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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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大規模停電の中、人々を支えた、小規模再生可能エネルギー発電設備

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【 災害からの迅速な立ち直りに必要な、再生可能エネルギー小規模発電システム 】〈後編〉
「現在の電力事業は、人間の顔を持たない官僚機構に支配された独占事業」

クリス・コリンズ / アメリカAOLエナジー 11月27日

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小規模な分散型発電システムは、その地の生活とは無縁の資本から事業を切り離し、その地で暮らす人々にとって最適な仕組みを提供することになります。

私もそこでボランティアを行っている環境教育団体が管理する『ソーラーワン』というビルがありますが、ハリケーン・サンディがこの地を襲った際、まさにその実力を直接見ることが出来ました。

ニューヨークで初めて太陽光発電システムにより、電力の自給自足を実現したのは、イーストリバーが湾曲する場所に立つ、その名も『ソーラーワン』と名づけられた建物で、20インチ×25インチのソーラーパネルが一面に設置されています。
この建物は太陽光発電の長所を一般にアピールするため、一見すると流線型のトレーラーハウスのようにも見えます。
ですからハリケーン・サンディが襲い、川が氾濫して一帯が1メートル50センチほど水没し、辺りに止めてあった車がすべて流されてしまった際に、この建物が一緒に流れて行かなかったのは奇跡に近いことでした。

水が引いた後、めちゃくちゃになったこのソーラーワンの後片付けをするために、近所の人たちが集まってきました。
ソーラーワンの施設担当者がもう壊れて使い物にならないことを覚悟で、それでも一度ソーラーシステムが動くかどうか確認してみました。
そしてその太陽光発電システムが、何の問題も無く稼働することを確認したのです。


ハリケーン・サンディの被害により、何が必要になるか認識していた設備担当者は、すぐにこの場所でバッテリーの充電ステーションを立ち上げました。実際、人々の携帯電話の電池の残量は皆残り少なくなっており、携帯電話の電池が切れてしまった人々は、まるで低血糖を起こしたように青ざめていました。

ソーラーワンはすぐに、マンハッタンの中心街から現れた人々で一杯になりました。彼等は手に手にiフォンやアンドロイドの携帯端末を握りしめていました。
何日もの間、ニューヨーク中心街にそびえたつ高層ビルは真っ暗なままでしたが、ソーラーワンだけは煌々と電気の光を灯し続けました。
その明かりの下にたくさんのニューヨーカーが集まり、コーヒーをすすりながら、ハリケーン・サンディに関する情報を交換していました。

ぜんそくの持病を持つ10歳の男の子が、ネビュライザー(呼吸を助ける機器)の充電をしている姿もありました。

ソーラーワンは、同じく再生可能エネルギーの開発・普及に取り組むソーラーシティ、そして太陽光普及協会の協力を得て、『ソーラー・サンディ・プロジェクト』を立ち上げました。
そして住民と復興作業に取り組む作業員のため、ロッカウェイ・ビーチにてあった出力10キロワットの太陽光発電機2基を移送し、設置しました。
この発電機が火災を起こすことは無く、また一酸化炭素中毒の心配なども無用です。
さらにニューヨーク消防本部が使っているのと同じ、数台のガス発電機も設置しました。

ソーラー2の完成予想図。


ソーラーワンはこの後まもなく、12,000平方フィートのより大規模で、発電能力の大きなソーラー2(ツー)と名づけられる施設に建て替えられることになっています。
先端技術と洗練されたデザインに加え、ソーラー2は自分で消費する以上の電力を発電することになります。
他の建物に電力を供給し、施設内でエネルギー教育を行う予定です。

もし再び猛烈な嵐がニューヨークにやって来て、14フィート(約4メートル)の高潮や、32(約10メートル)フィートの高波が港湾施設に襲いかかってくれば(悲しいことですが、その可能性を否定するものはありません)、ソーラー2もソーラーワン同様に水没を免れることはできないでしょう。
しかし、水さえ引いてしまえば、周辺の建物とは異なり、ソーラー2には明々と電気が灯り、暖房で体を温め、お湯を沸かすことも可能なのです。

その時には、ソーラー2は、単なる充電ステーションとしてだけではなく、ニューヨーク市民にとって格好の避難場所となる事でしょう。
この時、市街地の大部分では過去の遺物とも言うべき、人の顔を持たない大規模送電システムの復旧にかかりきりになっていることでしょう。

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※ クリス・コリンズは、2004年以来、ソーラーワンの運営に関わってきました。
ホリー・クロス・カレッジとオルバニー法科大学卒業後、ニューヨークとカリフォルニアを活動拠点とし、複雑な商業訴訟、環境訴訟、市民権、安全保障、高年齢者に対する虐待などの法律問題に関わってきました。
1999年に法律問題から離れ、オラクル社のディレクターに就任しました。
同時にサピエント社の危機管理部門責任者を兼任しています。

http://energy.aol.com/2012/11/27/decentralized-renewable-energy-systems-will-make-us-less-vulnera/
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私たちは社会が高度化するという事は、それに合わせて企業も巨大化するという事である、と思わされてきた節があります。
それは間違っている。
今回の記事はそのことを教えてくれています。

今は金さえ払えば、好きなだけ電気を使うことが出来ます。
しかしその行為は実は環境に負荷をかける行為なのだという事を、私たち日本人は3.11によって改めて学習しました。(していない人もいるようですが…)

福島第一原発内で際限も無くふう続ける汚染水。2012年3月。

福島第一原発内で際限も無く増え続ける汚染水。2012年3月。


これが各家庭単位で、太陽光その他の再生可能エネルギーによる発電を行うようになれば、自然と節電を心掛けるようになるのではないでしょうか?
しかも、再生可能エネルギーによる環境への負荷は、きわめて小さいものです。

最早、巨大発電設備・長大な送電網というものは、電力会社がその組織を維持するために、一部の政治家がそこから献金・寄付金などを引き出すために、そのために必要なのであって、よりリスクの少ない社会建設のためには、不要なのではないでしょうか?

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【 ローマ法王、初めてのツイート 】

アメリカNBCニュース 12月12日

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人々の期待が高まる中、充分な準備を経て、世界の10億人以上のカトリック教徒の指導者がついに発信を行いました。
最初のツイートを発信したのです。
「親愛なる信者の皆さん、ツイッターを通じあなた方と触れ合うことが出来ることを、心から喜んでいます。たくさんの皆さんに温かい反応をいただき、心から感謝しています。あなたに神の御恵みがあるよう、心から願っています。」
法王の英語版のツイートです。

掲載した連続写真は、12月12日、ローマ法王ベネディクト16世がバチカン宮殿内のポール6世広間で一般信者との謁見の後、iPadを使い、初めてとなるツイートを行う瞬間です。

【 クリスマスの讃美歌で満たされるセント・ポール寺院 】

アメリカNBCニュース 12月10日

セントポール寺院内でクリスマス・キャロルを歌う13歳のハリー・ジャクソン、そして両脇に聖歌隊の少年たち。。
クリスマスシーズンは同寺院聖歌隊が最も忙しい季節。ここを訪れる延べ20,000人の人々と一緒に、クリスマスの讃美歌を歌い続けることになります。
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【 氷の上を優雅に進む聖歌隊 】

アメリカNBCニュース 12月11日

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ウィンチェスター大聖堂の聖歌隊員の少年たちが、大聖堂の前にできたアイススケートリンクの上を、優雅に滑っています。この日イングランドの気象予報はさらなる寒波の到来に関する警報を出し、朝はマイナス14度まで気温が下がり、凍結や大雪に警戒するよう呼びかけました。

電力の独占事業「古ぼけた、時代遅れのもの!」ニューヨーク州知事

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【 災害からの迅速な立ち直りに必要な、再生可能エネルギー小規模発電システム 】〈前編〉
「現在の電力事業は、人間の顔を持たない官僚機構に支配された独占事業」

クリス・コリンズ / アメリカAOLエナジー 11月27日

ソーラーワンで様々な機器の充電を行う人々。


アメリカ東部の沿岸地区で、ハリケーン・サンディが発電・送電システムをたちまちのうちにだめにしてしまった、その被害の広がりの早さはまさに衝撃的なものでした。
電気が止まってしまった人々の暮らしは、にっちもさっちも行かなくなってしまいました。
しかしこれ程に自然災害による被害が拡大してしまったのは、この地の発電・送電システムが過度の独占状態にあったためでした。

クォモ州知事はニューヨークの発電・送電システムについて、「古ぼけた、時代遅れのものである」
と気に衣着せず厳しく指摘しました。
「現在使われている発電・送電システムは、別の時代に、別の場所で考え出されたものです。」
知事はこのように発言しました。
「電力の独占は1950年代の遺物です。電力事業については、今や根本的に見直すべき時期に来ています。」

まさに知事が言う通りです。

昨年巨大地震と津波が襲った時、日本で起きたことは何でしょうか?
大規模な原子力発電所の事故が始まり、次々と悲惨な事態が引き起こされました。
一方では風力発電システムは災害を生き延び、ともすれば不足しがちな電力の供給に貢献しています。


ハリケーン・サンディが去った後、ニューヨーク市内のガソリンスタンドのタンクの中はガソリンで一杯でした。
しかし、問題は電気が無いためポンプが作動しなかったことでした。
もしそれぞれのガソリンスタンドが太陽光などの自家発電装置を備えていれば、あのようなガソリン不足パニックは発生しなかったはずです。

電力の独占を排除し、発電送電を分散化することに、全くと言って良い程問題はありません。

具体例を挙げましょう。
ニューヨーク市の実に半分の建物が太陽光発電に適しており、もしこれらの建物がすべて太陽光発電システムを設置すれば、ピーク時の電力需要の半分を賄うことが可能になります。
PEWリサーチセンターの調査によれば、アメリカ人の67%が地球温暖化を事実として認めています。
地球温暖化などと言う事実は無いという非科学的主張は、これまで長い間政治的取り組みを阻害し続けて来ました。
この国の政治家たちが国民の声に耳を傾け、地球的規模の危機を回避するために、認識を改め本腰を入れた取り組みを行うべき時はすでに来ているのです。

多くの国々で、この難しい問題への取り組みが始まっています。
15か国のヨーロッパ諸国の首脳が集まり、協議が行われた最近の欧州議会の会議では、以下の結論に到達しました。
「地球温暖化を防止すべく再生可能エネルギー事業を成功させるためには、電力の独占を排除し、小規模なシステムを分散配置することが不可欠である。」
その成功例として、議会はドイツとデンマークの事例を挙げました。
今年ドイツの電力の26%が、再生可能エネルギーによる小規模発電システムによって賄われました。
太陽光、風力、そしてバイオマスです。


