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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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極めつけの凡人より

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人生とは次々に起きる出来事の積み重ね。
だけではないはずです。
起きた出来事をどう受け止めたか。
そして、どう考えるのか。
その事が、実はその人にとっての人生だと思うのです。

イギリス領アデン(現イエメン)1938年発行

イギリス領アデン(現イエメン)1938年発行

私はこの世で最も憎むべき行為は、人の人生を取り上げてしまう事だと思っています。
そういう意味で、私が「許せない」のは
第二次世界大戦において
ナチス・ドイツがやったホロコースト。
日本軍がやった特攻隊攻撃。
そしてアメリカ軍の広島・長崎への原爆投下です。
そして現代では、9.11アメリカ同時多発テロ。
いずれも実に多くの人々が、選択の余地なく人生を「他人に」奪われてしまいました。

私は凡人も凡人、しかも極めつけの凡人。
そのため死ぬ、という事には非常な恐怖を持っています。
死とは何か、今の所科学的に証明されているのは「物理的に消滅する」という事だけです。
したがって、私にとっての「死」とは、今途切れる事なく続いているこの意識が、ある日突然停止し、二度と復活しない、という事になります。
それはいったいどういう事なのか、それこそ死ぬまでわかりません。
未知への恐怖、それこそが「死」についての恐怖の最大のものです。

こうした恐怖から逃れるため、人々は「宗教」というものを考えだしたのだろう、私はそう思っています。
世界の4大宗教、という言い方をしますが、いずれも「死後の世界」は重要なテーマです。
結論は実に大ざっぱにいえば、いずれも生きている間身を慎んでひたむきに生きれば、やがて安らかなしを迎える事ができる、というもの。
具体的な「死後の世界」については各宗教ごと、解釈・説明はさまざまです。

しかし、この宗教を歪曲してしまい、その結果、他人に死を強制する行為を行う心悪しき人間が後を絶ちません。
一部のアラブのテロリストは、何の罪もない一般市民を無警告に殺戮する事を「聖戦(ジハド)」と言い張ります。確かにイスラム教の中に「コーランか、死か?!」と入信を強制する部分があります。
しかし、イスラム教の創始者ムハンマドの真意は、当時アラブ世界に数多くいた倫理観をほとんど持たず平気で殺人・犯罪を繰り返していた人間に、一定の規律を与えることによって安定した社会を築くことにあった、と言われています。
現にムハンマドはイスラム教を築くにあたり、にユダヤ教、キリスト教を大いに参考にしました。
そして、彼らを攻撃せよ、とは一言も言っていません。
もちろん、アラブのテロリストについては、イスラエル問題があり、因果関係は単純なものではありません。
しかし、テロリストが貧しく教育のない若者を狙って歪曲したイスラム教をすり込み、殺人機械を作り上げ、自爆テロによって自他もろとも多数の人々を殺す、人生を奪う。

今回の東日本大震災、実に3万人もの人々が人生を奪われてしまいました。
被災地の真ん中にいて考えることは、
「人間が同じ人間から『人生を奪う』ことは決して、決してやってはならない。」
ということです。

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緊急にお話ししたかったのです

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今、アメリカが大変な事になっています。
別の原稿をアップする予定でしたが、急遽差し替える事にしました。

ユグノー教徒のアメリカ上陸  1924年アメリカ合衆国発行

ユグノー教徒のアメリカ上陸  1924年アメリカ合衆国発行

昨年末から今年の3月まで、アメリカ北部は大雪と猛烈な寒波に見舞われました。
4月には中西部でトルネード - 竜巻が大発生し、家屋などが多数破壊されました。
5月になると今度は北部に降った大雪が溶け出し、南部のミシシッピ川が氾濫、1974年以来開けた事のない放水門を開け、近隣の市町村が水没の危険にさらされています。

