ホーム » エッセイ » 国際ホロコースト記念日:罪悪感の問題ではなく責任の問題
日本・イタリアとは対照的に、ドイツはファシスト国家としての過去に正面から向き合った
多くの人が認めたくなくても、ホロコーストはドイツ人のアイデンティティにとって不可欠な部分
フェリックス・シュラークヴァイン / ドイチェ・ヴェレ 2019年1月27日
ドイチェ・ヴェレのフェリックス・シュラークヴァインは、自分たちの世代はホロコーストに関する知識を十分に持ちつつ成長したと語っています。
しかし我々は今日、ホロコーストについてもっと語り合う機会を増やす必要があります - 特に多くの人々にとって人間性に反するという点について
ハンス・ピーター・リヒターによる1961年の小説『フリードリヒ』は、2000年代の初めに小学校6年生の時のドイツ語教科のカリキュラムにありました。
この物語の語り手は、ナチス政権の下で暮らす若いドイツ人の少年です。
少年はユダヤ人の隣人と親友の運命について語ります。
ドイツでのユダヤ人迫害の歴史をはっきりと自分の意識の中に取り込んだのはこれが初めてでした。
「ナチス政権当時はユダヤ人だった…、そして今日においては黒人たち。さて生徒諸君、将来迫害を受けるのは白人、キリスト教徒、あるいは公務員かもしれないのです…」
この本の序文はこう述べています。
「公務員?」
11歳の私はそのとき、自分自身にこう問いかけました。
しかしそのとき私は突然、そこに綴られた言葉の意味の大きさに気が付いたのです。
その時からナチス政権時代とホロコーストの歴史は私の頭から離れなくなりました。
これらの問題は常に私の頭の一部を支配し続けることになりました。
歴史の授業はもちろん、ドイツ語、英語、フランス語の授業でも。
私たちは映画『シンドラーのリスト』、あるいは『ライフ・イズ・ビューティフル(人生は美しい)』などによって、ユダヤ迫害の史実を目の当たりにしました。
あるいは演劇を見たり、博物館、資料館、メモリアル施設を訪れることもしました。
そして私たち家族は、夕食の席でよくこの問題についいて議論を行いました。
そして夜が更けるまでテレビで放映されるドキュメンタリーや長編映画に見入っていました。
そうした私たちにとってのいわば常識が、今日に別のものになってしまったとは想像もしていませんでした。
しかし事実はそうだったのです。
私の祖父母世代・戦後の世代にとって、ホロコーストについて口にすることはタブーでした。
かつてのナチス党員たちは依然として裁判所、政府省庁、学校の教室、大学、そして自宅のソファなど、どんな場所にも存在していました。
戦争が終わって最初の20年間は沈黙しているしかなかったのです。
世代交代が終わってナチスとは無関係の世代が取って代わった1968年、単刀直入に質問することが可能になったのです。
「あの当時、一体何が起きていたのですか?」
▽ ホロコーストはドイツ人のアイデンティティの不可欠な要素のひとつ
一方の私は、ナチス独裁政権とホロコーストに関する知識を深めながら成長しました。
そしてそれは私のアイデンティティにとって欠くことのできない部分を構成することになりました。
多くの人がそれを認めたくないとしても、それは一般的ドイツ人のアイデンティティにとっても不可欠な部分です。
かくいう私にとってもホロコーストに関する報告書や画像は、それほ事実として受け入れるにはあまりにもシュールで現実離れしたもののように感じられました。
「そんな恐ろしいことが再び繰り返されるなどということがあり得るでしょうか?何もかもが非常に恐ろしいことであったことは誰もが認めているはずなのに?」
人間であれば誰しもがそう考えるでしょう。
しかし、そうした世界は善意で結ばれているかのような見方は考えが甘いというだけてでなく、非常に危険ですらあります。
政治制度は不変ではありません。
そして政治体制の変更は、必ずしも劇的転換だけによるとは限りません。
それはむしろ少しずつ進行するため、手遅れになるまで気付かないことが数多く繰り返されてきました。
私たち世代の人々は平和な時代しか知らなかったとしても、このような事実があったことを意識する必要があります。
1945年以降もヨーロッパでは戦争が起きました。
1945年以降、そして世界もまたルワンダ、カンボジア、ミャンマー、そしてヨーロッパの西の端のバルカン半島など、世界中で数百万もの人々
が殺害されました。
どうしてドイツでは二度と起こらないと保証することができるのでしょうか?
