本のように豊かな国で、未だに空腹のまま寝なければならない子供たちがいるということは正しいことではないと思います。」

 

〈 完 〉

https://www.theguardian.com/world/2017/jan/17/japans-rising-child-poverty-exposes-truth-behind-two-decades-of-economic-decline

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安倍政権の下、日本の防衛予算は5兆円を突破し、一機数百億円もする最新鋭ジェット戦闘機や新たな特殊部隊の配備も続いています。

目下の目的の第一は、誰も住まない無人島の防衛です。

その一方で空腹を満たすことが出来ない子供たちの数が増え続けているのです。

今の政府は莫大な政府予算を投じて、いったい何を守るつもりなのでしょうか?

 

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【 市民の権利を歴史に刻み続けた生涯:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 】《6》

 

アメリカNBCニュース 2017年1月16日

 

1966年2月1日アトランタ市内のスラム街で行われたピケに加わるキング牧師と妻のコレッタ。

2人の女性が掲げているプカードは、このスラム街のアパートで毛布を配っていたヘクター・ブラックが、不法侵入の嫌疑で逮捕されたことに抗議していました。(写真上)

 

1967年3月16日、有名な小児科医であるベンジャミン・スポック博士(左から2番目)とベトナム反戦を訴えてデモ行進するキング牧師。(写真下・以下同じ)

1966年3月18日ホワイトハウス内のキング牧師。後ろにいるのはリンドン・B・ジョンソン大統領。

1966年4月30日のアラバマ州リスマンで行われた政治集会で演説した後、一団の女性と握手するキング牧師。

女性たちはキング牧師の手や腕をつかんだまま放そうとしなかったため、スタッフは引き離すのに苦労しました。

リスマンは近く行われるアラバマ州予備選挙で、アフリカ系アメリカ人への投票を呼び掛けるためキング牧師が訪れたアラバマ・ブラック・ベルトの9つのポイントの内の1カ所でした。

1966年6月8日、ミシシッピ州のメンフィスからテネシー、ジャクソンにかけて行なわれた220マイルに及ぶ『恐怖に立ち向かう行進』の途中、ミシシッピ州の警官隊に押し戻されるキング牧師と抗議者の一団。

http://www.nbcnews.com/slideshow/martin-luther-king-jr-n707546

【 上昇を続ける日本の子どもたちの貧困率、経済不振の最大のしわ寄せがここに 】《前篇》

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所要時間 約 8分

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20年間の経済不振の最大のしわ寄せがどこに向かったのかを如実に物語る、日本の子どもたちの貧困率

世界の最先進国の中で有数の富の不公平が存在する日本、子供たちの貧困問題では最悪の状況

 

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2017年1月17日

 

世界で最も裕福な国のひとつである日本、その埼玉県川口市に出現した子ども食堂。

食事すら満足にとる事ができない子供たちのために無償で提供するため、ボランティアの人々が食事の準備をしている。(写真上)

 

ある土曜日の夕方、一団のボランティアの人々が腕によりをかけて作ったビーフシチューのにおいがキッチンから漂い出していました。

ここは東京の通勤圏のとある都市の中、キッチンに隣接する部屋では、その日初めて食事らしい食事を口にする子も含め、数人の子どもたちが談笑したり紙を切り抜いて何かを作っていました。

川口市にある子ども食堂は、世界第3位という経済規模を誇る国におよそ似つかわしくない子供たちの貧困問題が深刻化する一方の日本で、ここ数年の間に急速に数を増やしている貧困児童のための無料給食施設のひとつです。

 

OECDは可処分所得の全世帯平均の半分以下の収入しかない家庭を貧困世帯と定義していますが、この定義に基づけば日本の17歳までの子供の6分の1、約350万人の子供たちが貧困状態に置かれている事になります。

日本の貧困率は過去30年間に16.3バーセントにまで上昇しました。アメリカは17.3バーセントとまだ日本よりも高率ですが、状況は改善に向かっています。

 

首都圏内北部にある人口500,000人以上川口市のこども食堂で夕食をとっている20人ほどの子供たちのうち、絶望的貧困状態に置かれている子供はほとんどいません。
しかしこども食堂の創設者である佐藤雅志さんによれば、数人の子供たちの家庭はきちんとした食事を出せない状況にあります。
「2008年のリーマンショックに端を発した世界的な経済低迷は、当時20代から30代だった女性たちを特に厳しい状況に追い込んでしまったのです。」
2016年3月にこども食堂の運営を始めた佐藤さんがこう語りました。

「彼女たちはフルタイムの仕事に従事しているにもかかわらず、非正規雇用あるいはパートタイム従業員としての扱いしかされず、低賃金の上ボーナスもなく、さらには1年以上勤めても昇給もないのです。
中には高い金利で借金を繰り返し、結局は返済しきれなくなってセックス産業で働かざるを得なくなる女性たちもいます。
経済的な悪循環に陥り、そこから抜け出せなくなる状況に落ちてしまう事などいとも簡単に起こりうるのです。」

 

彼女たちが置かれている窮状は、約20年間続いてきたスタグネーションとデフレーションから脱却しようという日本の取り組みがほとんどうまくいっていない事を、まさに象徴してしまっているその具体例のひとつです。
第二次安倍政権の誕生とともに安倍氏が首相に就任して4年以上が経ちましたが、日本経済を再び成長局面に向かわせるとして大々的な宣伝とともに始まった経済政策がアベノミクスでした。
しかし子供たちの貧困問題に取り組み続けている人々は、アベノミクスの恩恵は多くの一般世帯には届いていないと語りました。

 

2016年4月にユニセフが公表した統計によると、日本は世界の最先進国の中で有数の富の不公平が存在する国であり、さらには子供たちの貧困問題で最悪の状況に陥っています。
結果、子供たちの福祉については41カ国の先進国中34位という順位になりました。

生活保護など国の支援の資格がある子供たちの数は350万人に登っていますが、実際に受給しているのはわずか200,000人という少なさです。

 


貧困問題の解決に取り組んでいる活動家は、社会保障に頼って暮らす人々に向けられる心無い非難や攻撃によってこうした状況が生み出されていると問題視しています。

 

〈 後篇に続く 〉

https://www.theguardian.com/world/2017/jan/17/japans-rising-child-poverty-exposes-truth-behind-two-decades-of-economic-decline

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こうした記事を読むたび『1億総活躍社会』などというキャッチフレーズのそらぞらしさが腹立たしくなります。

大切な子どもたちに最初から大きなハンディを負わせる社会に、私たちは疑問を持つべきだとも思います。

そしてそれより何より、常に空腹に脅かされなければならない子供たちの心の中は……

 

私事で恐縮ですがこの春長男が国立大学の工学部の大学院を卒業し、企業の研究所に勤務することになりました。

学士4年修士2年博士3年の都合9年間の大学生活を送り、27歳で無事博士号の取得も確定したようだとのこと。

大学生活の後半は研究に明け暮れ、帰宅時間が毎日午後11時を回るような生活の連続で、本人も相当の努力をしたと思いますが、親としてみれば本人が望むだけの教育を受けさせてもらうことが出来たことに、何よりもまず感謝したい思いです。

