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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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【 地震の恐怖と暮らす一人の英国人・イン・東京 】〈後編〉

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所要時間 約 7分

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「まるで悪い夢を見ているよう、でも確かに現実…」「涙が止まらない…」

デイヴィド・マクニール / ザ・インデペンダント(英国)11月23日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

宮城県南三陸町、2011年3月15日。


福島第一原発の原子炉のうちの一基の炉心が、メルトダウンした可能性があるとアナウンサーが伝えました。
爆発があり、1号機の原子炉建屋の屋根が吹き飛ばされ、放射性物質が環境中に放出されました。
福島第一原発の周囲10km圏内の約20,000人の住民に避難命令が出されました。
その日の夕方、当時の菅首相が避難区域が原発の周囲20kmにまで拡大されたと、日本の人々に向け発表しました。
私たちが行こうとしていたのは、まさにその場所だったのです。

現地から実況を伝えた日々を通じ、私たちの情報源は携帯電話を経由しての報道でした。
放射能汚染を恐れ、多くの外国人が東京を離れました。
3月17日なると、それまで事態を静観していた英国政府が、「東京及びその北方に居住する英国人」に対し、「離脱を検討するよう」勧告しました。
一方でアメリカ大使館は、90,000人に上るアメリカ市民避難の極秘計画を練り上げていました。
アメリカ太平洋艦隊、第七艦隊は艦船、航空機、人員を、東京周辺から公海上に移動させました。

なぜならアメリカ軍の放射能測定機器が、軒並に高レベルの放射能を検出していたからです。

宮城県気仙沼市役所、2011年3月15日


その時、なな子が書いたメモが残っています。
その中の一枚には、店頭から牛乳と水が消えた、と書かれています。
「まるで悪い夢を見ているよう、でも確かに現実なのだわ。片時も、あなたのことが頭から離れません。」
「すぐに帰ってきて!お願い!!!」「涙が止まらない…」

かすかな望みが、たった一筋だけ残されていました。
翌朝、私は緊急作業員と一緒にヒッチハイクで東京に戻ってきました。

いつもは騒々しくにぎやかな東京が、その日は血の気が失せたようになっていました。
停電が続き、食べ物もガソリンも不足する中、増え続ける死者の数、繰り返される余震と津波が再び襲う事への恐怖が、テレビを通し次々伝えられていました。


自衛隊の航空機が、過熱し暴走する福島第一原発のタングステン製の原子炉めがけ、100m上空から散水を試みました。

何千もの学校が閉鎖され、工場や企業は電気を節約するために、操業時間が短縮されました。
すでに何人もの友人が、無言で東京を去っていました。
大阪や香港、韓国、タイにまで避難した人もいました。

東京で暮らす外国人たちは概ねこうした対応を取りましたが、私の周囲では朝になると会社に出勤するサラリーマンの姿があちこちで見られるようになり、主婦の女性たちは牛乳や水を求めて夜明け前に買い物に出かけて行きました。
こうした危機が続いている間中、私の地元のレンタルビデオショップからは、借りていたDVDの返却が遅れている旨伝える電話が、毎日かかってきていました。

岩手県千厩町のスーパーマーケット、2011年3月18日


日が経つにつれ、月日が過ぎゆくうちに、徐々に気持ちが落ち着いてきました。
ルカは、6月に生まれました。
なな子、ルカの母は短期間の原発難民になりました。
彼女はおなかの中にルカを抱いたまま、大阪に一時避難しました。
幸いなことに、ルカにはどこにも異常が見られません。

ルカが生まれる前に起きた、いくつもの驚くべき、そして恐るべき出来事の痕跡は少しずつ視界から消えつつあります。

しかしルカはいつの日か、これらの出来事が引き起こした無残な結末を目にするかもしれません。
その時、私たちはまるで深い穴に落ち込むようだったその時の体験について、彼に話そうと思っています。
〈完〉

※「逆境の中のたくましさ」(Strong in the Rain)ルーシー・バーギンガム、デイヴィド・マクニール共著は11月30日、ポールグレーブ・マクミラン社より発売の予定です。
http://www.independent.co.uk/news/world/asia/a-tokyo-resident-on-facing-his-fear-and-living-with-earthquakes-8347583.html?origin=internalSearch
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【 武器、軍隊…その銃口が国民に向けられた時[Ⅱ] 】

