ホーム » エッセイ » 【 日本はなぜ核兵器禁止条約を受け入れようとしないのか? 】
核兵器のない世界を実現するために努力するという安部首相の発言は虚言
21万人以上が殺された広島と長崎の人々にとって、日本の不参加は到底容認できるものではない
山口まり / AP通信 2017年9月21日
世界で唯一原爆を投下された国である日本は、これまで核兵器の世界的禁止を繰り返し要求してきました。
しかしその日本は核兵器保有国とNATOと同じ立場をとり、ニューヨークで開催された国連総会において核兵器の製造・保有を禁止する条約に署名することを拒否しました。
この条約は9月20日に50カ国によって署名されましたが、同数の国が批准した時点で発効することになります。
すでにタイ、ガイアナ、バチカンの3カ国が条約を批准しており、この条約が効力を発揮すれば、核兵器の開発、試験(実験)、生産、取得、保有、備蓄が禁止されることになります。
ではなぜ日本がこの条約に反対しているのか、背景にあるものを探ってみましょう。
『米国の核の傘によって守られている日本』
日本は自国の領土内において核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずという非核三原則を宣言していますが、密接な同盟国である米国の広範囲に及ぶ核抑止力、すなわち「米国の核の傘」によって守られています。
北朝鮮のミサイル・核兵器開発の脅威が増している中、日本は日米同盟における軍事的役割を強化しており、こうした状況が日本政府が条約に署名することを困難にしています。
安倍晋三首相の下、日米両国は二国間の安全保障体制の強化を急いでいます。
日本に加えNATOの大半の国々、韓国、オーストラリアを含むアメリカのほとんどの同盟国がこの条約に関する協議に参加しませんでした。
『被爆者たちの長年の取り組み、そして悲願』
原子爆弾の被災者である被爆者のほとんどは、核兵器のない世界を実現するためにこれまで懸命の取り組みを続けてきましたが、その長年にわたる着実な努力が今回の条約の実現の原動力となっています。
広島原爆の被爆者で作る日本の代表的なグループのひとつ、被団協の事務局次長である藤森俊樹氏は国連総会議場で、核兵器は人類とは絶対に「共存しない」と訴え、この条約はそのための第一歩であると述べました。
藤森氏は日本政府が署名しなければならないと発言し、日本政府の拒否は藤森氏自身を含む多くの被爆者の心を壊したと語りました。
2017年8月9日の長崎市での記者会見で田上富久長崎市長は、この条約の成立に関わろうとしない安倍政権を非難し、核兵器のない世界を実現するために努力するという安部首相の発言は虚言だと批判しました。
さらに田上市長は1945年8月の2回の米国による核爆弾の投下によりその年の末までに21万人以上が殺された広島と長崎の人々にとっては、日本の不参加は到底容認できるものではないと述べました。
『この条約は核保有国と非保有国との溝をかえって広げてしまう?』
日本政府は核廃絶は世界中の国々とって最終的な共通目標であるとしながら自国がこの条約間締結に参加しなかった理由について、核兵器禁止への日本の取り組み方法が条約に定めるものと違うため、署名していないと説明しています。
河野太郎外相はニューヨークで記者団に対し、核兵器保有国と非保有国との間には溝があり、さらに実際にどのようにして核兵器のない世界を実現するかという方法論について非保有国の間にもギャップがあると述べました。
河野外相は日本は核兵器の廃絶と各国の非核化という共通の目的のために誰もが参加できる共通の基盤を作りたいという希望を持っており、この両陣営の橋渡しの役割を担うつもりであると語りました。
(写真No.1)
2015年8月6日、原爆投下70周年の慰霊祭の会場で、遺族が広島記念館に原爆犠牲者の名簿を納める際、お辞儀をする遺族に答礼する広島市長の松井和実氏。
率直な発言をすることで知られる松井市長は、原爆の生存者である被爆者が生涯に渡り核兵器廃絶のための取り組みを続けてきたことを称賛しました。
その上で日本政府に対し、米国の核の傘に依存する政策の転換を訴え、可能な限り早く核兵器禁止条約に参加するよう要請しました。
(写真No.2)
2016年5月26日、広島の広島平和記念公園の南東部にある原爆ドームの周囲に集まった人々。 日本は世界で唯一広島と長崎の2つの都市に原爆を投下された被爆国であり、その碑には核兵器の使用について「二度と過ちを繰り返しません」と刻まれているにもかかわらず、核兵器保有国とNATO加盟国同様、核兵器禁止条約には署名しませんでした。
これは米国ときわめて密接な関係を持つ同盟国であり、米国の核兵器によって守られているという認識を持っているためです。
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皆さんはNHKがこの条約に関する報道を行う際、冒頭に必ず
『アメリカの核の傘に守られている日本としては…』
と前置きすることにお気づきでしょうか?
そうした『認識』は絶対的な事実とは異なり、必ず注釈しなければならないものではないはずです。
『アメリカの核の傘に守られているという認識もある日本としては…』
という表現が正しいはずですが、これも政権の『圧力』によるものなのでしょうか?
月曜の朝を迎え、その政権があれ程のスキャンダルの後もほとんど無傷のまま選挙を終えました。
失望感、無力感にとらわれておられる方も多いでしょう。
しかし一方では立憲民主党というリベラルの、そして平和主義を志向する人々のための橋頭保も出来ました。
選挙前の民進党は果たして市民が信頼して良い存在なのかどうか危ぶまれる存在でした。
しかし立憲民主党は日本国内のリベラルがその存在すら危なくなった時、いわば人々の願いが結実する形で誕生し、漂おうとしていた民意を受け止めてくれる存在になりました。
ノルマンディー上陸作戦はダンケルク撤退の翌年に実現した訳ではありません。
そしてリベラルは枝野党首が言うように右でも左でもありません。
キング牧師やジョン・レノンが右でも左でも無く、ただただ市民の正当な権利と平和を希求していたように、私たちも願う事を途切れさせないよう、心を折ることなく進んで行きましょう。