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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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【 福島第一原発で今も続く事故、そして危険、その真実 】《第3回》

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所要時間 約 14分

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アーニー・ガンダーセン氏とヘレン・カルディコット博士の対談
メルトダウンした核燃料の「取り出し」、具体的解決策はいまだに無い!
これから5年間、途切れる事無く3基の原子炉に注水を続けなければならない!
[対談 : アーニー・ガンダーセン氏とヘレン・カルディコット博士 ]
フェアウィンズ

福島第一原発4号機


ガンダーセン : 現在、福島第一原発4号機に関するわずかな慰めは、原子炉内に何も無いという事です。
しかし1~3号機についてはもちろんそうではなく、核燃料プールの中がどうなっているかもはっきりしません。
特に3号機の核燃料プールについては全く何も解っていません。
私自身は3号機の核燃料プールの損害は、深刻なものだと考えています。
そして1~3号機の内部がその後どうなっているのか、確認しなければなりません。
ご存知の通り、各原子炉内の燃料はメルトダウンしてしまいました。ですから燃料棒の束をつかんで、外に取り出すなどという事はできません。
溶けだした核燃料は、運が良ければ原子炉の底にたまった状態になっているでしょうが、実際には格納容器の底を突き破り、基礎のコンクリート部分に入り込んでしまっているようです。
この結果、事故処理は4号機の場合より、はるかに難しいものになってしまいます。

事故当時のスリーマイル島原子力発電所


カルディコット: 私の記憶では、これまでメルトダウンした核燃料の除去作業を行ったのはスリーマイル島での事故処理が唯一の例です。確か除去するのに10年かかりましたが。

ガンダーセン : その通り。簡単な作業でした。

カルディコット: スリーマイルの場合、福島第一原発1~3号機のような完全なメルトダウンでは無かったように記憶していますが…

ガンダーセン : そうです。スリーマイル島の事故の場合、溶けた燃料は原子炉の底に溜まっていて、格納容器には漏れ出していませんでした。
しかし福島の3つの原子炉では溶けた燃料は格納容器から漏れ出しました。下の方から制御棒を差し込んだのですが、その部分から櫛の歯を伝わるようにように漏れ出したのです。
燃え上がったのでなければ、制御棒のところから滲み出してしまったと考えられます。
2号機では火災が発生した可能性があり、溶けた核燃料は基礎のコンクリート部分に達しました。
私はここの部分は大きな違いだと思っています…私が問題としてとらえていること、それは1~3号機、それぞれで今確認されていることです。
解りやすくするため、原子炉を料理に使う圧力釜に例えてみましょう。

カルディコット: いいですよ。


ガンダーセン : そして原子炉が格納容器に入っているように、圧力釜の周りに非常に強固な箱を作ります。さらには原子炉格納容器と原子炉建屋内の間に、円環体の構造物が存在しています。
そして原子炉建屋の隣にあるのがタービン建屋です。
つまり1基の原子炉に対し、3つないし4つの構造体が存在することになります。
タービン建屋に関して言えば、高い放射性を帯びた物質は3つの異なるバリヤーを経て、タービン建屋内に入ることになるわけです。
数百万ベクレル、つまり1秒間に100万回の自然崩壊が起きるわけですが、これだけの値の放射性物質が集中している場合について、考えてみましょう。
そうですね、1リットルのコーラを例にしてみましょう。毎秒100万個の泡がはじけていると考えてみてください。
そう、原子炉内部ではなく、格納容器の中でもなく、原子炉タイヤの中でもなく、そこから離れた場所にあるタービン建屋内における高濃度汚染水が問題なのです。
このようなことから今私が心配しているのは、この場所における作業員の被ばくの問題なのです。私個人としてこの点が非常に気にかかるのです。
60年ほど原子力発電に関わってきた挙句、こうした結論にたどり着いたわけです。現場の人々は3基の原子炉を廃炉にする作業に関わることになるかもしれないわけです。しかし、彼らは必要な情報を与えられていないと思います。
現在現場で作業をしている人々が廃炉作業にまでかかわることになれば、彼らの被ばく線量は容易ならない値に達することになるでしょう。


物理的根拠に基づく配慮はごくわずかしかありません。
使用済み核燃料は取り出されたばかりのときは非常に熱くなっていますが、その後日を追って段々と温度が下がっていきます。
しかし物理的な高温状態は続いており、現在も福島第一原発の事故現場で蒸気が上がっているのを確認することができます。
ただ事故直後に比べればその温度は明らかに低く、5年経てば使用済み核燃料が発する熱量は明らかに低下します。
ですから5年が経過すれば、その時点で再びメルトダウンの発生はあり得なくなります。
今もその危険性は下がりましたが、メルトダウンの可能性が消えるためには5年という時間が必要なのです。
ですから原子炉、そして原子炉建屋の冷却を続けなければなりません。いったいいつまでかかるのか?5年間かかるのです。5年経てば、給水ポンプの動作を停めることが可能になります。

カルディコット: そのために福島では、溶けた燃料の上に水を注ぎつつけているのですね?

ガンダーセン : その通りです。

カルディコット: 海水をですね?