アメリカNBCニュース 11月27日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

2012年11月19日シリア、ホムス近郊。政府軍の攻撃で徹底的に破壊された市街。


2012年10月10日シリア。国境にあるオロンテ川を渡り、隣国トルコに脱出するシリア人の一家。


2012年9月20日シリア、アレッポ。政府軍の攻撃で負傷し病院で治療を受けたものの、ショックで動けなくなった女性。


2012年9月13日シリア、アレッポ。政府軍の空爆の後、娘を抱えたまま恐怖のため泣き出した女性。


2012年9月5日、政府軍の攻撃を逃れ、隣国ヨルダンの首都、アンマンに向け脱出を図る人々。


2012年7月25日シリア、アレッポ。政府軍の攻撃で重傷を負った5歳の男の子を病院に運ぶ男性。男の子はこの後死亡した。

【 地震の恐怖と暮らす一人の英国人・イン・東京 】〈前篇〉

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所要時間 約 12分

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岩手県大槌町、2011年3月13日


(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

デイヴィド・マクニールは、覚悟も準備もできているつもりでした。
しかし自らが著したこの本を読み返してみて、実際に起きたことは、彼の想像をはるかに超えるものであったことに改めて気がついたのです。

デイヴィド・マクニール / ザ・インデペンダント(英国)11月23日

東京の住人なら誰でも、もしこの場所で巨大地震が起きたらどうするか、ということを考えます。

学生の時初めて東京を訪れた私は、東京のビジネス街の地下に網の目のように広がる、混雑している天井の低いショッピングセンターを歩いていた時、ふと黙示録について考えている自分に気がつきました。

黙示録の内容と東京は決して無関係ではありません。
東京の歴史は、一面では聖書に記されている破壊の歴史であるともいえます。
1923年、マグニチュード7.9の地震、そして津波が東京と横浜を壊滅に近い状態に追い込み、100,000人もの人々が焼死、溺死、圧死しました。
さらには約100km弱ほど離れた場所にある、日本の象徴である富士山ですら、世界最大の都市である東京に何百万トンという火山灰を振らせる危険性を持っているのです。

宮城県名取市、2011年3月11日


英国内で私は質問を受けることがしばしばあります。
1,000年の間に繰り返された自然災害の記録があれ程あるのに、東京で暮らしている人々は、どうやってその恐怖を封じ込めて暮らしているのか?

答えの一つ、それは日本人は恐怖を封じ込めてはいない、という事です。

地震、津波、そして火山の爆発を心から恐れる気持ちは、ほとんどの日本人が持っています。
2011年3月11日以降、地震が始まった瞬間に、家や会社から飛び出し、海岸近くの場所から高台などに避難し、本能の命ずるままの脱出をしたおかげで、命が助かった人々の話を繰り返し聞かされました。
しかし一方で、古代から続く自然災害の際には、どう行動したらよいのかという教訓を無視した人々もいました。
その結果、東北3県で合わせて19,000人が死亡、あるいは行方不明となりました。
そして福島県の広大な田園地帯には、福島第一原発が引き起こした3基の原子炉のメルトダウンにより、深刻な汚染が広がってしまいました。

岩手県大船渡市、2011年3月26日


岩手県大船渡市は、甚大な津波被害を何度も受けた歴史を持っています。
この地の工場労働者である小向昭雄さんは、巨大地震に見舞われた後、急いで逃げ出し、途中で学校から家に帰ろうとしていた子供たちと出会った時の様子を、こう語りました。
「子供たちは自宅のある、海岸方向に向かって歩いていました。私は車のウィンドウを降ろし、こう叫んだのです。『津波が来るぞ!早く逃げろ!』
子供たちはこう叫んだ61歳の男性の方を振り返り、「大丈夫、解ってるよ。」と答えましたが、歩くのを止めようとはしませんでした。」

ひとつの言い伝えが何世紀もの時を超えて、繰り返されてきました。
「しかし私たちはそれを忘れて、海の近くに町を作ってしまったのです。」
小向さんがこう語りました。
「その挙句、津波が襲ってきて何もかも押し流してしまいます。そうなって改めて思い知るのです。言い伝えがあった、ということを。」

都会人は別に根拠も無く、自分たちが天災からからは守られていると考える傾向があります。
しかしそれは過去と比べれは、というだけの話です。
都会で暮らす人々も、巨大地震による破壊が原始時代も今もそれほど変わるものでは無く、洗練された都市で暮らしてはいても、人間の命というものが相変わらずはかないものなのだという事を、折に触れ思い知らさせれることになります。
1995年に起きた阪神大震災では6,400人が犠牲となり、400,000人が重軽傷を負い、日本のGDPの2.5%を奪い去ったあげく、多数の子供たちが親を失ってしまいました。

宮城県仙台市、2011年3月12日


このような事態がもし東京を襲ったらいったいどうなるのだろうか?!
それは想像することすら不可能です。

2011年3月11日、日本最大の交通の要衝のひとつである東京の品川駅のホームに、私は妻のなか子と並んで立っていました。
春の訪れが近く、東京は一年で最も喜びにあふれた季節の中にあり、実際太陽の光にあふれた気持ちの良い午後でした。
そして私たちをさらに幸せにする理由が、もうひとつありました。
もうすぐ私たちの息子、ルカが生まれることになっていたのです。

