宮城県の米所、大崎平野の西部で、中規模の米作り農家を兼業している会社員の友人の顔色がこのところ冴えません。
「せっかく植えた米、ちゃんと収穫できんのかなぁ?」
ちゃんと米ができるかどうか、と言うのではありません。
それというのも、茨城や福島の農産物の一部から放射性物質が検出された上、神奈川県南足柄市で収穫した新茶の生葉から、新潟県では村上市産のツボミナ1点から放射性ヨウ素が、などこれまで「汚染されていないはず」の地域の農産物から放射性物質が検出されているからです。
宮城と福島は隣県同士、新潟や神奈川に起きた事が、宮城では起こりえない、と考える方が無理があります。
私たち農産者でなくとも福島第一原発から100km内外の距離で暮らす人間は、いつも頭の上に糸で吊るされた大きな包丁があるような落ち着かない、不安な日を送っています。
いったいどうなっているのでしょう?
実は東京電力は解らないが半分、そして外に対する広報に関しては、触れなくていいなら触れたくない、というのが半分、それが本音なのではないでしょうか。
東北大学工学部に通う我が家の長男は、大学でいくつか『原子力』に関する単位を取得していたので、意見を聞いてみました。
「(原子力が)実用化されて高々50年程度では、まだまだ解らない事がたくさんある。」
という答えでした。
そう言えば、第二次世界大戦の終了前後、アメリカがアリゾナ砂漠かどこかで原爆実験を行った際の事です。数百名の陸軍の兵士を爆心地近くに『塹壕』を掘って待機させ(核シェルターなんかじゃありませんよ)、爆発直後に爆心地に向かって『進撃』させた記録映画を見た事があります。その後、兵士たちの身に起きた恐ろしい結果と広島・長崎の『原爆症』により、人類は放射能汚染の恐ろしさを知ったのです。
福島第一原発の一号機では、やはりメルトダウンが起きていました。しかし、記者会見で記者が「メルトダウンですよね?!」といくら追求しても、東京電力側は「燃料棒が溶けて下にたまっていますが...」とは答えるものの、決して「メルトダウン」とは言いません。明らかな敗北を「戦略的撤退」と強弁するのに似ています。
日本、いや世界の人々が求める「科学的客観性」はあるでしょうか?
福島第一原発の事故直後、日本はアメリカやフランスの事故処理「協力」の申し出を、「自分たちで処理できるから」と言って断りました。
日本の電機メーカーを中心に、原発プラント輸出国である日本、しかし韓国が急速に追い上げてきています。
「ここで外国の力を借りてしまったら、今後日本は世界に原発を売って回る事ができなくなるのではないか ?! 」
という思惑は働かなかったでしょうか?
しかし、結果として福島第一原発の事故は
1. 周辺国のコンセンサスを得る前に高濃度汚染水を海洋投棄
2. 「できる」と言いいながら、未だ安定化の見通しを立てられない
ことによって、日本人の「信用」をズタズタにしました。
そして国内では福島沿岸の実に10もの市町村を、一時的かもしれませんが「廃市廃町廃村」にしてしまっています。
東日本大震災は「関東大震災に広島原爆投下を加えた程の惨禍だ」という記事を読みました。
しかし、10の市町村をだめにしてしまうとは、もはや福島第一原発の事故は地震・津波の東日本大震災と切り離して、それだけで巨大な災害として認識すべき段階に来てしまっているのではないでしょうか。
地震・津波だけでも未曾有の災害なのに、その被災者をさらに苦しめ続ける巨大な悪魔。
でもそれを作り出したのは何なのか、わたしたち日本人全員が『科学的』に考え続けなければならないと思います。