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新天皇と孤独な日本の共和主義者( republican )

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天皇制によってもたらされる可能性のある問題について人々に啓蒙していくことが重要
明仁天皇は皇室の存在を平和の象徴として確立することに成功した

天皇即位の週に行われた共和主義の人々の抗議行動

                

ノッポーン・ウォン・アナン / 英国BBC 2019年5月3日
※republican : 君主制の国において、君主制ではなく共和制への移行を主張する人々

                    

今週初め、明仁天皇の歴史的退位と次の天皇の即位式典の準備が着々と進行する中、少人数のグループが東京の外れに集まりました。

       

「天皇の戦争責任を忘れないないようにしよう!」
抗議の声をあげる人々は公園に向かって行進しながらこう叫んでいました。

              

参加者のほとんどが白髪ですが、彼らは日本の天皇制が終わるべき時代になったと信じている日本人の中では少数派に属する人々です。

                  

伝説によると、日本の皇室は太陽の女神アマテラスの子孫であり、その『皇統』は世界で最も古く長いものだとしています。
第二次世界大戦が終わるまで、天皇は『現人神』すなわち生きている神として崇め奉られていました。

               

『反天皇制運動連絡会』、反天連は30年以上にわたって天皇制の廃止を求めてきました。
彼らはそれが日本が1930年代と40年代に天皇の名のもとに遂行した戦争について贖罪を行う唯一の方法であると語っています。

             

反天連メンバーの野村氏はBBCの取材に対し、「戦争は未だにきちんとした形で終結していないのです。」と語り、右翼グループによる暴力的な攻撃を懸念して名字だけを表記するように求めました。

写真 : 戦時中現人神とされていた裕仁天皇は日本の敗北後、神としての立場を放棄しました。

        

野村氏は東京都心にある抗議者グループの小さな事務所に座り、裕仁天皇は第二次世界大戦中に人道に対する罪を犯した戦争犯罪者であると述べました。

                  

「昭和天皇は軍事に強い関心を持っていました。しかし彼は日本が軍事力において米国と英国には劣っていることを把握していたので、この両国と戦争になることだけは恐れていました。」
野村氏がこう語りました。
「しかしアジアで戦争を遂行することにはためらいはありませんでした。」

          

▽ 未だに議論が続く昭和天皇の戦争責任問題

              

在位が1926年から1989年に及んだ昭和天皇は、日本が第二次世界大戦に敗北した後、その神性を放棄しました。
米国の統治下においてで成立した憲法の下で日本は立憲君主国となり、天皇は「日本国の象徴』と規定され、政治に関与することが禁じられました。
天皇制を温存したことにより、結果的に昭和天皇が戦争でどのような役割を演じたのかその説明責任を一切行わないことになったと、野村氏が語りました。

           

▽ 平和の象徴

           

裕仁天皇が在位していた昭和末期には、天皇制への反対感情がより目立つようになり、左翼の急進派が天皇と関わりがある場所に時折小さな攻撃を仕掛けることもありました。

               

             

しかし彼の息子である明仁天皇は1989年に天皇の座に着いてから高齢と健康上の不安を理由に今年4月に退位するまで、皇室の存在を平和の象徴として確立することに成功しました。

          

現在は上皇と呼ばれることになりましたが、父親である昭和天皇がラジオで大日本帝国の敗北を発表した(日本人のほとんどがこの時初めて天皇の肉声を耳にしました)1945年、当時の明仁皇太子は11歳でした。

           

「明仁皇太子(後に天皇)の特筆すべき功績は、戦争によって傷ついた人々を慰問することに尽力することにより、第二次世界大戦(太平洋戦争)中の出来事を切実な問題として認識させたことでした。」
米国オレゴン州にある州立ポートランド大学日本研究センター所長のケン・ルーフ氏がこう語りました。
「さらに彼は戦争中日本の犠牲にされた国々との関係を修復するためにあらゆる努力を惜しみませんでした。」

            

                 

