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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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【 子どもたちを支える事に人生のすべてをかける 】

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全財産をつぎ込み破産してもなお、不幸な子どもたちを支え続ける女性

アメリカNBCニュース[この世界をかえていく!- メイキング・ア・ディフェレンス ]2011年12月12日

私たちは今夜、新しい同僚、NBCニュースの特派員としてチェルシー・クリントンを迎えます。
彼女もまたここロック・センターで、私たちの番組[メイキング・ア・ディフエレンス]、そして[プライム・タイム]の番組制作に、貢献してくれることでしょう。
今夜は彼女にアーカンソー州の片田舎パイン・ブラフで子供たちのために全身全霊を傾けて取り組んでいる、素晴らしく思いやりのある女性について報告してもらいましょう。

レポーター : ありがとう、ブライアン、この席に座ることができてとても幸せです。
私たちはアーカンソー州の何百人もの子供たち命を守り続けている、素晴らしい女性に出会いました。
彼女の言葉、彼女の行動こそ、天から託された使命を担う人の証しなのです。

彼女は、奇跡の行動を行う人、守護天使、もうひとりの母と呼ばれています。

アネッテ・ダヴ「まあ、あなたがチェルシーね!あら、よく来てくださったわね!」
レポーター 「お会いできて、なによりですわ。」

レポーター : アネッテ・ダヴはここアーカンソー州パインブラフの町で、犯罪と貧困が渦巻く環境の中で苦しむ、何百という子供たちのために立ち上がり、そして寄り添い続けています。

アネッテ「今日は学校、どうだったの?」
こどもたち「たのしかったよ…」
アネッテ・ダヴ「ちゃんとできたかな?」

レポーター:アネッテは子供たちに食事と安らげる場所を提供し、学習指導とともに最低限社会に対して責任を果たすことを教えています。
この取り組みはTOPPS(トップス)と呼ばれています。

アネッテ「子供たちには、午後3時30分に食事を出すのです。」
レポーター「何人かのこどもたちにとっては、これが今日最後の食事になるのですか?」
アネッテ 「何人かのこどもたちにとっては、明朝学校に行って給食を与えられるまで、これが食事のすべてなの。」
レポーター : 彼女はフードバンク(食糧銀行:困窮者に食糧を配る施設)から受け取った食材の調理方法のレッスンまでも行っています。
アネッテ「さあ、みなさん、今日はここにいるケルシー・クリントン・チェルシーさんに、デモンストレーションを行ってもらいますよ。あら私、何か間違ったかしら?」

アネッテ「ちゃんと手を洗わないと料理はできませんよ。」

アネッテ「ここにいる子供たちの両親は、子供たちのために何もしてあげられないのです。世の中は公平ではありません。子供たちのために戦い、助けてあげる人間が必要なのです。」
レポーター 「あなたは子供たちが犯した罪のため少年審判にも行かなければならないし、子供たちに付き添って学校の職員会議にも出向かなければならない?」
ア ネッテ「私は子供たちに、私がついている、と理解してほしいのです。私はあなたを支えたいのだ、ということを」
レポーター : 18歳のコルデロが5年前に母親を亡くした後、アネッテが彼の心に空いた穴を埋めようとしてきました。

コルデロ「アネッテがぼくをずっと支え続けてくれました。彼女だけがぼくの人生によりそってくれました。家族はだれも僕のために時間を作ることができなかったし、僕には悩みを打ち明けられる相手もいなかったから…」

レポーター : 何よりも明らかなことは、彼女のすべてが犠牲になっている、という事です。彼女はトップスを始めるに当たり給料が高い教育関係の仕事を辞め、運営資金が足りなくなると、その都度自分の蓄えを注ぎ込みました。

アネッテ「私の株式口座、私の貯金、そのすべてが無くなってしまいました。でも私はまだまだ子供たちの人生を救うための、この取り組みは続けていくべきだと思っています。」

レポーター : ちょうど昨年、彼女の指導システムによってハイスクールを卒業した最初の5人の生徒が、今大学で学んでいます。」

ブライアン・ウィリアムズ「彼女のこの取り組みについて、そして彼女という人について考えるとき、この国に何百人、何千人という彼女と同じような人々がいて、その人々のおかげでこの国が壊れずにいるのだと思います。しかし、その取り組みはこうした名も無い人々の善意によりかかっています。そのための資金は枯渇し、彼女の手元にももう、資金は残っていません。
いったいどうすれば良いのでしょうか?」
レポーター : 彼女が打ち明けてくれましたが、この取り組みを維持するために彼女は手持ちのお金すべてを使い果たしてしまい、結局破産宣告を受けざるを得ませんでした。
彼女の新たな収入源である公的な援助も、昨年と比べるとかなり減額され、不足分について、これまで金銭面でも精神面でもTOPPSの活動を支えてきた、彼女の4人の子供たちからの援助を受けなければなりませんでした。
しかし、それだけではつかの間の延命策に過ぎず、彼女は昨年よりもはるかに少ない限られた予算の中で、子供たちを支え続けているのです。

