ホーム » エッセイ » 【 オキナワ戦 : 沖縄の人々にとっての太平洋戦争 】《3・完》
伊江島、結果的にこの島は沖縄戦の中でも最悪の戦場のひとつになった
『沖縄のこころ』それは人生を大切にし、平和を誠実に希求する、人間として最も勇気に溢れた姿勢のこと
クリストファー・ドン / アメリカCNNニュース 2015年3月13日
▽ アーニー・パイル・メモリアル(伊江島)
伊江島は沖縄の西側にある小さい島ですが、ここを訪れる人々は農民と職人が暮らす静かな、そして人影もまばらな集落に出会うことになります。
1945年4月16日にアメリカ軍が上陸してくる以前、日本軍に島民を加えた守備隊が組織されていましたが、結果的にこの島は沖縄戦の中でも最悪の戦場のひとつになりました。
アメリカ軍が上陸してきたその日一日で、約6,000人の守備隊員が命を落としました。
そのなかには数多くの伊江島の志願した男性、そして女性たちがいました。
この戦闘では兵士たちとともに最前線に出て、実際の戦闘で遭遇する困難な状況について精密な描写をすることで知られていたアメリカの従軍記者アーニー・パイルが死亡しました。
伊江島のメインとなる港から数分でたどり着ける場所にアーニー・パイル・メモリアルがあります。
ここは彼が最初に埋葬された場所です。
後に彼の遺体と遺品はハワイのホノルルにある、国立太平洋戦線記念墓地に埋葬し直されました。
毎年4月には沖縄の米国在郷軍人協会と沖縄に駐留しているアメリカ海兵隊の少人数の分遣隊がやってきて、年次追悼式典を開催します。
▽ 伊江島千人洞(ニャーティア洞)
3ヵ月に及んだ戦いの間、沖縄の住民は千人洞と呼ばれる洞窟の中に避難しました。
アメリカ軍の空爆と砲撃による猛爆が続き、住民は海近くにあるこの洞窟に隠れ住む以外、無差別殺戮から逃れる方法はありませんでした。
戦闘が続いていた間、住民は内部に4つの大きな空間があるこの千人洞から出ることは出来ませんでした。
私は伊江島にある米海兵隊の訓練施設に常駐するメンバーと一緒にこの場所を訪れました。
訓練施設にいるのはわずか11人の海兵隊員です。
一日のうち最も陽が高くなる時間帯でしたが、対照的に洞窟の中は薄暗く、何か陰惨な印象がありました。
洞窟内の地面は砂で覆われ、壁面には珊瑚の痕跡が認められます。
近くに打ち寄せる波は穏やかで、そこから冷たい空気が洞窟内に流れこんできました。
「私は海が好きです。」付き添ってきた海兵隊員が、海に向かって大きく開いた洞窟の入り口に一個の小さな岩を載せながらこう語りました。
「戦争中は絶え間なく続く大きな爆発が恐ろしい状況を作りだしていたに違いありませんが、今となってはそうした状況は想像することすら難しくなりました。」
あたりは静けさに包まれており、時折波の音が聞こえてくるだけでした。
静謐さとは程遠い戦争と徹底的な破壊がすぐ近くで続いていた状況を想像することは、全くできませんでした。
▽ 沖縄県平和祈念資料館
沖縄県平和祈念資料館には、永遠の炎が灯されています。
糸満市にある沖縄県平和祈念資料館は、沖縄戦に関する最も総合的な理解が可能になる場所です。
資料館は沖縄の歴史について、古代の琉球人史から始まり日本の県として併合されたこと、急速な現代化と戦争準備、戦場となった沖縄の悲惨な状況から今日まで続く『基地の島』としての状況までを物語る多数の展示がされています。
学術図書館として、劇的な疑似体験をする場所として、戦争当時に実際に使われた様々な遺物や沖縄戦の生存者の証言に触れる場として、この資料館は訪れる人々に戦争の惨禍に見舞われた沖縄についていくつもの視点を提供してくれます。
そして沖縄が将来に向けどのような展望を持っているのかも理解することが出来ます。
永遠の炎が燃える資料館の庭からは、一切視界を遮るもののない広大な、そして素晴らしい真っ青な海が広がっています。
