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【 追いつめられる福島の母親たち 「まだ何も終わってなどいません」】

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アメリカABCニュース 3月11日

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ちょっと想像してみてください。
目にも見えず、色も臭いもない物の恐怖から自宅を捨て、友人たちとも離れ離れになり、あなたの夫とすらも別れなければならない状況を。
それこそが巨大津波により原子力発電所がずたずたにされた後、福島を避難しなければならなくなった母親たちを見舞った運命なのです。

先週、こうした母親たちの2人から話を聞くことができました。

▽福島からの避難

2011年3月11日、マグニチュード9.0の東北太平洋沖地震が東日本を襲い、その30分後巨大な津波が沿岸地方に押し寄せ、逃げ遅れた20,000人の男性、女性、そして子供たちをのみこんでその命を奪いました。

津波警報が解除された後、人々はこの津波がもたらした誰も予測できなかった、本当の恐怖が始まってしまったことを思い知らされることになったのです。

最初の地震から数分間のうちに襲った余震により、千葉県の石備蓄基地で火災が発生するなど、無数の余震が日本の国土を襲いました。
仙台空港は水没してしまい、津波の被害に遭った人々は行方不明になった家族などの捜索に懸命になっていました。
そして福島第一原子力発 所の爆発のニュースが日本国内はおろか、世界中を恐怖に陥れました。
そして今日に至ってもなお、この事故の状況は極めて深刻なままです。

富塚ちあきさんは、福島第一原発から36マイル(約60km)の福島県内の場所で暮らしていました。
彼女はすでにチェルノブイリで起きている恐怖についての知識があったため、福島で放出された放射線の量はチェルノブイリの10分の1であるという日本国内の報道にもかかわらず、10歳の息子の健康を心配していました。
彼女と夫はただちに福島から脱出すべく準備を始めましたが、ことはそう簡単には運びませんでした。
「事故からしばらくたって、友人たちが子供を連れて続々と福島を出て行きました。でも私たち家族は脱出できずにいました。鉄道は打ち続く余震のため不通になっていましたし、自家用車にはほとんどガソリンが入っていなかったのです。」

地震と津波が襲った後、真っ先に欠乏したのがガソリンでした。人々は給 油を行うというガソリンスタンドに夜明け前から列を作って並びましたが、たちまちに売り切れとなり結局無駄足に終わる場合もありました。そしてまた次の日も、運さえよければ手に入るかもしれない、と列を作って順番待ちをしました。
冨塚さんは福島第一原発の爆発から11日後の3月23日、 やっと彼女の両親が住んでいる神奈川県まで行けるだけのガソリンを、自家用車に給油することができました。
そしてその日以来、冨塚さんは息子のゆりくんと一緒に横浜市内の借り上げ仮設住宅で暮らしています。
夫は仕事があるため福島県に留まることになりました。
「お父さんと会えないのはつらいです。」
息子のゆり君が語りました。
「でも脱出することは良い 決断だったと思っています。僕だって将来放射線のために病気になりたくはないし、長生きしたいし、それに両親を安心させてあげたいですから。」

しかし彼女が住んでいる借り上げ仮設住宅には、来年までしか住むことが許されていません。しかし冨塚さんは期限がきた後のことなど考えたくもない、と話します。
「今はまだそのことを考える余裕はありません。今のことだって手に余る状況ですから。この上将来のことまで心配し始めたら、本当に病気になってしまいます。」

彼女の唯一の心残りは、友人や近所の人たち、そして息子が通っていた学校の先生にちゃんとお別れの挨拶ができなかったことでした。
恐怖と故郷を捨てるという罪悪感がないまぜになりながらも、それでも冨塚さんは正しい決断をした、と思っています。


▽避難区域は、必要なだけの広さ設定されたのか

春になると美しい花を咲かせる桜の樹木が至る所にあり、美しい景観にあふれた福島県。
しかし今やフクシマという言葉は、放射線の危険性の代名詞となってしまいました。
事故を起こした福島第一原子力発電所は1945年に広島に投下された原爆の168倍にのぼる放射線をまき散らし、原子力事故に関する国際基準において、これ以上ひどい事故は無い、という最高のレベル7に分類されました。

日本政府は原発の周囲半径20kmの幅で「避難区域」を設定し、80,000人が避難するよう命令されました。この半径内に含まれた市町村は無人のままゴーストタウンと化し、時間が止まってしまいました。
誰もいない通りで信号が点滅を続けています。コインランドリーの店内には半分取り出された洗濯物が、かごの中に残っていました。
生活の兆候は全く感じられません。

▽ 避難した人々は何十年も帰郷できない可能性があります。

避難区域のすぐ外側に住んでいた人々は、避難区域の外側なら安全だという政府の見解に誠実さは感じられない、として信用していません。
確かに放射線量は下がってきていますが、それが誰にとっても安全な数値なのかどうかはわからない、と話しています。
政府による助成、あるいは 福島第一原発を運営してきた東京電力の補償が無ければ、彼らがこの地を去るのは無理だと語っています。

若い家族は彼らの子供たちが高レベルの放射能にさらされ続けることを恐れる一方、家のローンやその他の借金のためこの地に縛られています。
もはや彼らが住んでいた家は売り物にはなりません。
そして移住先での仕事が保障されなければ、とてものこと出ていくことはかなわないのです。

避難を命じられた人々は、毎月東京電力から金銭補償を受けています。
しかし自らこの地から避難することを決断した人々には、ほとんど補償はありません。
東京電力は一回限りを条件に子供たちと妊産婦には一人400,000円、その他の大人には一人当たり80,000円の補償を支払うと表明しました。

▽ 1年が過ぎて

先週の水曜日、冨塚ちあきさんと彼女の息子のゆり君、深川けいこさんと彼女の息子のかいせい君 – いずれも福島県からの避難者 - が、 女性の地位に関する第56国連委員会と連携して開催された、東京に本拠を置く非政府組織[ヒューマンライツ・ナウ]が主催するフォーラムで、自分たちの健康上の懸念について話しました。

原子炉が爆発したとき、深川さんは福島県郡山市に住んでいました。
冨塚さんは2人の幼い子供、4歳と7歳の幼い子供たちを連れて自発的に避難をしましたが、2011年6月にこうした母親たちが集まり、『福島 避難母子の会』という市民グループを設立しました。

この組織は、若い母親たちが自分たちの子供たちに将来起こり得る危険性について、素直にその不安を口にできる場を提供し、いまだに残っている放射線の危険性を 訴え、原子力業界への抵抗を示すためのデモ行進や座り込みなどの運動を組織しています。

今回の福島第一原発の事故が起きる以前、自分の故郷について考える機会というものはあったか、と尋ねてみました。
「巨大地震が襲い、何もかもが津波にさらわれてしまうのを目の当たりにして、私自身が持っていた物欲のようなものはきれいさっぱり無くなりました。私は今、生きてここにいられることに感謝する気持ちで一杯です。」
深川さんはこう答えました。

冨塚さんと深川さんは子供たちをそばに置きながら、福島第一原発がまき散らした放射性物質は、いまだに多くの人々の生活を脅かし続けている、その事の証人として話をしているのです。

「福島第一原発の爆発から1年が経ちましたが、まだ何も終わってなどいないのです。どうか私たちの存在を忘れないようにしてください。」
冨塚さんが最後にこう締めくくりました。

http://abcnews.go.com/International/evacuating-fukushima-earthquake-tsunami/story?id=15890249

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今日、福島県楢葉町にご自宅がある、という方からメッセージをいただきました。
実家が福島県大熊町にあり、家業ができなくなったために収入が途絶え、一家離散状態になってしまった知り合いもいます。
福島第一原発の周囲では数限りない悲劇が生まれ、人々を打ちのめしています。
もし自分がその立場だったら、そう考えたとき呆然となる他はありません。

福島の北にある私が暮らす宮城県では、福島第一原発の直接的な影響はより少なく、津波による被害からの立ち直りの問題が深刻でした。
しかしここに来て放射能汚染の問題のあるなしが、今後の行方を大きく左右する局面に入ってきました。
たとえば漁業。
3.11の 巨大津波は宮城県内のほとんどの港湾施設を破壊してしまいました。
すべての設備を元通りにすることはあきらめ、重要拠点を中心に復旧を進めることになりそうです。
しかし、収穫した魚介類に放射性物質による汚染の懸念がある場所では、インフラを整備したところで、肝心の商品価値は失われてしまっています。
いくら獲っても売れる見込みは無く、大汗をかいて、放射能汚染があるため処分にも困るごみの山を築くようなものです。

犠牲者の方々のことを別にすれば、津波はインフラを根こそぎ破壊しましたが、漁業という産業そのものは破壊しませんでした。
港が整備され、漁師の方が船を手に入れれば、その地の漁業の復活を始めることができます。
しかし、放射能汚染は何もかも、徹底的にだめにしてしまいました。
漁業従事者はおろか、たとえば
「日本人がカルシウムを摂取するのには、牛乳を飲むより小魚をたくさん食べた方が体に良い。」
という食文化も、被災地周辺では
「小魚を食べればセシウムなどの放射性物質を体に取り込む懸念があるから、外国製のカルシウム・タブレットで補った方が良い。」
とほとんど潰えてしまいました。
[http://kobajun.biz/?p=1760] でご紹介したエコノミスト誌の記事にあった
「原子力発電所は事故を起こせば人々の生活、人生、地域社会を破壊し、その生存を脅かし、その地に根ざした産業も根こそぎだめにしてしまい、国土までも汚染する」
その通りのことが起きてしまいました。

電気を作るための方法は原子力しか無いのですか?

