5月の中旬、中国人の友人夫婦が奥さんのご両親と一緒に我が家を訪ねてこられました。
ご主人は医者で、現在は仙台市の画像検診クリニックで、検査技師として働いています。
奥さんは主婦兼業で中国語関連のボランティアなどをしていますが、3月11日の大震災直後は二人とも、我が家で避難生活をしていました。
その後、中国にいる二人の両親の強いすすめもあり、12日後の3月23日、いったん中国に帰国したのです。
ご主人は仕事があるため4月の始めには日本に戻っていましたが、奥さんは2カ月ぶり、ご両親を伴っての再来日でした。
実はご両親は以前にも来日するたび、我が家を訪問されていました。
初めて我が家を訪れた際、
「なぜ他人の、しかも外国人に、こんなに親切にしてくれるのか?」
と、私たちと娘さん夫婦のつきあいについて尋ねられました。
私たちは別にたいした事をしているつもりはありませんでしたので、返答に窮した覚えがあります。
今度もご両親は何としても直接私たちに会って、震災後の避難生活のお礼を言いたい、との事でした。
お礼も何も、振り返れば我が家に避難している3人を守り通したいという思いが、震災直後の水も電気もない一番ひどいときに、私たち家族4人の心を支えていたのです。
この3人がいなければ、続けざまに入ってくる悲惨な映像や情報のために私たち自身がおかしくなっていた事でしょう。
それを思えば、本当に「お礼など、とんでもない!」のです。
ところが、ご両親が「何をお礼すればいいかわからないので、こんなものを持って来てしまいました。」
と差し出されたのが、「純金」と書かれた竹の細工物でした。
丈はすくすく伸びるところから、中国では「発展」の意味のある縁起物なんだそうです。
でも、不覚にも、ほんとにほんとに不覚にも、わたしは縁起よりも「純金」の文字を見て
「すごいもの、もらっちゃった」と少々興奮してしまったのです。
正真正銘「庶民」の我が家には、純金のものなど何もありません。
あーあ、貧乏人の悲しい性を、自分自身に見つけた瞬間でした。
そしてさらなるオチは.......
改めて良く見れば、細工物は「純金」ではなく、「純金箔」だったのでした。
もっとも「純金箔」すら我が家には無いのですが...
我が家にある「高価なもの」世界最初の切手、英国1840年発行の[ペニーブラック]未使用。
カタログ価格は720,000円ですが、ただし左側に余白が無く、減点されるかも......
5月23日にアメリカ史上最悪と言われる竜巻がミズーリ州ジョップラン市を襲いましたが、現地はまだその衝撃から立ち直っていません。
その中で非常に印象的な報道に出会いましたので、皆さんにもその映像をご覧いただきたいと思います。
前半の概略を翻訳しましたので(間違いがあったらごめんなさい)、5月28日のNBC ナイトリー・ニュースのトップをご覧ください(画面の中のプレイボタンをクリックしてください)。
ミズーリ州のジョップラン市(日本のテレビ局はジョプリン市などと言っていますが、発音をよーく聞いてみてください)には、がれきをかき分けながら2,000人を超えるボランティアが現地に入り、未だ100人を超える行方不明者の捜索に当たっています。
ある10代の犠牲者などは卒業式を終えた直後に、竜巻にさらわれてしまったと見られています。
今年の竜巻の被害では少なくとも522名の犠牲者が中西部から深南部にかけて出ており、これは1947年以来の規模です。
NBCのロン・アレンが今なお、現地にとどまりレボートします。
「今日、ジョップラン市当局は水道水は飲むのに問題はなく、市としての機能も各所に於いて尚働き続けていると発表しました。しかし、被害の全容は未だつかめず、100名以上が行方不明であると推察され、被害にあった人々は愛する家族にいったい何が起きたのかを把握しきれていません。