そしてさらに、今度は中西部で再び巨大竜巻が発生してしまいました。
5月24日のNBC Nightly News は、メイン・キャスターのブライアン・ウィリアムズさんが急遽、竜巻で甚大な被害を受けたミズーリ州のジョップランという町に飛び、現地からリポートしました。
今回の竜巻による死亡者は116人、一個の竜巻の死者としては史上最大と伝えています。
その惨状は同行したウェザー・チャンネルのリポーターが放送中に嗚咽を漏らしてしまう程のもので、規模こそ違え東日本大震災で津波に破壊された女川や南三陸町の惨状にそっくりです。

ニュースでは巨大竜巻の様子を撮影したフィルムが放映されました。
灰色の空に真っ黒な渦が、時折稲光を放ちながら迫ってくる様子は、私たちが見た津波襲来の映像に勝るとも劣らない恐ろしさです。
番組ではこの竜巻により、家の中で祖母が死亡した若い女性にブライアン・ウイリアムズさんがインタビューしていましたが、最後に大きく女性を抱擁して慰めていました。
習慣の違いとはいえ今度の東日本大震災の取材で、何も知らない幼児に向かって「お母さん死んじゃったよ。」とやった東京のテレビ局とはあまりに違いすぎます。

もうひとつ気がかりな事があります。
このニュースが飛び込んできたのは、日本時間24日午前10時頃。
この日の夕方の日本のニュースは管首相がG8に出席する際の意気込みについて、以下のように伝えました。
「大震災を乗り越え元気に復興していく、日本が再生していくという意気込みを世界に伝えたい。」
ニュースに写る管首相のニコニコ顔を見て、私は幻滅、羞恥、そんなものがないまぜになって襲って来ました。
「東日本大震災の惨禍に苦しむ東北で、自衛隊と恊働してアメリカ軍が様々な支援活動をしてくれた事を忘れたのか?! その中にミズーリ州の兵士がいたかもしれないじゃないか!」

インタビューが行われたのは午後4時頃。
なぜ一言、アメリカの被災者に慰めといたわりの言葉が無かったのか.....
こうした気遣いこそが、今原発によって世界からの信用を失墜させてしまった日本に必要な事ではないのか?
「日本人は自分たちのことしか、考えてない。」と言われない、いや、思われないために。
秘書官などの側近なのか、首相自身なのか、無神経で自分の事しか考えていないのが誰なのかは知りません。

我が国の首相がG8でオバマ大統領に会ったら、まずは東日本大震災への援助に対する感謝はもちろん、アメリカの洪水や竜巻の被害者に対する思いやりを、誠心誠意示してほしいものです。

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『犯人探し』は今、するべきことなのか?!

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果然、というべきか、またしても、と言えばいいのでしょうか。
今度は東京電力福島第1原発1号機の炉心冷却のための海水注入が中断したことの「犯人探し」が始まりました。

アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントン 第二次世界大戦が終わって65年、国民が今程「日本の政治の不毛」を感じさせられている時はない。 アメリカ独立の英雄、ワシントンは「偶然現れた」のではない。 インディアンを迫害するなど今となれば人としての問題点も感じるが、彼を司令官として選んだ人々の真摯な期待が、彼を比類なき指導者に育て上げた。

アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントン 第二次世界大戦が終わって65年、国民が今程「日本の政治の不毛」を感じさせられている時はない。 アメリカ独立の英雄、ワシントンは「偶然現れた」のではない。 インディアンを迫害するなど今となれば人としての問題点も感じるが、彼を司令官として選んだ人々の真摯な期待が、彼を比類なき指導者に育て上げた。

首相が指示した、指示しない、ということが焦点のようですが、要は「今度こそ菅降ろし」を実現させようと言うことなのでしょう。
首相の「人格と品性」については震災以来、すでに多くの日本人がその本質をうかがい知ることになっていると思います。
天皇・皇后両陛下が避難所を時間をかけて被災地ごとに訪問され、ひざまづかれて被災者の一人一人を丁寧に慰め、力づけられ、さらには水仙の花(http://kobajun.biz/?p=433をご参照ください)の様なエピソードが生まれました。
5月21日に来日された韓国のイ・ミョンバク大統領も避難所の一家族の区画の中に座り込み、まるで親戚のおじさんが見舞いにきたかのように親身になって、被災者を見舞っておられました。
これに対し、我が国の首相は避難所を訪れた際、立ったまま通り一遍の挨拶をして立ち去ろうとし、被災者から怒号を浴びせられました。
そして国民新党亀井氏の嘆き。
「首相は先日、家族とホテルで食事したそうだが、なぜ震災で親を失った子供たちと一緒にカレーライスを食べようという発想にならないのか....」
巧言令色少なし仁。
高校の漢文の時間にみなさんも習われたと思いますが、現実に見せられると何ともやりきれない思いになります。

