ホーム » エッセイ » [オピニオン]かつては不正とされたこと、それは安倍政権下の日本では普通のこと《後編》
安倍政権支持者は全体の3分の1以下、しかもその半数は「他に選択肢がないから…」
深まる日本人の政治に対する嫌悪感、しかしこれは安倍首相にとってむしろ好都合
中野晃一 / ニューヨークタイムズ 2018年6月11日
しかし日本における二大政党制実現へのアプローチは、制度的欠点を露呈しただけに終わりました。
特に2012年12月に安倍氏が政権に返り咲くことになった選挙で…。
自民党が政権の座を追われるきっかけを作った2009年の選挙の時よりもさらに低い得票率しか得られなかったにもかかわらず、自民党とその連立与党は国会において大多数の議席を確保することとになったのです。
政権を手にすると、安倍首相はそれまで直接的な政治の影響を受けるべきではないとされてきた国の重要な役職、日本銀行総裁やNHKの会長などまで自分の思い通りにするようになったのです。
さらに与党自民党は国会における野党の質問時間を減らすなど、行政府に対する立法府の検証権限を押さえ込む挙に出たのです。
こうして首相官邸にこれまでにないほど大きな権限を持たせると、安倍首相は次に国防問題をはじめとする賛否両論が激しくぶつかり合う一連の法律の制定に着手しました。
日本の政界で再び縁故主義と癒着が力を持つことになってしまいました。
今日問題となっているスキャンダルは、1970年代のロッキード贈収賄事件や1980年代後半のリクルートスキャンダルに比べるとやや小規模のようにも感じられます。
しかし最近明らかにされた安倍首相という個人を守るために日本政府という公的機関内に隠蔽体質が蔓延するなどという事態は、かつては見られなかったことであり、かつてないほど日本の統治構造全体の正当性が損割れていることを象徴するものです。
こうした事態に、なぜ目立った抵抗がなかったのでしょうか?
最初にあげられるべき理由は、この横暴な政権に責任ある行動を求めるには分裂している野党の力が弱すぎるということです。
昨年秋に安倍首相が突然の解散総選挙実施に踏み切った最、新たな政党「希望の党」を立ち上げて安倍政権に対抗しようという愚劣な戦略を行動に移した結果、野党勢力は以前にも増して分断された状態に陥ってしまいました。
6月10日に投票が行われた新潟知事選挙では、野党側の統一候補が県民の75パーセントが反対している柏崎刈羽原子力発電所の再稼動反対をスローガンに選挙戦を戦いましたが、自民党が支持する候補者に敗れる結果となりました。
野党が自民党の一党支配を脅かすほど大きな政治力を持たない限り、自民党内での反安倍勢力の台頭も期待できない状況にあります。安倍晋三首相は今年9月のに自民党総裁として3期目を目指す意向ですが、自民党内にはその政権管理能力に対する不満の声は聞こえてくるものの、有力な対立候補が見当たりません。
近年安倍氏の支持率はスキャンダルが付いたこともあり一定しません。毎日新聞社が行った世論調査では、安倍政権を支持するのは全体の3分の1に届かず、48%の回答者は支持しないと回答しています。
しかも支持すると答えた人の半数近くが、他に明確な選択肢がないということを理由を挙げています。
これだけでも悪い状況ですが、安倍首相の支持の風化はなお悪いものです。
国民は怒っているよりも嫌悪感を持っています。
その結果、日本人の政治に対する無関心は尚一層進むことになってしまいました。
しかしこれは安倍首相にとってむしろ好都合です。
具体例を挙げれば、6月10日の新潟県知事選挙では、自民党が推す候補者は3%の僅差で勝利しましたが、選挙自体の投票率は約58%という低いものでした。
最近まで多くのスキャンダルがありましたが、すべての事実を秋ランにすることが難しくなっています。
南スーダンの(そして数年前のイラクでの)日本の平和維持活動部隊の記録は防衛省から消滅し、情報本部にその存在が確認されただけでした。
包括的な労働改革法案の事実上の根拠となるはずの職域調査の結果を厚生労働省が改ざんしていることが明らかにされました。
そして森友学園の土地取引の複雑な経緯は、日本のメディアが大学のアメリカンフットボールの違法なタックルや大金持ちの遊蕩人の不審死といったよりセンセーショナルな話題を一斉に報道することによって脇に追いやられてしまいました。
イデオロギー的な理由、すなわち憲法を改定するの共通の目的の下、安倍氏を擁護しようとしていると思われる保守的な報道機関は、その役割を果たしてきました。
例えば読売新聞は深刻な国政運営についてではなく、不祥事で国会が空転していると野党側を批判しました。
森友学園の土地売買事件のように、ある政権が大規模な隠蔽工作を行ったことが現行犯で明らかになった場合、かつての時代なら主流メディアは足並みをそろえてこう叫んだことでしょう。
麻生財務大臣の継続はもう支持できない!
透明性と説明責任という民主主義の大原則は、ここアメリカにおいても確立されたものではなくなり、公の議論における共通言語ではなくなってしまったようです。
この点において安倍政権もトランプ政権も大差ありません。
日本でもかつては不正義であったはずのことが、今では日常的な出来事になってしまいました。
《完》
中野晃一氏は上智大学の政治学の教授です。
https://www.nytimes.com
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いまや日本の政権はトランプ政権に『完全隷属』としか言いようのない有様。
しかもそのトランプの安倍首相に対する態度を見ていると、軽んじている、などという表現はまだマシな方で、鼻であしらっている、パシリに使ってるというあたりが本音かもしれません。
しかしそのトランプが我々にとって極めて危険なのは、その頭の中に『基本的人権』などという概念が無いだろう、ということです。
いま、不法移民の親子をバラバラにして収容していることが世界的に問題になっていますが、これを見ても、これまでの言動を振り返ってもトランプという人間が富や権力を持たない人間には無関心だということが察せられます。
そういう意味では日本国の安倍総理大臣と同類であり、「アメリカ・ファースト」も「この国を守りきる」のも一体誰のため、何のためなのか、一般市民の健全な生活を守るということが意識の中にあるのかどうか、極めて疑問です。