 

望めば必ず扉は開く、そんな格言がありましたが、その扉の前に立つことすら許されない子供たちがいるという事は放置してはならない悲劇であり、忘れてはいけない事だと思います。

 

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【 市民の権利を歴史に刻み続けた生涯:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 】《5》

 

アメリカNBCニュース 2017年1月16日

1965年3月1日アラバマ州マリオンで行われたジミー・リー・ジャクソン牧師の遺体を載せた霊柩車の後に続き葬列の率いるキング牧師。

ジャクソン牧師は市民権運動のデモの最中何者かに射殺されましたが、事件は犯人不明のままでしたが、2010年11月になって元アラバマ州警察官が1965年に自分が射殺したことを認めました。(写真上)

 

1965年3月21日、アラバマ州政府庁舎をゴールとする50マイル・デモ行進の初日、アラバマ川に架かる橋を渡るキング牧師。(写真下・以下同じ)

1964年7月21日ミシシッピ州ミシシッピを5日間の予定で訪れたキング牧師はアフリカ系アメリカ人の家庭を戸別訪問し、選挙人登録を行って選挙権を取得し、自らが率いる自由と民主主義の党への投票を呼びかけました。

1965年6月のアラバマ州ユートーで演説をするキング牧師。

1965年8月14日プエルトリコのサンファンへの講演旅行の経由地マイアミから自分の事務所に電話を入れるキング牧師。ロサンゼルスの黒人居住区で発生した暴動について、暴力的手段をとらないよう働きかけることを指示しました。

http://www.nbcnews.com/slideshow/martin-luther-king-jr-n707546

【 若者たちはどこへ消えた?! : 日本の人口動態 】《後篇》

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所要時間 約 8分

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70歳以上の住民の数が、10歳以下の子供たちの5倍以上になってしまった東京都郊外の町

公共料金も無料学校給食費も無料、公営住宅の家賃は定住すれば15年後に全額返還 - さて若い世代は集まるか?

 

エコノミスト 2017年1月7日

 

多摩川を上流に向かって川沿いをたどっていくと、徐々に山道となり最終的に奥多摩と呼ばれている小さい町に到着します。

そこには多摩市が何とか避けようとしている現実があります。

 

1950年代、人口が急速に増え続けた東京は深刻な水不足に陥り、水源の確保が緊急課題になりました。

その結果貯水池を造るための労働者が奥多摩に群がるようにして集まってきました。

しかしその時をピークに人口は縮小を続け、高齢化も進行しました。

奥多摩地区の町村では現在、全人口の47%が65歳以上の高齢者、そして少なくとも26%が75歳以上の後期高齢者です。

子供たちの数は目に見えて減少し、小学校の大きな建物の中には収容できる人数の4分の1の子どもたちしかいません。

70歳以上の住民の数は10歳以下の子供たちの5倍以上になっています。

 

そして奥多摩の住民たちは長命であると同時に頑固でもあるようです。

地元自治体の都市計画・財務部長の森田宏樹さんは、奥多摩の一部の町村は公共サービスの提供の維持すら難しくなる程その規模が縮小してしまったと語りました。

もし自治体の統合合併が実現し規模が大きくなれば、住民にとって、そしてそれ以上に自治体組織にとってこれ以上の事は有りません。

 

しかしたとえその場所が吹雪が吹きつけるような厳しい環境にあっても、高齢の住民はさびれてしまった村落を離れることを頑なに拒否し、それぞれの町村職員は手持無沙汰なまま日々を過ごしています。

森田さんはインターネットと宅配便の普及により、高齢者の僻村での生活が可能になっていると指摘しました。

 

奥多摩地区では農業の振興を図りました。

ひとつがその生育に環境が適しているワサビの栽培です。

そして無料の予防接種、学校給食の無料化、そして公共交通機関の料金を無料にすることにより子供を持つ世代の定住を量ろうとしました。

しかしどの政策も人口減少と高齢化を食い止めることはできませんでした。

 

そのため現在は住居を無償で提供することを宣伝しています。

森田さんは現在、地区内では約450軒が空家になっているものと見積もります。

森田さんはこれらの住宅の所有者が固定資産税を支払わなくてよいようにするためにも、こうした家屋を地元自治体に寄付してくれるよう働きかけています。

地元自治体はこうした家屋を若い夫婦に貸し出し、有効活用したいと考えています。

賃貸をしていた家族が15年間定住すれば、その間に支払った家賃は全額払い戻されることになっています。

 

奥多摩町は急峻な山地の中に位置し、眺望は素晴らしいものの決して暮らしやすい場所ではありません。

 

町の中の家々は美しいと感じる程の伝統的な日本家屋と言う訳でもなく、快適な暮らしを提供してくれる近代的な建物でもありません。

第二次世界大戦(太平洋戦争)後に作られたこれらの建物のサイディングはプラスチック製で、いつもガタピシ言っています。

しかし都心から約2時間で来れるこの場所で、有利な条件で住宅やサービスの提供を受けられるのであれば、やって来る若い家族がいるかもしれません。

 

そして奥多摩にはさらにもう一つの計画があります。

通ってくる生徒がいなくなったために廃校になったかつての中学校の建物は、現在日本語の専門学校になりました。

何カ国かに提携先を持つ教育会社であるジェリーフィッシュ社は、東南アジア、西南アジアからの若い卒業生に日本語を教えるために、現在この建物を使っています。

この教育施設に所期の目標通り、120人の学生に加え学校職員も加われば、今や20歳代の人口が350人以下というこの町にとって、様相は一変することになるでしょう。

 

学生の中にはこの町に定住する人が出てくる可能性すらあるのです。

さらなる本音を言えば、それが実現するように出入国管理方針の自由化も実現してほしいと考えているのかもしれません。

 

〈 完 〉

http://www.economist.com/news/asia/21713868-there-arent-many-and-cities-are-growing-desperate-desperately-seeking-young-people?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227

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【 市民の権利を歴史に刻み続けた生涯:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 】《4》

 

アメリカNBCニュース 2017年1月16日

 

1964年7月2日ホワイトハウスのイースト・ルームで歴史的な市民権法案に署名した後、そのペンをキング牧師に手渡すリンドン・B・ジョンソン大統領。(写真上)

 

1964年12月11日ノーベル平和賞の受賞が決定し、詰めかけた数百人が松明を掲げて祝福する中、恒例となった受賞演説を行うためオスロ大学のフェスティバル・ホールに向かうキング牧師と妻のコレッタ。後に続くのは最も緊密な同志であるラルフ・アバーナシー牧師。(写真下・以下同じ)