メリッサ・クロスビーの姉リンゼイ・マリーナは9歳の息子の上に寄り添う形で遺体が初験されましたが、近所の人々が彼女と息子を発見した時の様子を話してくれました。
私たちにとってのわずかな慰めは、彼女がこの地上で最後に行ったことが息子の命を守り通すことであった、という事です。
『今確かに言える事は - 事態の終息に向けての動きと嘆きの時はいま始まったばかりだということです。』- ミズーリ州公共安全局
18歳の少年は卒業式の帰り、運転していた車から竜巻に巻き上げられ、その死体が先週有金曜日に沼の中で発見されました。………」
ニュースはアメリカでもやはりその地の、あるいは近隣の市町村の人々が真っ先に現地に駆けつけ、懸命に働いている様子を伝えます。
そして子供を守り抜いてなくなった母親の事を、上に訳した通り伝えました。
ニュース番組の価値を思い知らせる一言だったと思います。
母親を失ってしまったことは、少年にとって取り返しようのない悲劇です。
しかし、この特派員の一言は彼女の死を例えようもなく崇高なものとしました。
これからこの少年が生きていくとき、この一言は自分の人生を粗末にしないための大きな支えになると思います。
そして、これからアメリカ社会で起きるかもしれない母と子の無数の悲劇に、ブレーキをかける役割を果たしていくのではないでしょうか?!
子供の虐待は日米共通の深刻な社会問題ですが、子供を傷つけようと手をあげた時、この特派員の言葉を思い出す親がいたら、そこで思いとどまる事ができるかもしません。
これこそ、報道というものの価値、ではありませんか?!
東日本大震災の際、「恐いもの見たさ」的報道をして、被災者の心を傷つけた日本のテレビ局がありました。
電気が復旧した後、日本のテレビでも、アメリカのNBCやABCやCNNのニュースでも東日本大震災の報道を見ました。
日本中の私たちと同じ普通の人々がものすごく心配してくれていること、そしてアメリカのメディアも私たち被災者を思いやってくれていることを感じたものです。
日本のテレビ・新聞だけを見て、それが現実の世界のすべてだと思うのは間違いなのではないでしょうか?
これから毎日、私は海外の報道や政府機関のアナウンスなどをチェックし、皆さんに伝えなければならない、そう思ったことをここに掲載して行きます。
まずは本当の事を理解する事から、再出発しませんか?
Visit msnbc.com for breaking news, world news, and news about the economy
ゴルフというのは「徹底的」に屋外のスポーツですから、「天候というものがこれほど影響するのか?! 」と思う事しばしばです。
まずはその日の天気、晴れて風がなければ機嫌良く出かけ、雨の日や風の強い日は「あーあ... 」なんて出かけます。
まあ、気はってくるとたいがい天気に関係なく、後悔の「あーあ... 」なんですけれども…
そしてゴルフ場に着くと、こんどは晴れていてもそうでなくとも風がいちばん気になります。
道具を使ってボールを飛ばすスポーツの中で、ゴルフが一番遠くまでボールを飛ばします。ドライバーという一番遠くまでボールを飛ばす事のできるゴルフクラブは、プロでだいたい300ヤード弱(約270メートル)、私たち素人の平均は200ヤード強(180メートル)。何たって私たち素人用でもこのドライバー、平均価格は6万円~8万円しますので、それなりの仕事はしてくれて当然。
この距離をまっすぐボールを飛ばすことができると、えも言われず気持ちがいいものです。
逆の場合は?
タイガーウッズがものすごい顔で悪態をつきながら、ゴルフクラブで地面をブッ叩くのをご覧になった事はありませんか?