ところで、この【星の金貨】をご覧いただいている方から
「取り上げている題材ごとに過去の掲載記事を分類し、分類した項目ごとに見出しを整理してほしい」
というご意見をいただきました。
私もその必要性は痛感しております。
何せ私自身どの記事がどこにあるか、探し出せるのはせいぜい最近の2週間程度までなのですから。
メインの記事ならまだしも、同じ日に第2、第3部として掲載した記事は、はじめから探すのはあきらめています。
が、食べていくため翻訳とは全く関係のない『生業』をこなしながら、記事探しから翻訳、校正まで一人(その先はもう一人スタッフがいます)でやっているので、その時間を取ることができません。
しかし、もともとこの【星の金貨】の目的の一つに、脱原発を目指す方々がいつでも自信を持って議論ができるよう、そのための資料を積み重ねるというものがありました。
である以上、分類による整理整頓は是が非にも必要です。

いつか必ず整理しますので、使いにくい点について、しばらくの間ご容赦ください。

【 少なくとも10年間は、人が住めない程の放射能汚染が続く – 福島の市町村 】

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アメリカCBSニュース 4月23日


〈写真〉福島第一原子力発電所近くの避難区域の放射線レベルを測定するボランティア(2012年3月12日)

日本では1万6000人以上の命を奪った2011年3月11日の巨大地震と津波の後のがれきの撤去作業と放射能の除染作業が続いています。
その中で明らかなことはたったひとつ。
福島第一原発では大きな誤りがあり、その結果周辺の住民が今後数十年間苦しみ続けなければならない、という事です。

ジャパンタイムズに掲載された最新の政府の報告書によれば、福島県内のいくつかの市町村の一部では、少なくとも2022年まで空間放射線量が人が住むことが不可能な高い値のまま推移することになります。
福島第一原発に最も近い場所では一年あたりの被ばく線量は50ミリシーベルトに達し、数千人がかつて住んでいた場所には戻れないという状況を作り出す、と複数の政府高官が語っています。
またアルジャジーラの報道によれば、避難区域に指定された7つの自治体のうち6市町村で、今後10年間の放射線量が危険な値が続くと予想されます。

この問題に加え、無秩序にだらだらと続く除染作業について、地元の人々は繰り返し報道機関に不満を訴えています。
「すでに一年が経ちましたが、何も改善されていません。」
61歳の地元の有機栽培農家、狩野むねおさんがアルジャジーラに訴えました。

CBSニュースの特派員ルーシー・クラフトは4月初め、福島県の土壌の多くがすでにひどく汚染されていることを報告し、椎茸栽培のような有名な特産品は台無しにされてしまいました。(動画はクラフト特派員のこの点についての報告です)
「私たちが一番悩んでいるのは、これからどうやって暮らしていけばいいのか、という事です。」
44歳のキノコ栽培農家の佐久間しんいちさんがCBSニュースに語りました。

福島第一原発を運営する東京電力は、これらのほとんどの責任を取らなければなりません。

津波が襲ったとき、福島第一原発は設計上許される以上の量のウラン燃料を抱え込んでおり、この原子力発電所では10年以上に渡り、定められた安全のための点検がいくつも行われずに来た、とロイター通信が伝えました。
それに加え、突如襲った津波の被害に対し、同発電所の職員が行った対応により事故が一層深刻なものになった可能性があり、調査を受けることになりました。

東京電力は、地元の農民に補償金を支払いましたが、農民たちの暮らしや仕事は破壊されたままであり、補償金はたちまちのうちに無くなってしまいます。
「政府は万全の態勢を取って対応に当たっている、なんて言っていますが、実際には何にもしてくれません。全部自分たちでしなければならないのです。」
地元で農家を営む佐久間さんがCBSニュースに語りました。

今回の大事故に対する日本政府の対応については、実に多くの 点について批判されていますが、一部の人が指摘するのは、被災地にいる人々の方が危機が及んでいる範囲を実際に把握している、という点についてです。
しばらくの間日本人は、これ以上の原子力災害の発生を心配しなくて良いかもしれません。
なぜならグリーンピース・インターナショナルによれば、安全性と保守点検の問題に対する懸念から、国内に54基ある原子炉のうち、1基を除くすべてが停止しており、残る一基も5月初旬に定期点検のため停止することになります。
この夏日本は1966年以来初めて、原子力 - 核の無い夏を体験することになりそうです。

http://www.cbsnews.com/8301-503543_162-57419529-503543/some-japanese-towns-to-stay-dangerously-radioactive-for-at-least-a-decade/?tag=cbsContent;cbsCarousel

【 菅前首相、英国メディアに福島第一原発の事故対応について激白 】

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所要時間 約 18分

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世界が破滅に向かうのを止めたのは?!

デビッド・マクニール / ザ・インデペンダント(英国)4月23日

日本のかつての内閣総理大臣は、福島で発生した大事故の処理を誤ったと揶揄され続けてきました。
しかし今、その見方が変わり始めています。
彼自身が初めて、当時の状況を明らかにしました。

それはまるで口から放射能光線を吐いて破壊の限りを尽くし、核攻撃兵器の架空の象徴であったゴジラの破壊の後のようでした。
世界で最も多くの人口を抱える大都市が、制御不能となった原子力発電所が噴き上げた死の灰の脅威にさらされることになったのです。
しかしそれは250km離れた福島第一原発の三基の原子炉のメルトダウンにより、3,500万人の人口を抱える東京で実際に起きた出来事でした
そして多くの意味において、首都で起きた第二次世界大戦以来最も緊迫したこのドラマの主人公は、当時の内閣総理大臣菅直人でした。

当時の事故対応について広く批判を浴びた菅前首相ですが、しかしながら事故が起た後、東京電力が6基の原子炉と恐ろしい規模の殺戮と汚染を起こす可能性があった7つの使用済み核燃料プールを放棄しようとした際、これを許さなかった点においては高い評価を得ています。

「それがどういう意味を持つ決断であったかは後世の評価を待つ他ありませんが、私は総理大臣としてできる限りことは行ったはずです。」
一年前の原子力発電所事故を振り返りながら、菅前首相が辞任後初めて英国の新聞に明らかにしました。

菅前首相が当時一番恐れていたことは、当時の枝野官房長官が口にした『悪魔の連鎖反応』、すなわち福島第一原発のいたるところで次々とメルトダウンが発生する事態でした。
「もしこうした事態になれば、首都も壊滅せざるを得ませんでした。」
枝野元官房長官は今年始め、当時を振り返りこう述懐しました。
菅前首相自身は福島第一原発の事故が完全に対応不能になれば、東京は誰も住むことのできない廃墟になってしまう、という強迫観念に苛まれていました。
「そうなれば東日本全域が壊滅的被害を受けていたでしょう。」

カギになる瞬間は東日本大震災が発生した3月11日の4日後、3月15日にやって来ました。
菅前首相が東京の中心にある首相公邸で仮眠から目覚め、疲れ切った体をしわくちゃの緊急時作業服で包んだ彼は、当時の海江田経済産業大臣から、驚くべき報告を受けました。

『東京電力の職員と700人の作業員が、福島第一原発を放棄して避難する準備に入った。』

菅前首相は直ちに運転手に、1キロほど離れた場所にある東京電力本社に彼を連れていくよう命じました。
彼が背を丸めて東京電力本社の会議室に突然入っていくと、そこには約200人の人間であふれかえっていました。
「一体全体何でこんなところが人であふれかえっているのだ?!」
彼は思わず大声を出しました。
「緊急時の重要な決定は、5、6人で行うべきだ。」
彼の怒りの矛先は東京電力の勝俣会長と、居並ぶ取締役たちに向かいました。

『どんなことがあっても』、職員や作業員を福島第一原発から下げることは許されない。
『このまま福島第一原発を放棄すれば、この大災害はチェルノブイリの2倍、3倍の巨大災害になってしまう。』
彼は1986年に発生したウクライナの原発事故を引き合に出しました。
60歳以上の作業員を福島第一原発に向かわせるべきだ、と彼は主張しました。
「私自身60歳を超えていますが、ガンが発生するまでは20年から30年かかると言われていますので、その年齢なら関係ないと思ったのです。」
菅前首相がこう語りました。そして以下のようにつけ加えました。
『自分自身も福島第一原発に行かなければならないのなら、喜んで現場に向かう。この大災害はもはや日本だけにとどまらず、世界に被害を及ぼす規模のものなのだ。』

東京電力の経営陣と火花を散らし、疲れ切った菅前首相は会議室を後にしました。
しばらくしてそこでは、福島第一原発の完全放棄を前提にしたすべての案が否決されました。
後になって東京電力の武藤副社長は、私たちは『一部の職員』を撤退させようとしていただけなのだ、と語りました。

今日、菅前首相がこう語りました。
「原子炉一号機が3月12日に爆発しました。3号機は14日。そして2号機も大変危険な状態でした。このような状況では、誰もがもはや放棄する以外にない、と考えても不思議では無かったかもしれません。」
「しかし、そんなことは許されないのです。化学プラントならば、そこにあるものが燃え尽きてしまえば、事態は収束に向かいます。しかし、原子力発電所ではそうはいきません。火災がおさまれば、その後は事故処理もやりやすくなるというわけにはいかないのです。」