1975年、当時は皇太子であった秋仁は、美智子皇太后とともに、前例のない沖縄への慰問の旅を行いました。
沖縄は10万人以上の一般市民が戦闘の巻き添えになって死んだ、最大の流血の戦場の一つです。
皇太子夫妻は過激派の襲撃を受けたものの、無事でした。

                

明仁皇太子はさらに中国やインドネシアを含む第二次世界大戦(太平洋戦争)で荒廃した国々を訪問し、政治について関わることを厳しく制限されているためその点の発言はできませんでしたが、戦争というものがいかに残酷なものであるかを思い出すよう繰り返し日本の国民に呼びかけました。

             

第二次世界大戦(太平洋戦争)中の旧日本の残虐行為の影響を最も深刻に受けた国の中には、日本が自国の行為について完全な謝罪を行っていないという見解を持ち続け、戦争中の日本の行為については議論が続いています。

             

しかし日本国内においては、明仁天皇の時代に皇室の人気は著しく高いものになりました。
ルーフ氏によれば、各種世論調査の結果、天皇制を支持する国民の割合は70〜80パーセントに上っています。

            

▽ 減少していく運動の支持者

              

野村さんは東京にある彼のオフィスで、彼らの運動の支持者が減り続けていることを認めました。
1980年代には1度の集会やデモに約3,000人の参加者を集めることができていました。
しかし彼らは現在、新しい参加者を引き付けることができないという問題を抱えています。

                    

                  

4月28日開催の集会では80人ほどの抗議者たちが、その何倍もの数の警察官にすっぽり取り囲まれ警護されていました。

               

野村氏は人気のない目標の達成に向け孤独な戦いを続けているのもしれないと認めながらも、天皇制によってもたらされる可能性のある問題について、一般の人々に啓蒙していくことが重要なのだと語りました。
「日本は今、経済不振によって国家的な危機に直面しているという共通認識を持っています。」
「安倍首相が率いる現在の日本政府と右翼は、天皇制によって自分たちの主張に正当性が与られることになると信じているのです。」
野村さんがこう語りました。
野村さんは健康が許す限り、さらに10年ほど活動を続けるつもりです。

                

しかし、野村さんは困難な戦いに直面しています。
日本の皇室は2,000年以上続いていると信じられており、現在の天皇の活動範囲は多様な側面を持つ日本文化に関わる部分に厳しく制限されています。

            

新しい天皇の誕生とともに、広く国民に愛された天皇は退位しました。
一連の儀式により皇室に対する人気が改めて醸成された今、天皇制を廃止して日本を共和国にすべきであるという議論にはフタがされることでしょう。
少なくとも天皇が再び譲位を行う時まで…

https://www.bbc.com/news/world-asia-48133701

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天皇を自分たちに都合よく利用することを始めたのは大正天皇の時代・長州閥の桂太郎(当時の首相)だったようです。

私個人は天皇制の廃止までは望んでいませんが、まさに現代版の長州閥出身者が首相の座にある現在、天皇を利用することを私たち国民は決して許してはならないと思います。

【 減り続ける日本人・子供の人口38年連続で減少 】

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制度的にも社会的にも女性たちをサポートしない日本、増える負担・減少する出生数

地域が子供を守り育てるというシステムが消滅、その分の負担がもろに若い両親に

             

                

山口まり / AP / ワシントンポスト

             

日本の子供の人口は38年連続で減少し、現在その人口は過去最低を記録していると、4日土曜日日本政府が公表しました。
統計局によると、日本の15歳未満の子供の数は2019年4月1日時点で1,152万人で、前年と比べ18万人(1.2%)減少しました。
このデータは5月5日のこどもの日を前に発表されました。

                

家事、そして伝統的に女性の仕事とされている様々な雑用などの負担を背負わされている日本の働く女性たちは、長時間労働と高額な教育費という問題に直面させられていますが、制度的にも社会的にもサポートしてもらうことができないため、日本の出生率は低水準に留まっています。

                

統計局が公表した数値によれば、日本の人口に占める子供達の割合はの12.1%と、人口が4,000万人を超える国々の中で最低です。
ちなみに韓国は12.9%、イタリアとドイツは13.4%です。

                 

              