ブライアン「確実な事は言えませんが、あなたがここに来て、彼らの取り組みについて紹介してくれたことは、他日必ず実を結ぶことになると思います。私たちもこの [メイキング・ア・ディフエレンス]で、こうしたお話を繰り返し放送してきたわけですから。
ここに来ていただいて、本当に良かったと思います。」
レポーター 「ありがとうございます、ブライアン。」

ブライアン・ウィリアムズ :
「皆さんに改めてご紹介しなければなりません。アネッテさんとTOPPSの取り組みに対し援助できる方は、番組のウェブサイト[nbcnightlynews.com.]で情報をご確認ください。
なお、今夜このロックセンターの番組で、もう一度チェルシー・クリントンが、アネッテさんの取り組みについてさらに詳しくご紹介します。

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みなさん、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

どうか今年もよろしくお願い申し上げます。

2012年1月1日に何をご紹介するか?
この番組を翻訳した日から、「ぜひこれを!」と決めていました。

今回の[ メイキング・ア・ディフェレンス ]は異例の長さになっています。いつもは2分30秒前後なのに、今回は4分30秒。
しかも、10分間の別バージョンも、ナイトリー・ニュースの後の番組で放映されました。
アネッテ・ダヴさんの取り組みに、アメリカNBCニュースも大きな共感を覚えたからなのではないでしょうか?

でも破産の危機にあるアネッテさん、どうなってしまうのでしょうか…
しかし、このアメリカNBCナイトリー・ニュースでブライアン・ウィリアムズ氏が呼びかけたという事は?

明日から3回シリーズで

〈 原子力発電の偽りだらけのプロパガンダ、そして大事故は「もうたくさん!〉
【 原子力発電 - だめなものはダメ!】ニューヨーク・タイムズ

の掲載を開始しますが併載する形で、呼びかけの結果アネッテさんの取り組みに人々はどう反応したのか、ご紹介します。

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【 散り散りになったもの、まき散らされたもの 】〈第4回・最終回〉

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所要時間 約 12分

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[ 未来を奪われた原発避難民]

デア・シュピーゲル(ドイツ)12月22日 

第2部[隠され続けた真実]

馬場町長は、3月15日朝の高い放射線レベルについて何ひとつ知りませんでした。その日彼はさらに西にある二本松市の市長の自宅に向け、車を走らせていました。
しかし彼はそのとき、直感的に状況がさら悪化する可能性について、恐怖を感じていました。

二本松市では人口60,000のうち、2,000人を上回る人々が地震によって家を破壊され、住む家を失っていました。
その状況の下、馬場町長は二本松市長にこう尋ねました。
「浪江町からこの二本松市に、町民5,000人から8,000人を受け入れてもらえませんか?」

それ以来、二本松市には何千人もの旧浪江町町民が、仮設住宅やトレーラーハウスの中で生活しています。
9歳と12歳の息子を持つ渡辺恵子さんは、もうすでに3回引っ越しをしました。
この取材を行った時は、二本松市郊外のトレーラー・ハウスで暮らしていました。

渡辺さんの住居にはシミひとつなく、息子たちの教科書はきちんと緑色の本棚に並べられていました。
「私は子供たちのことがものすごく心配です。たとえすべては政府と東京電力の過失であったとしても、私は彼らを叩きのめしてやりたい、そんな気持ちです。」

福島大学から派遣された科学者たちがこの10月、 渡辺さんの息子たちの甲状腺に蓄積された放射線量を測定して行きましたが、結果報告については彼女は未だに待たされたままです。
彼女は時々パンフレットを配布したり、避難している人々に話を聞いたりして県の仕事を手伝うことがあります。

彼女の息子たちが学校から帰ってきて、自分で 冷蔵庫からアイスキャンディを取り出しました。そんな子供たちを見て恵子さんは微笑みます。
しかし彼女には子供たちに言えずにいることがあります。
「子供たちはいつかは家に戻れる、そのことを少しも疑っていはいません。」
いつの日か子供たちにもう二度と家には戻れない、そう話したときいったいどうなるか、それは彼女にもわかりません。

▽かなわぬ未来への願い

高齢者であり農民でもある半谷正夫さんは、彼の孫娘たちのことを心配しています。
彼女たちは両親と一緒に、浪江町からはるか遠く、日本海に面する新潟まで避難しました。
しかし浪江町に留まっていた間に、いったいどれだけの放射線を浴びてしまったのか、それはどれ程有害なことなのでしょうか?

