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【 子供たちをのみこむ格差社会の闇 – 日本の子どもたちの貧困問題 】

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所要時間 約 11分

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日本の富裕な家庭と貧困家庭の子どもたちの格差は、アメリカよりも一層深刻、先進諸国の中で最悪の状態

貧しい子供たちの空腹を補うものはジャンクフード、口にできるまともな食事は学校給食だけ

キャッチフレーズばかりが派手で、弱者と誠実に向き合う姿勢を持たない安倍政権にとって、子どもたちの貧困は荷が重すぎる課題

エコノミスト 2016年5月14日           

 

ECO 貧困率
海外から日本を訪れた人が、何か貧しさを象徴するようなものに出会うことはめったにありません。
荒廃した住宅もありません。
都会で暮らすホームレスはたいてい公共の公園や川岸の粗末なテントの中でひっそりと暮らし、その姿を見かけることはあまりありません。

日本人は自分たちの国が平等社会であるという確信を大切にしています。
そうである以上、日本において子供たちの貧困率が非常に高いという事実は、日本人自身にとって衝撃的なことに違いありません。

幼児の貧困率に関する公式統計は、日本では2009年になってやっと公開されました。
子どもの貧困率は総体的な定義であり、税引き後の家計収入と移転所得(失業保険や年金など)を合算した金額が、その国の平均年収の半分以下の家庭の子どもたちがこの範疇に含まれることになります。
日本はこの割合が1985年に11%でしたが、2012年には16%に上昇し、OECD(先進)諸国の中で最も高くなっています。
日本の富裕な家庭と貧困家庭の子どもたちのギャップは、アメリカよりも一層顕著であり、メキシコやブルガリアとそう変わらないレベルにあることを2016年4月、ユニセフが明らかにしました。

日本では労働者の5分の2が賃金が安い非正規雇用または契約社員という身分に置かれています。
もし父親と母親の両方がこの身分である場合、その子供たちの経済的環境はことのほかひどい状況にあります。
しかし、貧しい子供たちのおよそ3分の1は、離婚またはその他の理由で独身状態になった母親と一緒に暮らしています。

大阪市内の経済的に恵まれない地区で2人の幼い男の子二人を育てている嘉門明子さんは、子どもたちに満足な食事をさせるだけでも大変な思いをしていると打ち明けました。

彼女は少しでも多くの収入を得るためできるだけ長い時間働きたいと思っていますが、8歳の息子にその話をすると急に泣き出してしまいました。
多くの母子家庭同様、嘉門さんも生活保護の申請はしないつもりです。
日本ではその額がそれほど多い訳ではないにもかかわらず、生活保護を受ける人々に対しては、厳しい目が向けられているのです。

難民子供 5
5歳になったばかりであっても、母子家庭、父子家庭の子供たちは日中あるいは夜間親たちが働いている間、食事として弁当をあてがわれます、
上がり続ける貧困率は、学校の中退、さらにはホームレス状態へと子供たちを追い込んでいます。

未婚の母親と暮らす16歳の角千夏さんは、首都圏の埼玉県でパートタイムのアルバイトをしています。
しかしその程度の収入では修学旅行の積立金を支払い、学校の規則に基づく4種類の靴を用意し、さらには学校生活で必要とされるその他の費用を賄うにはとても足りないという現実に直面させられています。

特に貧しい子供たちはいじめの対象になりやすい、彼女はそう語りました。

                   

貧しい子供は飢えている訳ではありません。
しかしこの子供たちの空腹を補うものは往々にしてジャンクフードであり、口にできるまともな食事は学校給食だけという場合がしばしばです。

                  

子どもの貧困02

                                   

親が公共料金を支払うことが出来なければ、ガスも電気も止められてしまうため、公共のトイレで洗面などをする子どもたちもいます。
有人と一緒にカフェなどで時間を過ごしたり、あるいは大学進学のためすし詰め状態の進学塾に通うことなどは、選択の対象にもなりません。

                

                

日本政府はこの問題の存在にやっと気がついたようです。

               

2014年から採られた新しい方針は学校でソーシャル・ワーカーの数を増やし、この数年間で初めて片方の親しかいない子供たちへの手当てをわずかに引き上げました。
東京都立大学で貧困問題の研究に取り組んでいる阿部彩さんは、現政権の与党である保守派の自民党は、シングルマザーに対し離婚したことを厳しく責め立てる傾向があり、だとすれば驚くべきことだと語りました。

                 