2017年の時点で、日本人女性は生涯の間平均して1.43人の子供を産みました。
比較すると、英国と米国の平均は1.8人です。

               

最新の政府統計によると、2018年の出生数は日本が1899年に出生者数を記録し始めて以降、最低の921,000人に減少しました。
日本の総人口も448,000人減少して1億2,600万人になり、過去最高の減少数を記録しました。

              

日本の人口は大量の移民の受け入れなどが行われなければ、2050年までに1億人を下回ると予測されています。
深刻な労働力不足が拡大する日本は先月、法的規制を緩和してより多くの外国人労働者の受け入れを開始しました。
安倍首相は、高齢化と低出生率は国家的危機であると述べ、夫婦がより多くの子どもを持つことを妨げている家族の負担を軽減するため、労働問題その他の改革を約束しました。

               

日本の長寿命化は、高齢者介護や社会保障のためのコストの上昇を招いています。
安倍政権の保守的な議員たちは長期的な人口現象の責任について、ことあるごとに高齢者や子供のいない人々を非難してきました。

                   

湿原の多さで知られる麻生太郎財務大臣は今年初め、社会保障費の高騰と人口減少の責任は子どもを作らない人間たちにあると発言し、謝罪する羽目に陥りました。

                

https://www.washingtonpost.com/Japan child population falls for 38th year, hits postwar low

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日本の少子化については、地域が子供を守り育てるというシステムがいつの間にか日本の社会から消滅してしまったことが原因として大きいのではないか、と思います。

昔のことを言っても仕方がないかもしれませんが、私が子供だった昭和30年代〜40年代というのは、間違いなく地域が子供たちを見守ってくれているという実感を子供ながらに感じていました。

                    

私は仙台駅から徒歩10分〜15分といった場所で子供時代を過ごしましたが、街中や路上で何かトラブル(現代の定義のような深刻なものではなく、飽くまで子供にとってのという意味の)に見舞われると、必ず近くにいた大人が手を貸してくれて助けてくれました。

しかし今は子供に知らない大人が近づくと、別の心配をしなければならない時代になってしまいました。

その分、若い親の双肩にかかる負担も大きなものになっているのでしょう。

              

一方で子供が可愛いと感じる、まだまだ元気な高齢者がたくさんいます。現実に学校の登下校時の見守りなどをされている方も多数いらっしゃいますが、それだけでは若い親ごさんの負担の軽減にまでは繋がないでしょう。

一定時間内なら勉強を手伝ったり、情操教育をしたり、スポーツを教えたり、あるいは食事の世話だってしてあげたいという高齢の方は多数いらっしゃるのではないでしょうか?

若い親ごさんたちも、きちんとしたシステムの下で安心してそういった形で子供たちを見守ってくれるなら、負担の軽減につながるのではないでしょうか?

本来なら行政がそうしたニーズと善意とを結びつける取り組みをしてくれるなら社会はだいぶ住みやすいものになるはずです。

                

しかし現在の日本の政権を見る限り、そこに多額の金のやり取りが発生しない、地道にコツコツと社会を良くしようという取り組みは、見向きもされないというのが正直な感想です。

そのような政治が続く現状を容認することによって、次の世代、その次の世代の人々をどんどん追い詰める結果につながっているということについて、私たちは深刻に反省すべきなのではないでしょうか?

北朝鮮の新型ミサイル発射実験とトランプ・安倍会談

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トランプ「アメリカを直接脅かすことさえなければ意に介しない」
北朝鮮国内では1,010万人もの人々が食料不足に苦しんでいる

              

              

アルジャジーラ 2019年5月7日

ドナルド・トランプ大統領は、北朝鮮が新しい兵器の実験を行い朝鮮半島の非核化に関する協議の先行きが怪しくなったことを受け、安倍首相と北朝鮮情勢と貿易問題について電話会談を行ったことを5月6日に明らかにしました。

                

ツイッターの投稿でトランプは同盟国首相である安倍氏との会談について「とても良い話し合い」と表現しましたが、詳細については明らかにしませんでした。
一方の安倍首相は、月曜日のトランプとの電話会談について、記者団に対し日米両国がそれぞれに「完全な」形で協力することにより、朝鮮半島の完全な非核化を目指すと述べました。