しかし、だからといって一国の最高権力に連なる国会議事堂に出入りする人間が、今この時に政局争い、権力闘争に血道を上げて良い、という事にはならないと思います。
与党も野党も、日本の国会議員には『日本国の公僕』として、今、やらなければならない事が山積みしているはずです。
親を失ってしまった子供たちは、毎晩夜の闇におびえているのです。
子を失ってしまった親たちは、多くが生きる目的を見失ってしまいました。
震災から子を守った親たちも、今度は職を失って希望を失いかけています。
震災前から孤立しがちだった高齢者の方々は、いまや生命の危険にさらされています。
これら震災で絶望から、悲嘆から、苦悩から立ち上がれないでいる人々を踏み台にして、自分が権力の座にのぼろうなどは、許される行為ではありません。

犯人探しは、福島第一原発の4基の原子炉すべてを安定化させてからやってください。
溢れ出す高濃度汚染水の持って行き場も無くなってきているはずです、これをどうするのですか?
私たち日本国民にとって、今回の事態の犯人探しをするべき時はただ一度です。
『事態が終息した後』二度とこのような事故を起こさない、そのための対策を確立するために原因を明らかにする必要がある、そのときだけです。

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命が失われた世界・蒲生再訪〈1〉

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昨日、仙台市宮城野区の蒲生地区に行って来ました。
東日本大震災から2ヶ月、しかし津波の直撃を受けた地区の復興・再生の容易ならなさを改めて感じました。
ひとつは空気。

アオシジュウカラ 1970年 スイス発行

アオシジュウカラ 1970年 スイス発行

石巻や女川、南三陸、気仙沼でも復旧活動を続ける自衛隊や消防、警察の方々を、がれきから発生する多量の『ほこり』が苦しめている、と非常に強い風が吹いた5月の連休明け、新聞などが報道していました。
実際にそうした場所に立ってみて、そのひどさを痛感させられました。
立っているだけで10分程もすると、猛烈に喉が痛くなってくるのです。
道路には絶え間なく散水車が行き交っていますが、現場で何らかの作業に従事されている方々は皆マスクをしています。そうしなければ、その場所に居続ける事すらむずかしいのでしょう。
津波は仙台港の港湾施設を破壊しましたが、タンクなどから漏れだした様々な化学物質が今も地面に残留し、それらが折からの好天で気化してしまっているのかもしれません。
まる一日経ってこの原稿を書いている今も、痛みが消えません。

道路の損傷もひどく、陥没はもちろん、えぐられるように穴が空いている箇所もあり、車で進むには一瞬の気のゆるみも許されません。

そして景色。
田んぼの中には未だに破壊された乗用車やトラックがそのままになっている地域もあり、がれきの撤去など口で言う程簡単にはできない事がわかります。
蒲生地区は七北田川を挟んで、干潟で有名な北蒲生と運動公園などの施設が充実している南蒲生に分かれています。
大ざっぱな言い方ですが、干潟には水鳥が多く集まり、運動公園近くの背のあまり高くない森にはホオジロ、オオヨシキリ、シジュウカラ、カワセミなど数えきれない程多くの種類の野鳥がいました。
以前私は少しカメラに凝った時期があり、被写体として野鳥を追いかけていた時期がありました。そんな私にとって蒲生は『宝の山』だったのですが......
干潟の方は3月11日当日、津波でそっくり消失してしまいました。
その日私は損傷だらけの道を慎重に進み、小鳥たちのいた森がどうなっているのか気になり、何とかたどり着こうとしました。
でも田んぼ道の目印にしていた建物は皆流されてなくなっており、それでも記憶をたよりに森の入り口近くまで来る事ができました。
しかしその先は道路の損傷がひどく、もうこれ以上は進む事はできません。
仕方なく、目指す森を目でさがしました。
でも、見えたのはあったはずの空間だけ。
野鳥たちが鳴き交わしていた森は、何か凶悪な力でむしられたようにまばらになっていました。
頭が真っ白になり、涙だけがにじんできました。