ドイツはこの実績により、2022年までに必要とされる電力の35%を、再生可能エネルギーによって賄うという目標の達成が可能になりました。
ドイツ政府は今や、再生可能エネルギーによる小規模発電システムによって、わずか10年以内に全電力の50%を賄うことも可能である、との見通しを持つに至りました。

もしアメリカもドイツと同じだけの数値を達成していれば、ハリケーン・サンディによってあれ程の大規模停電は発生しませんでしたし、石油タンカーの接岸が1、2週間遅れたところで何ほどの混乱も起きなかったでしょう。

クォモ知事が言及した『意外なほどの脆さ』を露呈することも、無かったに違いありません。

オバマ大統領のクリーン・エネルギーの開発に取り組みは評価されるべきですが、遠隔地に大規模発電システムを建設するというそのやり方は誤りです。
オハイオ州やインディアナ州の電力が、1,000マイルも離れたノース・ダコタ州の風力発電所から送電されることになれば、せっかくの取り組みもほとんど意味が無くなります。
施設のどこかで不具合が発生すれば、オハイオ州もインディアナ州も、ニューヨークが体験したような大規模停電に見舞われることになります。

最も安全性が高い発電・送電システムは、州ごとに小規模施設を各所に建設し、送電線も最新のものをできるだけ短くすることに努める必要があります。


クォモ州知事は、この地の発電・送電システムは、人間の顔を持たない官僚機構に支配された、独占事業だと批判しました。
〈つづく〉

http://energy.aol.com/2012/11/27/decentralized-renewable-energy-systems-will-make-us-less-vulnera/
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巨大設備によって発電した電気を、長大な送電網を使って送電する。
それはもう時代遅れだ、と明快に結論を出しています。

この考えに立てば、電力不足と原子力発電の稼働停止は関係が無くなります。
どころか、「燃料費が高い」と大騒ぎしている火力発電も必要ありません。

要するに大規模発電・電力の独占さえ止めれば、電気の安定供給が可能になるという、日本人にとっては『目から鱗』の論理が、アメリカ・ニューヨーク州知事によって明快に語られているのです。

再生可能エネルギーの技術が進歩し、その発電コストが下がり続けている現在、大規模システムによって発電した電気を、長大な送電網を設備して独占販売するやり方に、合理性はもう無くなってしまったのです。

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【 冬景色 】

アメリカNBCニュース 12月4日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)


ブリザードに見舞われたストックホルム市内。12月3日、スウェーデン。


ストックホルム市内。12月3日。


スコットランドのスターリング城の墓域。12月3日、イギリス。


ベルギー西部のオートファーニュ。12月2日。


フランス、ヴァルトラン。11月30日。

【 追悼 : デイヴ・ブルーベック 】 ジャズ・ピアニスト&作曲家

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アメリカNBCニュース 12月5日


ジャズ・ピアニストであり、作曲家のデイヴ・ブルーベックが91歳で亡くなりました。
『テイク・ファイヴ』に代表される彼の作品は、エキゾチックな曲調、そして変拍子ズムを積極的に取り入れ、発表される度リスナーの耳を釘づけにしました。

ブルーベックは12月5日水曜日、彼の息子ダリウスとともに心臓の診療予約に向かう途中心臓発作に見舞われ死亡したと、マネージャーのラッセル・グロイドが語りました。
グロイドによると、病院へ向かう途中、息子がブルーベックの様子がただならないことに気づき、その場で救急車を呼びましした。2人はそのまま担当医のもとに搬送されました。
「もう手の施しようがありません。」
医者はブルーベックの息子に告げました。

グロイドが最後にこうつけ加えました。
「彼は疲れているように見えました。ずいぶんと老け込んだ感じもしていました。でも、最後までユーモアのセンスを失うことはありませんでした。」

彼は翌日、92歳の誕生日を迎える予定でした。

ブルーベックは、第二次世界大戦以降のアメリカのジャズの歴史のあらゆる場面で活躍をしました。
1951年にデイヴ・ブルーベック・クァルテットを結成、1954年11月8日、モダンジャズ・ミュージシャンとして初めてタイム誌の表紙を飾りました。
彼は1950年代、60年代のクラブ・ジャズ時代、スイングしながらも、ゆったりとくゆらすような『スモーキー・リズム』の人気を決定づけました。

ジャズ史上屈指の名盤、ジャズのアルバムとしては史上初めて100万枚のセールスを記録した『タイム・アウト』は、2拍子、3拍子、4拍子といった伝統的リズムを使わない、8分の9拍子の『ブルーロンド』で始まります。
モーツァルトのモティーフをベースに、ピアノとサキソフォンが急調子のフレーズを紡ぎだすこの作品は、後半では4分の4拍子伝統的ジャズ・ミュージックとブルーベックの変拍子のビアノが渾然一体となります。
そしてこのアルバムには、あの名曲、4分の5拍子の『テイク・ファイヴ』が収められています。
この曲は単にデイヴ・ブルーベック・クァルテットの代表曲というだけでなく、1961年のビルボード・ヒットチャートのシングル部門のグランプリを獲得しました。

この曲はブルーベックの長年のパートナーとなったサキソフォン奏者のポール・デズモンドが作曲しました。
「私がそもそもの始めから目指していたものは、多調性音楽(異なった調を同時に重ねて用いること。現代音楽に好んで用いられる。多調)、そして多拍子音楽でした。それなら音楽の限界はありませんから。」
1995年、ブルーベックがAP通信にこう語っています。
「そうした音楽への挑戦は、1940年代に始めていました。そして今も続いています。多調性と多拍子の組み合わせによりどんな音楽を作り出す事が可能か、その挑戦は今でも続いています。」

第二次世界大戦における従軍の後、ブルーベックはカリフォルニア州オークランドのミルズ・カレッジを卒業し、ブルーベックはアルト・サックスのポール・デズモンド、テノールのデイブ・バン・クライド、ドラムスのカル・ジェイダー、そしてクラリネット奏者のビル・スミスとともにオクテットを結成しました。
このグループはブルーベックのオリジナル曲と多の作曲家のスタンダード・ナンバーを演奏していましたが、初期の変拍子の実験的作品も取り上げていました。
彼らのデビュー作となるアルバム『デイヴ・ブルーベック・オクテット』の録音が行われたのは、1946年の事でした。

グループは一人減り、クァルテットになり、主に大学やカレッジで演奏活動を続けていました。
デイヴ・ブルーベック・クァルテットとしてのアルバム『オーバーリンのジャズ』は1953年、オハイオのオーバーリン・カレッジでの演奏を収録したライヴ・アルバムです。

10年後ブルーベックとデズモンドは、ドラムスにジョー・モレロ、ベースにユージン・ライトを迎え、傑作『タイムアウト』」を世に送り出しました。


近年は、ブルーベックはオペラ、バレエ、そしてボストン交響楽団のための現代音楽作品の作曲も行いました。

1988年には、当時の大統領ロナルド・レーガンが、モスクワでソビエト連邦のミハイル・ゴルバチョフ首相を招いて開催した晩餐会で、ゴルバチョフ首相のために演奏しました。

「私はロシア語は解しませんが、ボディーランゲージならわかりますよ。」
ゴルバチョフ首相が彼の足を軽くたたいて賛辞を贈った後、ブルーベックがこう語りました。

1980年代後期には、ブルーベックは8部構成のテレビのスペシャル番組『これがアメリカだよ、チャーリー・ブラウン』のための作曲も行いました。

彼が作曲したのは、NASAと宇宙ステーションに関するエピソードの音楽でした。
彼は3人の息子とともに演奏を行ったようです。
クリスはバス・トロンボーンとベース、ダンがドラムス、そしてマシューがチェロを。
そしてミサ曲『希望!祝福を捧げよう』、そしてオラトリオ『荒野を照らすひとすじの光』のためには、大勢のプロの音楽家を招いて録音が行われました。
しかし作曲はしたものの、『クワイエット・アズ・ザ・ムーン(月のような静けさ)』の録音は行われませんでした。

1992年、ブルーベックはAP通信にこう語っています。
「それこそが音楽の神髄とも言うべきものです。バッハの神聖なコラールの主題のメロディーを、自由にアレンジしました。テーマのメロディーを何からとってもあまり関係はありません、アレンジこそがジャズの真骨頂なのですから。」

2006年、ノートルダム大学はブルーベックに、『その才能が芸術や科学の品位を高め、教会が理想とするところを現実のものとし、人間社会の価値を高めることに貢献した』カトリック教徒に与えられるラエターレ・メダルを授与しました。(ラエターレはラテン語で「楽しむ」を意味する動詞)


2009年に88歳を迎えたブルーベックは、受けた手術で感染症を起こし、4月に予定していた母校、パシフィック総合大学での公演こそキャンセルしましたが、尚もツアー公演を続けていました。
6月にはすでにシカゴでの公演を行っていたブルーベックに対し、地元の新聞シカゴ・トリビューンは
「ブルーベックは、ショパンのピアノ曲に通じる高い叙情性を、ピアノから引き出すことに成功している。」
と高く評価しました。

2009年後半、ケネディ・センターでの式典で彼が名誉賞の受賞者であると発表されたとき、より多くの称賛が寄せられました。
この知らせをもし亡くなった母が聞いたなら、さぞかし喜んでくれたのに、とブルーベックがAP通信に話しました。彼の母、エリザベス・アイビー・ブルーベックはクラシック・ピアニストであり、末の息子がジャズにのめり込んでいく様子を見て、いたく失望していました。
もっとも、幸いなことに、母親は彼が音楽家として大成したことを見届けることが出来ました。

1920年12月6日にカリフォルニア州コンコードで生まれたブルーベックは、父の後を継ぎ牧場主になると見られていました。
彼自身は1938年にパシフィック医科大学(現在は総合大学)に入学して獣医学を専攻、卒業後は家族経営する45,000エーカー(約18,000ヘクタール)の大牧場に戻るつもりでした。


