福島第一原発の現場で作業を続ける方々を見守り、そして彼らのために声をあげましょう
昨日も福島第一原発で作業を続けておられる方々について書きました。
みなさんは臥薪嘗胆と(がしんしょうたん)いう言葉をご存知だと思います。
念のため、wikipediaからその項を引用します。
この中で呉王夫差は自らの意思で薪(まき)の上に寝る訳ですが、福島第一原発の作業員の人たちは望んでもいないのに薪の上に寝せられているようなものです。写真雑誌Fridayの緊急増刊号ではその様子が生々しく伝えられ、「別の火力発電所に行く」と家族に嘘を言って現場に来られた方もいらっしゃることが書かれていました。別の報道はこの作業員の方々の中には今回の震災の被害者の方も含まれ、家を失ったり、家族を失ったりしていながら、この過酷な現場で働いておられる方が何人もいらっしゃると伝えています。
海外のメディアがこの方々を「犠牲的(献身的)奉仕者」と呼んで、その勇気を称えて以来、私はなぜ国や東電がこの方々のために最大限の配慮をしないのか、理解に苦しんできました。
震災後一ヶ月半も経つのに、食べるものは相変わらずレトルト、インスタント。石巻や大船渡にはやって来る有名人などによる『炊き出し』も、ここには決してやって来ません。
簡易ベッドぐらい運び込めそうなものなのに、伝えられるように床の上にごろ寝させられているのがFridayの写真からも解ります。
しかも、被爆量の上限を250ミリシーベルトまで引き上げられた上、東電がきちんと被爆量の管理をしていない疑惑まで浮上して来ました。
この方々も私たちの多くと同じように、命令され、指示されてこの場にいるのです。
にも関わらず、現場の方は取材に対しこう語っています。
「私たちにできることなのだから、私たちがやる。」と......
福島第一原発の事故とその後の対応、引き起こされた放射能汚染により、日本は戦後65年にわたって積み上げて来た信用に傷が付きました。今後の東日本の復興においても、今後さらに福島第一原発による汚染が拡大した場合には災害地の復興と日本経済の立ち直りが著しく遅くなる、とも予想されています。
今の日本は将来の命運を、福島第一原発の現場で懸命に闘う作業員の方々に負っている、いや負うしか無いのです。
今日も、今この瞬間も、作業員の方々が危険と向かい合いながら懸命の努力をしている事から、私たちは目をそらさないようにしましょう。
そして国や東電がこの方々のために最大限の配慮をするよう、私たちはあらゆる場で声をあげて行くべきなのではないでしょうか?!
私たち日本人にそれができるかどうか、世界は見ていると思うのです。