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高齢化が進む日本【日本だけでは、もう解決できない?!】

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世界で最も高齢化が進む社会、どうすれば『人口構成の危機』を乗り越えられるのか?

アルジャジーラ 11月9日


日本は、人口構成の危機に直面しています。
国民の高齢化と出生率が低下し続けることにより、日本の人口は減少を続けています。

今から20年後、日本では高齢者が15歳以下の子供たちの4倍という規模に達することになります。
今や日本では大人用紙おむつの販売数量が、赤ちゃん用の紙おむつの販売数量を上回ってしまっている、事態はそれ程深刻になっています。

昨年日本全国の人口は250万人という記録的減少により、1億2,780万人になりました。
そして2060年には、現在の3分の2にまで、すなわち8,700万人にまで減少すると見られています。
そしてそのうち40%が、65歳以上の高齢者となる見込みです。

人口構成のゆがみは、ひとつの大きな社会問題を作り出しました。
『孤独死』の問題です。
これは1980年代に表面化した日本特有の現象で、近年になり増々頻繁に見られるようになっています。

日本では400万人の高齢者が、一人暮らしをしています。
一方で高齢者の介護を自分たちで行うことにした家族は、しばしば社会からの孤立感に悩み、やがては自分自身をも追いつめてしまう場合があります。


日本の高齢化に伴い、政府は現役の労働人口が縮小していくにも関わらず、増え続ける年金の支払いを確実なものにしていかなければなりません。
現在の社会保障制度を維持するため、政府は消費税率を現在の5%から引き上げ、さらに年金の支払い開始時期を遅らせるため、労働者の退職年齢を70歳にまで引き上げようとしています。
しかし高齢者の福祉の現場や病院で働く人々は、不足する労働人口を補うためには、もっと積極的に外国人労働者の受け入れを行うべきだと考えています。

一方で、高齢者の増加という国にとっての痛みが、新たなビジネスチャンスにつながる場合もあります。
数々の企業が、『シルバー¥(円)』と名付けた拡大を続ける高齢者市場を狙い、高齢のため自分では歩けなくなった人のための、二足歩行ロボット型の高齢者用アンドロイド歩行器の新技術開発などにしのぎを削っています。

日本は果たして、高齢化する社会、縮小する人口というふたつの厄介な問題を克服することはできるのでしょうか?

この記事には約25分間の動画が付属しています。動画を見るには、下記のアルジャジーラのリンクをクリックしてください。
http://aje.me/VQcgy2

http://www.aljazeera.com/programmes/101east/2012/11/2012115114958294318.html
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「老後は健康的に、不安の少ない穏やかな暮らしがしたい…」
「安心して子供を産み育てられる社会にしてほしい…」
こうした人間として、当たり前の願いに対し、近づく衆議院議員選挙では
「TPPに参加して、日本の産業構造を一変させる必要があるのだ!」
「憲法を改正して、軍備を増強せよ!」
「無制限の金融緩和を実施し、外資のハゲタカどもをどんどん日本に連れて来て、経済を活性化させよう!」
などという、およそ国民の願いからは遠い主張を、日本の『2大政党』の党首がぶつけ合っています。

福島第一原発では、今後どのように事態が展開するか全く予断を許さない状況なのに、その対応を東京電力まかせにしたまま、憲法改正までして軍隊・兵器を増強せよ、というのは一体どういう政治感覚なのでしょう?
中国が無人島周辺をうろつく事は許せないが、守るべき国土に放射性物質が大量にばらまかれ、何万人もの人々が住んでいた家を、大切な故郷を追われたことは、「仕方が無い」と言うつもりなのでしようか?

これについて『政治の劣化』などという、抽象的であいまいな表現にとどめて良いものなのかどうか。

その上、自民・民主に通じる「我々の主張に同調しない『異分子』は断固排斥する!」という感覚が、非常に気がかりです。
1930年代にナチスの取材を行った故ドラッカー氏は、「この連中は将来必ず、ユダヤ人排斥をやる。」と確信したそうです。
そして実際どうなったかは、皆さんもよくご存知の通りです。
「排斥」から始まったユダヤ人への迫害は、「絶滅」にまでエスカレートしてしまいました。

私は一国の政治を担う、という行為はやりがいはあっても、地味で忍耐ばかりが必要な仕事だと思っています。
立場が違う人々との話し合いを延々と繰り返し、時に受け入れ、時に説得する。

ところが日本では徹底的にポピュリズムに走った首相が、国民の支持率60%などという『実績を作った』ため、以後そんな着実な姿勢は顧みられなくなったように感じます。
政治の劣化とはその過程を指す言葉でしょう。

宮城谷昌光氏の小説を読んでいて興味深いのが、中国や日本の人々が「言葉により強く感応する」人種であるようだ、としている点です。
古代、殷帝国では、行く手の地面に埋設された災いを言の葉の力によって取り払うため、呪文を唱えながら巫女の集団が軍隊の先頭を進んだそうです。
氏の小説の一編に、このシーンが出てきます。

今回の衆議院選挙は、実態のある政治構想とは思えない「言の葉」合戦に堕している観があります。
『脱原発』は免罪符の代わりになり、その証拠に『脱原発』を標榜していた『第3極』の政党が、核兵器装備を主張する右翼の大物と合従連衡したりしています。
今回の選挙戦は、あたかも『言ったが勝ち』の様相を呈しています。

『脱原発』に象徴される、国民を犠牲にしてまで経済利益を追い求めるシステムを打破する取り組み。
少子化や、高齢化について、統計ではなく、国民一人一人の問題として解決を考える。

そのために、地味に忍耐強く、真摯に取り組もうとする人々を国政の場に座らせる必要があります。
「言の葉」の効果で国民を誑(たぶら)かす、あるいはこの国を危険で陰惨な結末に向かわせる政治は、Enough is enough - もうたくさん。

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メイシー百貨店・サンクスギビング・パレード、目で見る歴史

アメリカNBCニュース 11月23日
(掲載されている写真は、クリックすれば大きな画像をご覧いただけます)