しかし、1年も経たぬうちブルーベックは音楽にのめり込んでいきました。
彼は1942年に大学を卒業すると、徴兵され、ジョージ・パットン将軍のもとに配属となりました。
彼はウォルフパック・バンドという名の軍楽隊に編入されましたが、このバンドはアメリカ軍唯一の白人黒人混成の軍楽隊でした。
ケン・バーンズ監督が収録し、PBSが放送したドキュメンタリー・シリーズ『ジャズ』の中で、ブルーベックは軍隊で白人黒人の混成バンドで演奏した経験について語りました。
除隊後彼が見たものは、テキサスでバンドの仲間が、黒人だという理由でレストランへの入店を拒否されるシーンでした。

ブルーベックと妻のアイオラとの間には4人の息子、そして一人娘がいました。
トロンボーンと電気的なバスの上でクリスはトロンボーンとエレキ・ベース、ダンはドラムス、ダライアスはキーボード、そしてマシューがチェロを担当し、2000年12月、ブルーベックの誕生祝コンサートでロンドン交響楽団と共演しました。
「私たち兄弟、そして親子に断絶などと言うものはありませんでした。」と、クリス・ブルーベックは父が元気だった当時、一緒に演奏した際、彼の前でこう語ったことがあります。
「私たちが互いを理解し合うために、音楽以上のものはありませんでしたし、断絶もありませんでした。私たちがいるところ、常に音楽があったからです。」

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ブルーベックは音楽界の伝説の巨人でしたが、本人の頭にはそんな意識はありませんでした。
ミシガン州イプシランティにあるWEMU-ウェミューFMの音楽監督であるリンダ・ヨーンは、2度ブルーベックと仕事をしたことがあるが、彼は思慮深く分別に富んだ、親切な人間であったとNBC Newsに話しました。
「デイブはくつろいだ雰囲気を持った、とても話しやすい人でした。」
彼女は2004年のイベントでブルーベックと一緒に仕事をした際の経験について語りました。
「学生たち、そして地域の人々が大きな行列を作り、次々と彼に質問を浴びせかけました。彼は一人一人質問に丁寧に、しかも上機嫌で応えていました。」

4年連続で『ジャズ・ウィーク』が選ぶ、ジャズ番組年間最優秀企画者に選ばれたヨーンは、ブルーベックの死が、彼女の放送局の視聴者を痛く悲しませることになったと語りました。
「私たちの音楽の世界に、大きな穴が開いたように感じました。」
彼女がNBCニュースにこう語りました。
「ブルーベックの誠実さ、高潔な魂、活力、知性、そして広い心。これらすべてが人間同士の壁を取り払うための糧となり、時代を超え、人種を問わず、文化の違いを乗り越えて、その音楽が愛されることにつながりました。」

ブルーベックは、4人の息子、1人の娘、孫と曾孫に看取られながら、この世を去っていきました。

ブルーベックが最近新しいピアノ・アルバムの制作を考えていたと、グロイドがNBCニュースに語りました。

http://todayentertainment.today.com/_news/2012/12/05/15701700-dave-brubeck-jazz-great-dead-at-91?liteリンク・コード
http://www.cbsnews.com/8301-207_162-57557294/dave-brubeck-jazz-composer-and-pianist-dies/
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本来この原稿はブルーベック氏が亡くなった翌日に掲載するつもりで翻訳をしていましたが、途中でバッシャール・アサドやイシハラなど、絶対に友人にはしたくない類いの人間の記事を先に掲載せざるを得なかったため、とうとう一週間掲載がのびてしまいました。
ですから『訃報』のはずだったのが、『追悼』になってしまいました。

私自身はジャズに造詣が深い訳でも何でもありませんが、ブルーベックのピアノの本来の演奏スタイルそのものは、同時代のバド・パウエルやホレス・シルバーなどのビーバップ・スタイルとは一線を画した、ジョン・コルトレーンのバックをつとめていた頃のマッコイ・タイナーに通じる、リリシズムに溢れたものだと思っています。
ビル・エヴァンスのロマンチシズムとも違い、パッセージが早く、音符の数も多めながら、繊細な詩情を感じます。

この記事の中でそのリリシズムについてショパンが引き合いに出されていますが、私はショパンのどちらかと言えば女性的で直線的な熱情と、ブルーベックのリリシズムは違うと思います。
例えるなら、ロベール・カザドシュの演奏するモーツァルトの方が近いと思うのですが、人の感じ方はそれぞれ、細かな詮索はこの辺にしましょう。

心ゆくまで楽しめる音楽さえあれば幸せな気分になれる、それが音楽というものですから。

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【 地上の楽園に押し寄せる、3.11の厄介者たち 】

アメリカNBCニュース 12月10日

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約2年前に発生した日本の津波が作り出した大量のがれきその他が、アメリカの海岸に次々打ちあげられています。
先月この番組では、世界屈指の美しさを誇るハワイの海岸が、今や世界で最も汚れた海岸に変わりつつある様子をお伝えしました(記事下の11月28日付のビデオ)。
今夜は同じ場所から、水に浮くというその性質により、プラスチックが海浜の野生生物を脅かしている様子、やがては私たち人間にまで影響を及ぼしかねない問題について、お伝えします。

リポーター:ハワイ諸島で生息する海鳥たちに生命の危険が迫っています。
くちばしの長い水鳥はイカ、魚とオキアミなどをエサにしていますが、捕食の際、プラスチックも一緒に飲み込む例が後を絶ちません。
このアホウドリ科の海鳥の死がいの胃の中には、ご覧の通りこれだけのプラスチックが貯まっていました。
この様子から、現在水鳥たちがエサを採っている場所がどのような状態なのか、そして他の水鳥たちも同様の事態に陥っているだろうことを、看て取ることが出来ます。

リポーター:ハワイ諸島の大きな島々では、こうした浮遊ゴミは簡単に見つかります。絶滅危惧種のモンクアザラシが生息する同じ砂浜には、浮遊ゴミと津波による破壊の後の残骸が大量に打ちあげられています。
これから数か月に渡りこうしたゴミが大量に打ち上げられることになりますが、海洋科学者は海の上を漂っている段階で、すでにきわめて深刻な問題を作り出していると語ります。
野生生物が暮らし、エサを採っている海上を漂うゴミの山からは、漁網のようなものも大量に見つかっています。
この海洋科学者は、プラスチックの小片を飲みこんだ小さな魚が、次にマグロや鮭に捕食されることになると指摘しました。
「人間は海中の食物連鎖について、懸念しなければならなくなるでしょう。なぜならその頂点には私たち人間がいるからです。」

リポーター: 海洋化学者ヘンリー・カーソンはハワイ大学で、この問題について研究しています。
ヘンリー・カーソン「最も危険かつ影響の大きい問題は、プラスチックがより細かく砕かれていくことです。私たちはフィルター・フィーダー(ヒゲクジラのように水を大量に飲み込み、餌をヒゲで濾して食べる動物)が、その過程でプラスチックの小片をさらに細かく砕いていることを確認しています。」

リポーター:アメリカ食品医薬品局(FDA)は、魚がプラスチックの小片を飲みこんでいる事実は確認しているが、市場に出回っている魚介類からこの点に関する安全上の問題報告はまだ無い、と語っています。
しかし別の立場の人々は、この問題が地上の楽園の破壊の予兆となることを恐れています。
それ程の被害が発生するのかどうか、それはこれからの問題です。
ミゲル・アルマゲア、アメリカNBCニュース、ハワイ。

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http://www.msnbc.msn.com/id/3032619/ns/NBCNightlyNews/#50152559

【 フクシマ – 消えてしまう故郷・消えてしまった希望 】

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原発事故が消滅させた町・大熊町

マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 11月25日


戦国時代からこの地で栄えてきた会津若松市、そのまわりをぐるりと取り囲む山々に、冷たい北風が初雪を運んできました。
昨年の福島第一原発の事故発生以来、避難民としてこの地に逃れてきた人々が今、生まれ育った故郷に再び戻るという希望を失いつつあります。

福島第一原発が立地する大熊町の町長は、いつの日か故郷の地の放射線量が充分に安全と言えるレベルにまで低下すれば、全町民を率いて帰還すると誓いました。
大熊町の町民は2011年3月11日、巨大地震、巨大津波が福島第一原発の冷却装置を稼働不能にした後、急いで逃げ出さなければなりませんでした。

政府が進める除染作業も思うように進まず、そして福島第一原発の原子炉が再び放射能汚染を引き起こす危険が続く中、大熊町役場の職員はこの9月、最低でも10年間は住民の帰還は不可能であるとの結論を出さざるを得なくなりました。

大熊町から避難した住民の中で、もう二度と故郷に戻ることはできないのではないか、という悲観的な考えが広がり続けています。

福島第一原発から95キロほど離れた会津若松市内にある仮設住宅団地では、高齢の住民のほとんどから、もう一度故郷を再建する時間も体力も、もう残されてはいないという声が上がっています。

そんなことをするより、仮設住宅を一刻も早く引き払い、福島第一原発からはるかに離れた場所で、昔なじみの人々が寄り添って暮らせるようにしてもらった方が良いという意見が多数を占めるようになりました。
「私も『故郷に帰りたい!故郷にある自宅に戻りたい!』と言い続けてきた人間の一人です。」
福島第一原発の南側7~8キロの場所で米作農家をしていた、78歳の飯田とし子さんがこう語りました。
「でも、帰れるようになるまで何年もかかることが解りました。その頃はもう、私も生きてはいないでしょう。」


その頃はまだソビエト連邦だったウクライナで1986年に発生したチェルノブイリの事故以来、最悪となった福島第一原発の事故。地震と津波により3基の原子炉がメルトダウンしたこの事故では、大量の放射性物質が環境中に放出され、現在でも159,000人もの人々が避難生活を強いられています。
その中で多くの人々が、飯田さんのようなあきらめの気持ちを共有しています。

政府や関係する政府機関が改めて福島第一原発の事故による汚染はそれ程深刻なものでは無いと住民側に説明し、高額な費用をかけて除染作業を始めた時点で、逆に多くの住民たちはこの除染が終わるまでには何十年という時間がかかり、故郷の大熊町が事故以前の元通りの姿に返るまでには、数世代を要するという事実を受け入れることになりました。

「誰もが帰りたいと思っています。しかし私たちは、明らかになった事実と向き合わなければなりません。」
福島第一原発の原子炉建屋で働いたこともある、75歳のすでに引退した大工の曽我浩一さんがこう語りました。
「ソビエト連邦の例を見ればわかります。チェルノブイリ近くの住民たちは、帰ることが出来ましたか?」

こうした諦めにも似た気持ちは、故郷を追われた11,350人の大熊町の住民たちに、社会生活に対する希望を失わせることになりました。
大熊町は福島第一原発の20キロ圏内にある9つの市町村の内のひとつです。