               

共同通信によれば、安倍首相は記者団に次のように語りました。
「トランプ大統領と私は北朝鮮とどのように対処すべきか、あらゆる側面について完全に合意した。」

                 

トランプ自身もその政権も北朝鮮の兵器実験については見くびってきましたが、4日に行われた実験に対しても同様の態度を取っています。
軍事アナリストによれば今回の実験の中には、短距離地対地弾道ミサイルが含まれている可能性があります。

             

発射されたのが弾道ミサイルであった場合、米国・韓国と北朝鮮の直接対談のきっかけを作った2017年の核開発・弾道ミサイル開発の凍結以降、初めてのことになります。

           

アナリストは今回の実験について、トランプと北朝鮮のキム・ジョンウン総書記との間で2月に行われた首脳会談が失敗に終わったことを受け、米朝間の非核化交渉でアメリカ側に譲歩を迫るため今回の発射が行われたものと解釈しています。

                 

それでもトランプは5月4日ツイッターで、キム・ジョンウン総書記と合意形成できることを確信しているとのメッセージを流しました。
マイク・ポンペオ米国務長官は5日日曜日に米国政府は北朝鮮とのすべての交渉において「前向きな意図」を失っていないと語りました。
そしてトランプとポンペオは北朝鮮が行った土曜日の打ち上げについて話し合い、「適切な対応について協議した」ことを明らかにしました。

               

「しかし、私たちは利用可能なすべての外交チャンネルを使うことにより目的を達成するつもりである。」
ポンペオ米国務長官はこう語り、次のように続けました。
「金総書記が外交以外の手段に訴えることなく、朝鮮半島の非核化を実現できる方法はまだあると私たちは信じている。」
その上でポンペオ国務長官は、打ち上げられたのは「短距離」ミサイルであり、米国政府は「中距離ミサイル、または米国を脅かす大陸間弾道ミサイルは含まれてていない」と確信していると語りました。

                

これらのミサイルが国境を越えて着弾したことは確認されておらず、韓国や日本に対する脅威も発生しなかったと付け加えました。

                  

                 

北朝鮮の国営通信は、今回の発射について「大口径の長距離多目的ロケット発射装置および戦術的誘導兵器」を試験するため、金総書記の直接監督の下に実施された「攻撃訓練」だと解説しました。

                

▽ 北朝鮮国内の人権

             

これとは別にアメリカ国務省は北朝鮮が「実にひどい人権と基本的自由の侵害を行っている」との懸念を表明し、アメリカ政府は北朝鮮の国民への虐待について「深刻な懸念と深い憂慮」が依然去らないと表明しました。

               

「およそ10万の人々が政治犯として刑務所や収容所で苦しみ、その家族や子供たちまで一緒に収監されてひどい目にあわされている例も少なくありません。さらに抑圧的な環境から逃亡しようとして捕まった場合は、その多くが拷問されたり殺害されたりしています。」

            

             

先週国連は、北朝鮮国内では1,010万人が深刻な食料不足に苦しんでいると公表しました。

                

世界食糧計画のスポークスマンは、「飢饉」という表現は現段階では当てはまらないと語る一方、数ヶ月または数年後には飢饉と言うべき危機的状況に陥る可能性があると語りました。

https://www.aljazeera.com/news/2019/05/trump-japan-abe-discuss-north-korea-tests-190506172919131.html

 

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安倍首相が金総書記と直接対談すると語っていることについて、拉致問題の解決に向け本当に取り組む気持ちがあるのかどうか、これまでのアベ政治を見れば大いに疑いたくなるところです。
同じ思いを抱いていらっしゃる方も多いと思います。

急に『直接会談』を言い出した背景にあるのはもちろん、夏の参議院議員選挙を睨んでのことでしょうが、この記事にあるように、北朝鮮国内の危機的な食料事情を交渉の好機と捉えたことも加わっているのかもしれません。
しかしこの記事が掲載された数週間前に金総書記はロシアを訪問しています。
1,010万人という膨大な数の人間の飢餓を解決するには、中国、ロシアのように陸続き、あるいは港同士が近接している地区の方が食料輸送の融通も利きます。
北朝鮮国内の食料危機を取引材料にできるほど、日本に食料供給能力はあるのでしょうか?