その時地震が始まりました。
普通の地震と違い、最初に訪れたのは振動ではなく、強い衝撃でした。
続いて振動が徐々に徐々に強くなっていき、辺り一帯の構造物が激しく揺れ始め、駅舎の屋根が凶暴な音を立てながらガタつき、プラットフォームにガラスが落下し、散乱しました。
女性の叫び声がどこからか聞こえました。
別の女性は夫にしがみつき、たくさんの人が妻や子供たちを抱え込んでいました。
一人の男性が出口に向って駆け出し、自動改札機に躓きました。

東京でこうしたパニックを目にすることはまず無いことであり、私の恐怖はいやがうえにも高まりました。
私たちは凍りついたようになってその場に立ちつくし、激しく波打つ心臓の音を意識しながら、上を見上げました。
耳をつんざくような音を立てながら揺れ続ける屋根が自分たちの上に落ちてこないよう、それだけを無言で祈り続けていたのです。
揺れは永遠に続くかと思われるほど長く続きました。
阪神大震災では、揺れは20秒間続きました。
これは後から聞いた話ですが、東北太平洋沖地震の揺れは約6分近くも続いたという事です。

宮城県気仙沼市、2011年3月12日


午後2時46分に私たちが感じたこの爆発的威力は、東北地方太平洋岸の30km程沖合にある、日本最大の活断層の一つが引き起こしたものです。
地球を覆っている地殻は8つの大きなプレートにより構成されていますが、これらは互いに圧力を加えあいながら、数百万年の間動き続けて来ました。
そして日本で最も大きな島が載っている岩盤を構成する太平洋プレートは、この活断層の部分から地球内部に向かってもぐりこんでいきます。
最終的にこうして蓄積されたエネルギーは定期的に放出されることになり、めったにある事ではありませんが、3月11日のような巨大地震につながるのです。

科学者はその際の威力について、TNT火薬に換算し、100万キロトン以上と推定しました。1945年広島に投下された原子爆弾の威力は、後に15キロトンと発表されています。
翌朝私は、インディペンデントに掲載する記事の取材のため、2人の同僚と壊滅してしまった東北太平洋岸に向け出発しました。
高速道路は緊急車両と自衛隊車両のみ通行を許され、一般車両は通行することが出来なかったため、私たちは一般道を北上しました。
その時、後に誰にとっても最大の問題となることになる、6基の原子炉がある福島第一原発で火災が発生しているというニュース速報をラジオで聴きました。

福島第一原発、福島県大熊町、2011年3月14日


アナウンサーの一切形容詞を使わずに、起きた事実だけを淡々と伝える事務的な口調には、緊急性の高い事件が発生したという印象は感じられませんでした。
しかし伝えられた内容に、戦慄せずにはいられませんでした。
〈つづく〉

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/a-tokyo-resident-on-facing-his-fear-and-living-with-earthquakes-8347583.html?origin=internalSearch
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昨日掲載したユーロニュースの【東京電力・柏崎刈羽原子力発電所、2013年4月に再稼働を予定】という記事について、世界の代表紙を片っ端から探し、この記事の裏付けをとろうと思いましたが、今日探した中では見つかりませんでした。
掲載元のサイトにある動画の内容を見ても、いい加減な報道とは思えませんが、せめてもう一本探し出したいと思っているのですが。

しかし映し出された工事の規模を見ても、かなりの経費をつぎ込んでの工事のようです。
成るか成らぬか解らない再稼働のために、財政が窮迫している東京電力がこれだけの工事に踏み切るか、という疑問もあります。
だとすれば、誰かが再稼働を認可する『内諾』を与えたのではないか?という疑念もわき上がります。

吉井英勝氏の著書【原発抜き・地域再生の温暖化対策】(新日本出版社)には、「柏崎刈羽原子力発電所は世界一危険な原発」という記述があります。その理由は複数の活断層の存在ですが、いずれにしても大きな懸念が急浮上してきた思いです。

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【 ホワイトハウスのクリスマス・デコレーション2012 】
招待されたのは出役軍人の留守家族