およそ1ヵ月の間、学校の体育館やその他の避難所で暮らした後、200km以上離れた場所にある東京などにまで避難した住民を除く、約4,300人の人々と町役場の職員などが会津若松市の仮設住宅に移って来ました。
大熊町の渡辺利綱町長は、すぐに町内の比較的放射線量が低い地区に、住民を帰還されるための計画づくりに着手しました。
計画では、帰還した人々は何もかもが破壊された後の荒野に入植するかのように、通りの一本一本で、あるいは建物のひとつひとつで除染作業が進むのに合わせ、徐々に生活空間を広げていくことになっています。

昨年の秋、大熊町内の比較的安全な場所に町を再建することを訴えた渡辺氏が町長に再選されたことで、この計画は事実上住民の了承を得たことになりました。


2012年だけで3,800億円以上を費やすという環境省による除染作業が開始され、この年の初め、住民の期待は高まりました。
大熊町を始めとする福島第一原発の周辺市町村で、少人数の作業員によるグループが地面の表面を削り取り、木の枝を切り払い、建物の外側を洗浄する作業が続けられました。

しかし2012年夏、環境省は大熊町については、これ程の予算を費やした除染作業によっても、思ったほど放射線量は下がらなかったことを公表しました。
そして環境省は少なくともこれから5年の間は、人が住み暮らすことは不可能であると公表したのです。
この発表を受け、大熊町役場は、住民の帰還目標を当初の2014年から2022年に変更せざるを得なくなりました。

「次から次へと悪い知らせばかりがもたらされ、人々は打ちひしがれ、あきらめるつもりになっています。」
会津若松市内で600年の歴史を持つ鶴ヶ城の一画にある、かつての女子高の建物の中に臨時の町役場の中で、今年65歳の渡辺町長がこう語りました。
「住民の帰還計画だけが、この先へつながる唯一の希望なのです。大熊町が消滅しないための、ただ一つの手立てなのです。」

渡辺町長は住民帰還計画を支持する人が、減り続けていることを解っています。
今年9月、役場は避難している住民に対する調査を行いましたが、帰還を希望すると答えた住民は、全体の11%にあたる3,424人だけでした。
これに対し、もはや期間を望まないと答えた住民は、全体の45.6%に昇りました。
理由は放射能汚染でした。

帰還を困難にする新たな知らせが今年11月、環境省によってもたらされました。
環境省は渡辺町長に対し、3.11の被災地のがれき、そして除染によって出た低レベル放射性廃棄物を一時的に保管する施設を少なくとも9つ程度、大熊町に建設したいと伝えてきたのです。
故郷である大熊町が核廃棄物処分場になるのなら、もはや帰還は望まない、多くの避難住民がこう語りました。


かつてのサッカー場の中に、簡易組み立て式のアパートが、あたかも収容所か何かのようにずらりと並ぶ仮設住宅で、大熊町の住民が、防護服と防護マスクに身を固め、被ばく線量について厳しく監視されながら、見回りの品々を取りに一時間だけ自宅に戻ることを許された時のことを話してくれました。
それから何か月も過ぎてしまった今、もう気持ちの上では、故郷に帰り、町の再建を一から始める気にはなれないと、多くの住民が話しました。
「私の家はネズミの住処になっていました。」
こう語るのは85歳の泉ひろ子さんです。
「家に帰るたび、だんだんそこが自分の家で無くなっていくように感じます。」

他の多くの住民が、数は多くは無いが、働き盛りの住民がバラバラにならないように、何か対策をとるべきだと語っています。
若い世代の多くの人が会津若松市内に就職口を見つけるなどし、新たな生活を始めています。

「時間がかかり過ぎれば、結局大熊町は消えてしまうことになるでしょう。」
63歳の医療関係の仕事をしていた曽我春江さんがこう語りました。

かつて大熊町があった場所には、もう戻りたくないという人々のため、役場は福島第一原発の避難区域の外に、新たな大熊町を建設する構想を今年9月、明らかにしました。
新しい大熊町には、役場、消防署、警察署など、一通りのものが揃い、5年以内に建設を始めるとしています。

渡辺町長自身は、何としても元の大熊町に戻りたいという気持ちを抱き続ける側の人間でることを認めました。
解っているだけで19代に渡ってこの場所で米を作り続け、先祖代々の墓が残る故郷。
彼の心の中にある儒教的習慣も相まって、この場所を捨てる気にはどうしてもなれないと語りました。


「私たち一族はこの地で1,000年の間暮らしてきました。」
渡辺町長が語りました。
「いつの日か、代々続いたこの農地で私自身が育てたコメをもう一度かみしめる、私はそう誓ったのです。」


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選挙で一つ覚えのように「復興!復興!」と叫ぶ候補者。
しかし危惧されるのは、彼らの頭の中にある「復興」です。

この記事にも出てくる被災者の人々の声を、丹念に聴くことも無く走り出す復興というものは、どんなものなのでしょうか?
ブルドーザーやパワーショベルがガラガラ走り回る復興しか、頭の中には無いのではないでしょうか?

被災者の方々が望んでいるのは、平和で穏やかな暮らしを取り戻すこと。
そしてまず「心の復興」のはず。
それには福島の人々を「被災者」としてひとまとめにするのではなく、ひとつひとつの人生を丹念に立て直す、地味で誠実な取り組みこそが必要だと思います

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【 冬景色 】

アメリカNBCニュース 12月9日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

アラスカの南西部を写したこの写真は、11月21日、NASAのアクア衛星がMODIS撮影機で撮ったものです。


イギリス、レスターシャー・オートン村の畑を覆い尽くした霜。11月30日。


12月8日、ドイツのハルツ山脈のブロッケン・マウンテンにある目的地目指して、ブロッケン鉄道の電車が雪でおおわれた松の間を蒸気を噴き上げながら走りぬけていきます。


トビアスWendl、正面とダブルス・リュージュ・ワールド・カップの間の氷水路の下流のドイツ速度のトビアス・アールトは、12月8日にアルテンベルク(ドイツ)で競争します。 彼らは、競争に勝ちま
12月8日、ドイツのアルテンベルクで開催されたダブル・ルージュのワールドカップで、優勝したトビアス・ウェンドル、トビアース・アールトの組が疾走する瞬間。

【 個人的人気に頼ってばかり、一部の『第3極』政党、その政策に一貫性などは無い 】

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目指すところは、とにかく票の獲得

エコノミスト 11月24日


日本のみなさんは自由民主党(Liberal-Democratic Party・LDP)に関して、こんなジョークがあるのをご存じでしょうか。

リベラル?
民主主義(デモクラシー)?
どっちもまるで関係ないじゃないか!

1950年代、折からの冷戦時代にいろいろな反社会主義勢力が寄り集まって急造された自民党ですが、それでも2009年にその座を降りるまで、半世紀以上日本の政権の座にあり続けました。
結党以来半世紀以上が過ぎましたが、12月16日に野田首相が衆議員議員選挙の実施を決め、14の政党が選挙に向け走り出した日本では、再び歴史が繰り返されることになるかもしれません。

野田首相率いる民主党の弱体化が進むのに反比例し、勢力を伸ばしつつある新たな政党の大部分は右派であり、日本の再生を目指している点で一致しています。
その目指すところがその政党名に反映されています、いわく太陽、再生、そして維新。
日本の有権者にとっての関心事は、他にこれらの勢力に共通するものは何だろうか、という事でしょう。

投票日を目前に控え、日本のメディアが民主党、自民党、いずれにも属さない勢力を『第3極』と表現するようになってから、指導者達はこの勢力をまとめ上げることに腐心しています。

多くの有権者は民主党政権には決別したいと願う一方で、自民党政権時代には戻りたくない、と考えています。
世論調査の結果民主党も、自民党も議席の過半数をとることが不可能であることを明らかにしました。
こうして有権者の意識から、『第3極』の政党が互いに効果的な同盟関係を実現するか、あるいはこの中から一党が抜きんでて大きくなれば、政治の場で大きな影響力を持つことが可能になります。

こうした状況を受け、本来持っている政治方針がどんなものであれ、とりあえず目立つ者同士が連携して選挙に臨もうではないか、という流れが加速されることになりました。
常々反中国の態度を露わにしていた老兵、石原慎太郎氏は東京都知事を辞任し、右翼政党太陽の党を作ったわずか数日後、今度は橋下徹大阪市長が率いる維新の会(JRP)と合併し、党首の座に収まりました。

その政策の違いから言って、この2人がそれまでの主張をひるがえしてまで、一緒にならなければならない必然性ははた目には見当たりませんでした。

橋下氏の方は、日本が2030年代に原子力発電を廃止するという公約を撤回しました。
一方の石原氏は、アメリカが主導する自由貿易協定、環太平洋パートナーシップ(TPP)への参加には断固反対するという姿勢を、急激に軟化させました。

この劇薬を敢えて飲み込むような連携に驚いたのは、それぞれとの連携の可能性について検討していた『第3極』の別の二つの政党でした。
TPPに反対し、脱原発を訴えるみんなの党と、石原氏との連携を図っていた減税日本です。

しかしこうした攻防もその影響は限定的なものに留まるでしょう。
今回の選挙には、あまりに多くの演じ手がいるからです。


自民党安倍晋三総裁の人気には最近陰りが見えてきましたが、それでも自民党の支持率は25%と、政権与党の民主党の2倍ある事を、世論調査の結果は明らかにしています。
一方の野田首相も、衆議院を解散した辺りから、若干支持率を回復しました。

有権者の投票行動の予測がつきがたいことについて、ブログ『施策』を主宰するマイケル・キューセク氏は、一部の『第3極』の政党について、連携から受ける恩恵ばかりを重視するため、その政策はとってつけたような物ばかりで、党首の個人的人気に頼り過ぎており、やたらと愛国心を煽っている、と指摘しました。

一方、自民党や民主党を支持する実業界寄りの勢力は、選挙後、それぞれの政策実現のため、その場しのぎの勢力形成をする可能性があります。
過去にも『大連立』が試みられたことがありましたが、その時は失敗しています。

