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新天皇と孤独な日本の共和主義者( republican )

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所要時間 約 9分

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天皇制によってもたらされる可能性のある問題について人々に啓蒙していくことが重要
明仁天皇は皇室の存在を平和の象徴として確立することに成功した

天皇即位の週に行われた共和主義の人々の抗議行動

                

ノッポーン・ウォン・アナン / 英国BBC 2019年5月3日
※republican : 君主制の国において、君主制ではなく共和制への移行を主張する人々

                    

今週初め、明仁天皇の歴史的退位と次の天皇の即位式典の準備が着々と進行する中、少人数のグループが東京の外れに集まりました。

       

「天皇の戦争責任を忘れないないようにしよう!」
抗議の声をあげる人々は公園に向かって行進しながらこう叫んでいました。

              

参加者のほとんどが白髪ですが、彼らは日本の天皇制が終わるべき時代になったと信じている日本人の中では少数派に属する人々です。

                  

伝説によると、日本の皇室は太陽の女神アマテラスの子孫であり、その『皇統』は世界で最も古く長いものだとしています。
第二次世界大戦が終わるまで、天皇は『現人神』すなわち生きている神として崇め奉られていました。

               

『反天皇制運動連絡会』、反天連は30年以上にわたって天皇制の廃止を求めてきました。
彼らはそれが日本が1930年代と40年代に天皇の名のもとに遂行した戦争について贖罪を行う唯一の方法であると語っています。

             

反天連メンバーの野村氏はBBCの取材に対し、「戦争は未だにきちんとした形で終結していないのです。」と語り、右翼グループによる暴力的な攻撃を懸念して名字だけを表記するように求めました。

写真 : 戦時中現人神とされていた裕仁天皇は日本の敗北後、神としての立場を放棄しました。

        

野村氏は東京都心にある抗議者グループの小さな事務所に座り、裕仁天皇は第二次世界大戦中に人道に対する罪を犯した戦争犯罪者であると述べました。

                  

「昭和天皇は軍事に強い関心を持っていました。しかし彼は日本が軍事力において米国と英国には劣っていることを把握していたので、この両国と戦争になることだけは恐れていました。」
野村氏がこう語りました。
「しかしアジアで戦争を遂行することにはためらいはありませんでした。」

          

▽ 未だに議論が続く昭和天皇の戦争責任問題

              

在位が1926年から1989年に及んだ昭和天皇は、日本が第二次世界大戦に敗北した後、その神性を放棄しました。
米国の統治下においてで成立した憲法の下で日本は立憲君主国となり、天皇は「日本国の象徴』と規定され、政治に関与することが禁じられました。
天皇制を温存したことにより、結果的に昭和天皇が戦争でどのような役割を演じたのかその説明責任を一切行わないことになったと、野村氏が語りました。

           

▽ 平和の象徴

           

裕仁天皇が在位していた昭和末期には、天皇制への反対感情がより目立つようになり、左翼の急進派が天皇と関わりがある場所に時折小さな攻撃を仕掛けることもありました。

               

             

しかし彼の息子である明仁天皇は1989年に天皇の座に着いてから高齢と健康上の不安を理由に今年4月に退位するまで、皇室の存在を平和の象徴として確立することに成功しました。

          

現在は上皇と呼ばれることになりましたが、父親である昭和天皇がラジオで大日本帝国の敗北を発表した(日本人のほとんどがこの時初めて天皇の肉声を耳にしました)1945年、当時の明仁皇太子は11歳でした。

           

「明仁皇太子(後に天皇)の特筆すべき功績は、戦争によって傷ついた人々を慰問することに尽力することにより、第二次世界大戦(太平洋戦争)中の出来事を切実な問題として認識させたことでした。」
米国オレゴン州にある州立ポートランド大学日本研究センター所長のケン・ルーフ氏がこう語りました。
「さらに彼は戦争中日本の犠牲にされた国々との関係を修復するためにあらゆる努力を惜しみませんでした。」

            

                 

1975年、当時は皇太子であった秋仁は、美智子皇太后とともに、前例のない沖縄への慰問の旅を行いました。
沖縄は10万人以上の一般市民が戦闘の巻き添えになって死んだ、最大の流血の戦場の一つです。
皇太子夫妻は過激派の襲撃を受けたものの、無事でした。

                

明仁皇太子はさらに中国やインドネシアを含む第二次世界大戦(太平洋戦争)で荒廃した国々を訪問し、政治について関わることを厳しく制限されているためその点の発言はできませんでしたが、戦争というものがいかに残酷なものであるかを思い出すよう繰り返し日本の国民に呼びかけました。

             

第二次世界大戦(太平洋戦争)中の旧日本の残虐行為の影響を最も深刻に受けた国の中には、日本が自国の行為について完全な謝罪を行っていないという見解を持ち続け、戦争中の日本の行為については議論が続いています。

             

しかし日本国内においては、明仁天皇の時代に皇室の人気は著しく高いものになりました。
ルーフ氏によれば、各種世論調査の結果、天皇制を支持する国民の割合は70〜80パーセントに上っています。

            

▽ 減少していく運動の支持者

              

野村さんは東京にある彼のオフィスで、彼らの運動の支持者が減り続けていることを認めました。
1980年代には1度の集会やデモに約3,000人の参加者を集めることができていました。
しかし彼らは現在、新しい参加者を引き付けることができないという問題を抱えています。

                    

                  

4月28日開催の集会では80人ほどの抗議者たちが、その何倍もの数の警察官にすっぽり取り囲まれ警護されていました。

               

野村氏は人気のない目標の達成に向け孤独な戦いを続けているのもしれないと認めながらも、天皇制によってもたらされる可能性のある問題について、一般の人々に啓蒙していくことが重要なのだと語りました。
「日本は今、経済不振によって国家的な危機に直面しているという共通認識を持っています。」
「安倍首相が率いる現在の日本政府と右翼は、天皇制によって自分たちの主張に正当性が与られることになると信じているのです。」
野村さんがこう語りました。
野村さんは健康が許す限り、さらに10年ほど活動を続けるつもりです。

                

しかし、野村さんは困難な戦いに直面しています。
日本の皇室は2,000年以上続いていると信じられており、現在の天皇の活動範囲は多様な側面を持つ日本文化に関わる部分に厳しく制限されています。

            

新しい天皇の誕生とともに、広く国民に愛された天皇は退位しました。
一連の儀式により皇室に対する人気が改めて醸成された今、天皇制を廃止して日本を共和国にすべきであるという議論にはフタがされることでしょう。
少なくとも天皇が再び譲位を行う時まで…

https://www.bbc.com/news/world-asia-48133701

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天皇を自分たちに都合よく利用することを始めたのは大正天皇の時代・長州閥の桂太郎(当時の首相)だったようです。

私個人は天皇制の廃止までは望んでいませんが、まさに現代版の長州閥出身者が首相の座にある現在、天皇を利用することを私たち国民は決して許してはならないと思います。

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