この点に関する菅前首相の対応についての評価が3月に行われました。
大半を大学教授、ジャーナリスト、法律家が占める30人からなる福島原発事故独立検証委員会が6カ月を費やした調査の末、委員長で弁護士の塩崎彰久氏が、今回の危機に対する政府の対応全体に対し、
「未熟で、場当たり的、ただし運には恵まれていた」
と結論づけたのです。
『事故前からこのような事態を予測していた者はいなかった。一握りのわずかな政治家だけがパニックと相互不信に陥ることを免れたが、この事故に関する技術的問題に関わる度合いが増すことになった。
しかしこうした政治的介入が功を奏することは無く、かえって混乱を引き起こし、この場合においては時に危機的状況すら生むことになった。』
菅前首相が東京電力に立ち向かい、その全面撤退を阻止した点だけは重要であったと評価されています。
『もし全面撤退が実際に行われていれば、福島第一原発の事故全体が、全く手のつけられないことになっていただろう。』
報告書にはこう記載されています。

菅前首相自身が関わり、事故後一週間の状況をまとめた報告書は、上記報告書から2週遅れて明らかにされました。
この中で菅前首相は福島第一原発が完全に対応不能となり、同原発の半径250km圏内の全員に避難命令、あるいは避難勧告を発する事態を恐れていた、と語っています。
こうした事実があったことは、2012年になるまで明らかにされませんでした。
「それは事態が、それ以上悪化しなかったことを証明するものです。」
菅前首相が語りました。
「私たちは3月15日から17日の間、この見えない敵に瀬戸際まで追いつめられました。しかし、その後少しずつ反撃していったので す。」

菅前首相は今後さらに14基の原子炉を建設する、という計画を廃棄させた後、8月に辞任しました。
この背景には以下のような憶測があります。

政治的に強大な力を持つ日本の原子力産業界と、保守的な報道機関が、彼に『制裁を加える』ためにやめさせたのだ と。

菅氏の後継者である野田佳彦はうだるように暑い夏が訪れる前に、現在停止中の原子力発電所を再稼働させることを約束しています。
一か所を除き、現在日本のすべての原子炉は福島第一原発の事故を受け、停止しています。

現在日本の経済産業大臣である枝野氏は今週、北海道電力が定期点検のために北海道泊原子力発電所発電所の3号機が停止する5月5日以降、当面日本での原子力発電量がゼロになると語りました。

菅前首相は昨年事故を起こした福島第一原発では、今でも危険な状態が続いており、そのことを彼自身は非常に心配している、と語りました。
「一年が経過した現在も、現場が一体どうなっているのか、具体的なことがわかっていません。」
菅前首相がこう語りました。
3メートルから6メートルの高さまではある、そう予測していた原子炉2号機内の水量が、実際には60cmしかないことを先月東京電力が確認しました。

菅前首相は、福島第一原発は冷温停止していると言える状態には無い、と語りました。

▽ 活動家から首相へ : 菅直人の台頭

1947年生まれ、菅直人は民主党の創設者のひとりだった。
2010年には民主党が選挙で自民党に地滑り的勝利を収めた後約半年で、不人気の鳩山由紀夫から職を引き継ぎ、この3年間で5人目の首相になりました。

しかし間もなく襲った東日本大震災の巨大地震と巨大津波が引き起こした福島第一原発の事故への対応を批判され、一年足らずで首相の座を離れなければなりませんでした。
東京工業大学の大学院卒業後、菅前首相は市民活動家として政治家としての道を歩み始め、最終的にこの島国の首相に就任するまでに、3回の閣僚就任経験を持っていました。

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/naoto-kan-the-man-who-says-he-saved-the-world-7669097.html
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『原子力発電で明るい未来』『原子力発電は安全』などと言っていた東京電力が、一時は事故を起こしている福島第一原発を全面放棄しようとしたことを、私たち日本人は忘れないようにしなければなりません。
当時被災地であった私が住んでいる仙台市では、3.11当日に襲った津波についても、折からの停電で詳しい状況は分かっていませんでした。

そして福島第一原発で起きた爆発についても、情報は途切れ途切れに断片としか入っていませんでした。
こちらでは沿岸の市町村で数千人の行方が分からなくなっており、まずはそのことをなんとかしなければならなかったのです。
津波が襲った現場では人々ががれきをかき分け、あちこち走り回りながら、半狂乱になって肉親や同僚などの姿を探し求めていたのです。
そのとき本当に『福島第一原発の全面放棄』などされていたら、いったいどれだけの人がとんなことになってしまったか、想像もできません。
今回、英国のザ・インデペンダント(英国)がこの『事実』を取り上げてくれたおかげで、『この有り様』が世界中に伝わっていくことになるでしょう。

そして現在「そんなに原発が嫌なら、ろうそくを灯して暮らせ。」
と言っている人間が枢要な位置を占める政府が、今後の日本の行方を決定しようとしています。
この異常さに危機感を持たない訳には行きません。
まさに危機は『終わってなどいない』のです。

ところで菅首相が辞任を迫られていた 2011年の夏前、被災地で暮らす自分は「辞任させられて当然」と思っていました。
しかし、その後世界各国のニュースを毎日翻訳しながら読んでいるうちに、脱原発、反原発の流れから言えば菅前首相の辞任は決してプラスに ならないのではないか?
と考えるようになりました。
そしてドイチェ・べレ(ドイツ国際放送)などのニュースを何本か翻訳するうち、菅前首相の辞任の流れを作ったのは日本の原子力業界ではな かったか、という疑いは濃厚になりました。
「このまま菅を首相の座に座らせておいては、世論の後押しを受け、脱原発の流れが決定的になる」
そうした危機感を持った原子力業界がメディアを使って別の世論を作り出し、菅前首相の辞任を実現させた。

私たち国民は見事に利用されてしまったのかもしれません。
その思いは、現首相の発言・行動を見ていると増々深いものになります。
「次に来る者が、今の人物よりも良いという保証はどこにもない。」
そんなことは、サラリーマン社会を生きてきた私たちは百も承知だったのに…

そして世界の世論が『おかしいだろう!』と非難しているのもこの点なのです。
事故の原因を作った原子力安全保安院や東京電力が『制裁』を受けず、原子力発電の廃止を訴えた菅前首相が『制裁』される日本という国。
私たちはこの指摘に対してどう答えればいいのでしょうか?

もう一つの話題は、核家族。
日本のテレビ・新聞が取り上げる子供の虐待。
その家庭がもし父母だけではなく、何世代かが一緒に暮らすおじいちゃん・おばあちゃんがいるところなら、その分母親の育児ノイローゼなども少なければ、子供たちも救われたのではないか、と考えたことが何度もありました。

核家族は産業維持に大きな価値を置く社会にあっては、都合の良い家族構成でした。
しかし、親にとっても子供にとって心理的な部分での負担は重く、現代にいたって大量の孤独死を生む原因にもなっています。
ひとつの尺度ですべてを結論づけることはできませんが、先進国社会で今再び大家族に戻ろうとする動きがあることは、人々が「何事か」に気づき始めた証拠であるのかもしれません。

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【『核家族化』が否定される時代がやって来た 】

アメリカNBCニュース 4月22日

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子どもたちを育てるための素晴らしい方法が、毎日のように新たに発見されているようです。
今回は尊敬すべきおじいちゃん・おばあちゃんたちが、新たに生を受けた赤ちゃんに彼らの優れた体験を伝えるべく腰を上げました。
NBC放送のケビン・ティブルズがお伝えいたします。

「そろそろお目覚め?いいわよ、可愛らしいお嬢ちゃん!」

レポーター:赤ちゃんのソフィアは生まれて一週間を過ぎたばかり、そして祖母のアンは初めての孫を前におばあちゃんとしての彼女の新しい役割を愛しています。

「私はこうしているときが一番幸せ。」

アン自身が子供を産んだのはもう30年以上も前。
そしてソフィアが生まれる以前、息子のマークとその妻デニス がシアトルのスウェーデン医療センターで『新しいお父さん・お母さんのための教室』に通っている間、アンも子育てに参加する決心をし ましたそして彼女自身のスキルを磨くため、『新しいおじいちゃん・おばあちやんのための教室』に通ったのです。
「ここで祖父母としての資質を磨くのです。」
「30年前に私たちが経験した育児方法より、今はもっと優れたノウハウがあるのよ。」

レポーター : 新しく祖父母になる人々が、赤ちゃんのくるみ方について教習を受けています。」

「こうして赤ちゃんの肩まできちんとくるむのです。」

レポーター:赤ちゃんに必要な栄養の問題から、昼寝の時間に至るまで。

「私が子供を育てたていた時分にはドクター・スポックの育児書ぐらいしかなかったのよ。」

レポーター:物事は確実に進歩しています。
おじいちゃん、おばあちゃんのためのTIPS、それは以下のようなものです。
ベビーベッドの中に大きなものを置いてはいけません。
おもちゃや携帯電話もだめ。
寝かせるときは背中を下にします。
ベッドの中でうつぶせにして、ハイハイの練習をさせてはいけません。
これでマークとデニス、そしてソフィアも、おばあちゃんの育児にいつも最高の評価を与えることになるでしょう。

