先日、テレビでNHKのニュースを見ていて
「ははぁーん、つくってるなあ。」
と、感じる場面がありました。
私は止める見通しが「まったく立たない」福島第一原発に加え、静岡県でも原発事故が起きてしまえば、もはや『日本滅亡』は必至 - 物理的な問題に加え、今度こそ国際社会での信用が地に堕ちて、世界中で[ Made in JAPAN ]を買う人がいなくなるという意味で - と思っていました。
ですから、ニュースを見ていて、静岡県の製茶業者の男性に一番違和感を覚えました。
「事故が起きてしまった福島沿岸では、収穫どころか一粒の種をまく事すら許されない。農業も、漁業も、工業も、商業も、そして普段の生活すら、以前の姿を取り戻す見通しがまったく立たないのだ。」と。
福島第一原発から遠くないところで、日々生々しい情報がもたらされる生活をしていれば、「つくられている」ニュースは直感的に分かってしまいます。。
『浜岡原発停止 → 福島第一原発の現状から言って当然首都圏は歓迎ムードです → でも地元には経済的恩恵があるのです → そして、計画停電が実施されて電力不足になれば、様々な産業に支障が出ます、一概には喜べませんよ。』
という「シナリオ」が、先にあったような気がしてなりません。
もちろんニュースがすべて意図的なものだとは思いませんが、ときにそうしたものも混在していることを、今回はっきり認識した訳です。
これは被災地に居て、福島第一原発の事故がどれほど大きく日常の暮らしを脅かすものか、毎日実際に見ているから感じる事なのかもしれません。
しかし、静岡のようにとりあえず福島第一原発の汚染の心配が無く、毎日美しい富士山の姿を、以前と変わりなく愛でる事のできる場所で暮らしていれば、案外すんなりと『ニュースのシナリオ』を受け入れてしまうかもしれない、と感じました。
だからこそ「しっかり見分ける目」を養う事を、被災地で暮らす私たちがまず、始める必要があるように思います。