ガンダーセン : 多分もう溶けてはいないと思いますよ、ヘレン。今は高熱の個体になっているはずです。
そして1~3号機の各原子炉に、毎日何十トンという水が注ぎこまれているはずです。その水は高濃度に汚染されて戻ってきますが、それをすぐには戻さず、鉱化流体中の揮発性成分を使う、費用は高くつきますが最新の方法によって、浄化処理を行います。しかしそのプロセスを繰り返した結果、今や何百というかすがたまってしまいました。
浄水器のフィルターがありますね、あのフィルターが数百個あると考えてください。もちろん一個一個は自動車ほどの大きさがあり、300年経たなければ消えないセシウムによって汚染されています。それが数百基、原発の後ろにずらっと並んでいるのです。
そしてここに蓄えられた水は核燃料と直接接触するため、非常に高い放射性を帯びています。


カルディコット : わかりました。

ガンダーセン : このために原子炉内部、格納容器の底部、ドーナツ形の円環体、そしてこれらを覆う原子炉建屋 - 一部は吹き飛ばされてしまいましたが、これらすべてが汚染されてしまいました。そして隣にあるタービン建屋も放射能に汚染され、汚染水の循環のため1秒あたり、1リットルあたり何百万回もの放射性崩壊が続いているのです。
これは私の個人的意見ですが、このような場所で、至る所高濃度の汚染が広がる場所で、作業員に危険な作業を続けさせるべきではないと思います。

では私が東京電力の役員ならどうするでしょうか?
私なら使用済み核燃料の温度が十分に下がるまであと2年間待った上で、原子炉建屋の中にコンクリートを流し込み、全体をコンクリート漬けにして300年間待つことにすると思います。
モニタリングされている放射線量を見れば明らかなことですが、現在のように非常に高い放射線量が計測されている現場で、これ以上作業員を働かせるべきではありません。
まして現段階では、どれ程彼らが努力したとしても、原子炉は安定した状態にはならないのですから。
〈つづく〉

http://www.fairewinds.org/ja/content/ongoing-damage-and-danger-fukushima
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【アルツハイマー病の史上初の治療薬について】
『ソラネジマブ』と名付けられた治験薬が、アルツハイマー病の軽症の患者の、それ以上の症状悪化を遅らせる可能性を示しました。

アメリカNBCニュース 10月9日

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全世界で3,600万人、アメリカ国内では500万人の患者がいるアルツハイマー上について、『ソラネジマブ』と名付けられた治験薬が、史上初めて治療に対する大きな可能性を切り開きました。

この薬に関する大切な情報をお伝えします。

▽新しいアルツハイマー治療薬『ソラネジマブ』についての重要な事実
1. この製品はイーライ・リリィによって作られました。
2. 現在市販されておらず、製品化されるのは数年後になります。
3. それだけ時間がかかるのは、実権が失敗したとされる2件の例について、再検証が行われているためです。
4. 再検証を経た後でも、治療効果が期待できるのは軽度の患者についてであり、重症患者への効果はほとんどありませんでした。
5. また治療効果も著しいものではありません。
6. 現在発売を予定している会社からFDAに許可申請が出されていますが、許可の見通しは不明です。
7. 許可を得るためには、さらにたくさんのアルツハイマー病に対する有効事例を集める必要が大いにありそうです。
8. 今後の症例では、多くの科学者がアルツハイマー病の発症原因と考えている『アミロイド・ベータ』というたんぱく質に対する効果を証明することが重要な点になります。
9. 症状の初期にこの薬を投与すれば、より高い治療効果が発揮される可能性がありますが、この点についても証明する必要があります。
10. 従って現在アルツハイマー病を発症してしまっている患者に対しての恩恵はありません。しかしこれまで治療方法が無かったアルツハイマー病について、希望の光が射しこんできたことは事実です。

http://dailynightly.nbcnews.com/_news/2012/10/08/14301366-important-facts-about-new-alzheimers-drug-solanezumab?lite#__utma=238145375.780015944.1342436760.1349401497.1349751691.90&__utmb=238145375.4.9.1349751766687&__utmc=238145375&__utmx=-&__utmz=238145375.1349751691.90.56.utmcsr=nbcnews.com|utmccn=%28referral%29|utmcmd=referral|utmcct=/&__utmv=238145375.|8=Earned%20By=msnbc|cover|nbc%20nightly%20news%20with%20brian%20williams=1^12=Landing%20Content=Mixed=1^13=Landing%20Hostname=www.msnbc.msn.com=1^30=Visit%20Type%20to%20Content=Internal%20to%20Mixed=1&__utmk=69485907&__utma=238145375.780015944.1342436760.1349401497.1349751691.90&__utmb=238145375.4.9.1349751766687&__utmc=238145375&__utmx=-&__utmz=238145375.1349751691.90.56.utmcsr=nbcnews.com|utmccn=%28referral%29|utmcmd=referral|utmcct=/&__utmv=238145375.|8=Earned%20By=msnbc|cover|nbc%20nightly%20news%20with%20brian%20williams=1^12=Landing%20Content=Mixed=1^13=Landing%20Hostname=www.msnbc.msn.com=1^30=Visit%20Type%20to%20Content=Internal%20to%20Mixed=1&__utmk=69485907

【 福島第一原発で今も続く事故、そして危険、その真実 】《第2回》[フェアウィンズ]

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所要時間 約 12分

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「福島第一原発の敷地内には、8,800トンをはるかに超える高レベル放射性核廃棄物!」
「日本国内の原発には、30,000トンを超える『処理不能の』高レベル放射性核廃棄物が隠されている!」
[対談 : アーニー・ガンダーセン氏とヘレン・カルディコット博士 ]

フェアウィンズ 9月20日


昨年2011年6月に私はクリス・マーティンソンの番組に出演しましたが、そこで私は破壊された原子炉建屋を覆う、新たな建屋の建設が必要だと指摘しました。

カルディコット: そうでした。

ガンダーセン : しかし作業は遅々として進みませんでした。そして残念なことに、母なる自然には人間の事情とは関係ない春夏秋冬があります。
ですから今や時間との戦いなのです。
ふたたび巨大地震が発生して原子炉建屋が破壊されることの無いよう、祈るしかない状況なのです。

カルディコット: 一体いつになればクレーンを設置できる程度に、建物の補強ができるのでしょうか?あなたは海側ではなく、陸側に新たな壁を築く必要があるとおっしゃっていますが。

ガンダーセン : そうです。
カルディコット: 大きく重いクレーンを原子炉建屋の上に設置するために必要なのですか?そのためにはどれだけの時間がかかるのでしょうか?

