ホーム » エッセイ » 【 市民たちの闘いは終わらない! 】[ALJ]
日本は二度と戦争に関わるべきででないという意思を明らかにするため自発的に集まった一般市民は、現代史上最大規模の抗議行動を実現させた
安倍首相は戦前の価値観を否定されることに苛立ちを隠さず、戦後の平和主義路線から日本を全く別の路線に乗せ換えようとしている
あれ程の規模の抗議運動に発展したにもかかわらず、それに比例する程支持率が上がった野党はひとつも無かったことを徹底検証・反省せよ
マイケル・ペン / アルジャジーラ 8月31日
戦後初めて海外での日本の軍隊の戦闘行動を可能にする安全保障関連法案に対し、8月30日日曜日霧雨が降りこめる中、数万に上る一般市民が自らの意思を公の場で明らかにすべく参集しました。
ひとりひとりの一般市民が国会前に自発的に集まり、その意見を明らかにしようとした行動は、その参加者数において日本の現代史上有数の規模の抗議行動に発展しました。
これほど多くの抗議者を国会前に集結させたのは、国内では反対意見が過半を超えている安倍首相率いる保守タカ派政権が推進する安全保障関連法案です。
安倍政権とその与党は、これらの法案は『平和と安全を守るため』のものだとしていますが、反対する人々はこれらを『戦争法案』と呼んでいます。
警察側は参加者数について約30,000人と公表しましたが、主催者側による概算では120,000人が国会周辺に参集しました。
安倍首相とその与党は、1945年の第二次世界大戦(太平洋戦争)の敗戦から70年間続いてきた平和主義路線から、日本を全く別の路線に乗せ換えようとしています。
日本は敗戦後のアメリカ軍の駐留下起草された平和憲法のもとで、自衛のケースを除いて紛争を解決する手段として武力を行使することが禁じられています。
抗議者のため集まった市民たちの中にいた、日本弁護士連合会を代表する上柳敏郎弁護士がアルジャジーラの取材にこう答えました。
「これらはきわめて重要な法案です。」
「制定されてしまうと、日本の自衛隊の性質が根本的に変わることになります。端的に言えば、海外での戦闘行動が可能になるのです。」
しかし一方では、安全保障関連法案の成立が日本の根本的な変革につながるかどうか疑問視するアナリストもいます。
テンプル大学日本校の現代アジア学研究所のロバート・デュジャーリク所長は『ザ・ディプロマット』に掲載した解説記事の中で、これまでの日本においては、法律の解釈方法のような技術的側面が防衛政策に大きな影響を及ぼしたことは無く、今後も同様の状態が続くだろうと主張しています。
「極東アジア地区において容易ならざる事態、たとえばアメリカと中国の大規模な武力衝突などが発生しない限り、これまで長く続いてきた日本の平和主義は、そう簡単には揺らがないと思います。」
国民は1945年の敗戦以降世界と共有できるようになった日本の歴史認識を『自虐史観』と攻撃し、政治家としての長い経歴の中戦後の平和主義に対して不満を募らせてきた安部首相自身について懸念を抱いており、将来必ず軍事行動への道を開くのではないかと危惧しています。
安倍首相の政治信条の中、その姿勢を明示している点において有名なものがあります。
「戦後体制からの脱却」
これは国家の方向性を根本的に変えようとする姿勢を直接暗示しています。
一方、国会内においては数の上では圧倒的に不利な立場にある野党は、自分たちの力だけでは安全保障関連法案の成立を阻止出来ないという事が解っています。
その代わり反対派は政府側の論理の矛盾点を突き、国民の抗議の声をさらに大きくして与党内にも考え直そうとする議員が出るよう、委員会のテレビ中継を利用しました。
野党の戦略は臨時に開かれた公開討論の場で、法案に反対する意見が圧倒的多数に昇ったという点においては勝利しました。
日本テレビグループが行なった世論調査の結果は、安倍政権が主張する通り今国会の会期中に安全保障関連法案を成立させるべきであると考えている一般市民が全体のわずか11%に過ぎないことを明らかにしました。
これは安全保障関連法案を直ちに廃案にすることを望む22%、9月27日に終了する今国会において成立させるのは急ぎ過ぎだと考える64%と比較すると、明らかに少数です。
しかしいくら一般市民の抗議活動を盛り上げても、議会で法案の成立を阻止することは不可能です。
