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【 3.11災害後の日本】〈第6回〉

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所要時間 約 9分

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「成功するかどうか、先の見えない除染作業」

ニューヨークタイムズ 2012年2月8日(一部3月10日改訂)

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〈この動画はアメリカABCニュースによる『福島の避難区域』映像で、ニューヨークタイムズの記事と直接の関係はありません〉

▽桁外れの汚染除去作業

2011年も暮れようとする頃、避難を余儀なくされている人々が自宅に戻れるよう、日本は特筆すべき前例のない福島県の除染計画を作り上げました。
もし試験的な除染作業が有効であることが証明されれば、これら汚染された地区に再び人を住まわせてもいいのか、という議論に対し、より広大な区域の大規模除染作業こそが将来に向けての答えになるはずでした。

除染を支持する人々は汚染地域の再生について、日本の容易ならぬ決意の表れであり、日本がまだ依然として強大な力を内に秘めていることを証明する、絶好の機会だと考えていました。
支持する者にとっての除染作業は、日本再生の象徴となるべきものでした。

しかし福島県全域を除染することに対しては、日本最大の明確に失敗とわかる試みであり、またしても多額の費用を無駄にする取り組みであると批判が巻き起こったのです。
この20年間に繰り返されてきた、日本経済を再び成長軌道にのせる、という取り組みが無残な結果に終わったのと同じことになるだろう、と指摘しました。

今日の今日まで日本政府は福島第一原発の事故発生以来、見え透いた対応を続けてきました。
あまりに早くあたかも危険は去ったかのように喧伝し、事故を小さく見せようとばかり腐心してきたのです。

福島第一原発の放射能に汚染されたがれきの撤去作業は、すでに失敗に終わっていました。
そして汚染された土地や農地から除染によってかき取られた何トンもの汚泥の保管についても、地元の理解を得ることはできませんでした。

そして放射能の専門家が改め「除染が終わった」地区の測定を行ったところ、その放射線量は長期の居住に適さない、とされる国際基準を上回ったままであることがわかったのです。

▽どこまでも続く食品汚染の不安

2011年12月、福島第一原発から放出された思われるセシウムが、赤ちゃん用の粉ミルクから検出され、事故後9カ月が過ぎても食品に対する放射能汚染の懸念が去ってはいないことを印象付けました。

東京に本社がある明治乳業は赤ちゃん用の粉ミルクを製造していますが、政府が定めた基準値以下ではあってもセシウムが検出されたため、400,000個の製品回収を行うことを発表しました。

明治乳業によれば、政府が定めた1キログラム当たり200ベクレルの基準に対し、テストの結果1キログラムあたり30.8ベクレルのセシウム134,137の両方が、同社の粉ミルクから検出されました。

この粉ミルクを毎日飲んでも、赤ちゃんに健康上の被害は出ないレベルである、と明治製菓はコメントしています。
赤ちゃんと幼児は特に放射線被ばくの被害を受けやすい、とされ、ガンやさまざまな障害を発症する危険性があります。

福島第一原発は3月11日に襲った巨大地震と巨大津波によりあらゆる設備が破壊され、大量の放射性物質を放出し、野菜、牛肉、魚介類、そして日本人の主食であるコメを汚染しました。

日本の政府機関や自治体がその汚染状況の調査に本腰を入れる様子が見られないため、消費者、そして生産者の有志がボランティアで食品の汚染調査を続けています。

▽3.11以前の日本

日本は今や経済的な成功を勝ち取った位置から滑り落ちようとしており、世界的にも、もう誰も羨む者がいない数少ない国のひとつになってしまいました。
アジア最初の成功者の物語。
西洋の長い支配に挑戦する最初のアジア国家となるべく、日本は1980年代に投機的株式の値上がり、不動産価格の暴騰に象徴されるバブル経済の上に乗って前進しました。

日本はこの40年間の大部分、世界銀行によれば世界第2の経済大国として君臨しました。1980年代のバブル経済の最中にはアメリカを抜いて 世界第一位になる日も遠くないだろう、と話す人間すらいたのです。

しかし、1980年代の終わりから1990年代初頭にかけ、バブル経済の終焉がやって来ました。
日本は巨大な財政赤字を抱え込み、経済規模はゆっくりと、しかし確実に縮小を続け、そして流れ込んでいた世界の投機マネーも潮が引くようにして姿を消しました。
そしてこの25年間は、経済成長率は低迷し、デフレーションの言葉で表現される消費者物価の下落が続き、かつての経済的巨人はその体をしぼませながら、世界経済社会の落伍者になりかかっています。

2010年第2四半期に、中国は日本を抜いて米国に次ぐ世界第2位の経済大国になりました。

この日本の凋落は経済力、政治力の低下を反映したものです。
2011年1月に信用格付け機関のスタンダード&プアーズは、日本の長期物国債の格付けを引き下げ、借金に苦しんでいる世界の中でも日本の債 務状況はひときわ悪く、しかも悪化の一途をたどっていることを世界に向け認識させることになりました。〈つづく〉

http://topics.nytimes.com/top/news/international/countriesandterritories/japan/index.html?scp=1&sq=fukushima%20surprise&st=cse

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【 津波から身を守るための最先端技術、それはノアの方舟?! 】

ビル・ホワイテイカー アメリカCBSニュース 3月12日日本は常に技術開発においては最先端(cutting edge)を走っていますが、自然災害においてはカミソリの刃(razor’s edge)の上にいるようなものです。4つの大陸プレートの上に位置する、世界で最も地震が発生しやすい国なのです。

20,000人近くの人々が犠牲になった巨大地震と巨大津波が東日本に壊滅的被害を与えてから1年が経ちましたが、将来再び襲って来る災 害に備え、市場で数々の対策器具を買い揃えようとしています。
日本の発明たちは、ボートに早変わりするベッドや財布の中に納まる折り畳み式の防災ヘルメットを開発しました。

田中正二さんは自ら『ノアの方舟』と命名した避難装置を発明しました。
強化プラスチックとグラスファイバーで作られ、地震の際には12トンの衝撃に耐える強度を持ち、津波に対しては決して沈むことが無い程軽 量である、と説明しました。
一台280,000円ほどですが、すでに1,500個が売れ、3カ月先の製造分まで予約が入っている、と語ります。
田中さんは2、3日であれば4人が水に濡れることなく、安全に過ごすことができる、と説明しています。見たところ、4人は小さい体である必要はあるでしょうが…

昨年沿岸の町石巻市で大災害を経験した鈴木邦雄さんは、早速この『ノアの方舟』を購入した一人です。彼は87歳になる母親の身の安全を 守るために買いました。いざというときにはまずは母親を最初に乗り込ませることになるでしょう。
鈴木さんはまだその安全性を試したわけではありませんが、後で後悔するよりはずっとましだと考えています。

田中さんの気持ちも同じです。田中さんは『ノアの方舟』を使わなければならないような場面が来ないことを願っています。
しかし、日本はいつ大災害が襲うかわからない国なのです。

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