核兵器のない世界を実現するために努力するという安部首相の発言は虚言
21万人以上が殺された広島と長崎の人々にとって、日本の不参加は到底容認できるものではない
山口まり / AP通信 2017年9月21日

世界で唯一原爆を投下された国である日本は、これまで核兵器の世界的禁止を繰り返し要求してきました。
しかしその日本は核兵器保有国とNATOと同じ立場をとり、ニューヨークで開催された国連総会において核兵器の製造・保有を禁止する条約に署名することを拒否しました。
この条約は9月20日に50カ国によって署名されましたが、同数の国が批准した時点で発効することになります。
すでにタイ、ガイアナ、バチカンの3カ国が条約を批准しており、この条約が効力を発揮すれば、核兵器の開発、試験(実験)、生産、取得、保有、備蓄が禁止されることになります。
ではなぜ日本がこの条約に反対しているのか、背景にあるものを探ってみましょう。
『米国の核の傘によって守られている日本』
日本は自国の領土内において核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずという非核三原則を宣言していますが、密接な同盟国である米国の広範囲に及ぶ核抑止力、すなわち「米国の核の傘」によって守られています。
北朝鮮のミサイル・核兵器開発の脅威が増している中、日本は日米同盟における軍事的役割を強化しており、こうした状況が日本政府が条約に署名することを困難にしています。

安倍晋三首相の下、日米両国は二国間の安全保障体制の強化を急いでいます。
日本に加えNATOの大半の国々、韓国、オーストラリアを含むアメリカのほとんどの同盟国がこの条約に関する協議に参加しませんでした。
『被爆者たちの長年の取り組み、そして悲願』
原子爆弾の被災者である被爆者のほとんどは、核兵器のない世界を実現するためにこれまで懸命の取り組みを続けてきましたが、その長年にわたる着実な努力が今回の条約の実現の原動力となっています。
広島原爆の被爆者で作る日本の代表的なグループのひとつ、被団協の事務局次長である藤森俊樹氏は国連総会議場で、核兵器は人類とは絶対に「共存しない」と訴え、この条約はそのための第一歩であると述べました。
藤森氏は日本政府が署名しなければならないと発言し、日本政府の拒否は藤森氏自身を含む多くの被爆者の心を壊したと語りました。

2017年8月9日の長崎市での記者会見で田上富久長崎市長は、この条約の成立に関わろうとしない安倍政権を非難し、核兵器のない世界を実現するために努力するという安部首相の発言は虚言だと批判しました。
さらに田上市長は1945年8月の2回の米国による核爆弾の投下によりその年の末までに21万人以上が殺された広島と長崎の人々にとっては、日本の不参加は到底容認できるものではないと述べました。
『この条約は核保有国と非保有国との溝をかえって広げてしまう?』
日本政府は核廃絶は世界中の国々とって最終的な共通目標であるとしながら自国がこの条約間締結に参加しなかった理由について、核兵器禁止への日本の取り組み方法が条約に定めるものと違うため、署名していないと説明しています。
河野太郎外相はニューヨークで記者団に対し、核兵器保有国と非保有国との間には溝があり、さらに実際にどのようにして核兵器のない世界を実現するかという方法論について非保有国の間にもギャップがあると述べました。

