ホーム » エッセイ » 未だ現実にならない「3.11後のあるべき日本の姿」[インデペンダント]
【 再稼働のスイッチを、がっちりつかんで離さない日本の電力業界 】
いけにえの町「どうして私たちに、こんな役回りが巡って来たのか…」
デイヴィッド・マクニール / ザ・インデペンダント(英国)6月12日
日本の原子力発電所は福島第一原発が大事故を起こして以来、次々と停止し、現在稼働中のものはありません。しかし、日本政府はここに来て、虎視眈々と原子炉の再稼働を狙っています。
「電力業界は原子力発電所の建設地として、最も美しい自然がある場所ばかりを選んだのです。」
こう語るのは宮崎時空さんです。
この大飯周辺の景色を見渡すと、彼の話にうなずかないわけにはいきません。
京都や大阪といった繁華な街を遠くに追いやるように、山並みは連なり、水田が広がっています。そこから遠くない場所に小さな漁業の町、おおい町は、ごつごつした岩に囲まれた入り江に臨んで、ひっそりとうずくまっています。
絵葉書のように美しい景色の中、オレンジ色の高圧電線鉄柱とケーブルが、小高い場所にある4基の原子炉を擁する大飯原子力発電所に向かって伸びている、その姿だけが浮き上がっています。
1970年代に入るとこれらの送電線は、日本で2番目の規模の人口と工業設備を持つ、広大な関西地区に電気を送るようになりました。
その見返りは大きなものでした。
人口がたった8,800人のこの町に潤沢な原発マネーが流れ込み、経済的な繁栄を謳歌することになったのです。
新しい学校、近代的な病院、そして豪華なレクリエーション・センターが次々と建設
されて行きました。
そしての両側には温泉保養施設と野球場が、電力会社から寄贈されました。
しかし空前とも言える景気の良さを演出していた大飯原子力発電所は、昨年、福島第一原発で大事故が発生して以来、稼働停止状態が続いてきました。
前出の宮崎さんは、長い間日本における原子力発電に対する反対運動を行い、大飯原子力発電所の再稼働に強く反対している人々の中の一人です。
「私は原子力発電近くで暮らすことについて、良い印象を持っていませんでした。しかし、3月11日に襲った巨大地震と巨大津波が、福島第一原発の3基の原子炉でメルトダウンを引き起こすまで、原子力災害というものがいかに恐ろしい事態を引き起こすのか、必ずしも理解していたわけではないのです。」
この25年間で最悪の原子力災害となった、福島第一原発の大惨事が巻き起こした衝撃波は地球全体を駆け巡り、ドイツ、イタリア、スイスなどで、原子力発電からの全面撤退を決心させることになりました。
日本では200,000人規模の人々が故郷を追われ、家を捨て、避難を強いられることになりました。
そして東京の西250マイル(約400km)の場所にあるこのおおい町が、国家的規模で果てしない議論を続けながらも、結論の出ない、誰にとっても苦々しい印象を持たざるを得ない場所になってしまったのです。
原子力発電に反対する人々が、町の中でキャンプを続けています。
スーパーマーケットは、報道関係のリポーターなどが停止中の原子炉に関する意見を求め、店内で顧客にマイクを突きつけたりしないよう、警告する文書を貼り出しました。
そしておおい町役場のすべての電話が、一日中鳴りっぱなしの日々がやって来ました。
たくさんの抗議、大飯原発は再稼働するのかどうか、するとしたらいつなのか、等々。
「どうして私たちにこんな役回りが巡って来たのか、どうしたら良いのかわかりません。」
おおい町の広報を担当する、猿橋やすふみさんがこう嘆きました。
ことが政府の思惑通りに進めば、おおい町は停止中の原子炉が再稼働される、初めての「地元」になります。
8日金曜日、野田首相が「安定した電力供給を行うために、大飯原子力発電所の2基の原子炉をぜひとも再稼働させる必要がある。」と語った様子が、全国にテレビ放映されました。
しかし日本政府が、大飯原子力発電所から電力の供給を受けているとはいえ、周辺の自治体から再稼働への合意を取りつけるためには、困難な道のりをこなさなければなりません。
おおい町はこの地球上でも、最も多くの原子力発電所が集中する地域に含まれています。
日本海海岸のたかだか50kmの範囲に、4か所の原子力発電所に13基の原子炉が集中する、その名も『原発銀座』として知られる場所です。
さらに海岸線を北上すると、そこにあるのは世界最大の発電能力を持つ、7基の原子炉を擁する東京電力柏崎刈羽原子力発電所です。