           

拉致問題の解決について繰り返し特使を派遣するなどの不断の交渉を続けてきたわけでもなし、地道で誠実な取り組みとは無縁のアベ政治が拉致被害者を救うことはできるでしょうか?

エコノミスト流解説【 天皇の交代が意味するもの 】

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平和を守り、国民に寄りそうことを大切にする明仁天皇から徳仁天皇への譲位・忍び寄る黒い影
皇居に籠って神に祈るより、国民に、弱者に寄り添うという選択を続けた明仁天皇と美智子皇后

               

                  

エコノミスト 2019年4月29日

                 

4月30日、30年間の在位を経て明仁天皇が退位しました。
85歳になる明仁天皇が1817年以来となる存命中の退位を発表すると、日本国内には衝撃が走りました。
明仁天皇の長男である徳仁皇太子(写真左)が正式には世界最古の君主国の126番目の天皇となりますが、日本の皇室起源は神話伝説によれば女性の太陽神である天照大神にまで遡ります。

              

では今回の天皇の交代は日本にとってどんな意味を持つのでしょうか?

               

戦後憲法は天皇の役割について、宣戦布告の権限を含む絶大的な政治的権力を持った現人神から、国家の象徴に変更しました。
1989年に天皇の地位についた明仁天皇は、彼の父親とは異なる役割を果たしてきました。
明仁天皇は皇居に籠って神に祈り続けるよりも、国民に寄り添うという選択を続けたのです。

              

2680年と言われる天皇家史上初めて一般市民の女性と結婚し、ハンセン病患者が収容されている療養所を慰問し、パラリンピックを擁護しました。

            

             

2011年東北地方の太平洋岸を壊滅させた東日本大震災が発生すると、明仁天皇と妻の美智子皇后は被災地に出向いて生存者に話しかけ、床にひざまずいて両手で被災者たちの手を握りました。
そして明仁天皇は第二次世界大戦(太平洋戦争)における日本の史実に正面から向き合い、贖罪を行うことに熱心に取り組みました。

            

太平洋戦争の戦場となったサイパンやパラオなどの戦場を訪問し、そこで命を落とした人々に弔意を表し追悼を行いました。
また明仁天皇は太平洋戦争のA級戦犯14人の霊が祀られていることをめぐって未だに国内で議論が分かれる靖国神社を訪れることを控え続けてきました。

            

徳仁天皇の皇位継承により日本で目に見える形で変化するのは、『令和』という新しい時代が始まることです。
令和という2文字は「美しいハーモニー」を意味します。

                       

徳仁天皇はこの2文字が象徴する意味について、これから独自の考えを展開していくことになります。

               

『玉砕』を強いられたおびただしい数の日本兵の死体 : ペリリュー島

明仁天皇・美智子皇后は日本国内の社会的弱者の支援に心血を注いできましたが、皇太子時代にオックスフォードで教育を受けた徳仁天皇とハーバード大学卒業生であり、皇室に嫁する以前は数カ国後に堪能な外交官であった皇后のカップルは、国際舞台での活動の方が多くなるかもしれません。
だからと言って徳仁天皇が明仁天皇が30年間歩み続けてきた方向から大きくそれるということは起こりそうにありません。

                  

日本国民の間での明仁天皇の人気は極めて高く、常時80パーセント台を維持してきました。
徳仁天皇も明仁天皇同様、被災地を慰問し、障害のある人々を擁護し、日本の太平洋戦争当時の事歴を正面から見つめ、靖国神社に足を運ぶことはしないでしょう。

                 

明仁天皇の天皇家と一般市民の間のギャップを埋めようとする努力は、彼の家族の人気をいやが上にも高めました。
しかしいかに人気が高い天皇であっても、回避することが不可能な危機が迫っています。

            