河野外相は日本は核兵器の廃絶と各国の非核化という共通の目的のために誰もが参加できる共通の基盤を作りたいという希望を持っており、この両陣営の橋渡しの役割を担うつもりであると語りました。
(写真No.1)
2015年8月6日、原爆投下70周年の慰霊祭の会場で、遺族が広島記念館に原爆犠牲者の名簿を納める際、お辞儀をする遺族に答礼する広島市長の松井和実氏。
率直な発言をすることで知られる松井市長は、原爆の生存者である被爆者が生涯に渡り核兵器廃絶のための取り組みを続けてきたことを称賛しました。
その上で日本政府に対し、米国の核の傘に依存する政策の転換を訴え、可能な限り早く核兵器禁止条約に参加するよう要請しました。
(写真No.2)
2016年5月26日、広島の広島平和記念公園の南東部にある原爆ドームの周囲に集まった人々。 日本は世界で唯一広島と長崎の2つの都市に原爆を投下された被爆国であり、その碑には核兵器の使用について「二度と過ちを繰り返しません」と刻まれているにもかかわらず、核兵器保有国とNATO加盟国同様、核兵器禁止条約には署名しませんでした。
これは米国ときわめて密接な関係を持つ同盟国であり、米国の核兵器によって守られているという認識を持っているためです。
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皆さんはNHKがこの条約に関する報道を行う際、冒頭に必ず
『アメリカの核の傘に守られている日本としては…』
と前置きすることにお気づきでしょうか?
そうした『認識』は絶対的な事実とは異なり、必ず注釈しなければならないものではないはずです。
『アメリカの核の傘に守られているという認識もある日本としては…』
という表現が正しいはずですが、これも政権の『圧力』によるものなのでしょうか?
月曜の朝を迎え、その政権があれ程のスキャンダルの後もほとんど無傷のまま選挙を終えました。
失望感、無力感にとらわれておられる方も多いでしょう。
しかし一方では立憲民主党というリベラルの、そして平和主義を志向する人々のための橋頭保も出来ました。
選挙前の民進党は果たして市民が信頼して良い存在なのかどうか危ぶまれる存在でした。
しかし立憲民主党は日本国内のリベラルがその存在すら危なくなった時、いわば人々の願いが結実する形で誕生し、漂おうとしていた民意を受け止めてくれる存在になりました。
ノルマンディー上陸作戦はダンケルク撤退の翌年に実現した訳ではありません。
そしてリベラルは枝野党首が言うように右でも左でもありません。
キング牧師やジョン・レノンが右でも左でも無く、ただただ市民の正当な権利と平和を希求していたように、私たちも願う事を途切れさせないよう、心を折ることなく進んで行きましょう。
選挙が終わった後、安部政権と正面から対決できる新党、それは立憲民主与党
日本の民主主義を守りたいという願いを結集させた立憲民主与党、残念なことに本格的躍進のためには準備期間が短すぎた
リベラル派陣営と左派政党の選挙協力を事実上葬り去り去った小池氏、安部首相への最高の応援
安部首相の解散総選挙の決定は党利党略目的、同時に憲法が定める政治規律にも反する
中野晃一 / ニューヨークタイムズ 2017年10月15日

9月日本の議会を解散して10月22日投票の総選挙の実施を決定したとき、安倍晋三首相は政治権力という観点から決断を行ったようです。
反対勢力の野党は混乱しており、政権の支持率は再び上昇していました。
エスカレートする一方の北朝鮮の好戦的姿勢により、安部首相のタカ派的姿勢がある意味正当化されていました。
事実、この決定は安倍首相自身の政治的弱点を露呈すると同時に、日本の政治的特質の弱点をなおさら悪化させてしまうという問題をもはらんでいました。
日本の政治について、有権者の多くは政策を重視しています。
しかし現実は自民党と新たに誕生した保守系政党との2大政党制の実現に向かいつつあり、新しく誕生したリベラル派の政党は脇に追いやられようとしています。
その結果日曜日の投票の結果がどうなろうとも、有権者の考え方と現実の政治とのギャップがますます拡大する結果になるでしょう。
行政府が立法府である議会を一方的に解散できる制度に正当性があるかということについては、いくつかの異論があります。
実際憲法学者の一部は首相に議会制度を自分の意のままにする権限などは無く、今回の安部首相の決定は党利党略に基づくものであると同時に憲法が定める規律に反するものだと批判しています。
国民も同様には安部首相の決定を好意的には評価していないようです。
共同通信の調査では、60%以上の回答者が否定的な見解を持っていることを明らかにしました。

