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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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【 3.11災害後の日本を検証する 】〈第7回〉 「経済の停滞と、デフレしか経験したことの無い若者たち」

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所要時間 約 12分

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【 給油するたび、痛っ! - ガソリン価格はどこまで騰がる?】
アメリカNBCニュース 3月18日

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さて今度はガソリン価格の話題です。どうやら夏のドライヴの季節を直撃しそうな気配です。
夏というと戦没将兵追悼記念日(5月の最終月曜日)を思い浮かべるかもしれませんが、もっと早くショックに見舞われそうです。
ガソリン給油価格は上がる一方ですが、ほとんどの方が気に欠けられているのは、いったいどの辺で値上がりは止まるのか?という事でしょう。
止まるのでしょうか?!
NBCのクレイグ・メルビンがご報告します。

レポーター:ガソリン給油価格は12月以降、ガロンあたり最大61セント(リッターあたり約16円) 値上がりしています。

CBS開設者 : ダン・ディッカー「もちろんはっきりしたことはわかりませんが、1ガロン4.15ドル(リッターあたり87円)、あるいは4.50ドル、いや5.00ドル(リッターあたり105円) あたりまで行くかもしれませんね。ほとんどの経済の専門家は、そのあたりが天井になるだろうと話しています。」

レポーター : 今週のラジオ演説でオバマ大統領は、ガソリン価格の高騰に対する批判に対し、再度直ちに対応を取るつもりが無いと答えました。
大統領はさらに、石油企業やガス会社に対する減税措置を排し、代替燃料への開発投資を議会で呼びかけました。
オバマ大統領「代替燃料 への投資は、20世 紀の燃料とも言うべき化石燃料からの脱却を促し、しかもアメリカの将来に投資することにもなるのです。」

レポーター : 国 内の石油生産は増産を続けていますが、海外からの供給は減っています。
しかしなぜこんなにガソリン価格が上昇するのでしょうか?
専門家によれば、中国とインドの自動車需要の爆発的増加、中東の政治不安、そして市場の投機家によるものと解説しています。
これら3つの要因が重なり合っているのです。

エドモンズcom.経済担当 : レイシー・プラッシュ「ガソリン車しか無かったかつてに比べれば、低燃費車やハイブリッド車、電気自動車の存在により、現代はこれらの選択をフル活用し、ガソリン消費を減らすことは可能なのです。」

レポーター : 全米自動車協会は、あな たが運転する際の燃料効率を高めるためのヒントを提供してくれます。
まずはじめに不要なもの を車から降ろして、重量を軽くすること。重い車はガソリンを無駄に消費します。
次にタイヤの空気圧を チェックしてください。推奨レベル以下に空気圧の減っているタイヤは、1ポンドごとに2%ずつガソリンの無駄づかいをしてしまいます。
高速道路ではクルーズコントロールを使用します。安定した速度は、ガソリンの節約になります。
一見些細なことでも、今のような時代であればなおさらのこと、積み重なれば効果を発揮するのです。
クレイグ・メルビン、NBCニュース、ロサンゼルス。

http://www.msnbc.msn.com/id/3032619/ns/nightly_news/#46777270

アメリカで1ガロンあたり4.50ドルまであがる可能性がある、と言われてもピンときませんので、番組に出てくる1ガロン(3.89リットル)3.84ドル(1リッター99セント)が4.50ドル(同1ドル16セント)まで騰がる、つまり今後さらに最高で17パーセント価格が上昇する、という分析から日本での予想をから割り出してみましょう。この日の日本の平均価格(石油価格情報センター)は152.6円ですから
152.6 × 1.17 = 178.5円
最高で1リッター178.5円になります。
ほんとうに「痛っ!」

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「4月になれば彼女は」というサイモンとガーファンクルの曲がありましたが、春になればあちこち出かけたくなるのが人間の自然な心情(この曲の『彼女』は花であって、人間ではないのですが…)。
ところがそんな『わがまま』が許されそうにないのが、今年の春。
去年の春はここ仙台はJRは不通、高速道路はあちこち損傷、一般道もあちこちで寸断、おまけに福島第一原発は3基の原子炉で爆発 - メルトダウン。
とても遠出などと言う状況ではありませんでした。

そして、今年。
政府発表をそのまま信じられる方は、こんな心配はなさっていないでしょう。
でも私は昨年来丸一年「フクシマ」に関する世界中の主要な報道機関のニュースや記事、そして世界の研究機関の発表 - その数はおそらく200本前後だと思うのですが - などを翻訳するうち、ごく自然に自分の中に一つの認識が出来上がってきています。
アメリカ、イギリス、フランス。ドイツ、アラブ首長国連邦など、「日本政府、東京電力、大手メディアは情報を正しく伝えている」というニュースはまったく無かった、ということです。
たったの一本も、どこをめくっても、高級紙から大衆紙まで。
こんな状況では、春風に誘われて、などという気分にはとてもなれません。

そしてそれに追い打ちをかけるようにガソリン価格の高騰。
こうなったらもうレジャーなんかやめて、電力会社の電気を金輪際買わなくてもいいように、ソーラーシステムの購入資金をひたすら貯めこみますか…

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【 3.11災害後の日本を検証する 】〈第7回〉
「経済の停滞とデフレしか経験したことの無い若者たち」

▽経済

第二次世界大戦後のほぼ50年間、日本政府と大企業の緊密な連携により、日本経済は着実な成長を続けてきました。
この図式による成長は1980年代後半、その頂点に達しました。しかし不動産価格の野放図な上昇は終わり、日本では手の施しようのない経済低迷が1990年代を経て21世紀にまで続いています。

デフレーションは緊迫感と悲観論が広がる日本の団塊の世代に深い爪痕を残し、悲観論的、運命論的文化の中にあった期待を急速にしぼませてしまいました。
日本は総体的にはまだまだ豊かな社会ですが、とりわ け東京を中心とする首都圏以外では、直面する状況の厳しさは増すばかりです。

1980年代には、力強く、そして脅威ですらあった『日本株式会社』が自動車メーカーからスーパーコンピュータにいたるアメリカのすべての産業を抹殺し去るのは、時間の問題のように思われていました。
日本の株式市場の価値は4倍に膨らみ、円高は想像もつかない高みへと到達、日本の企業は世界中の主要ビジネスを支配し、そこに並べられた光り輝くトロフィーをわしづかみにするように、ハリウッドの映画スタジオ(ユニバーサル・スタジオ、 コロンビア・ピクチャーズ)、有名なゴルフコース(ペブルビーチ)と象徴的不動産物件(ロックフェラーセンター)を次々に買収していきまし た。

1991年には経済学者たちは、日本は2010年までに世界最大の経済大国として、米国を追い越すことになるだろうと予測していたほどでした。
事実日本経済はその時点で、現在の換算レートで5兆7,000億ドルの国内総生産額に達していましたが、現在もそのまま変わっていません。
この間、米国経済の方は14兆7千億ドルと規模が倍増しました。
株式市場における数兆円の下落は企業にとっても、個人にとっても大きな痛手でしたが、その金額は1989年時点で現在の金融規模の4分の1に達しました。そして現在の現在の不動産価格平均は1983年当時と同じにまで下がっています。

しかし日本にとって最も大きな打撃は、その信用価値が危機に瀕していることでしょう。
かつての貪欲な日本の製造業は、いまや韓国や中国の急激に成長する工業界に対し、降伏寸前にまで追いつめられています。
景気低迷とデフレの世の中しか経験していない日本の若い人々の間には、新しい型の倹約志向が芽生えています。
彼らは自家用車や大型テレビのような高額商品を購入しようとせず、またアメリカ留学する若者も減少の一途をたどっています。

ほとんど一世代にわたるデフレーションは、無意識のうちに世界をどのようにとらえているかという部分で、日本の奥深くまでその影響を及ぼしています。
未来に対しては限りなく悲観的であり、リスクを取ることを嫌い、消費や投資に対しては本能的に消極的で、このことが結果的には消費の減退と長期的な価格の下落傾向に拍車をかけています。

2010年3月、経済を刺激すべく、日本政府は1兆ドル(80兆円)に上る予算を議会に提出しました。
その目的は長期の低迷が続く日本経 済の成長を促すことでした。しかし、一方でそれはすでに債務超過に陥っていることが明らかな、日本の公的債務が一層悪化することを意味していました。

2010年8月下旬、日本は悪化する経済の立て直しに全力を注ぎ、 円高を抑えるために追加の政策を実施することを約束しました。
菅前首相は新たな景気刺激策を提案、日本銀行はこうした政府からの圧力の下、低金利金融政策を一層緩和することになったのです。

2011年1月に信用格付け機関のスタンダード&プアーズは、AAからAAマイナスに日本の信用格付けを引き下げました。
これは最高の評価から3段階下のレベルであり、スタンダード&プアーズの2002年当時の日本の債務状況に対するAAの判断が、さらに悪化したことを反映するものです。