しかし自民党は政権与党として、子どもたちの貧困問題への取り組みに本腰を入れるよう厳しく求められるようになるでしょう。
『一億総活躍社会』、このキャッチフレーズの下あらゆる日本の市民が活発な役割を演ずることができる社会を実現すると誓った安倍政権にとって、子どもたちの貧困は厄介な問題です。
安倍首相が座る官邸は、高額な年金を受け取って気前よく暮らしている年配の人びとより、若年層の人々の援護を目的とした経済政策への転換について検討しています。

              

子どもの貧困03

                   

しかし新聞の見出しなどに散見される貧しいが故の窃盗、売春、そして不潔な環境から貧しい子供たちをどう救い出すかという問題は、なお一層解決が難しいという事実を突きつけられることになるかもしれません。

                

http://www.economist.com/news/asia/21698687-japan-has-more-poor-children-it-thought-hidden-blight?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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【星の金貨】では子供たちを守れという趣旨の記事の掲載が多い点に言及し、私が偽善者だという趣旨の指摘をされた方がいました。
なぜ自分は厳しい環境に置かれた子供たちのことが気にかかるのか、理由に気がついたのはここ数年のことです。

私は幼児期から少年期、父親から暴力による虐待を受けました。
小学校1年生の時、勉強の時間と決められていた時間に机には座ったものの何となく気が乗らずに手で定規をもてあそんでいたら、突然椅子ごと倒れる程の勢いで殴り倒されました。
無警告でした。

難民子供 1

小学校低学年の時、車にはねられたことがありますが、幸い軽傷で済んだ私を加害者の男性が自宅まで送ってくれたときは、父親に「面倒起こしやがって!」といって殴り倒され、加害者の男性が驚いて割って入ったこともありました。
そんな記憶がいくらでもあります。
その暴力は一度も殴られたことが無い弟が、見ていただけで後にPTSDになった程のものでした。
幸い私は幼稚園に入園するまで、母方の祖母の下で文字通り羽飼の中で温められるようにして育てられたため、決定的には曲がらずに済みました。
それでも日常の一部を暗黒が支配する幼少年期には、絶えず絶望がついて回っていました。

                

他人の方がましでした。

              

無警告で、思いもかけない理由で突然殴りかかってくることなど無いからです。
正義というものを切実に願い続けていました。
しかし同じく暴力の対象となっていた(後に解った事ですが)母親が助けてくれることはまずありませんでした。

難民04

                  

母親は仕事に逃げ、その結果子育てからも逃げることになりました。
私は父親を肯定的に思ったことは生涯の中でただ一度しかありません。
大学生の時、高田馬場駅前の大きな書店の一角に、父親の著した数学関係の本が『ロングセラー』として山積みになっているのを偶然見つけた時でした。
ほう、と思った次の瞬間、こうつぶやいていました。
「俺には関係ない…」

               

虐待は遺伝すると言います。
それを阻止したのは私自身の中にある弱い者いじめに対する強烈な嫌悪感、そして妻の協力でした。
無意識の行動を何度も妻に指摘されましたが、考えた上でのことではないため、そんな自分と向き合うことは本当に苦しいものでした。
しかし長女が育ち、長男が育つころには、子どもを叱る事もめったになくなりました。
それでも言葉の上では、妻にとっては見過ごせないこともあったようです。

kobani06


その父親が最晩年、妻の介助を受けなければ生活できなくなった時に私への不満を口にしたことがあります。
その時初めて妻がキレました。
「あなたはもっとずっとずっとひどいことを、○○さんがまだ抵抗も出来ない小さいときにさんざんやったでしょう!今その程度のことを言われて、あたりまえだと思わないの?!」

                    

その父親は数年前に亡くなりましたが、その時初めて私の中からある種の苛立ちと易怒的衝動が消滅しました。
虐待を意識するようになってから50年近く経とうとしていました。

               

子ども時代に受けた心の傷というものは容易に消えるものではありません。
そして自分にはまだ解決能力が無い状態での困窮の辛さは、何倍にも大きくなります。
今回翻訳した記事の中に登場する子供たちの心は、すでにずたずたになっているかもしれません。

           

難民03

              


子どもたちが自分から窮状を訴えることは無いと思います。
あらためて自分の惨めさを思い知ることになり、絶望の闇が深くなるだけだからです。
私もそうでした。
だからこそ、私たち周囲の大人が何かをしなければならないのではないでしょうか。
(写真はこれまでご紹介した記事の中のものを再掲載したもので、本文とは直接関係はありません)

              

[ストリートライフ(路上にしかなかった私の暮らし)]クルセイダーズ&ランディ・クロフォード

             

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