安部首相が解散を決定した背景にあるものは、自分の関係者に対し便宜を供与するため政治的影響力を行使したとされる2件のスキャンダル、そして南スーダンにおける自衛隊の活動に関する事実の隠ぺいがあったとされる件について、真相を究明しようとしていた議会の追及から身をかわそうとしていたことの他にも、さらに別の利己的な動機があったと見られています。
今年6月には一般市民の自由を犠牲にして警察の側により広い捜査権限を与える共謀罪法案を強行成立させた後、議会における通常の審議を一方的に打ち切りました。
反発した野党側は議会の4分の1の議員が要請すれば臨時で審議を行うことができるという憲法の定めに基づき、臨時の議会を召集するよう求めました。
安倍晋三首相は3カ月以上にわたりその要求を無視した挙句、法の定めでは1年後に行えばよいはずの総選挙を前倒しし、9月28日に国会が再開されるとすぐに再び議会を解散したのです。
この時点で自民党とその連立与党は衆参両院の議席の3分の2以上を独占しており、安部首相が見せた『逃げの姿勢』は、なお一層の疑惑を招くことになりました。
しかし現実には、安倍首相の議会における圧倒的多数支える基盤には陰りが見え始めています。
安部首相が率いる与党自民党は前回の総選挙で有権者全体の約4分の1の支持しか得ませんでしたが、結果的には『地滑り的勝利』を手にしました。
これはひとえに日本の小選挙区制度によるものです。
衆議院の議席の3分の2は小選挙区制度で選ばれた議員のものですが、この制度は野党勢力に対して一方的に不利であると同時に、投票者の投票意欲を削ぐ結果につながっています。
有権者は前時代の日本の過去の業績を称賛し、独特の民族主義的な調子で経済的にも軍事的にも「強力な」日本を実現させようとする安倍首相の『日本を取り戻す』というスローガンに決して支持を表明してはいません。

安部首相は2015年、日本のいわゆる平和主義に基づく憲法の精神を完全に損なうことになると見られていた集団的自衛権を合法化するための新たな安全保障法案を提案した結果、国民の大規模な抗議に直面しました。
結局安全保障慣例法案は可決されましたが、安部首相が望んでいる自衛隊の活動範囲の拡大、その他の問題も含め国論は分断されたままでした。
読売新聞が今月行った世論調査によると、安倍首相が主張する自衛隊の存在を憲法に明記するという提案に42%の回答者が反対を表明しました (支持者の割合は約35%です)。
日経新聞の調査によると、安倍政権に対する支持率は加計学園、森友学園のスキャンダルの真っ只中にあった7月下旬に26%にまで下がりましたが、10月の第2週末の時点で約37%まで回復しました。
そこで湧き上がるのが、安倍政権の政策がこれほど不人気なのに、なぜ安倍首相は権力の座に座り続けていられるのか?という疑問です。
安部首相の権力掌握の極意は、他の選択肢が存在しないということに多くを負っています。
2009年から2012年の短期間、一度は政権の座に就いた民主党は経験の無さを露呈し、結果的に無能であるとの評価を覆すことはできず、以来国民の信用を失うことになりました。
2011年の福島で発生した原子力発電所事故で新たな形で市民運動が活発化し、民主党はこうした市民団体や少数の左派政党と提携しました。
この戦略は功を奏し、2016年の参議院議員選挙で一定の成果を得ることができました。

しかしその一方では、民主党内の保守派の中で不満がくすぶるという結果にもつながりました。
民主党は市民運動の中で一定の地位を築く一方、日本の野党の永遠の課題のひとつ、強力なリーダーの不在という致命的な弱点を解消することはできませんでした。
保守派の前原誠司氏は今年9月1日に民進党の新しい党首に選出されましたが、これまでの民主党の当主か全てそうであったように、一般市民から熱い支持を得るには至りませんでした。
今年7月に行われた東京都議会選挙で安倍首相に決定的な敗北を与えた、ポピュリストでありメディア政策に精通した小池百合子東京都知事について見てみましょう。
9月に安倍首相が衆議院の解散を発表した当日、小池氏は新しい「希望の党」の結党大会を盛大に開催しました。
小池氏は直ちに前原誠司氏との間で協議し、民進党の候補者を希望の党が引き継ぐという、国民にとって意外な取引を発表しました。
その後しばらくは、小池氏は安部首相と直接対決すべく勢い込んでいるように見えました。
しかし実際に選挙が開始されると、小池氏は詳しい説明をすることなく、自分は今回の衆議院議員選挙には立候補しないことを表明しました。
この決定は安部首相に対し、新たな勝利をもたらすことになりました。
そして安倍首相はライバルになるはずだった人物から、もう一つ別の勝利を譲られることになったのです。
小池氏はそれまでに自由主義陣営と左派政党の選挙協力を、事実上葬り去っていたのです。