正夫さん自身は浪江町がたとえ放射性物質によって汚染されているとしても、 町に戻ることだけを望んでいます。
今やそれだけが生きる目標になってしまいました。
正夫さんは時々仮設住宅の周りの砂利の上に立って、知り合いの老人たちと彼らの住まいについて話をします。
彼が失ってしまったもの、それは高瀬川で遡上する鮭をつかまえること、そして自分の畑で白菜を作ること。
「私が一番心配していることは、はたして家に帰ることができるのか、という事です。」

「それがかなう日は来るのでしょうか?」

バスの運転手をしていた菊池則人さんも、将来のことを考えると喪失感に襲われます。
「私はもう働けません。もう何もできないのです。」
彼の友人たちは日本中に散っていきました。

「親しかった人たちと話もできなくなり、さびしい思いでいっぱいですだけが残りました。」

彼の息子と娘は職を求めて、かなわぬ努力を重ねています。
菊池さん一家は仮設住宅の家賃を支払う必要はありませんが、電気代、ガス代は支払わなければなりません。
息子の卓也さんは家族としばしば口論になりますが、彼もまた孤独を感じています。
「私は放射線が原因で病気になることが怖いのです。それが本当はどれだけ恐ろしいものなのか、誰も教えてはくれないんです。」
事実、卓也さんは耐え難い苦痛を伴う、避難民としての暮らしを強いられています。
「もう一年以上も家に帰っていないような気がします。」
父親の則人さんがこう付け加えました。

「この状態のまま人生が終わってしまうなんて、そんなことは考えたくもありません。」

▽ 怒りで体が震える

馬場町長は二本松市内に小さなアパートを見つけ、妻と母親と一緒に暮らしています。
彼もまた、なぜ自分がこんなところで暮らさなければならないのか、時々疑問に思います。
しかし窮屈な仮設住宅で暮らさなければならない以上に最悪なのは、浪江町の人々のため仮設住宅の敷地内に街灯を設置するような、そんな単純なことでもいちいち許可を取らなければならない、その手続きの煩雑さの方です。

馬場町長、そして仲間である町議会議員は、本来なら東京電力と日本政府に向けられるべき人々の怒りの、避雷針としての役回りを求められます。
今でも、SPEEDIが発した警告があまりにも遅く彼のもとに届けられたことを考えると、怒りで身のうちが震えてくると言います。
「それは怒りなどではありません。」

「それ以上のものです。これは殺人です。どうして彼らは、私たち浪江の人間を殺そうとしたのですか?」

馬場町長はそう語ると、メガネの下にハンカチを差し込み、しばらくその目を押さえていました。
「どうして誰も彼らを法廷に引っ張り出して、裁こうとはしないのでしょうか?」
「人々が事故のために、こんなに苦しんでいるというのに。」

大惨事以来、馬場町長は国の根幹にかかわることについて、自分にこう問いかけるようになりました。
「日本は文明国家だ、という。そして原子力発電もその文明の象徴の一つだったはずだ。」

彼は津島の避難所にある数枚の写真、爆発した福島第一原発の原子炉の写真を見ると、いつもこう考えると語りました。
「どうして我々は、これを制御できないのだろう?」

「我々は今、自分たちが創り出してしまった、悪魔との戦いを続けているのです。」

〈 完 〉

http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,805337,00.html#ref=rss

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『かなわぬ未来への願い』の部分で、半谷正夫さんの最後の望みを訳した途端、涙がこぼれました。
人生の最後に望むことが故郷の川で鮭をつかまえたり、自分の畑で白菜を作りたい。
豪華客船で世界を一周するとか、高級料理店で豪華な食事をしたい、というのではないのです。
そんな実直な方の、人生の締めくくりにおそった大きな悲劇。
そしてその悲劇の源を作り出したのは他でもない、私たち自身、人間でした。

イランのニュースは原発推進の立場に利用されそうだな、と感じたので載せました。
問題の発言は外交・軍事に影響力の無いイラン副大統領の発言、という点を抑えておきましょう。

最後のビデオの翻訳は、ちょっと手を抜かさせていただきました。
難しい事を言っている訳ではないので、リスニングに挑戦してみていただけませんか?

今日で2011年が終わります。
どんな年だったか?という質問が愚劣に思える程、日本人にとっては1945年以来の痛烈な年になってしまいました。

3.11の発生により突き動かされるようにして始まったこのブログですが、10ヶ月間おつきあいいただき、ありがとうございました。
2012年も1月1日から、毎日新しい記事をアップしてまいりますので、興を起こされましたら覗いてみてください。

フィンランドの作曲家ヤン・シベリウスは、念願にしていたロシアからの祖国の独立が達成されると間もなく、その作曲活動が静かに終わりを迎えました。
このブログも、3.11をきっかけに人々の間に生まれた悲願が達成されるまで続けて行きたい、そう考えています。
2012年もよろしくお願いします。
皆さんにとっても良い年になるよう、心から願っております。

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【イラン、ホルムズ海峡封鎖を警告】
世界の原油供給体制に脅威

アメリカABCニュース 2011年12月28日(AP)

火曜日、イランの国営報道機関は政府高官の発言として、西側諸国がイランの石油出荷に制裁を課す場合、イランはホルムズ海峡を閉鎖し、石油の輸出を遮断する用意がある、と伝えました。

