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事故前も隠蔽を繰り返し、事故後も隠蔽を続ける、それが日本の原発 – 100年災害!福島第一原発の崩壊《4》

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福島第一原発事故の真実を明らかにするための研究・科学的努力について、日本は国を挙げて妨害している

福島から避難した被災者の生徒が受けた差別は、広島長崎への原爆投下によって『被爆者』にされてしまった人々が直面した差別と同様のものである

処理済み放射能汚染水は実際には高レベルのストロンチウム90やその他の放射性物質で汚染されている可能性がある

『原子力、明るい未来のエネルギー』- 明るい未来とは双葉町・大熊町のゴーストタウンのことであったのか?!

                    

                   

トーマス・A・バス/ 原子力科学者会報 / フェアウィンズ 2021年3月10日

                      

放射線被ばくについて一般的に認められている安全基準は、年間1ミリシーベルトまたは1000分の1シーベルト以内です。
国によって基準は異なりますが、米国の原子力規制委員会は、一般市民の偶発的な放射線被ばく線量が自然界に存在する放射線量を上回る量を年間1ミリシーベルト(1,000マイクロシーベルト)以内に制限するよう、原子力発電所の運営者に要求しています。
年間のバックグラウンド放射線の制限値として、この数値はある程度国際標準になっています。
(比較のために記すと、バックグラウンド放射線の自然レベルは通常、年間平均で最大3.1ミリシーベルトの範囲に収まります。)

                     

しかし福島第一原発の事故後数ヶ月、日本政府が緊急事態に対処するためにあわててやったことは、この被ばく線量の許容値を引き上げた、それだけだったのです。(福島第一原子力発電所は廃炉にされることが決定し、現在そのための作業が行われています。
日本政府は現在、福島県の一般市民の偶発的な放射線被ばく線量が自然界に存在する放射線量を上回る量を年間20ミリシーベルトにまで引き上げた、アメリカの学術誌 Scientific Americanはこう報告しました。

                     

年間20ミリシーベルトという数値は、年間1ミリシーベルトという国際的標準値とかけ離れています。
許容被ばく線量20ミリシーベルトという数値は、福島県の子ども達は原子力発電所でフルタイムで働いている大人と同じ量の放射線にさらされる可能性があるということを意味します。

                    

福島の周辺地域を除く日本の他の地域の制限は、年間1ミリシーベルトのままです。
これはまるで被爆者の21世紀版ともいうべき状況であり、福島の許容放射線被ばく線量が一気に20倍にひきあげられたことに反対する人は誰でも『有害な噂 - 風評被害』を煽っていると批判されることになります。
中国や他の50カ国が放射能汚染の可能性があるという理由で福島県および周辺地域の食品の輸入を禁止した後、日本当局は激しく反応し、福島に関連するあらゆるものの取り扱いに対する日本政府の対応について批判をした人々は経済的妨害者のように扱われたのです。

                     

同様に、福島県から避難した人々は日本国内の他の地域で侮蔑的扱いを受け、それについて朝日新聞は「避難者の広範囲にわたるいじめと差別」の状況について報じました。

               

                    

こうした事実については英国の新聞ザ・インディペンダント(The Independent)も同様の見解を示し、
「福島から避難した避難者の生徒が受けた差別は、第二次世界大戦の原爆投下によって『被爆者』にされてしまった人々が直面した差別と同様のものである」と述べています。

                  

福島出身の女性は結婚相手として敬遠され、子供を福島第一原発からできるだけ遠ざけたいと願う妻と元の場所に戻ろうとする夫との間で新しい種類の福島型離婚という問題が出現しました。

                 

「原発事故の真実を明らかにするための研究・科学的努力について、日本は国を挙げて妨害している。」
核戦争防止国際医師会のドイツ支部共同議長を務める小児科医のアレックス・ローゼン氏がこう語りました。
「人類が共有することができる人体の健康への影響に関する公開された研究結果や文献はほとんどありません。これまで公表されているものは、日本国内で『ミスター100ミリシーベルト』の異名を持つ山下俊一氏を中心とする福島県立医科大学の少数の研究者グループが行ったものだけです。」

                       

山下氏は福島第一原発崩壊の巨大災害の初期日本政府のスポークスマンを務めており、2013年に辞任を余儀なくされる前に2年間福島県内で行われた健康調査を主導していました。
福島第一原発の事故以前の山下氏自身の研究とそのスタッフへの指導に反して、山下氏は100ミリシーベルトの放射線被ばくは無害であると日本国民に伝えました。
そして甲状腺がんを予防するためのヨウ素錠剤投与をしないよう勧め、放射線障害に対する最善の予防方法は笑顔で幸せに暮らすことだと主張したのです。

                   

                

今も事態の悪化が止まらない福島第一原発では、事故収束・廃炉作業のために毎日4,000人が働き続けています。
彼らは、損傷した建物の崩壊を防ぐのに苦労しながら、冷却水を炉心と燃料プールに送り込み続けています。
その結果オリンピックサイズのプール480杯分に相当する10億リットル以上の汚染水が、敷地内の錆びたタンクに貯めこみ続けなければならなくなりました。
東京電力は、このタンクの設置スペースが不足していると主張し、この水を直接海に放出することを計画しています。

                          