日本の皇室典範は皇族の家長は女性であってはならないと規定しています。
このため徳仁天皇の第一の後継者は弟の秋篠宮、次がその12歳の長男です。
さらに皇室典範では女性皇族が一般人男性と結婚した場合は皇族から削られることになっており、現在18人いる皇族は将来一層減少することになります。

                

                

この問題に対処するためには女性天皇の誕生を認めるなど皇室典範の改正が必要です。
しかしこうした考え方に激しく反対しているのが安倍晋三首相の支持基盤でもある日本の守旧派です。

                 

神道色の強い天皇家の儀式も論争の的になっています。
公的資金を神道の儀式に使うことは宗教と国家の分離という憲法の原則に違反するというのが、批判的な立場をとる人々の主張です。

                

しかし今のところ日本国民の多くは、新天皇の即位を新しい時代の到来と受け止められているようです。
停滞する経済と相次いだ大きな自然災害が特徴的だった平成の時代に変わり、日本の人々は新しい時代を迎え入れようとしています。

              

https://www.economist.com/the-economist-explains/2019/04/29/what-the-change-of-emperor-means-for-japan
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最後の1フレーズ、「 country is ready to embrace a new age. 」をどう翻訳するか、大分悩みましたが、結果はご覧の通りです。

            

明仁天皇ご夫妻は誠実無比な、仁愛に満ちた公平で賢良な方々でした。
その進み方は異なるものであっても、徳仁天皇にも同じ見識を期待するばかりです。

             

その天皇家と対照的なのが言わずと知れたアベ政治。
そういえば110年〜75年前、天皇家を自分たちに利用して私曲の限りを尽くし、挙句数百万人の国民を死に追いやり、核兵器攻撃まで招きよせ、結局は日本を滅亡の淵まで追い込んだのも桂太郎から東条英機に至る長州閥でした。

                

大正天皇も昭和天皇も、結局はその私曲の波に飲み込まれてしまいましたが、明仁天皇はぶれることなく生涯を通じて平和主義をつらぬかれました。
政治的発言や活動について極端なまでの制約を課されながら、政治家以上に賢明な政治眼を持たれていた方だと思います。

しかし自分たちの政治目的を達成するために天皇家を『利用』しようとする勢力は虎視眈々とその機会を探り続けています。
こうした人間たちに天皇家を利用させない!
それもまた私たち国民の責務の一つかもしれません。

津波によって平らにされてしまった町、大胆な都市計画と新ビジョンで活気を取り戻せ!

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ただでさえ人口減少にあえいでいた町に、津波は尚一層の困難をもたらした

広島・長崎への原爆投下以降、日本史上最悪の被害をもたらした東日本大震災・福島第一原発事故

親しい人間との死別、財産の喪失、避難生活に打ちのめされてしまっていた町民、それでも彼らは立ち上がった

             

2011年3月に東北地方太平洋沿岸を襲った津波により壊滅的被害を受けた際、女川町の衰退はすでに始まっていました。
女川町は町の再建、そして活性化という2つの課題をクリアすることは可能でしょうか。

             

リチャード・バイズ / ガーディアン 2019年4月17日

             

2011年に東日本の太平洋岸を壊滅させた津波が襲った際、女川町には地面から引き剥がされた交番が横倒しになっていました。
女川町の復興推進部門副部長の田浦義則氏は、次のように語りました。
「私たちは次の世代に教訓を確実に引き継ぐために、この建物を震災遺構として永久保存するつもりです。

                

それは感傷だけに基づくものではありません。
女川の街並みは津波によってほとんど平らにされてしまいました。
未来に向け再建が進められる中、破壊された交番の無残な姿は、津波警報のサイレンが鳴ったら何をおいてもは高台に向かって走らなければならないということを毎日思い出させることになるでしょう。

                 

             

しかし女川の再建は自然災害から町を守るだけでは達成できません。
この町は域内の人口が急激に減り続ける中で、活気あふれる繁栄をどうやって作り上げていけば良いのか、その方法を探さなければなりません。
津波は全国の自治体の中で最も深刻なペースで進む女川の人口減少に拍車をかけてしまいました。
1965年から2011年の間に人口は1万人に半減し、現在ではさらに約6,500人にまで減少しています。