IRNAレポートによると12月27日火曜日、モハメド・レザ・ラヒミ副大統領は、イランは決して戦闘を開始したい訳ではないが、西側諸国はイランに対する敵対行為には断固とした態度を取る、と話しました。
西側は問題となっているイランの核開発疑惑に対し、その石油取引に規制をかける制裁を検討しています。
イランの貿易収入の80パーセントが原油輸出によるものです。

ワシントンでは国務省報道官マーク・トナーはこの脅迫ともとれる発言に対し、「こけ脅しに過ぎない」と斬って捨てました。
「この発言は国際的核規制の違反を続けているイランが、問題から目を逸らさせようとまた別の手を考え出したに過ぎない。」と話しました。

ラヒミ副大統領はイランの外交・軍事問題に影響力を持っていません。

イランは世界で取引される原油の約40%が通過するホルムズ海峡で、10日間の海上演習を行っています。
海峡を封鎖すれば、世界経済に甚大な影響を与える事になります。

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【 終わる2011年 】

アメリカABCニュース 2011年12月29日

▽悲劇 - ガブリエル・ゲフォーツ上院議員、と聴衆銃撃事件

▽大災害

東日本大震災

福島第一原発

ミズーリ州ジョップラン

▽アメリカの戦争

オサマ・ビン・ラディン殺害

アフガニスタン

イラク撤退

▽飢餓

▽変革・暴動
チュニジア / エジプト / リビア

▽ロイヤル・ウェディング

▽復活
ガブリエル・ゲフォーツ上院議員

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【 散り散りになったもの、まき散らされたもの 】〈第3回〉

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所要時間 約 10分

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[ 未来を奪われた原発避難民]

デア・シュピーゲル(ドイツ)12月22日 

▽大パニック、そして爆発

半谷正夫さんは自分のスバルの軽トラックに乗り、渋滞に巻き込まれながら何とか町から脱出しようとしていた一人でした。
消防士たちがその朝、彼の農場に来ていました。
「彼らは放射線のことなんか、何も言いませんでした。」
「避難するように、とか何とか、それしか言いませんでした。」
75歳、身長はちょうど1メートル60cmでやや猫背の正夫さんは、こう振り返りました。
彼の軽トラックには、高齢者が運転していることを示すステッカーが貼られています。
彼は突然17歳と19歳の2人の孫娘の面倒を見なければならなくなりました。
彼女たちの母親は特別養護老人ホームで働いていましたが、そのまま施設に留まって高齢の患者の世話をしなければならなくなり、父親は日本海側で仕事をしていました。

町を出たところで、彼の軽トラックはパンクしてしまいました。彼は軽トラッ クを道の脇に止め、自分でタイヤを交換しようとしました。
「車を止めて手伝おうなんて人は、一人もいなかった。」
3時間かかって、正夫さんとその妻、二人の孫娘はやっと浪江町津島の避難所にたどり着きました。普段なら30分しかかからない道のりに、たっぷり3時間以上かかりました。

シングルマザーの渡辺恵子さんと彼女の二人の息子も、交通渋滞で立ち往生しました。
彼女は自分の家が破壊されてしまうことを恐れながら、子供たちと小学校で眠っていました。
「燃料切れのため、道路に車を放棄しなければならなくなった人を何人か見かけました。
2人の女性が車を押して、道からどけようとしているのも見かけました。」
渡辺さん自身は何とか取り乱さずに我慢することができました。
「一生懸命子供たちを守ることだけ考えていました。」

馬場町長もテレビで菅首相のメッセージを確認しました。
彼はすぐに街のアラームを作動し、町内放送で自らの意志で町内に残ろうとしていた人々に警告を発しました。
午前11時までには、 ほとんどの住民が浪江町を放棄し、国道114号線を北西に向かっていました。
この時点で、福島第一原発の1号基の原子炉で最初のメルトダウンが始まり、 原子炉内の圧力は容赦なく高まっていきました。
エンジニアは必死に原子炉からの圧力を下げようと絶望的な戦いを続けていましたが、とにかくまず、彼らはバルブを開くことができませんでした。
当日昼ごろになってやっとバルブを開くことに成功しましたが、その結果放射性物質の放出が始まったのです。
この時、馬場町長と清水さんは約20キロ先にある浪江町津島に向かう途中でした。

しかし清水さんの妻は、子供たちと一緒にまだ浪江町に留まったままでした。
彼女は流れる様子の無い交通渋滞を見たとき、自宅で待機する方が安全だと判断しました。

そして午後3時36分、彼女は大きな爆発音を聞いたのです

「巨大な橋が破壊されたような、そんな音でした。」

それは原子炉1号機の爆発音でした。
この時、清水さんはなんとか浪江町を脱出していました。

▽いつわりの安心

東京にある一棟の政府の建物の中、"SPEEDI"として知られているコンピュータのシミュレーション・システムは、放出された放射性物質の雲がどの方向に動いていくか予測していました。
SPEEDIは、福島第一原発から放出された放射性物質は浪江町と同町津島を通り、北西に向け移動していくと予測していました。