ガンダーセン : 現場では約1年だと見ています。


カルディコット: 1年ですか。原子炉建屋の補強に1年。そうすれば巨大クレーンの設置が可能になる。そこまではさほどの年月を必要としないようですね?

ガンダーセン : そうですね、かかっても18カ月といったところでしょうか。その後使用済み核燃料の取り出しが可能になると思います。

カルディコット: 18カ月後に使用済み核燃料の取り出しが可能になり、すべてを冷却用のプールから取り出すのに1年かかる。つまりは2年6カ月を要するという事になりますね。

ガンダーセン : 2015年ないし2016年になれば、最初の問題が片付くことになります。

カルディコット: なんということでしよう?!

ガンダーセン : そうなのです。そして最後に取り出す使用済み核燃料の放射性濃度が最も高く、そして最も危険なのです。
実際のところ、最初の使用済み核燃料を取り出す作業は、さほど難しいものではありません。
最後に取り出さなければならない使用済み核燃料が最も新しいもので、物理的にも高温で、そして放射性がきわめて高くなっています。この使用済み核燃料を取り出すのが2014年、または2015年になると思われます。


カルディコット: 100トンもの重量がある使用済み核燃料を詰め込んだ、巨大な容器を地面に降ろすのはいつになるのでしょうか?そして一度に扱える使用済み核燃料は一束だけのようですが、一束の使用済み核燃料には何本の核燃料棒が入っているのでしょうか?
ガンダーセン : 9×9、すなわち81本です。

カルディコット: 約80本。

ガンダーセン : そうです80本が一束になった使用済み核燃料が1,000以上残っています。

カルディコット: その重量はどのくらいになりますか?

ガンダーセン : 約1トンです。

カルディコット: 1トン?

ガンダーセン : そう、約1トンです。さあここで目下一番の問題とされたことを思い出してください。
ここにある使用済み核燃料は地震によって、あるいは事故後の過熱によって、あるいはがれきがプール内に大量落下したことにより、変形してしまっているのではないか?そうなってしまえば、クレーンで取り出せない可能性があります。クレーンを使用済み核燃料の上に持って来て持ち上げようとしても、そこで作業を継続できなくなる可能性があるのです。

カルディコット: そしてどうなるのでしょう?

使用済み核燃料プール


ガンダーセン : 新たな問題が発生することになります。そうですね、時間の経過を待つことになるかもしれません。不幸なことに、こうした問題を解決するためには長い時間が必要です。
変形した使用済み核燃料を取り出して地上に降ろし、そこに設置しておいた別の使用済み核燃料プールに沈めるのです。原子炉建屋には巨大な使用済み核燃料プールがありますが、それを空にするのです。取り出して、降ろして、また沈める。何度も何度も何度も、この作業の繰り返しです。
これができれば嬉しいことに、破壊された原子炉建屋の上層階に放置しておくより、いったん地上に降ろして廃棄物格納容器に入れる方が、はるかにましなのです。

カルディコット: だから通常の核燃料プールに格納するのですね。現在のところ、その通常の核燃料プールの中にはどれだけの使用済み核燃料の束があって、それはどこにあるのでしょうか?

ガンダーセン : 核燃料プールには約7,000束の核燃料が残っています。場所は原子炉から見て海側ですが、このプールは津波による直接の被害は受けてはいません。原子力発電所の敷地全体から見れば、陸側の少し小高い場所という事になります。
そこから最も古い核燃料を取り出し、発電所内のキャニスターにいったん保管します。充分に温度が下がるまで、数十年間そこにとどめ置かれることになるでしょう。
こうして使用済み核燃料を福島第一原発4号機から取り出し、原子力発電所内のしかるべき場所で保管を続けることになります。なぜなら4号機の核燃料プールにはがれきなどがいっぱい入っていますから。

カルディコット: 核燃料プールには7,000束の使用済み核燃料があり、一束の重量が1トンという事は、ここにカルディコット: あなたが使用済み核燃料の総重量は7,000トンという事になります。

ガンダーセン : その通りです。そして4号機以外、2号機、1号機、3号機の順でそれぞれに500~600束の使用済み核燃料があります。ですから各原子炉が600トンの使用済み核燃料を抱えている、そうなります。
これほど大量の高放射性核廃棄物があるのです。
40年間原子力発電を続けた結果、これだけの高放射性核廃棄物が貯まってしまったのです。
さらにはすでにドライ・キャスクに収納済みの高放射性核廃棄物もあります。
これも福島第一原発の原子力発電所内に保管されています。
これらが巨大地震と巨大津波によって、事故を拡大しなかったことは幸運なことでした。
ですから当面の目標はこれからの10年で、すべての高放射性核廃棄物をドライ・キャスクに収納することなのです。


カルディコット: 簡単な算数の計算をしてみましよう。
7,000+600×3=8,800トン。これだけの使用済み核燃料が福島第一原発の敷地内にあるのですね。これにドライキャスクの分を加え、約10,000トンもの高放射性核廃棄物が未だに福島第一原発の原子力発電所内に残っているのです。
これには事故を起こさなかった5号機、6号機の分は含まれていません。
一体全体、日本はどれだけの使用済み核燃料、つまりは高放射性核廃棄物を抱え込んでいるのですか?
ガンダーセン : 残念ながら正確な数字は解りません。しかし日本の原子炉はほとんどが古いものばかりです。そして東海村の原子力発電所には2基、女川原子力発電所には3基、というようにそれぞれ保有する原子炉の数も異なっています。
しかし大体の推測は可能です。日本には現在稼働可能な原子炉は50基あり、それぞれ最低でも600束、おそらくはそれ以上の使用済み核燃料を抱え込んでいると考えられます。
さあ、また簡単な計算です、600トン×50=?