1.[とびだせフェリックス]
サンクスギビングデイに、ニューヨークの目抜き通りをメイシー百貨店のアトラクションがバレードする催しが始まったのは1924年のこと。
以来もう何十年もの間、人々が待ち望む年中行事として続けられています。
1927年、史上初の巨大バルーンとしてメイシー百貨店が選んだのは、8年前に無声映画でデビューした飛び出せフェリックスでした。


2.[海底2万マイル・ネモ船長]
1929年11月28日にニューヨーク市内をの通りを進むのは、ジュール・ベルヌ小説『海底2万マイル』の潜水艦ノーチラス号のネモ船長の巨大風船です。
初期の巨大風船は風紀で膨らませ根、結びつけたひもを引っ張って進めていました。
1929年にはパレードの最後にひもを離し、この風船をメイシー百貨店まで持ち帰った人に報酬が支払われました。しかし1932年に飛行機を使ってこの風船の回収を試みたところ、危うく風船にぶつかりそうになり、この回収イベントは中止になりました。


3.ミッキーマウス
1934年、メイシーのパレードの巨大な風船になって姿を現した最初のディズニー・スターは、ミッキーマウスでした(もちろんですよね)。巨大なミッキーは15メートル上の高さがありました。
製作したのはグッドイヤー社でした。
風船のロープを持っている人々の姿をよくご覧ください。全員がミッキーとミニーマウスのコスチュームを着ていますよ!


4.デディベア
1945年11月23日のパレードが、ニューヨークのタイムズスクエアを通過している場面です。
1941年、サンクスギビンクのパレードが第二次世界大戦のために中止されて以来、再開後初のパレードでした。
テディベアが自由の女神のレプリカの脇を通過しています。


5.スーパーマン
鳥だ!いや、飛行機だ! いや、スーパーマンだ!
スーパーマンの巨大風船がメイシーのパレードに登場したのは1939年でしたが、漫画『アクション・コミックNo.1』に登場したのはその翌年でした。
スーパーマンの人気は何年経っても衰えを見せません。
この写真の第2回は1966年に、そして1980年には第3回目の登場を果たしました。


6.ポパイ
1960年代前半はポパイの絶頂期、メイシー百貨店のパレードにもたびたび登場しました。ほうれん草をむしゃむしゃ食べる水夫のポパイ、パレードに初めて登場したのは1957年でした。


7.ミレニアム・スヌーピー
20世紀最後、1999年11月25日のパレードに登場したのは、ミレニアム・スヌーピー、スヌーピーとしては5代目です。


8.ロナルド・マクドナルド
2002年11月28日、76回目となったパレードがタイムズスクエアを進みます。 この年は13個の巨大風船が登場しましたが、このファーストフード・チェーンのマスコットの姿もありました。


9.ピカチュウ
2005年11月24日にブロードウェーに沿って進む、テレビゲームのポケモン・シリーズのキャラクターです。


10.そして、こどもたち
大勢の子供たちが、パレードを見るために集まって来ました。1960年代初頭の寒い感謝祭の日、電話ボックスによじ上っている子供の姿も見えます。

フクシマ、あらゆる立場の人々が、大きな苦しみを背負うことになってしまった…

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福島第一原発、事故現場で働く人々の後悔、そして罪悪感
【原子力大災害の第一線で戦う男たち、「福島の50人」のその後】
故郷の町や村を守りたい、その一念で現場に踏みとどまった人々

エコノミスト 2012年10月27日


大事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所の所長だった吉田正夫氏はかつて、友人にこう漏らしたと言います。

「まるで硫黄島にいるような気分だった。」

第二次世界大戦中の1945年、北太平洋上のこの島を守っていた日本軍は、アメリカ軍を相手に英雄的な、しかし絶望的な戦いを繰り広げた後、降伏すべく運命づけられていました。

しかし吉田所長の下で働いていた吉沢敦文さんと福良正敏さんは、その時のことをそのようなドラマとしては語りませんでした。
災害発生後、海外のメディアによる初めてのインタビューで、彼らは『福島の50人』と呼ばれた人々の使命感について語ってくれました。

3月11日に襲った巨大地震と巨大津波がきっかけとなり、福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンを引き起こして以来、日ごとに、そして一時間ごとに放射線量が上がり続ける中、彼らは文字通り命を懸けて事故の収束作業に取り組んできました。
彼らを突き動かしたものは、自分たちの家族も暮らしている周辺の町や村を守りたい、その一念だったのです。


それ程の思いで取り組んだ『福島の50人』の戦いでしたが、もとより勝てるはずもありませんでした。
そして自分たちの戦場から戻った時、彼らは言いようのない、整理できない感情に苦しめられることになったのです。

恥ずかしいと思う気持ち、そして罪悪感。

10月初旬、野田首相が福島第一原発を訪れ、謝意を表するため彼らと一堂に会した時、その感情ははっきりと形を表しました。
すでに事故発生から18カ月が経過し、野田首相は彼らの勇気ある行動を称える機会が来るのを長い間待ち望んでいました。

ひとりの男性が3月11日以降の、極度の混乱状態の中で撮影した数枚の写真を首相に渡しました。

作業員の命すら奪いかねなかった原子炉建屋の爆発。
真の闇の中、凍えながら、そして感電の危険を冒しながらの電源の復旧作業。
辺り一面散乱する放射能にまみれたがれきや残骸。
口に入るものと言えば水とビスケットだけの日々…


しかし、次の瞬間、信じられないような光景が繰り広げられました。
同行したメディアのスタッフが写真を撮ろうとした瞬間、8人の内6人までもが顔を隠したのです。
そして、自らの姓名を決して明かそうとはしませんでした。

東京電力は長い間、内外のメディアの緊急作業員の人々に対する、インタビューの申し入れを断り続けて来ました。
しかし破壊された福島第一原発が政府の管理下に入った現在、この『エコノミスト』が初めて、2人の職員に、直接話を聴くことを許されたのです。

ヒロイズム – 個人的勇気に関する話題は、団体行動に徹しようとする習慣が支配する日本社会では、きわめて扱いにくい性質のものです。
ましてありとあらゆる立場から批判されている東京電力に雇われている身とあっては、なおさらのことです。
福島第一原発の周囲の市町村からは100,000の人々が避難を強いられ、戻ることができなくなりました、多分もう二度と…。