アメリカNBCニュース 11月29日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

出役中の軍人の留守家族のこどもたちがホワイトハウスに招かれ、今年初めて公開されたクリスマス・デコレーションを楽しみました。


陶器の間


重さ130キロもある、ジンジャーブレッドで作られたホワイトハウス


居間


子どもたちとクリスマスの飾りつけに興じる、ミッシェル・オバマ大統領夫人。


招待した留守家族に、歓迎のあいさつをする大統領夫人。


大統領の愛犬ボーのレプリカ

[アフター・ザ・フクシマ]立ち上がる日本の市民社会〈後篇〉&【東京電力・柏崎刈羽原発、2013年4月再稼働予定】

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所要時間 約 9分

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「被災地の人々に向け『心配する必要などない』と話すことに、良いことなどは何もない」
各国から集まる批判、そして国連の調査官の厳しい評価

キム・ジェンナ・ジュリアーンス / IPSニュース 11月26日


以下は最近起きたことです。
11月に福島県が行った健康調査の結果が発表された際、47,000人の調査対象の内、47%以上の子供たちの甲状腺に、小結節、嚢胞(のうほう)などの異常が見つかりました。
この結果はたった一つ、別の調査例である2001年の長崎での1.6%という数値と比較しても、著しく高い値です。

しかしこの調査を指揮した福島医科大学の鈴木真一博士は、この結果と放射線被ばくとの関連について尋ねたドイツのテレビ局であるZDFに対し、放射線被ばくの影響によるものというよりは、日本の子供たちの食事においては、魚介類の比率が高いことが原因かもしれないという趣旨の返答を行いました。

「鈴木教授は、日本の国民にウソをついています。」
15年間小児科医として働いてきた、橋本ゆりか博士がIPSニュースの取材にこう答えました。
「もう誰もそんな話は信じません。」


政府、そして日本の医学界で最も高い地位を占めている人々、彼らが今回の件で明らかにした見解に対し、彼女は不信を隠そうともしませんでした。
最近になって橋本医師はこれ以上の自らの被ばくを避けるため、東京で経営していた医院をたたみ、大阪に移住しました。

2011年3月の福島第一原発の事故以降、福島県内、そしてその周辺においても、彼女が取り扱ったありとあらゆる症状の中で、下痢、鼻血、皮膚感染と結膜炎の患者が増加を続けました。

しかし彼女がこうした状況について相談を持ちかけると、多くの医師が患者を不要に貶めたり、無視したりしました。

▽ 立ち上がる市民たち

福島から5時間ほどの距離にある、静岡の住民である河合かず子さんは、地元の自治体が海岸に打ち寄せられた、放射能によって汚染されたがれきの焼却処分を決めるまでは、自分たちは福島第一原発の事故の影響は受けてはいないと考えていたと、最近ニューヨークを訪れた際にIPSニュースに語りました。


彼女は地元で懸念を深めている人々のため、静岡の5つの都市の医院、そして情報拠点をめぐる視察旅行に参加してもらおうと、国際的な医学者数人と接触しました。

「福島で見られるものと同じ症状が、行く先々で確認されました。」
ドイツの引退した医学者であり、チェルノブイリの事故の被災地で20年間、子供たちの治療にあたったドアート・ジーデントフ博士が、河合さんとのインタビューを収録したビデオの中で語っています。

ジーデントフ博士はインタビューの中で、アメリカ人の同僚であるウィスコンシン大学医学部の家庭医学・公衆衛生学の専門家であるジェフリー・ピーターソン博士とともに、日本政府が公表した福島医科大学の調査について、痛烈に批判しました。
その見解は橋本医師のものとほぼ一致しています。

実際に現れている症状のうち、どれが福島第一原発による放射性物質が原因となっているか、それを判断するにはまだ早いと断ったうえで、ピーターソン博士は初期治療の専門家である医師も参加した上で、幅広い調査を行う必要があると指摘しました。
「被災地の人々に向かって『心配する必要などない』と話すことに、良いことなど何もありません。地元の人々が抱く懸念には、はっきりとした根拠があり、国際社会はそのことを証明済みなのです。」


権利に関する問題を扱う国連の『健康を守る人間の権利に関する特別報告官』のアナンド・グローバー氏は、11日間にわたる日本国内での調査の後、11月26日月曜日に声明を発しました。
その中でグローバー氏は、日本政府に対し、もっと広範な日本国民に対する放射線被ばくに関する健康調査を実施するよう求めました。

完全に独立した権限を持つグローバー氏は来年6月、国連人権委員会に詳しい報告書を提出する予定ですが、日本滞在中に日本政府を含めた福島第一原発の関係者、医療関係者、市民団体や被災地の住民たちから直接聞き取り調査を行いました。

グローバー氏はさらに、被災地で放射線を被ばくしてしまった住民たちが、「今後に影響を及ぼすどのような決定に対しても、発言することを許されなかった」ことに懸念を表明し、今後は影響を受けたと思われる住民も「実施される対策、放射能汚染実態の監視、そして責任の所在を明らかにする」プロセスに参加させられるべきだと、強く訴えました。