カルディコット: 30,000トン。それでいいですね。

ガンダーセン : 最低でも、ですよ。

カルディコット: 最低でも!
〈つづく〉
http://www.fairewinds.org/ja/content/ongoing-damage-and-danger-fukushima

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日本全国の原発に30,000トンもの、『処理不能の』使用済み核燃料が隠されている!
この指摘を読んで、私は改めて原子力発電所の廃止はなんとしても軌道に乗せなければならない、そう思いました。
広瀬隆さんの著作『原子炉時限爆弾』には、六ヶ所村の再処理など失敗続きで、とうに破綻してしまっている事が書かれています。

結局、原子力発電は「未来になれば、高放射性核廃棄物について何か良い解決方法が見つかるだろう」という、きわめて無責任な見切りによって発車した事が明らかになりました。
しかし福島第一原発が建設されて40年以上、何の進展もありませんでした。
カルディコット博士がかつてニューヨークタイムズに書かれたように、人類は「ただそれを地中深く埋める」しか出来ないのです。
ただでさえ、地震多発地帯に建設した事により、日本の原子力発電所は世界で最も危険な原発群のはず。
そしてそこには、大量の使用済み核燃料が隠されているのです。

3.11直後、週間ダイヤモンドに掲載された記事に、仮に六ヶ所村が福島第一原発と同じ被害を受けた場合、半径100km以内の人間がほぼ全員即死する、とあるのを読み、高放射性核廃棄物処理問題の容易ならなさを教えられました。

日本の原子力発電所、それは考えられている以上に危険な存在。
そしてその問題から、目をそらし始めた日本…

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【開催、ワールド・ヒッコリー・オープン】

アメリカNBCニュース 10月9日
(写真をクリックして大きな画像をご覧ください)

この写真は近日公開予定の、時代物の映画のワンシーンのように見えるかもしれません。
しかしこれはスコットランドで実際に開催された、ゴルフ・トーナメントでのシーンです。
もう使われてはいないヒッコリーシャフト(柿の木製のシャフト)のクラブを使ったトーナメント、『世界ヒッコリーオープン』が、10月8日モニフェイス・リンクス・ゴルフコースで開催されました。
参加者は1935年以前に作られたクラブ、もしくはそのレプリカを使用しなければなりません。
服装も1930年代の時代考証を求められます。
こうして見て見ると1930年代のゴルフ・トーナメントそのもののように見えますが、もちろんこの時代もボールを手で投げることは認められていません。




【 福島第一原発で今も続く事故、そして危険、その真実 】《第1回》フェアウィンズ

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所要時間 約 11分

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今再び大地震が起きれば、事態は考えられない程深刻なものに!
現在福島第一原発は、今事故処理の真最中
[ 対談 : アーニー・ガンダーセン氏とヘレン・カルディコット博士 ]

フェアウィンズ 9月20日


フェアウィンズ 9月20日

アーニー・ガンダーセン氏が『もし地球を愛するなら』プロジェクトの企画に招かれ、現在も続く福島第一原発からの放射性物質の漏えい、そしてどうすればこの事故を収束に向かわせることができるのか、ヘレン・カルディコット博士との対談が行われました。
福島第一原発では原子炉を冷却するために使われた冷却水が未だに高濃度に放射能に汚染されており、現在も太平洋の海へ流れ込んでいます。
現場は作業員を被ばくさせる危険、そして放射能漏れが続くことへのジレンマと戦い続けています。
事故発生から18カ月間の子供たちに対する健康上の影響について、2人の議論が行われました。

『もし地球を愛するなら』プロジェクトにようこそ。
私はヘレン・カルディコット、このプログラムでは、この地球上のすべての生命に対する医学上の脅威、環境上の脅威について議論を行います。
核兵器、原子力発電、オゾン層破壊、有毒な汚染物質、森林伐採、その他、この地球を守るべく、社会的、政治的問題について論じて行きます。
あなたがこの地球を愛しているなら、どうか続けて聴いてください。

ヘレン・カルディコット博士


今日のお客さまは、私の旧友でもあるアーニー・ガンダーセン氏です。ガンダーセン氏は環境とエネルギー問題に関する調査、分析、そして法的援護を行うフェアウィンズにおいて、エネルギー問題のアドバイザーを務めています。彼はまた独立した原子力発電の技術者であり、安全に関する専門家でもあります。
彼は原子力規制員会を始め、上下両院議会、各州議会、各政府機関や規制当局に対し、原子力発電所の運営、信頼性、安全に関する課題、放射線問題に関する提言などを行っていますが、その活躍の場はアメリカ、カナダをはじめ世界各国に及んでいます。

アーニー・ガンダーセン: やあヘレン、ありがとう。 再会できてうれしいですよ。

ヘレン・カルディコット: あなたが福島第一原発の現状について新たな見解を示されたので、ぜひお話をお伺いしたくて、ここにお招きする必要があると考えたのです。
本当にたくさんお伺いしたいことがあるのです。
福島第一原発の1号機、2号機、3号機、4号機が現在置かれている状況について、ぜひお聞かせください。
現状についてどうお考えですか?
今日は存分にお話しください。

アーニー・ガンダーセン氏


ガンダーセン : ありがとうございます。
では1号機、2号機、3号機、4号機がそれぞれ今どうなっているのか、お聞きください。
4号機は建屋の壁が崩壊してしまっており、その分作業がしやすくなっています。今後の計画ですが…