小池氏は「日本をリセットする」ために希望の党を創設したと主張しています。
それはご都合主義の曖昧なスローガンであり、自民党の「日本を取り戻す」を想起させるものです。
希望の党の公約は人の心をつかみやすく作られていますが、実現性については曖昧な部分が多く残っています。
原発ゼロ、電柱ゼロ、花粉症ゼロ、その他がありますが、小池氏の保守的な立場と根本的に食い違っているものもあります。
2007年の第一次安倍内閣で防衛大臣を務めた小池氏は、イデオロギー的に安部首相とほとんど変わるところはありません。
衆議院議員選挙への出馬を取り下げた理由の一つに、小池氏自身は安部首相に取って代わろうというつもりはなく、むしろ選挙後に獲得した勢力を背景に安部首相との協定を結ぶつもりがあったという事がありました。
投票日を一週間後に控え、いくつかの世論調査は衆議院の465議席中、自民党単独で約300議席を獲得するだろうとの予測を一斉に発表しました。
小池氏自身が衆議院選挙への出馬を取りやめて以来、希望の党の支持率は低迷し、小池氏自身への支持も減っています。
しかし何はともあれ、大勢は決してしまいました。

民進党はもうほとんど存在しません。
その元メンバーの大部分は希望の党の旗の下で選挙運動を行い、リベラル派議員の多くは立憲民主党の創設を決めました。
立憲民主党の主要な綱領は党名が示す通り、一連の問題について、特に憲法の改定に関して安倍首相と正面から対決することです。
その姿勢は人気を集めていますが、いかんせん準備期間が短すぎて、今回の選挙で大きく躍進することは期待できないでしょう。
日曜日に投票が行われる以前、すでにひとつの結果がすでに明らかになろうとしています。
今回の衆議院選挙結果は、日本のリベラル左派の崩壊を物語るものになるでしょう。
本当の意味でのチェック&バランス機能を持たない保守系2大政党時代が日本の中で姿を現しつつあり、国民全体の利益と現実の国政とのギャップが拡大を続けています。
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一回の掲載としては異例の長文になりましたが、今日をおいて掲載の機会は無いのでぜひお読みいただきたいと思います。
私自身はまだ間に合うと考えたい、そう思っています。
私はこれまで政治活動を行った経験は無いのですが、先日、普段は選挙に行かないという女性に、
「将来、君の大切な子どもたちが戦場に連れて行かれるようなことにならないよう、今回だけは選挙に行ってくれませんか?」
と頼んでみたところ、
「ほんとですね!」
と投票に行くことを快諾してもらいました。
1人が1人を誘うだけで力が倍になる、そう信じてこれからも草の根民主主義を実践して行くしかありません。
これほどの政治支配はアメリカやヨーロッパの民主主義国家ではあり得ない
派手なインフラ事業で現金と雇用を大盤振る舞い、ただでさえ危機的状況の公的負債を積み増す安部政治
むずかしい問題の本質的な解決はすべて先送り、支持者を潤わせればそれで良いという情実型の選挙戦術
エコノミスト 2017年10月12日
今治市は四国と本州を分ける瀬戸内海を見下ろす場所にある美しい中世の城(今治城 : 冒頭の写真)で知られています。
しかし近頃では別のランドマークが注目されています。
それは今治市を上から見下ろす場所に建設中の魅力的なカレッジキャンパスです。
公共の場所に建設され、政府の助成金96億円によって成立した事業でしたが、建設半ばのこの獣医学部は、巨額の助成金が交付されることになった背景には安倍晋三首相の存在があったという主張がつきまとっています。
元文部科学省の官僚は、同省が仲間が経営する新しい大学に許認可を与え補助金を交付するために、安部首相が影響力を行使したと主張しています。
首相側はこれを否定しています。
野党の政治家は、今回安倍首相が10月22日が投票日となる衆議院の解散総選挙に打って出た理由の一つは、この加計問題に関するさらなる質問をうまく切り抜けようとしているのだと指摘しています。