「妊娠中からすでに、こうしたアンおばあちゃんの準備は始まっていました。」
「彼女はずっと孫の誕生を待ちわびていたのです。」

レポーター : そしていよいよアンが磨き上げられた祖母の役割を果たす時がやって来ました。
「さあ、ひとつひとつをもっとレベルアップしていくわよ。お人形を使って練習を重ねてきたけど、これからはこの可愛らしい小さなかわいい命を大切に守っていかなければならないわ。」

レポーター : 新しいおばあちゃんのアンが最新式の育児法を身に着ける一方、デニスの父エリック・チャンは彼の母国台湾の伝統の習慣や伝統料理を、新米の母親である娘に伝えようとしています。
彼はまた、孫のために子守唄を歌って聞かせます。

レポーター:足りないところを補い合い、睡眠不足に陥りがちの新しい両親を手助けするために何でもこなしています。
「両方の 祖父母が赤ちゃんと一緒に時間を過ごすことができ、本当に幸せです。孫に対する愛情も深まるばかりです。」

「だからと言って溺愛するだけのおばあちゃんにはなりませんよね?」
「だれが?私?」
レポー ター : もちろん彼女が、です。
「さあ、出かけるわよ。」

レポーター : 彼女がこの点に関する知識も、最新のものに持ち替えているのはもちろんです。
ケビン・ティブルズ、NBCニュース、シアトル。

インド長距離核ミサイル / コロンバン高校銃乱射事件 13回忌/ メキシコ湾重油流出事故から2年

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ディスカバリー&スミソニアン博物館 / 巨大な太陽の爆発 / 巨大輸送機C-5】

アメリカCNNスチューデント・ニュース 4月20日

▽インド長距離核ミサイルの発射実験に成功

二つのロケット発射実験が行われましたが、世界の反応はなぜこうも違うのでしょうか?
先週、北朝鮮の実験が失敗に終わりました。
昨日はインドが長距離ミサイルの発射実験に成功しました。国連を含めた各国は北朝鮮の実験については、口を揃えて避難しました。
しかし今回のインドの実験については、中国からやや控えめの避難はありましたが、各国はほとんどこの問題を取り上げませんでした。
この違いはなぜ?

インドは米国の同盟国であり、そして国際社会でも北朝鮮より遥かに高い評価を得ています。
ジム·クランシーがインドの実験について、詳しく教えてくれます。

ジム・クランシー、CNN特派員
アグニ5号ミサイルは19日木曜日早朝、インドの東海岸沖合の島から打ち上げられ、雲の間を突抜け実験を成功させました。
アグニとはヒンディー語で『炎』の意味ですが、このミサイルは1トンの重量の核弾頭を搭載することができ、射程の長さは5,000キロメートルあります。北京を含む中国国内の主要都市のすべてを射程内におさめることができるのです。

インドのマンモハン・シン首相は、重要な第一歩だと語りました。

今回のアグニ5号ミサイル打ち上げの成功は、インドの科学技術分野に対し国家が適切な貢献を行ったことを象徴するものだ、と語りました。

今回の打ち上げについてインド政府は事前に広報していましたが、これといった批判は起きませんでした。
一方北朝鮮は打ち上げに失敗したにもかかわらず、厳しい批判にさらされました。
この成功により、インドは国際社会で一定の影響力を持つことになります。

国連の常任理事国である英国、フランス、中国、ロシア、そしてアメリカ合衆国、そしいイスラエルのような国も長距離ミサイルを保有していると見られています。
インドの指導層はこのミサイル開発は、飽くまで抑止力が目的である、と語っています。

インド防衛大臣パリアム・ラジョ「皆さんもご存知のように、インドには核武装した、あまり友好的ではない隣人がいます。そのため今回開発したような能力を持った兵器を保有することは、我が国の安全上重要な意味を持っています。」

クランシー:アナリストはこの隣人とは核兵器を保有している中国とパキスタンに他ならない、と語っています。
中国当局は今回の実験成功を把握していますが、両国関係にさほどの影響は無い、と見ています。

▽コロンバン高校銃乱射事件

アズーズ:13年前の今日、コロラド州リトルトンのコロンバン高校で悲劇的かつ衝撃的な出来事がありました。
2人の学生が銃と爆弾を学校に持ち込み、発砲しました。13人の生徒が死亡、23人が負傷しました。武装した2人の生徒はその後自ら命を絶ちました。

2007年に学校近くの公園でこのコロンバン高校の発砲事件の追悼式典が行われましたが、この事件がきっかけになり全米の学校では安全が最優先事項となり、こうした事件を二度と起こさないための教育プランなども導入されました。

▽メキシコ湾重油流出事故

2年前のこの日、メキシコ湾ディープウォーター・ホライゾンで重油流出事故が発生しました。
126名の職員が働いていましたが、爆発により11人が死亡しました。この爆発はアメリカ史上最悪の重油料出事故につながりました。200万ガロン(約800万リットル)の重油が湾内に流出し、一部はいったいの海岸に流れ着きました。
重油の流出を止めるまで85日間かかり、海底にある採掘弁を完全に閉じるまでには約4ヶ月を要しました。

▽パット・サミット、バスケットボール・コーチの辞任
(省略)

▽スペースシャトル・ディスカバリー

スペースシャトル・ディスカバリーが正式にスミソニアン博物館に収納されました。
昨日受け取りのための公式セレモニーが、アメリカ人初の宇宙飛行士であるジョン・グレンを初めかつてのアメリカの宇宙飛行士達が参加して開催され、ディスカバリーは新たな我が家に収まることになりました。
ジョン・グレン自身、ディスカバリーでの飛行経験があります。
彼はこの後のディスカバリーの役割について述べました。
ジョン・グレン「今日からディスカバリーは新たな任務に就くことになります。これまでのようにダイナミックでもないし、一見重要ではないように見えるかもしれません。展示されるということは、単に私たちの業績を公正に伝えるだけでなく、次の世代の人々のインスピレーションをかき立てることになるのです。」

▽巨大な太陽の爆発

アズーズ:今週私たちは太陽の表面で発生した、巨大なフレアについてお伝えしました。
しかし科学者は中規模な爆発にすぎない、と語っています。
これはどんな意味を持っているのでしょうか?
チャド・メイヤーが詳しくこの状況について、わかりやすく解説してくれます。

アメリカ気象協会、気象学者チャド・メイヤー:簡単にわかるように、色分けしたイメージを用意しました。
そして大きさについて、これが地球と同じ大きさに相当します。
爆発の炎が作り出したこの円内に、地球を20個入れることができます。これを見ても太陽がいかに巨大なものかわかります。そしてここに地球を置いてみることで、今回の爆発がいかに巨大なものか、おわかりいただけると思います。

▽今日のシャウトアウト

シャウトアウトの時間ですよ。これらの米軍航空機のうち、貨物輸送機はどれでしょうか?
答えがわかったら、大声で答えてください。
B-52、C-5、F-18、T-6さあどれでしょう、3秒以内に答えてください。

アルファベットの意味が答えです。 Cはカーゴ(貨物)の略で、ここで正しい答えはC-5です。

▽巨大輸送機C-5

アズーズ:C-5はただの貨物輸送機ではありませんよ。
C-5は世界最大の航空機というだけでなく、アメリカ陸軍のありとあらゆる装備を運べる飛行機なのです。
このまま私がこの飛行機がいかに巨大か話し続けても良いのですが、実際に中をその目で見てもらう方がはるかに良いと思います。

アメリカ気象協会、気象学者レイノルズ・ウルフ
ロビンス空軍基地にやってきました。これから信じられないものをご紹介しましょう。
アメリカの軍用機の中で最大のC-5です。右後方にタラップがあります。
では11段あるタラップを上って中に入りましょう。上ったところにフライトデッキがありますが、地上3階建ての高さがあります。
中に入るとその広さに驚かされます。
この中には戦車や装甲車はもちろん、他の航空機すら搭載可能です。分かりやすいように例を挙げると、サッカー場の約3分の2もの大きさがあるのです。

信じられないかもしれませんが、実はもう1フロアあるのです。
デッキ上にはたくさんの部屋があります。
この場所には75人の隊員達が座れる椅子を余裕を持って配置できるのです。

驚くのはその広さだけではありません。この操縦室には6人がゆったり座れます。
ここにいるライアン・ホワイト大佐もその一人。大佐、その他にC-5の際立った特徴を説明してください。

アメリカ空軍ライアン・ホワイト大佐
「あなたの言うようにまずは大きいのが一番の特徴です。
そして100マイル以上離れた場所にいる、あらゆる航空機と交信ができること。
そしてやっぱりなんと言っても大きさが一番です。世界で初めて空を飛んだライト兄弟の飛行機なら、このC-5の中を飛ぶことができるんです。

ウルフ「どうでしょう、C-5のクイック・ツアーは楽しめましたか?
ロビンズ空軍基地のC-5の中からCNNのレイノルズ・ウルフがお伝えしました。

(以下省略)

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【 皇帝ペンギンの生息数は南極に600,000羽 - 衛星による調査で確認 】

アメリカABCニュース 4月13日
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これまで考えられていたよりももっと多くの白と黒のかわいらしい鳥達が生息していることが、最新の衛星画像によって明らかになりました。