カルディコット: 壁が崩壊しているとはどういうことでしょうか?その部分が良くわからないのですが。

ガンダーセン : 爆発はあらゆるものを破壊しました。原子炉建屋の上部2つのフロアは崩壊し、そのために破壊を免れた構造部分が露出される結果となりました。
そして現在作業エリアと呼べる状況になっているのです。
カルディコット: 原子炉建屋は構造物として残ってはいるものの、2つのフロアは無くなってしまっている、そういう事でよろしいですね。
ガンダーセン : そうなります。原子炉建屋が本来30メートルの高さがあるとすれば、現在は18メートルになっているという事です。爆発により原子炉の上部構造が破壊されましたが、その上部構造とは東京電力が原子力発電所を運営していた海浜地帯で、核燃料棒を出し入れするための巨大クレーンと、その燃料棒を一時的に格納するためのブリッジ構造の事です。

カルディコット: ちょっとお待ちください。つまり燃料の出し入れをするためのクレーンがあった上層階2フロアが破壊された、という事になりますか?そうなりますと、原子炉格納容器、その隣には100トンを超える高放射性の核燃料棒で一杯の冷却用プールがそのまま取り残されていることになります。


ガンダーセン : その通り、まったくおっしゃる通りです。

カルディコット: 正しいのですね。

ガンダーセン : 目下の計画はかつてはそこに存在した構造物、特に使用済み核燃料プールを破壊された建屋の上に、もう一度建設することです。
これは残っている構造物を利用して行いますが、その場所は海のすぐ近くであり、燃料棒を扱うための巨大クレーンを支える橋脚部分を、破壊された建屋に隣接して建設しなければなりません。
いいですか、かつてはそこに巨大クレーンがありましたが、現在は破壊されてしまっているため、新たにクレーン設備を設置しなければならないのです。
なぜそれほどの設備が必要なのかといえば、使用済み核燃料を詰め込んだ容器は非常に重く、全部で約130トンに上る量を処理しなければならないからです。こうした作業には巨大クレーンが欠かせません。

カルディコット: あなたがお話になっているのは、束ねられた核燃料棒の事でしょうか?間違っていますか?

ガンダーセン : いえ、束ねられた核燃料棒を取り出し、水中の遮蔽された格納容器に収納しなければならないのです。

カルディコット: わかりました。

4号機使用済み核燃料プール内部の写真


ガンダーセン : もしこれらの使用済み核燃料が直接大気に触れるようなことになれば、非常に高い放射性があり、作業エリアにいる人々はその場で死んでしまうことになります。
そのためこの使用済み核燃料を水に沈める作業は、迅速に行う必要があります。
そして束ねられた使用済み核燃料をそのまま取り扱う必要があるのですが、ここで重大な疑問が出てきます。すなわち一度高温になってしまったこと、そして爆発により使用済み核燃料プールに大量のがれきが飛び込んでしまったため、燃料棒が変形してしまっているのではないか、という懸念があるのです。
しかしまあとにかく理論上は、クレーンを使って使用済み核燃料の束を掴み取り、冷却用プールの方に運び、水中に沈められた巨大な容器の中に収納しなければなりません。
使用済み核燃料を持ち上げてこの容器の中に格納し、ふたを閉めなければなりません。
この巨大な容器の重さは約100トンほどあります。

カルディコット: まあ…


ガンダーセン : 次に巨大クレーンを使ってその容器を持ち上げ、地上に降ろします。
その作業を何十回となく繰り返さなければなりません。建屋の上の使用済み核燃料プールを空にするには、おそらく1年以上かかるでしょう。

カルディコット: 少しお待ちください。束ねられた使用済み核燃料棒を水中から取り出し、別の冷却用プールに移動しなければならないが、それを格納する巨大な容器はまだ用意できていない、それでよろしいでしょうか?これからこの巨大容器を製作し、水中に沈めて使用済み核燃料棒を受け入れるための準備を行い、それができたら地上に降ろす、この手順で間違いはありませんか?

ガンダーセン : その通りです。まず最初にしなければならないことは、破壊された建屋の上にある冷却用プールの中の、使用済み核燃料をすべて取り出すことです。
そのためには、その設備の建設が完了した後、1年ないし2年の月日を必要とします。
ですから現在の状況は、いかなる意味合いにおいても、危機を脱したなどとは言えない状況なのです。
もし地震が発生すれば高濃度汚染水が漏れ出す恐れがあり、使用済み核燃料が火を噴くような事態に陥れば、日本全土がたちまち汚染されつくしてしまいます。
これが証明するのは、現在福島第一原発は事故処理の真最中だという事です。
おわかりですか、今年になってやっとこの状況が見えてきたのです。
〈つづく〉

http://www.fairewinds.org/ja/content/ongoing-damage-and-danger-fukushima
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今日からアーニー・ガンダーセン氏とヘレン・カルディコット博士の対談を連載します。
9月20日付で[フェアウィンズ]のホームページ[ http://www.fairewinds.com/ja ]に掲載されたこの対談は、まだ公式の日本語訳は掲載されていませんので、【星の金貨】の『私訳』という事で、ご覧ください。
原文はA4版で出力すると21枚ほどの原稿になりますが、実を申し上げますとまだ翻訳作業は完了していないため、全何回という事をまだ申し上げられません。
8ページほど翻訳して3回分ほどの分量になっていますので、8〜9回という事になろうかと思います。
福島第一原発の現状について、きわめて重要な分析が行われており、皆様にはぜひ全編をお読みいただきたいと思っております。

それにしても日本の原子力規制委員会のメンバーにこのお二人に小出裕章氏が加わっていれば、と心から思います。
そうすれば、今生きている「人間」を何より大切にしてくれるだろうに…
誰もがその発表を、素直に受け入れる事が出来るだろうに…
それが出来ない日本の政治システムに対する、疑問と怒りが私たちの中で色あせてしまわないよう、ぜひこの連載をご活用くださいますよう、お願い致します。

【 日本 : 高齢化に突き進む社会に、残された時間 】[ザ・インデペンダント]