選挙後の日本について、今のところ確実に言えることは『右傾化』するだろうという事です。

尖閣諸島をめぐる問題で中国との紛争を引き起こし、日本経済に大きな打撃を与えた石原氏は、いっさい反省などしていません。

どころか先月東京都知事を引退して以来、『醜い』日本国憲法を改定し、中国に対しより一層強硬な姿勢で臨むと誓っています。
石原氏は日本の核武装を主張し、第二次世界大戦中の1937年、中国で起きた南京事件の存在を否定しています。
南京市と姉妹都市の関係を持つ名古屋市長で、減税日本の党首である河村たかし氏もまた、南京事件の存在については、疑問を口にしたことがあります。

早くから維新の会との連携について交渉を重ねてきたみんなの党ですが、政策が目まぐるしく変わる様を見て、連携交渉から手を引くことにしました。

しかし、選挙結果が明らかになったその晩に、政党の代表たちによる密室での謀議が始まり、再び各政党の政策は形の違ったものになるでしょう。
「いずれにしても、各党の指導者次第です。」
みんなの党の浅尾慶一郎議員が語りました。

「そのときは、そのとき」なのです。

http://www.economist.com/news/asia/21567116-small-parties-vague-manifestos-hope-entice-fed-up-japanese-voters-pole-dancers
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17世紀のピューリタン革命、そして名誉革命以来、営々と『民主主義社会』を築き上げてきた英国のメディア、特にエコノミストの記事には見るべきものがあります。
という訳で、少し前の記事ですが、あえて掲載しました。

英国では保守党も、労働党も、議員の資質を問うことについては、極めて厳格であるという事を一度ご紹介したことがあります。
一度その『人間性』を疑われてしまったら、国会議員はおろか、地方議員でいることも許されないと。
そうした意味では、差別発言を繰り返してきたイシハラ氏が、英国保守党の議員になることはまず絶望的だと思います。
逆に言えば、英国国民はこうした人間が国会議員はおろか、地方議員でいることも許さないということです。

もう10年以上も前のことですが、日米の共同制作、NHKの『映像の世紀』全巻のビデオを20数万円はたいて購入したことがあります。
そのドキュメンタリーの中、頭にこびりついているシーンがあります。
太平洋戦争末期の特攻隊のシーンです。
私はこういう「攻撃方法」を組織ぐるみで考え出したことがある、というだけで日本人は戦争などやってはならないと思っています。

特攻を目撃したアメリカ海軍の兵士の証言があります。
「この人たちを見ていると、胃がきりきりと痛くなります。
この人たちは、どうしてこんなことが出来るのだろう?
私も国を守るために海軍に志願し、こうして戦場に出ることで国に貢献しようと思っています。
しかし特攻隊の人たちがやっている、こんなやり方では…」
ほぼこのような内容だったと思います。
出来るも出来ないも、それ以外の選択を許されなかったというのが真相でしょう。
その特攻をひたすら美化しているのが、イシハラ氏です。

国民を守るための戦争ではなく、体制を守るために国民の命を使い捨てることを美化する心は明らかに病んでいる、司馬遼太郎さんも確かそのように書いておられました。

この国のモラルが低下している一番大きな責任は、表向き言う事と実際にやることがまるで違う事をさんざん国民に見せてきた、この国の政治に帰せられるべきだと私は思っています。
それを国民の問題にすり替え、自らについては反省することなど思いもつかない政治家に、この国の将来を託せるのでしょうか?

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【 冬景色 】

アメリカNBCニュース 12月4日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

スイス、チューリッヒ郊外。11月29日。


カナダ、アルバータ州ルイーズ湖。11月22日。


アメリカ、コロラド州アイダホ・スプリングス。11月20日。


ドイツ、ミュンヘン。11月29日。


ロシア、モスクワ。11月29日。


オーストリア、ジーフェルト村。11月29日。

【 国際放射線防護委員会の日本のメンバー、旅費・宿泊費は電力業界が負担 】

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被ばく限度量の引き上げを、繰り返し迫った電気事業連合会

 

AP通信 / カナダ.com、ワシントンポスト、FOXニュース他 12月6日


日本国内で影響力を持ち、長年に渡り放射線被ばくの限度量の設定に関わってきた複数の科学者が、海外での学術会議などに出席する際、電力業界がその旅費を負担し続けていたことが明らかにされました。

昨年発生した福島第一原発の事故に関し、600ページに上る報告書を発表した委員会の10人のメンバーの一人である医師が、報告書中の一文にもこの問題に関する記述があると、AP通信に対し指摘しました。

 

電力会社が旅費の負担を行ってきた科学者の内の数名は、放射線被ばく量の限度について、科学者として見解を求められたり、政府の文書で持論を述べる際など、一貫して楽観的な見解を表明してきました。

2011年3月、津波によって引き起こされた福島第一原発の原子炉のメルトダウン発生後の、これらの科学者の重要な務めは、子供たちが外で遊んでも良いのか、それとも屋内に留まるべきなのか、家族はその地に留まっても問題が無いのか、それとも避難すべきなのか、その政策決定に正しい見解を下すことでした。

 

これらの科学者の中で、主要なメンバーである丹羽太貫(おおつら)氏は国際放射線防護委員会(ICRP)の会議に参加するための航空運賃と宿泊費、そして国外のメンバーが日本を訪問する際も旅費と宿泊費を、日本の電力業界が負担していたことを認めました。
丹羽氏はこうした資金提供によってその科学的な見解が影響を受けたことは無いと否定をした上で、福島の事故に関する放射線被ばくの悪影響に関する懸念は大げさすぎるという自らの見解を変えるつもりは無い、と強調しました。

「避難した人々は、自分たちがとった行動を正当化するために、放射線は危険だと思い込みたいのです。」
AP通信の取材に対し、丹羽氏はこう答えました。


国際放射線防護委員会(ICRP)の公式見解は、放射線からの健康リスクがゼロになるのは、放射線被ばくがゼロであった場合に限られます。

しかし8人いる日本人の国際放射線防護委員会のメンバーの中の数人は、この見解を不服としています。
低線量被ばくによる健康被害はゼロ、あるいはとるに足りないものだと主張しています。

国会事故調査佐委員会のメンバーであった崎山比佐子医師は、国際放射線防護委員会のメンバーと電力業界の間で金銭の授受があったことに、怒りを露わにしました。

 

崎山医師は、避難にかかる費用が嵩むことなど影響して、被ばく限度基準が甘い物になることを懸念しています。
「電力業界の主張が、そのまま法律になりました。これは倫理的に考えて、受け入れがたい事実です。市民の健康が脅かされているのです。」
崎山医師がこう語りました。
「危険性を証明する明白な証拠は無い、あるいは確認されていないかのように、その見解が捻じ曲げられてしまったのです。」

カナダのオタワに本拠を置く国際放射線防護委員会は、各国の基準作りに直接関わることは無く、基準の設定は飽くまで各国の政府に委ねられています。
その運営については寄付金に多くを頼っており、委員の活動費などは国によって事情が異なります。
科学者が一堂に会して、放射線が健康や環境について与える影響や、チェルノブイリや福島第一原発事故などの原子力災害について調査研究する場を提供するものです。

 

日本においては、国際放射線防護委員会のメンバーは首相官邸において重要な地位を占めるほか、文部科学省においても、放射線被ばくの安全指針の設定などに関わっています。


チェルノブイリの事故以来、世界で最悪の原子力災害となった福島第一原発の事故は、日本の原子力業界に対する徹底した調査を求めることとなり、電力会社と規制機関の癒着が明るみに出ました。
11月、原子力規制委員会のうちの数人の委員が、電力会社や原子力設備業者などから資金提供を受けていることが明らかになりました。
日本ではこうした資金提供は違法ではありません。

日本人で唯一国際放射線防護委員会の役員を務める前出の丹羽氏は、別の放射線関連の団体を経由して電気事業連合会に旅費の負担をさせていたことについて、自らを弁護しました。

 

諸費用の高騰、そして国際放射線防護委員会の活動と福島の除染に関する研究のため、すでに数十万円単位の費用を個人負担していると語りました。
彼は国際放射線防護委員会のメンバーは、アルゼンチン~東京のように極端に長い旅程でない限り、皆エコノミークラスを利用していると語りました。

この件について、電気事業連合会はコメントを拒否しました。

放射線被ばくの危険性が明確にできない理由の一つが、ガンの発症原因が食事、喫煙、生活習慣など多岐にわたる点です。
特定の個人のガンの発症原因と放射線被ばくの直接的な関連を証明すること、あるいはどこからどこまでが被ばくの影響によるものなのか証明することは、きわめて困難です。


国際放射線防護委員会は年間被ばく線量について、通常時であればき1ミリシーベルト以内、緊急時には20ミリシーベルト以内に留める様推奨しています。
この基準はチェルノブイリでの経験に基づくものです。
「福島第一原発の事故において避難の基準になった、年間20ミリシーベルトの放射線被ばくによる健康への危険性は、高いものではありません。特に放射線以外の発がん原因と比較した場合は、きわめて低いものです。」
国際放射線防護委員会の見解です。

 

国際放射線防護委員会のフランス人メンバー、ジャック・ロシャールはコンサルティングのため度々福島を訪れていますが、彼によれば、年間20ミリシーベルトの被ばくをすることによって、一般的な発がん割合の25%が0.1%上昇します。

彼は被ばく線量をゼロにできないのなら、とにかく低線量ではあっても、とにかく被ばく線量を下げるためにあらゆる努力をすべきであると語りました。

これに対し国際放射線防護委員会の日本人メンバー、酒井一夫氏は、現在国際的に受け入れられている見解の誤りを正すことにやぶさかではないと語っています。
国際放射線防護委員会も支持している『LNT(しきい値なし直線)仮説』は、安全と判断される基準値以下の被ばくであっても、放射線は人体には有害であるとしています。
酒井氏は『LNT(しきい値なし直線)仮説』について、一個の道具に過ぎず、科学的に正しくない可能性があると語っています。

 

彼は福島第一原発の事故後のサンショウウオと他の野生生物には、遺伝子損傷を含め、病変が認められなかったとする彼の研究結果に言及しました。
そしてそれよりもさらに低い被ばくしかしていない人間には、問題は起きないとしました。
「一般市民に深刻な健康被害は起きません。」
酒井氏はこう語りました。


国会事故調査委員会の調査では2007年以降ずっと、電力業界が国際放射線防護委員会の日本人メンバーに繰り返し働きかけ、被ばく制限量の限度をできるだけゆるめようとしていたことを突き止めました。

国会事故調査委員会が入手した電気事業連合会の内部文書には、同連合会の意向が日本の国際放射線防護委員会の声明の中にしっかりと反映されているのを確認し、大いに満足した様子が描かれています。