スタンダード&プアーズは日本の評価を引き下げた理由として、日本政府は膨れ上がる一方の財政赤字に対処するための『一貫した戦略』を持っていない点について警告しました。
そしてそのすでに高額に上る債務超過が、今回の金融危機の発生により一層悪化することが予測される、と指摘しました。
急速に進む日本の高齢化は、将来社会保障費と年金負担を増加させることになり、この国をさらなる苦境に追い込む可能性があります。
〈つづく〉

http://topics.nytimes.com/top/news/international/countriesandterritories/japan/index.html?scp=1&sq=fukushima%20surprise&st=cse

【 地球上の生命は火星からやって来た?! 】

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今は乾燥状態の赤い惑星、かつては表面が水で覆われていた

アイリーン・クロッツ / アメリカNBCニュース / 2012年3月15日

星の化学組成が似ていることを考えると、火星は生命が存在するために地球よりも適した環境であった可能性があります。
一部の科学者は、火星は科学的に生命を生み出す条件にあふれていた、と考えています。

少なくとも乾燥するタイミングも無ければ、RNAの ような遺伝子を正常な分子構造によって支えるためには、生命を生み出すメカニズムは順調には機能しないでしょう

自然界の摂理によって生命が誕生する ためには、RNAなどの遺伝物質がそのための分子構造を手に入れる必要があり、そのためには時折乾燥する場所が必要となります。
特に水の中だけに存在し続けた場合、多くの面で化学的な不安定さは増してしまうのです。

しかしそのことは一つの問題を提起することになります。今日に おいて私たちは、生命の存在のためには水を必要とすることを知っています。
「今日自然の摂理がどのように生命を育んでいる状態が非常に不安定であるのに、どうして生命は水の中から誕生したのでしょうか?」
フロリダ州ゲインズヴィルにある応用分子進化財団の責任者である生化学者のスティーブン・ベナーはこのように ディスカバリー・ニュースに語りました。

その答えは生命体というものは、ときおり乾燥する場所において進化が可能なのです。

「地球と同じ環境において初めてRNAは作り出され、生命体としての安定した細胞のかたまりを作り出すことが可能になります。水が不足している環境の中では、たとえばアメリカにあるデスヴァレーのような場所では、雨によって大気中の有機物が地上に降ろされ、再び乾燥した後その場所で生物としての進化が始まるのです。」
ベナーがこのように説明しました。
「RNAによって生み出された有機結合体は、やがて遺伝子を生成し、異なる種へと進化して行くことになります。これが生命誕生のメカニズムです。」

しかし、落とし穴があります。

地球そのものについて研究している科学者は、地球の創世記には乾燥した場所は無かった、と考えています。
ケビン・コスナーが出演した映画が描いていた世界『ウォーター・ワールド』だったのです。
「地球は2回ないし3回、全面が水に覆われていた時代があったとすれば、乾いた土地は寸分も無かったはずです。」
スタンフォード大学の地球物理学者ノーマン・スリープがディスカバリー・ニュースに語りました。

このような状態に似た環境にあったと考えられるのが火星なのです。
現在は乾燥しているこの星は、かつては地球に勝るとも劣らない程、豊かに水をたたえていたと考えられています。
「火星の表面が全面水に覆われていたために、生命への進化は行なわれなかったのではないか、という心配はあたりません。」
ベナーはこのように語りました。
なぜなら火星は地球よりも小いため、惑星の生成期に地球よりも早く冷却が進み、また月のように繰り返される隕石の衝突によって、その表面から水分が蒸発してしまうことも無かったはずです。
また、小惑星の衝突回数も地球よりもはるかに少ないものでした。
「火星は地球に『貸家』の看板が出るまで、居住に適した惑星だったのです。」

火星の岩石がたびたび地球表面に落下する現象により、地球と火星の二つの世界の間で定期的に物質の交換が行われるメカニズムが動作していたのです。
「火星では地質学的に40億年前の状態が、現在まで続いています。従って地球の生命誕生については、皮肉なことにこの地球で行うより火星で行った方が妥当な結果が得られるはずなのです。」

このテーマに関するベナーの最新の研究は、全米化学協会の会報に掲載されています。

【 2040年・直径140mの〈小惑星2011 AG5〉が地球に衝突の恐れ 】〈後編〉

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レナード・デイヴィッド / アメリカCBSニュース 2月28日

▽ 求む!信頼性の高い見解

「私たち〈 AT14 〉対策班は〈小惑星2011 AG5〉について、時期尚早の予測を行う以外の問題について先週さらなる議論を行いました。」
首都ワシントンにあるNASAのNEO(地球接近物体)観測プログラムの責任者リンドレー・ジョンソンが述べました。

「我々NEOの観測者はずっと〈小惑星2011 AG5〉に目を付けてきました。」とジョンソンは語り、交代で小惑星を見張り続けている事を明かしました。
「現在ではNEOが観察を続ける他の惑星や彗星などと比べ、観察者は〈小惑星2011 AG5〉の軌道予測のための充実したデータを持っています。われわれは軌道を導き出すため集積した観測データにある程度自身が持てるようになりました。」
「幸いな事に、2013年9月には〈小惑星2011 AG5〉の軌道を追いかけるための好条件の機会が訪れます。現在未解明の部分について、明らかにできるものと確信しています。」
ジョンソンが[ SPACE.com ]の中でこのように述べました。

さらに絶好の機会が2015年11月から続く数ヶ月間に訪れます。
「これらを順番に解析していく事で、2023年の地球付近の近接通過軌道を明らかにできるでしょう。そして2040年の衝突のあらゆる可能性とその時間ごとのシナリオを高い精度で明らかにできるはずです。
「我々は直ちに宇宙空間での作戦を展開する必要はありません。〈小惑星2011 AG5〉にまつわる現在の状況は、潜在的に危険な物体を発見することの価値を認識させてくれました。従って秩序ある観察方法を確立し、高額の費用が必要な宇宙空間での作戦を効果的なものに仕上げるための時間は充分にあります。」
ジョンソンはこのように語りました。

▽意思決定にいたるまでの課題

長い時間NEO専 門家を務める元アポロ宇宙飛行士のラッセル・シュワイカート氏は、〈小惑星2011 AG5〉 についての討論に積極的な役割を果たしました。
彼は宇宙探検家協会(ASE) 地球近接天体観測委員会を代表し、〈小惑星2011 AG5〉専門対策チームに対し状況の分析結果を提供しました。

この宇宙の巨大な岩は、国際社会に対し「意思決定にいたるまでの課題」を突きつけることになるだろう、とシュワイカート氏は示唆した上で
「2040年に地球衝突する可能性が増していることについて、今はまだ国際社会が意思決定できる状況ではありませんが、今後〈小惑星2011 AG5〉 の軌道の研究が進めば、当然その機会が訪れることになります。」

仮にこの小惑星の地球への衝突の危険性が増してしまった場合には、将来のこの小惑星軌道を強制変更させるため宇宙探検家協会が行った一つの 分析結果について、シュワイカート氏が強調しました。
彼はまた対策チームに対し、〈小惑星2011 AG5〉 の地球衝突の潜在的危険性の回避策を立案する際に必要になる、数多くの鑑定・評価を提供しました。

▽ まずは軌道をつきとめること

シュワイカート氏は地球近くの近接通過区域の特定が今はできないにしても、意外に早く決定される可能性がある、と示唆しました。
ただし〈小惑星2011 AG5〉 の実際上の脅威はNASAのNEO(地 球接近物体)観測プログラムに対し、さらには国連の科学技術部会(COPUOS)に対しても、対策を立てる必要性を迫っている、と彼が語りました。

最新の分析に基づいてシュワイカート氏は、2023年 までずれ込んで作業完了する小惑星の軌道調査・分析の後、直ちに対策を立てることができれば、まだ希望をつなぐことができる、と語りました。

その可能性は低いものですが、〈小惑星2011 AG5〉が2013年に地球に衝突することが突然現実のものとなる、その可能性が全くないわけではありません。
「そうなってしまえば2023年 には近接通過区域の特定ができるなどと、悠長なことは言っていられなくなります。どのような理由があろうとも国際社会は、衝突の衝撃を可能な限り弱めるための多重緩衝システムを構築する(極めて高額な費用がかかります)か、核ミサイルを撃ち込んで小惑星を破壊するか、どちらかの選択を迫られることになります。
そしてNASAのNEO(地球接近物体)観測プログラムは、ただちに近接通過区域を特定しなければなりません。」
このようにシュワイカート氏は語りました。

〈小惑星2011 AG5〉の軌道と移動予測を的確に行うことは、極めて困難な作業になるだろう、シュワイカート氏はSPACE.comの中で語っています。

しかし困難であろうがなかろうが、緊急を要する課題は、とにかく〈小惑星2011 AG5〉 の軌道を突き止めることである、と調査を行っている科学者たちが強調しました。
次に小惑星の軌道を観察できるのは2013年9月、次は2015年11月になります。