吉沢氏は当時、福島第一原発で事故に取り組んでいた東京電力の幹部社員の一人です。
彼は数多くの危機が同時に進行していたと語りました。
巨大地震、繰り返される余震、津波、3度にわたる爆発、上昇を続ける放射線量…
振り返れば、身の毛もよだつ危険が幾重にも重なりあっていました。

「状況は何もかも悪いものでした。」
福良氏がこう言って、福島第一原発がきわめて危険な状況にあったことを認めました。
しかし私は死ぬつもりもありませんでした。それぞれが全力で取り組んでいました。死ぬことはすなわち、敗北することだったからです。」

しかしこうした義務感は、危機が進行しているような場合、時に人間としての一面を隠してしまう場合があります。
当時福島第一原発内にいたのは、5人の内4人までが地元の人々でした。
彼らは自分たちの家族が、津波にさらわれてしまったかもしれないという恐怖に苛まれ続けていました。
さらには上昇を続ける放射線量が、自分たちが暮らす町や村を危険に追い込んでいることも理解しており、何とか食い止めたいという思いで一杯でした。
彼らはもう何年も一緒に仕事をしており、そのことが彼らをここ福島第一原発に踏みとどまらせたのでした。

「巨大地震と巨大津波が襲った直後の最初の、そして最大の懸念は原発内の6,000人に上る労働者、とりわけ原子炉付近で働いていた2,000人の労働者の安全確保の問題でした。」
吉沢さんがこう語りました。


後でそれが誤りだったことを思い知らされることになりましたが、災害直後の最初の夜、すなわち3月11日夜、福島第一原発の施設内の人々は、すべての原子炉は停止した後、冷却され続けていると考えていたのです。

この考えが、時間を失うことにつながってしまいました。

夜が明けると最初の水素爆発が起き、その甘い観測を吹き飛ばしました。
そして、次々と恐ろしい光景が眼前で繰り広げられたのです。
その結果あらゆる局面で、施設の職員が原子炉を冷却するために水を注入する作業を、不可能になってしまいました。
さらに3月14日、15日と立て続けに爆発が起き、施設内の職員のほとんどを避難させるべきではないかという圧力が、一層強いものになりました。

こうした状況下、当時の福島第一原子力発電所所長であった吉田氏(現在、ガンとは異なる疾病のため入院中であると公表されています)は、難しい決断を迫られることになったと、吉沢氏が語ります。
最低限必要な事故対応を行うための人数だけを残し、残りの大半の職員を避難させるべきかどうか。


吉沢氏も、福良氏もインタビューを受けた際、吉田所長が事故現場を放棄するつもりなど、全くなかったと語りました。
吉沢氏は福島第一原発の危機が頂点に立った時点で、現場から少し離れた場所にあった臨時の事務所から、事故現場に戻りました。
「その時私は、自分はこの場所で死ぬことになるのだな、と思いました。日本で言うところの『骨をうずめる』覚悟でした。」

吉沢氏は今も続く複雑な感情について、言葉ではなく、態度に現れた瞬間がありました。
施設内に残った人々が自分たちの街や村を守るために、どれ程必死に絶望的な戦いを続けたか、そのことを説明しているうちに、感情が激してきた吉沢氏は言葉を続けることが出来なくなったのです。

ようやく次の言葉が出て来た時、彼はこう語りました。
「しかし世の中を見ると、私たちに対する痛烈な批判を感じるのです。」

こうした批判は、故郷を追われ、避難を強いられた人々の中でとりわけ強いものです。
そして日本社会に大きく広がっている見方でもあります。
1945年、第二次世界大戦に敗北した後、各地から帰還して来る中、これと似た罪悪感を抱いた兵士たちが数多くいました。

しかし英雄扱いされるための、罪悪感に苛まれ続けるための、どちらの時間も福良氏にはありません。
福島第一原発で働いている作業員のほとんどが東京電力の関係者である以上、事故に対する責任感を感じないわけにはいかないのだと、彼が語りました。

こうした感覚は、責任を潔く認める日本人の美徳に通じるものがあります。
しかし東京電力の経営陣は、全員がこうした感覚を共有していた訳ではありませんでした。

日本政府にまで責められた東京電力は、10月になってやっと、福島第一原発の事故発生の危険性を過小評価していたことを認めたのです。

http://www.economist.com/news/asia/21565269-meet-%E2%80%9Cfukushima-50%E2%80%9D-men-front-line-nuclear-disaster-heroism-and-humility
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NHKや共同通信社の『世論調査』の結果を見て、首をかしげざるを得ませんでした。
今回の選挙で原発問題を判断材料にする人は、全体の9%に過ぎない?
次の政権は自民単独と自民・民主の連合を合わせると5割、つまり原発推進の立場を(おそらくは)崩していない自民党が政権の座に座るべきだと考えている国民が5割?

今年の夏の時点で、日本は脱原発を推進すべきだと考えていた国民は8割に達していたのでは?

私の脱原発への思いは、3.11に関する世界中の記事を翻訳し続けるうち、自然と自分の中に出来上がって来たものです。

中でも、この記事が掲載されたエコノミストが2012年1月31日号に掲載した記事において展開された以下の主張が、その思いを不動のものにしたかもしれません。

いったん事故を起こしたら、その影響が一体どこまで及ぶか計り知れないのが原子力発電であり、地震など一切発生しない、丸一日車で走っても誰とも出会わないような荒野ならともかく、人間が暮らす場所近くで原子力発電など行うべきではない。
( http://kobajun.biz/?p=1760 )

日本の政治や報道においては、「単なる発電手段」として、原子力発電を水力、火力と並べて比較するケースがまま見られます。
それが大いなる誤りであることを、この記事もまた教えてくれていると思います。

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【 プシュカの家畜市 】

アメリカNBCニュース 11月21日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)


一年の内の5日間、インド、プシュカで家畜市が開催されます。世界最大のラクダ取引の場であり、その他の家畜が売買される場でもあり、今や有数の観光イベントにもなっています。ウェブサイトの説明では、約2万頭ほどのラクダ、馬、牛が取引されるとのことです。






世上言われる「円安の進行」、果たして現実になるのか?