 

今回の問題以前にも酒井氏は、電力業界が設立した電力中央研究所の研究員であった1999年から2006年の間の8年間、低線量被ばくの研究費用を電力業界から受け取っていました。
しかし、彼はその就任以前に電力業界の意に沿った研究を行うよう圧力をかけられることはすでに予想しており、彼の科学者としての姿勢がその圧力によって曲げられることは無かったと語りました。

 

福島医科大学教授である丹羽氏は、福島の住民は可能な限り福島県内に留まるべきであると語りました。
結婚などの際、放射線による遺伝子の損傷など根拠のない懸念から、福島県出身者が不当に差別される恐れがある、と語りました。

こうした恐れは、福島県内の子供たちへの甲状腺の検査で、甲状腺ガンでは無いものの、小結節や腫瘍が何例か発見されたことに起因します。

このような異常が何を意味するのか、はっきり解っている人間はいません。
しかし、放射線医学総合研究所所長で国際放射線防護委員会の日本代表である米倉義晴氏は、こうした懸念について一蹴し、この程度の異常はよくある事だと語りました。


彼の中で子供たちの間に見つかった異常は、危険でも何でもありません。
彼は笑顔でこう付け加えました。
「少々の被ばくは、かえって体に良いかもしれませんよ。」

 

http://www.canada.com/news/Exclusive+Japan+scientists+assessing+radiation+risks+took+travel/7657871/story.html
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この記事を翻訳して思い出したのが、「福島で開催された非公開の国際放射線防護委員会は、住民が感じている不安には耳を貸そうとはしなかった」という2011年9月のアルジャジーラの記事でした( http://kobajun.biz/?p=1238 )。
私はこと福島第一原発の事故に関してはこの1年と8カ月、世界の報道を翻訳しながら読んでいるうち、IAEAはもちろん、WHOについても、その真意がどこにあるか疑うようになりました。

 

ところで、今回の記事を翻訳するためにいろいろ調べているうち、日本のいわゆる『原子力ムラ』陣営に属する機関・団体の多さに改めて驚かされました。
その実態を伝える今回のような記事を読むと、日本は本当に民主主義社会なのだろうか?と考え込んでしまいます。
まして今度の総選挙ではこうした土壌を改良するのではなく、ますます助長するだろうな、としか思えないような勢力の「圧勝」を日本のテレビ・新聞が予測しています。

つまるところ日本人は民主主義を、好きではないのでしょうか?

サリン爆弾、アサド、自国民に向け投下準備

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【シリア政府軍、化学薬品を航空機爆弾に装填】

ジム・ミクラスジュースキー、アレックス・ジョンソン / アメリカNBCニュース 12月5日

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アメリカ軍の高官は5日水曜日、シリア政府軍が自国民に対し化学兵器を使用する準備を始めており、アサド大統領の命令があり次第、使用に踏み切る恐れがあると、NBCニュースに語りました。
すでに政府軍は極めて高い殺傷能力を持つ、サリンの前駆体化学薬品(化学反応を起こせば、猛毒のサリンに変わる)を装填した爆弾を、いつでも数十機の戦闘機に装着し、自国民の上にこれを投下できるようにしています。

前日の火曜日までアメリカ軍当局は、この『前駆体化学薬品』がすでに準備されているという証拠ないと語っていましたが、水曜日になって、最悪の恐れが現実になったと語りました。
サリンの前駆体薬品が、航空機の爆弾内に装填されてしまったのです。

サリンは致死性がきわめて高い化学薬品です。
1988年、サダム・フセイン政権時のイラク政府軍がクルド人反乱勢力に対しサリンを使いましたが、たった1発の攻撃で5,000人が死亡しました。

ただし、米軍当局者が強調しましたが、サリンが爆弾内に装着されてはいるものの、戦闘機にこの爆弾が装着はされておらず、最終的な使用命令も出ていないと語りました。
しかしいったんアサドがその使用を決断してしまえば、それを止められる力はシリア国外にはほとんどないと語りました。

ヒラリー・クリントン米国国務長官は、化学兵器を使わないよう、米国として繰り返しアサドへの警告を行ってきました。
もし化学兵器の使用に踏み切るようなことになれば、その時は『超えてはならない一線』を超えたことになる、と。

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5日水曜日、ブリュッセルのNATO本部における会見で、クリントン国務長官は、破れかぶれになったアサド政権が化学兵器使用に踏み切る危険性、あるいはこの類の使用禁止兵器が政権崩壊の混乱の際、第三者の手に渡る危険性があるとも警告しました。
同じ会見でシリア政府が、崩壊に瀕しているとも指摘しました。
「最終的に私たちが検討しなければならないのは、『アサド後』のシリアの政治体制をどうするか、という事です。このための対応は早ければ早い程よい、そう考えています。」
「もはやアサド政権の崩壊は避けられません。問題は崩壊までに、いったいどれだけの人間が死ななければならないか、という事です。」

クリントン国務長官の側近が、同長官が来週モロッコで『シリア革命国民連合』と『反政府軍』のふたつのシリアの反政府勢力と会談することになっており、その際この二つをシリア代表として公式に認める予定になっています。
イギリス、フランス、トルコ、そして主要アラブ諸国はすでに公式に認知しています。

21ヵ月間の内戦ですでに40,000人以上が死亡しましたが、5日も激しい戦闘が行われました。
国連は現地の状況があまりにも危険だとして、職員の撤収を行いました。

オバマ大統領が化学兵器の使用について、『一切、認められない』と直接警告した後、シリア政府は今週、自国民に対し化学兵器を使用するつもりは無いと声明を発しました。

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NBCニュース[化学兵器の使用について警告を行うオバマ大統領]12月3日

しかしアメリカ当局はシリア政府が、化学兵器部隊に対し戦闘準備命令を発したことをつかんでいます。
これはシリア軍が化学兵器を使用するための装置・装備を、一か所に集積し始めたことにより判明しました。

サリンを化学兵器として使用するには、『前駆体化学薬品』を増せ合わせる必要がありますが、これを砲弾に装填することで、サリン攻撃が可能になります。しかし米当局は、その作業が始められたという証拠はまだ無いと強調しました。

アメリカ政府は、シリア政府が禁じられている化学兵器を密かに備蓄していると疑ってきましたが、この夏、それが事実であったことが明らかになりました。


NBCニュースは7月に、シリア政権がサリンに加え、タブン(ナチスドイツが開発・大量生産した有機リン酸系の神経ガス)、マスタードガス、シアン化水素などの毒ガスを入手したと、アメリカの諜報機関が判断している、と伝えました。
各国の諜報機関はこの時点では、シリア政府が国際条約で使用を禁止されているこれらの化学兵器を、極秘に移動させている模様だが、その決定的証拠まではつかめずにいました。

シリアは、化学兵器の生産、備蓄、そして使用を禁じた1992年の化学兵器禁止条約を批准しなかった7か国の中のひとつです。

サリンを装填した爆弾を搭載し、戦闘行動を行う予定になっているのは、ソ連製のスホーイ22/20、同ミグ23、そしてスホーイ24戦闘機です。

さらに、無誘導の短フロッグ7短距離ミサイルにも、化学弾頭を装着可能であることを指摘するいくつかの報告があります。

より遠い攻撃目標に対する攻撃手段として、シリアは最大射程距離115キロのSS-21中距離弾道ミサイル、同300キロ以上のスカッド-Bs、そして射程距離300キロ弱のスカッド-Csを、それぞれ移動式発射装置とともに装備していることを、アメリカの情報機関はつかんでいます。

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NBCニュース[NATO軍、トルコにパトリオット・ミサイル迎撃システムを配備]12月4日
http://worldnews.nbcnews.com/_news/2012/12/05/15706380-syria-loads-chemical-weapons-into-bombs-military-awaits-assads-order?lite
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シリアがアラブ世界でエジプトに次ぐ軍事大国になった理由はやはり、隣国レバノンをはさんだ、イスラエルの存在、イスラエルの『脅威』です。
軍事力の拡大は、『脅威』を喧伝することにより進められるのが常です。

その軍事力を「自分に刃向う者には容赦しない」とばかり、最初はデモ行進をしただけの民衆に対し、アサドが発砲を命じたのが『内戦』の始まりでした。
父親の軍事政権を『世襲』して、決して国民の信任を得ているとは言えないその権力を守るため、最初は小銃程度であったものが、装甲車になり、戦車になり、戦闘ヘリになり、ジェット戦闘機になり、そして最後には化学兵器までエスカレートしてしまいました。

軍備・軍隊という強大な力を、手にするべきでない人間が手にした時、どれ程の悲劇が生まれるものなのか、歴史は終わることなく繰り返しています。

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【 かつてのミサイル格納庫でキノコ栽培 : ベラルーシ 】

アメリカNBCニュース 12月5日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

かつてのソビエト連邦のミサイル基地を再利用し、キノコを栽培して急成長するベラルーシ共和国、ミノイティの個人経営農場。



「常に権力の側に立ってしか、ものを考えない、日本の報道各社」

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【『福島の50人のサムライに会いたい?! 残念ながら、それは…』】
「心ある人々」に背を向け、権力におもねる日本のマスコミ
自分も権力の側にいるつもり?! だから正しい現実認識の役には立たない、日本の大手各社の報道

エコノミスト 10月8日


かつて『フクシマの50人(のサムライ)』として、制御を失い暴走を続ける原子力発電所を相手に、命を危険にさらしながら事故に立ち向かった福島第一原発の緊急作業要員に対し、日本政府が感謝の意を表明するまで、18ヶ月という時間がかかりました。

しかし10月7日、野田首相が遅ればせながら改めて正式に感謝の意を伝えたとき、一方では何か奇妙な空気があたりを支配していました。

その場にいた8人の緊急要員のうち、6人までが取材のためその場にいたテレビカメラに背を向け、写真に撮られることを拒否しました。
そして誰に対しても、野田首相に対してすら、一切自分たちの名を明かすことをしませんでした。

これら緊急時に働いた人々は、福島第一原発の事故に関わり合ったことで、その子供たちや孫たちなどがいじめの対象になることを恐れ、自分たちの名を明かしたくなかったのだという事を、政府側も東京電力側も暗に認めました。

しかし、別の推察も成り立ちます。
国有化されたばかりの東京電力が、これ以上評判を落とすことを恐れて、彼らの口を封じている可能性があります。
私が自分の名刺を差し出しながら作業要員の人たちの口から直接、彼らなりの見方について話が聞けるかどうか尋ねたところ、明らかにいらだった様子の東京電力の社員が強い口調でこう答えました。
「できません!」