2011年3月以前日本国内に50基ある原子炉は、福島第一原発の国内の電力需要の3割を供給していました。
それらの原子炉は定期点検、あるいは安全上の懸念から一基ずつ停止していき、1970年台以降初めて、稼働原子炉がゼロの状態が現出したのです。
原子炉を再稼働する前に、関西電力はストレステストに合格し、地元自治体の了承を得る必要があります。
原子力発電に反対する一人、中島てつえんさんは、世界の巨大地震の5分の1が集中する日本の国土で、安全な原子力発電所などと言うものはあり得ない、と語りました。
中島さんが最も懸念するのは、関西地区の1,500万人に生活用水を供給している琵琶湖が汚染されてしまう事です。
しかし中島さんのような意見は、おおい町では必ずしも共感を得ているわけではありません。
NHKが5月に行った調査では、64%の町民が停止中の原子炉の再稼働を支持しており、反対している人々は28%に留まっています。
しかし大飯原子力発電所から10kmにある小浜市では、55%が再稼働に反対しています。
福島第一原発の事故の後、多くの日本の人々が脱原発を口にするようになりました。
しかしおおい町町民の意見は、大飯原子力発電所の再稼働を求めるだけにはとどまりません。
「日本には原子力発電が必要なのです。」
この地で小規模な事業を営む井出いしのぶさんがこう語りました。
「この国には資源がほとんど無いのですから。」
もし原子炉を再稼働させなければ、長く暑い夏を耐え忍ばなければならない、数百万の関西地区の住民がずっとこのように警告を受け続けて来ました。
しかし前出の猿橋さんは、次のように語りました。
もし日本の夏の内最も暑い日、8月15日まで原子力発電所を稼働させずにいることが出来れば、国民は原子炉の再稼働が無ければ日本は立ち行かなくなる、という原子力業界、財界などの脅しが、はったりに過ぎないことを、その目で確かめることができるはずです。
「福島第一原発の事故の後、日本の中で何かが大きく変わりました。」
「しかしそれが何なのか、私たちはまだ見ることが出来ずにいるのです。」
http://www.independent.co.uk/hei-fi/entertainment/japans-power-hub-braced-for-big-switchon-7843894.html?origin=internalSearch
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昨日は日本の脱原発実現のため、本当の民主主義実現のため、ひとり一人が声を上げる必要がある、と書きました。
と同時に、実際に戦っている人々を護り、支えていくことも大切です。
先ごろ民主党を離党された平智之議員、自民党内でたった一人脱原発を明言されている河野太郎議員、長く脱原発を訴え、再生可能エネルギーの活用を主張されてきた日本共産党の吉井英勝衆院議員、そしてこの【星の金貨】でご紹介した、脱原発運動に30年間取り組み続け、68歳の今も「戦い続ける」とおっしゃる宮城県女川町の高野町議( http://kobajun.biz/?p=1324 )のような方々を、しっかり支えていきたいものです。
それでなくとも、海外のメディアが口をそろえて表現する「強大な政治力を持ち続ける、日本の原子力ロビー」が、国民の声と希望を封じ込めている現実が目の前にあります。
今回の記事に出てくる猿橋さんや上記のような方々が受けている『圧力』は、相当なものがあると思います。
こうした方々は、それに耐えて日々戦っていらっしゃるのです。、
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【2012年の夏がやって来た】
アメリカNBCニュース 6月21日
アメリカの首都ワシントンにあるヤーズ公園で、水の壁につっこむ少女たち 6月21日
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半分沈没しているコスタ・コンコルディアを、再び水面上に浮上させるための準備作業が今週開始された。 6月20日
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テネシー州メンフィスにあるチャーリー・モリス親水センターにて。 6月19日