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[イギリス・アメリカ側からの分析]

ベン・マックラナハン / ファイナンシャル・タイムズ / アメリカCNNニュース 11月8日


リーマン・ショック以降円高が続いていますが、日本の政策担当者は実態以上の円高が続いているとして、投機筋を非難しました。

その指摘が正しいかどうかはとりあえず措(お)いておき、夏以来円が対ドルレートで78円50銭前後での値動きを抜け出し、80円前後にまで円安が進んだことを見て、日本の中央官庁街である霞が関の官僚たちは、少しばかり胸をなでおろしていることでしょう。
しかしこの動きに投機筋は関わってはいません。
世界の核経済指標に改善の兆しが見え始めたことを受け、この3週間、ヘッジファンドが円安の進行に一定の役割を果たしたことは事実です。
世界の外国為替市場において、様々な投資機関が各代表的通貨の方向性を見極めようと悪戦苦闘する中、円安が進んでいることだけは確実な事実だと、外為市場の複数のトレーダーが証言しています。

実際、アメリカの先物商品取引市場が公表した数値は、先週になって円安の兆候が現れると、今年5月以降初めて投資家による円売りの動きが倍加したことを伝えています。
これに対し、ヘッジファンドの動きはそれほどはっきりしたものでは無く、錯綜した短期的取引が繰り返されていると、モルガン・スタンレーは分析しています。


「これまで、ドル対円の値動きは穏やかに推移してきました。」
ロンドンにあるモルガン・スタンレー欧州外貨戦略部門の責任者であるイアン・スタナード氏がこう語りました。
「もし円安ドル高の動きが本格化しないとしたら、それはドル高になるための材料がきわめて限られたものであることを示唆するものです。」

目下のところ、国内でデフレによる不況が進行する日本で、シャープやパナソニックのような輸出企業に打撃を与えた円高の時代が終わる、という観測について、多くの取引関係者は慎重な見方をしています。
たとえば、安定した価格とインフレ調整後の高い利回りにより、外国の機関投資家が日本の国債を買い続けていることで、資金が円市場に留まり、実質的に円を買い支えている点などに、取引関係者は留意しているのです。

しかしこの10月に見られたドルの対円レートで3%の値上がりは、2月に起きた円安ドル高とは様相を異にしていると、多くの関係者が認めています。
2月の円安ドル高は、日本銀行の『1%のインフレ目標』に基づく金融緩和策と、世界経済で表面化した新たな懸念に対し、すぐには打つ手が無かったことが影響したものでした。


最新の円安ドル高の傾向には、3つの際立った特徴があると、アナリストが語っています。

特徴の第1、それは世界最大規模と世界で3番目に大きい経済の、成長状況の違いです。
最新の資料によれば、米国経済の回復が確実なものになる一方、日本経済は逆の様相を見せています。

今週日本政府が公表したデータでは、日本の主要な11の経済指標が、今年9月の国内の工業生産高が著しく悪化し、日本の景気が後退期に入った可能性があることを示唆しました。
日本政府がこのような表現を行うのは、1986年以来、7度目になります。
実際、過去6期の経済期間の内4期で、日本経済が不況の中にあることを数値が明らかにしています。

もし景気の後退が事実なら「日銀のインフレ目標はさらに一層、より遠のくことになるでしょう。」こう語るのは、東京のバークレイズのFX取引部門の責任者である、山本まさふみ氏です。
「さらなる金融緩和策が求められることになるでしょう。」


特徴の第2、それは日銀による景気刺激策への関与度合いがより一層高まったと、投資家たちが見ていることです。
日銀は最新の政策委員会で、独自の資産買収計画を追加し、市中の銀行に対し無制限で低金利の融資を行う計画も明らかにしました。

これら一連の金融緩和策における重要な特徴としてあげられるのは、日銀の白川総裁が日本政府の2名の経済閣僚と連携し、日本経済にインフレを起こさせるための施策だという事です。
この数年、日本の政治家たちは束になって日銀がデフレの克服のために、何ら有効な手を打ってこなかったとして日銀を繰り返し攻めたててきました。
今回の日銀の施策でカギになるのは「日本政府による日銀支配が公になったこと」だと、東京のゴールドマン・サックスのチーフ・エコノミストである馬場なおひこさんが指摘しました。

特徴の第3、それは目前に迫っている日銀の首脳陣の交代です。
現在の白川総裁の任期は来年4月末まで、投資家たちは後継者がどのような施策をとることになるか、もうすでに憶測を始めました。
法の定めるところでは、日銀総裁と副総裁は政府によって任命され、衆参両院の承認を必要とします。
この時点で民主党が政権を維持しているか、または自民党を中心とする勢力が取って代わっているか、いずれにしても白川総裁の後継者はハト派の色合いが強い人になるのではないか?
こう語るのはUBS(Universal Bank of Switzerland)シンガポールの外貨戦略担当チーフのマンスール・モイ・ウッディン氏です。
総裁の後継者候補には武藤東四郎元日銀副総裁、経済官僚を歴任してきた岩田一政氏、そして現在は研究機関を運営しているもう一人の元日銀副総裁などがあげられています。


いずれが就任しても、現在次期首相に最も近い位置にいると言われ、2%から3%のインフレ目標を掲げるべきであると主張している自民党の阿部総裁にとっては、受け入れやすい人材であることは明らかです。

共和党の大統領候補者、ミット・ロムニーは連邦準備制度理事会がこれ以上金融緩和策を続けることに対し疑問を呈していましたが、大統領選挙に敗れたため、アメリカ側によるドル高への誘因は当面無くなり、したがって円相場に直接の影響は及ばないと思われています。
これと同時に、アメリカ国債の利息が高い率で安定する可能性も低くなりました。
ドイツバンクでFXを担当する田中たいすけ氏は、今後の円の対ドルレートの動きがどうなるか、その最良の指標となるのが2年もののアメリカ国債と日本国債の間のギャップだと語りました。
現在17ポイントあるギャップは、過去12カ月間と比較してもほとんど変わりがありません。
このことは、これ以上円が値下がりする可能性が、低いだろうということを示唆しています。