▽ 米航空宇宙局(NASA)長官「我々にはまだ時間がある。」

〈小惑星2011 AG5〉に関するシュワイカート氏からの手紙への返答として、NASAのチャールズ・ボールデン長官は
「 の小惑星は確かにNEO(地 球接近物体)観測プログラムの地球に脅威を与える物体のリストの上位にある。」
ことを認めました。そして
「現在真剣な調査を行っている。」
とつけ加えました。

ボールデン長官はさらに近い将来、非常に正確に地上から観測できる機会が訪れる、と指摘しました。
「これらの観察結果に基づき、我々はさらに多くの情報を共有することになります。その結果、どのような対策をとるにしても、我々は十分な情報をもとに検討することが可能になります。」

ボールデン長官は加えて、2023年に近接通過エリア解明を行う7年前の2015年 の接近の際の観察により、2040年の地球衝突の時間推移のシュミレーションが可能になるはずである、と述べました。
「比較してみましょう。危険性は〈小惑星2011 AG5〉より低いものでしたが、NASAは今から6年前、ディープインパクト・ミッション(2005年7月にテンペル第1彗星が大気圏を通過して、地球に衝突する恐れがあった)を行いました。
この成功は今回、2015年から2023年 の間に作成される7年間の具体的プランの妥当性を高めてくれるに違いありません。

※レナード・デイヴィッドは50年以上、宇宙関連の記事を書き続けてきました。
彼は昨年、国立宇宙クラブプレス賞を受賞し、国立宇宙協会の広報誌〈アドアストラ〉とスペースワールド誌の編集長を歴任しました。
1999年以降は、SPACE.comへ の執筆をつづけています。

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【 太陽風(磁気嵐)の最新情報 】

アメリカNBCニュース 3月8日

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昨日のこの時間の放送で、3月6日にプラズマとエネルギーの塊である巨大なフレアが太陽の表面に発生したため、NOAA(アメリカ海洋大気圏局)の観測専門家が深刻な磁気嵐の発生を予測したことを お伝えしました。恐れていた被害は今日までのところ報告されていません。
しかしながらこれからも磁気嵐の発生の可能性があります。
この問題についてはNBCのトム・ コステロが余すところなく取材を続けてきました。

レポーター :ブライアン、こんばんは。
科学者たちが地球はここの所運から見放されているかもしれないと語っています。
彼らは、カテゴリ3の磁気嵐を予想 していました。
しかし実際に発生したのはカテゴリー1の嵐であり、予想を下回りました。
それは、東部時間6日午前6:00時頃から始まりましたが、地球の自転のタイミングで最悪の事態は避けることができたようです。
これまで我々は無線通信、衛星やGPSの 機能や送電網などに深刻な問題が発生したとの報告は受けていません。これらはすべて問題なく機能していたようです。
しかし、これらの設備が磁気嵐に対しては、きわめて影響を受けやすいという事実に変わりはありません。
今朝早くに我々が確認したものは、色鮮やかなオーロラだけでした。
ミシガン州で撮影された美しいオーロラをご覧ください。ミシガン州は通常オーロラを観察できる場所からはるか南に位置していますが、色鮮やかに輝くオーロラを堪能できました。

天文学者はこれから来年にかけての数か月の間、太陽の活動は何度かピークを迎え、そのたびに地球が磁気嵐に見舞われることになるだろう、と話しています。

地球への影響が、オーロラだけにとどまることを祈るしかないようです。
ワシントンD.C.からトム・コステロがお伝えしました。  

【 3.11災害後の日本】〈第6回〉

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「成功するかどうか、先の見えない除染作業」

ニューヨークタイムズ 2012年2月8日(一部3月10日改訂)

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〈この動画はアメリカABCニュースによる『福島の避難区域』映像で、ニューヨークタイムズの記事と直接の関係はありません〉

▽桁外れの汚染除去作業

2011年も暮れようとする頃、避難を余儀なくされている人々が自宅に戻れるよう、日本は特筆すべき前例のない福島県の除染計画を作り上げました。
もし試験的な除染作業が有効であることが証明されれば、これら汚染された地区に再び人を住まわせてもいいのか、という議論に対し、より広大な区域の大規模除染作業こそが将来に向けての答えになるはずでした。

除染を支持する人々は汚染地域の再生について、日本の容易ならぬ決意の表れであり、日本がまだ依然として強大な力を内に秘めていることを証明する、絶好の機会だと考えていました。
支持する者にとっての除染作業は、日本再生の象徴となるべきものでした。

しかし福島県全域を除染することに対しては、日本最大の明確に失敗とわかる試みであり、またしても多額の費用を無駄にする取り組みであると批判が巻き起こったのです。
この20年間に繰り返されてきた、日本経済を再び成長軌道にのせる、という取り組みが無残な結果に終わったのと同じことになるだろう、と指摘しました。

今日の今日まで日本政府は福島第一原発の事故発生以来、見え透いた対応を続けてきました。
あまりに早くあたかも危険は去ったかのように喧伝し、事故を小さく見せようとばかり腐心してきたのです。

福島第一原発の放射能に汚染されたがれきの撤去作業は、すでに失敗に終わっていました。
そして汚染された土地や農地から除染によってかき取られた何トンもの汚泥の保管についても、地元の理解を得ることはできませんでした。

そして放射能の専門家が改め「除染が終わった」地区の測定を行ったところ、その放射線量は長期の居住に適さない、とされる国際基準を上回ったままであることがわかったのです。

▽どこまでも続く食品汚染の不安

2011年12月、福島第一原発から放出された思われるセシウムが、赤ちゃん用の粉ミルクから検出され、事故後9カ月が過ぎても食品に対する放射能汚染の懸念が去ってはいないことを印象付けました。

東京に本社がある明治乳業は赤ちゃん用の粉ミルクを製造していますが、政府が定めた基準値以下ではあってもセシウムが検出されたため、400,000個の製品回収を行うことを発表しました。

明治乳業によれば、政府が定めた1キログラム当たり200ベクレルの基準に対し、テストの結果1キログラムあたり30.8ベクレルのセシウム134,137の両方が、同社の粉ミルクから検出されました。

この粉ミルクを毎日飲んでも、赤ちゃんに健康上の被害は出ないレベルである、と明治製菓はコメントしています。
赤ちゃんと幼児は特に放射線被ばくの被害を受けやすい、とされ、ガンやさまざまな障害を発症する危険性があります。

福島第一原発は3月11日に襲った巨大地震と巨大津波によりあらゆる設備が破壊され、大量の放射性物質を放出し、野菜、牛肉、魚介類、そして日本人の主食であるコメを汚染しました。

日本の政府機関や自治体がその汚染状況の調査に本腰を入れる様子が見られないため、消費者、そして生産者の有志がボランティアで食品の汚染調査を続けています。

▽3.11以前の日本

日本は今や経済的な成功を勝ち取った位置から滑り落ちようとしており、世界的にも、もう誰も羨む者がいない数少ない国のひとつになってしまいました。
アジア最初の成功者の物語。
西洋の長い支配に挑戦する最初のアジア国家となるべく、日本は1980年代に投機的株式の値上がり、不動産価格の暴騰に象徴されるバブル経済の上に乗って前進しました。

日本はこの40年間の大部分、世界銀行によれば世界第2の経済大国として君臨しました。1980年代のバブル経済の最中にはアメリカを抜いて 世界第一位になる日も遠くないだろう、と話す人間すらいたのです。

しかし、1980年代の終わりから1990年代初頭にかけ、バブル経済の終焉がやって来ました。
日本は巨大な財政赤字を抱え込み、経済規模はゆっくりと、しかし確実に縮小を続け、そして流れ込んでいた世界の投機マネーも潮が引くようにして姿を消しました。
そしてこの25年間は、経済成長率は低迷し、デフレーションの言葉で表現される消費者物価の下落が続き、かつての経済的巨人はその体をしぼませながら、世界経済社会の落伍者になりかかっています。

2010年第2四半期に、中国は日本を抜いて米国に次ぐ世界第2位の経済大国になりました。

この日本の凋落は経済力、政治力の低下を反映したものです。
2011年1月に信用格付け機関のスタンダード&プアーズは、日本の長期物国債の格付けを引き下げ、借金に苦しんでいる世界の中でも日本の債 務状況はひときわ悪く、しかも悪化の一途をたどっていることを世界に向け認識させることになりました。〈つづく〉

http://topics.nytimes.com/top/news/international/countriesandterritories/japan/index.html?scp=1&sq=fukushima%20surprise&st=cse

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【 津波から身を守るための最先端技術、それはノアの方舟?! 】