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所要時間 約 9分

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福島の希望『シニア決死隊』、しかし東京電力は拒否

デイヴィッド・マクニール / ザ・インデペンダント(英国) 10月1日


最新の驚くべき報告は、10年以内に60歳以上の人間が10億人に達すると予測しています。
デイヴィド・マクニールが東京から報告します。
この25年間で最悪の原発事故の発生を見て、自ら進んで収束作業のボランティアを申し出た、初老ではあってもまだまだ壮健な2,300人の年金受給者たちは、『シニア決死隊』と呼ばれることになりました。
72歳の引退した原子力技術者である山田恭暉 (やまだ やすてる)氏に率いられた福島第一原発での豊富な勤務体験に基づき、独自の視点から安全性の検証を行っています。

「私たちはまだまだ元気な上、一生分の経験を積んでいるのです。」
山田さんが語りました。
「何もしないわけにはいかないでしょう?」

日本の年配の人々は、夜になったらただ寝るだけとばかりに、ただおとなしくしている人ばかりではありません。
今年5月、73歳の渡辺珠江さんはエベレスト登頂の、最年長者記録を打ち立てました。
これは彼女にとって2度目の偉業になりますが、挑戦はこれからも続きます。
「これからも毎日鍛錬を欠かさなければ、あと10年は登山を続けられると思います。」
彼女はこう語りました。
彼女は先進国の中で65歳以上の高齢者の割合が最も多近いこの国の、何百万人もいる元気な高齢者の一人です。

日本は今、経験した事のない人口統計学上の異変に遭遇しています。
日本の厚生労働省は65歳以上の人の構成割合が、2060年には4割を上回るという予測を今年発表しました。
この時点で日本の女性の平均寿命は90歳、男性は84歳を上回ることになります。

それにより日本は、地球全体で始まっている変化の、先頭に立つことになるのです。
国連の最新の報告では、この地球上では10年以内に60歳以上の人口が10億人を超えることになります。
驚くべきことです。


10月1日に東京で発行された『21世紀の高齢化 – 祝うべき、しかし解決すべき課題』は国連として初めての高齢化問題に関する報告書であり、増え続ける高齢者問題に対処するため『緊急の対策』を求めています。

200ページの文書は厳しい現実を指摘します。
世界の年金受給者の世代の増加割合が、他のいかなる世代をも上回ると指摘しています。
「世界中で毎秒2人の割合で、60回目の誕生日を祝っています。これを一年に直すと、毎年5,800万人のシニア世代が誕生していることになるのです。」
報告にはこう書かれています。
2050年には発展途上国でも、60歳以上の人口が15歳以下の人口を上回ることになります。
「ちょうど10年で、高齢者の数は、10億人を超えることになります。 10年にわたり約2億人近く高齢者が増加することになります。」
2050年には高齢者の5人に4人が、経済的発展が続く途上国で生きることになります。
その頃には途上国もある程度豊かになっていることが予測されますが、高齢者のための福祉予算は莫大な金額に昇ることになります。


日本は平均寿命が80歳を超える33か国の中の一つですが、5年前はその数は19か国に過ぎませんでした。
「現在この報告書を読んでいる人々の寿命は、80歳、90歳に達することでしょう。100歳ということすらあり得ます。」
国連人口基金と国際高齢者援護機関が3年をかけ、共同で制作した報告書にはこう書かれています。
「2050年までには日本同様、64か国で60歳以上の人口構成比が30%を超えることになります。」

しかし高齢化の進行は一方では「祝うべき現象」であり、たくさんの機会を提供するものであると、この報告書は結論づけています。
「まったく新しい健康管理と退職後の生活の創造」その他さまざまな課題の解決を達成すべき「大いなる挑戦」の機会をもたらすことでしょう。
「しかし迅速に取りかかる必要があり、そうしないとこの問題の余波は準備ができていない国に襲いかかり、その国は慌てふためくことになります。」

そのような状況の中、日本は最良の参考例です。
この国の高齢者は著しい成功を収めた社会の、ひとつの基準と言えるでしょう。
満ち足りた食事、健康管理と福祉、それが世界最高の平均寿命が尽きるまでついて回るのです。
「老化が進むという事は、人が老いを迎えるまで不慮の死をとげることが無い、という事です。そしてそのことはその国の社会が如何に成功した社会であるかを、表現していることになります。それはそうなのですが…」
東京にあるドイツ日本問題研究所所長で、人口問題の専門家であるフロリアン・クルマスがこう語りました。
「しかし、一方でそれはやっかいな問題をもたらします。それこそが今、私たちが経験していることなのです。」


もっとも大きなのが、老齢年金基金をどう成立させていくか、という問題です。
多くの人々が世界最大規模で、加入者6,000万人の、巨大な日本の年金システムの存立を危ぶんでいます。数年の内には、支払い義務を完了できなくなってしまいます。
こうした恐れもあって、年金基金は今年から新興国経済市場への投資を始めましたが、結果は惨憺たるものでした。
日本政府は財政的に行き詰ってしまった企業年金が、全体の6分の1に上るものと見ています。

ほとんどの先進国がそうであるように、日本もまた巨額の公的負債を抱えています。そして移民については極端な程の制限を行っているため、人口も減少を続けています。
前出のクルマス氏は、これから先一体だれが年金を支払っていくのか、誰にもわからないのだと語りました。
「戦争も無い、疫病が流行った訳でもない、飢饉があった訳でもない、しかしどの国も経験したことの無い政策の手直しを必要としているのです。しかしこの国の政治家たちには、これが本当の国家的危機なのだとは、わからなかったようです。」