非常に高い分解能(VHR)の衛星画像を解析した結果、科学者たちは調査した地域に60万羽近い皇帝ペンギンが生息していることを突き止めました。
当初の予想では27万羽から35万羽と思われていましたが、南極にある44カ所のコロニーを調査し、上記の生息数を割り出しました。

英国南極調査隊、ミネソタ大学、スクリップス海洋学研究所、オーストラリア南極部門の科学者達は、衛星画像に写った動物、氷、影、ペンギンの糞などとペンギンを慎重に区別しながらその生息数を割り出したのです。
これらの調査機関によれば、今回の取り組みは『宇宙からの撮影によって行われた初の国勢調査』です。

以前は動物学者といえど、南極の寒さとペンギンの群れに与える心理的影響を考慮し、思うような調査ができませんでした。
しかしこの方法なら寒さはあまり関係ありませんし費用と時間が節約でき、ペンギン達を怖がらせずに正確な調査を行うことが可能です。

しかし今回の調査では気候変動が、鳥類にどのような影響を与えているかは明らかにできません。
「鳥類の生息数がどう変化していくのか、これから研究を続けていく際の基準を制定することになります。」
ミネソタ大学の南極地理センターの科学者であるミシェル・A.ラルーが、ABCニュースに語りました。
「南極海の氷が減って、ペンギンのコロニーの一つが消滅したことがわかっています。」
こう彼女が付け加えました。

画像をご覧いただくとわかりますが、ペンギンの白と黒の色は雪原の中で目立つため、コロニーの存在がはっきり確認できます。
残念ながら一羽一羽の姿まではとらえられませんが、『シーワールド・ペンギン・カム』のウェブサイトをご覧いただければ、いつでもリアルタイムでペンギン達の生態をご覧いただけます。

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ザ・バンドのリヴォン・ヘルム逝く…咽喉ガンで死去

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「最後までロビー・ロバートソンを許す事はできなかった…」

デイヴィッド・ブラウン / ローリング・ストーン紙 / アメリカNBCニュース 4月20日

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ザ・バンドの ヴォーカル担当、そしてドラマーのリヴォン・ヘルムが4月19日ニューヨークで咽 喉ガンのため亡くなりました。71歳でした。

「彼は友人たちやバンドの仲間たちに見守られながら19日の午後1時30分、安らかに息を引き取りました。」
長年リヴォン・ヘルムのバンドのギタリストをつとめたラリー・キャンベルがローリング・ストーン紙に語りました。
「そこには彼の友人全員が集まっていましたが、リヴォンは彼らが集まるのを待っていたかのようでした。友人たちが帰ったちょうど10分後、彼は私たちの目の前で静かに息を引き取りました。2日前にも一時危篤に陥ったのですが、その時は何とか持ちこたえたのです。彼は友人や仲間たちに、ちゃんとお別れを言いたかったのかもしれません。リヴォンは友人や仲間を愛していました。そして私たちも彼を愛していました。」

ザ・バンドの名曲の数々で印象的な歌声を披露したリヴォン・ヘルム、『オールド・デキシー・ダウン』『アップオン・クリップル・クリーク』『ラグ・ママ・ラ グ』、そして代表曲の『ザ・ウェイト』。
その彼は1990年代後半に咽喉ガンと診 断され、28回もの放射線治療を行いましたが、最終的に彼は再び歌えるようになっていました。
しかしここ数週間はニュージャージー州モントクレアや4月27日開催予定だったニュー オーリンズ・ジャズフェスティバルなどでの演奏予定など、複数の公演をキャンセルしていました。

彼の娘エイミーと妻サンディは17日火曜日、リヴォンのウェブサイトに以下のメッセージを掲載しました。
「今リヴォンは、ガンとの闘いの最終ステージに立っています。どうか彼のために祈ってあげてください。愛を贈ってあげてください。そうすれば彼はこの局面も何とか切り抜けることができると思います。彼の人生は音楽を愛する人々とファンのみなさんのおかげで、大変幸せな充実したものでした…。そして、レヴォンは何よりも演奏することが大好きでした。その場所を音楽で埋め尽くし、ビートに乗って誰もが踊れるように、ステージに上がるとき、リヴォンはいつもそのことを願っていました。」

1940年5月26日アーカンソー州で生まれたリヴォンは、文字通りロックンロールの誕生の場に居合わせることになりました。
ティーンエイジャーとして、彼はエルヴィス・プレスリー、リトル・リチャード、ジョニー・ キャッシュ、ジェリー・リー・ルイスのコンサートに出かけました。そしてジェリー・リー・ルイスのコンサートで見たドラマーのドラマー、 ジミー・ヴァン・イートンに触発され、ドラムを始めることにしたのでした。
もっとも彼はマンドリンやその他の弦楽器の演奏も得意になりました。

1960年に彼はロカビリーのロニー・ホーキンスのバックバンドに参加、このバンドはやがてロビー・ロバートソン、リチャード・マニュエル、リック・ダンコ、ガース・ハドソンにドラマーとしてレヴォンを加えた5人組、ザ・バンドに発展していくことになります。

当時のバンド名は『クラッカーズ&レヴォン&ホークス』でしたが、その後ロニー・ホーキンスの下を離れました。
そしてこのバンドの実力に関する評判を聞きつけたボブ・ディランと出会うことになりました。
このバンドはカナダとアメリカのニュージャージーの両方で活動していましたが、彼らのス テージを見たボブ・ディランはリヴォンとロビー・ロバートソンに自分のエレクトリック・バンドに加わるよう勧誘しました。

リヴォンは当時を振り返り、1993年に回想録『火の車』の中に以下のように記しました。
「ボブ・ディランのことは、当時はよく知らなかった。彼のことはウディ・ガスリーを信奉するフォークソングのシンガー&ソングライターだと思っていた。」

ロバートソンとリヴォンは物議をかもし、盛大なブーイングを浴びたディランのニューヨークのフォレストヒルズ・テニス・スタジアムで行われたコンサートの際のエレクトリック・バンドのメンバーでした。
その後バンドの多くのメンバーは、ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』などで演奏し、1966年には彼と一緒にツアーを行いました(ただしディランのフォーク・ファンからの執拗な敵意にうんざりしたリヴォン・ヘルムだけは、1965年に一時脱退しています)
間もなく『ザ・バンド』として独立することになるメンバーとともに、ディランはオートバイ事故を起こした後のウッドストック・コンサートでのカムバック公演に臨みました。
この公演に参加する前、リヴォンたちは、後に彼らのスタイルになる、アメリカの伝統に根差す音楽の萌芽がみられる、画期的な 『地下室テープ』を制作していました。

やがてザ・バンドして彼らはキャピトルレコードと契約し、2枚の代表作となるアルバム『ミュージック・フロム・ビッグピン ク』(1968年)と『ザ・バンド』(1969年) をリリースしました。
ロバートソンは、バンドのメインのソングライターでしたが、リヴォン・ヘルムが一度聞いたら忘れられない魅力的なただみ声で歌うことにより、カナダ生まれのロバートソンの曲が見事なアメリカの伝統音楽として命を吹き込まれることになりました。
リヴォンはまた、ロック・ミュージックの世界で『歌う』ドラマーの先駆者の一人でもありました。

1976年、ロバートソンが提案し、『ザ・ラストワルツ』として有名な解散コンサートを行い、ザ・バンドは解散することになりました。
このコンサート以前にも、そして回想録『火の車』の中でも、解散には頑強に反対していたのがレヴォン・ヘルムだったのです。
「私はまた一人になのはいやだった。ザ・バンドを解散するなんて、とんでもない話だった。」
彼はしぶしぶ解散に応じましたが、以後ロバートソンとの関係は元通りにはなりませんでした。

一連の出来事の後、レヴォンは彼自身のバンド『リヴォン・ヘルム&RCOオー ルスターズ』を結成し、古くから仲間だったドクター・ジョン、スティーヴ・クロッパーやブッカー・T・ ジョーンズなどと共演、いくつかのソロアルバムを発表するなどしましたが、どうしてもザ・バンドへの未練を断ち切ることができませんでした。
そこで彼はリチャード・マニュエル、リック・ダンコ、ガース・ハドソンとともに、新生ザ・ バンドを再結成、1980年代初め3枚のアルバムをレコーディングしました。

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1986年にマヌエルが首つり自殺、その後もしばらく新生ザ・バンドの活動は続きましたが、1999年に心不全でリック・ダンコが死去、ここに至ってついにザ・バンドは永遠にその活動を終えることになりました。
この時点でリヴォン自身にも咽喉ガンが発症していました。
回復後リヴォンは彼の自宅の改装した納屋とウッドストックにあるスタジオで、『ミッドナイト・ランブル』と名付けた内輪のコンサートを行いましたが、これには彼自身の医療費を捻出する意味もありました。

目立たない、森の中のパフォーマンスでしたが、評判を聞きつけロック界の大物も集まるようになりました。エルヴィス・コステロ、ナタリー・マーチャント、グレイトフル・デッドのフィル・レッシュ、そしてドナルド・フェイゲンなども、リヴォンのバンドと共演を果たしました。