ビル・ホワイテイカー アメリカCBSニュース 3月12日日本は常に技術開発においては最先端(cutting edge)を走っていますが、自然災害においてはカミソリの刃(razor’s edge)の上にいるようなものです。4つの大陸プレートの上に位置する、世界で最も地震が発生しやすい国なのです。

20,000人近くの人々が犠牲になった巨大地震と巨大津波が東日本に壊滅的被害を与えてから1年が経ちましたが、将来再び襲って来る災 害に備え、市場で数々の対策器具を買い揃えようとしています。
日本の発明たちは、ボートに早変わりするベッドや財布の中に納まる折り畳み式の防災ヘルメットを開発しました。

田中正二さんは自ら『ノアの方舟』と命名した避難装置を発明しました。
強化プラスチックとグラスファイバーで作られ、地震の際には12トンの衝撃に耐える強度を持ち、津波に対しては決して沈むことが無い程軽 量である、と説明しました。
一台280,000円ほどですが、すでに1,500個が売れ、3カ月先の製造分まで予約が入っている、と語ります。
田中さんは2、3日であれば4人が水に濡れることなく、安全に過ごすことができる、と説明しています。見たところ、4人は小さい体である必要はあるでしょうが…

昨年沿岸の町石巻市で大災害を経験した鈴木邦雄さんは、早速この『ノアの方舟』を購入した一人です。彼は87歳になる母親の身の安全を 守るために買いました。いざというときにはまずは母親を最初に乗り込ませることになるでしょう。
鈴木さんはまだその安全性を試したわけではありませんが、後で後悔するよりはずっとましだと考えています。

田中さんの気持ちも同じです。田中さんは『ノアの方舟』を使わなければならないような場面が来ないことを願っています。
しかし、日本はいつ大災害が襲うかわからない国なのです。

【 3.11から1年、傷跡の癒えない日本 】

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「狭い国土に54基も原発がひしめくこの日本に、安全な場所などあるのですか?」アメリカCBSニュース

3月12日

原子炉建屋が爆発で吹き飛ばされ、3基の原子炉がメルトダウンを起こした福島第一原発の、半径20キロに設定された避難区域にはまだ誰も暮らすことができません。
この地区は巨大地震、津波、そして原発事故のまさに災害の三重苦にあえぎ続けています。
東京電力は福島第一原発を廃炉にするには数十年を要すると言っていますが、この地区が再び元通り、人も動物たちも安全に暮らせる場所に戻るまでの時間は明らかではありません。

福島第一原発の事故により、70,000人を超える難民が生まれてしまいました。
CBSのニュース特派員ビル・ホワイテイカーが普段は立ち入ることのできない避難区域に取材に入りました。
この区域は日本政府が発行する許可証無しでは入ることができず、自由な取材も許されません。

ホワイテイカーは事前に許可を取り、放射線レベルを監視するボランティアに同行しこの地域に入りました。
福島第一原発から2マイル(3.2km) 地点で、ホワイテイカーとその一行は放射線防護服の着用を求められました。
彼らは検問所を通過した途端、命の無い世界を目の当たりにしました。


かつて13,000 が暮らしていた農業の町小高に、行き交う人々の姿はありませんでした。
見る者をいちばん不安にさせるのは、町の姿が一見何事もなかったように見えることで す。
しかし近づいてよく見ると、混雑していた道路に面する商店はすべて捨てられていることがわかります。
商店の一つには『Let's Be Happy! - 楽しく生きよう』という看板が出ていました。
かつて平和な時代があったことの証しです。

信号機が点滅していますが、通りすぎる車両などはありません。
人々はこの通りに面する家から、あわてて逃げだしました。大きな街も、小さな集落も、すべてがゴーストタウンに変わりました。


唯一聞こえる音は、ガイガーカウンターの警告音だけです。
福島第一原発から1マイル(1.6km)の地点で、ガイガーカウンターのけたたましい警告音が鳴りだしました。3.8マイクロシーベル トを超えると危険だと言われていますが、この場所の放射線量は30.8マイクロシーベルトです。

ホワイテイカーとその一行は、とりあえずこの場所から急いで避難することにしました。
こうして彼らは3時間の間、避難区域内を行ったり来たりすることになったのです。

安全な場所に出る前に、彼らは福島第一原発から10マイル(16km) ほど離れた場所に住んでいた伊藤なおこさんとすすむさんに出会いました。
放射線の脅威と政府の避難勧告にもかかわらず、彼らはこの場所に住み続けています。
なおこさんの母親はアルツハイマーを患っています。なおこさんは自宅で最期の時を迎えたい、と語る母の願いを尊重することにしました。
「日本中どこへ行っても、原子力発電所だらけなのです。」

なおこさんがCBSニュースにこう語りました。

「狭い国土に54基も原発がひしめくこの日本に、安全な場所などあるのですか?」

http://www.cbsnews.com/8301-18563_162-57395780/a-rare-look-at-the-fukushima-daiichi-no-go-zone/?tag=cbsnewsMainColumnArea
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3月11日前後から、世界、特にアメリカの報道機関に日本に関する記事が一斉に増えたことはお話ししました。
この[星の金貨]でご紹介しようと思っている記事も10本を超え、翻訳作業も佳境に入っています。

と・こ・ろ・が…
この作業が精神的にずいぶんときついものであることに、今さらながら気づかされました。
翻訳作業そのものがきついわけではありません。
訳しながら記事を読み進むうちに、涙がこぼれてきて手が止まったりするのです。

何せここは仙台、被害の軽重は別にして3.11の被災地のど真ん中にあたり、ただでさえあらゆる情報が集まってきます。
そこにCBSが伝えた石巻市大川小学校のお子さんを無くされたご遺族の記事や、NBCが伝えた死に支配された大熊町の記事を訳すわけです。

そして今日の記事の最後にある、この言葉。
「狭い国土に54基も原発がひしめくこの日本に、安全な場所などあるのですか?」

正直、心も体も重くなってきます。
楽に生きるためには、こんな問題には目をつぶり気がつかないふりをすることでしょう。
まさに国民を守るべき原子力安全保安院も、厚生労働省も、文部科学省も、被災地の子供たちの問題に関しては、そろって『死んだふり』を決め込んでいるように。

しかし、それはできません。
とにかくできません、皆さんも同じだと思いますが…

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【 3.11災害後の日本を検証する 】〈第5回〉

▽ 政府の見解への挑戦
日本の国会が任命した専門家による政府機関から独立した強力な調査委員会は、政府が行った福島第一原子力発電所事故の調査結果に挑戦することになりました。

2012年1月、彼らの独自の調査が開始されました。
この調査には2011年 3月11日、津波が押し寄せる以前、福島第一原発の地震だけの被害がどの程度であった のか、その評価も含まれています。
国会での証人喚問の権限も持つ超党派の委員によるこの委員会は、10万人以上の人々に移住を余儀なくさせ、数十年間周辺の広大な土地を使い物にならなくさせてしまった原子力大災害の詳細を明らかにする、そのための努力を象徴する存在です。
そして3基の原子炉がメルトダウンを起こし、大量の放射性物質をまき散らしてしまった、その実態を明らかにすることよりも、業界の利益を守ることを優先する日本政府に対する批判が生み出したものでもあります。

福島第一原発を運営する東京電力の調査も含めたいくつもの調査が、原子力発電所の正常な運転に欠かせない冷却システムを破壊した、日本の北東部沿岸を襲った津波の予測を超えた規模こそが事故原因である、としてきました。

しかし日本国内、そして海外からは、東京電力は津波の歴史的記録を充分検証していなかったのではないか、また津波が襲った際に被害を最小限に抑えるための備えを怠っていたのではないか、という批判が寄せられています。

疑問はまだあります。
津波が襲う以前に、福島第一原発は巨大地震によってどこまでの被害を受けていたのか。
どのような証拠であっても、地震大国日本にある他の原子炉の安全性に対する疑問を投げかけることになり得るのです。
日本では津波よりも、地震の頻度の方がはるかに高いのです。

2011年12月の任命の後、福島第一原発事故調査委員会の黒川清議長が初めてのインタビューに臨み、彼らがこれから行う調査には聖域など存在しない、と語りました。
この委員会は東京大学の元医学部長で、政策研究大学院大学教授の黒川氏、そしてノーベル賞受賞者田中耕一氏を含む著名な人々が名を連ねています。

黒川氏が率いる委員会には、政府の原子力政策を公然と批判してきた数名の委員が含まれており、注目を集めています。
この中の一人、石橋克彦氏は地震多発国である日本の国土に、54基もの原子炉があることの地質学的危険性を指摘してきた地震学者です。