1964年6月17日フロリダ州セント・アウグスティンの記者会見場で行動計画を発表した後、汗を拭うキング牧師。

彼は席上、こう語りました。

「行動計画は様々な点で、この場所以上に熱いものだ。」

1965年2月15日にアラバマ州セルマにおける選挙人登録運動の一貫として、1,000人が参加し整然と行われた裁判所へのデモ行進で、先頭を歩くキング牧師。

1965年3月1日アラバマ州ラウンズ郡ヘイネイビルの裁判所で、キング牧師に向かって指を突きつける郡職員のカール・ゴルソン。

選挙人登録手順について尋ねたキング牧師に対しゴルソンは、今も将来もキング牧師がラウンズ郡の有権者ない以上、

「あんたには関係の無い話だ。」

と答えました。

http://www.nbcnews.com/slideshow/martin-luther-king-jr-n707546

 

【 若者たちはどこへ消えた?! : 日本の人口動態 】《前篇》

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減り続ける若年世代、高齢の進行に地方自治体はもはや打つ手がない

OECD諸国の中で最も高齢化が進んだ国になってしまった日本

 

エコノミスト 2017年1月7日

 

付近で暮らす人々と同様、寺田芽衣子さんが多摩地区に移り住んだのは1976年のことでした。

そのころ、成長著しい東京郊外のこの場所は、結婚したての夫婦とたくさんの子どもたちで沸くようににぎやかでした。

しかし最近では寺田さんが経営する喫茶店の客層の平均年齢は高くなり、店がその一角を占める地元商店街は死んだように静かです。

多摩地区の人びともそこに建ち並ぶアパートの住民たちも、どちらも一斉に年をとり、めっきり老け込んでしまったように感じる、寺田さんがそうこぼしました。

 

1990年代半ば、全人口に占める65歳以上の高齢者の割合は英国またあるいはドイツと比べ日本の方が少ない状態が続いていました。

しかし3つの条件がその状況を変えてしまいました。

超低出生率

平均寿命の賞賛に値する長さ

受け入れに極めて消極的な出入国管理

結局日本は現在、OECD諸国の中で最も高齢化が進んだ国になりました。

 

そして高齢化はその範囲をじわじわと広げ続けています。

都市部に向けて若年層の流出が続いてきた日本の農村部は、高齢化が最も早く進んだ場所でした。

それが今は、その都市部の近郊の高齢化が進行しています。

 

から2040年までに、日本の首都東京圏(多摩地区も含まれます)の65歳以上の人々数は2010年270万人から410万人にまで増加する見込みです。

多摩地区の高齢化はそれよりも速いペースで進行中です。

子供たちの数はとっくの昔に激減しました。

そのことを象徴するかのように、市役所はかつての中学校の校舎を使用しています。

統計学者は多摩地区の65歳以上の高齢者の割合は、2040年までの同じ30年の間に21%から38%まで上昇するだろうと予測しています。

このうち75歳以上のいわゆる後期高齢者の人数は2倍以上になると見られています。

 

すでに多摩市の住民たちは、痴呆などの進行により徘徊する高齢者の数が増え続けていることに不安を募らせています。

多摩市の担当部門の予測では、2025年までに寝たきりになる高齢者の割合は4人に1人にまで増加し、7人に1人は痴呆を患うことになりそうです。

 

そして都市は高齢者にとって住み心地の良い場所ではなくなってしまいました。

高齢者が暮らすアパートは急な斜面を登った場所にあり、5階建ての建物にエレベーターなどの設備はありません。

 

多摩地区にとって高齢化によって最も懸念される影響は、市の財政です。

多摩市の福祉予算の額は全体の3分の2に近づきつつあります。

確認するまでもありませんが、社会福祉予算の中で大きなウェイトを占めるのは高齢者のための費用です。

一方で高齢者が見返りに都市の財政収入に大きな貢献をすることは期待できません。

日本政府は地方自治体間で補助金の再分配を行いますが、地方自治体の財源は主に住民税です。

年金生活者に高率の住民税が課されることはありません。

多摩地区で保健指導を行っている伊藤しげおさんによれば、要するにこの場所の超高齢化を回避するための手段を早急に講じる必要があるということです。

 

日本の職場は相変わらず男性中心の社会

▽多摩市の誘致計画

 

多摩市は高齢者世帯向けの介助介護制度を充実させ、アパートの階段を上り下りするのに充分な体力を身につけさせるためのエアロビクス体操を奨励するなどの対策を進める一方で、再び若年世代の増加を図るための対策も行っています。

 

開発者であるブリリア(Brillia 東京建物)はすでに23棟の 5階建てアパートを解体撤去し、・同じ敷地内に7つの塔を建設しました。

再開発地区の建物の階数はほぼ倍になり、そしてそれぞれの部屋も以前よりも広くなりました。

その結果新しい居住者たちが集まってきました。

旧ブロックにある狭苦しい40平方メートルのアパートは戦後すぐに生まれた人々にとっては充分なものだったかもしれませんが、現代の日本の平均的家族はもっと多くのスペースを要求します。

多摩市の当局は、同様の方向で他の地区における再開発を進める予定です。

 

これは賢明な方針でが、問題が無い訳ではありません。

世界銀行によれば、2000年には1,830万人いた日本の20~29歳の人口はすでに1,280万人にまで減少しました。

2040年までにはそれが1,050万人にまで減少してしまう可能性があります。

つまるところ多摩市などがやらざるを得なくなっているのは、ゼロサム(勝者になるか敗者になるかの)ゲームではなく、ネガティヴサム(全員が敗者にならざるを得ない中、いかに傷口を小さなものに留めることが出来るかという)・ゲームなのです。

 

若年層と子供たちの減少割合を少しでも減らそうと死にもの狂いの戦いを続けています。

しかしライバルとなる近隣の都市も同じように必死であり、戦いは厳しくなる一方なのです。

 

〈後篇に続く〉

http://www.economist.com/news/asia/21713868-there-arent-many-and-cities-are-growing-desperate-desperately-seeking-young-people?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227

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【 市民の権利を歴史に刻み続けた生涯:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 】《3》

 

アメリカNBCニュース 2017年1月16日

 

1963年8月28日首都ワシントンのリンカーンメモリアル、史上有名になったキング牧師の「私には夢がある」の演説が行なわれた会場に集まった群衆。(写真上)

 

1963年8月28日ワシントン記念塔の方を向いて、演説会場に集まった聴衆に向かって

リンカーン・メモリアルに設けられた演壇から手を振るキング牧師。

この日彼は市民権運動の歴史上、最も力強く人々の心に訴えかけることになった「私には夢がある」という演説を行うことになりました。(写真下・以下同じ)

1963年8月28日米国国会議事堂を訪問した、市民権運動のリーダーたち。キング牧師のほか、エヴェレット・ダークセン上院議員、全国都市同盟、南部キリスト教指導者会議、全米自動車労働組合の理事長、非暴力学生同盟事務局長など。

1964年に撮影された肖像写真。

1964年6月12日、フロリダ州のセントアウグスティン市で人種的騒動の扇動罪について審理をする大陪審で証言をした後、パトカーの後部座席に警察犬と一緒に乗せられて刑務所に護送されるキング牧師。

http://www.nbcnews.com/slideshow/martin-luther-king-jr-n707546

 