この『ミッドナイト・ランブル』は思わぬ成果を生むことになりました。
ここから生まれた2007年発表の 『ダート・ファーマー』は、『ベスト・トラディショナル・フォーク部門』でグラミー賞を受賞しました。
「『ミッドナイト・ランブル』をやってて本当に良かったよ。賞がもらえる程に声も出るようになったしね。」
2009年にレヴォンがローリング・ストーン紙のインタビューにこう答えています。

ザ・バンドは1994年にロックン ロールの殿堂入りを果たしましたが、レヴォンはロビー・ロバートソンとの確執がまだ解消されていないことを明らかにし、出席しませんでした。
数年後、ロビー・ロバートソンがローリング・ストーン紙にこう語りました。
「私はリヴォンが姿を見せるものと思っていました。あの晩誰かが、リヴォンが思い直して家に戻ってしまったと話していました。何てことだ、彼がいてくれたらどんなに良かったか。私はそう思いました。」

ヘルムの咽喉ガンは、彼の歌声から大切なものを奪い取ってしまいました。
ステージ上や最近のインタビューで、彼の声は力強くもありましたが、一方で低音の魅力は明らかに失われてしまっていました。
彼の最後となったステージのうちのひとつ、13人編成のバンドと一緒に行った3月19日 アナーバーのコンサートでザ・バンドの名曲『オフィーリア』を彼が歌った時は、聴衆の間にどよめきが起きました。
「私は健康増進運動のモデルにはなれそうにないよ。そんなに病状は悪くは無いんだが…。これからは曲作りに専念したいね、それをしている限りはとっても気分がいいからね。」
彼が昨年、ローリング・ストーン紙のインタビューにこう答えていました。+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

今日は【 母なる地球と父祖の土地 – 再び忍び寄るナチの足音〈後編〉 】をお送りする予定でしたが、ザ・バンドのリヴォン・ヘルムが亡くなってしまった、というニュースが飛び込んできたたため、急遽こちらをお伝えすることにしました。

ザ・バンドの『ザ・ウェィト』が自分の青春時代の何事かを画した、そんな方が結構いらっしゃるのではないでしょうか。

私がそれこそ音楽にのめり込んだ1970年代は、まさにロック・ミュージックの全盛期でしたが、そのときこんな言い方がありました。
「ザ・バンドからピンク・フロイド(またはエマーソン、レイク&パーマー)まで」
ものすごく泥臭いアメリカン・ロックのザ・バンドから、ピンク・フロイドやエマーソン、レイク&パーマーのプログレッシヴ・ロックまで、ロック・ミュージックの幅広さを表現した言葉です。

その一方の雄がザ・バンドでした。
私自身は特別ザ・バンドのファンだった、という意識は無いのですが、ライブラリにはやはり4、5枚はアルバムがあります。

リヴォン・ヘルムの訃報に触れたとき、また改めて一つの時代の終わりを痛感しました。

【 母なる地球と父祖の土地 – 再び忍び寄るナチの足音 】 [環境保護を前面に打ち出し始めたドイツの極右]

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【 母なる地球と父祖の土地 – 再び忍び寄るナチの足音 】
[環境保護を前面に打ち出し始めたドイツの極右]

デア・シュピーゲル(ドイツ) 4月3日

環境保護活動家は、政治的には往々にして左派に分類される傾向があります。
しかし今、ドイツのネオナチが自然の大切さに気づいた様子です。
有機野菜を販売し、環境に雑誌を発行することに加え、ドイツ極右政党のNPDは、緑のキャンペーンへの協同を表明しました。
本当のメンバーの真意がどこにあるのか、多少眉唾の感じもありますが、NPDが社会的に受け入れられるようにするための手段として環境問題を選択していることは明らかです。

イェンス・リュトゥケは、遺伝子工学や道路の拡張に反対しています。
彼はまた新しい発電所建設に反対し、年に一度の環境行動の日には抗議行動を行っています。
「自分は緑の党のメンバーのような活動をしたいのだろうか?」リュトゥケは時々自問自答することがありますが、彼は環境保護団体の支持者ではありません。
彼は極右の国家民主党(NPD)の支持者です。
彼は2012年5月に実施されるドイツ北部の州、シュレースヴィヒ・ホルシュタンの州議会選挙の党のトップ候補なのです。

リュトゥケは環境行動の日にボランティアとしてゴミ収集を行っているとき、自分がどんな党に所属しているのか、周囲の人々には打ち明けられない、と語ります。
「我々が環境行動に参加するときは、NPDの旗は持参していません。」
と彼が話しました。
それでも、党内で環境保護活動を行っているのはリュトゥケだけではありません。
NPDはそ の存在をドイツ社会に受け入れさせる密かな試みの一つとして、環境保護問題を党の政策に取り込んでいます。
こうした取り組みの背後に、極右のイデオロギーが隠されていることを見つけ出すのは事実上困難です。

極右政党の戦術は、彼らが発行する環境保護問題を扱う、一見普通の環境保護雑誌と変わるところの無い雑誌『Umwelt und Aktiv(ウムヴェルト ウント アクティーフ・環境と行動)』を読むと明らかです。

その中で扱われるのは、バイオ燃料、遺伝子工学、ガーデニングに関するアドヴァイス、そして子供たちのための歌の紹介など、ざっと見ただけでは何ら問題はなさそうです。
やや特徴的なのはゲルマン神話や異教徒の宗教儀式に関するページぐらいのものでしょう。
この雑誌の題字の下に『ホームランド・セキュリティー』のスローガンが見えますが、昨年の3月号を読んだ読者なら、それが他民族との混血が進めば生物学的にも精神的にも、ドイツ民族が滅びる、という意味のプロパガンダであることを理解できます。

自称『環境問題雑誌』はまた、麻酔なしで動物を殺すユダヤ教とイスラム教のいけにえの儀式を野蛮であると攻撃、両宗教への憎悪を煽ります。
2007年1月号では「移民を優遇しすぎるため、その地に根付いた宗教儀式までもがこの国に入り込み、男女の割礼や窃盗の罪に対する手の切断などの『東洋的』習慣までもがドイツに入り込む可能性がある」と伝えています。

▽公式の方針
『Umwelt und Aktiv(ウムヴェルト ウント アクティーフ・環境と行動)』の編集スタッフは、この雑誌には「極右勢力との政治的つながりは無い」と述べていますが、これはもちろん極右勢力が繰り返し使っているいかがわしい手口のひとつです。
実際に『環境と行動』の編集にあたってるスタッフを詳しく見て見ると、その主張がいかに眉唾であるかがわかります。
奥付には「ミッドガードe.V協会」とありますが、このメンバーのうちの何割かは南ドイツの都市ラントシャットの地方裁判所のリストに載っているNPDのメンバーと同一人物です。
その中にあってクリストフ・ホーファーは協会の役員であり、『環境と行動』の編集者である一方、NPDバイエルン支部の正式メンバーです。
そしてベルティルド・ヘーゼはNPDの書記長を務める一方、『環境と行動』の編集長を務めています。
彼女の夫ピーター・ヘーゼは低地バイエルン支部長を務め、この地区のNPDの党の候補者として定期的に選挙に立候補しています。最近では2009年、連邦議会選挙に立候補しました。

反ナチ勢力のウェブサイト、ナチ・リークスが公開した文書によると、その他の編集スタッフもNPD内部の電子メールアドレスを使って連絡を取り合っています。
執筆者にもNPDの支持者や党員が含まれており、NPDが出版する『人種、進化と行動』というタイトルを持っている『ドイツの声』のような雑誌の広告も掲載されています。
しかしながら、2007年の初版以降、NPDの党機関の文言がそのまま持ち込まれています。
ある部分にはこんな文章があります。
「ドイツの風景には文化的背景があります。そのため、ドイツにおける環境保護は、基本的に文化の発展と切り離して考えることはできないのです。」
これはNPDの環境政策の第一項に上げられているものです。

▽極右の自然保護活動家

『環境と行動』の拠点があるバイエルンは極右による環境運動の拠点でもありますが、他の州でも『緑のナチス』の活動は行われています。
NPDは、メクレンブルク=西ポメラニアン州の東部海岸地区の環境活動を活発化させています。
この活動の起源は2007年にまでさかのぼりますが、農民とNPDのメンバーが遺伝子工学に反対するキャンペーンをおこなったことがきっかけでした。
そして同州の議員であり、NPDの副党首であるウド・パスターズは、この地では環境保護問題の闘士として知られています。
そしてギュストローとテーテロー近くの北部地区には、NPDの党員ではない極右の環境保護活動家がいます。

『アータマネン・ゲゼルシャフト』は1920年以来続く農民運動ですが、『血と土』のイデオロギーを標榜し、かつてのナチス・ドイツとも密接な関係がありましたが、1990年代に入ってこの運動に参加する農民が現れました。
『純血民族の労働者』を称するこの運動の参加者は他の州にも広がりつつある、とNPD問題の専門家が指摘しました。
彼らのほとんどは村落社会で暮らし、学校や育児施設での活動に専念していますが、専門家によれば名前と実態は一致していません。
そして彼らの多くが有機野菜の生産と販売を行っています。
▽キャンペーンが取り上げる問題

NPDはこれまで長い間有権者の支持を得るため、環境問題を取り上げてきました。
NPDは早くも1973年に『デュッセルドルフ計画』を公表し、環境保護による人間の健康維持に言及しています。これがNPDが環境問題を前面に打ち出した、最初の出来事でした。