野党の計算は外れました。
日本の自民・公明両党が拡大一途の抗議に直面しながらも、そして世論が強く反発することにも動ずることなく法律の成立に向け突き進み、この間連立にも揺らぐ様子が見えませんでした。
そしてさらに重要なのは、一般市民がこの重要な問題について野党各党の反対意見に同意しながらも、ひとつひとつの党を検証してみると、抗議運動の盛り上がりと比例する程支持率が上がった野党はひとつも無かったという事実です。
この事実は一般の有権者が、いずれの野党も現政権とその与党に代わり得る現実的な選択肢ではないと考えていることを示唆しています。
▽ それぞれの決心
安倍首相に関して言えば、その立場が揺らぐことはありませんでした。
7月に開催された一般市民を対象にした講演で、安全保障関連法案に関する個人的な思いを少し公にしすぎたかもしれませんが…
安倍首相は戦後A級戦犯の嫌疑を受けながらも1957年から1960年まで日本の首相を務めた、彼にとって尊敬すべき母方の祖父、岸信介元首相について言及しました。
今日の日本の秩序立った抗議行動とは対照的に、かなり暴力的側面も併せ持った集団での抗議活動に直面しながら、1960年に日米安全保障条約を国会に強引に通過させたのは岸元首相でした。
安倍首相は安全保障関連法案の成立を図る自分の立場と、岸元首相が置かれていた立場との類似点をほのめかしました。
「私の祖父は日本国民が日米安全保障条約の必要性を理解するには50年かかると語りました。
しかし実際にはわずか25~30年後に、日本国民の大多数は日米安全保障条約の更新を支持したのです。」
本当に不測の事態が起きない限り、安倍政権とその与党は議会内の絶対多数というカードを切り、9月中には安全保障関連法案を可決成立させることになるでしょう。
政権は支持率の低下を招くとしても、その意思を変えるつもりは無いようです。
何万人もの抗議者は、これから一体どうするのでしょうか?
この質問に対し、国会の外で抗議活動を行っていた年かさの男性がこう答えました。
「私たちがしなければならないのは、次の国会選挙で自ら意思表示をすることです。」
http://www.aljazeera.com/indepth/features/2015/08/japan-streets-combat-militarism-150830122020141.html
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【 9月22日までの報道写真から 】
アメリカNBCニュース 9月22日
(掲載されている写真は、クリックすれば大きな画像をご覧いただけます)
9月22日、トルコ沿岸を出発しやっとの思いでギリシャのレスボス島シカミア海岸にたどり着いた難民、そして西欧各国への移住を望む人々。(写真上)
第二次世界大戦以降最悪の事態となっている難民流入問題について、経済力格差など数々の難題を抱えながらもEU各国は120,000人の難民受け入れの分担について合意に近づきつつあります。
9月22日、ギリシャのレスボス島の沖合で溺れそうになっている難民を救おうとしているギリシャ人漁師。(写真下・以下同じ)
今年だけですでに260,000人以上の亡命希望者がギリシャに到着しました。そのほとんどがトルコの海岸から薄っぺらないかだまたはボートで国のギリシャ東部の島々に到着しました。
9月22日すし詰め状態のディンギーでレスボスのギリシアの島に到着直後、消耗したシリアの難民子供に水とおもちゃを与えるボランティア。
9月22日旧ユーゴスラビア共和国のマケドニアで、セルビア行の列車に乗り込むシリア、アフガニスタン難民。
現在も何千という単位でEU諸国へ向かおうとする難民たちがマケドニアに到着し続けています。 ハンガリーが国境を封鎖したことにより、難民はクロアチア経由で西ヨーロッパを目指すようになりました。
9月22日、アフガニスタンから逃れてきた15歳の難民ラソール・ナザリは、生後10か月の甥イムランを抱いて、ハンガリーからオーストリアにやってきました。
http://www.nbcnews.com/news/photo/today-pictures-september-22-n431916