しかしこうした一連の問題も、安倍首相が率いる自民党に対し今治市民が向き合う姿勢にはほとんど影響を及ぼしてはいないようです。
「多くの人が悪魔と知りつつも、これからも支持を続け恩恵にあずかろうと考えているようです。」
今治市で商店を経営する高須佳子さんがこう語りました。
四国地方は長年にわたり自民党の拠点となってきた、地元野党の政治家である福田剛氏がそう指摘しました。
今治市議会では32議席中27議席、県議会では47議席中26議席を自民党とその与党議員が占めています。
衆議院議員選挙を見てみると、2014年の選挙では四国の小選挙区11席のうち自民党がとれなかったのは1議席、比例代表では6議席中3議席を獲得しました。
自民党が全国的規模で敗退した2009年の選挙でも、四国地方に限っては小選挙区13議席中の8議席と比例代表で2つの議席を確保しました。

安倍晋三首相が率いる自民党は1955年以降、数年間を除き権力を握り続けてきました。
政治学者の猪口孝氏は、これほどの政治支配はアメリカやヨーロッパの民主主義国家ではあり得ない状況だと指摘しました。
この「あり得ない形」の原因の一つに日本の選挙制度があります。
四国のような保守的な農村部には、国政に対する大きな発言権が与えられています。
最高裁判所がこれまでの制度を違憲としたため、日本政府は気が進まぬ様子ながら一票の格差を縮小する方向に動きましたが、自民党は依然として利益を得続けていると、東京大学のケネス・マックエルウェイン氏が指摘しました。
政治への無関心も自民党に有利に作用しています。
2014年の衆議院選挙の投票率は52%であり、第2次世界大戦以降最低の水準でした。

しかし自民党は政治理念よりも現実的利益を優先させることで、揺るぎない支持を得ています。
自民党は保守的であるとよく言われていますが、一方では昔ながらの社会民主主義的な政策も看板として掲げています。
年金制度を守る姿勢を強調し、大盤振る舞いをして派手なインフラを構築して四国のような場所にも現金や雇用をもたらし、ただでさえ危機的な状況にある公的負債を積み増しています。
その例として1999年には、本州と四国を結ぶ巨大な橋を建設するシリーズの仕上げとして、10本目となる今治と本州を結ぶ優雅な橋が完成しました。
ちょうどその1年前には、約170km離れた四国と本州とを結ぶ3本の橋が落成しました。
安部首相が財布のひもを握っている日本政府による一連の大規模な景気刺激策は、回復への足取りの重い日本経済の実態が表に出ないようにする効果を発揮しています。

他の先進各国ではどの政党も国家財政を健全化させることに最大の責任を持とうとしている、こう考えるのは河野太郎外務大臣です。
「日本では、大きな政府と小さな政府という両方の政策をひとつの政党が担っているのです。」
今治市の経済を支えてきたのは、自民党に絶対的な忠誠を誓う造船業や繊維会社の経営者たちでした。
しかしこうした産業は近年衰退の一途をたどり、地元の人口縮小も歯止めがかかりません。
しかし地元野党の政治家である福田剛氏によれば、相変わらず多くの人々が自民党の方を向いています。
これまでこうした伝統的産業は衰退を続けてきました。
人口減少もさほど気にはしていないようです。

しかし日本の有権者たちは長い年月をかけ日本がどう変わったかという事より、政治に期待すべきものは選挙が終わった後に自分たちがどんな見返りを得られるのかという点にある、そう完全に割り切ってしまっているようです。
財政的に追い詰められ、まだ危険な量の放射線が残る自宅に戻ることを強制されている原発被災者
自宅を捨てて逃げなければならなかった原発被災者に、二重三重の経済的困難がのしかかる
ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2017年10月11日

2011年に発生した福島第一原発の事故により自宅を捨てて避難せざるを得なかった女性が、ジュネーヴの国連本部で開催される委員会に先立ち、原発難民にされてしまった人々の人権が侵害されていると証言する予定であるとガーディアンの取材に答えました。
福島第一原子力発電所の3基の原子炉のメルトダウンした後、園田光子さんは夫とともに10歳の息子を連れてそれまで住んでいた村から自主的に避難しました。
園田さんは国連人権委員会の席上、こうした避難者が財政的な困難に直面し、事故発生から7年近くが経っても放射線量が危険な値に留まっているかつての住居に戻ることを強制されていると証言することになっています。
園田さんはジュネーヴの委員会に先立ち、日本国内で開催される調査会で証言することになっていますが、ガーディアンの取材にこう答えました。
「私たちは日本の政府からも社会からも、見捨てられたように感じています。」

