ホーム » エッセイ » 『戦争は悪』一貫して戦争の恐しさを訴え続けた映画製作者としての人生
戦争を始めた日本人自身も飢餓、虐待、大量死に苦しんでいた - 太平洋戦争
戦場では人間は殺すか殺されるか、それ以外に選択肢はないのです
全力で自由を守り抜き、そして嘘のない世界を実現しよう
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2019年10月11日、東京のスタジオでインタビューに応じる大林宣彦監督。
大林さんは末期の肺がんと診断されていますが、発病はずっと以前のことであり、長い間闘病生活を続けながら仕事もこなしてきました。
大林監督の映画製作キャリアは40年に及び、40本以上の映画、数千のテレビ番組、コマーシャル、その他のビデオを制作してきましたが、その間ずっと自分自身に正直であり続けました。
その中で大林監督は、繰り返し戦争の恐ろしさについての警告という同じメッセージを送り続けてきました。
影山ゆり/ AP NEWS 2019年10月27日
大林宣彦氏は現在81歳、末期の肺癌を患っていますが、闘病は随分前に始まり、その数十年にわたる映画製作人生を特徴づけてもきました。
大林監督の映画製作キャリアは40年に及び、40本以上の映画、数千のテレビ番組、コマーシャル、その他のビデオを制作してきましたが、その間ずっと自分自身に正直であり続けました。
「私は同じことを続け、決してぶれることはありませんでした。」
東京事務所での大林監督は車椅子に座り、弱っているようにも見えましたが、目には輝が宿り、茶目っ気たっぷりにインタビューに答えていました。
大林監督の作品には彼が第二次世界大戦中に育ったことが色濃く反映され、日本が行った侵略と近隣諸国での残虐行為だけでなく、日本人自身も飢餓、虐待、大量死に苦しんでいたことが刻み込まれています。
「(あの時代以降)誰でもいつでもボタンを押すことができました。」
大林監督はまるでそこに核ミサイルの発射ボタンがあるかのように机を叩きながらこう語りました。
映画には力があるという彼自身の信念について力強く語った最近のAP通信とのインタビューでは、彼の声は優しくはありましたが怒りが滲み、彼の信念を反映するものでした。
彼が作る映画は、ある重要なことを問いかけているのだと大林監督が語りました。
「あなたは今、どこに立っているのですか?」
「映画の力は決して弱くはありません。」
彼は語り、そのような考え方があることにが怒りを滲ませました。
「映画とは自由を表現するものです。」
金を稼ぐ、有名になる、あるいは観客に迎合しようとして映画を作ったことは一度もない、大林監督は誇りを込めてこう語りました。
大林監督は10月27日から11月5日まで開催される東京国際映画祭で、日本映画の価値を高めることに貢献した一人として表彰されることになっています。
「大林さんは、夢幻的な視覚表現で「映画の魔術師」と呼ばれています。」
映画祭の主催者は声明の中でこう述べました。
上映される大林監督の作品の一つに、完成したばかりの上映時間3時間の『Labyrinth of Cinema / 海辺の映画館 キネマの玉手箱』があります。
この作品は反戦がテーマであると同時に、映画製作へのオマージュでもあります。
主要な登場人物は若い男性ですが、彼らは古い映画館に出かけて行き、そこでのっぴきならない状況に落ち込みます。
それぞれに映画界の巨人、フランソワ・トリュフォー(フランスの映画監督)、マリオ・バーヴァ(イタリアの映画監督)、ドン・シーゲル(アメリカの映画監督)が仮託された名前を持っています。
また1985年の作品「ミス・ロンリー」は、大林監督が育った広島県の絵のように美しい町、尾道市で撮影されました。
尾道市は、小津安二郎監督の古典的名作「東京物語」の舞台でもあります。
きらびやかなイメージを持つ万華鏡のように、大林監督の作品は彼のトレードマークになったモチーフでいっぱいです - 色彩豊かな日本の祭り、流血、まるで機械人形のように行進する兵士たち、流れ星、曲がりくねった石畳の道 - 見ているとまるで夢見るような童話の世界にいるような感覚に陥ります。
大林監督は子供時代から映画に興味を示し、手づくりでアニメーション・クリップを作成したこともあります。
大林監督の平和主義は、軍医であった父親によって幼いころにすでに強いものになっていました。
父親は、医師は味方の兵士だけでなく敵の命をも救うことができると常々語っていたことを、大林監督は覚えています。
少年だった大林監督が映画監督になる決心をしたことを打ち明けると、父は彼に8ミリのカメラをプレゼントしました。
大林監督が黒澤明監督の作品についてこう語りました。
黒澤監督をスターダムに押し上げた『七人の侍』や『用心棒』などの作品は商業主義的なもので、真の傑作は晩年に製作した『どですかでん』、そして長崎への原爆投下によってもたらされた幾多の苦しみについて綴った『八月の狂詩曲』などの作品であり、これこそが真の黒澤作品だと語りました。
大林監督は黒澤監督のことを親愛の情を込めて「黒さん」と呼んでいたことを覚えています。
そしてどれほど心を込めて映画作りをしてきたかについて、触れたことがありました。
多くのハリウッド映画作品とは異なり、大林監督の作品には悪役と戦うヒーローのような明快なプロットはありません。
他の多くの日本の映画と同様、アクション満載のシーンの連続も最大限に盛り上がる派手なエンディングもありません。
その代わり、彼の映画はどこが始まりでどこが終わりなのか、終わったと思うとまた始まり、各シーンが織るように入れ替わり、まるで時空を旅しているような感覚にとらわれます。
大林監督は、戦争が人類にとって『悪』であるかどうかと尋ねられると、意外な質問を受けるものだと驚いた様子を見せました。
歴史を通じて人々が直面してきたことは、大林監督にとって非常に難しい問題です。
「戦争というのは敵に殺されるか敵を殺すか、そのどちらかなのです。」
彼はそう語りました。
大林監督は次の映画製作に取り組んでいますが、健康状態を考えると時間がかかるかもしれないことを認めました。
大林監督は映画制作することの生涯の目標について、『愛しています』という意味を手話で表現しました。
「全力で自由を守り抜きましょう、そして嘘をなくしていきましょう。」
大林監督がこう語りました。
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現在の日本の首相の度し難いところは、どうやら戦争というものをまるで通常の外交手段の一つであるかのように認識しているらしいことです。
彼には絶対の確信があるのでしょう。
「自分が実際に戦場に立つことは絶対にない。」
何十キロも歩かされた後に、前線で体の芯まで冷えるような雨に打たれながら地面を掘り、下がぬかるむ塹壕で眠らなければならない。
それでもなんとか眠ろうとしていると砲弾や銃弾が飛んできて、手足を吹き飛ばされのたうちまわる。
この人間の認識する戦争というのは、安全な場所から様々に指揮命令する(彼に的確な戦闘指揮ができるとは思えませんが)ことなのでしょう。
第二次世界大戦において、旧日本軍というのは一般市民はもちろん、兵士の命を大切に守ろうという精神は持っていませんでした。
戦争になれば、敵に勝つ以外の価値は全て第二義、第三義、否それ以下にされてしまいます。
今私たちが大切にしているいくつものことを捨てて、見も知らぬ『敵』を殺すこと破壊することに専念しなければなりません。
そして見も知らぬ『敵』も、ためらうことなく私たちを殺すことを命令され、私たちに向かってくるのです。
そのことは決して忘れてはならないことです。