ホーム » エッセイ » 【 福島第一原子力発電所は、制御下に置かれてはいない 】[AFP]
「安全を保障する」という趣旨の演説と、どう見ても矛盾している福島第一原発の現実
AFP通信 / フランス24 9月13日
山下和彦フェローによる発言はどう見ても、安倍首相がオリンピック招致委員会の実質的な代表として1週間前に行った、「安全を保障する」という趣旨の演説と矛盾しているようです。
野党である民主党が福島第一原発の汚染水問題への対応を検討するため、福島県郡山市で開催した会合の席上、民主党の議員に、「安倍首相はブエノスアイレスで開催された国際オリンピック委員会の総会で、『状況はコントロールされており、まったく問題はない』と述べたが、発言のとおり、状況はコントロールできていると思うか」と尋ねられると、山下氏は「今の状態はコントロールできていないと考えている」と回答しました。
このやり取りを国営メディアであるNHKを始め、日本の主要メディアが一斉に報じました( http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130913/k10014516761000.html )。
この報道に驚いた東京電力本社と日本政府は急きょ対応に追われ、山下氏の発言は汚染水問題に限ってのものであり、福島第一原子力発電所全体の状態について述べたものではないとの声明を発しました。
これとは別に安倍首相の右腕とも目される菅官房長官は記者会見で、山下氏が民主党議員に繰り返し厳しく問い詰められた結果、この発言に及んだものだとコメントしました。
菅官房長官はさらに、東京電力の企業としての公式見解は、安倍首相の発言と何ら矛盾しないと付け加えました。
汚染水は現在、急造されたタンク内に保管されていますが、これからこの問題にどう対処するのか、具体的な計画を明らかにしてきませんでした。
この急造されたタンクの中のいくつかから高濃度の汚染水が漏れ、地中に浸み込んで地下水を汚染していると考えられています。
汚染された地下水は海洋中に流れ出している模様です。
2020年のオリンピックの開催地を決めるため、東京がイスタンブール、マドリッドと招致合戦を展開し、福島第一原発の汚染水問題に世界中の厳しい視線が注がれる結果となりました。
http://www.france24.com/en/20130913-fukushima-not-under-control-warns-tepco-official
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あの発言はどう考えても納得がいかない、それが世界共通の認識のようです。
それでなくとも世界のメディアは、福島の避難民の人々の窮状、そして福島第一原発の事故現場で働く人々の報われない待遇について、憤りといらだちを募らせていました。
その根拠は「人間としてどうなのか?!」という点につきます。
ところが当の日本の原子力行政の視野のなかには、政府の体面であったり、東京電力の企業としての存続であったり、果ては日本の原子力ムラの存続、そんなものばかりがあったようです( http://kobajun.biz/?p=13745 )。
そして首相までが東京さえ安全ならいいじゃないか、とも受け取れる発言をしました。
日本の政治とは、そういうものなのでしょうか?
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【 数十年を経て葬られる、『汚れた戦争』の犠牲者たち 】
アメリカNBCニュース 9月3日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)
アレハンドラ・トーレスはあの事件以来初めて、生まれ故郷の村に戻ってきました。
両親が反乱勢力『輝く道』の兵士たちに喉をかき切られて殺された時、4歳だった彼女は、近所の女性のスカートの中に隠れて怯えていました。
事件から30年後、彼女は1980年に始まり、2000年代になって終息した『汚れた戦争』の犠牲となった自らの両唇含む21人の人々を埋葬するため、親類たちと一緒に作業に加わりました。
政府軍部隊、そして毛沢東を信奉する反乱軍の双方が、重大な人権侵害を犯しました。
『真相究明と和解』委員会の最少報告書には、この時の犠牲者が70,000人近くに上ったと見積もっています。
犠牲者のほとんどが貧しい、ケチュア語を話す先住民族でした。
未だに15,000人分の遺体が不明のままです。
ペルーではこの『汚れた戦争』の後遺症が長く続き、このうちの3,000人分の遺体だけが確認され、埋葬しなおされました。
ユーカリの木で作られた白い棺に遺体が収納されると、集まって来た村人は静かに泣きました。
アレハンドラが歩きながらこう語りました。
「センデロ・ルミノソの兵士たちが、丘を駆け下りながら、ケチュア語でこう叫んでいました。
『裏切り者の犬どもめ、死ね!』
チャカ村の人々は、自警団を作った報復のために殺されました。
自警団が武器として用意したのは、石を飛ばすパチンコ、そしてナイフをひもで結びつけた棒切れだけでした。
2013年6月13日、アヤクーチョ(ペルー)の法医学研究所で彼らの父の残骸が収められた棺を調べるアクイリナ・カルデナスルーシアーナの姉妹。
彼らの父は、拷問され、村で自衛団を作った報復に1988年1月8日に殺されたうちのひとりです。(写真上)
6月14日、短い共同葬儀の後、それぞれに家族や親せきの棺を担いで戻る人々。(写真下・以下同じ)
6月15日、かつて自宅があった場所で涙を流す70歳の女性。彼女の夫も30年前、拷問の後殺害された。
6月15日、娘に付き添われ、かつての自宅跡を訪れた上記の女性。
6月16日、共同葬儀が行われた墓地で、殺された父親の棺にすがって泣く男性。
8月22日、夫の遺体が埋められていた穴の前で、未だに行方不明の息子の写真を胸の前に掲げる62歳の女性。
8月22日、遺体を埋葬しなおすために新たに掘られた穴。
当時ペルーの政府軍も多数の市民を殺害しましたが、その罪で起訴された将兵はほとんどいません。
そして殺害された市民の身元調査を行う政府機関も存在しません。
※この事件に関心を持たれた方には、
http://www.cias.kyoto-u.ac.jp/files/img/publish/alpub/jcas_ren/REN_07/REN_07_005.pdf
にある詳しい資料をご覧ください。