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【 福島第一原発の被災地、安全が確保されたと言えるのか?】《後篇》[GRD]

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所要時間 約 10分

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住民は町内各所に突出して放射線量の高い場所を確認、除染のやり直しを求めている
4年半もの間放置せざるを得なかった家の中は動物の糞だらけ…とても人間の住める場所ではなくなってしまった
美しかった故郷はもう二度と元通りにならない…解っているのはそんなことだけ…

 

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2015年10月12日

楢葉町住民01
渡部さんの自宅も地震で被害を受けました。
4年半の間無住だった家は害獣のすみかと化していました。
「家の中は動物の糞だらけです。とても人間の住める場所ではなくなってしまいました。」
56歳になった渡辺さんがこう語りました。
「古い家は取り壊し、同じ場所に家を建て直して、5年か10年以内には妻と一緒に戻ってくるつもりです。」

「将来この場所がどうなるかは全く分かりません。でも二度と元通りにならない事だけは解っています。
住民の多くが70代、そして80代です…30代や40代の人、特に幼児がいる家庭は、誰もこの場所に戻ってくることに関心を示しません。」
「この町は本当は風光明媚な美しい場所なのです。でも生きていくのには全く適さない場所になってしまいました。」

楢葉町の担当者は住宅地、学校、店舗、そして公共施設の周囲から汚染された土を除去する面倒な除染作業が完了したと語っています。
しかしおよそ100世帯が自宅周辺に放射線量が突出して高い場所があると報告し、除染作業のやり直しを求めています。

 


行政側の調査では、町内の放射線量の平均は1時間あたり0.3マイクロシーベルト、年率に換算するとちょうど3ミリシーベルト(mSv)未満ですになっています。
この数値は1年につき1mSvという日本政府が設定した「野心的」目標より若干高めです。
この目標については専門家が非現実的な程低いと批判していました。
専門家は被ばく線量が年間100ミリシーベルトを上回らなければ、ガンを発症する確率は極めて低いとすることでほぼ一致しています。

「私たちが目指しているのは。全世代が戻って来てくれることです。しかし、確実なスケジュールなどは存在しません。」
住民の帰還に向けて取り組みを続ける80人の楢葉町職員のうちのひとり、猪狩祐介さんがこう語りました。
「住民の中にはもう5年、10年、あるいはもっと長い間待ち続ける人がいるかもしれません。」

「私たちは他の市町村の復興のモデルケースになりたいと思っています。楢葉町の住民の生活再建が実現しなければ、他の市町村はなおさら復興は難しくなるでしょう。私たちはの点について、大きな責任を感じています。」

請戸04
私たちは福島第一原発の危機が頂点に達していた時に重要な役割を果たしていた人々、そして住んでいた場所が放射能に汚染されたために避難を余儀なくされ、未だに生活再建を果たせない原発難民の人々と話す機会を持ちました。

小泉新平さんは楢葉町で家族と一緒に生活を再建することが現実味を帯びている、数少ない住民の中の一人です。
「楢葉町に戻って生活を何とか再建できるよう、母と娘は家屋の修理を私に嘆願しました。しかし他にこの場所で生活再建をすることに同調する人を見つけることはできませんでした。」
現在65歳の大工職の小泉さんがこう語りました。
小泉さんは地震でだめになった自宅の屋根瓦を葺き替え終わったところでした。

しかし小泉さん自身は家族と行動を共にしようとはせず、いわき市内での仮設住宅暮らしを続けています。
「もう水道水を飲んでも大丈夫だと言っていますが、私には信じられません。2、3のコンビニエンスストアと自動販売機以外、生活のために必要な品々を賄えるだけの店舗もありませんし、近所には誰も住んでいません。ここに留まっている方がまだましなのです。」