この早期警戒予報は内閣府には報告されましたが、馬場町長も、そしてその他津島方面に向け避難した人の誰もが、数ヶ月経ってから初めて知りました。
彼らは福島第一原発から北西に20km離れたその場所で、ひと安心といったところでした。彼らはこの地区のコミュニティセンターと学校に収容されました。

シングルマザーの渡辺恵子さんは、調理をする係りに志願し、屋外で野菜を刻みました。
最も大量の放射性物質が降り注いだのは、津島にたどり着いて3日目の3月15日でした。
それは、原子炉3号機を格納する建屋の爆発によって、放射性物質が放出されたためだと考えられています。
その日、渡辺さんの子どもたちは放射能雨が降る中、外で遊んでいました。

この日までに津島の学校の放射能汚染は、1時間あたり20マイクロシーベルトあるいはそれ以上の値を記録し、ほとんどどこよりもひどくなっていました。

弘前大学からやって来た研究チームは、3月中旬ごろから現地で測定を始めました。その測定結果を利用し、津市地区に避難をした浪江町の人々の被ばく線量の計算を行いました。
その数値は68ミリシーベルトという高い値、または政府が緊急時の被ばく線量の限度としている値の3倍というものでした。
これとは対照的に、福島県が行った浪江町、およびその周辺市町村の人々の被ばく線量は最大でも37ミリシーベルトでした。
さらに比較してみると、原子力発電所で働く人々の被ばく限度は50ミリシーベルトです。
〈つづく〉

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〈『血涙』が流され続ける福島 〉

私自身はすっかり忘れていたのですが、最近会社の部下の一人が私にこう言いました。
「私たちが屋外の喫煙所で煙草を吸っていると、小林さんが来て『今原発が爆発したから、すぐに屋内に入れ!』と言ったんです。ああ、自分も死ぬのかぁ、とその時思いました…」
冷静に考えれば福島第一原発が爆発して数分後に、仙台まで放射性物質が飛んでくるはずはないのですが、その時はとにかく周囲の人間を屋内に退避させなければならない、それ以外の考えは思い浮かびませんでした。
その日から私たち仙台市、そして宮城県の人間も放射能汚染と向き合う生活が始まりました。

伝えられなければならない情報が伝えられなかったために、ここに出てくる渡辺さんの子どもさんたちを始めとする多くの人々が、本格的な被爆をしてしまいました。
私たちはテレビを通じ、この時政府や関係機関が何を一生懸命やっていたかを目撃しています。
「心配するようなことは起きていません。デマに惑わされないでください。」
デア・シュピーゲルのこの記事に登場する浪江町の人々は、まして子どもたちは、デマや『風評』で被爆してしまったのでしょうか?

福島の会津地方に「白虎隊血涙史」という記録があります。
2011年の今年、福島では白虎隊どころのスケールではない『血涙』が流され続けています。
そしてそれは私たち自身の、今起きている問題なのです。

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【 帰ってきたアメリカ人の先生 – 南三陸町 】

アメリカNBCニュース 12月28日

たとえどれほどの時が過ぎたとしても忘れられない大災害が今年、日本を襲いました。
津波、そして福島第一原発の事故。
9カ月を過ぎた今も、すっかり破壊されてしまった南三陸町の様子にほとんど変化はありません。
今年9月そんな町にひとりのアメリカ人女性、英語教師のキャノン・バーディさんが戻ってきました。
携えてきたのは一台のビデオカメラ。
キャノン「この建物は病院、そしてこの場所は公園、学校のクラブ活動も行った場所だったのですが…」
彼女が指差す場所には町内の瓦礫が一カ所に集められ、巨大な山が築かれていました。
そして仮設住宅が見慣れた景色になってしまいました。

津波に襲われた直後の景色がこれ、そしてこちらが現在の様子。
緑に覆われ、少しばかり慰めを感じます。
キャノン「ここで生まれ育った人々にとっては、かけがえの無い故郷なのです。この場所にとどまり、再建を目指す、それ以外に選択肢はありません。そして再建は今、やっと始まったのです。」

3月、津波は谷あいにあるこの町に、まるでバスタブにお湯を満たすようにして押し寄せてきました。
あらゆる場所から再建の槌音が聞こえてきます。
これが彼女が戻ってきて、最初に見た光景でした。
彼女は本当に特別なタイミングで帰ってきました。
それは卒業式。
日本では通常3月に卒業式が行われますが、災害のため中止されていましたが、やっと行われることになりまし た。
そして彼女は小さな希望の芽を見つけました。
次の世代が、何事にもやる気を見せ始めたのです。

悲しい出来事があったこの場所で、人々の営みは絶える事無く続いています。
キャノンがこの場所にいるのは美徳のためではなく、そうしなければならないからなのです。

NBCニュース、ショージ・ルイス

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【 散り散りになったもの、まき散らされたもの 】〈第2回〉

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デア・シュピーゲル(ドイツ)12月22日


パート1[国からも県からも『捨てられてしまった』人々]

▽ゴーストタウン

9カ月の間、浪江町はゴーストタウンとなっています。
清水なかさん、市長のアシスタントは、定期的に放棄された市庁舎の現在の状態を確認するため、出かけて行きます。
今日もまた、彼は数時間の間、旧市街に戻っていきました。