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オラなど、死ねばいがった

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妻が薬剤師をつとめる薬局に、最近、宮城県の気仙沼市のおばあちゃんが姿を見せられるようになりました。年齢は80歳に近く、3月11日に気仙沼市の自宅が被災してしまったため、仙台市内の長男のお宅に引き取られ、暮らしておられるそうです。

ウイリアム・ターナーの絵画[ 平和 - 水葬 ]

ウイリアム・ターナーの絵画[ 平和 - 水葬 ]

慣れない環境もあり調を崩される事が多いため、妻に相談して必要なものをお買いになり、しばらくいろいろお話をされてから帰られます。
おばあちゃんは被災した気仙沼市の様子をお話しされた後、最後に決まってこうおっしゃるそうです。
「町も流され、若い人もいっぱい亡ぐなって、わだしらみだいな者(もん)ばがり生ぎのごって......。オラなど、死ねばいがった......」
そして肩を落として帰って行かれるそうです。
この言葉を反芻するたび、私は涙がにじんできます。
そして、考え込んでしまいます。
なぜ、生への執着を捨ててしまったのだろう、と。

薬局のある仙台市内の高台と石巻、女川、南三陸、気仙沼などの沿岸とでは、おなじ宮城県と言っても被災状況はまるで違います。
家や設備等に多少の被害はあっても、コミュニティがそのまま残った地区と、暮らしていた地域社会が消失してしまった地区では、当たり前の話ですが、その後の生活が全く違ってしまいました。
私は一度、記憶を一時的に失った事があります。
その時痛感したのは、自分の人生の記憶が無い、という事はこれまでの生に全く意味が無い、という事でした。
幸い記憶はすぐに戻りましたが、あのときの焦燥と絶望は忘れられません。

おばあちゃんは長い人生を、気仙沼の町の中に刻んできたのではないでしようか。
気仙沼に生まれ、少女期を過ごし、大人になって結婚。
そして子供が生まれ、やがて孫の世代との対面。
妻は「優しそうなおばあちゃん」と言いますから、やさしい母親であり、やさしいおばあちゃんであったに違いありません。
周囲の人々との暮らしが、気仙沼の町のあちこちに刻まれてきたことでしょう。
町のあちこちに刻まれた記憶の集積がすなわち、おばあちゃんの人生の大切な何かであったはず。
そして津波。

津波の被害のむごたらしさの第一、それは多くの人の命を一瞬にして奪うこと。
そして第二はたくさんの人の人生の記憶を奪ってしまう事、ではないでしょうか。

この震災で、自衛隊など救助にあたられている方々の素晴らしさのひとつは、そこに暮らしていた人々の記憶につながる品物をひとつひとつ大切に回収し、持ち主の方に返していらっしゃる事です。
津波に流されたはずの写真アルバムを再び手にして、泣きくずれた人が何人いたことか......

でも残念ながら、こうした現場の人々の献身だけではおばあちゃんの嘆きは消えません。
今回被災した町や村が再生し、すべての世代の人々が生き生きと暮らせるようにならなければなりません。

それはもっと大きな組織、国家、中央官庁、政党などの役割のはず。
ともすれば、高学歴や家柄だけで何やら畏敬の念を持ってしまう私たち日本人。
でも今は、彼らがおばあちゃんの嘆きをしっかりと受け止める、その資質を持っているか、いないのか?!
わたしたち日本人は、その事を問い続けなければならないのではないでしょうか?

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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