社会の様相が一変してしまった3.11の後、様々な事態が進行する中、懐疑的にならざるを得なかった市民たちは、自分たち自身で身を守る算段を始めました。


災害以降、その生活がどう変わったのか尋ねられると、河合さんはハンドバッグの中からデジタル表示式の一本の棒状の器具を取り出しました。
「これはガンマ線の量を計測する器械です。」
テレビの料理番組で、棒の形をした素材を説明するシェフのような口調で、彼女がこう語りました。
「今では誰もが、一個は持ち歩いています。価格は5,000円ほどです。」

http://www.ipsnews.net/2012/11/in-post-fukushima-japan-civil-society-turns-up-heat-on-officials/
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以下のニュース、「発見が遅れて」2週間以上掲載が遅れてしまいましたが、本当でしょうか?!
国内のニュースでは見た事が無いと思うのですが…
しかし、掲載元のサイトにはきちんと取材された動画が公開されています。

とりあえず翻訳し、掲載します。
関連する記事があるかどうか、数日をかけ確認します。

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【東京電力・柏崎刈羽原子力発電所、2013年4月に再稼働を予定】

ユーロニュース 11月13日


日本にある世界最大の原子力発電所である柏崎刈羽原子力発電所で、巨大な防波堤の建設が開始され、7基ある原子炉の内、少なくとも1基の原子炉を2013年4月に再稼働させるべく、準備が進められています。

日本国内の原子力発電所は20か月前に発生した福島第一原発の事故により、いったんはすべてが停止させられました。
事故の発生により、原子炉の再稼働に対する国民の反対も強くなっています。

「津波そのものの威力を削ぐことも大切ですが、たとえ想定している以上の津波が襲い、電源が失われてしまっても、冷却水を原子炉に送り込むことが出来なくなり、福島第一原発のような事故が起きないように、私たちの新しい計画はこの点について考慮済みです。」
東京電力柏崎刈羽原子力発電所の、荒井史郎所長代理がこのように述べました。

日本はすでに大飯原発の再稼働を実施し、これに対する反対運動が毎週のように行われています。
地質学者も日本政府は福島第一原発の事故から、何の教訓も学んでいないと批判しています。
専門家は大飯原発は活断層の上に位置しており、もし巨大地震が発生すれば、もう一度福島第一原発のようなメルトダウンが起きる可能性が高いと警告しています。

※この記事には動画がありますが、埋め込みできないため、以下の元のサイトからご覧ください。
http://www.euronews.com/2012/11/13/japan-restarts-reactor-despite-protests/

[アフター・ザ・フクシマ] 立ち上がる日本の市民社会〈前篇〉

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所要時間 約 8分

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「日本政府は、本気で国民を守るつもりはあるのか?」

キム・ジェンナ・ジュリアーンス / IPSニュース 11月26日


工業技術者であった、山田恭暉(やすてる)さんの場合、定年退職の意味は、仕事をするのを止めるという事ではありませんでした。
73歳になった山田さんは、日本中から集まった他の700人の熟練技術者である退職者とともに、こう申し出たのです。

福島第一原発の最も危険な、放射線量が著しく高い現場で、若い人たちに放射線被ばくをさせないよう、自分たちが事故の収束作業を行う、と。

山田さん、そして現代のサマリア人とも言うべき彼の同志たちが結成したグループは、1986年のチェルノブイリの事故以来、最悪の原子力事故となった福島第一原発事故に対し、政府がもっと本腰を入れた対策を行い、放射線の危険性について正しい情報提供を行うよう求め、日本全国で立ち上がった市民運動団体のひとつです。

※善きサマリア人(聖書に出てくる)そのものについての解釈は少し複雑なようですので、ここでは善きサマリア人の法(よきサマリアびとのほう、英:good Samaritan law、良きサマリア人法、よきサマリア人法とも)の解説を引用します。
「災難に遭ったり急病になったりした人など(窮地の人)を救うために無償で善意の行動をとった場合、良識的かつ誠実にその人ができることをしたのなら、たとえ失敗してもその結果につき責任を問われない」という趣旨の法である。誤った対応をして訴えられたり処罰を受ける恐れをなくして、その場に居合わせた人(バイスタンダー)による傷病者の救護を促進しよう、との意図がある。
アメリカやカナダなどで施行されており、近年、日本でも立法化すべきか否かという議論がなされている。(日本語版ウィキペディアより引用)


「ガンが進行している頃には、私たちの寿命の方が先に尽きてしまっているでしょう。」
彼の組織[福島原発行動隊(SVCF)]の取り組みについてプロモートするため、アメリカを訪れていた山田さんが、IPSニュースの取材に対し、こう答えました。