近年のNPDの綱領は、遺伝子組み換えによる農業生産と企業による農業の産業化に反対していることに加え、連邦政府に対しては代替えエネルギーと農業製品の自給自足に予算をもっと使うよう求めています。
農民をもっと手厚く保護すべきである、とNPDは主張しています。

メクレンブルク=西ポメラニアン州ではNPDは『環境を守ることは、故郷を守ることである』 と訴えるポスターを制作しました。そして前出のイェンス・リュトゥケは彼が現在主に取り組んでいる問題はユーロ批判ですが、シュレスヴィッヒ・ホルシュタインの地方議会選挙では環境の問題をメインに取り上げることにしています。
「私たちは環境問題を、緑の党だけに委ねるつもりはありません。」
リュトゥケがこう語りました。

2007年に発行された『環境と行動』創刊号の最後のページにはこうあります。
『環境保護の問題は未解決のままである』(原文は環境保護には緑の信号は灯っていない)

http://www.spiegel.de/international/zeitgeist/0,1518,825564,00.html#ref=rss
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世の中ですからナチスドイツを持ち上げる人がいるのは仕方ありませんが、あのホロコーストをやった以上、ナチスそのものは絶対に許されません。
ナチスドイツの絶滅収容所に監禁された少女が、独房の壁に爪で刻んだ母親宛のメッセージを題材にして作曲した、グレツキの「悲歌のシンフォニー」が話題になったことがありました。
私もCDを買って聴きましたが、少女が感じている恐怖と絶望をそのまま音にしたような曲で、聴いているうちに自分も胸が苦しくなってきて2度と聴かなくていい、と思ったことがあります。
と同時に同じ人間にこんな思いをさせる行為は、絶対に許してはならない、と思いました。

極右にしても極左にしても困るのは、「異分子は排除する」という考え方です。
地球上にいるのが単一民族でない以上、場所や歴史によって生活習慣が異なる以上、常に「共存」していく中で、互いにとって最も快適な道を探すしかありません。
異分子は排除する」という考え方だけはきわめて危険です。
考え方が違う人は誰にとっても多少は腹立たしい存在かもしれませんが、話し合いを重ねて共存していくしか無いのが21世紀です。

【 複数の原発再稼働を目論む日本政府 】

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マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 4月13日


2012年夏に発生する可能性のある電力不足を回避するため、日本の野田内閣総理大臣は自らの政権が2基の原子炉の再稼働を目指し、国内でほとんどの原子炉が停止している状態を解消すべく動き出す、と13日金曜日に述べました。

野田首相は、昨年福島第一原発の冷却装置を破壊した規模の地震や津波が襲っても、安全性が確保できるかどうかのコンピュータ・シュミレーションによる検証が完了したとして、西日本にある大飯原発3号機、4号機の再稼働を行うことを宣言しました。

野田首相は現段階で大飯原子力発電所の2基の原子炉の再稼働を行っても安全は確保される、という難しい説得を福井県当局とその有権者に対して行う、という厳しい役割を果たさなければなりません。
福島第一原発の事故により生まれた、一般国民の原子力発電の安全性に対する懸念は、定期点検のため次々と停止している原子炉の再稼働を妨げる結果となっています。

現在日本国内で稼働中の商業用原子炉は一基だけですが、5月初旬にはこの原子炉も定期点検のため停止する予定です。
国内の電力のほぼ3分の1を供給する原子力発電所がすべて停止すれば電力不足に陥るのは明らかである上、原油価格などの資源価格の上昇がそのまま日本経済に危険をもたらすことになる、と日本の産業界は警告しています。

枝野経済産業大臣は人々のエアコンの利用が集中する夏場、電力不足に陥る危険性が最も高くなる、と13日金曜日に発言を行いました。
枝野大臣は大飯原子力発電所と他の原子力発電所が再稼働できなければ、関西電力の電気供給能力が昨年の夏の80%にとどまらざるを得ない、と語りました。
「私たちは非常に深刻な電力不足のリスクに、直面していると言わざるを得ない。」
枝野大臣は記者団にこう語りました。

枝野大臣は終末一杯をかけて福井県を訪れ、地元自治体などに大飯原子力発電所の再稼働を受け入れるよう説得して回る予定だと語りました。
枝野大臣は福島第一原発の事故を受け、原子力発電所の安全確保のため新しい運営基準の策定を求めている福井県知事や大飯町町長と会談する予定です。

先週野田内閣は新たな安全基準を採用しましたが、津波に対する防衛策を強化するなど、様々な対策に関する計画書を策定するよう各電力会社にも求めました。
有効な対策を施すためには数年間の時間がかかる、という苦情を前に、政府はとにかく新基準の策定を急ぐように各電力会社に要請しました。

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下記のニュースには国内報道を見ている私たち日本人には、とりたてて新しいところも無いように感じます。
フェアウィンズ(アメリカ)のアーニー・ガンダーセン氏がその著書の中で
「日本の原子力行政は、国民の安全を最下位においている。」
と指摘していますが、まさにその通りのことが記事になっているだけのように見えます。

しかし『枝野大臣は大飯原子力発電所と他の原子力発電所が再稼働できなければ』という部分に要注意です。
これによって現政権が目指すのが、大飯原子力発電所だけではなく複数の原子力発電所の再稼働であることが見てとれます。

一カ所強行突破すれば、その後は、なし崩しに…

この「いつもの手」を許しては、世界中のメディアの
「日本では3.11を機に、これまでとは全く異なる、下からの、市民からの民主主義が盛り上がり始めている」
というせっかくの評価が、「しょせん一時的なものだった」と台無しになってしまいます。

せっかくの「日本の民主主義の進歩」を後退させないためにも、発言と行動、そして関心を持ち続けましょう。

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【 スペースシャトル・ディスカバリー、ワシントンに着陸 】

アメリカNBCニュース 4月17日

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今日見慣れない物体がフロリダから東海岸を通り、首都ワシントンにやって来ました。
その光景を見るため人々は走っている車を止め、オフィスや家から外に出てきました。
これより 後はスミソニアン博物館の展示物として収まるスペースシャトル・ディスカバリーが、ボーイング747型 機の背に乗って最後の飛行を行う姿は、あたかも人々に最後の別れをしているかのようでした。
ディスカバリーに残されていた最後のミッションについて、NBCのアン・トンプソンがお伝えします。

レポーター : ディスカバリーのワシントン行きのセンチメンタル・ジャーニーは今朝早く、ボーイング747型 機の背面に乗せられた姿でフロリダ州のケネディ宇宙センターから離陸することにより始まりました。
ディスカバリーは何度も打ち上げが行われた発射台の上を通過し、1984年以来その飛 行を見守り続けた何世代もの人々に見送られながら、海岸沿いを飛行しました。

「ディスカバリーが地球の周回軌道に向け、初めて打ち上げられました。」
レポーター : ディスカバリーは地球を5,830回 周回し、延べ1億4,800万マイルの飛行を行いました。
NBCのジェイ・バーバリーはすべてのミッションについて取材をしました。
ジェイ・バーバリー「これは私たち人類が行った中でも、もっとも大きな知識と情報の集積だと言えます。これまでの宇宙開発プログラムがもし無かったら、私たちは50年後れを取っていたでしょう。」

レポーター : ディスカバリーの経歴は歴史的瞬間とともに刻まれてきました。アイリーン・コリンズ(1995年に初の女性スペースシャトル・パイロットになる)が飛んだのもディスカバリーなら、アメリカ最初の宇宙飛行士であり、最年長者として再度宇宙に挑んだ現上院議員のジョン・グレンが乗り込んだのもディスカバリーでした。

ディスカバリーは国際宇宙ステーションの建設とハッブル望遠鏡の導入にも貢献しました。
そしてチャレンジャーとコロンビアによる悲劇が続いた後は、残されたディスカバリーが宇宙とアメリカをつなぎ続けました。

ディスカバリーが積み上げてきた成功の数々は、今日クリスタ・マッコーリフに『宇宙は誰のものでもない、すべての人々のものである』という確信を深めさせることになりました。
「これは あなたが今まで見たことがあるものの中で、一番素晴らしいものなのじゃありませんか?」
「その通りです。」
「何と比較しても?」
「そう、一番です。」
レポーター : 人々はホワイトハウスや国会議事堂の上を飛行するディスカバリーを、この国を象徴する記念碑的存在として、愛惜の気持ちを込めて見上げていました。
この光景は地上を走る車を停止させ、教室からは先生や生徒たちが外に出てきました。
飛行機を操縦している最中のパイロットでさえ、何とか一目見ようとしていました。
「たった今、シャトルを背中に乗せたボーイング747が着陸しました。今、ディスカバリーはスミソニアン博物館から15マイルの地点までやって来ました。
レポーター : ディスカバリーがダレス空港に着陸したこの瞬間は、かつての宇宙飛行士ジャネット・カヴァンディにとってはほろ苦いものです。
ジャネット・カヴァンディ「もっと長い間、空中に浮かばせていてあげたかったわ。」

レポーター : ディスカバリーはもう二度と宇宙に向かうことはありませんが、今度は地上でアメリカのエキサイティングな次世代の宇宙開発を促す役割を果たしていくことになります。
アン・トンプソン、NBCニュース、ニューヨーク。