福島第一原発の事故について様々に検証を受けることにより、これ以上不都合な事実が次々に明らかになったのでは、日本政府も、東京電力もたまったものではありません。

まず挙げなければならないのは、事故発生後、第一線で事故処理に取り組んだ作業員の献身的姿勢と、経営を担当していた役員層の偽善的姿勢との、あまりに明らかな違いです。
当時東京電力の会長だった勝俣恒久氏のことを(日本にとって幸いなことに、今は退任していますが)思い出してください。
今年始め、勝俣会長は国会の証言の場で、自分は悪くない、悪いのは自分以外の全員であると、誰かまわず冷然と批判しました。

勝俣会長が経営する会社に忠誠を誓い、命がけで事故と戦った人々は、事故を起こし、その収束が進まないことを恥じて、その身を隠そうとしているのに、です。


日本政府の一部の人間が、現場で命がけで敢然と働いた人々と、後方にあって私利私欲のことばかりを考えていた、臆病な人間とをきちんと区別して扱わなかったことで、現場で戦った人々は著しく不利な位置に追いやられてしまいました。

公平な市民目線において、この2者を混同すべきではありません。

2010年にチリで起きた、33人の鉱山労働者が行動に閉じ込められた事件では、両者の違いははっきりしていました。
すなわち、仲間同士支え合いながら闘った英雄と、安全対策を怠っていた避難されるべき経営層。
しかし、日本では両者を切り離して評価することはありませんでした。
この点について、日本政府のある職員がこう語りました。
「これがアメリカだったら、『フクシマの50人』は大統領によって直接、ローズガーデン(ホワイトハウスにある庭園)に招待されたことだろう。」

しかし日本の現実は違います。
野田首相の訪問の後ですら、命がけで働いた男たちがふさわしい扱いを受けることはありませんでした。
日本の共同通信社は彼らが語ったあらゆる話を、汚染の除去に関するありきたりな、どうでもいいような退屈な話にしてしまったのです。


しかし日本ではたった一紙、英字新聞のジャパン・タイムスが、8人のうち2人にしか話を聴くことが出来なかったことについて言及はしませんでしたが、当時の恐怖に満ちた彼らの体験の一部を今日に伝えています。
野田首相に話したときと同様、彼らは決して自分たちを英雄扱いはしませんでした。
語るところは、とにかく恐怖に苛まれていたことだけのようにも受け取れます。

一人は2011年3月11日、津波によって全電源喪失に陥った際、
「これでもう、すべてが終わりだ…」と思ったと語りました。

もう一人は、メルトダウン寸前の原子炉一基の電源を何とか回復させるため、高圧電量の感電の危険を押して、真っ暗な現場にスタッフを送り込んだ際のことについて話してくれました。
彼は部下の一人に、作業向かう人間が生きて戻れると思っているのか、と尋ねられたと言います。


そのような状況の下、彼らは作業に向かったのです。

この会見について伝えた日本の報道において、見出しに現れたのは『フクシマの50人』ではなく、野田首相だけでした。
こうした報道のおかげで、野田首相は現場で戦った人々について通り一遍の認識しか持っていなかったにもかかわらず、国民の側からある程度の評価を得ることになりました。
「あなた方の献身的取り組みに感謝します。おかげで『私たちは』日本を危機から救い出すことが出来ました。」

これこそ現代日本の、悲劇的側面の一つです。

日本の報道は常に権力の側に立ってものを考え、ほとんどの場合、正しい現実認識の役には立ちません。

フクシマの最前線で懸命に働いた男たちは、頭を垂れさせられたまま、事件の片隅に追いやられようとしています。
彼らの懸命の作業については、そこに誰がいたのかも明らかにされる事が無いまま「その他大勢」として扱われ、最後には忘れ去られる運命にあります。

http://www.economist.com/blogs/banyan/2012/10/japans-nuclear-disaster
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『わが意を得たり!』というのが、この記事を読み終えた、いや、翻訳し終えた後の感想です。

世界標準の『報道』とは、権力からも、市民感情からも一定の距離を置き、『知』を代表する立場で冷静な、しかし良心的な情報伝達をすることです。
しかし日本国内の報道、特に一部の大手テレビ局や新聞社の報道は、『権力者の腰巾着との謗り』を免れないと、英国の『知』を代表する良心的報道機関が批判しています。

今回の総選挙に関する、上記マスコミの報道には、良心どころか『大衆扇動』の臭いすら感じられます。

軍備の増強、憲法の改編、原発の是非、これらの問題は国民の生活の根幹にかかわる重要なことです。
それがまるで政党間ののレース予想の判断材料程度の扱いであり、これでは本当に『正しい現実認識の役には立たない』、まったくその通りです。

『猛省を求める』、そんな表現がありました。
しかし、彼らは反省するつもりなど無いでしょう。

本当の政治はどこにあるのか?!

それと同時に私たちは、

本当の報道はどこにあるのか?!

見極める必要があると思います。

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【 冬景色 】

アメリカNBCニュース 12月4日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

スイスのサンモリッツ郊外。12月1日。

(訳者)私が住んでいるのは仙台市ですが、男のくせに冷え性で、12月~2月の季節は要らない、とまで思う事があります。
と言っても仙台の冬は、盛岡市や北海道と比べて『厳寒』というほどではなく、仙台市内に限って言えば、あたり一面が雪に覆われる様な日は、一年を通じて数日に過ぎません。
しかし、寒がりの私にとっては、やはり快適な季節とは言えません。

という訳で、実は冬景色については感覚的には苦手なのですが、それでもここに掲載した写真には思わず見入ってしまいます。


ドイツ西部のフロイデンベルク。12月2日。


ドイツ中部のタバルツ。12月3日。


ウクライナの首都キエフ。12月3日。


スイスのウンターヴァーツ。12月2日。

福島第一原発の事故調査、これ以上日本人任せにはできない?!

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【 福島第一原発事故、アメリカ科学アカデミーが本格調査に着手 】

山口まり / AP / ハフィントン・ポスト 11月27日

アメリカ学アカデミー、ノーマン・ニューライター氏


フクシマの事故を検証すれば、アメリカ国内の原子力発電所の安全性を高めることが出来るのではないかとの思いから、27日火曜日、アメリカの科学者たちが東京で会合しました。
アメリカ科学アカデミーの22名のメンバーによって構成される委員会を率いるノーマン・ニューライター氏は、津波によって引き起こされた福島第一原発の事故と次々に明らかになる被害は、原子力発電の安全性についてあらゆる分野の懸念を引き起こした、と語りました。
「私たちは起きたことすべてについて可能な限りの検証を行い、そこから今後原子力発電の安全性を高めるための教訓を引き出したいと考えています。」
ニューライター氏は技術的問題について討議するための会議の休憩時間、AP通信の取材にこう答えました。

ニューライター氏によれば、委員会は現在原子力関連の政府関係者からの聞き取りを行っており、その後独自の調査を開始する予定であると語りました。
この調査結果は、世界の原子力発電所の安全性を高めるため、役に立つだろと語っています。

2011年3月11日、強力な地震によって引き起こされた津波が福島第一原発に襲いかかり、原子炉冷却装置が破壊され、このために3基の原子炉でメルトダウンが起きました
避難させられた福島県内の100,000人以上の周辺住民は、放射線に対する懸念から、未だに自宅に戻ることが出来ずにいます。

マグニチュード9.0の地震、そして引き続いて起きた津波により、東北地方太平洋岸の19,000以上の人々が死亡、または行方不明になりました。
しかし放射線被ばくによる死亡例は、まだ報告されていません。
「現在ここ日本で起きているあらゆる出来事、損害、人的被害、そして終わらない放射能汚染、その他ありとあらゆることを見て、世界の人々は原子力発電に対し、ますます疑問を抱くようになるでしょう。
そこで私たちは、いかなる場所においても二度とこのような事故を引き起こさないように、世界中の原子力発電所の安全を確保するために役立つ結論を導き出そうとしているのです。」


26日月曜日から3日間の会議で、この委員会では独自に各種の情報や技術的見解を精査するため、日本国内での調査を担当した専門家、福島第一原発を運営してきた東京電力の各職員などからの聞き取り調査を行いました。

同委員会は東京での作業にいったん区切りをつけた後、28日水曜日に福島第一原発の現地を訪れる予定です。

ニューライター氏は『原子力ムラ』として知られる原子力産業界と規制当局の癒着について言及し、このことが日本国民に抜きがたい不信を植えつけたと語りました。
日本国内で行われた調査でもこの点が問題とされ、何より安全を確保することを軽視する姿勢が、今回の危機を引き起こしたとの指摘を行いました。

27日火曜日に行われた聴き取り調査で、原子力規制委員会の委員である更田豊志(ふけたとよし)氏は安全性強化のための対策について検討することの必要性を認めてはいますが、原子力規制委員会の新たな安全基準と放射線被ばくを予防するための基準作りなどで極度に忙しく、手が回りきらないと答えました。
「安全確保を大切にする考え方を学ぶ必要は認めますが、率直に言って現時点では、予算も、時間も、人手も不足しています。」

アメリカ人科学者による報告書は2014年4月までにまとめられ、公表される予定です。
ニューライター氏は同委員会はまだ『調査段階』にあり、これから長い時間をかけて結論を導き出すことになるだろうと語りました。

http://www.huffingtonpost.com/2012/11/27/fukushima-nuclear-accident_n_2198060.html
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アメリカ科学アカデミーという世界的にも名の通った科学者の団体であれば、日本の「健康調査」がそうであったような、結論が先にあって、その証明に向けた証拠集めをする、といった類いの千代宇佐にはならないと思います。
インタビューの中で、余談に類する話が一切無い、という事にもそのことがうかがわれます。

それに比べると、日本側の「調査」は、少しでもこの事故に関心がある人なら、いとも簡単に予想できた答えしか出さなかった、つまりは
「あまり心配する必要性は認められない」
「それほど深刻なものでは無い」
という見え透いた「結論ありきの調査」であった点において、科学者としてお粗末な姿をさらしました。

この記事を書いた山口まりさんが先週、国連の特別調査官が日本側の調査と対策について、この点について厳しく批判したことを伝えていました( http://kobajun.biz/?p=6530 )。