[福島原発行動隊(SVCF)]が目指すのは、福島第一原発の事故現場に世界の専門家を結集し、根本的な解決に向けた取り組みを可能にするよう、日本政府に対する国際世論を喚起することです。
現在続けられている事故現場の汚染物質除去などの収束作業には20年、そして根本的解決を図るための事故の検証作業には40年かかると見られています。

「チェルノブイリの事故の規模は、きわめて大きいものでした。しかし福島程、複雑なものではありませんでした。」
山田さんがこう指摘しました。

事故の収束作業がこのまま、事故の対応に充分なノウハウがあるわけではない東京電力という民間企業に任されたままの現状について、山田さんは懸念を深めています。


現在福島第一原発の現場では約400社ほどの企業が参加して、様々な収束作業を行っていますが、何段階もの多重下請けによる現場作業が、熟練した技術者が事故の収束に加わることの邪魔をしている。
ベテラン技術者である山田さんが、このように説明してくれました。

あれ程の批判を受けながら、政府関係機関と原子力産業界のなれ合いの関係は未だに改善されておらず、このため日本政府は事故の収束作業を東京電力任せにしています。
この状況について、収束作業が日本の将来の世代に与える影響、ひいては地球的規模の影響を考えると、居ても立っても居られないのだ、と山田さんは語りました。

一向に改善されない行政と原子力産業界の癒着、めまぐるしく変わる福島第一原発の状況報告と周囲への影響、公表された放射線量への疑念、そして矛盾する現状報告、これらすべてが、日本政府は本気で国民を守るつもりはあるのかという、大きな不信感につながりました。


さらには日本の医学界も、放射線被ばくによる健康への脅威、奇形や正常な機能を持たない子供が生まれる危険性などが高まっていることを否定したことにより、日本国民の中で知識・意識が高い層の信頼を失うことになりました。
〈つづく〉

http://www.ipsnews.net/2012/11/in-post-fukushima-japan-civil-society-turns-up-heat-on-officials/
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どうやら完全とは言えないまでも、年末の衆院選に向け「脱原発への願い」が一本化される動きが出てきて、少しほっとしました。
例によって「二大政党」からは「脱原発だけで政治ができるか?」等々、足を引っ張るコメント続出です。
しかし、脱原発はただ単に物理的に原発を停止させるというだけではなく、利権まみれ、金まみれの原発行政に象徴される、国民不在の政治からの脱却の意味もあります。

福島第一原発の被災者の方々に対する一片のいたわりも示さず、思いやりも口にせず、徹底した金融緩和により外資のハゲタカ集団を呼び込んで日本で好き放題やらせたり、日本国民の基本的人権を制限した上、軍備を増強(すさまじい金がかかります)されてしまったりしたら、それこそ言いたい事も言えない世の中になってしまいます。

今日は個人的意見を述べさせていただきますが、弱者に対するいたわり、思いやりの無い政治など、まっぴらごめんです。

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【 武器、軍隊…その銃口が国民に向けられた時[Ⅰ] 】

アメリカNBCニュース 11月27日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

2012年11月22日、トルコ。国境の向こうのシリア、ラース・アル・アインの方に上がる火の手を見つめる国境警備兵。


2012年11月18日シリア、マアッラト・アン・ヌウマーン。政府軍の攻撃で肩に銃弾を受けた少年を抱きかかえ、病院の外で治療の順番を待つ父親。


2012年11月4日シリア、トルコとの国境近くの難民キャンプ。政府軍による虐殺のあった村から、家族とともに逃げ出すことに成功した少年が、水の配給の列に並んでいる。


2012年11月4日シリア、アレッポ。政府軍の空爆により破壊された住宅から、2人の幼い子供とその母親を助け出す救助隊員。


2012年10月31日シリア、アレッポ。政府軍の機銃掃射により重傷を負った11歳の少女に、酸素吸入をする家族。


2012年10月26日シリア、イドリブの難民キャンプで、配給品の奪い合いに加わる少年。

国連の査察官、日本政府の原発難民・被災者対策に「NO!」

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【 国連特使「日本は福島第一原発事故の被災者に対し、救済のための取り組みを強化せよ!】

山口まり / AP通信 / アメリカABCニュース 2012年11月26日

国連のアナンド・グローバー氏


26日月曜日、国連の権利に関する調査官が、福島第一原発の事故の影響を受けている周辺住民と原発内の労働者に対する日本の保護・救済措置について、もっと充実した取り組みを行うよう、苦言を呈しました。

権利に関する問題を扱う国連の『健康を守る人間の権利に関する特別報告官』のアナンド・グローバー氏は、2011年の巨大地震と巨大津波により引き起こされ、3基の原子炉がメルトダウンした福島第一原発事故において日本政府は、放射線による健康被害について楽観的な観測をのみ行い、限られた健康調査しか行っていないと、語りました。