【 原子力発電と戦い続ける一匹狼、日本の元首相 】《後篇》

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原子力発電については民進党も自民党と同じ推進の立場、選挙で国民が敢えて投票するはずがない

政治的立場が保守であっても、原子力発電には反対するという立場をとることは出来る

 

モトコ・リッチ / ニューヨークタイムズ 2016年12月31日

 

政治的問題で国民の抵抗がこれほど長く続くことは日本では珍しいと言わなければなりません。

一部のアナリストは、それこそは原子力発電への反対機運が衰える気配がないという事を意味しているのだと見ています。

「人々は自分たちの生活は自分たちの力で守らなければならないと考えたのです。だからこそ人々はあれだけの直接行動を実現させたのです。」

上智大学の政治学者である中野孝一教授がこう語りました。

外見上は原子力発電への反対運動は休止状態に見えるかもしれません。

「しかしそれは現在、マグマのように内に秘められているだけかもしれません。」

中野教授がこう続けました。

「再び人々が直接行動に打って出る可能性もあります。政治的変革を求める別の大規模抗議行動が実現されるかもしれません。」

 

最近では原子力発電に反対する機運が地方に広がりつつある兆候も見られるようになりました。

2016年10月、世界最大の原子力発電所が立地する新潟県で行われた知事選挙では、この発電所を経営する東京電力に対し、同社が引き起こした福島第一原発の事故に関する検証作業が完了しない限り、再稼働を認めないと公約した米山隆一氏が当選しました。

米山氏の場合も小泉氏同様、所属する政治勢力の方針より反原発の気運を優先した実例のひとつになりました。

 

新潟県知事選に立候補する以前、米山氏は自由党民主党の国会議員候補として立候補した経験を持っています。

 

自民党党首で保守派のリーダーであった小泉氏が原子力発電に反対する立場を明確に打ち出したことが、こうした行き方を切り開いたと言えるかもしれません。

 

「原子力発電への反対運動が始まった当初、原子力発電は保守派とリベラル派の争点の中でも代表的なもののひとつでした。」

弁護士であり反核活動家として活躍する海渡雄一氏がこう語りました。

「小泉氏が公の場ではっきりと原子力発電への反対を表明したことにより、政治的には保守であっても原子力発電には反対するという立場をとることが出来るという事を保守派の人々が理解することになったのです。」

 

『トモダチ作戦』に従事した後様々な疾病を発症した米国海軍の将兵をサンディエゴに見舞った後、小泉氏は現在の野党である民進党の党首として首相経験を持つかつてのライバル、そして現在は無所属の細川護煕氏とともに、100万ドルの医療費の募金を集めるために日本全国を旅しました。

現在カリフォルニア州サンフランシスコの第9米国控訴裁判所で行われている空母ロナルド・レーガンの乗組員による訴訟そのものには、小泉氏は関与していません。

この訴訟について東京電力はその扱いを日本国内に移管させるよう取組を行っています。

 

この裁判の原告団となっている米軍将兵に小泉氏を紹介したのは、日米両国を活動の場としているフリージャーナリストのエイミーL.ツジモト氏と彼女の夫で、現在は京都に住んでいるアメリカ人僧侶のブライアン・ビクトリア氏です。

 

この稿の冒頭に登場したツェラー軍曹は鎮痛剤を服用し、さらには治療のため鍼灸やリンパ節マッサージ等の治療も行なったことがありますが、そうした彼の実情について真摯に話を聞いてくれたのは小泉氏が初めてだと語りました。

「私のかかりつけの医師や病院のスタッフ、あるいは現在一緒に働いている医療関係者や合衆国政府の担当者にあってきましたが、私の症状について話をして明らかに心を動かしたのは小泉さんが初めてです。」

現在はサンディエゴにある海軍医療センターで働いているツェラー軍曹がこう語りました。

「小泉氏は私が話すひとつひとつの言葉に注意深く耳を傾け、その目には誠意が溢れていました。これまでそんな人には会ったことがありません。小泉氏は私だけでなく他の多くの兵士の話も聞き、みんな健康面においてきわめて厳しい状況に置かれていることを理解してくれました。」

 

引退して以来、トレードマークであったライオンのような頭髪が今ではすっかり白くなってしまいましたが、小泉氏はサンディエゴで海軍の兵士たちに実際に話を聞いて以来、彼らの健康被害と放射線被曝の間に直接の因果関係があるという事を確信したと語りました。

「彼ら海軍の兵士たちは本来とても健康な人々でした。」

「しかし今や様々な異常に見舞われています。もともと健康だった彼らが、たった4、5年でこれほど深刻な病気に見舞われるなど通常では考えられない事です。」

「私は米国政府も日本政府も、何事かを隠していると考えています。」

小泉氏はこのようにつけ加えました。

 

日本国内の多くのエンジニアが日本は二酸化炭素の排出量を減らし、火力発電の燃料として輸入しなければならない原油や天然ガスへの依存を減らすためにも国内の原子力発電所を再稼働すべきだと主張していますが、小泉氏の立場については科学的でないと批判しています。

 

「彼は非常に劇的な人です。」

東京工業大学の先進エネルギー国際研究センター(AESセンター)の柏木孝夫教授がこう語りました。

「しかし彼には抱いてる感情の量と同じだけの原子力にかんする基本的な知識はありません。」

 

小泉氏が空母ロナルド・レーガンに乗り組んでいた米国海軍の兵士たちについて語るとき、どのような感情を抱いているのかはすぐにわかります。

黒やグレーのスーツ姿ばかりが目立つ日本社会の中で淡青色のギャバジン・ジャケットを着た小泉氏ですが、彼らが『トモダチ作戦』に従事し、その後日本を去ってから健康面できわめて厳しい状況に追い込まれてしまったにもかかわらず、それでも日本という国を愛していると語ったくだりに差し掛かると声を詰まらせました。

 

「彼らは、日本人を助けるために最大限の努力をしました。」

こう語った小泉氏は目にいっぱいの涙がたまったため、次の言葉を口にする前に一度深呼吸をしました。

「私はもはや日本政府の人間ではありません。しかし何もせずにいることなどできません。」

 

〈 完 〉

http://www.nytimes.com「A Maverick Former Japanese Prime Minister Goes Antinuclear」

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核廃棄物の問題に手をつけないまま、将来の世代にツケを回すことは許されないことであるはず【 日本の核廃棄物問題 – 埋蔵処分施設の可能性と危険性 】AP( http://kobajun.biz/?p=19159 )

という記事がありました。

再稼働を進めようとしている安倍政権は、70年前のことには異常な程のこだわりを見せますが、70年後の世代が直面させられるはずのゲンパツが出す核のゴミ、核廃棄物問題にはどんなこだわりも持っていないようです。