園田さんのように事故当時、指定避難区域以外に暮らしていた住民で現在他の場所で避難生活を送っている人々の数は約27,000人と見積もられています。
彼らが暮らしていた場所については未だに放射線量の高さに懸念があり、果たして住民の安全が保たれるのかどうか懸念が残りますが、日本政府は今年3月に住宅費用の援助を打ち切りました。
これに加え福島地区の再建の取組の一環として日本政府は、一度立ち入り禁止区域に指定された後除染作業を行った区域について再び居住地としてこれを開放する方針を示し、これによって事故の際立ち退きを命じ去られた数万人の住民は来年3月に補償金と住宅援助の両方の支払いを打ち切られることになりました。
このように政府が財政支援を打ち切る方針を明示したことにより、避難民の人びとは不可能とも言える選択を迫られることになりました。
放射能による汚染が解消されていない場所に戻って暮らすか、安全な場所で暮らす代わりに国家による補償を打ち切られ、今以上に苦しい生活を強いられるか、そのどちらかを選ばなければなりません。

グリーンピース・ジャパンにおける世界的なエネルギー・キャンペーンの先駆者であるケンドラ・ウルリッヒ氏は、次のように述べました。
「原発難民の人々にはかつて住んでいた家に戻るかどうか冷静に判断する選択権を与えられるべきであり、そのために充分な財政援助を提供されるべきです。」
「もし原発難民の人びとが経済的圧力によって帰還を余儀なくされているのであれば、それは情報に基づく決定を下せる立場にないという事です。この度の国連総会は、日本政府に対し正しい対応を行うよう、圧力をかけることが目的です。」
原発事故によって避難を余儀なくされた人々は、『ホットスポット』と呼ばれる放射線量が極端に高い場所が各所に残っているにもかかわらず、今度は福島第一原発近くの自宅に戻ることを強く勧められているのです。
今年3月に避難命令が解除された飯舘村では、前例の無い規模での除染作業が行なわれた住宅や学校など公共施設に対しては安全だと宣言されたものの、周囲の森林の多くは放射能が高いままです。

「野外刑務所、そんな表現をしても良いかもしれません。」
ウルリッヒ氏がこう語りました。
「こうした場所に戻ってしまえば、人々の生活の質が受ける悪影響は厳しいものになるでしょう。この場所での生活は森林とは切っても切れない関係にあります。しかし放射能汚染により森の中に入ることは決して許されません。そして森林全体を除染することは不可能です。」
数ヶ月間各所を転々とした後、園田さんと家族は2年間京都に住んでいましたが、その場所の自治体が無償でアパートを提供してくれました。
その後これまでの4年間は夫の母国である英国で暮らしてきました。
フリーの翻訳家であり日本の書道の師範でもある園田さんは
「私たちは実質的に2度に渡り避難しなければなりませんでした。息子も私も最初は本当に苦労しました。私たちは日本を離れたくはありませんでした。」
食品の安全性と内部放射線被ばくに対する深刻な懸念があるため、親戚に会うための短期の滞在を除いて、園田さんはもう二度と福島の故郷に戻ることはではないと確信を深めています。
「私の故郷の村はとても美しい場所なので、本当に悲しいです。」
と彼女はこう語りました。
「そこには私たちの家があり、引退後はそこで生活するつもりでした。」

福島第一原発の事故による避難は家族を離散させてしまいました。
園田さんの両親は暮らす場所を新たに手に入れるために必要な資金を調達しようと悪戦苦闘していますが、捨てざるを得なかった自宅の住宅ローンの支払い義務が重くのしかかっています。
園田さんが次のように語りました。
「今年3月、日本政府が住宅援助を打ち切ったことは冷酷な仕打ちでした。」
「何人かの友人は望まないのに、福島に戻るという以外の選択肢が無くなってしまったのです。」
原発難民の支援を行っているグリーンピース・ジャパンは、園田さんが行なう証言が被災者への財政的支援を継続し、住民の帰還計画を推し進めようとしている日本政府に対する国際的な圧力を構築するための最初のステップとなり、政府が計画を撤回する結果に結びつくことを期待しています。
グリーンピース・ジャパンは過去、福島周辺の放射線量が、国際放射線防護委員会が勧告している放射線への曝露限度である1ミリシーベルト(mSv)を下回るまで、福島周辺の安全宣言を行なわないよう日本政府に要請していました。
日本政府は長期的には年間1ミリシーベルトを長期目標とするとしていますが、原子力発電所の労働者に適用される年間曝露限度である年間20ミリシーベルト以下の地域に、一般の住民が帰還して生活することを奨励しています。

