ホーム » エッセイ » 実録『トモダチ』作戦・第2部「東京電力、日本政府の官僚は、汚染されてしまった人間の苦しみ、怒りを知れ!」[第2回]
「努力して積み上げてきた大切な人生」
ハフィントン・ポスト 2月11日
マイケル・セバーンは誰からも望まれず、この世に生を受けました。
近所の人々も誰も彼には近寄りたがらず、このままでは将来刑務所に入るか、どこかでのたれ死ぬことになっても、誰も残念に思わないような人間でした。
そんな彼が出会ったのがアメリカ海軍でした。
「私の母親は麻薬中毒患者で、父親は私が1歳8ヵ月の時、売人から麻薬を盗み取ろうとして殺されてしまいました。」
セバーンがこう振り返りました。
それから私たちは、サウス・カロライナ州チャールストンの低所得者用の公営住宅で暮らしていました。
「継父は私を虐待し、母親が働いて得た金をすべて麻薬とアルコールにつぎ込みました。
私は栄養失調で、体重も不足していました。」
彼は5歳になると祖父母のもとに引き取られましたが、ふたりとも2年後に亡くなってしまいました。
今度はインディアナ州の寂れた街ゲリーの、中でも主に貧しい白人が暮らす地区にいた叔母の下に引き取られました。
「私は自分の人生において、成し遂げられることなど何も無いと思っていました。」
セバーンはこう語りました。
「貧しい暮らししかしたことが無く、大学進学などはもってのほかでした。」
「高校卒業後工場で働いたこともありますが、長くは勤めることができず、3ヵ月間ホームレスの暮らしをした事もあります。
一台のトラックの中で暮らし、夜はウォルマートの駐車場に車を停めて寝ていました。」
彼は再び叔母の下に戻りました。
しかしその素行は収まらず、常に最悪の選択を行い、「警察の厄介になったこと」も2度程ありました。
「新しい世界に踏み出したかった…」
「夢中になれることなど何も無く、とにかく人生の仕切り直しをしたいと思っていました。」
彼が軍に入隊するのはどうかと叔母に相談を持ちかけた所、彼女はキッチンに飛びこんで車のキーを取り出し、こう答えました。
「レッツ・ゴー!」
2日後、彼は入隊しました。
グレートレイク海軍訓練基地での彼の成績は優秀でした。
そして希望の任務について尋ねられたとき、彼が選んだのは管理部門でした。
「歯車がうまく回り始めました。」
彼は1993年、正式に海軍で任官しました。
「ようやく、生きていくための誇りを手に入れたのです。」
彼は生きがいを見つけ、その後は何もかもうまく行くようになりました。海軍勤務こそは、自分が必要としていたものだった、彼は心からそれを思いました。
「自分にも居場所がある、そう感じたのは生まれて初めてでした。」
彼は得たものは居場所だけではありませんでした。
17年前、彼は日本の三沢にある海軍航空基地に着任しましたが、そこでの生活にも満足していました。
努力してヘリコプター部隊の整備主任にまで昇進し、彼は充実した日々を送っていました。
やがて彼は日本人女性と結婚、そして男の子が生まれたのです。
彼は地球を半周し、サウス・カロライナの麻薬の巣窟から完全に抜け出すことに成功しました。
今や彼は誰が見ても、誇り高き海軍軍人以外の何者でもありませんでした。
モーリス・エニスは、ミネソタ州のフロストベルトにあるロチェスター生まれの背の高い大柄な子供で、その生活はスポーツとフィジカル・トレーニングを中心に回っていました。
「200メートルと400メートル走の選手で、いつもロチェスターのセンチュリー・ハイスクールの陸上トラックを走っていました。できればずっと続けたいと思っていました。」
アメリカ海軍空母ロナルド・レーガンの航海士モーリス・エニスは、ハワイ基地に所属しています。
「高校時代の私のコーチは海軍出身で、従軍している間も協議を続け、世界中を回った経験がありました。」
エニスにとってそれは非常に魅力的な人生に思えました。彼もまた海軍に入ることを考え始めました。
「19歳になった時、私たちは採用事務所に行き、海軍に入ればどんな機会が与えられるか尋ねました。そして私は入隊を決意したのです。」