                 

               

原爆投下以降最悪の災害の後、いったいどうすればただ単に物理的に再建されるだけでなく、女川は活気あふれる賑やかな町のままでいられるのでしょうか。

                

問題解決のため女川が打ち出した解決策は大胆なものでした。
すべての住宅地で非居住施設をほぼ全面禁止しました。
これにより女川町の住民は何をするにも - 働くのも、買い物をするのも、学校に行くのも、公共サービスを利用するのも、すべて町の中心部に出てこなければならなくなりました。
女川はスプロール現象(町の中心から郊外へ無秩序、無計画に開発が拡散していく現象)を違法としたのです。

                    

                   

その目的は、新しい駅前の商業地区に自治体が「賑やかな中心街」と名付けた場所を造り上げることです。
このアイディアの基本にあるのは、多頭人口減少が進んでも町の中心部が活気を失うことはない、というものです。
「女川の町の計画には、人口減少を前提条件として取り入れる必要があります。」
田浦氏がこう語りました。
「町の中心部に施設を集中させることによって私たちは女川に新しいエネルギーと新しい雰囲気を生み出したいと考えています。」

             

史上最大規模の津波と地震をもたらしたのは2011年3月11日に発生した東日本大震災でした。
津波の被害を受けた面積は560平方キロメートルを超え、22,000人が死亡、数十万人が避難を余儀なくされました。

                 

宮城県の女川町は自治体としてどこよりもひどい被害を被りました。
周囲の湾に沿う形で陸に向かって押し寄せた津波の高さは14メートルに達し、市街地を包囲するようにして水没させ、827人の命を奪い、全建造物の3分の2が破壊されました。

                     

             

日本は増税によって資金を確保し、地震と津波に加え、福島第一原発の事故を加えた三重災害・東日本大震災の被災地に巨額の復興援助を行いました。
女川は10年間で243億円の国家支援を受けることになっています。

             

             

津波の被害により、人々は親しい人間との死別、財産の喪失、避難生活に打ちのめされてしまっていた町民は、どうやって再建を実現させるかという決定を役人任せにすることを許されてもよかったのかもしれません。
しかし彼らはまるで逆でした。
数百人の市民たちが公開の会議に出席し、激論を戦わせることもしばしばありました。

                   

町長の須田善明氏は、次のように述べています。
「地域社会を丸ごと、あるいは家族を失ってしまったにもかかわらず、一人一人は自分たちの現実に向き合わなければなりません。町の再建方法に多くの町民があれほど大きな関心を寄せた理由はその辺にあるかもしれません。 」

             

最も議論が紛糾したのは町を取り囲むように存在していた14の集落を再建するか、あるいは町の中心部に集団移転させるどうかという問題でした。
当時の安住宣孝町長は集団移転を支持していましたが、年配の住民に反対され、まもなく須田氏と交代することになりました。
各集落は再建されることになる一方、公共サービスは一箇所に集中され、利用するためには誰であってもそこまで来なければなりません。

                

目指すべきゴールは他にもあります。
町の存続は若い世代を引きつけ、そして定住させられるかどうかにかかっています。
地元企業の間では旧世代のビジネスリーダーが復興を指揮していることが問題視されていました。
「実業界の指導者はすべからく60代以上だと言われています。だからあまり口をださないようにして欲しいのです。」
女川町の官民パートナーシップを率いる土井秀樹氏がこう語りました。

             

女川の津波後の掃除トップ:2011年3月16日、中:2011年6月3日(中)、2011年9月1日写真:共同通信/ロイター通信

                    

女川が要塞のようにはならないように、将来再び襲うかもしれない津波の危険に対応するため復興計画には都市計画が含まれています。
海岸線に近い一帯は公園に限定され - 倒壊した交番は震災碑の中心となる予定です。水産業に欠かせない建築物に隣接する事になります。
そしてその背後には、比較的低い「レベル1」の津波(女川の場合は高さ約4メートル)に対し障壁として機能するのに十分な高さを持つ新たに建設された道路で保護された商業地区中心の街並みが広がります。