あんな気持ちです。
ただ、私たちは彼程の技量と精神力があって失敗する訳ではないし、同伴者に不快な思いをさせるので、あの態度はご法度です。
その点、石川遼君などは失敗しても決して激した様子は見せませんので、彼は本当に立派な青年だと思います。
さて、その「まっすぐ」ですが、邪魔をするのが風。せっかくまっすぐ打てたはずなのに、ボールは風に右に左に翻弄され、場合によってはOBといって「場外、アウト!」になってしまう場合があります。
ドライバーだけでなく、ゴルフはあらゆるクラブで風の影響を受けます。
プロの大会など、地面を転がすだけのパッティングですら風を計算すると言います。
でもやっぱり雨、特に強い雨。
なんで今日はこんなに天気にこだわるのか、と言いますと、実は明日月曜日、会社をサボってゴルフの予定なのです。
ところが台風2号なんてのが近づいてきてますよね。
それが明日、宮城に大雨を降らせる可能性が出ててきています。
本当はニッポン国民なら地盤沈下域の被災地の方の事や
「台風が福島第一原発を直撃したらどうしよう…また、大量の汚染水が漏れちゃうんじゃないか?! 」
と、そっちを心配するべきなのかもしれませんが…
でも所長の吉田さん、立派な方らしいし…
小雨ならゴルフというのはできるのですが、台風となるとゴルフ場そのものが「クローズ」といって、お休みになってしまいます。
せっかく有給休暇をとったのに、台風のせいでムダになってしまう可能性が…
どうやら今回のゴルフ、始める前から「後悔」しちゃいそうです。
アメリカPGAツアーのシード選手、韓国系アメリカ人・チャーリー・ウィー選手のドライバーショットをお勉強しましょう。始めはまずクラウンプラザ・インビテーショナルの3番ウッドのティー・ショットを見ていただきます。その後「スイング・ビジョン」でドライバーショットの詳しい解説があります。カンどころは
1. スパイン・アングル(前傾姿勢)をキープしたまま、クラブをしっかり左に振って行く
2. ダウンスイングでは左ひざでしっかりパワーを受け止める
というあたりでしょうか。
3月11日東日本大震災の日、大地震が襲ったとき仙台市中心部の30階建てのビルの、まさに30階のレストランにいた30代の男性の話を聞きました。
店内のテーブルと椅子が凄まじい音を立てながら、一斉に向こう側に雪崩を打ったかと思うと、今度は一斉にこっち側へ。また向こう側へ、そしてこっち側へ。まるで映画のシーンのようですが、それが実際に起き、揺れている間ものすごく恐ろしかったそうです。
そして停電、当然エレベーターも止まってしまい、ビルの外に出たければ、階段を下りるしかありません。30階から非常階段を降りて1階まで降りるのは、想像以上につらかった、と言います。20階を過ぎたあたりですでに足がおかしくなり、でも続けて地震が来る恐怖があり、あえぎながら階段を下り続けました。地上に降り立ったときは胸は苦しいし、足がガクガクして、しばらくは動くも歩くもできなかったそうです。
このビル、実は震災後屋上にあるアンテナ部分の構造物が倒れそうになり、一時付近の道路が封鎖されました。その後、この構造物を取り除く事ができましたが、内部の損傷がひどくテナントで出て行くところが多く、持ち主の生命保険会社は解体の検討を始めたとか。
高層ビルと言えばニューヨーク。
東海岸のニューヨークには高層ビルが林立していますが、日本に高層ビルを建てた日本人がこの様子を意識していない、と考える方が不自然です。
でも、ちょっと待ってください。
実はニューヨークなどの東海岸はまず地震が来ない場所なのです。ニューヨークのアメリカ人に直接聞いたのですが、一度震度3の地震がきたときには、経験したことが無く、心臓が止まりそうなくらい怖かったそうです。
震度3など『地震国日本』の住民としては、怖くも何ともないレベルですよね。
それだけ地震が少ない場所なので、高層ビルをどんどん建てても合理性に欠ける事は無いのでしょう。
一方、西海岸にあるロス・アンジェルスは大地震に見舞われた事があり、南側地続きのメキシコも地震が多い国です。
Googleの画像検索を使って、ロス・アンジェルスとニューヨークの街を比べて見てください。
ニューヨークには数えきれない程高層ビルが建ち並んでいますが、ロス・アンジェルスの方は中心部に10内外の超高層ビルがありますが、他は見事な程低層の建物がびっしり。
無理はしてない感じです。
ひるがえって我が日本、世界有数の火山国・地震国であるにも関わらず、なぜこれほど高いビルを建てる事が好きなのでしょう?