年金制度に仕掛けられた時限爆弾の爆発を遅らせる唯一の方法は、国民をより長く働かせることです。
日本政府は今年、民間企業の定年を65歳に引き上げる法案を可決させました。
この年齢に該当する人々600万人が、既に労働者として働いています。
国連の報告書は世界の男性高齢者の半数近く(47%)と女性高齢者の4分の1(24%)が労働市場に留まっています。
「社会的にも、経済的にも、まだまだ貢献できるにもかかわらず、健康できちんと働ける高齢者が、世界中で今も続く差別、虐待や暴力などの問題に直面させられています。」


国際高齢者援護機関の最高責任者を務めるリチャード・ブリュウィットは世界が、彼が言うところの『広がってしまった、高齢化問題に対する誤った対処』を止めるよう望んでいます。
「具体的な、費用的にも効率の良い進歩は、生まれた瞬間から高齢化対策を施すことなのです。今やそのほとんどの人々が高齢になるまで生きていくことは、わかりきったことなのですから。」

国連の報告書は世界的規模で、そして国家的規模で高齢化に備えた人材開発を行うよう求めています。
そして「爆発的に増え続ける60歳以上の人々を、成長の原動力、そして新たな価値を創り出す人材へと変身させるための道筋を作る事」を求めています。

誰かが、東京電力にレポートを送るべきかもしれません。
今も危険な状態が続く福島第一原発を運営するこの会社は、冒頭でご紹介した山田さんたちの協力の申し出を、いかなる追加の作業員も『必要ない』として断ったのです。
「おかしな話です。」
引退した技術者である山田さんが、アメリカ人の聴衆を前にこう講演しました。
「多分、東京電力は私たちの能力について、正しい理解ができないに違いありません。」

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/japan-the-grey-planets-ticking-timebomb-8191524.html

ビートルズ、『たったひとりの公式伝記作家』が振り返る50年[ガーディアン]

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所要時間 約 12分

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【 ビートルズ・デビューシングル発売50周年 】

ハンター・ディヴィス / ガーディアン 10月5日

1962年、シングル・レコード『ラヴ・ミー・ドゥ』プロモーションのため撮影されたスチール


私が娘と2人の孫に、10月5日金曜日、サヴィルロウ・ストリート3番地の屋上に出かける用事がある、と話しました。
「これだけは外せない用事なんだ。」
3人とも怪訝な顔をして私を見返しました。
「背広を作るの?」(サヴィルロウ・ストリートはロンドン中心部のメイフェアにあるショッピング・ストリート。オーダーメイドの名門紳士服店が集中していることで有名)
「もちろんそうじゃないよ。背広なんかもう充分持っているからね。この日について何かピンと来ることは無いかい?」
帰ってきたのは、より一層怪訝な表情でした
「2012年10月5日、すべてがはじまってから、もう50年が過ぎてしまった。」
「いったい何が始まったの?」

ああ神様、始めから全部説明しなければならないのでしょうか?


1962年10月5日、ビートルズの最初のシングル・レコード『ラヴ・ミー・ドゥ』が発売されました。
ヒットチャートでは17位までしか上りませんでしたが、しかしそれこそがビートルズの始まりだったのです。
そして50年後、彼らの出発は世界中で祝われることになりました。通りに出て踊る人々、人気沸騰のシンポジウム、テレビ、そしてラジオの特集番組、何千という、まさに世界中で何是という記念イベントが行われるはずなのです。
そこに、ここ英国で開催される2、3のイベントが加わることになります。
すべてが始まり、すべてが終わった、この英国で。

ここイギリスではそれほどの話題にはなっていませんが、海外のビートルマニアの人々の盛り上がりは大変なものです。海外のマニアはビートルズに関して豊富な知識を誇り、情熱的に愛し、後ろ向きでもなければ、食傷もしていません。

私が、サヴィルロウ3番地の屋上に行かなければならないのは、オランダのテレビ番組に出演するためです。だいぶ質問されるでしょうが、満足に答えられるかどうか。

今日では私などよりビートルズに関してはるかに博識な人々がたくさんいて、彼らは控えめではあっても私などが知らないことも、たくさん知っているはずです。

ビートルズ、1969年の屋上ライヴ


そして、サヴィルロウ3番地の屋上でインタビューをする理由は、1969年1月30日、曇天の寒い朝、この場所こそ彼らが公衆の面前で、史上最後のライヴ演奏をした場所だからです。
アップルレコードの屋上で行われた屋外コンサートは、(レット・イット・ビーの映画の中では)突如彼らが思い立って行われたように紹介されています。
しかし事実は異なっていました。
予め上空にヘリコプターを待機させておき、そこからの映像を映画『レット・イット・ビー』の中で使おうと思ったのです。その時は当局によりこの突拍子もない思いつきを、やめさせられるとは思ってもみませんでした。
彼らが奏でる『騒音』は1マイル以上遠くまで響き渡り、道行く人は立ち止まって動かなくなり、ピカデリー通りはたちまちのうちに交通渋滞に陥りました。
彼らの演奏は警察官がやってきてやめさせられるまで、約42分間にわたり続けられました。
ああ、何と幸福に満ちた日々であったことか…

世界中のビートルズ・ファンなら『ラヴ・ミー・ドゥ』のシングル・レコードが発売されたこの日の重要性を、たちどころに解ってくれるでしょう。
しかし海外のテレビ局にとっては、今日という日に、アメリカの衣料品チェーン店のアバークロンビー・アンド・フィッチが大きな店舗を構え、子供向け専門店すら準備をしているサヴィルロウ・ストリートにやってきて、アップル・レコードがあった建物を見つけ出し、屋上に上って撮影を敢行することは容易なことでは無いでしょう。
たった3分間のビートルズに関するニュース映像の撮影のため、そこまでやる会社があるとは。
たった一人で誰かのインタビューを5分間収録するより、多分難しいことだと思うのですが。