こうした日本政府の態度に対し、園田さんが次のように語りました。
「なぜ一般の人、特に女性や子供たちが国際的に定められた限度の20倍の放射線がある場所で生活しなければならないのでしょうか?」
「日本政府は、被災者にきちんとした回答をしていません。」
1番目の写真 : 指定避難区域の外側で農作業をする園田さんの叔母
2番目の写真 : 福島第一原発事故発生の前、近くの山間の渓流で水を飲む園田さんの息子と友だち
3番目の写真 : 福島第一原発の事故発生の前、自宅近くを歩く園田さんの家族
https://www.theguardian.com/environment/2017/oct/11/fukushima-evacuee-un-japan-human-rights
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お断りしなければなりませんが、原文の記事には『安部政権』も『安倍首相』も一切書かれていません。
被災者への援助を打ち切るのは Japanese Government であり、Abe Administrationとは書かれていません。
しかし原子力行政は国の重要な政策の一つであり、その方針を決めるのは現政権、すなわち安部政権に他なりません。
本文中に『日本政府』とあるものは、すべて安部政権と置き換えるべきです。
しかしながら原文を尊重し、本文中は『日本政府』とさせていただきました。
※英文からの翻訳のため、個人名・固有名詞の漢字表記に誤りがある場合があります。
おびただしい数の人々が自宅を捨てて避難しなければならなかった巨大な原子力発電所の事故、日本政府にも責任がある
根こそぎ破壊された人間の暮らしについて『補償する』ことは、果たして可能なのか?
ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2017年10月10日

日本の裁判所は福島第一原子力発電所の運営する東京電力と政府に対し、2011年3月3基の原子炉がメルトダウンした事故の影響により様々な形で被害を受けた住民に対し、約5億円の損害賠償を命じました。
福島地裁の判決はこれまでの裁判所の判決と同様、大量の放射線が放出され何十万何万というおびただしい数の人々が自宅を捨てて避難しなければならなかった巨大な原子力発電所の事故に対し、日本政府に責任があるという事も明確にしました。
3基に上る原子炉のメルトダウンという事故の発生により、それまでの生活を根本から破壊されたとする12,000人の人びとが全国で30件の同様の訴訟が行なわれていますが、3,800人の原告を含む集団訴訟はその中で最大規模のものです。

2017年3月、25年前のチェルノブイリ原子力発電所事故以降、世界最悪の原子力事故となった福島第一原発の事故について、国にも過失があったとする日本の裁判所として初めての判断が下されました。
そして2011年3月11日に強力な地震と津波によって深刻な原子力発電所事故を引き起こした東京電力は、3件の訴訟すべてにおいて損害賠償を命じられることになりました。
判決によれば事故発生当時避難を命令されなかった福島県の住民を含む原告は、最高で36万円の賠償を受け取ることになります。
しかし裁判所は、それまで生活していた住居が再び人間が安全に暮らせる数値に放射線量が下がるまでの期間、月額5万5000円の補償を支払うように求めた原告の訴えは却下しました。
このケースは政府とTepcoが6つの原子炉のうちの3つの炉で燃料の溶融を防ぐために使用されていた発電所の冷却システムを破壊し、バックアップ発電機を破壊した災害を予見できたかどうかにかかっています。