そしてこの資料館は、悲惨な戦争の実体験がどのようにして現在の「沖縄のこころ」を作り上げたかをはっきりと示しています。
「毅然として人生と向かい合い、個人の尊厳を尊重し、戦争を断固として拒絶して本当の意味で文化を大切にするという、もともと沖縄の人々が大切に守ってきた価値観を不動のものにしたのです。」
〈 完 〉
http://edition.cnn.com/2015/03/12/travel/okinawa-world-war-ii-travel/index.html
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私は歴史上の人物で最も勇気があったのはインドのマハトマ・ガンジー氏(1869年10月 - 1948年1月)だと思っています。
当時世界最大の帝国であった英国に対し、徹底して非暴力主義を貫きながら、自らの主張を決して曲げないという姿勢を保ち続けるには、どれ程の勇気が必要だったでしょうか。
今回の稿を訳し終え、それと同じ姿勢が『沖縄のこころ』に貫かれているという事がよく理解できました。
この稿は文献等に基づき持論を展開するのではなく、沖縄の史跡を巡りながらそこにどのような『心』が存在するのか、丹念に検証していくという手法が採られており、その事によって各所の史跡に埋もれていた『沖縄のこころ』が明らかにされて行きます。
私たち『本土の人間』はもっと謙虚に、そしてもっと真摯に『沖縄のこころ』に向かい合うべきだと痛感しました。
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【 2016年報道写真50選 】《6》
アメリカNBCニュース 2016年12月21日
ネパールのシャンジャ地区にあるシュリーカラ・バイヤブ高校で、休み時間にバレーボールに興じる同校の10年生、68歳のデゥルガ・カミ。
少年時代、彼の家は貧しく教師になる夢を断念せざるを得ませんでした。
6人の子供を持ち、8人の孫もいるデゥルガさんは妻の死後、孤独な生活に耐え兼ね、改めて学業を修めるべく現在一週間に6日のペースで通学を続けています。(写真上)
11月10日にホワイトハウスの大統領執務室で握手を交わすバラク・オバマ大統領と次期大統領ドナルド・トランプ。(写真下・以下同じ)
既成の勢力基盤に乗った政治家たちが権力の座に座り続けることに飽きていたアメリカの有権者は、次期大統領として実業家を指名しました。
民主、共和両方の既成政党に不満を募らせていた有権者は、ドナルド・トランプの政治的な経験の無さに対し、あたかも変革をもたらす使者としての役割を見出したのです。
6月13日フロリダ州オーランドで前日に起きたナイトクラブでの無差別銃撃事件の犠牲者を追悼するために集まって来た群集。
この事件では49人が死亡し、多数の負傷者が出ました。
7月15日未明、白い色の大型トラックが南フランスのニースでフランス革命記念日を祝っていた群衆に突っ込んだ事件で、犠牲となった人の遺体。
フランスはこの2年間で3回の無差別テロの対象になってしまいました。
9月8日中国の新疆ウイグル自治区トルファンで、供物祭のため美容院で順番を待つ少数民族ウイグル族の女の子。
供物祭は新疆ウイグル自治区で暮らす2,300万人のイスラム教徒の約半数にあたるウィグル族がこぞって祝う多数の犠牲を捧げる祭りとして有名です。
共産主義国家である中国は原則信教の自由を認めていませんが、イスラム教は例外的に『公認』されています。
しかし実際にはその宗教的行事や文化に対し、様々な形で規制を課しています。
これに対し一部のイスラム教徒が暴力事件を引き起こし、かえって中国政府当局の規制を正当化させる結果になりました。
http://www.nbcnews.com/slideshow/year-pictures-2016-n697021