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実録『トモダチ』作戦・第2部「東京電力、日本政府の官僚は、汚染されてしまった人間の苦しみ、怒りを知れ!」[第3回]

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所要時間 約 10分

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東日本大震災の被災地への出動命令、その先に現れたのは…
「事故は見たことも聞いたことも無い、そして考えたことも無い、最悪の状況に向けひた走っている…」

ハフィントン・ポスト 2月11日

USS RL
航海術 – 運行指示は特に航空母艦においては重要です。
他の艦種であれば、航海士たちは風や海流を確認しながら、最短最速の航路を取ることは難しいことではありません。
危険が迫っていれば、たとえば放射能雲がゆっくりと近づいてきている場合などは、その極めて重要になります。

航空母艦に乗った航海士たちには、それ程の余裕はありません。長さが400メートルもある飛行甲板を持った巨体は絶えず波にもまれ、その両端は上がったり下がったり傾いたりしています。
何がやって来ようとも、任務行動の間はできるだけ穏やかな海域を探し出し、艦を安定させなければなりません。
航空機が発進した後には、そこに留まり、帰還の際迷わないようにしなければなりません。

しかし風に乗って放射性物質が、そして放射能雲そのものが近づいて来るような場合、空母はこの点で頭を抱えることになります。

しかし訓練を終えたばかりで、南太平洋にある基地で空母USSロナルド・レーガンの操舵手、そして航海士として任務に就いた彼らは、自分たちの先にそんな問題が待ち構えていようとは、夢にも思ってはいませんでした。

「楽しいことがたくさんありました。私たちは始めは友人同士になり、やがてデートを重ねるようになりました。」
ジェイミーが当時を振り返ってこう語りました。

そして2011年3月11日、韓国の港に停泊中だったUSSロナルド・レーガンを旗艦とする第7艦隊空母機動部隊に対し、津波に襲われた日本の東北地方への出動命令が下ったのです。

Strike Group 7
「任務が変更され、日本へ救援活動に向かわなければならなくなったことは、すぐに全員に伝わりました。」
ジェイミーがこう語りました。
「翌朝午前5時には現場に到着していなければなりませんでした。」

「我々は、福島第一原発がどうなっているか知りませんでした。」
モーリスが当時をこう振り返りました。
「日本で今何が起きているか、インターネットや電話のような外部との接触手段は無かったのです。私たちに解っていたのは、何かとんでもない危機が発生したという事だけでした。本国から艦長に対し、現場には放射能汚染の危険性があると伝えてくるまで、原子力発電所の事は頭にありませんでした。本国から連絡が入って初めて、私たちはそこに放射能漏れが起きていることを知ったのです。」

▽ 未知なるもの : 放射線

『トモダチ』作戦は在日アメリカ大使館の救援要請を受け、東アジア・太平洋地区担当のカート・キャンベル米国務次官補により開始されました。
彼はすぐに当時の原子力規制委員会のグレゴリー・ヤッコ委員長、統合参謀本部議長の海軍提督マイク・マレンからなる緊急対策チームを編成し、状況が悪化する一方だった日本の状況について逐次オバマ大統領に報告を行うようにしました。

作戦は福島第一原発の6基ある原子炉のうちの1基、1号機が放射性物質を大気中に放出し続け、状況が一層困難さを増す中で開始されました。
1,535個の核燃料容器が使用済み核燃料プールに沈められたままになっている4号機を含め、残る5基のうち3基が引き続き事故を起こす可能性がある危険な状態が続いていました。

NYT05
3月12日、USSロナルド・レーガンを旗艦とする第7艦隊空母機動部隊が福島県の3キロ沖合に到着した時、福島第一原発の原子炉1号機が爆発を起こしました。
続いて3号機が爆発を起こし、排気装置を共有していた4号機の原子炉建屋を吹き飛ばし、使用済み核燃料プールが雨ざらしの状態になってしまいました。
この後3月15日に2号機が爆発を起こすまで、東京電力は1、2、3号機の核燃料は損傷を受けていないと言い張ることになります。