そして

廃炉、除染、放射性廃棄物を隔離保管する問題に、これ程苦しめられる事になろうとは、誰も考えていなかった【 フクシマのトリプル・メルトダウン後の世界 : 再び事実の歪曲が始まる 】フェアウィンズ( http://kobajun.biz/?p=26077)

という問題の存在も福島第一原発の事故後、ずいぶん早い段階から行なわれてきたはずです。

 

そのいずれにも革新の持てる答えが得られていないのに、

 

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【 市民の権利を歴史に刻み続けた生涯:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 】《2》

 

アメリカNBCニュース 1月16日

 

バプティスト派キリスト教の牧師であったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、人種的な正義の実現を飽くまで平和的手段にのみ訴え続け、市民権(公民権)運動を前進させました。

しかし彼は1968年、暗殺という最悪の暴力によって生涯を終えることになってしまいました。

1956年5月13日アラバマ州ントゴメリーの教会で説教をするキング牧師。(写真上)

 

1956年12月21日、キング牧師らが主導したバス・ボイコット運動に対し、最高裁判所が白人と黒人の扱いを平等にするよう命令が実行され、バスに乗るキング牧師と運動に参加した人々。(写真下・以下同じ)

1957年8月13日に、NBCのワシントン支局で報道番組「ミート・ザ・プレス」に出演の際、メーキャップされるキング牧師。

1962年8月31日ジョージア州のオールバニー刑務所から解放され自宅に戻る40人のシカゴ市民の合唱に加るキング牧師。

彼らは差別に抗議してシカゴ市役所の前で徹夜で祈祷の儀式を行ったとして逮捕された75人(大部分は聖職者)の中の人びとです。

1963年3月17日アトランタの自宅のキング牧師と妻のコレッタ・スコット・キング、そして子供たち。

)は彼らのアトランタ家に彼らの4人の子供たちのうちの3人と座ります。

子供たちは左からマーティン・ルーサー・キングIII世5歳、デクスター・スコット2歳、ヨランダ・デニス7歳。

http://www.nbcnews.com/slideshow/martin-luther-king-jr-n707546

 

【 原子力発電と戦い続ける一匹狼、日本の元首相 】《前篇》

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日本は原子力発電よりはるかに費用が安い太陽光発電などの再生可能エネルギーへ転換すべき

停止中の43基の原子炉のうち約30基まで再稼働させる、それが安部首相の目標

 

モトコ・リッチ / ニューヨークタイムズ 2016年12月31日

 

米国海軍の軍曹であったウィリアム・ツェラーは2011年、巨大地震と巨大津波がひきがねとなって福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンした際、日本に対する援助を行うため緊急任務に従事した数百人の海軍将兵のひとりでした。

帰国して間もなく、彼は体調に異変を生じ不調を訴えるようになりました。

 

現在彼には神経障害と骨腫瘍の異常な増大が認められ、その原因について彼はアメリカ軍の航空母艦ロナルド・レーガンの乗員によって実施された人道作戦に従事していた間の放射線への被ばくにあるものとしています。

彼を含むロナルド・レーガンの乗員400名は、彼らがり患した白血病と甲状腺異常などの原因が福島第一原発が放出した放射性物質に原因があるとして東京電力に対する訴訟を起こしていますが、今のところ彼らの担当医も米国政府もその主張を認めようとはしていません。

 

しかし1人の突出した人物が、これらアメリカ海軍の兵士たちを支援しています。

小泉純一郎氏、日本の元首相です。

小泉氏は2016年5月、米国のサンディエゴを訪れてウィリアム・ツェラー軍曹を含む海軍将兵に面会とした後、記者会見の席上で涙を流しながら記者会見に応じました。

帰国後小泉氏は数か月をかけて日本全国を旅し、彼らの医療費の足しにするため募金活動を行ってきました。

 

この通常では考えられないキャンペーンは、日本国内にあって原子力発電に対する最も積極的な反対運動のひとつであり、政界を引退した後にはっきりと態度を翻した小泉氏のまさに最新の象徴的行動でもあります。

首相在任中の2001から2006年、小泉氏は原子力発電の支持者でしたが、今や断固として反対する立場をとり、日本国内にある54基の原子炉すべてを永久に停止するよう求めています。

 

日本国内の原子炉は福島第一原子力発電所の事故後、いったんすべて停止し、現在もそのほとんどが停止したままです。

「私は日本における原子力発電ゼロというゴールを目指し、懸命の努力を続けるつもりです。」

小泉氏は東京都内の会議室で行われたインタビューで、こう語りました。

 

小泉氏の方針転換はそのままかつて自分も所属していた政権与党の自民党、そして現在の安倍首相に対し反旗を翻したことになります。

自民党も安部氏も、かつて日本の全電力の3分の1を賄っていた原子力発電事業の復活を推進する立場をとっています。

 

しかし小泉氏が原子力発電への反対姿勢を明確にしたことは、驚くべき事ではないのかもしれません。

小泉氏は日本の郵政事業の民営化を実現させるため、過去にも自身が所属する自民党と戦った経験を持っており、「ザ・デストロイヤー」と呼ばれていた時期もありました。

 

小泉氏が原子力発電に関する見解を180度転換させる宣言を行なったのは3年前のことです。

彼は日本が太陽光発電などの再生可能エネルギーへと、発電手段を転換すべきだと主張しました。

「これらの発電方法の中で、原子力発電より高額なものは何一つありません。」

 

引退後小泉氏は世間から忘れられたようにして最初の数年間を過ごしました。

しかしここ数か月は、自身の方針転換後の主張をより積極的に展開するようになりました。

そのきっかけとなったのがサンディエゴで面会した海軍将兵たちの心に訴えかけてきた言葉の数々であり、より多くの取り組みを行うべきだと考えるようになったのだと小泉氏が語りました。

 

[写真下 : 2016年3月時点の福島第一原発の北にある福島県浪江町の様子。安倍首相はかつて全電力需要の3割を担っていた日本の原子力発電について、本格的再稼働を行うと宣言しました]

放射線被曝が『トモダチ作戦』に参加した海軍将兵の疾病原因であるかどうかについて、科学者の間では見解が分かれています。

議会の諮問に基づくアメリカ国防総省の報告書は、これらの海軍将兵の病気は福島第一原発が放出した放射線による被曝に原因があるとすることについて、「信じがたい」と結論づけました。

 

多くの政治評論家が見る限り、引退後に小泉氏が行っている取り組みは首相在任中から一貫して続く他にあまり例のない姿勢に裏打ちされています。

率直な言い方で日本の官僚支配に対しては根本的な反対姿勢を明らかにする一方、エルビス・プレスリーを愛していることを情熱的に語るなどし、日本国内はもちろん国際社会の観衆をも魅了してきました。

 

原子力発電の本格的再稼働への決意表明をしている安倍政権が率いる自民党が衆参両議会の過半数の議席を制している現実を前に、小泉氏の反原発キャンペーンがどれだけの人々を惹きつけることが出来るのか疑問視する政治評論家もいます。

 