立ち入り禁止のバリケードの2キロメートルほど手前で、彼は防護服、防護マスク、そして手袋を身に着け、靴を青いビニールのカバーで覆いました。
バ リケードの向こうに山並みが見えます。
植物が道路の半分以上を覆っていますが、牧草地や農場だけでなく、地震によっててできた道路の亀裂からは雑草が生え、人間の背丈と同じぐらい異常なほど大きくなり、伸び放題のままになっています。

清水さんは車のフロントガラス越しに、放射性物質を吸収した植物の様子をじっと見ながら、こうつぶやきました。
「セシウムの草…」
彼は微笑んでいるようにも見えましたが、むしろ泣き顔に近かったかも知れません。
黒毛の牛が放たれたまま草を食んでいました。
電話ボックスに灯る灯りが、その内部にも雑草がはびこっている様子を浮かび上がらせています。
一軒のバーの入り口の前には腰掛けが並べられたままになり、家々の前には黄色く変色した洗濯物が乾されたままになっています。
浪江駅の線路は、野生のブドウの蔓と葉ですっかりおおわれてしまっています。
太平洋に面した地区は何もかも津波にさらわれ、すっかり平らになってしまっています。
自衛隊の隊員とその他の作業員が、ひときわ大きな瓦礫の山の前に集まっていました。

清水さんが車から降り、コンクリートのビルのひとつを指さしました。
請戸(うけど)小学校です。
「先生が完璧な対応をとったため、子供たち全員が助かりました。徒歩で高台まで避難したのです。」
そう清水さんが説明してくれました。
しかし町以外の行政機関は、人々が放射能汚染から逃れるため、結局は役に立ちませんでした。
「日本政府も、福島県も、どちらも私たちを助けてはくれませんでした。」

清水さんは避難区域を運転している間ずっと無言でしたが、彼は突然記者の方を向いてこう言いました。
「どうか、私たちを助けてください、福島を!ヨーロッパの皆さん、助けてください!」

▽緊急避難

3月12日へと続く夜、この場所には誰からも助けの手はおよびませんでした。

家屋を津波や地震によって破壊されてしまった何千人という人々が、浪江市役所または市内の学校に避難しました。外からの情報伝える唯一の手段は、テレビとラジオだけでした。

福島第一原発を抱える双葉町と大隈町では、夕刻前に警告が発せられ、人々を避難させるためにバスがやって来ました。
一方、制御不能に陥ってしまった福島第一原発からほんの数キロしか無いにもかかわらず、浪江町では馬場町長も、そして町民も何も知らされなかったのです。

バスの運転手の菊池則人さんと、彼の息子の32歳になる拓也さんはその夜テレビの前に座り、繰り返し放映される今世紀最大の津波の様子と、どんどん不吉な様相を帯び始めた福島第一原発の様子を食い入るように見つめ、そして呆然となりました。

いつもなら彼らの家からは、飛行機などにその存在を教えるための、発電所内の塔の赤いランプの点滅を見ることができました。
しかし、その夜は真っ暗でした。
拓也さんは身の回りのものを袋に詰め、父親に避難を促しましたが、父はもう少し様子を見たい、と言ったのです。

土曜日の朝、午前6時ごろ、ニュースキャスターが福島第一原発の周囲10km以内にいる人々に、避難を呼びかける当時の内閣総理大臣菅直人からの警告を読み上げました。
その時点で、発電所の技術者は過熱している原子炉内の圧力を下げる操作を行う必要があり、結果として放射性物質が浪江町に向かって飛来することが明らかになりました。

拓也さんは飛び上がり
「みんな逃げなければならない!」そう言いながら妹を起こしました。
則人さんも母親を揺り起こし、仏壇から亡くなった妻の遺影を急いでつかみ出しました。
拓也さんは、自分のポータブルプレイステーションを、妹は小さなぬいぐるみが4つぶら下がっている携帯電話を握りしめました。

家を飛び出して10分後、祖母は自分の心臓の薬を忘れてきたことに気づき、家に戻ろうとしました。
則人さんは自分に落ち着くよう言い聞かせていましたが、思わず悪態をつきました。
道がだんだん混みはじめていました。則人さんはホンダの小型車を運転し、国道114号線を北西に向かい走り始めました。その道は彼が39年間、バスの運転をしていた道でした。
車が浪江町近くの山上にたどり着いた時、彼らは車を止めて町を見下ろしました。
車が数珠つなぎになって、渋滞が続いていました。
「まるでアルマゲドンのようでした。」
「それが現実の出来事だとは、すぐには信じられませんでした。」
〈つづく〉

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ゴースト・タウン段落の最後、
「どうか、私たちを助けてください!」
という訴えには胸を突かれます。