また委員の一人、バブコック日立の元原子力技術者田中光彦氏は、津波とは関係なく地震が与えた損傷が拡大し、メルトダウンにつながった可能性がある、と主張してきました。
東京電力はこの見解に異議を唱えています。
田中氏は、原子炉の設計に従事していました。
〈つづく〉

http://topics.nytimes.com/top/news/international/countriesandterritories/japan/index.html?scp=1&sq=fukushima%20surprise&st=cse

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〈この動画はアメリカNBC[ロックセンター]で3月7日放映されたもので、ニューヨークタイムズの記事と直接の関係はありません。
翻訳はありません、ご了承ください。〉

【 新たなる船出の日 】&【 3.11災害後の日本を検証する 】〈第4回〉

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アメリカNBCニュース 3月10日

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日本の話題をお送りします。
3月11日に襲った巨大地震と巨大津波が東日本に壊滅的被害を与え、数万人の人々の命を奪ったうえ、福島第一原発の大事故を引き起こしてから、やっと1年が経過しました。
この週末、日本中の人々があの忌まわしい出来事と、復興への長い道のりに思いをはせています。
NBCのイアン・ウィリアムズが日本からお伝えします。

レポーター : 少なくともひとつだけは、祝うべきことがあります。
1年前の津波によって壊滅的被害を受けたこの町で、アメリカから贈られた10隻の漁船が今、船出を待っています。
「皆さんのような人々にこれらの漁船を贈ることができ、私たちは大変光栄に思います。皆さんは地域社会のかけがえのないつながりを、私たちに見せてくれました。」

レポーター : この一帯は津波の被害が最もひどかった場所のひとつで、数千人の人々が命を失いました。
そして荒れ狂う津波は漁船の90%を破壊してしまったのです。係留されていた漁船はまるでおもちゃのように翻弄され、陸にたたきつけられました。
この町では漁業は主な収入源でした。
「無くなってしまった漁船はみな、これとさほど変わらない大きさでした。みんなこんな船が欲しかったのです。」

レポーター:主に収集カキ、ホタテ貝と海藻類の漁獲のためこうした小型漁船の必要性は高く、今回は抽選によって受け取る漁師を決めなければなりませんでした。
実に170人もの漁師が小型漁船を必要としています。
彼は今回決戦抽選の挙句、漁船を手に入れることができた幸運な漁師のひとつです。
「私はこの船であらゆる種類の漁をこなすつもりです。津波で何もかも無くしてしまったので。この小さな漁船でまたゼロからやり直します。」
これらはアメリカで一般的な海洋船としてデザインされました。メイン州に拠点を置くこのボートの製作会社は地 元の漁師と緊密に協力し、日本向けに改良を加えました。アメリカ国内の慈善団体が津波によって信じられないほどの被害を被った人々に、アメリカ国にあったこれらの船を予期せぬ贈り物として提供することになりました。

「ご存知かもしれませんが、アメリカの船舶製造会社は仕事が無くて困っていました。そして日本の漁師たちは、 何よりもまず船を必要としていたのです。」

レポーター:餅がまかれ、今日の祝典が終了しました。今日の行事には豊漁となるよう、祈りが込められています。

「この地の人々が再び祭りの衣装を着れる日が来たなんて、本当に素晴らしいことです。」

レポーター:佐藤さんは一日も早く海に戻りたい、そう願ってきました。豊富な漁業資源を前に、時間を無駄にはしていられないのです。
NBCニュース、イアン・ウィリアムズ。

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【福島の避難区域で動物たちの命を守り続ける男性】アメリカNBCニュース

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たった今見ていた東北放送(本社仙台)の報道番組。
避難生活を送っている家族が、福島第一原発の避難区域にある自宅に必要な物を取るため戻ってきました。
荒れ果てた家、金品だけが誰かに持ち去られていました。
全員防護服をまといながら探し物をしているとき、中学生の女の子が突然「私はここに残りたい。」と言いだしました。
だってここには思い出がある、仲の良かった友達もいた…
母親に思い切り叱りつけられた女の子は、半泣きで「なんで?!」と叫びました。

女の子が悪いはずがない、母親だって悪い訳じゃない。
それでも叱りつけられ、涙を流さなければならないのです。
3.11以降、残念ながらこの国には業界の利益を守る原子力安全保安院はあっても、この女の子のような声をあげられない被害者を守るシステムはないことがわかりました。

そうである以上、市民自身が守っていくしかないと思います。
この稿をお読みいただいている皆さんと、私たちが守っていかなければなりません。

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【 3.11災害後の日本を検証する 】〈第4回〉
「福島第一原発の事故後の、あまりに見え透いた日本政府の対応」
「それでも東京電力は、関東圏で発電・売電事業の独占状態を享受」

ニューヨークタイムズ 2012年2月8日(一部3月10日改訂)

▽ 事故を起こした原子炉、廃炉への計画
福島第一原発について冷温停止状態の宣言を発した後、日本政府は完全に廃炉にする日程について公表しました。
各原子炉の格納容器の底にあるとみられる溶け落ちた核燃料をロボットによって除去し、完全廃炉を行うまでには、政府の詳細な日程表によれば40年の歳月を必要とします。

日本の細野原子力事故担当大臣は、3基の原子炉の核燃料除去作業を同時に行うべき必要性について認識しています。
この作業が全体としてどのようなものになるかは予測不可能な困難のものになるだろう、と記者団に述べ、「どのような困難に遭遇することになっても、やり遂げる必要がある。」
と語りました。

計画によれば、東京電力は破壊された原子炉と同じ建屋内にある格納用プールから、使用済み核燃料を除去するために2年を費やすことになっています。
少なくとも格納用プールの一つは、事故直後の水素爆発で建屋が吹き飛ばされため、高濃度の放射線を大気中に直接放出している可能性があります。

技術的に最も難しいと見られるのは、溶け落ちた核燃料の除去作業です。
この作業には25年もの時間がかかる見込みで、作業のための新たなロボット開発、そして現在は未開発の新たな技術開発が必要になります。
そして核燃料が取り除かれた後、廃炉の完了まではさ らに5年から10年の歳月が必要となる見込みです。

▽ 東京電力の支払い義務

2011年12月、日本政府は東京電力に対し同社が望む公的資金の 注入と引き換えに、暫定的な国有化を提案、一時的な経営権の譲渡を検討するよう求めました。
東京電力が福島第一原発の原子力事故対応のため、6,894億円(約88億ドル)の資本注入を政府側に求めたことによるものです。

東京電力は、2013年までに補償金として4兆5,000億円を支払わなければなりませんが、政府の諮問機関は10月、同社はこれにより債務超過に陥る恐れが出てきた、と指摘しました。
東京電力はさらに巨額の費用を投じて福島第1原発の6基の原子炉の廃炉作業を行わなければなりません。
さらには福島第2原子力発電所の4基の原子炉の将来もまた、大災害の後、国民の抗議の的となっています。
それでも、専門家が長い間指摘し続けてきた東京電力の経営方法の改善、あるいは関東圏で発電・売電事業の独占状態を享受している状況を打ち破ること、政府がこうした抜本的対策をとるかどうかはまだはっきりしていません。
〈つづく〉

http://topics.nytimes.com/top/news/international/countriesandterritories/japan/index.html?scp=1&sq=fukushima%20surprise&st=cse

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〈この動画はアメリカNBC[ロックセンター]で3月7日放映されたもので、ニューヨークタイムズの記事と直接の関係はありません。翻訳はありません、ご了承ください。〉

【 長い、長い道のり 】&【 3.11災害後の日本を検証する 】〈第3回〉

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アメリカNBCニュース 2012年3月9日

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海外では巨大地震と巨大津波が、東日本に壊滅的被害を与えてから一年が過ぎようとしています。
NBCも2万人近くの犠牲者を出したこの大災害一周年の、番組作りに取り組んできました。
NBCのイアン·ウィリアムズは一年前、この災害現場に最も早く駆けつけた海外特派員の一人でした。彼はその後数週間、現場からの報告を続けました。今夜は彼が領域に返される。
彼は今日その場所に戻ってきました。
生き残った人々が、その後どうやってこの一年を乗り切って来たのか、現地からお伝えします。

レポーター : それは東日本の沿岸で暮らす人々にとって、最も恐ろしい瞬間でした。
20,000人近くの人々が命を落としました。
一年が経ち、付近は全く異なった景色になりました。
けた外れの後片づけ作業により、海岸は見違えるようになっています。
巨大な津波にのみこまれた漁業の町大槌は、一度は地上から抹殺されてしまいました。
ねじれた残骸に覆い尽くされ、不毛の地と化していたこの町も、やっと穏やかな表情を取り戻したかに見えます。

レポーター : 海岸沿いには巨大な瓦礫の山がいくつもできています。毒性を持つものもあります。
津波の被災地にはおよそ19年分のごみが堆積しています。
日本ではおよそ50万の建物が破壊され、その瓦礫をどう処分するのか、具体的かつ現実性のあるプランはまだ見つかっていません。
そしてこの町の再生プランも。