しかし目下のところは、ゆっくりとした円の下落傾向が続いており、前出のモルガン・スタンレーのスタナード氏をして「落ち着いた」動きではあるが、「しばらくの間こうした傾向が続く」だろうと言わせています。

http://edition.cnn.com/2012/11/07/business/japan-yen-slide/index.html?hpt=ias_c2
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神谷秀樹氏の著書『強欲資本主義 ウォール街の自滅』(文芸春秋新書)の中に興味深い話がでてきます。
ゴールドマンサックスの不動産部門にいた、「保守的」銀行家が、今日行われているマネーゲームにこれ以上自分の財産や立場を賭け続けるつもりは無い、もう降りる、といって引退したエピソードです。
この話を読んで、ああ本当の保守というのは、過去の事例によって証明された手堅い手法を良しとする立場の事なのだな、と改めて感じ増した。
やられたからやり返す、何が何でも国の腕力を強くして周辺諸国に目にもの見せてやる、という考えを露わにする自称保守が日本では目立っています。

東京都知事だったそうした人物の中のひとりは「都民銀行」構想をぶち上げ、実際にスタートさせました。
同行は暗礁に乗り上げてしまった様子ですが、当の本人は責任を取らず、いなくなってしまいました。
そんな『保守』は、世界にはありません。

私はイギリスのディズレーリやマーガレット・サッチャーが(好きか嫌いかは別にして)、本当の意味での『保守』派の政治家だと思っています。
なぜなら彼らは、きちんとした議論を重ねながら物事を進めていったからです。

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【世界最大規模のカーレース】

アメリカCBSニュース 11月
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

2012年11月3日、首都ロンドンから英国南部のブライトンまで60マイル(約100km)の区間で争われる王立自動車クラブ『ロンドン・ブライトン間クラシック・カーレース』は
世界最大規模のクラシック・カーレースです。
世界中のファンを惹きつけるこのレースの歴史は125年、今回の参加車両は300台に上りました。
レース前、ロンドンのリージェント・ストリートで、参加する車両のお目見えが行われました。






http://www.cbsnews.com/2300-504784_162-10014445.html?tag=recommended;galleryLiRecommended

「無制限の金融緩和策を」という訴え

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「期待通りの結果が出なければ、その時こそ日本は…」

ヒロコ・タブチ / ニューヨークタイムズ 11月20日


日本国内では前首相でもある、自民党の安倍晋三総裁がこの12月に、首相に返り咲くという予想が専らです。
何年もの間、積極的通貨政策を支持する人々は、デフレによる経済不況から脱却し、日本経済を活性化させる策として、通常では考えられないこの対策を行うよう主張してきました。
日銀はもっと紙幣を印刷すべきだ、金利もゼロのままにしておけ、彼らはこう主張します。
しばらくの間日本は、インフレを許すのだということを市場に確信させろ、と。

そうした過激な措置を採れば急激なインフレーションを引き起こすのではないかと懸念する日本銀行は、こうした主張を取り上げませんでした。
しかし、10年以上の間弱々しい経済成長と価格低迷を打破するためには、思い切った貨幣政策を採るべきだと主張する、経済学者と国会議員が今までは考えられなかった連携をしたことにより、その日銀の手足が抑え込まれようとしています。

かつて首相の地位にあった自民党の安倍晋三総裁が、来月に予定されている衆議院議員選挙の結果、首相に返り咲く公算が高まり、こうした主張が勢いを得ることになりました。
きわめて保守的な立場をとる安倍氏ですが、一方では日本銀行に対し、価格、企業の利益、そして賃金を低下させ、15年間日本経済の不振を演出しているデフレに対し、対策をもっと積極的に行うよう主張し、自らの支持者をも驚かせました。

先週いっぱいこうした発言をさらにエスカレートさせていった安倍氏は、12月16日に投票が行われる選挙で、彼が総裁を務める自民党が政権をとれば、日銀が政府の指示に従わざるを得ないよう、法律を書き換えてでも、日銀の権限を縮小させると語りました。

木曜日に東京で行った演説会で、安倍氏は日銀に対し現在インフレ目標としている1%を大きく上回る2~3%に設定し、『無制限の金融緩和策』を行うよう要求すると語りました。
しかしこの『無制限』という表現に、懸念を抱いた経済学者もいました。
安倍氏はさらに、日銀の公定歩合を現在の0.1%からゼロに引き下げるように主張しています。


安倍氏は週末にかけ、一層踏み込んだ発言を行いました。
熊本県南部の都市では、日銀が政府から直接建設国債を購入することにより、公共事業資金を確保し、貨幣を強制的に市場に流通させるようにするつもりであると演説したと、地元のメディアが伝えました。
しかしこうした政策には疑問の声が上がっています。
日銀は日本の社会が必要とはしていない道路や橋の建設に、際限も無く多額の出費を強いられるようになるかもしれません。

しかしながら、安倍氏の発言は、株式市場を席巻する結果となり、翌火曜日に若干値を戻したものの、木曜日に日経平均株価を500ポイント押し上げました。
金融緩和が実施されれば値下がりすることになる円相場も、2.5%値を下げ、円安によって恩恵を被る日本の輸出業者を安堵させました。

「ずいぶん時間化がかかりましたが、最終的に変化に対する希望を持つことになりました。」
長年金融緩和を主張し続けてきた、東京の学習院大学の貨幣経済を専門にする岩田規久男教授がこう語りました。
「安倍氏が首相に就任すれば、日銀も自らの牙城を守ることはできなくなるでしょう。」

この首相候補はまだ発言を行っただけで、どのような新たな金融緩和策がとられたわけではありません。しかしこうした対策には、市場の期待が実際の金融政策に先行する場合があるという理解が不足しているとする強い反発もあります。
日銀は火曜日に政策協議を行い、これまでの方針を継続する方針をまとめました。


日本銀行は、実際的なゼロ金利政策、国債などの金融資産を買い入れる基金の拡大、量的緩和を含め、この数年間、再度日本経済を成長させるべく一連の対策を行ってきました。
しかし実際には1998年以来、日本の物価は加工を続け、日本経済はデフレーションの中に入ってきました。
確かに対策は採られてきましたが、日銀はデフレからの脱却を実現させることはできませんでした。
日本のデフレを決定的なものにし、消費者と企業の心理を冷え込ませてしまった、日銀による様々な政策の失敗を、経済学者たちは指摘します。
1999年初頭、日本の経済状況が悪化する中、日銀はデフレの兆候が消失するまで、公定歩合の金利を実質ゼロにする政策を維持すると発表しました。しかし2000年中ごろ、経済が上向きかけた時点で、政策変更はまだ時期尚早だと日本政府が抵抗したにもかかわらず、日銀は金利を0.25%に引き上げました。

