ホーム » エッセイ » 【 若者たちはどこへ消えた?! : 日本の人口動態 】《後篇》
70歳以上の住民の数が、10歳以下の子供たちの5倍以上になってしまった東京都郊外の町
公共料金も無料学校給食費も無料、公営住宅の家賃は定住すれば15年後に全額返還 - さて若い世代は集まるか?
エコノミスト 2017年1月7日
多摩川を上流に向かって川沿いをたどっていくと、徐々に山道となり最終的に奥多摩と呼ばれている小さい町に到着します。
そこには多摩市が何とか避けようとしている現実があります。
1950年代、人口が急速に増え続けた東京は深刻な水不足に陥り、水源の確保が緊急課題になりました。
その結果貯水池を造るための労働者が奥多摩に群がるようにして集まってきました。
しかしその時をピークに人口は縮小を続け、高齢化も進行しました。
奥多摩地区の町村では現在、全人口の47%が65歳以上の高齢者、そして少なくとも26%が75歳以上の後期高齢者です。
子供たちの数は目に見えて減少し、小学校の大きな建物の中には収容できる人数の4分の1の子どもたちしかいません。
70歳以上の住民の数は10歳以下の子供たちの5倍以上になっています。
そして奥多摩の住民たちは長命であると同時に頑固でもあるようです。
地元自治体の都市計画・財務部長の森田宏樹さんは、奥多摩の一部の町村は公共サービスの提供の維持すら難しくなる程その規模が縮小してしまったと語りました。
もし自治体の統合合併が実現し規模が大きくなれば、住民にとって、そしてそれ以上に自治体組織にとってこれ以上の事は有りません。
しかしたとえその場所が吹雪が吹きつけるような厳しい環境にあっても、高齢の住民はさびれてしまった村落を離れることを頑なに拒否し、それぞれの町村職員は手持無沙汰なまま日々を過ごしています。
森田さんはインターネットと宅配便の普及により、高齢者の僻村での生活が可能になっていると指摘しました。
奥多摩地区では農業の振興を図りました。
ひとつがその生育に環境が適しているワサビの栽培です。
そして無料の予防接種、学校給食の無料化、そして公共交通機関の料金を無料にすることにより子供を持つ世代の定住を量ろうとしました。
しかしどの政策も人口減少と高齢化を食い止めることはできませんでした。
そのため現在は住居を無償で提供することを宣伝しています。
森田さんは現在、地区内では約450軒が空家になっているものと見積もります。
森田さんはこれらの住宅の所有者が固定資産税を支払わなくてよいようにするためにも、こうした家屋を地元自治体に寄付してくれるよう働きかけています。
地元自治体はこうした家屋を若い夫婦に貸し出し、有効活用したいと考えています。
賃貸をしていた家族が15年間定住すれば、その間に支払った家賃は全額払い戻されることになっています。
奥多摩町は急峻な山地の中に位置し、眺望は素晴らしいものの決して暮らしやすい場所ではありません。
町の中の家々は美しいと感じる程の伝統的な日本家屋と言う訳でもなく、快適な暮らしを提供してくれる近代的な建物でもありません。
第二次世界大戦(太平洋戦争)後に作られたこれらの建物のサイディングはプラスチック製で、いつもガタピシ言っています。
しかし都心から約2時間で来れるこの場所で、有利な条件で住宅やサービスの提供を受けられるのであれば、やって来る若い家族がいるかもしれません。
そして奥多摩にはさらにもう一つの計画があります。
通ってくる生徒がいなくなったために廃校になったかつての中学校の建物は、現在日本語の専門学校になりました。
何カ国かに提携先を持つ教育会社であるジェリーフィッシュ社は、東南アジア、西南アジアからの若い卒業生に日本語を教えるために、現在この建物を使っています。
この教育施設に所期の目標通り、120人の学生に加え学校職員も加われば、今や20歳代の人口が350人以下というこの町にとって、様相は一変することになるでしょう。
学生の中にはこの町に定住する人が出てくる可能性すらあるのです。
さらなる本音を言えば、それが実現するように出入国管理方針の自由化も実現してほしいと考えているのかもしれません。
〈 完 〉
http://www.economist.com/news/asia/21713868-there-arent-many-and-cities-are-growing-desperate-desperately-seeking-young-people?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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【 市民の権利を歴史に刻み続けた生涯:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 】《4》
アメリカNBCニュース 2017年1月16日
1964年7月2日ホワイトハウスのイースト・ルームで歴史的な市民権法案に署名した後、そのペンをキング牧師に手渡すリンドン・B・ジョンソン大統領。(写真上)
1964年12月11日ノーベル平和賞の受賞が決定し、詰めかけた数百人が松明を掲げて祝福する中、恒例となった受賞演説を行うためオスロ大学のフェスティバル・ホールに向かうキング牧師と妻のコレッタ。後に続くのは最も緊密な同志であるラルフ・アバーナシー牧師。(写真下・以下同じ)
1964年6月17日フロリダ州セント・アウグスティンの記者会見場で行動計画を発表した後、汗を拭うキング牧師。
彼は席上、こう語りました。
「行動計画は様々な点で、この場所以上に熱いものだ。」
1965年2月15日にアラバマ州セルマにおける選挙人登録運動の一貫として、1,000人が参加し整然と行われた裁判所へのデモ行進で、先頭を歩くキング牧師。
1965年3月1日アラバマ州ラウンズ郡ヘイネイビルの裁判所で、キング牧師に向かって指を突きつける郡職員のカール・ゴルソン。
選挙人登録手順について尋ねたキング牧師に対しゴルソンは、今も将来もキング牧師がラウンズ郡の有権者ない以上、
「あんたには関係の無い話だ。」
と答えました。
http://www.nbcnews.com/slideshow/martin-luther-king-jr-n707546