こうした現実に無関心であった、あるいは無関心を装っていた一部政治家が、選挙の公示当日に、福島や宮城で選挙の『第一声を挙げた』ことに、被災した人間の一人として複雑な思いを抱かずにはいられません。

古の聖賢、帝堯(ぎょう)、帝舜(しゅん)、「中国古代の伝説上の帝王、尭と舜。徳をもって理想的な仁政を行ったことで、後世の帝王の模範とされた。」とYahoo辞書にあります。
私が知っているエピソードの一つは、多分堯の方だったと思いますが、以下のようなものです。

黄河の氾濫によって人民が塗炭の苦しみの中にあった時、国王であった堯は、復旧が果たされるまで夜は直接地面の上で寝て、人民の苦しみを片時も忘れないように努めた。

12月4日、福島や宮城を演説の場に選んだ政治家たちにこれに似た気持ちはあったのかどうか?
今度こそ、私たちは見極める必要があると思うのですが…

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【 宇宙からの視線 】

アメリカNBCニュース 12月2日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

この広大な扇状地は、中国西部の崑崙山脈とアルトゥン山脈の間に広がる荒涼とした地域です。
写真の右下から左上に向かって扇型に広がり、やがて砂漠の中に姿を消す鮮やかな青。
もちろん河川です。
写真の右下にある銀色の筋、今は枯れてしまっている川筋でしょうか?
この写真は2002年5月2日、NASAのTERRA衛星が撮影したものです。


2011年7月14日、TERRA衛星が撮影したアメリカ、グランドキャニオンの東側。


『炎を噴き上げる炎』10月14日、NASAのステレオ班が確認した太陽のプラズマ放出。太陽は今、11年周期の活動期の活発期の頂点に近づきつつあり、これから磁気嵐が増えるものと見られています。


『南半球の日食』
2012年11月14日、オーストラリアで観測された日食の様子。


『最後の輝き』
11月6日に欧州南天文台が発表したのは、ケンタウルス座フレミング1第一惑星の写真です。
写真にとらえらているのは、死に絶えようとする惑星がガスを噴射している様子です。
欧州の巨大な望遠鏡がとらえた画像の中心にある、まばゆい光の中には2つの惑星があります。

http://slideshow.nbcnews.com/slideshow/news/month-in-space-november-2012-49996958/

「新エネルギー政策における原子力発電の役割、もはや期待は無い」アル・ゴア元副大統領

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アル・ゴア(元アメリカ合衆国副大統領)
「原子力発電のコストの高さはもはや異常、しかも今後も高騰を続ける」
「再生可能エネルギーへの移行を、できるだけ早く実現しなければならない」

アダム・ヴォーン / ザ・ガーディアン(英国) 11月16日

フォーラム会場で演説をする、ゴア元副大統領。


2012年10月に、米国の元副大統領であり、環境活動家であるアル・ゴアは、ジブラルタルの環境フォーラムで演説を行い、原子力発電はその「不合理に高過ぎる」コストのため、将来のエネルギー政策において子力発電が果たすべき役割は、極めて限られたものになると語りました。

現在米国、英国、そして中国を含む数カ国が、積極的に新たな原子炉建設を計画していますが、元アメリカ副大統領であるゴア氏は、原子力発電の経済性を考えると、将来のエネルギー政策の一端を担えるものでは無いと語りました。
「それは一定の役割を果たすことにはなるでしょう。しかしそれは限られたものでしかありません。私は核廃棄物の問題は、多分解決されることになるだろうと思います。そして、福島の問題はまだ解決されてはいませんが、原子力発電所の安全の確保も達成されるものと考えています。」
「しかし、原子力発電のコストの高さはもはや不合理というべきであり、しかも今後も高騰を続けることになるでしょう。」
Reddit( http://ja.reddit.com/ )の中で繰り広げられた、ゴア氏のインターネット番組『気候変動に関する24時間の真実(24-hour Climate Reality)』の、化石燃料と異常気象に関する考え方のプレゼンテーション、それに対する一般の人々からの質問、それに対しまた彼が答えるという繰り返しの中で、こうした考えが明らかにされました。

ゴア氏の発言は、彼の見解が明らかに一変したことを表すものです。
2009年、気候変動に対応するエネルギー対策について、二酸化炭素排出削減のために原子力発電が果たすべき役割には、『大いに期待している』とゴア氏は発言していました。
「私は何が何でも原子力発電に反対する、という訳ではありません。かつて私は原子力発電の推進に積極的な立場をとっていました。しかし、私は今や原子力発電に対しては、懐疑的にならざるを得ません。」
フォーラムの会場でのガーディアンの取材に対し、ゴア氏はこう答えました。


ゴア氏はRedditの会話の中で、原子力発電のコストが上昇する一方なのに対し、再生可能エネルギーの発電コストが予想を超えた速さで下がり続けていると語りました。
「今や太陽光発電システムの進歩は、ムーアの法則ジュニア(訳者注 : ムーアの法則はコンピュータ技術に関する用語で、端的に言えば性能が3年で4倍に向上すること。『ジュニア』がついたものは公には存在しないことから、費用低減が著しく進んでいることを表現するための、ゴア氏の造語かもしれません。)のコスト低下曲線の上に乗っています。風力発電のコストも、再生可能エネルギーの電力供給コストも、太陽光ほど著しくはありませんが、同様に低下しています。」
ゴア氏はこう強調しました。
「私たちは再生可能エネルギー開発に、もっと力を注ぐ必要があります。そして再生可能エネルギーへの移行を、できるだけ早く実現しなければなりません。」

ゴア氏は気候変動が進行しているという彼の見解について、こう尋ねられました。
「気候変動、すなわち地球温暖化が進行しているという事を証明する科学的根拠は、どの程度強いものですか?」
これに対しゴア氏は、気候変動が人間が作り出した問題であることを認める、全米科学アカデミーの科学者たちの名前を列挙した後で、こう付け加えました。
「地球には引力が存在しない可能性がある、という説を否定するのと同じくらい強固なコンセンサスが、科学界に存在することにお気づきいただける事と思います。」

バラク・オバマがアメリカ合宿国大統領として2期目に入りましたが、ゴア氏はガーディアンとのインタビューの中で、ゴア氏がオバマ大統領に対し、気候変動対策を優先課題の一つとするよう、繰り返し進言したことを明らかにしました。


「オバマ大統領は、それを人類から託されています。そしてそれを実現するための機会を手に入れました。そしてオバマ大統領には卓抜したリーダーシップもあります。有効な温暖化対策の実施を、ぜひ実現させてほしいものです。彼ならできる、心からそう信じています。」

ゴア氏はさらにフィスカル・クリフ『財政の崖』と言われる予算危機に対応するため、二酸化炭素排出税の導入を進言しています。

11月13日水曜日、オバマ大統領は2期目の任期の間に、気候変動の問題解決に向け行動を起こすべく、個人的にも最大限の努力を行うことを表明しました。

http://www.guardian.co.uk/environment/2012/nov/16/al-gore-nuclear-power?INTCMP=SRCH

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【世界の原発世論2012第1巻】制作・販売のご案内

A4版 60ページ 配布価格500円


この【世界の原発世論2012】は、主に日本に関連する世界の報道について、毎日記事を選び翻訳の上ご紹介している【星の金貨】の中から、原発に関連する報道だけを選び出し、その記事の解説をまとめたものです。
記事本体については掲載されているURLから、【星の金貨】のページに飛んで、お読みいただくようになっています。

【星の金貨】の掲載記事については、
「量が膨大で、目的の記事をどう探せばよいのやら…」
「ほぼ毎日更新されるので、一度読んだ記事をもう一度読もうと思っても、なかなか探し出せない」
などのご意見をいただき、見やすい索引の作成の必要を感じておりました。
加えて、記事の掲載順序が必ずしも元の記事の掲載日時通りにはなっていないという問題点もありました。

そこでまず、【星の金貨】の中でも皆さんの関心が最も高い原発の問題について、解説書とも言うべき【世界の原発世論2012】を作成することにいたしました。

2011年、2012年それぞれに、一年分をまとめて制作・ご紹介するつもりでおりましたが、折からの国政選挙の実施に、2012年1月から4月まで世界の代表的メディアに掲載された、福島第一原発関連記事を選び出し、急きょご紹介することにさせていただきました。
市民の側に立たず、政府や電力会社の発表を検証もせず、体制側が持つ権力にともすれば頭を垂れる日本の大手メディアの報道だけを、判断材料にしていただきたくない、という思いがあります。

世界は事故後1年が過ぎた福島第一原発について、どのように見て、どう考えていたのか?
2012年12月16日、大切な選択の前に改めて参考にしていただきたいと考えました。

本来であれば無料とすべきなのかもしれませんが、【星の金貨】の活動資金等々、有料販売についてのご理解をお願い申し上げます。
制作を急いだため、細部に不具合もあるかもしれませんが、ご購入についてぜひご検討くださいますよう、ご案内申し上げます。

なお、決済方法はPayPalとさせていただきました。
https://www.paypal.jp/jp/home/
私自身、ニューヨークでシティバンクに勤務していたアメリカ人の友人に勧められ、10年ほど前から利用しています。
今月もUSPGAツアー・オフィシャルサイトから、ゴルフ用品を購入する際に利用しました。
一度クレジット・カードを登録すれば、世界中で買い物する事ができるようになります。

セキュリティ機能も強力で、売買のトラブルの調停も行ってくれます。
私は過去にeBayのオークションでトラブルになった際、アメリカの売り主から代金をそっくり回収してもらった事があります。
まだご利用経験の無い方も、安心してご利用いただけると思います。


12月4日 PDF版 発売開始


星の金貨プロジェクト

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【 心が和むクリスマスの飾りつけ 】

アメリカNBCニュース 11月29日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

『世界で最も有名なクリスマスツリー』、ニューヨーク、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーの点灯式。


ロックフェラーセンターのクリスマスツリーの前に居並ぶ天使たち。


『エル・ディアブロ(スペイン語で悪魔の意味)』として知られるドイツ人の自転車デザイナー、ディディ・ゼンフト氏の新しい作品。
旧東ドイツのシュトルコーにて。


ドイツ、ドレスデン、シュトライツェル・マーケット。


ドイツ、ベルリンの毎年の恒例行事、クリスマス市場。ジャンダーマンマルクト(護衛官市場)にて。


ベルギーの首都ブリュッセルのグラン・パレ(大広場)に登場した電灯製のクリスマスツリー。


フランス、ストラスブール大聖堂前で1570年から続く、『キリストの子供たちのマーケット』

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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