ホーム » エッセイ » 【 不抜の決意!一日も早い全原発停止の実現へ! 】[ドイツ国際放送]
日本国内の市町村を訪れる度、原子力発電に反対している人々が如何に多いかを痛感させられている
他のあらゆる事故と比較にならない、原子力発電所事故の悲惨さ
福島の事故が5,000万人の強制移住にまで進展してしまっていたら、今頃日本はどうなって…
ドイチェ・べレ(ドイツ国際放送) 2013年12月12日
2011年3月、巨大地震と巨大津波が東日本に壊滅的被害を与え、福島第一原発が史上最悪となる原子力発電所事故を起こした当時、首相を務めていた菅直人は、未だ政界に留まっています。
彼が今追い求める目標はただひとつ、日本国内すべての原子力発電所の全面停止です。
東日本全域が文字通り暗黒に陥った3月後半から4月上旬にかけ、事故を起こした福島第一原子力発電所ではより一層深刻な危機へと拡大する恐れがありました。
このため日本中の人々が、その口から語られる福島第一原発の最新状況を確かめるため、記者会見の模様を伝えるテレビの前にくぎ付けになっていました。
今日、全国の小さな集会所で20~30名の聴衆を相手に講演をする、菅氏の姿を認めることが出来ます。
しかし、場所が変わっても一連の講演のテーマはいつも同じです。
原子力発電所が立地する近隣市町村において、再稼働を進めようとする各電力会社へしっかりと反対の意思表示ができるよう、住民や市町村議会のメンバーへの激励講演を依頼されての全国行脚を行っているのです。
12月12日に行われたインタビューで菅氏は、原子力発電所の再稼働を阻むことが、唯一最大の政治目標になったと述べました。
「最近では大間原発の再稼働に反対する人々との会議に参加するため、まず北海道の函館に行き、次は伊方原発について話し合うため四国愛媛県に行ってきました。」
菅氏がこう語りました。
▽ 市民のネットワーク
「私は、原子力に対して反対の意思を明らかにしている、市民のネットワークの拡大に取り組んでいるのです。」
「そしてこれら原子炉が立地する市町村を訪れる度、原子力発電に反対している人々が如何に多いかを痛感させられています。」
「このような現状を目の当たりにすれば、日本政府や各電力会社が強引に原子力発電所の再稼働させることは、とても不可能であると思わざるを得ません。」
現在日本国内にある稼働可能な50基の原子炉はすべて停止しています。
これは菅氏が首相であった時、福島第一原発の事故発生後直ちに命じたものであり、全ての原子炉は新しい安全基準をクリアしない限り稼働できなくなりました。
法の下では立地する自治体の承認を得なければ、原子力発電所は再稼働することが出来ません。
2013年の半ば、2基の原子炉が再稼働しましたが、これまで原子力発電所のフル稼働を承認した自治体はありません。
菅氏はこのままの状態を保ちたいと考えています。
▽ 制御不能の『技術』
「私が反対である理由は、原子力発電が人間が100パーセントコントロールすることができないテクノロジーであるからです。
菅氏がこう語りました。
菅氏は原子力発電所の事故発生リスクが、登場した旅客機が墜落する可能性と同程度ある事は十分承知しています。
しかし日本が体験させられてしまったように、原子力発電の方はいったん事故を起こしてしまったら、その影響の拡大には「計り知れないものがあります。」
福島第一原発の事故発生直後、菅前首相とその政権は、原発の周囲250km圏内にいた5,000万人の人々の避難について、真剣に検討しなければならない状況に追い込まれていました。
そこには首都東京も含まれていました。
「最悪の場合、日本の国土の3分の1がもはや人が住むことが出来ない場所になってしまう可能性がありました。そうなれば、日本の全人口の40%が住む場所を失い、移住を強いられることになっていたのです。」
菅氏がこう語りました。
「それが私たち日本人が直面していた状況でした。そしてそれを間一髪で免れることが出来たのです。」
事故の初期段階においては、日本がどれ程の危機に瀕しているのか必ずしも明らかではありませんでした。
原子力の専門は、原子炉内で何が起きているのか、その事の方に関心を寄せていました。
当時6基の内3基の原子炉では、溶けた核燃料が厚さが20cmの圧力容器の底を突き破り、そのまま真下のコンクリートの基礎部分に入り込んでしまっていたことが、今日では明らかになっています。
「もし溶けた核燃料がそのままコンクリートの基礎の部分すら貫通してしまっていたら、今私たちがこの部屋でこのように会話することなど不可能だったでしょう。」
同様の運命の巡り会わせは、原子炉4号機でも発生していました。
使用済み核燃料プール内の核燃料アセンブリは、通常水の中に沈めた状態で保管されます。
しかし事故直後4号機の使用済み核燃料プールの水は、事故により発生した高熱によりほとんど蒸発したため、核燃料アセンブリが直接大気に触れる危険な状況に陥りました。
この時、本来なら余分な水が入り込まないように設計されていた接合部分が地震の揺れによってその位置がずれ、放水等によってプール内に水が入り込みやすくなったのです。
▽『神の啓示』
菅氏は、東日本大震災の発生から5ヵ月後に辞職しました
「私は福島第一原発の事故はまさに『神の啓示』だったのではないか、そう考え続けています。」
2011年8月、菅氏は首相を辞任し、翌2012年12月に行われた総選挙において彼の所属している民主党は、原子力発電を強力に推し進めてきた自由民主党に敗北し、政権を譲り渡しました。
菅氏はもはや政権の座には無く、最近行われた補欠選挙では所属する民主党が推薦する以外の候補を応援したために、党員資格停止の処分が続いています。
しかし菅氏は人類が原子力を完全にコントロール、つまりは制御することが不可能である以上、使用を止めなければならならず、そして将来にわたって禍根を残さないよう、、今後は再生可能エネルギーによる電力の供給に移行しなければならない、その信念を貫き通すつもりでいます。
「私がまだ民主党の幹部であったとき、私たちは日本国内の原子力発電所を30年以内にすべて廃炉にする目標を設定しました。」
「党としてこの決断を行った以上、民主党は将来に渡り国会の場で、そして政治の場においてこの方針を主張し続けることを願っています。」
菅氏はこう語り、以下のように続けました。
「安倍晋三首相とその政権が原子力発電の継続を決定したことは誤りである事を、これから明らかにしていくつもりです。」
http://www.dw.de/former-japanese-leader-firm-on-nuclear-energy/a-17290344
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現在、脱原発の強力な発信者である菅元首相も、小泉元首相もかつては原発推進の立場でした。
その事で批判をする方もいます。
しかし今大切なことは、菅氏や小泉氏の前身がどうであったかという事では無く、原発をできるだけ早く、完全に停止させるという事であるはずです。
戦場において敵と向かい合っている時、自軍の中であの陣地とあの陣地を守っているのはかつては問題の合った奴らだから信用できないし、協力も出来ない、というのでは戦う前から自分たちで負ける原因を作り出しているようなものです。
まして相手は豊富な資金力を持つ原子力ムラ、そして現在の政権と衆参両院の過半数を制する強大な勢力です。
この戦いは、持てる力を結集できた方が勝利するはずです。
味方においては結集を、敵に対しては分裂を、これが勝利の方程式です。
民主党を空中分解させた手練を見れば、この点においても今回は容易な相手ではないことがお分かりいただけると思うのですが。