こうした早すぎた日銀の対応の背景には、何よりバブルの再来を恐れる、恐怖心理があったのだと批判されました。
1980年代にバブル経済がはじけて以来、日本経済は立ち直りを見せていません。バブル当時、株価と地価はそれ以前の4倍にまで膨らみましたが、景気の停滞が本格化した1990年代には、ほぼバブル以前の価格に戻ってしまいました。

以来日銀は物価上昇に関するあらゆる兆候に対して過敏になってしまい、結果的にこの国がデフレに陥り、そこから長く抜け出せなくなった原因を作ってしまったと、批評されています。
日銀は、ゼロ金利政策を打ち出し、金融緩和策をとるようになった2001年以降ですら、インフレ懸念について度々表明し、その兆候が現れ始めた場合には、直ちに金融引き締め策をとることになるとの警告を行いました。


こうした、いわばおっかなびっくりの金融緩和策が、インフレの芽をことごとく潰すことにつながりました。
日本の消費者は賃金の下落と支出の減少が、いつまでも続くものという感覚を抱くことになりました。
収益の減少を予測する企業の設備投資も落ち込んでいきました。
日銀は可能な限り通貨供給量を増やしましたが、市中の銀行の貸出残高が増える気配は一向に無く、消費も投資も停滞を続けました。
日本はデフレーションの中に沈みっぱなしでした。

「日銀自身が自ら行っている政策に自信が持てない状態で、いったい誰がそれを信じることが出来るでしょうか?」
早稲田大学政治経済学部の経済政策が専門の原田泰(ゆたか)教授がこう語りました。
「人々にデフレが進行すれば大変なことになると納得させることが必要でしたが、インフレーションはすべて兆しが見えただけで終わりました。政策の失敗です。」

日銀が金融緩和策の継続に消極的な態度で臨み、さらには政府からの独立を維持したいと願い背景には、日銀は政府の経済政策のために紙幣を印刷する機関とは見られたくない、という動機があります。

市場が日銀を政府が行う経済政策のために安易に資金を供給しているとみなされてしまえば、政府が抱える公的債務に関する信用不安を引き起こすことになると、日銀側は主張しています。
もしそうなれば政府の資金調達コストが上昇し、日本の財政はヨーロッパのような債務危機に陥るというのが、日銀の説明です。

「我々の通貨政策が、実は公的債務を何とかしようという動機の下に行われているという誤解が広まれば、長期金利の上昇につながり、実体経済に損害を与えて、しまいます。」
火曜日、日銀の白川総裁がこのような懸念を表明しました。


野田首相は20日火曜日、安倍氏が「欠陥のある経済政策」を説いてまわっていると批判しました。
野田首相が率いる民主党は、直近の世論調査で自民党に対する退勢を挽回しつつあります。

金融緩和策では、日本経済の立て直しは不可能だという疑問を呈する人々もいます。
彼等は日本経済の根本、構造的な問題を指摘します。
急速に進む高齢化、硬直した商習慣、産業の空洞化などの問題です。

BNPパリバのチーフ・エコノミストである河野龍太郎は20日、日本の財政赤字について、
「悪化する一方の麻薬中毒患者」と表現しました。
「財政政策あるいは金融政策で、日本にとっての新たな価値を創造することは不可能です。」

しかし安倍氏のような金融緩和政策を強力推し進めようとする人々は、デフレを克服し、日本経済を回復させるためには、投資先としての信用回復がより良い方法だと主張しています。

小規模なインフレが価格を押し上げ、円安が輸出産業の追い風となってその収支を改善させる効果があることに言及した上で、収入が増加し、消費は活性化し、政府は税収が増加すると主張するのは、安倍氏率いる自民党の国会議員、山本厚三氏です。


「基本的にこうした政策は、日銀がこの15年間に行わなければならなかったことです。」
「2、3%のインフレを心配しなければならない理由などあるはずが無いのです。」

しかし、安倍氏があまりに強力な金融緩和策について声高に言い過ぎ、結局投資を呼び込むことに失敗した場合について、金融緩和策を支持する立場の人々も警鐘を鳴らします。
「彼らはこういうかもしれません。『だめだったな、いや、始めからだめだって解ってたんだよ…』、そして一層ひどいデフレがこの国を見舞うことになるかもしれません。」
学習院大学の岩田教授がこう語りました。

「その時こそ日本は、抜き差しならない状況に追い込まれることになるでしょう。」


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この原稿を訳していて、実は途中でやめようかと思いました。
私は金融については門外漢に等しいため、なかなか翻訳がはかどらなかったためです。
しかし訳し終えて、やはり田淵広子さんはさすがだな、と思いました。

私は今回の選挙を迎えるに当たり、自民党の『公約』について、何だか非常に乱暴な印象を受けました。
そしてこの記事を訳し終えて、やはりその印象は間違っていなかったのだな、と感じたのです。
すなわち「無制限の金融緩和策」というのは、イチかバチかの大バクチなのだという事が解りました。

賭けのモトデになるのは私たち国民の生活、そしてこの国の未来です。
賭けに負けたとき、最も悲惨な目に遭わなければならないのは、立場の弱い人々です。
定職のない人々や低所得の人々、母子家庭や父子家庭の方々、高齢者世帯に老老介護世帯、障害者の方や施設で暮らさなければならない子供たち…

古来、弱者に対する視点を失った政治がうまく行ったためしはありません。

塩野七生さんの『ローマ人の物語』に、こんな話が紹介されていました。

ハドリアヌス帝は、市民の話を直接聴くことが多い皇帝だった。
しかしその日は急用があり道を急ぐ皇帝に、一人の寡婦が進み出て、
「私の話を聴いてください。」
と話しかけたとき、
「今日はその暇が無いのだよ。」
と答えた。
するとその女性は
「だったらあなたに為政者たる資格は無い!」
と言い放った。
ハドリアヌスは身をひるがえし、女性の話を聴き始めた。