2,000人の生存者が暮らす狭い仮設住宅の中に、津波で何もかも失ってしまった79歳の高橋さんの姿があります。
彼女の自分の家に住みたい、という願いはかなえられそうにありませんが、常に前向きに、前だけを見て暮らすよう日々努力している、と話してくれました。
地元の自治体は高さが15メートルもある、 防潮堤を建設すると約束しました。
この高さは昨年この場所を襲った津波の倍になりますが、それでもこの場所が再び住んでも安全である、とは言い切れないのです。
この場所からさらに南側にある南三陸町は、海から離れるにしたがって左右の山が迫ってくる地形が災いし、津波が15メートルを超える高さになってしまい、もっともひどい被害を受けた町のひとつです。

漁業の盛んなこの町を世界的に有名にした、ビルの屋上に乗りあげた観光船は撤去され、がれきの片づけも進んでいます。
これまでアメリカの慈善団体により寄付された新たな設備が、200人ほどの雇用の場をこの町に作り出しました。
ランドルフ・マーティン(Mercy Corps : 思いやりによる団結)「ほんとうにこの町が立ち直るまでには、これから長い長い時間がかかることになるでしょう。でも私はこの一年間、私はこの街の人々が互いに知恵を絞り協力し合いながら、再び町としての機能を取り戻す様子を見ることができました。」

レポーター : ここには立ち直ろうという意思が欠けている、などという事はいささかもありません。そしてみんなが懸命に未来をつくり出そうとしてる、その姿こそは最も尊い、そう言えるでしょう。
イアン・ウィリアムズ、NBC放送、日本から。

http://www.msnbc.msn.com/id/3032619/ns/nightly_news/#46687288

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私たちは忘れもしません。

津波をまともにかぶった人たちは、寒気と恐怖に震えながら肉親を捜し、がれきを片付けていました。
仙台港の方向には真っ黒な煙が空高く上がり続け、あらゆる方向から緊急車両のサイレンが途切れることなく聞こえていました。
そして、朝になると自衛隊や消防の車両が何台も何台も、続々と沿岸部をめざして走っていきました。

電気も水もガソリンも、そして何より情報が無い中、福島第一原発から大量の放射性物質が放出されていたのに、たくさんの人々が自転車で仙台市内を走り回っていました。

なのに国会は政争・政局に明け暮れ、日本の放送・新聞は飽きることなくその様子を被災地にも流し続け、私たちの気持ちを一側暗いものにしてくれま した。

被災地には世界各国の救助隊や報道陣がやってきて、世界に向け今回の東日本大震災の被害がどれ程悲惨なものか、発信し続けていました。
おかけで日本中から、世界中から支援の手が差し伸べられ、被災地の人々は大いに慰められました。

日本政府・政府機関・大政党の国会議員『以外』の日本中・世界中の方々から、私たちは大きな支援をいただきました。
ほんとうに心から感謝いたします。

しかし、昨日取り上げたアメリカCBSニュースが取り上げていた大川小学校の犠牲者のご遺族を始め、立ち直れずに苦しんでいらっしゃる方が数多くいらっしゃいます。
そして福島第一原発から20km圏内の方など、まだ何も始まっていない方には、ほんとうにどんな慰めもありません。

ところで、3月10日前後からアメリカを始め、世界中のニュース各社のサイトに日本のニュースが続々アップされています。
確認済みのものだけでもNBCが5本、CBSが4本、ABCが3本、CNNが5本など、他に英国BBC放送やアルジャジーラほか、かなりの分量になります。
下記のニューヨーク・タイムズの記事と同時掲載の形で、可能な限り数多くご紹介していく予定です。

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【 3.11災害後の日本を検証する 】〈第3回〉
「冷温停止宣言は国民の間にわき上がる、事故に対する怒りをなだめるためだけに行われた」

▽ 地震・津波・原子力危機
「日本政府の職員は国民より、自分を守るのが先」

2011年3月11日に襲った巨大地震が東日本沿岸部を襲い、続いて発生した巨大津波は北日本の都市や農地を目も当てられないほどの惨憺たる有様にしてしまいました。
遠くアメリカや南米の西海岸でも津波警報が発せられるほどでした。
マグニチュード9.0を記録したこの地震は、この国の記録始まって以来最大の地震となりました。

日本が救出活動に苦闘するそのタイミングで、今度はチェルノブイリ以来最悪の原子力発電所事故に直面させられることになりました。
爆発と放射能漏れが福島第一原発の3基の原子炉で起き、限りなく100%に近いメルトダウンが発生しました。他の一基の原子炉では、原子炉の上部に格納されていた使用済み核燃料が火を噴き、放射性物質を大気中に直接大気中に噴出させたのです。

放射性物質は東京の水道水の中にまで入り込み、汚染された水が海洋中に流れ込むなど、日本政府は絶望的な状況のなかで対策を迫られることになりました。

7月までに災害による死者・行方不明者は20,000人を超えてしまいました。
原子力発電所の危機は、数万人の人々に仮設住宅での暮らし、あるいは避難先での生活を強いることになりました。

一部の政府関係者は、インタビューや公式声明の席では、日本の関係当局が今回の事故処理に必要な金額、避難を強いられた人々の人数などについて、不利な情報を握りつぶしたり、事実を否定したり、といったお決まりの隠ぺいを行ったことを認めています。

それというのも、強大な政治力を持つ日本の原子力産業界の反発を恐れてのことでした。

災害発生後数か月の間、原子力発電に対する人々の反感は、運転上の不具合、故障修理、あるいは定期点検などの理由で停止中だった原子炉の再稼働への反対、という形で現れました。
福島第一原発の事故以降稼働中の原子炉は54基中10基だけとなり、産業用の総電力量の30%が急激に減少することになりました。

▽ 『冷温停止』の疑惑
日本政府は2011年12月、事故を起こした福島第一原発の原子炉が高温状態を脱し最終的に制御できるようになっ た、と宣言しました。
しかし、この宣言はそれが行われる以前から、専門家に疑問を持たれていたのです。

野田佳彦内閣総理大臣が率いる災害対策特別委員会は、福島第一原発の破壊された3基の原子炉が冷温停止にほぼ等しい状態になったとして、冷温停止『状態』を宣言しましたが、冷温停止とは技術的には炉心の核燃料が安全・安定している状態を指します。
一部の専門家は、今回の宣言は年内には冷却システム を正常に機能させる、とした政府の誓約のつじつまを合わせるための物で、現状を正しく表現するものではない、と指摘しました。

別の専門家は国民の間にわき上がる事故に対する怒りをなだめるためだけに行われた宣言であり、3基の原子炉が抱える安全上の問題から目を逸らさせてしまう可能性がある、と述べています。
3月11日のマグニチュード9.0の地震の余震のうち、もし大きなものが襲ってきたら、事故後にあわてて作られた急ごしらえの新たな冷却システムが破壊されてしまう可能性が高い、と多くの地震学者が考えています。

http://topics.nytimes.com/top/news/international/countriesandterritories/japan/index.html?scp=1&sq=fukushima%20surprise&st=cse

【3.11から1年 : 未だに答えを探し続けている 】

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宮城県石巻市 / アメリカCBSニュース 3月9日

2012年3月11日で日本は、その国土を徹底的に破壊した巨大地震と津波が襲ってから1年を迎える事になります。
少なくとも16,000人が瞬時に命を奪われましたが、未だに3,000人以上が行方不明のままになっています。

一年は長い時間だったかもしれませんが、ここにいる人々にとってはそうではなかったかもしれません。
3,182人が死亡した石巻市は、もっとも津波の被害が激しかった所です。
捜索をつつけている人々は、未だに行方不明のままの533人の姿を探し求めています。

この街は市内の大川小学校で多数の幼い命を失いました。
74人のこどもたちと、教師10人が津波にのまれて死亡しました。

「みんな生きているのに、どうして私の娘だけが死ななければならなかったのでしょうか?!」
志登さゆりさんはCBSニュース特派員のビル・ホワイテイカーにこう語りました。
彼女の12歳の娘、ちさとさんはこの小学校の犠牲になったこどもたちのうちの一人です。
さゆりさんにとって小学校を見る事は苦痛以外の何なにものでもありませんが、毎日学校に通い続けています。

もっとも大きな悲劇のひとつは、子どもたちと教師たちが、緊急地震対応マニュアルに基づき行動していた事でした。
結果的にそのことが、ほとんど全員の死につながってしまったのです。
地震が襲った際、子どもたちはまず自分の机の下に身を隠しました。
その後子どもたちは余震から身を守るため、低い場所にある屋外の校庭に避難したのです。

そこを津波が遅い、たちまちに多くの命を奪い去りました。
校庭の右側には小高い丘がありました。
別の12歳の犠牲者の母親、平塚なおみさんはなぜ高い場所に逃げなかったのか、その事を本人たちに代わり悔やんでいるとホワイテイカー特派員に語りました。
志登さんも同じ意見です。