福島第一原発の事故調査は数多く行われましたが、その中で国会事故調査委員会の報告書は、日本政府がいくつもの事実の隠ぺいにかかわった疑惑について指摘し、その中で大量の放射性物質の拡散状況に関する情報提供の遅れは、多数の人々にしなくても良い放射線被ばくをさせてしまったとして、厳しく非難しました。
このような事実は日本政府と原子力産業界の癒着関係が明らかになった事とも相まって、多くの国民の不信を買うことになったのです。


グローバー氏は、放射線の影響を受けたとみられる住民に対する健康調査が続けられていることについては評価する一方、その調査範囲は狭すぎることを指摘し、日本政府の対応を批判しました。
▽健康被害は福島第一原子力発電所の県境を越えて発生したと考えられるのに、約200万人の福島県民だけに調査範囲が限定されている。
▽子どもたちに関しては、甲状腺がんの検査のみ行われている。

グローバー氏は、健康調査は『福島第一原発の影響を受けた可能性がある全域』について行われる必要があり、具体的には本州の北半分、東日本・北日本全域にまで調査範囲を拡大すべきだとしています。
これに対し、日本政府が行った健康調査は、福島県民の4分の1にしか及んでいません。

グローバー氏によれば、短期間の契約で危険な作業を行った福島第一原発の緊急作業員に関しては、完全な形での健康調査が行われていません。


さらには、多くの住民が、自分たちの健康診断の結果を確認することを許されていないとして、不満の声を上げています。

「調査範囲が狭すぎるという事から考え、日本政府はチェルノブイリの教訓を軽視し、低線量被ばくに関する国際的な医学上の見解を無視している、残念ながらそのように結論せざるを得ません。」
グローバー氏はこう述べ、以下のように続けました。
「チェルノブイリでは事故直後3年間は調査も研究も行われず、資料が欠落しており、決して良い参考例にはなり得ないのです。」

さらに彼は日本政府が、一般市民の1年間の放射線被ばく線量の上限を20ミリシーベルトとしたことについても、疑問を呈しました。
原子力産業に従事する労働者の年間被ばく線量の10倍もの被ばくをしてしまう事を、3年の間一般住民に認めるつもりなのか?
福島第一原発周囲に立ち入り禁止区域を設定する際に、こうした値を用いれば、それ以下の被ばく線量なら安全という誤解を与えてしまうのではないか?


政府が作成し学校を通じて子供たちに配布した冊子、さらには各種の集会において、日本政府は100ミリシーベルトの被ばくをしない限り、放射線被ばくとガンの発症を直接結びつける明確な証拠は無いと強調してきました。

チェルノブイリにおいて立ち入り禁止区域とされたのは、年間被ばく線量が5ミリシーベルトに達する地区である、グローバー氏がこう指摘しました。

いくつかの調査研究においては、年間100ミリシーベルトとの被ばくであっても、高いガン発症確率につながるという明確な証拠は無い、としています。
「しかし、そうした見解は論争の的になっています。そして、異なる見解示す多数の調査・研究結果があるのです。日本政府はそのどちらが正しいかなどと言う見解を示す必要はありません。政府が採るべき態度、それは住民などの健康に関し、より慎重で、あらゆる可能性を検討する姿勢で臨むことです。」
グローバー氏の発言です。


福島医科大学の医師たちは、福島第一原発の事故による推定放射線被ばく線量について、1986年に発生したチェルノブイリ事故と比較して極めて低いものであると結論しました。
子どもたちの甲状腺がんの発症確率も、そうした結果に準ずるものになるだろうと予想しています。
しかし、この9月、福島第一原発の事故以降初めて、10代の一人の少女に甲状腺がんが見つかりました。
これについて福島医科大学の甲状腺がんの専門家である鈴木真一医師は、福島第一原発の事故による放射線が原因とするには、ガンの発症が早すぎると語りました。

チェルノブイリの事故においては、子供たちに初めて甲状腺がんの発症を確認したのは、事故発生後4年が経ってからでした。

グローバー氏はまた、放射線量の測定のありかた、被ばくが健康に与える影響の検証などを行う際、その意思決定の場には必ず住民が参加するよう、最大限の配慮をすべきだとも語りました。
「これは個人的な見解ですが、それぞれの分野の専門家と言われる人々だけが、真実の一端を握っています。地域の人々やコミュニティも、そうした情報を共有できるようにするべきです。」