アップル・レコードがかつてこの場所にあった1970年頃、私はサヴイルロウ3番地に出かけていきました。
ジョンは落ち込んだ、しかもなんだかウンザリしたような様子で、打ち合わせが始まるのを待っていました。
そこで私はビートルズのPRに関する打ち合わせをするため、デレク・テイラー(アップル社の広報担当)に会いにいくことにしました。
彼の事務所に入ると、髪を長く伸ばした女の子がやってきて、今日はデレクの誕生日だからと言いながら、湯気の立つ、焼き立てのジンジャー・ケーキをオーブンから取り出し、わたしにもふるまってくれたのです。
素晴らしい出来のケーキで、私は二切れ平らげてしまいました。

それから、我々は昼食に出かけたのですが、そこで急におかしな気分になってきました。ケーキの中には麻薬が入っていたのです。麻薬なぞというものを体験したのは、これが最初で最後の事でした。
章家記的な体験でしたが、これも私が60年代を生きた人間だからかもしれません。
多分孫にはそう説明すると思います。

一度私は『ラヴ・ミー・ドゥ』の曲について、ジョンと話をしたことがあります。
しゃれたハーモニカの感想が印象的ないい曲でしたが、歌詞はつまらないかもしれません。
「ユー」「ドゥ」「トゥルー」、あまりにありきたりな韻を踏んでいます。
もう少しましな詩は無かったのでしょうか?
この点『ストロベリー・フィールズ』の歌詞は秀逸だったと思います。
しかし人々は一語一語の意味を複雑に考えすぎ、ジョンはこの点を気に病んでいました。


ジョンは『ストロベリー・フィールズ』の歌詞も、その他の後期の曲の歌詞も、『ラヴ・ミー・ドゥ』の会とそれほど違いは無いのだ、と嘆いていました。
言葉は言葉、歌詞は歌詞。
試みにこの2曲の歌詞を口ずさむか、歌ってみてください。

今日でもなお、ビートルズの曲の歌詞の裏の裏にあるものを、読み解こうとする試みは続いています。
ましてデビュー(ビートルズはシングル発売前、すでにドイツ、英国でプロとしてステージに立っていた下積み時代が長く、正式なデビュー日時の特定は難しい - 訳者注)50周年ともなれば、なおさらでしょう。
この試みは海外で特に熱心に行われています。
アメリカと日本はこの中の最重要国であり、大学はもちろん、あらゆる場でビートルズの研究者が熱心に歌詞と取っ組み合いをしています。
歌詞は聖書と同じほど重要であり、ビートルズが残した走り書きのメモや書き損じは、ことのほか大切で貴重な資料です。

私は彼らの伝記を書きました。
そしてそれから何と数十年の歳月が過ぎ、彼らに関する伝記本は手を変え品を変え他に40冊も刊行されました。
しかしああ、「えへん」、ビートルズが公式に認めた記録は私が記した伝記一冊だけであります。

ビートルズのマネージャーを務めていたブライアン・エプスタインが契約の際、私が著した伝記が発売されてから2年間は、いかなる物書きもビートルズには接触させないという一項を付け加えたのです。


この本は1968年に出版されましたが、1970年にはビートルズは解散してしまったので、私の著作が唯一、ビートルズ活動中に編まれた伝記となりました。
こうした理由から、私の後半生は世界中でビートルズに関する講演をして回ることに、費やされることになってしまいました。
嘆かわしい…

私は1986年に珍しくビートルズとは関係なくロシアに行ったことがあります。英国人作家とロシア人の作家が、黒海のほとりで家族ぐるみの交流を行う、というイベントにロシアの作家連盟に招かれたのです。

私はビートルズの曲のすべての歌詞を暗記しているという、15歳の少年と出会いました。
彼は英語を流暢に操りましたが、そのアクセントには明らかにリバプールなまりがあったのです。
ビートルズの歌とインタビューを繰り返し聞くうちにこうなったらしいのですが、当時ロシアではまだ、ビートルズの音楽を聴くことは禁じられていました。


1998年、私は西インド諸島に関する旅行ガイドを書くため、キューバに行き、第2回世界ビートルズ会議がまさに開催されていることを知りました。
何で私が第一回の会議を知らなかったか、理由は解りません。
それは盛大なイベントでした。
ビートルズはキューバでもロシアでも演奏したことはありませんが、そこにも熱心なファンたちがいたのです。

私の新しい著作、『ザ・レノン・レターズ』はスペイン語、ロシア語を始め15か国語に翻訳の上、発売されますが、この数カ月間というもの、各国語版の翻訳の誤りを正すため、死ぬような思いをさせられました。
4日木曜日には、ドイツのテレビ局訪問を受けました。
そして金曜日、オランダのテレビの取材に出かける前はねポーランドのテレビ局がやって来ました。
すべては50周年の日のために。
英国のメディアの取材はたった一社、ラジオ・カンブリアが5日、私に電話でインタビューすることになっています。
英国メディアはこの企画に、あまり金を使いたくないようです。

オランダのテレビ局の出演料は果たしていくらなのか、楽しみに待つことにしましょう。
しかし彼らがサヴィルロウの屋上で、あまり難しい質問をしないようそればかりが心配です…


ハンター・ディヴィスの新しい著作、『ザ・レノン・レターズ』は、ヴァイデンフェルト&ニコルソン社より来週発売されます(価格は25英ポンド)。

http://www.guardian.co.uk/music/2012/oct/05/beatles-fifty-years-love-me-do
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ビートルズ・ファンを自認する者にとって、好きな曲を10曲選べといわれても、「それじゃ少なすぎる」というのが正直なところでしょう。
という事で、今回は私にとって「印象的な曲」3曲を選んでみました。

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ここで蛇足です。
ビートルズのカバーで「成功した例」というのは、非常に少ないと思っているのですが、私が一番の成功例と思っているのが、下のカーベンターズによる Ticket to Ride です。
聴き比べてみてくださいね。

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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