ホーム » エッセイ » 【 原子力産業界の崩壊が始まった!西側先進各国 】《前篇》
アレバ社が発行済み株式の総額を上回る規模の損失を計上、フランス、原子力産業の崩壊を警告
西側先進各国では、稼働中の原子力発電所を段階的に廃止していく流れがもはや明白
デイヴィッド・ジョリー、スタンレー・リード / ニューヨークタイムズ 2月23日
フランスの主要原子力発電企業が、今期の損失によりもはや独立して操業を続けることが不可能になる可能性があることを明らかにしたことを受け、フランスのエネルギー大臣が国が運営する原子力産業界の見直しと再編成は、もはや避けられない事態となっていると2月23日月曜日、談話を発表しました。
23日、世界の代表的原子力企業であるアレバは今期の実績について前年度5億ユーロ上回る、49億ユーロの損失を計上する見込みであると発表しました。
これを受けフランスのセゴーレ・ヌ・ロワイヤル・エネルギー大臣は記者団に対し、フランスの主な原子力発電企業について、
「フランス国内の主要な企業と連携し、自らは核となる事業に改めて集中し、国際レベルでの入札の場での受注獲得を実現するため、業界の再編成を行う必要がある。」
と語りました。
他の先進国が原子力発電に対し懐疑的、あるいははっきりと反対の立場を取る中、フランス政府は原子力発電の支持者であり続け、アレバ社の株の87%、そしてかつてはエレクシリシテ・デ・フランスの名で知られていたEDF社の約85%の株式を保有しています。
EDF社の方は主力原発として国の北西部に建設中の、フラマンヴィル原子力発電所の工期が繰り返し遅れ、建設コストが急激に膨らみ続けているという問題に直面しています。
さらにはEDFとアレバの両社が参加することになっている、イギリスの原子力発電所建設プロジェクトが進行するのかどうかも、大きな懸念材料の一つになっています。
両社の先行きを暗くしているのは、2011年3月に発生した福島第一原子力発電所の事故以降、世界が原子力発電に向ける目が全く違ったものになったことがはっきりと影響しています。
さらには自他ともに世界のリーダーと認めてきたフランスの原子力企業自身が犯した誤りも、その地位を脅かす原因になっています。
新興国市場における原子力設備の新たな供給者としての中国の台頭、そして西側先進各国がメリットよりも、原子力発電所が宿命として抱えている数々の危険に目を向け始めたことに、フランスの原子力産業は容易には対応できませんでした。
アレバ社が月曜日に公表した37億ユーロという金額は、同社の発行済み株式の評価額の総額を大きく上回っています。
これは現存の原子力発電所の費用超過と資産としての評価減に苦しむ同社が、今後も事業を継続するのであれば新たな資金源を確保しなければならない状況にあることを示唆するものです。
世界の原子力産業の中心に座り、核燃料その他の主要な供給元であり続けるというフランスの野心を現実にするためには、アレバ社の存在は必要不可欠です。
しかし西側先進国では現在稼働している原子炉を段階的に廃止して行く方針がとられ、それに代わる原子炉建設の計画はほとんど無いという状況にあります。
「ヨーロッパは今後、電力市場における原子力発電のシェアが徐々に低下していくことを目の当たりにすることになるでしょう。」
ロンドンに拠点を置く研究組織であるチャサム・ハウスのアナリスト、アントニー・フロガットがこう語りました。
これとは対照的に今後20年から30年の間、原子力発電の中心は東に向かって移動することになるでしょう。
中国、インド、ロシア、韓国では工業生産量の増加に応じ、原子力発電が活発化すると見られます。
業界団体の世界原子力協会によれば、アメリカは建設中の原子力発電所はほとんどありませんが、それでも原子力発電の発電割合は高く、フランス、ロシアに続く規模となっています。
しかし何と言っても中国の原子力発電産業の発展が群を抜いています。
現在世界で計画中建設中の原子力発電所の約半分が中国に集中しています。
インドでも一定規模の原子力発電所の開発計画がありますが、中国同様可能な限り国内の原子力産業への依存を心掛けています。
しかし現在のところはフランスが発電量の最も多くを原子力発電に依存しています。
フランス政府がアレバにさらなる資本注入を行うのかどうか尋ねられると、ロワイヤル・エネルギー大臣は
「結論を出すには、まだ時期尚早です。」
と答え、次のように続けました。
「しかし、あらゆる選択肢がすでに用意されています。」
〈 後篇に続く 〉
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【 恐怖と栄光 : ロイター写真報道の30年 】《5》
アメリカNBCニュース 2月13日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)
数々の受賞経験のあるロイター通信のカメラマンたちが、写真提供事業開始30周年を祝い、これまでの業績を振り返りました。
ロイター通信のカメラマンたちは、天災や戦争、そして経済破綻の様子を象徴する出来ごとなど、世界で繰り広げられた人間の悲劇や劇的な出来ごとを撮影し続けました。
彼らはレンズを通して見えたスポーツ、文化、ショービジネスそして世界各国の政治指導者や経済界の大物の姿を世に伝え、その写真はその時々を象徴する画像として人々の記憶に刻まれることになったのです。
1991年3月30日イラクのアハマディ油田の油井火災を消し止めようとする消防士。
湾岸戦争でサダム・フセインの軍隊は、撤退する際に次々に油井に火を放って行きました。
[カメラマン自身の解説]
火災による爆発が起き、爆風が消防士のヘルメットを吹き飛ばした瞬間の写真です。
彼らはシールドやチューブを使って油井火災を消し止めようとしていました。
地獄の業火のように燃え盛る巨大な炎を前に、消防士たちはまるで無力な存在に見えました。
火事の現場に近づくため、私たちは油井からあふれ出している一面の油の中を進まなければなりませんでした。
現場に着いてみるとものすごい熱さで、原油が噴出している現場には近づくことはできませんでした。
ちょっとした風の具合で熱風が私たちを包み込み、呼吸すらできなくなる有様でした。
1991年当時は未だデジタルカメラは無く、私が使っていたのはニコンF3Pでした。
撮影の後私はホテルの部屋に戻ってフィルムを現像し、カラープリントを作り、紙タイプされたキャプションをプリントに張り付け、それをドラム送信機を使って写真を送る必要がありました。
最終的には衛星電話を使って写真を送りましたが、それは大きなトランクほどあり、2人がかりでないと運べない程、大きく重かった事を覚えています。(写真上)
2000年7月25日、フランス、パリのシャルル・ドゴール空港近くで炎上しながら墜落するエール・フランスのコンコルド旅客機。
乗客100人と9人の乗員が死亡し、さらに地上にいた人々も巻き込まれ4人が死亡、1人が重傷を負いました。(写真下・以下同じ)
2000年10月20日、南ガザ地区における衝突で、イスラエル軍が発射した催涙がいガスから逃れようとするパレスチナの人々。
1998年8月7日ナイロビのアメリカ大使館が爆破された現場近くから回収される遺体。
大使館が大きく損壊した上、付近の建物ががれきと化しました。
この時の犠牲者は死者が250人、負傷者は5,000人という多数に昇りました。
2005年8月1日ニジェール北西部の緊急救護センター、栄養失調に陥った1歳のこどもの指と24歳の母親。
この年、ニジェール史上最悪の規模の干ばつが襲い、360万人が飢えに苦しみ、数万人の子供たちが栄養失調に陥りました。