そして同時に私たちは何という事をしてしまったんだろう、という後悔にも苛まれます。
現在この稿と同時進行で翻訳しているニューヨークタイムズの論文にこんなくだりがあります。
「私たちは原子力発電に関し、これまで何の教育も受けてこなかった。」
その通りだ、その事実が福島第一原発の事故につながった原因の一つなんだ、という事に気づかされました。
これからの日本の社会が行き先を間違わないようにするためには、今起きている現実を、真実を丹念につまびらかにして行く必要があると思います。

尚、原文が英語のため、登場される方々の漢字表記には誤りがあるかもしれません。
失礼があった場合には、お詫び申し上げます。

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【 日本人とベートーヴェン第九 – 佐渡さん米国CBSニュースにも登場 】

アメリカNBCニュース 12月26日

今年は特別の意味を持つ、12月にベートーヴェンの『歓喜に寄す』を歌うというこの日本の伝統は、その起源を第一次世界大戦当時に求めることができます。

私たちにはそれぞれ年の瀬に聴きたい音楽があり、『選択の余地は無い』などという事はありません。
しかしここ日本においては、どうやらみんなが同じ曲を聴きたいと思うようです。
そして今年は…いつもの年よりそのことに大きな意味があるようです。

ほとんどの人々が仏教の宗派、あるいは日本古来の神道により色分けされる日本 では、クリスマスの行事に熱中するような人々はむしろ少数派に属します。
しかしある日本のクリスマスの季節の伝統行事は、目立たないものではありません。
この時期、ベートーヴェンのあの傑作、交響曲第9番の第4楽章『歓喜に寄す』に対する日本人の熱の入れ方には、ちょっと驚かされるものがあります。

12月に『第九』、すなわちベートーヴェンの交響曲第9番の感動的な 演奏が行われることなく、その年が終わってしまう、そんなことは考えられないのがこの日本、それほどにこの曲は愛されているのです。
いったいなぜ、と言いたくなるほどの日本人のこの曲へのこだわりは、第一次世界大戦当時にその起源がありま す。
捕虜として日本に抑留されていたドイツ兵が行った演奏が、この曲の日本での初演でした。
日本人はこの曲をたちどころに気に入り、以来第九は20世紀の半ばまでには、年末の定番として親しまれるようになりました。

12月いっぱい、演奏会場からデパートまで第九が演奏され、そして歌われます。
第九はこの季節もっとも好まれる曲であり、音楽家、そして指揮者にとっては必須演目です。
「私はもうこの曲を150回以上演奏しています。」
指揮者の佐渡裕さんが話しました。

一部の熱狂的なファンはこの曲を原語で歌うことができます。
「私はところどころ覚えているだけです。後は口パクしてるだけ。」
9歳の女の子はこう答えました。

規模の大きさでいえば、大阪で開催された1万人による『第九の合唱』を超えるものはありません。
才能のある人も無い人も、等しくこのステージに立つチャンスがありました。
3月に発生した大災害に思いを巡らせるとき、第九の歌詩にはさらに深い意味を 持つことになります、特に津波を生き抜いた人々にとっては.....

「あの災害は私たちに、助け合うことがどれだけ大切なことかを教えてくれまし た。」
合唱団のメンバーが語りました。

「この曲は何もかも破壊されてしまった日本の人々への、なぐさめと励ましなのです。」

【 散り散りになったもの、まき散らされたもの 】〈第1回〉

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所要時間 約 8分

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[ 未来を奪われた原発避難民]第1回

12月22日 デア・シュピーゲル(ドイツ)

パート1[国からも県からも『捨てられてしまった』人々]

もう何か月もの間浪江町の住民21,000人は、日本全国の仮設住宅や避難所暮らしを続けています。
暮らしていた家を捨てさせられ、彼らはそれと知らず、福島第一原発が放出した 放射性物質が流れていく方向に避難をしてしまいました。

その心配と怒りについては察するに余りありますが、それでもほとんどの人々ただひたすら帰れる日が来ることを願い続けています。

馬場保氏は今や彼の後ろに貼られた地図の上だけにしか存在しない、浪江町の町長です。

9ヶ月前、馬場町長は福島第一原子力発電所で発生したメルトダウンから人々を逃がすため、21,000人の浪江町町民を避難させました。
当時日本政府にも、福島第一原発の管理者である東京電力にも、大惨事の際の避 難誘導などは無く、何もかもを町長自身が一人でやらなければならなかった、 と語ります。

そして今日に至るまで、彼はたった一人の戦いを続けてきました。

二本松市の男女共同参画センターにある馬場町長の事務所は狭く、窓もありません。
この場所以外に、浪江町の緊急事態の対応を行える場所はありませんでした。

彼の顔にはあごひげが伸び放題になり、疲労によるしわが深く刻まれています。
彼は何か月もの間、彼は浪江町の将来を救うための努力を重ねてきました。
「全員そろって、一緒に浪江町に帰りたいのです。」と彼は語りました。

