ホーム » エッセイ » 【 虐待を受けた子供たちの救済に問題を抱える日本 】《後編》
児童養護施設が抱えるさまざまな問題について、内情を見ればそう簡単に答えを出せるものではない
現在の児童養護施設の多くは人間が普通に暮らせる場所ではなく、誰かが数日以上滞在すべき場所でもない
チャン-ラン・キム / ロイター 2017年6月22日
▽普通の生活空間ではない…
中には数カ月間一時避難施設に留め置かれる子どもたちもいますが、多くは両親のもとに戻ることが認められたり、他の児童養護施設に移動させられるまでの平均滞在日数は約30日間です。
ロイター通信は、東京周辺の33ヵ所の児童養護施設を取材のため訪問することができましたが、他の施設についてはプライバシーの保護を理由に断わられました。
最近訪問した横須賀市内の一か所の児童養護施設を訪問しましたが、内情を見ればこの問題に関してはそう簡単に答えを出せるものではないという事を痛感することになりました。
勉強時間を終えた男の子と女の子の一団が、広々としたラウンジになだれ込んできました。
1人の子がラケットを握って卓球を始めましたが、他の子たちはソファに寝そべって漫画を読み始めました。
こうした光景は日本の児童養護施設ではごくありふれた光景だと考えられていますが、中には例外的な施設があります。
壁やドアのほとんどが補修材でつぎはぎだらけになっている施設もあります。
職員の一人は壁やドアの破損の原因は子供たちが足で蹴ったり、パンチを叩き込むなどするためだと語りました。
この施設では子供たちが小声で会話することは許されず、職員が子供たちの会話の内容を常に把握できる様になっています。
▽ 自傷行為
9歳になる一人の少女が東京都内の別の施設で3ヶ月を過ごした後、ロイターの取材に応じました。
少女は母親に繰り返し叩かれる虐待を受けこの施設に保護されましたが、施設では度々叱られるなどして息が詰まりそうだと語り、こんなことなら早く家に帰りたいと話しました。
「テレビを見る時間はテレビを見ていなければなりません。おしゃべりするとこう注意されます。『まっすく前を見ていなさい!』」
少女がこう語りました。
この少女が収容された施設の職員の一人は、ここでは収容される子供たちの数が定員の125パーセントに達することがあり。そうなると子供たちを厳しく監視しなければならなくなるのだと語りました。
国立生育医療研究センターの社会心理医学部門の長を務める奥山牧子医師は、多くの子供たちにとって児童養護施設での体験が心的外傷へつながっていく可能性があると語りました。
ひとりの10代の少女は児童陽子施設に収容されていた際、性的虐待の被害者によく見られる自傷行為を行ったところ、心理療法やカウンセリングが施される代わりに、処罰されたと奥山医師に語りました。
福祉政策の改善策立案について日本政府から委嘱されている委員会の議長も務める奥山氏は、日本社会で里親制度がもっと普及拡大すれば、こうした問題の真の改善が実現されることになるだろうと語りました。
「これらの児童養護施設が現在のまま運営を続けていって良いものかどうか、考える必要があります。」
奥山氏がこう語りました。
「現在の施設は人間が普通に暮らせる場所ではなく、誰かが数日以上滞在すべき場所でもありません。」
http://uk.reuters.com/article/uk-japan-child-shelters-idUKKBN19D005
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虐待を受けている子供たちについていつも胸を衝かれるのは、それでも親をかばおうとする子供たちがいることです。
かつて私はこの【星の金貨】で子供たちの問題を度々取り上げる理由について、自分自身父親からの暴力の被害者だったからだと書いたことがあります。
私の場合は幼稚園に入るその前日まで、母方の祖母に預けられその羽飼の中で温められるようにして育てられたため、父親の暴力に強烈な違和感と抵抗感が持ちました。
しかし一方ではあきらめの気持ちも強くなっていき、その分自分の日常に常に暗い影がつきまとうようになりました。
私自身その影から完全に解放されたのは実に自分が50代も半ばになった、父親が他界した後のことでした。
子どもに暴力を振るうなど、子どもを育てるという人間として当然の能力の欠格者であり、無抵抗の相手を蹂躙する最低の卑怯者です。
世の中の大半の虐待されている子供たちは、物心ついた時から親の暴力に遭遇し、比較検討する術など持ちようがなく、親は自分が頼るべき存在以外のなにものでもないのだと思います。
だからこそたとえ日常的に暴力を振るう相手であっても、「がばう」以外の選択ができないのではないでしょうか?
壊れやすい心を持った子供たちを、虐待から救い出したのであれば、次に必要なのはこの記事にある通り、どうやってその心を救ってあげられるかという事だと思います。
国を良くするというのは、巨額の予算を投じて高性能の兵器や武器を買いそろえることではなく、弱い者を気遣い、丹念にケアしていく体制をこそ整備していくことだと思います。