ホーム » エッセイ » 【 福島第一原発事故発生時のアメリカ政府の対応 – 原子力規制委員会が公表 】
「危機が発生すれば原子力規制委員会は、第一報をまず一般市民に伝える」
ワシントン(CNN)/ アメリカCNNニュース 2月22日
アメリカ原子力規制委員会は21日 火曜日、福島第一原発事故後に設置された同委員会対策センターにおける、3,000ページに上る会話記録を公表しました。
世界に対しまだ全容の半分ほどしか明らかにされてない福島で発生した危機に対応するため、原子力規制委員会が難しい立場に追い込まれてしまったことを、この記録は証明しています。
「私は事故が発生直後の一日か二日の間、我々が非常に多忙だったことを明確にしておきたいと思います。」
原子力規制委員会のグレゴリー・ヤッコ委員長が記者団に語りました。
「十分な情報を手に入れることができませんでした。ほとんどの情報は寄せ集めのものでした。ある情報は日本から、別のものはIAEAから、そしてたくさんの情報がニュースメディアによってもたらされました。」
情報公開法に基づく請求により公開された会話記録は、委員会のメンバーが事故の詳細と事故により発生する各種の潜在的脅威に関する情報収集のため、必死の状況にあったことを物語っています。
すなわち日本国内にいるアメリカ市民に対する脅威、アメリカ国内にはどれほどの放射性物質が降り注げば犠牲者が出ることになるのか、そしてアメリカ国内にある同型の原子炉の運転状況について情報を把握しようとしていました。
委員会のスポークスマンは『今回の事故の根本的原因』はすでに明らかになっているが、後世のためにその時何をしていたのかの情報をすべて開示することにより、今後も歴史的に見て重要な瞬間が訪れたとき、判断材料として役立てることができるようになる、と語りました。
「スリーマイル島での事故の記録が残っているかどうか、私は知りません。」
NRCのスポークスマン、エリオット·ブレナーは、1979年にペンシルベニア州の原子力発電所で発生したメルトダウンについて言及しました。
「危機が発生すれば原子力規制委員会は、第一報をまず一般市民に伝える、そのことをアメリカ社会に伝えるための措置なのです。」
公開された資料はメリーランド州ロックヴィルにあるNRCの危機管理センターにおける、会話および通話をすべて記録したものです。
ヤッコ委員長は2011年3月11日の大地震と津波によって深刻な危機が発生した後の数日間、NRCが非常な混乱に陥っていたことをこの記録が物語っていることは承知していますが、彼自身はそれでもよくやった方だと信じている、と語りました。
「事故後の対応のため必死の取り組みを行っていたこれらの日々を振り返るとき、私はNRCの委員長であることにかつてない誇りを感じています。」
「そして今回この資料を公開することは、アメリカ市民社会の今後の歴史に必ず貢献するものと確信します。私はここにいるNRCのメンバーとともに重要な職責を全うしたことについて、限りない誇りを持っています。」
一方で今回の経験は、『世界に対し事実の半分しか明らかにされていない』福島第一原発の事故に関し、アメリカ合衆国が『著しい情報制限』という経験を強いられることになった、とNRCの職員が語りました。
「今回のような事故が起きれば我が国においては、もっと十分な情報を直接入手することが可能なはずです。」
技術・法人管理担当副局長のダン・ドーマンがこう語りました。
NRCの職員はさらに、何か月もにわたり時間との戦いを強いられるような事故に対応するためには、指令センターの準備は十分なものだとは言えなかった、と語りました。
具体的には必要な場面で、アメリカ国内の原子力発電所の放射能漏れ、あるいは安全性について、合衆国政府職員と十分な情報を交換を行うことができなかった、ということです。
http://edition.cnn.com/2012/02/21/us/nrc-fukushima/index.html?eref=edition
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日本の原子力保安院に比べ、アメリカの原子力規制委員会の未来の世代に対する責任感には感心せざるを得ません。
それに引き換え、福島第一原発の廃炉作業は最長で100年かかると言われているのに、日本政府には事故当時の記録が残されていないことが明らかになりました。
この国の将来に対し、日本の原子力行政がどんな責任感も持っていないことを端的に示す事実ではないでしょうか?
そのことを、はっきりさせてくれたのがこの記事だと思います。
先日、『戦場の馬』としてご紹介した( http://kobajun.biz/?p=1636 )スティーヴン・スピルバーグ監督の新作は、日本では『戦火の馬』として公開されるようです。
ご紹介した中でスピルバーグ監督は次の作品について、エイブラハム・ リンカーンを題材にしたものになると語っていましたが、以下の映画は全く別物です。
リンカーンの映画が続くので、確認しましたがその生涯は1809年 - 1865年で、特に生誕何年・没後何年という企画ではないようです。
ただ、1862年6月に合衆国全ての領土で奴隷制を禁じる法を成立させたことから、アメリカの奴隷解放150周年に当たります。
スピルバーグ監督自身はこの奴隷解放がアメリカの歴史にもたらした意義について格別の感慨を持っているようであり、そのことに関連した映画になるのかもしれません。
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映画[エイブラハム・リンカーン・ザ・ヴァンパイア・ハンター]予告編公開される
「アメリカ合衆国第16代大統領アブラハム·リンカーンは吸血鬼退治人?!」
カミーユ・マン / アメリカCBSニュース 2012年2月14日
セス·グレアム=スミスの小説を映画化した[エイブラハム·リンカーン:ヴァンパイア・ハンター]の予告編では、斧を振り回し、吸血鬼を次々と打ち倒してゆく、あごひげを生やしたかつての大統領の姿が公開されました。
この本、そして映画は1820年ごろに始まり、最後はジョン・ウィルクス・ブースによって暗殺されたリンカーンの45年の生涯を題材にしています。
この物語はリンカーンの実際の生涯を背景に、当時アメリカに巣食っていた吸血鬼を根絶やしにするため立ち上がったリンカーンの活躍を描くフィクションです。
グレアム·スミスは2009年に発表した、古い言い伝えをサイエンス・フィクションに作り直した作品[プライドと偏見、そしてゾンビ]で 一躍有名になりました。
監督は映画 [ウォンテッド]などの作品で知られるティムール・ベックマンベトフ、プロデューサーは映画監督ティム・バートン他。
[エイブラハム·リンカーン・ザ・ヴァンパイア・ハンター]は6月22日公開予定です。