楢葉町が史上最悪の原子力発電所事故の被災地であるという証拠は、町の周辺部一帯に衝撃的な光景を生み出しました。

楢葉町05
低レベル放射性廃棄物を詰め込んだ約580,000個の黒い袋が、かつて有数の米作地、そして畑作地であったその場所を埋め尽くすようにして置き並べられています。
米や野菜は例え生産することが可能になったとしても、『福島産』というだけで収穫されても販売には厳しい状況が続いており、その場で朽ち果てるしかないという状況が続いています。

しかし今、町内の各所で市民生活再建に向けた静かな胎動が始まりつつあります。

スーパーマーケット1店舗と現金自動預け払い機コーナーに加え、コンビニエンスストア2店舗が営業を再開しました。
間もなく地元の郵便局も再開される予定です。
11月には住民は新しい健康センターで健康相談を、信用組合で金銭的な相談ができるようになります。

日本政府は福島第一原発のすぐ近くの汚染のひどい場所を除き、2017年3月までにすべての地域で避難命令を解除することを目指しています。
そのため帰還した家族には1世帯につき、最高100,000円の補助金を提供することになっています。

福島県内の他の市町村同様、楢葉町においても原発事故の責任について住民の意見は様々です。
東京電力に対する批判が多いのは当然ですが、原子力発電所が立地したことで多額の補助金が交付され町が潤い、雇用も充分に確保されていた事実を皆が覚えています。

楢葉町06
「私は事故は誰の責任でもないと思っています。」
渡部さんがこう語りました。
「この町には東京電力からたくさんのお金が流れ込みました。そのおかげで私たちは豊かな暮らしを享受してきました。原子力発電所が立地しない市町村と比べ、金銭的にも条件的にも有利な状況にあったはずです。」

7代にわたって同じ家で暮らし、農業を営んできた山内さんも非難を口にしようとはしません。
山内さんは先代の人びとも大切にしてきたこけしや達磨に囲まれているだけでほっとすると語りました。
「起きてしまったことに腹を立てても、くよくよしても始まりません。」
「そんなことをしても何も変わりません。とにもかくにも私たちがしたいのは、生活の再建、そのための具体先な作業を始めることなのです。私たちは故郷に戻りたいとずっと思ってきました。ここが私たちの家なのですから。」

〈 完 〉
http://www.theguardian.com/environment/2015/oct/12/safe-at-last-view-from-naraha-the-first-fukushima-community-declared-fit-for-humans
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【 放射能汚染がれき : 福島第一原発の指定避難区域の今 】《2》

ガーディアン 10月15日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

2015oct05
これらは福島第一原発から20km圏内の不気味な光景です。
2011年3月、巨大地震と巨大津波が東日本に壊滅的被害を与え、福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンした結果、生み出された光景です。
カメラマンのアルカディウス・ポドニーシンスキが防護服に身を固め、ゴーストタウンとなった双葉町、浪江町、富岡町の写真撮影を行いました。
無人飛行機で撮影した低レベル放射性廃棄物を詰め込んだ袋置き場の写真。場所を節約するため、袋は何段にも積み重ねられています。(写真上)

食事が始まる直前の事故発生により、そのまま打ち捨てられた宴席。
1986年のチェルノブイリの事故以降最悪となった福島第一原発の事故の被災地から、放射能汚染を取り除く気の遠くなるような巨大な仕事が続けられています。
数千数万の作業員が福島県内各地に散らばり、土地の表面を削り取り、家建物の壁や屋根をこすり洗いする作業を延々と繰り返しています。(写真下・以下同じ)
2015oct06
放置された車両を包み込むように生い茂る雑草。
元住民の人々は、30年たてばここが再び人間が住める場所になるという日本政府の見解を信じようとはしません。人々はこの場所が永遠に汚染されてしまったのではないかと、懸念を深めています。
2015oct07
生徒、住民、自衛隊員や除染作業員などが寄せ書きをした中学校の黒板。
2015oct08
http://www.theguardian.com/artanddesign/gallery/2015/oct/11/radioactive-wreckage-inside-fukushimas-nuclear-exclusion-zone-in-pictures

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