いずれの裁判でも、福島第一原子力発電所の6基の原子炉の内3基で、本来から原子炉の炉心で核燃料のメルトダウンを防ぐために機能するはずだった冷却装置を破壊し、併せて非常用の発電機も使用不能に陥らせるほどの災害の発生を日本政府と東京電力が予め想定することはできたかどうかという点が重要な争点となりました。
福島地方裁判所は、福島第一原発が位置する東北地方の太平洋沿岸地区を襲う危険性について、すでに約10年前に状況が解明されていたにもかかわらず、日本政府当局は東京電力に安全対策を改善するよう命令しなかったと指摘しました。
原告側の主張は2002年に日本政府が専門家に依頼して調査を行った結果、今後30年以内にマグニチュード8.0の地震が発生する確率が20%、その際高さが15.7メートルに達する津波が発生する可能性があるとした報告に基づいています。

裁判所は、日本の原子力行政が責任を持って原子力産業界に働きかけ、東京電力に対し福島第一原発の地下に置かれていた非常用ディーゼル発電機を高地に移動させるとともに、原子炉建屋を耐水性を強化するように命じていれば、原子炉がメルトダウンする事態を防ぐことができた可能性が高いという原告の主張を支持しました。
これに対し日本政府と東京電力は東日本の太平洋岸一帯を破壊し尽くす程強力な津波の襲来を予測することは不可能だったと主張し、福島第一原発の事故はやむを得ないものだったと主張してきました。
災害から約7年が経過しましたが、未だに5万人以上の被災者が仮設の住居での生活を強いられ続けています。
一部の被災地域では政府の避難命令が撤回され、放射線の脅威が本当に取り除かれたのか危ぶみつつも指定避難が解除された市町村に戻った人々もいますが、多くの人がもう二度と故郷に戻ることはできないと語っています。

https://www.theguardian.com/environment/2017/oct/10/fukushima-residents-win-500m-yen-payout-over-nuclear-disaster
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これまで原発難民にされてしまった方々から直接うかがったお話に、この稿の内容を重ね合わせたとき、最初に思ったことは『補償とは何か?』という事でした。
私が知っている現在20代で事故当時高校生だった女性は、自宅が楢葉町の小高い丘の上にあり、学校帰り度々目にしていた山間に夕陽が沈んで行く景色が大好きだったと話してくれました。
それは人間としての感情のひとつであり、そうした風景を永遠に奪われても、もちろん補償の対象とはなりえません。
彼女は仙台市内の大学に進学しましたが、「幸いに」原発難民として迫害や嫌がらせを受けることは無かったとも話してくれました。
その話を聞いた時には、本当に心が痛みました。
自分とは関係の無い会社が引き起こした産業事故の被害者にされたことで、なぜ迫害や嫌がらせを受けることを心配しなければならないのか、あまりに理不尽な話だと感じたからです。
しかし国内報道でも度々伝えられたように、原発難民にされてしまった方々のなかに、実際に避難先で数々の理不尽な扱いにさらされることになった方も数多くおられたようです。
彼女はこうした体験を私に終始穏やかな口調で話してくれました。
しかし彼女を知る別の人は、家族がいよいよそれまで暮らしていた自宅を『捨てなければならない』と決まった時、信じられないほど取り乱し、その後精神を病む寸前まで行ったのだと教えてくれました。
彼女は今年結婚し、新幹線を乗り継いで行かなければならない程遠い場所にある新居で暮らすことになりましたが、福島県いわき市内に新たに居を定めたご両親と一緒にかつての自宅を訪れて哀惜の思いを新たにし、その後新天地へと旅立っていきました。
こうしたお話も含め、そして自分が数多く手がけた翻訳記事の中で語られていた体験談も含め、一度生活の根底を破壊されてしまったら、もう取り返し様がないのだという厳然たる事実が存在することを思い知らされました。
人為的にそれを補償するなど、到底不可能な話です。
人間は物質だけを揃え整えて生きている訳ではありません。
私も一度過労で倒れて、ごく一時的にでしたが記憶を無くしたことがあります。
あの時感じた恐怖というのは、例えようのないものでした。
人生というものが記憶の積み重ねであることを痛感させられた体験でした。
原子力発電所が一度事故を起こしたら、周辺で暮らしている人々は『何もかも捨てて』避難しなければなりません。
もう原発など無くても、いかようにも電気を作ることができる時代になっているはずです。
現在の政権・安部政権は、何より人間の暮らしを守ろうという意思を持っているでしょうか?
福島第一原発の事故に関する日本国内の議論はまだまだ足りない、そう感じさせる記事でした。