彼女はその怒りを学校側に向けています。
一度など学校関係者の一人が、こどもたちが死んでしまったのは彼らの「運命」だったと言い放った、と彼女が語りました。
その発言は子どもたちを亡くした両親たちを激怒させ、親たちは学校関係者に向け怒号を浴びせました。
このような事は、日本では滅多に起きません。
一本のビデオは一人の父親が亡くなった娘の靴の片方をテーブルにたたきつけながら、こんなものしかもう残されていないのだ、と叫ぶシーンを記録していました。
津波をたった一人生き延びた教師は、うなだれたまま恥ずかしさのあまり崩れ落ちる様子が記録されていました。

志登さんは亡くなった娘のために神社を建て、娘のちさとさんが生前好きだったものを供えました。
一年が過ぎましたが、母親は亡くなった娘を想い苦しみ続けています。
平塚さんはわき上がる怒りと絶望を、娘の遺体を探し続ける糧としています。彼女はより広い範囲で遺体捜索ができるように掘削用重機の操作方法を学びました。平塚さんは娘の遺体が発見された今も、遺体の捜索を続けています。

「大切な子どもを、泥の中に埋もれたままにしておける親などいないじゃないですか…」

最後に平塚さんは英語で、自分がこれからも生きてくための心の支えを探しているのだ、と語りました。
「私の娘の夢は教師になる事でした。だから私も教育現場に戻らなければなりません。そこが私のゴールになるでしょう。」

http://www.cbsnews.com/video/watch/?id=7401551n&tag=cbsnewsVideoArea

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【 3.11災害後の日本を検証する 】〈第2回〉
「日本企業の地震と津波の被害からの、立ち直りの速さを印象づけた回復」

ニューヨークタイムズ 2月9日/3月10日

▽ 環太平洋自由貿易協定(TPP)

安定した政権を築けるかどうか論議を呼ぶ中、2011年11月半ばに野田首相は環太平洋パートナーシップ(TPP)に向けた議論の場に加わることを表明しました。
この協定は輸出業者に対しては新たな市場を提供することになるでしょうが、生活基盤が台無しにされるとする、発言力のある農家を激怒させることになりました。
野田首相は農業分野も含め、国際競争はより強固な国内市場を創造することになる、と言及しました。
日本に対し輸入超過に陥っているアメリカ合衆国は、 長い間日本市場への進出がしやすくなるよう努めてきました。

しかし市場関係者は日本の参加は来たるべき条約締結において国際間の信用を得られても、日本政府が求める細部にわたる条約の訂正は不可能であり、関税撤廃にまで踏み込むことは望んでいないだろうと分析しています。

▽災害後の経済回復

2011年11月、日本経済は第三四半期において6%の経済成長を達成し、3月に襲った巨大地震と巨大津波の被害からの力強い回復を印象づけました。
しかしながら減速を続ける世界経済と揺らぎそうにない円高傾向は、世界第3位の日本経済の先行きを不透明なものにしています。

輸出と消費の回復に支えられ、国内総生産は9月までの3ヶ月間で前年同期比1.5%拡大していることを、内閣府が発表した数字は示しています。
年率に換算すると6パーセントの幅広い分野での上昇 は、直近の4期の四半期の中では初めての改善でした。
こうした回復は、生産設備とサプライ・チェーンの立て直しによる、日本企業の地震と津波の被害からの立ち直りの速さを印象づけました。

輸出も6.2%の上昇を記録し、各企業は通常の生産体制に戻りました。
日本経済のほぼ3分の2を占める個人消費は、津波被害を受けた地区の買い替え需要と消費者心理の回復に助けられ1%増加しました。
〈つづく〉

http://topics.nytimes.com/top/news/international/countriesandterritories/japan/index.html?scp=1&sq=fukushima%20surprise&st=cse
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【 3.11災害後の日本を検証する 】〈第1回〉[沖縄問題に関する再交渉]

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「地震、津波、福島第一原発、急速な高齢化、一向に機能しない政治、中国の台頭…」
「原発を止めれば電力が不足する - 産業界の意向に唯々諾々の野田首相」

ニューヨークタイムズ 2012年2月8日(一部3月10日改訂)

日本は2011年3月に発生した地震と津波がもたらした壊滅的な被害、原子力発電所の危機、そしておびただしい放射線の放出により、その足取りがいろいろな意味できわめて不安定なままになっています。

すでに20年間経済が停滞し、急速な高齢化が進み人口が減少し、政治は一向に機能せず、そして長年のライバル中国の急速な台頭を目の当たりにする日本に、20,000人もの人々を殺害した巨大地震と巨大津波は改めて日本とは何か、という事を問いかけることになりました。

危機は日本のリーダーの交代にもつながりました。
与党民主党は2011年8月に新しい首相として野田佳彦を選出しました。野田はこの5年間で6人目の首相になります。
元財務大臣である彼は、災害後の日本の指導に失敗したとして辞任を余儀なくされた菅直人に代わり、首相に選出されました。
外交問題に関しては、野田首相はワシントンと密接な関係を維持し、そして沖縄の普天間空軍基地を維持するために、既存の路線を支持すると表明しました。
野田首相は公式表明について概ね控えめな表現を行いますが、ときには挑発的な場合もあります。
彼は日本のA級戦犯は戦争犯罪人では無いとのコメントを発表し、特に韓国・中国の世論の反発を招きました。

野田首相は原子力発電の将来の問題については、菅前首相が敷いた路線を踏襲しません。
菅前首相は原発依存と言われる体制から脱却することを宣言しましたが、野田首相は、電力不足の事態に陥れば経済が打撃を受ける、という産業界の意見におとなしく従う姿勢を見せています。

12月には野田首相は福島第一原発の技術者たちが同発電所を安定状態に置いた、としてチェルノブイリ以来最悪の原子力事故の収束を宣言しました。
日本政府は今や事故を起こした原子炉を開いて、そこから核燃料棒を取り出し、最終的には廃炉にするための作業を行う段階に移行したとしますが、この作業を完了するまでに40年の歳月を要する、と野田首相は語りました。

しかし多くの福島県民にとって、現実は危機は終わったなどという表現を許さないものです。

160,000を超える人々がいまだに避難生活を強いられています。
あまつさえ政府は一部の区域について『帰宅が可能』との見解を示しましたが、ほとんどの人はこれを拒否しました。
多くの専門家が政府の『冷温停止』という見解に疑いを持っています。
そして今回の事故に対する一般市民の怒りを抑え込む、そのためだけに『冷温停止』を行ったとして懸念を深めています。

▽ 沖縄問題に関する再交渉

アメリカと日本の間に頭の痛い問題として常に存在しているのが、沖縄の米軍基地問題です。沖縄本島にある普天間アメリカ海兵隊航空基地は、周辺住民がその存在自体について、激しく反発しています。

2012年2月、日本とアメリカは2006年の合意に基づき、8,000人のアメリカ海兵隊員を沖縄本島から移動させる問題について交渉中であると述べました。
アメリカ軍にとっては重要な基地である普天間航空基地の代替地をどこにするかの問題が遅れに遅れ、現在最大の懸案となっているためです。

日米両政府は基地を移転するための合意済みの前提条件の中で、海兵隊を家族と一緒に2014年までにグアムに移転するという条項の一部修正に合意しました。

戦後のアメリカ占領状態のなごりである大規模な海兵隊の沖縄駐屯は、この島の住民にとって長い間の憤慨の種でした。
そして沖縄県民は普天間航空基地の移転ではなく、廃止を望んでいます。
一方、海兵隊基地の縮小への要求がどのような進展も見せていない現状は、結果的に日米間のすべての契約事項の凍結につながっています。

アメリカは8,000人の海兵隊員が移動を完了し、普天間基地が県外に移転した後も、実質的に沖縄には軍の拠点を核をする意向です。
沖縄県嘉手納空軍基地には別の10,000人の海兵隊員が駐屯しており、アジア太平洋地区における最大の空軍基地として機能しています。
〈つづく〉

http://topics.nytimes.com/top/news/international/countriesandterritories/japan/index.html?scp=1&sq=fukushima%20surprise&st=cse
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ついに3.11の日がやってきました。
私が暮らす宮城県ではあまりに多くの死、あまりに多くの悲劇が生まれました。
そして長い長い、希望の見えなかった日々。
あの日には2度と戻りたくない、正直な気持ちはそれしかありません。
このブログも東日本大震災のショックに突き動かされるようにして始まりました。