グローバー氏は11日間にわたって行った、福島およびその周辺地区に関する調査結果について、日本政府に対しても報告書の草案を提出しました。
最終的な報告書は来年6月に公表の予定です。
http://abcnews.go.com/Health/wireStory/envoy-japan-nuclear-victims-17809461#.ULQKd2cyXq4
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この国連査察官の方がおっしゃっているのは、国際社会の常識だと思います。
『先進国社会』なら当然そうあるべきことです。

この国はなぜ違うのでしょうか?
今の衆議院選に向けて大政党の代表が声を張り上げている、その中身を見ればその理由がわかるような気がします。

かつては穏やかな田園地帯で、丹精を込めて育てた花々や樹木に囲まれ、静かに暮らしていた人々。
その人々が原発難民にされるや、多くの人々が狭い上に、夏暑くて冬は寒い仮設住宅で、プライバシーも無ければ、この先の希望も無い暮らしを強いられています。

津波と原発で住む場所も財産も無くしてしまった高齢の方々は、もうここで死ぬしかないのか、と肩を落としています。
幼稚園児、小学生、中学生、高校生、大学生…
先には希望があるはずの子供たちに、そして親御さんの上に重くのしかかる不安と恐怖。

まずこの問題をどうするのか?
被災者・難民・避難民の方々は、どうすれば救われるのか?
2012年の国政選挙であれば、まず真っ先にその議論をしなければならない。
一国の政治の場とはそうあるべきだと思うのですが…

しかし現実は
「TPPによる平成の開国!」
「憲法改正で自衛隊を軍隊に組織変更!軍備強化に突っ走れ!」

この人たちに国際社会の常識が無いのなら、私たち市民がそれを持てばいいのです。
そして人の心を持つことのできない大政党には、厳しい上にも厳しい採点が必要です。

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【 しぼりたての牛乳の雨が降る。EU本部前で大荒れ、ヨーロッパの酪農家 】

アメリカNBCニュース 11月26日


ヨーロッパの酪農家たちがベルギーのブリュッセルにあるEU本部前で、しぼったばかりの数千リットルの牛乳を、辺り一面にまき散らす挙に出ました。
採算がとれるかどうかわからないほど厳しいぃなの生産制限措置、そして価格の低迷に抗議するためです。

26日の午後早い時間、ヨーロッパ中から集まった酪農家、そしてトラクターがブリュッセル市内の最も交通量の多い地区で交通妨害をしたあげく、EU本部前の公園、そして欧州議会前の広場を占拠しました。

集まった農民たちは用意したホースを取り出し、ブリュッセル広場にある、大理石とガラス、そして金属を組み合わせて作られたEU議会に向け、大量のしぼりたてのミルクを浴びせかけました。
一部は通行人、そして取締りに出ていた警官の上に雨のように降り注ぎました。

次に彼らは丸めた干し草の束とタイヤを積み重ねて火をつけたため、真っ黒な煙が空高く立ち上りました。
彼らはこのまま火曜日の午後まで、ここでピケを続ける予定になっています。
2日間の抗議運運動を組織したヨーロッパ酪農家委員会は、現在の生産割当量と価格が続けば、小規模酪農家は事業を続けられなくなると抗議しています。

ベルギーを例にとると、牛乳1リットルの卸値は0.26ユーロですが、生産原価は0.40ユーロになります。

EUの牛乳の生産量は世界最大ですが、欧州議会の年間予算の40%にあたる1,300億ユーロが、酪農を始めとする農家への補助金として使われています。
このためEUは全域で牛乳の生産量を2015年度までに、1億3000万トン程度(それでもEU内の需要を大きく上回ります)にまで減らす取り組みを行うことに合意しました。

こうした酪農家による抗議活動は過去何度かありましたが、2009年には、卸値の少額の値上がりを実現しました。

月曜日にベルギーに集まったトラクターは国内はもちろん、近隣のフランス、ドイツ、ルクセンブルク、そしてオランダからもやって来ました。集まった酪農家の数は2,500人程でしたが、ポーランドからも100人程が参加していました。





http://www.msnbc.msn.com/id/49968348#__utma=14933801.520676263.1342579093.1353898913.1353974264.154&__utmb=14933801.3.10.1353974264&__utmc=14933801&__utmx=-&__utmz=14933801.1353287926.143.11.utmcsr=worldnews.nbcnews.com|utmccn=%28referral%29|utmcmd=referral|utmcct=/_news/2012/11/18/15252420-netanyahu-israel-prepared-for-significant-expansion-of-gaza-operation&__utmv=14933801.|8=Earned%20By=msnbc|cover=1^12=Landing%20Content=Mixed=1^13=Landing%20Hostname=www.nbcnews.com=1^30=Visit%20Type%20to%20Content=Earned%20to%20Mixed=1&__utmk=110220293

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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