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【停戦合意を祝うパレスチナの人々】

アメリカNBCニュース 11月21日


21日水曜日、イスラエルとハマスが停戦に同意しました。

140人以上のパレスチナ人、そして5人のイスラエル人犠牲者を出した8日間の戦いがここに終了しました。
ガザ地区では数百人、数千人の人々が通りに出て停戦を喜び合っていました。
イスラエルによる爆撃に代わり、この夜は何発もの花火が夜空を焦がしました。


【 戦争とは何か?! そんなことも解らぬうち、殺されてしまったこどもたち 】

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所要時間 約 14分

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「暴力を止めさせるため、あなたも声を上げてください」(米国CNN)

トム・ワトキンス / アメリカCNNニュース 11月20日


この地で起きている衝突について最新の正しい情報をあなたに伝え、そして暴力を止めさせるために、あなたにも声を上げていただきたいと考え、現在CNNは多数の要員をガザ、イスラエル、そして周辺の紛争地域に送り込んでいます。
必要な情報を手にするため、CNNテレビとCNN.comをご活用ください。

19日月曜日、ガザ市内にあるシャイフ・ラドワン墓地の屈強な墓堀り作業員たちが、15か所の墓穴を掘ることになり、忙しい朝を過ごしました。
彼等はさらに墓穴を掘ることになっています。

墓穴の一つは5歳のユシフ・アル・ダルーのものです。
彼とその家族8人は、日曜日、自宅にいたとき、イスラエル軍の空爆により殺害されました。

彼らの亡骸はハマスの旗にくるまれ、銃声が鳴り響く中、墓地に向かってガザ市内の大通りを進んでいきました。

祈りの声を上げていた群衆が去った後、その場に残った友人と親せきが静かに冥福を祈りました。


イスラエル当局は、空爆は飽くまでハマスの軍関係者に狙いを絞ったものだと主張しています。

ガザ地区の最大の墓地は、イスラエルとの国境近くの郊外にあるため、葬儀に参加するのも命がけになります。
月曜日に行われた葬儀でも、ダルー家の親戚は、遺体をシャイフ・ラドワン墓地に運び込むだけで精一杯でした。

かつてダルー家があった場所に戻ってみると、葬儀に参列した人々が、エジプトのムスリム同胞団の一派である、モハメド・カタトニ率いる自由正義党の代表団を歓迎していました。
代表団の一人がイスラエルに対する、ガザ地区の子供たちの復讐を誓いました。

紛争に巻き込まれ次々に犠牲になる子供たち、しかし状況を理解するにはあまりに幼すぎる子供たち。

「暴力はエスカレートしていくでしょう。」
18日日曜日に、別のイスラエル軍の攻撃で兄弟を殺されたハマディとだけ名乗った男性が語りました。
この場所の多くの人々同様、彼は戦争には倦み疲れていましたが、状況が一層悪くなることを予感していました。
「イスラエルはこんなものでは納得しないでしょう。」
彼はこう語りました。
「もっと、もっと多くの血が流れるでしょう。」


イスラエルが望んでいるのは、ガザ地区からのロケット弾攻撃の全面停止です。

「今日、116発のロケット弾が、イスラエルに向けガザ地区から発射されました。」
イスラエル国防相のスポークスマンであるアビタル・ライボヴィッチ中佐がCNNにこう語りました。
「決して、穏やかな一日だったとは言えません。」

細長い形状をしたガザ地区は面積はワシントン首都特別区ほどの面積があり、170万の人々が暮らしていますが、目に映るのは巨大地震が襲った後の報道のような、破壊された街の様子です。
がれきの山、もはや息をしていない人間の体…
生き残った人々は泣き叫ぶか、そうでなければ虚脱したようになっています。

しかしガザ市内をがれきだらけにしてしまったのは、自然災害ではありません。
この地の住民たちは、もう6日間もイスラエル軍の攻撃が止むことなく続いていると語りました。

辺りが闇に包まれると、人の姿が消え、静かになった通りとは対照的に、着弾するイスラエルの砲弾、そして発射されるロケット弾、双方の轟音が鳴り響きました。


日曜日の爆発で屋根に手のひらほどの穴がいくつも開いた、通りに面した2階建ての家屋では、2人の子供たちとその家族が暮らしていました。
「幼い子供たちがこの場所、そしてここでもがれきの下に埋まっていました。」
子どもたちの叔母にあたる女性がこう言って、コンクリートのがれきの山を指さしました。
「二人子供は父親と一緒の部屋で、このあたりで寝ていたのです。すると突然、家が崩れ落ちました。私の兄は急いで子供たちの下に駆け寄りましたが、この大きながれきの下敷きになっていたのです。」

2歳と4歳の幼児は、そこに変わり果てた姿で埋まっていたと、彼女が語りました。近くにあったがれきは血で赤く染まり、その場にあった部屋はがれきと土砂に埋まっていました。
ここに居て助かったのは父親だけでした。
爆発があった時、下の階に居た22歳の母親は、黒いヒジャブで目以外を覆い隠していました。
「とてもショックです。」
彼女が話しました。
「信じられません。かけがえのない二人のこどもたちが…。もう生きているのが嫌になりました。」

彼女はハンカチで両目を覆い、そして震えていました。


CNNのスタッフが現地に到着した数時間後の午前1時30分頃、すぐ近くでイスラエル軍の空爆が行われました。
行ってみるとかつてイスラエル軍の攻撃で出来きた大きな穴に、ブルドーザーが新たながれきを落とし込んでいました。

通りを2、3本はさんだ向こう側でも、似たような光景が広がっていました。3階建ての屋根が、地面に投げ出されていました。

数メートル先で、緑のTシャツを着た一人の男性が両手で頭を抱えながら、必死に何かを探していました。
彼は事前に警告を受けていたと語りました。
「イスラエル国防軍から電話があったんだ。」
「でも最初は信じられなかった。すると小型のロケット弾が、ここの屋根に命中した。そしてその10分後に、建物が吹き飛ばされたんだ。」

それまでにこの建物の住民は避難していました。
しかし爆発の衝撃で近所に住む15人が負傷したと、彼が語りました。


これに対しイスラエル軍は、双方がロケット弾やミサイルを打ち合っている状況では、どの被害についてどちらに責任があるかなどという事は、はっきりさせられるはずが無いと語っています。
CNNのスタッフは、ガザ地区から発射されたロケット弾が、近くのイスラム教モスクをかすめて飛び去るのを目撃しました。

