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未婚の女性は高齢に達すればただ単に国家の負担でしかなくなる…世界が呆れた差別発言
子供を産みにくい、育てにくいという社会になった背景や責任を未婚の女性に押しつける
ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2018年5月11日
昨年日本では約94万1,000人の子供が誕生しましたが、これは1899年に記録が始まって以降最も少ない人数になりました。
この問題に関し与党自民党の国会議員が日本の女性が複数の子供を持つべきだと発言し、さらに未婚の女性は高齢に達すればただ単に国家の負担でしかなくなるという趣旨の『警告』を行い、性差別だという批判を招いています。
安倍首相が率いる政権与党自民党の加藤寛治衆院議員は所属する細田派の派閥の会合で、自分が結婚式の披露宴に出席を求められた際は、花嫁と新郎に「必ず3人以上の子どもを産み育てていただきたい」と呼び掛けていると発言しました。
加藤寛治衆院議員自身には6人の子供と8人の孫がいますが、若い女性に対して「結婚しなければ子どもが生まれないから、ひとさまの子どもの税金で(運営される)老人ホームに行くことになる」と半ば説教めいた話をしていたことも明らかにしました。
加藤寛治衆院議員の発言は、日本の子供の数が史上最低を記録したことが統計で明らかにされた数日後、TBSニュースが伝えたものです。
総務省によれば2018年4月1日現在、日本の15歳未満の子供の数は1,553万人で、前年と比べ17万人減少しています。
2018年日本の子供の出生数は約94万1,000人で、1899年に公式に記録されるようになって以来、最低となりました。
結婚している男女にもっと子供を増やすよう奨励するため日本では公的な財政支援策その他の優遇政策が導入されていますが、日本の出生率は依然として低く抑えられたままです。
国連の人口統計年鑑によると人口4,000万人以上の世界32カ国のうち、日本の人口全体に占める子供の割合は12.3%と最も低いものになっています。
日本では女性は生涯最大の課題を子供を産み育てることにしなければならないと発言した政治家は加藤寛治衆院議員(72歳)が初めてではありません。
2007年、当時の柳澤伯夫厚生労働大臣は女性は「子供を産む機械」と発言し、出生率を高めることが女性にとっての社会的義務だと発言しました。
農水省の前副大臣だった加藤寛治衆院議員は当初、女性議員たちからその発言が性差別に当たると批判された後も自らの発言は間違っていないと語っていました。
しかし加藤衆院議員の事務所はその後発言を撤回し、「女性を蔑視するつもりはなかった」と述べる声明を発表しました。
https://www.theguardian.com/world/2018/may/11/single-women-a-burden-on-the-state-says-japanese-mp
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いささか旧聞に属する記事ですが、自民党、特に安倍首相が属する派閥の考え方の全体主義的傾向を象徴する事件であるという点、それが世界に伝えられたということを確認する意味で翻訳しました。
私たちが暮らす民主主義社会は、様々な個性を認め合うことによって成立しています。
ただしその個性は最低限法律を犯さないこと、そしてできれば他人に迷惑をかけないようにしなければなりませんが、自分の生き方について自由な選択を制限するものではないはずです。
確かに日本の人口減少は好ましいものではありませんが、意に沿わぬ結婚をしてまで子供を産まなければならない社会などこれまで存在したことはないはずです。
日本の社会が子供を産みにくい、育てにくいというものになった背景や責任を未婚の女性に押しつけるなどというのは、発想そのものが人権侵害でしょう。
ところが安倍首相が属する派閥の考え方の根底には、基本的人権よりも国権を優先する、国体を優先する、国力を優先する、いや、しなければならないという発想があるようです。
確かに安定した国情というものは必要ですが、それを思想統一や言論統制によって実現させようとするのは邪道に過ぎるというものでしょう。
人間として自然な考え方をするとそうはならない、という方向に国民の意識を向けさせるために必要なのが思想統一であり言論統制だからです。
1930年代〜40年代の日本はそれをやったがために国が滅亡する寸前まで行きました。
愚劣な戦争をやったためにサハリンの南半分も千島列島も、民族分布として無理があったとはいえ台湾も日本領土ではなくなりました。
北海道がソ連軍に占領されて日本が分断国家にならずに済んで、本当に幸運だったと思わなければなりません。
発想そのものが間違っていたことが証明されたはずなのに、その記憶が薄らぐとともにまたぞろそうした発想が頭をもたげてきたようです。
歴史の証言者である方々が亡くなられる時代に入った今、私たちはそのことにより一層厳しい目を向けるべきだと思います。