事実はそうではありませんでした。

高温によって溶けだした核燃料が圧力容器の底を溶かして穴を開け、そこからしみだしてさらに格納容器の底にも穴を開けていたのでした。
この時日本政府は、事態がすでに手が付けられない状態に陥ってしまっていることを、認めようとはしませんでした。
自衛隊に命じ、破壊された4号機原子炉建屋の上から継続的に使用済み核燃料プールの中に注水を行い、核燃料プールが火災を起こさないようにすべきでしたが、それもしませんでした。
日本の代表紙である朝日新聞は、この時の日本政府とワシントンに有る日本大使館との交信記録を手に入れました。
日本大使館の藤崎大使はこの時マレン国務次官補に対し、原子炉の冷却を行うため自衛隊が出動する予定であると伝えていました。

4号機
「アメリカ軍は4号機も危険な状態にあると判断しています。とにかく原子炉を冷却するため、自衛隊の出動を含め、とれる手段はすべてとる必要があります。」
交信記録にはこうあります。
「アメリカ側には、原子力発電所の事故に対し、対応策が数多くあります。大統領も現在の事態を深く憂慮しており、…」

原子力規制委員会で、ジャック・グローブは危機対応チームを率いて、24時間臨戦態勢のオペレーション・センターに詰め、ヤッコ委員長や日本に派遣されているチームともいつでも会議を開けるようにしていました。
彼らが用意していた想定、長年信じても来た1か所の原子力発電所で複数の原子炉がメルトダウンする事態は起きえないとする想定は、相次いだ爆発により文字通り吹き飛ばされてしまいました。
そして原子炉建屋の存在が、放射性物質の拡散を防ぎ、一般市民の被ばくを防ぐという想定も怪しいものになってきました。

原子力規制委員会の編集による会議の議事録を見ると、特に4号機の原子炉建屋が爆発によって破壊された後、グローブが苛立たし気にこう語ったことが記録されています。

「原子炉格納容器の損傷による放射性物質の漏出は、今やまぎれもない事実になってしまった。」

「つまり事態は、考えもしなかった最悪の状況に向けてひた走っているという事だ。しかもその最悪の状況とは、見たことも無ければ聞いたことも無い、考えたこともない程悪いものになる可能性がある。」

しかし、原子力規制委員会が毎日開いた記者会見で示した見解は異なっていました。
一般市民に対し、危険が及ぶことは無いとしていたのです。

米軍23
そして高波と戦いつつ作戦を続行している海軍の艦艇、そして地上の基地で働く要員たちは、自分の身は自分で守らなければならない状況に追い込まれていました。

〈 第2部完・第3部「まとわりついて離れない、放射能汚染の恐怖」へ続く 〉

A Lasting Legacy of the Fukushima Rescue Mission: Part 2: The Navy Life – Into the Abyss
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今日で3回に分けてお送りした第2部の掲載を終了し、次週4月1日月曜日から第3部「まとわりついて離れない、放射能汚染の恐怖」の掲載を開始します。

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【 彗星写真傑作選 】

アメリカNBCニュース 3月
(掲載されている写真は、クリックすれば大きな画像をご覧いただけます)

息子と一緒にパン・スターズ彗星を見る写真家のクリス・クック。この写真はリモート・シャッターを使ってかれ自身が撮影したもの。アメリカ、マサチューセッツ州。2013年3月13日。
(写真下・以下同じ)
space 1
カリフォルニア上空、2013年3月12日。
space 3
プエルトリコ上空、2013年3月5日。
spce 4
チリ上空(欧州南天文台パラナル観測所)、2013年3月7日。
space 5
ティアラ・デル・フエゴ山地上空、アルゼンチン、2013年2月26日。
space 6
国際宇宙ステーションの中からNASAの宇宙飛行士が2011年11月に撮影。
space 7
彗星マクノートC/2006のP1は、ここ数年で最も写真うつりのいい彗星のひとつでした。2007年1月上旬に北半球でたっぷりと見せ場を作った後、彗星は今度は南半球の観測者たちを感嘆させた、長くて変わったダストの尾を披露しました。
2007年1月、チリのサンチァゴ上空。
space 8

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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