海外のメディア数社が共同で使用していたビルもまた、イスラエル軍のミサイルの標的になったものと思われます。
目撃者の話では午後3時20分頃、このビルで3度の爆発があり、3階部分から大きな炎が上がりました。

関係者の話では、パレスチナのイスラム聖戦機構の軍広報部の責任者であるラメス・ハーブを含む2人が死亡し、2人の子供たちが負傷しました。

この建物内に居た報道関係者は退去するよう警告を受け、いったんは避難しました。
しかし数時間たって何も起きなかったため、建物に戻ったところで攻撃に遭遇してしまったのです。
この建物が破壊されたのは、18日日曜日でした。


[ガザ地区に関する資料]
陸地面積: 360平方キロまたは138平方マイル
人口: 約170万人
宗教: イスラム教徒(大部分はスンニ派)99.3%、キリスト教徒0.7%
経済: 農業、零細商店、小規模な工場など。
失業: 40パーセント(2010年現在)

http://edition.cnn.com/2012/11/19/world/meast/gaza-scene/index.html?hpt=hp_c3
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自民党の『政策』が公表され『3年以内に全原発の再稼働を決定する』上、憲法改正をして再軍備を行うという『独自色』を打ち出した、と報道されました。

危険なのは現在の社会に閉塞感を抱き、「何でもいから世の中変わってほしい!」と願う若年層が引きずられてしまう事です。
昭和30年代に生まれた私は、成長期にほぼ毎日ベトナム戦争の報道があったため、戦争がどれ程悲惨なものなのかを日々学びながら成長しました。
そして戦争が終わったら終わったで、アメリカでは戦場後遺症に苦しむ人々が多数生まれ、ベトナムではアメリカ軍が散布した枯葉剤のおかげで、多数の奇形児が生まれてしまいました。

しかし今の日本のマスコミは中国や韓国の『脅威』については事細かに報道する一方、世界で実際に行われている戦争の実態を報道することについては、あまり積極的ではありません。
私は【星の金貨】の関係で、毎日世界の主要メディアの報道内容をチェックするのが日課になっていますが、この点が際立った違いになっています。

自民党の『政策』、さらに続けます。
金融緩和を徹底的にやって日本経済を活性化すると言いますが、以前『徹底して金融緩和』した際には、金利の低さに目をつけた海外資本が日本から資金を借り出し、これを使って世界各地でバブルを演出し、100兆円とも言われる資産を作り出しました(水野和夫著『金融帝国大崩壊』)が、日本国内では実業とはかけ離れたマネーゲーム・ブームとなり、実業の下で働く市民生活は改善されず、かえって格差社会の拡大につながった(神谷秀樹著『強欲資本主義 : ウォール街の自爆』)のは、記憶に新しいところです。
その後、このバブルがはじけ、ヨーロッパはその後遺症から立ち直れずにいます。

また例によって『公共投資を積極的にやって』景気の底上げをする、と言っていますが、世界はケインズ流の経済政策によって好景気がもたらされるという、『大きな物語』はすでに終焉してしまっている、と言われています。

さらに法人税の大幅減税により世界の企業を日本に呼び込む、と言っていますが、これなど噴飯ものの最たるもの。
日本は日常の場で英語がほとんど通じないという点だけでも、非常な困難が伴います。
ちなみにアムステルダムに世界のハブ空港があるオランダの人々は、公用語はもちろんオランダ語ですが、アメリカ人、イギリス人相手には英語、ドイツ人相手にはドイツ語を操れる人が国民の半数を超えると言われているのです。
ハード、ソフト、諸条件が揃わなければ世界の企業が日本に進出するなど不可能ですし、進出して来たら来たで、それが大勢の日本人の雇用につながるのでしょうか?そして、中小企業や地場産業の発展につながるのでしょうか?

そして軍備の増強。
日本がそれをやれば、中国などもまた「やり返して」来るでしょう。
結果、中国を相手に軍拡競争などを始めてしまったら、恐ろしい勢いで国費が費やされるのは目に見えています。
アメリカの主力戦車であるM1A2エイブラムズは8億6千万円、日本の自衛隊の90式戦車は約9億円。自衛隊が次期主力戦闘機に予定しているロッキードF35は一機約100億円、ステルス戦闘機一機235億円、ステルス爆撃機に至っては一機3,274億円、こんごう級イージス艦は1,244億円です。
(『兵器価格総覧』 http://www.eurus.dti.ne.jp/~freedom3/weapon-price-sai-axx.htm )

人口13億以上、GDPで追い越され、さらに年率5%以上の経済成長が続く相手と軍拡競争を始めて、どうやって国庫の破たんを防げるのでしょうか?

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[動画『逃げるチャンスも、隠れる場所も無い』アメリカNBCニュース 11月20日]
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【 停戦への願いも空しく、死んでいった人々 】

アメリカNBCニュース 11月21日


イスラエル軍の空爆により死亡した2人の少年の遺体を抱いて、通りを行く人々。彼らの父親もまた、殺された。
11月20日、ガザ市内北部。


ハマスのロケット弾が着弾し、破壊された住居から脱出しようとする男女。イスラエル、ベエルシェバ。


イスラエルの空爆により犠牲になった人々の葬儀に参列する人々。イスラエル軍は20日までの7日間で市内100か所以上の目標に空爆を加えている。11月20日、ガザ市内。


ハマスが発射したロケット弾の着弾に備え、身を伏せるユダヤ教徒の伝統の服装をした男性。11月20日イスラエル、ベエルシェバ郊外。


国連が運営する施設に身を寄せるパレスチナの子供たち。イスラエル軍は空爆の際、子供たちを逃がすよう勧告するリーフレットを空から散布した。11月20日、ガザ市内。


道をゆく、葬列を見守るパレスチナ人の子供たち。11月20日、ガザ市内北部。


ハマスが発射したロケット弾の着弾地点から、子供を抱いて避難させるイスラエル兵。イスラエル、ベエルシェバ市内。


破壊された家の前に立ちつくす、パレスチナの少年。11月20日、ガザ市内。

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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