プライド?
東京スカイツリーなどは、超高層ビル建設ラッシュの続く中国・上海を明らかに意識していると思われます。
「国の勢いでは遅れを取ってしまったけど、こういう技術ではまだまだ日本の方が上なんだぞ。」
その気持ち、解ります。
耐震、免震技術なんてのは世界一なんでしょうから...
でも色々な学説・情報を整理すると、東日本大震災の影響により、以下の3カ所の大地震の危険性が高まっているようです。
1. 青森県八戸沖
2. 宮城県東方沖(東北太平洋沖地震よりさらに沖合)
3. 福島・茨城沖
そして、首都直下型、東南海など、地震のリスクに事欠かないのが日本。
地震の瞬間、高層ビルを見上げていた人の話を聞きましたが、「折れるかと思った!」そうです。
アメリカの9.11同時多発テロでは、世界貿易センタービルが崩壊する前に脱出できなかった人々が犠牲になりました。
個人的な意見になってしまいますが、もう高層ビルにはしばらく上らなくていい、というのが正直なところ。
私が育った昭和30年代、40年代。
町で一番高いのは銭湯の煙突、なんて時代が今、たまらなく懐かしく思い出されます。
蒲生を再訪した日はとにかく晴れていました。
仙台の夏は例年三陸沖から冷たい「やませ(夏に農作物に冷害をもたらす事から『病ませ』の意味だという説があります)」という風が吹き込むため、「夏の仙台というのは、街全体に冷房がかかっているようだ」と、瀬戸内海沿岸に暮らすある人が言ってました。
ところが、津波の直撃を受けた地区というのは、
「茶色の世界」
なのです。がれきとスクラップに成り果てた車には乾いた泥がこびりつき、道路にも茶色い粉塵が堆積しています。
そしてこの日は黄砂。重金属など数々の有害物質、それに微生物まで含むと言われるこの黄砂は、西風とともに被災地にも容赦なく吹きつけます。
私は花粉症で、春先盛んにくしゃみが出る日があります。黄砂が飛ぶ日もくしゃみが出ますが、黄砂と花粉症の違いはすぐに体で感じる事ができます。黄砂が多い日は顔の皮膚がひりひりし、目のかゆみが半端ではなく、くしゃみも止まらなくなります。
記憶をたよりに、ごく大ざっぱな言い方を許してもらえるなら、中国が「世界の工場」化してから、私のこの症状はひどくなりました。
5月の薫風もこの辺りでは粉塵を舞い上げる厄介者に過ぎないようです。行き交う人々は復興作業に従事する人もそうでない人も、皆一様にマスクをつけています。
昔見た映画に近未来を砂漠化した世界として描いているのがありましたが、実際にその地に立たされたような気分に陥りました。
水を張った田に植えられた苗。
木々に豊かに蓄えられた新緑。
小鳥たちのさえずりと飛び交う姿。
貞山運河や干潟にたくさんいた水鳥たち。
ゆっくりと畑を耕したり、小さな工場(こうば)で黙々と働く人々。
そしてそれらの間を五月の風が吹き渡る。
それら一切が葬り去られた世界。
野球のグラウンドが2つあり、鮮やかでたっぷりとした緑で縁取られていた蒲生海浜公園には、がれきと破壊された車がうずたかく積み上げられ、クレーンだけが単調な動きを繰り返しています。
命が失われた世界、それは想像するよりもずっとひどい世界でした。