            

女川町の新しい住宅地は高さ約17メートル・レベル2の津波が襲来しても安全な十分な高さがある山腹を削り取って建設が進んでいます。

           

「私たちの町は海、山、そして森に囲まれており、平坦な土地がほとんどありません。だから山を切り開いて宅地を造成しているのです。」
と田浦氏がこう語りました。。
「住宅地は大きな津波が襲ってきても安全を確保するのに十分な高さになるでしょう。低い地域は商業用地と駅だけになります。私たちは一般住宅をこの地域に建てられないようにしました。」

             

湾内ではあちこちで大規模な建設作業が進んでいます。コンクリートの補強材で丘ののり面を補強し、土地を削って平らにして造られた新しいコミュニティと町の中心部を繋ぐ道路をの建設が進んでいます。
ほとんどの被災者は新たな住宅に入居しましたが、約40世帯がまだ借り上げを含む仮設住宅で暮らしています。

新しい女川港と高台に建設された住宅

            

町が無秩序に広がらないようにする取り組みが成功するか否かは、人口が縮小しつつある中、どうやって活力を生み出せるかという点にかかっています。
英国同様、日本も商店や会社の廃業により目ぬき通りがシャッター街と化す現象に苦しんでいます。
東日本大震災以前、女川町の中心部のほとんどは個人所有であり、自治体がこの問題に対処する能力には限界がありました。

                 

しかし現在、自治体が土地の所有権を取得し、コミュニティ開発会社が店舗を所有しテナントの管理を任されています。
助成金によるサポートもあり、テナントはすでに約40店が入居しました。
これらのテナントは女川の町にボヘミアン調の空気を送り込んでいます:ギターメーカー、石鹸会社、タイル工場、コーヒーショップ、職人が作るテイクアウトのファストフード店、さらにはさまざまな催し物が開催されます。

                

しかしながら目指すべき目標は明快さとは程遠いものです。
東日本大震災以前女川に存在していた企業の3分の1は生き残ることができませんでした。
投資、決意、楽観主義、創造力をかき集めても尚、それでも人口減少が創造を超える強力な障害であることが証明されてしまう結果に終わるのではないかという恐れが依然として残っています。

                  

「どうすれば将来に向けこの町を成功に導くことができるかというのは、私たちが未だに絶えず答えを出せずにいる問題なのです。」
「私たちはこれからの町の再建手法が、コミュニティに人々を呼び込み、定住させるためのモデルとして役に立つことを願っています。
もちろんインフラストラクチャを整備することも重要ですが、最も重要なのは町の人々が再建のために力を合わせ、活力と熱意を持って取り組むことなのです。」

https://www.theguardian.com/cities/2019/apr/17/the-town-that-outlawed-sprawl-onagawa-tsunami-rebuild

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3.11からちょうど1週間後、私たち夫婦は女川にいる友人宅に見舞いに行きましたが、仙台、石巻、女川と車を運転していった途中に見た光景は、忘れようと思っても忘れられるものではありません。

石巻市内の学校の校庭はあらゆる種類の緊急車両で埋め尽くされ、幹線道路の両脇には津波で流されたがれきがあたかも堤防のようにうず高く積まれていました。

さらに進むと、住宅の外壁を突き破って乗用車が突き刺さり、天地が逆になった小さな建造物が目に入り、当時はまだ生活道路の確保のための懸命の作業が続けられていました。

仙台市内の丘の上の岩盤に建つ我が家は当時築5年ということもあり、多数の物が倒れた以外は、よく見ると壁の隅の壁紙に亀裂が入っている程度の被害で済みました。

                

しかしそれも今考えれば、東北電力女川原発が東京電力福島第一原発と同じ事故を起こさなかったからだと思い当たりました。

もし福島第一原発と女川原発が2つとも事故を起こしていたら、原発難民は数十万人ではなく数百万人の規模に膨れ上がっていたはずです。

そして私の人生も、家族も含め今周囲にいる人々の人生も、容赦なくその時点で断ち切られていたに違いありません。

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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