「でもそれは難しいでしょう。そしておそらく、町内の一部はこの先もずっと帰れない場所になるかもしれません。それでも皆、浪江町に帰りたいので す。」

破壊された福島第一原発の北西わずか8キロメートルにある浪江町は、一部のわずかなエリアを除き、立ち入りが許されない避難区域になってしまいました。
放射線量が非常に高い場所が確かに存在します。
対策チームには浪江町の町役場その他数か所を、除染するという考えがあります。
「技術的な支援が必要です。」
と馬場町長が語りました。

▽ 危険に向かって逃げた

浪江町の町民はこの除染に、かなえられることは難しい程大きな期待を寄せています。
まるで放射性物質のセシウム137が排水溝に洗い落され、再び町が 汚染されることは無い、とでも言うように…
「町民はせっぱつまった様子で私にこう尋ねるのです、『いつになったら家に帰 れるのか?』と。」
馬場町長が語りました。

浪江町の住民は47都道府県のうちのほとんど、44の市町村にばらばらに暮らしています。
すでに何か月も経過した今、
「住民は避難生活に疲れ果てています。町民の当たり前の暮らしは、破壊されてしまいました。」

福島第一原発の管理者、東京電力は浪江町の住民ヘの補償を約束しました。
「東京電力は住民の心の傷が、時間の経過とともに癒されていくと考えていますが、私が見ている限り、住民の苦しみは時間が経つにつれますますひどくなっています。」

浪江町は避難区域に含まれる10以上の市町村の一つです。
この3月、これらの市町村の100,000人を超える人々が、皆等しく避難民になってしまいました。馬場町長は町民の避難計画を、彼自らが立案しなければなりませんでしたが、町長にも、そして住民にも、彼らが避難しようとしている方角に向け、汚染物質の雲が広がり続けていることを警告する者は誰もいませんでした。

浪江町の町民は避難し、その後を放射性物資が追いかけました。

事故が起きて4日目までに、町民は放射能汚染が最もひどい土地に、自分たちがいることに気づくことになったのです。
〈づづく〉

http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,805337,00.html
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今日からまた新しいシリーズものを掲載します。
原題は[ Scattered across Japan]、scatterはばらまく、まき散らす、追い散らす、といった意味なので、放射性物質がばらまかれた事と、浪江町の人々が追い散らされた、双方の意味をかけているものと思われます。そこでご覧のような表題にしました。
一度4回に分けてご紹介した[ 福島J-ヴィレッジ潜入記 : 使い捨てられる人々 ]と同じ、ドイツの雑誌、デア・シュピーゲル(ドイツ語で『正論』という意味)からです。

前回も翻訳していて観察眼の鋭さと、文章力の確かさに感動した私ですが、今回の内容も今年最後を締めくくるにふさわしい、重厚なものです。
浪江町の人々は、福島第一原発の事故でどのような悲劇的運命に追い込まれたのか?
そしてその原因は何なのか?
今回、この原稿を翻訳し、よく理解できました。
そしてひたひたと迫る、人々の悲しみと恐怖 - 第一回にはまだ現れませんが。
4回に分けて掲載する予定ですが、ぜひ最後までお読みくださるよう、心からお願いします。

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【 殺人ウィルス完成、公表を差し止められる 】

アメリカNBCニュース 12月20日

この恐ろしい可能性に関する話題は一度取り上げましたが、追加情報をお伝えします。
考え得る中で最も恐ろしいこのウィルスについて、合衆国政府の諮問機関は研究者に対し、他 国への研究の詳細に関する発表を行わないよう命じました。
ロバート・バゼルがお伝えします。

レポーター : ひとりの医師がウィルスを作成した経緯を説明しました。
彼はこの医師はめったに人には感染しない鳥インフルエンザ・ウィルスを、フェレットを使って人間に対する感染力が極めて高いウィルスに作り変えました。
このウィルスに対してはほとんどの人は免疫を持っておらず、恐ろしい爆発的流行を引き起こす恐れがあり、感染した人の60%は死んでしまう可能性があります。

トーマス・イングレスビー博士(ピッツバーグ大学病院)「これは今まで世界に現れたものの中で、最も危険なインフルエンザ・ウィルスです。」

レポーター : 米国政府に助言する立場の諮問機関は一歩踏み込んで、二つの科 学雑誌(サイエンスとネイチャー)に研究の詳細に関する記事を削除するよう依頼し、テロリストの手に情報が渡らないようにしました。

イングレスビー博士「私はこうして研究が行われること自体に反対でしたが、実際行われてしまった以上、政府のこうした対応は妥当なものだと思いま す。」

彼らは、研究が公表されればどういうことになるか、そこまでは考慮していませんでした。彼 らは学ぶべき教訓を得た、と言えるでしょう。

アンソニー・フォウシ博士(国立健康研究所)「私たちはこのような研究が行われたこと、そして政府がこうした対応をとったこと、その結果がどうなっていくか注視していかなければなりません。」

二つの雑誌は今後数ヶ月内に、この研究の編集されたバージョンを公開する予定です。
これはすべての科学的研究がテロに利用される危険性をはらんでいる、という一つの実例です。
ロバート・バゼル、NBCニュー ス、ニューヨーク

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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