東京電力はこれまでずっと、比較的安全であると言われている水溶性の放射性同位体であるトリチウムを除き、福島第一原発の敷地内に貯蔵された水から放射性物質を除去したと主張してきました。

                     

しかし2014年、東京電力は汚染水の処理プロセスが失敗したことを認めざるを得なくなり、福島の処理済み放射能汚染水は実際には高レベルのストロンチウム90やその他の放射性物質で汚染されていることが判明したのです。

                

実は福島第一原発は操業開始当初から、近くの山から流れ落ちて工場内を流れる地下水を封じ込めるのに苦労していました。
今日の福島第一原発の敷地の下は、ストロンチウム、トリチウム、セシウム、その他の放射性物質で汚染された地下水と冷却水、すなわち放射能汚染水の泥地と化しています。
エンジニアは水路、ダム、排水ポンプ、および排水溝を張り巡らせてきました。

                            

2014年、東京電力は福島第一原発の地下を氷壁で囲むために300億円の公的資を与えられました。
凍土壁計画です。
しかし日本の原子力規制委員会はこのプランも失敗に帰したと認めています。
「効果があったとしても限られたものでしかなかった。」
原子力規制委員会委員長がこう認めました。

                 

http://www.tepco.co.jp/decommision/planaction/landwardwall/index-j.htmlより

                     

                       

2019年、日本経済研究所は福島第一原発の事故収束・廃炉作業にかかる費用は約80兆円に達する可能性があると推定しました。
しかし現実問題として、それで福島第一原発の事故崩壊がすべてカタがつくはずがありません。
溶け落ちた放射性核燃料、放射能に汚染されたコンクリートの残骸や金属片などはこれから何万年もの間、人が近づけばたちまち死に至る放射能を帯び続けます。

                     

チェルノブイリでは溶岩の塊のような溶け落ちた核燃料の塊は「ゾウの足」と呼ばれ、コンクリートを山のように盛り上げた下に埋め込まれました。
『石棺』と呼ばれるこの方法は一度では放射能を抑え込むことができなかったため、欧州連合が約1,600億円の資金提供して2度目の作業が行わました。

                  

まるで原子力発電の失敗の象徴を作るかのような方法を嫌った日本は、福島に同様のコンクリートの石棺を建設することを拒否しました。
その代わりに東京電力は、いまだ考案もされていない可能かどうかもわからない技術を使ってメルトダウンした原子炉から溶け落ちた核燃料を搔き出し、確保の見通しもない最終処分場に永久に保管することを計画しています。
それまでの間、福島第一原発は日本の太平洋岸に開いたままの傷口のように鎮座し続けるでしょう。

                      

一度は避難していなくなった住民を福島に呼び戻すために、2つの施設が作られました。
福島第一原発のすぐ南にある富岡町内には、かつてのエネルギー博物館が東京電力廃炉資料館と呼ばれるものに改築されました。
1つのフロアでは東日本大震災の災害シーンを再生する映画を上映し、別のフロアでは東京電力による『廃炉作業の進捗状況』を伝えています。
一方。、日本政府は福島第一原発の真北にある双葉町に東日本大震災・原子力災害伝承館という名称の3階建ての建物を建てました。

                 

                        

                    

福島第一原発・第二原発の労働者で賑わうかつてのブームタウンであった双葉町のメインストリートには大きなアーチ型の看板が設置され、太字で「原子力:明るい未来のエネルギー」と宣言していました。

                    

大沼雄二さんは中学3年生の時、課題を与えられこのスローガンを考えました。
大沼さんは町から表彰されました。
現在、大沼さんは福島から遠く離れた場所で暮らし、ソーラーパネルを設置する事業を営んでいます。
そして震災から数年後のある日、双葉町を訪れました。
その時の写真には、白い防護服を着込み、ブーツ、帽子、フェイスマスクを身に着けた大沼さんが写っています。
大沼さんの後ろには、崩れかけた建物が立ち並び、雑草が生い茂る双葉町のメインストリートが見えます。
大沼さんは東京電力の費用負担によって設置されたアーチ型の看板の上に、自分で制作した赤い文字が書かれたプラカードをかがけました。
そこには『原子力:制御できないエネルギー』と書かれていました。

                  

この後、アーチ型看板は撤去され、双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館内に保管されています。

                       

大沼さんはこの看板が廃墟と化した故郷の町に再び設置され、『明るい未来』とはこのゴーストタウンの姿であったのか、人々に問いかけ続けるよう望んでいます。
そして当時の原子力発電の推進が正しかったのかどうか、人々が答えを出すよう願っています。

                  

                          

町中に再び設置されることは無理でも、この看板が少なくとも原子力災害伝承館内に展示されることを願っています。
「私は間違ったスローガンを作りました。」
彼は最近、アメリカからやってきたインタビュアーに語りました。
「でも、生きている間に自分の間違いに気がついて良かったと思っています。」

                        

《完》
https://www.fairewinds.org/demystify/fukushimas-first-decade-in-a-100-year-long-catastrophe?ss_source=sscampaigns&ss_campaign_id=604974fba3438c548995b0b4&ss_email_id=60497ef445867a5842acaa5a&ss_campaign_name=Fukushima%E2%80%99s+First+Decade+in+a+100-year+Long+Catastrophe&ss_campaign_sent_date=2021-03-11T02%3A22%3A59Z
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