「正しい決断だったと思います。ある意味では、救済ですらありました。目的が無いまま生きていた私に、海軍は時間の大切さ、そして物事を成し遂げることの充足感を教えてくれました。」
「いったん任務に就けば、もうよけいなことをしていられる時間などありません。しかし何を優先すべきか学んだおかげで、自由な時間が丸々24時間あっても、私はその時間を有効に使えるようになりました。」
「私は、海軍で本当の成長を成し遂げたのです。海軍には陸上競技場も運動場も無かったので、私は航海術と主計総監の任務を選びました。
航海術には天体を基準にして位置決定を行う伝統的な方法と、数学とコンピュータを使った新しいやり方の両方があります。
これらすべてをマスターしなければなりません。
海図を使い、そして衛星を使って初めて、今我々がいる正確な場所を特定できるのです。」
そして恋も始まりました。
ジェイミー・プリムが育ったのはおよそ雪とは縁の無い、することといえばまず泳ぐこと、カリブ海の沿岸であり、彼女はそこでの暮らしを満喫していました。
そこはフロリダ州セント・オーガスティン、アメリカでもっとも古い町のひとつであり、そこで生まれ育った彼女はジャクソンズビル大学に進学し、2年間音楽を専攻しました。
得意な楽器はバスーンでした。
「私は音楽を一生続けたいと思っていました。でも仕事にはしたくなかったので、大学を中退し、幼稚園の保母さんとしてゲインズヴィルにある幼稚園で働き始めました。でもすぐに大学を中退したことを後悔しました。でも、中退と同時に奨学金も打ち切られ、大学に戻っても専門の学科に進むためのお金がありませんでした。」
ジェイミーとモーリスはグレートレイクス訓練センターで同じクラスになり、訓練が終わるころには恋人同士になっていました。
「私は自分が何をしたいのか一生懸命考えていました。その時主計総監の任務について知ったのです。主計総監は艦艇の指令室で働き、航海全体についても責任を持っています。私はそれに決め、署名しました。」
〈 第2部・第3回へ続く 〉
A Lasting Legacy of the Fukushima Rescue Mission: Part 2: The Navy Life – Into the Abyss
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生きるということは、とりもなおさず自分の人生を作っていく、という事です。
そこから考えると、人生で最悪の出来事、それは築いてきた人生を壊されることでは無いでしょうか?
それも理不尽に。
この記事を読むと、福島第一原発の事故のひとつの側面として、経産省などの官僚と東京電力の職員たちが「自分の身を守るため」、もっと言うなら我が身かわいさで大勢の住民やトモダチ作戦に参加した兵士たちを被ばくさせた、そのことが透けて見えます。
福島第一原発の事故、最もやりきれない部分のひとつです。
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【 春の兆し 】
アメリカNBCニュース
(掲載されている写真は、クリックすれば大きな画像をご覧いただけます)
雪の中から現れたクロッカスのつぼみ。ドイツ、ベルリン動物園、3月17日。(写真下・以下同じ)
親鳥がエサを持って戻るのを待つね生後2〜3週間のヘビウのひな。フロリダ州パームハーバー、3月17日。
タンパベイ・チャンビオンシップ3日目、10番ホールのフェアウェイでリスと会話(?)するジャスティン・レナード(米)。フロリダ州デルレイビーチ、3月16日。
咲いたばかりのクロッカス。ドイツ、ハンブルグ市内のロキ・シュミット庭園、3月16日。
公園のベンチでひなたぼっこをする女性、ドイツ、マインツ市内、3月5日。
朝日を浴びながらエクササイズに励む女性。プリムローズヒル、ロンドン、3月4日。
雨の後のクロッカス。英国ロンドン郊外のキュー庭園、3月1日。