日本ではすでに2基の原子炉が本格的に稼働していますが、15年以内に全電力の20%を原子力発電によって賄うという安部首相の目標実現のためには、停止している43基の原子炉のうち約30基を再稼働させる必要があります。

尚、11基の原子炉については恒久的廃炉の措置が決定しています。

福島第一原発が事故を起こした1年後、西日本にある大飯原発の再稼働決定に対する怒りを表明するため、数万人の市民が東京都内の首相官邸近くの路上で抗議行動を行いました。

一般市民が路上でこれ程の規模の抗議行動を行う姿は見られなくなりましたが、世論調査の結果は

日本の有権者の約60パーセントが原子力発電を再開することに一貫して反対していることを明らかにしています。

 

「平均的日本人は、エネルギー問題にそれ程興味を持っているわけではありません。」

ノースイースタン大学の政治学のダニエル P.オルドリッチ教授がこう語りました。

「ただし原子力発電には反対です。そのために、原子力発電の再稼働を推進するという姿勢に変わりは無いため、政権の座から追われた民進党には投票する気は無いのです。」

 

〈後篇に続く〉

http://www.nytimes.com「A Maverick Former Japanese Prime Minister Goes Antinuclear」

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【 市民の権利を歴史に刻み続けた生涯:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 】《1》

 

アメリカNBCニュース 2017年1月16日

 

バプティスト派キリスト教の牧師であったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、人種的な正義の実現を飽くまで平和的手段にのみ訴え続け、市民権(公民権)運動を前進させました。

しかし彼は1968年、暗殺という最悪の暴力によって生涯を終えることになってしまいました。

1955年満員になったホールト通りのバプティスト教会で演説するキング牧師。(写真上)

 

1956年5月アラバマ州モントゴメリーの自宅でくつろぐキング牧師。(写真下・以下同じ)

1956年2月23日ラルフD.アバーナシー牧師とともに、モンゴメリー市警察の事情聴取を受けるキング牧師。

市民権運動を行っていたキング牧師は、バス・ボイコット運動を指導したかどで大陪審によって告発され逮捕されました。

バス・ボイコット運動◆黒人の地位向上運動の一環として行われたバスのボイコット運動。1955年12月1日、白人客に席を譲らなかったために黒人女性Rosa Parksが逮捕されたことを転機に、Martin Luther King Jr牧師らの呼び掛けで同月5日に実行された。当時、バスは黒人差別行為の温床の一つであった。( アルク http://eow.alc.co.jp/search?q=book より)

1956年3月22日モンゴメリ市の裁判所から出てきたキング牧師にキスする妻のコレッタ。

市バスをボイコットするという『陰謀』を企てたとして陪審員は彼を有罪にしましたが、裁判官はキング牧師を500ドルの罰金に処するという判決の審理を中止にする決定を下しました。

1957年5月17日ワシントンD.C.にある国立モールで、自由を勝ち取るために集まった数万人の群衆に向けて演説をするキング牧師。この日集まった群衆の数は25,000人と推定され、今日に至るまで最大規模の市民権デモンストレーションとして歴史に記録されることになりました。

http://www.nbcnews.com/slideshow/martin-luther-king-jr-n707546

 

【 トランプ次期大統領の激しい攻撃の的にされたCNN報道 】《後篇》

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クリントン追い落としのために、トランプ選挙対策本部とロシア諜報機関は『密接な』情報交換を続けていた

徹底的な調査を行い、ロシアの諜報機関を含め不正に関わった人間たちを追い詰めろ!

再びロシアのハッキングによって証拠が改ざんなどされる前に、真相の究明を急げ!

 

エヴァン・ペレス、ジム・シュート、ジェイク・タッパー、カール・バーンスタイン / 米国CNNニュース 1月12日

1月11日深夜に放送されたテレビ番組に出演したセス・メイヤーズとトランプ上級顧問であるケリーアン・コンウェイは、英国人の元諜報員が作成したとされるこの調査文書について全否定しました。

CNNは35ページに渡るこの調査文書の内容について再検証しました。

ただしこの中から問題となっている2ページの概要書は除外されました。

後にこの調査文書は、アメリカのインターネットニュース・メディアであるバズフィード(BuzzFeed)によって公開されました( https://www.documentcloud.org/documents/3259984-Trump-Intelligence-Allegations.html )。

 

この調査文書はオポジション・リサーチ(Opposition research : 対立調査。対立する立場の政治家やそのスタッフに不利益となる情報を収集するための作業。https://en.wikipedia.org/wiki/Opposition_research )として編集が始まりました。

始めはアメリカ大統領選挙の共和党内の反トランプ派の共和党員の依頼によって着手され、後に民主党のメンバーに引き継がれました。

この時点でCNNは調査文書の内容について詳しい報道をしていません。

この文書だけが何か特定の事実について立証しているという確認が取れなかったためです。

 

しかし今回の報道については、CNNは各情報機関、政権内の担当者、議会および法の執行機関ならびに諸外国の国政機関の上位に在籍している複数の高官、並びにこの文書記載内容に直接関係のある複数の民間人に直接話を聞くなどの作業を行ってきました。

 

この点についてロシア政府は、ドナルド・トランプに関する「Kompromat(コンプロマット)」(ロシア語で政治家や公的立場にいる人間を危機的状況に追い込む可能性がある情報 : https://en.wikipedia.org/wiki/Kompromat )を持っている事を否定しています。

 

この調査文書のいくつかのパートが回覧されるようになったのは2016年の夏にまでさかのぼります。

それ以降アメリカ政府の情報機関が行動を開始しこの調査文書を作成した英国の元諜報部員について検証を行うと同時に、彼がヨーロッパ全域に張り巡らせていた情報ネットワークについてもいちいち確認作業を行い、その情報の信頼性は高いと結論づけました。

その結果が現職の大統領と次期大統領に対する数日前の情報提供につながったのです。

 

そして次期大統領が米国の4つの情報機関の長官達から確認済みの情報について説明を受けた同じ日、上下両院の民主共和両党の議会のリーダー、同じく議会の情報委員会の4人の委員長、いわゆる「8人のギャング(Gang of Eight)」にトランプ次期大統領に関する調査文書の要約が手渡されました。

これをCNNに話したのはアメリカ政府、政府の情報機関、そしてオバマ政権でこの問題に直接関わっている担当者です。

 

2ページの概要書は、英国の元諜報部員が作成した調査文書の中の詳細な記述や情報源とは別に、あるいは情報収集方法にはよらずに作成されたものです。

そこにはこう書かれています。

2ページの概要書は、英国の元諜報部員が作成した調査文書の中の詳細な記述や情報源とは別に、あるいは情報収集方法にはよらずに作成されたものです。

そこにはこう書かれています。

『この概要書にはロシア側が行ったハッキングに関する機密扱いのレポート、ただし比較的広範囲の関係者に配布された報告書には記述できなかったほどデリケートな情報が記載されており、その情報は政府内でも重要な地位にいる少数の人間にのみ共有されるべきものである。』

具体的には現在の大統領、次期大統領、そして8名の議会指導者たちです。

 