あれからの日本の1年を世界はどう見たのか、今日からニューヨークタイムズの『3.11大災害後の日本』を連載します。
現在上記のURLに掲載されているのは要約版ですが、ここにご紹介するのは一番文章量の多い2月8日版です。一部現在の版と項目の掲載順序が異なります。
尚、このシリーズで掲載する写真はニューヨークタイムズの以下のURLに掲載されている250枚以上の写真から選びました。

http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html?ref=asia#1

そして、以下の3月11日の地震を音声で再現したデータ。
私は当日の恐怖をまざまざと思い出しました。
私は逃げ遅れて70人程がいる1階のオフィスにいましたが、凄まじい揺れとあらゆるものが破壊される、耳をつんざくような大音響を聞かされるはめになりました。
以下のデータはその地震波を音声に直し、100倍のスピードで再生可能にしています。

最後には「あの日」の記録を図解化したものを掲載しました。

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【 3.11の巨大地震を音声で再現 】

私たちの素晴らしき地球(Our Amazing Planet : http://www.ouramazingplanet.com/ ) 3月7日

〈解りにくいですが、真ん中か左下のプレイボタンを押してください〉
科学者たちが昨年の大規模な日本の地震からの地震波を録音し、音声波に変換しました。

新しい音声波は、2011年3月11日にマグニチュード9.0の地震が地球内部を通り世界中にどのように伝わっていったかを再現しています。
これにより専門家も、一般の人々も東北太平洋沖地震そのものを音で聴くことができます。
「私たちは視覚データと聴覚データを組み合わせる事により、今回の地震データを生きたものにする事ができました。」
ジョージア工科大学の芝剛鵬がこう語りました。
「人は地震の周波数の変化を目で見ながら、音の高低と振幅の変化を耳で聞くことができます。」

今回の地震は1900年以降、世界で4番目の大きさでしたが、域内に設置された数千個の地震計と記録されたデータを世界と共有したい、と言う日本側の意欲により、もっとも鮮明にすべてが記録された地震でもありました。
今回のような新たな視点が提供された事により、科学者たちによる解明が進む事が期待されます。
このこれまでと違う地震音声は、本震とそれに続く余震の発生の様子など、地震がもつ様々な側面の理解に役立ちます。

今回の観測結果のひとつは、福島第一原発がある福島県と東京の間で測定されました。
最初の大きな爆発音のようなものがマグニチュード9.0の本震です。直後に地球内部のプレートが新たな位置に向け滑っていくのに合わせて発生した余震は、はじけるような音となって聞こえています。
こうした余震は長い場合には数年間続く事があります。

これほど大きな地震波になると、地球内部を通って移動し数千マイルも離れた場所で、別の地震を引き起こす場合があります。
今回も東日本大震災の地震波により、アメリカのサンアンドレアス断層の深層部で揺れが発生した事を、カリフォルニア州での測定結果から解っています。
遠雷のように聞こえるノイズは、日本で発生した本震が引き起こしたものです。
次に聞こえてくる雨音のような音はオン・オフを繰り返しますが、日本で発生した地震波がサンアンドレアス断層での微動を誘発している様子を表しています。

このアニメーションは、科学者が地震伝達メカニズムの概念を説明するのに役立つだけでなく、別の場所で地震の発生をいち早く捕捉できるようにできる可能性があります。

人間の耳は周波数が20 Hzから20 kHzの間の音を聴き取る事ができますが、地震計によって記録された地震信号をこの範囲に分布させ、今回の音声データは作られました。
ジョージア工科大学の鵬、大学院生チャスタティ・アイケンと米国・日本の共同研究者は、地震波の再生速度を実際の速度の100倍にする事により、人間の耳で聴き取れるようにしました。
東日本大震災について数分から数時間にわたって記録されたデータは、十数秒間で聴く事ができます。
この研究は『地震学研究通信』の3・4月号に掲載されています。

http://www.ouramazingplanet.com/2577-japan-earthquake-sound.html

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【 あの日から1年 : 地震、津波、メルトダウン : 日本のトリプル大災害 】

私たちの素晴らしき地球(Our Amazing Planet : http://www.ouramazingplanet.com/ ) 3月6日

Find out how the earthquake and tsunami of 2011 devastated Japan, in this OurAmazingPlanet infographic.
Source:OurAmazingPlanet

【 福島県大熊町、そこはゴーストタウンですらない、死そのものが支配する町!】

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所要時間 約 6分

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アメリカNBCニュース 2012年3月7日

ブライアン・ウィリアムズ :
3月11日に襲った巨大地震と巨大津波が福島第一原発の事故を引き起こしてから、もうすぐ一年が過ぎようとしています。
福島第一原発の事故は周辺のあらゆる環境を汚染し、いまやその場所は全くのゴーストタウンとなり果てました。
1年前にあわてて避難させられた人々は、まだ一人も帰宅を許されません。
しかし今回見こそのチーフ海外特派員のリチャード・エンゲルを含む数名の ジャーナリストが取材を許可され、この地域内のあまり見ることのできない映像を記録することができました。

そこは時間が全く凍りついたままの世界でした。

 

レポーター : 廃墟と化した福島第一原発内の光景です。
このあまり見ることのできない映像は、今回初めて公開されるものです。
ここではいまだに高い値の放射線が検出されます。
一年前、福島第一原発が爆発を起こしたとき、放射性物質の微粒子を含む噴煙を空高く噴出させました。
それらの放射性物質は、今では福島第一原発から20km圏内の地域のあらゆる場所を汚染し、その場所は捨てられ、もはや住むことのできない場所になりました。
そこは『避難区域』『警戒区域』と呼ばれ、原子力発電という科学技術がいったん制御不能に陥れば、どれ程の惨禍をもたらすものか、そのことを私たちに警告しています。

この大熊町は福島第一原発から7キロほどの場所にあります。
かつては10,000人が住んでいたこの町も、今や完全に無住の地と化しています。
避難区域は立ち入り禁止ですが、この岩本さんのようなかつての住民は、貴重品を取り出す際すなどごく短い時間の訪問を許されています。
彼はかつての職場だった電子部品工場を見せてくれました。

 

岩本さん「ここが私の職場だったところです。」
リチャード「ここが?」

レポーター : 背広とネクタイはいつでも外出できるように、用意してあったのでしょうか?彼の自宅はすぐ近くにあります。冷蔵庫の中には食品が詰まったままです。
リチャード「冷蔵庫の中の食品はまだ食べられますか?」
岩本さん「だめだめ、すべて消費期限は3月11日に切れましたよ。」

 

この場所は私に子どものときの経験を思い起こさせます。
学校で映画を見せられた後、私たちは核兵器による大量殺戮の後、放射線によって人々が住んでいた町がどうなるかを教えられました。
まさにその光景が今、目の前にあります。

大熊町の人々は急いでこの町から逃げ出しました。
信号機が点滅していますが、車は一台も走っていません。
唯一の生命の証しは囲いの中から逃げ出し、半ば野生化した牛たちです。彼らは今や町の中を自在に走り回っています。

地面には放射性物質がしみ込んでいます。
植物の中にも放射性物質があります。
水の中にも。
林の中にも。
それを動物たちが口にします。
昆虫も、そして鳥たちも。

どうすればそれらを取り除けるというのでしょうか?
かつての住民の多くは、この場所の除染など不可能だと考えています。

大熊のような町をこれ以上作ってはならない、と私の心が叫んでいます。

ここは単なるゴーストタウンなどという生易しいものではありません、死が支配する町です。

 

レポーター : ブライアン、私はこの場所を訪れて、容易に消すことのできない光景を目の当たりにしました。これほど完璧に地図の上から消えてしまった町など、私は見たことがありません。
自然災害だけ、あるいは戦争による破壊の方がましかもしれません。
お金さえあれば再建は可能だからです。
しかしこの場所では不可能です。
この区域の汚染は今後数十年間も続くでしょう。
そして、放射性物質はあらゆる食物連鎖の中に入り込んでしまっているのです。

ブライアン・ウィリアムズ :
報告をありがとう、リチャード。
ここで、今夜リチャードが今や人が近づくことができないこの放射能汚染地帯の、さらに詳しい、本当に詳細なレポートをお伝えすることになっています。
今夜の番組【ロックセンター】でお伝えする予定です。

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NBC放送がここまで思い切ったレポートをするとは、ちょっと驚きました。
ここに登場する海外特派員のリチャード・エンゲル氏は、先週までシリア情勢報告を行い、その惨禍を訴えてきました。

しかし、事故後1年を過ぎた福島県大熊町の現状に、それに劣らぬ衝撃を受けたようです。
その思いが
「大熊のような町をこれ以上作ってはならない、と私の心が叫んでいます。
ここはゴーストタウンなどという生易しいものではありません、死が支配する町です。」
という言葉の中に集約されているようです。

この記事を見ていて、私も生きている間には福島全県の汚染が無くなる日を見ることはできないのだな、と思った瞬間、絶望、あるいは恐怖の淵のようなものに落ち込んでいくような気分にとらわれました。
そして、改めて怒りが込み上げてきたのです。
「あってよいことか?!」

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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