政治史教育は過去の悲劇の繰り返しを避けるために、確かに重要な要素です。
イタリアや日本とは対照的に、ドイツはファシスト国家としての過去に正面から向き合いました。
▽ 罪悪感の問題ではなく、責任の問題
政治史教育は過去の悲劇の繰り返しを避けるために、確かに重要な要素です。
イタリアや日本とは対照的に、ドイツはファシスト国家としての過去に正面から向き合いました。
にもかかわらず、現在のドイツの姿を見ていると心配になるばかりです。
シナゴーグや他のユダヤ人施設はドイツ警察の保護下にあります。
しかしドイツを初めとするヨーロッパ諸国においては、反ユダヤ主義を動機とする犯罪の数は近年劇的に増加しています。
ひとつの政党がドイツ議会に(さらには国内の16の州すべての議会で)議席を持っています。
政党の指導的メンバーは12年のナチの独裁政治について、『「ナチス時代は『鳥の糞』程度の汚点でしかない。』と表現しました。
そしてベルリンにあるホロコースト記念館について「恥さらしのメモリアル」と呼んだのです。
この発言をしたビョーン・ヘッケは、ホロコーストを公式に記録するという「愚かな」政治によってドイツは「手足を縛られている」とすら主張しました。
この政党AfD(ドイツのための選択肢)はビョーン・ヘッケの発言について不問に付す姿勢を取っています。
極右の政治家たちはドイツ人が「罪悪感」を持ち続けることを批判しています。
しかし、それは罪悪感だけの問題ではありません。
我々の世代の人間は、私たちの祖父母が犯した行為について「有罪」ではありません。
それにもかかわらず、私たちは私たちドイツの歴史の中で最も陰惨な章が決して繰り返されないことを保証する責任を負っているのです。
1985年5月8日の第二次世界大戦終結40周年記念の演説で、元ドイツ連邦議長のリチャード・フォン・ヴァイツシェッカーは次のように述べています。
「過去の事実に目をつぶろうとする人間は、現代の状況についても盲目なのです。そして当時の非人道的行為を思い出したくないという人は、新たな悪しき思想の影響を受けやすくなります。」
▽ 強制収容所の見学を学校の授業に取り入れるべき
強制収容所を実際に目撃した人々のほとんどがこの世から旅立つ時代がまもなくやってきます。
そうなれば私達は彼らのインタビュー、彼らの著作や手紙を通してしかこの問題と向き合うことができなくなります。
そこには欠けていくものがあります。
時間の経過とともに感情が弱まっていくからです。
高校卒業試験を修了する前の年、私はクラスでアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所記念館を訪問しました。
ガス室の床に自分の足で立ち、自分の目で殺された男性、女性、子供たちの大量の靴、髪の毛、そしてスーツケースなどを見たことは、私のそれまでの人生で疑いなく最も心を動かされた出来事の一つでした。
これらの時の印象が私の心の中に永遠に消えない一つの信念を作り上げました。
「アウシュヴィッツを二度と繰り返してはならない」
強制収容所記念施設を訪れることは、どんな歴史の授業を受けるよりも効果的なはずです。
それは、まさしくそれが私たちの心を揺り動かし、起こった出来事をどんな教科書や長編映画よりもはるかに切実に感じさせることができるからです。
ドイツは現在移民の国になりました。
ホロコーストによってアイデンティティが形作られてはいない世界中の人々が、ドイツを目指してやって来ます。
ホロコーストは新たに移民としてドイツにやってきた人々の歴史とは直接関係がありません。
それでもドイツで生きていく人間たちは、一部の人がそうしているようにホロコーストの史実と向かい合うべきなのです。
結論を言えば、ナチス独裁政権とホロコーストの歴史はドイツだけの歴史ではなく、人類の歴史です。
その史実はある一定の条件が揃った時、人間がどのような行動をする可能性があるか、そのことを教えています。
ホロコーストの歴史認識、それは人類全体の問題なのです。
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私がこれまで見た映画の中で『アンネの日記』ほど哀切なものを知りません。
私がこれまで聴いた音楽の中で、パウル・グレツキの『悲歌のシンフォニー』ほど、聴いていて息苦しくなる音楽を知りません。
正直、一度知ってしまった以上はもう二度と見たり聴いたりしたくない、というのが正直な感想です。
強制収容所 - 絶滅収容所というものは、それ程のものだったのであり、二度と繰り返してはならない、そのための取り組みを絶やしてはならない、というのは真っ当すぎるほどの議論です。