加えてCNNは12月9日、ジョン・マケイン上院議員がFBI長官のジェームズ・コメイに提示した2016年6月から12月の日付のある書簡の完全なコピーを検証しました。

マケイン上院議員は当時モスクワに勤務していた英国の元外交官からこの書類の存在を知らされたのです。

しかし米国国家安全保障局の職員は、この時点ですでにFBIは英国の対外諜報機関であるMI6の元諜報員から、2016年8月までの日付のある書類をローマで受領済みであったとの証言を行いました。

 

今回の概要書の出典元となっている概略を綴った調査文書はこの元MI6の諜報員によって準備されたものです。

彼は1990年代にロシア駐在の外交官として勤務した後、現在は情報収集を専門とする民間の会社を経営しています。

彼の手になる調査は始め、共和党内の大統領候補者を決める共和党予備選挙が行なわれている間に、トランプの対立候補を支持するグループと個人によって資金を提供されました。

この点については多数の証言が得られています。

この証言を行った人々はトランプが正式に共和党の大統領候補となってからは、さらに詳しい調査を継続するべくヒラリー・クリントンを支持するグループと個人によって資金の供給が続けられたことも証言しました。

 

FBIの複数の広報関係者と国家情報機関のジェームズ・クラッパー長官はこの件に関するコメントは差し控えると語っています。

CNNに対する証言を行った政府や情報機関の関係者も、情報の中身が機密扱いであることから、同様に個人的な見解は明らかにできないと語っています。

しかし調査報告書に書かれた中身の内のいくつかは、大統領選挙の投票1週間前にマザー・ジョーンズで初めて公にされました。

 

オバマ政権の高官の一人がCNNに次のように語りました。
「私自身が感じているのはオバマ政権も各情報機関も司法機関も、みなこの問題に手をつけかねているということです。しかしこの問題は徹底的に調査される必要があり、不正に関わった人間たちを追い詰めていかなければならないと考えています。」
「私が懸念しているのは、いかなる真実がそこに隠されているにしても、必ず不正アクセスのターゲットにされるだろうということです。だからこそ正当な解析と評価を急ぎ、とるべき対応が取られるべきです。」

 

〈 完 〉

http://edition.cnn.com/2017/01/10/politics/donald-trump-intelligence-report-russia/index.html

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私自身大いなる誤解をしていた!と気づいたのはジョン・F・ケネディやロバート・ケネディ、ボブ・ディランやニール・ダイヤモンドやロバート・レッドフォードのような人間が『典型的アメリカ人』だと思い続けてきたことです。

それはアメリカを一面からしか見ていない、そう教えてくれたのがNHK・BSで放送された『オリバー・ストーンが語るアメリカ史』という番組でした。

その中では自国の利益のため、他国の市民には平気で過酷な運命を強いるアメリカの理不尽な姿が赤裸々に語られていました。

そしてリチャート・ニクソンやロナルド・レーガンに対し、厳しい評価が下されていました。

しかしドナルド・トランプの言動を見ていると、そのニクソンやレーガンですら一面では良識ある人々だったのだと感じます。

私たちはこれからの世界が、トランプやプーチンのような人間たちの思い通りにされていくことを黙認して良いのでしょうか?

 

私が始めたのは『信頼できる』と思う海外メディアの電子版の有料購読、ガーディアンへのサポート会員申し込みなど『良識ある議論』を守るために自分の小遣いを使うことです。

 

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【 1月4日の報道写真から 】

 

アメリカNBCニュース 2016年1月7日

 

イラク南部メイサン行政区にあるチャバイッシュ沼地に浮かぶボート。(写真上)

 

シリア北部のアルバブで武力衝突が発生したため、車に家財道具を積めるだけ積んで避難していく家族。(写真下・以下同じ)

1月6日、クウェート、クウェート市の南50キロメートル、クウェート砂漠で凧揚げをするアル・ペルシア・カイト・チームと付近で遊ぶ子供たち。

http://www.nbcnews.com/slideshow/saturday-pictures-holdiays-aren-t-over-everywhere-n704301

【 トランプ次期大統領の激しい攻撃の的にされたCNN報道 】《前篇》

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トランプの選挙対策本部とロシアの諜報機関は、大統領選で密接な協力関係にあった

複数の米国情報機関の長官、トランプの弱みを握る情報をロシアが隠している事を確認

ロシアの諜報機関はクリントン陣営に不利な情報のみを流布させ、トランプ当選を後押しした

 

エヴァン・ペレス、ジム・シュート、ジェイク・タッパー、カール・バーンスタイン / 米国CNNニュース 1月12日

 

ロシアの複数の諜報工作員によるトランプ次期大統領にとって不利な個人情報及び財務情報について記述したとされる機密書類が2017年1月初旬、オバマ大統領とトランプ次期大統領に提示されました。

この情報に直接関与したアメリカの複数の政府当局者がCNNニュースに伝えました。

 

その内容は、2016年に行われたアメリカ大統領選挙にロシアが干渉したとされる問題に関する報告書に追加された2ページの概要書に記述されています。

陳述された内容の情報源のひとつは英国の元諜報員が編集したとされる調査文書ですが、アメリカ政府内の情報当局者はこの英国諜報員の過去の仕事ぶりについて信頼するに足るものだったと語っています。

現在FBIはこの陳述された内容の信憑性と正確さについて調査を行っています。

当初その中身はロシア側の情報提供者がもたらしたものでしたが、トランプに関するメモの中にある重要かつ詳細な情報についての確認はまだ取れていません。

 

1月初旬に行われた極秘の会合で説明役に回ったのは、アメリカを代表する4つの情報機関の高官たちです。

国家情報機関のジェームズ・クラッパー長官、FBI長官のジェームズ・コメイ、CIA長官ジョン・ブレナンとマイク・ロジャーズNSA長官です。

 

これだけの国家情報機関の長官がこうした概要を次期大統領に説明するという通常は有りえない手続きをとった背景のひとつには、これらの情報の中身がすでに首都ワシントンにいるヴェテランの上下両院の議員や他の政府高官の知るところとなっていることについて次期大統領本人に警告する意味があったと、複数のアメリカ政府関係者がCNNに証言しました。

 

ロシアは大統領選に臨んだ両陣営に関する不利な情報を集積したものの、最終的には、ヒラリー・クリントンと民主党に悪い影響を与える情報のみを公表したことを、提出した概要書の中で述べています。

 

2ページの概要書については、アメリカ大統領選へのロシアの干渉について報告した米国情報機関の公式の報告書の本文に含まれるものではありません。

しかし情報機関長官たちの報告に関わった一部の政府当局者は、ロシア政府がクリントン陣営を不利な立場に追い込み、結果的にトランプ陣営が有利になるよう工作を行ったことを証拠立てるものだとCNNに話しました。

 

そして2ページの概要書にはもっと重要な指摘が含まれていることを、2人の国家情報機関の職員がCNNに話しました。

 

大統領選挙期間中、トランプ陣営の重要な立場にいた人間とロシア政府の代理人との間で、継続的に情報交換が行なわれていたというものです。

 

トランプの選挙陣営とロシア政府の諜報機関との間の『連携』に関する同内容の指摘については、昨年末すでにアメリカ議会のリーダーを勤める上下両院議員の手元にも送られました。

これを受け民主、共和両党の重鎮議員による秘密の状況説明会が行なわれ、その結果上院の民主党リーダー、ハリー・リード上院議員がコメイFBI長官に一通の書簡を送ることになったと、複数の関係者がCNNに証言しました。

書簡には次のように書かれていました

「これであなたがたが所持している衝撃的な内容の情報、すなわちドナルド・トランプと彼の最高顧問たち、そしてロシア政府との間に緊密な関係が構築されており、それはアメリカの国益に公然と反する外国の権益を証明するものであるということが明白になりました。」

 

CNNはこの概要書がトランプに提示された一連の文書の中に含まれていることまでを確認しました。

しかし実際にトランプが情報部長官たちと協議を行ったかどうかまでは確認を取ることはできませんでした。

 

トランプ政権の準備を行っている移行チームは、(CNNの)度重なるコメントの要請を断り続けてきました。

 

〈後篇に続く〉

http://edition.cnn.com/2017/01/10/politics/donald-trump-intelligence-report-russia/index.html

+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

 

この記事がドナルド・トランプが大統領に当然後初めて行った記者会見の席上、『Fake!(デタラメだ!)』と罵った記事です。

前編後編2回に分けてご紹介します。

追加報道があれば、それもご紹介するつもりです。

 

「大統領に就任したら、再び核兵器の開発製造をガンガンやるぞ!」

そう語った時点で、私の中でトランプの価値は最低のものになりました。

いくら大衆迎合主義とは言え、この複雑で難しい時代に、これほど乱暴で危険で無益な解決方法を言いだす人間に超大国の舵とりを任せて良いのでしょうか?

 

+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

 

【 1月4日の報道写真から 】

 

アメリカNBCニュース 2016年1月4日

 

アメリカワシントン州のタコマ、建物の壁にできたつららが部分的に凍結した噴水の水面に映し出されています。(写真上)

 

旧ユーゴスラビア連邦のマケドニアのドラン湖で漁網を手繰り上げる漁師。(写真下・以下同じ)

カナダのオンタリオ州オタワのリデュー運河脇の雪に覆われた小道を、犬を散歩させる女性。

http://www.nbcnews.com/slideshow/today-pictures-january-4-n703371

【 日本 – 裕福な国の貧しい子供たち 】《後篇》

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所要時間 約 6分

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子どもたちの貧困問題に対する安倍首相の取り組み姿勢は信頼できない

貧困問題について日本政府は民間の取り組みに任せっ放し、実質的には責任を放棄している

 

ジュリアン・ライオール / ドイチェ・ヴェレ 2016年12月22日

 

▽ 信頼できない…

 

全国子どもの貧困・教育支援団体協議会の世話人代表を務める青砥恭(やすし)さんは、安倍首相や安倍政権が子供たちの貧困問題を解消するため本腰を入れるとの約束について、信用することはできないと語りました。

「率直に言って、子どもたちの貧困問題にも全体的な貧困問題にも、安倍首相が真剣に取り組むつもりがあると私は信じることはできません。保守政党に共通しているのは貧困問題には関心が無いという事です。貧困問題は選挙の際、票の獲得にはつながらないからです。」

「政治家は常に、今現実になっている差し迫った問題の解決を求められています。そうした人間たちが現在の子どもたち、そして人々がこれから40年から50年という長い期間どのように暮らしていくのかをじっくり考える能力を持っているとは思えません。」

青砥さんはこう語りました。

 

そして青砥さんは次のように付け加えました。

「現在の制度の下では、こうした人々を実際に救済するシステムは機能していません。だからこそ私たちの組織は自主的にこうした隙間を埋めようと行動しているのです。」

 

 

特定非営利活動法人の豊島子どもWAKUWAKUネットワークの理事長を務める栗林知絵子さんは自身が暮らす地元の豊島区で、貧困にあえぐ子供たちのために『子ども食堂』の取り組みを全国で初めて行いました。

この取り組みは直ちに全国に広がり、現在では日本国内に300カ所の拠点が出来ました。

「私は教師でもありませんし、子ども育てるプロフェッショナルという訳でもありません。私はこの地区で自分の子どもを育てた一人の母親に過ぎません。」

栗林さんがこう語りました。

「私が子育てをしていた頃、しばしばおなかをすかせた子どもたちに出会いました。その子たちはその時間まで何も食べることが出来ないままでいたのです。私が最初に始めたのは、貧困のため高校進学をあきらめかけていた子供たちに対する学習支援でした。」

 

▽ 生きることに精いっぱいの毎日

 

「子供たちの1人は、現在の生活の中では勉強することもままならないと語りました。彼女は毎日母親から昼食代として500円ずつ受け取っていたのですが、実際にはそのお金ですべてをやりくりしなければならなかったのです。」

栗林さんがこう語りました。

子ども食堂は地元の子どもたちに栄養価の高い食事を提供し、一緒に快適な環境でくつろいだ時間を過ごすことができる場所を提供するだけでなく、ボランティアの大学生や高校生が進んで子供たちの学習のサポートを行っています。

 

しかしこうした取り組みだけでは問題の本質的な解決には至りません。

その理由の一つとしてこうした問題に詳しい専門家は、法定貧困レベルを下回る暮らしを強いられている子供たちの世話を日本政府がNGOなどに任せっぱなしにし、実質的には責任を放棄しているに等しい実情を挙げました。

「私は、日本政府がもっと多くの対策を実行すべきであり、そして今の日本の政治には貧困問題を解決していくための取り組みが明らかに不足していると考えています。」

 

栗林さんはこう語り、次のようにつけ加えました。

「しかし今や日本中の市民が子供たちの貧困問題が深刻になっているという事実を把握するようになっており、私たちが協力すればこうした問題を解決するために具体的な対策を採る必要があるという事も理解するようになりました。

子ども食堂などもそうした対策のひとつです。」

「これは、我々の子供たちの将来について考えるべき良い機会なのです。」

 

〈 完 〉

http://www.dw.com/en/japan-a-wealthy-nation-with-poor-children/a-36875397

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【 アイウィットネス(Eyewitness)目を奪われる光景 】

ガーディアン 2016年11月

 

11月16日ケニアのナイロビ郊外で焼却処分される大量の違法所持の銃。

国内に密輸される違法な銃の取り締まり強化の一環として、ケニア政府が行った措置です。(写真上)

 

11月15日、インドのカシミール地方スリナガル近郊で、秋の光の中でクリケットに興じる人々。(写真下・以下同じ)

11月14日、タイのチェンマイで始まった仏教行事灯篭祭りの初日、祈りを捧げるなったばかりの僧侶たち。

https://www.theguardian.com/world/series/eyewitness

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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