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【 アメリカ国防総省、フクシマの現場で働くヒューマノイド型ロボットを募集 】

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ジョン・マーコフ / ニューヨークタイムズ 4月9日

アメリカ国防総省(ペンタゴン)の研究開発機関は、一般的な工具や車両を操作しながら人間が入り込めない災害地区で作業するロボットのコンテストを4月10日から開始する、と公表しました。
このような用途から考えられるのはヒューマノイド型、すなわち人間の形をしたロボットですが、ロボット工学分野に身を置く人々はミノタウロス (ギリシア神話に登場する牛頭人身の怪物)型ロボット – つまり何本もの腕があり、歩行型だけでなく走行型など、必要に応じた機能を兼ね備えた形になる可能性がある、と語っています。
このコンテストは発表前からすでに噂になっており、サンフランシスコの『MEKAロボット』の創立者のアーロン・エドジンガーは、あらゆる可能性について検討すべく、国中のロボット専門家に声掛けをした、と語りました。
「今回の用途から制作するロボットの機能について考えると、蜘蛛、サル、クマ、カンガルーやヤギなどの動物たちが格好のヒントになります。」

火曜日の発表の中で米国防総省の国防高等研究計画機関(DARPA)は、今回ロボットに求められる8つの機能を明らかにしました。

災害区域に車両を運転して行き
がれきを避けながら前に進み
進入路にあるがれきは取り除き
梯子の上り下りができ
工具を使ってコンクリートの壁面に穴をあけ
亀裂の入った配管を探し出し、これを修理し
冷却装置のような機器の部品交換を行う

エトジンガー氏は今回の挑戦に求められるのは、それぞれ個々の作業を遂行するだけでなく、全体を一つの任務としてまとめ上げる能力である、と語りました。
「私たちは今回求められているような機能は、単一ならどの作業であっても成し遂げられる技術をすでに持っています。」
と語りました。

「今回のコンテストは1年前に発生した、福島第一原発の事故がきっかけとなったものなのです。」
DARPAの防衛科学部門のプログラムマネージャーであるギル・プラットが説明しました。
「こうした事故では最初の24時間が勝負になります。しかしこのような事故が起きれば、 福島第一原発の現場を見てもわかるように、生身の人間を送り込めるような環境は期待できないのです。」

今回のコンテストの賞金総額や最終的な開発予算について、米国防総省は明らかにしていません。
しかし2004年、2005年、そして2007年に開催され、砂漠や大都市で活動するための自走ロボット車両のコンテストを行った賞金が100万ドルから200万ドルの『グランド・チャレンジ』と、今回のコンテストは全く別の性格を持ったものであることが明らかにされています。

コンテストに参加する企業と大学は、2013年と2015年に開催されるコンテストを目標にロボット開発に取り組むことになります。
ロボットは完全な自動型である必要は無く、それよりも無人偵察機をパイロットが地上から操作するのと同様、専門家による複雑な作業を可能にする性能が求められます。

ロボット開発競争は軍事の分野を始め、工業生産や家庭生活の分野でも急速な技術発展を実現してきました。
ロボット開発に携わる人々は、開発予算の大部分が複雑な状況を認識・分析するためのセンサーと、予期せぬ環境の変化に対応するための機能に費やされている、と説明してくれました。

野心的なヒューマノイドロボットの数々が、すでに産業界の研究者たちによって実現されています。
ホンダ・アシモは2000年に発表され、2005年までにフル充電されたバッテリーにより自立行動が可能になりました。
昨年には時速6マイル(約10km)で走る能力を実証して見せました。

DARPAの職員は今回のロボット競技には国際的な参加を期待している、と述べました。
事実今回のコンテストには日本のヒューマノイドロボット開発の父と称される井上博允氏が、11月に行われた参加への勧誘に応えることになりました。
ロボット工学分野に多額の投資を行ってきた日本ですが、今回の福島第一原発の事故現場で活動できるヒューマノイド型ロボットを開発する能力は無い、と井上氏が言及しました。
「多くの人々が福島第一原発の現場で作業するヒューマノイド型ロボットの登場を望んでいますが、日本にはまだその開発能力はありません。」
井上氏が送ってきた電子メールの中の一節です。

アメリカでは、ゼネラル・モーターズ、ボストン・ダイナミクス、そして軍関係から資金提供を受ける小さな 研究室がヒューマノイドロボットを開発してきました。
GMのロボノート2型は、現在宇宙飛行士のアシスタントとして国際宇宙ステーションの中で試験運用されています。
ボストン・ダイナミクスが開発した運搬ロボットの『ビッグドッグ』、その進化形である4足で走ることのできる『チーター』は注目を浴びており、同社にはさらに人間型の『アトラス』もあります。

今回の発表でペンタゴンDARPAは、開発支援のため足、胴、腕、頭部の試作品をコンテストの参加者に提供すると伝えました。
数多くのロボット開発者が、ボストン・ダイナミクスが開発したアトラスの設計が今回の目的にふさわしいと考えられる、と話していますが、ペンタゴンのプラットは可能な限り多くの参加者が得られるよう、ソフトウェアの提供も行う予定だ、と述べています。
「私たちは、できるだけ多くの開発者に参加してもらうつもりです。」

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とうとうペンタゴン、アメリカ国防総省が福島第一原発の事故収束に必要なロボットの開発に乗り出しました。
もちろんその第一目的はアメリカ国内で、福島第一原発同様の過酷事故が発生した際の対策のためでしょうが、福島第一原発の現場に実際に投入される確率は高いものと思われます。
なぜなら、現在の日本政府は福島の事故収束にこれ以上無いぐらい、無能無策だと思えるからです。

昨日はチェルノブイリの専門家が「チェルノブイリ事故の最も大切な教訓は、政府がすべての事実を明らかにすること」と指摘した、アメリカCBSニュースを翻訳し、ご紹介しました。
しかし、隠ぺいと過少報告については、日本の政府機関は事故の始まりから世界中の非難を浴びていました。
あげく危機的状況を何ら改善しないまま、ただ原子炉『周辺』の温度が下がったというだけで「事故収束宣言」を行い、再び世界の世論を激高させました。

福島第一原発の事故は単に日本にとどまらず、人類全体に深刻なダメージを与える程の事故です。
にもかかわらず原発の再稼働や電力業界・産業界の利益保護が見え隠れする日本の政府と政府機関の対応を見て、日本人だけでなく世界が危機感を抱くようになってしまいました。
すべての国民を守りきるため本格的な対策を実施するためには、すべての事実を明らかにする必要があり、それを行えば数多くの既得権が失われる恐れがあります。

「あんな政府に日本を任せるぐらいなら、いっそアメリカの51番目の州になった方が国民は安心して暮らせるのではないか?!」
と言った人がいます。
しかし政府だけではないのです。
現在の日本政界には『原発体制(大政)翼賛会』があることを忘れてはなりません。

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【 スペースシャトル・ディスカバリー、プラスワンの飛行 】

アメリカNBCニュース 4月16日

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スペースシャトル・ディスカバリーが明日の最終フライトのため、ボーイング737型機の上にくくりつけられました。
ディスカバリーはスミソニアン博物館に収容するため、明日これまで飛んだことが無い低い高度でフロリダ沿岸を経由して運ばれていく予定です。
低い高度での飛行となるため、首都ワシントンでは肉眼での観察が可能かもしれません。
ディスカバリーはレーガン大統領当時の1984年、初めて宇宙に出発しました。
39のミッションをこなしましたが、この中には明日のフライトは含まれません。

【 すべての真実を公表しない限り、福島の解決はありえない 】

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[ 福島にはまだ望みはある – チェルノブイリ専門家 ]

アメリカCBSニュース 2月2日

ウクライナのチェルノブイリ問題の専門家が、福島第一原発周辺住民の帰還は必ずしも絶望的ではない、と語りました。この点は事故後四半世紀が経って尚、帰還の見通しも立たないチェルノブイリとは異なっている、と語りました。


〈25年が過ぎてもゴーストタウンのままのチェルノブイリの被害地区プリビャチ〉

3月11日に襲った巨大地震と巨大津波が3基の原子炉でメルトダウンを引き起こした福島第一原発ですが、キエフの国立戦略研究研究所の核物理学者オレグ・ナスヴィット博士は最終的には周辺住民の帰還が実現できる可能性がある、とAP通信とのインタビューの中で語りました。

ウクライナの政府高官であるナスヴィット博士とドミトロ・ボブロ氏はそろって、1986年のチェルノブイリ事故の最も大切な教訓は、政府がすべての事実を明らかにすることである、と語りました。
本当の状況さえわかれば、それに基づき住民は自分たちの将来について誤りの少ない選択ができるようになります。

「住民が事故が引き起こした事実をすべて理解し、その上で現実的な決断を行うためには、正確な情報提供がどうしても必要なのです。」
日本政府主催の福島の危機に関するセミナーに出席するため、日本を訪問したボブロ氏はこのように語りました。


日本の政府機関と東京電力は事故の全貌が明らかになるまで、あらゆる情報をその手の中に隠し続けていたことについて、繰り返し批判を浴びています。

双方とも当初原子炉内でのメルトダウンの発生を否定し続け、放射線が健康に及ぼす影響を過少に伝え続けてきたことを、ずっと非難されてきました。
今回の原子力危機について調査行っている外部委員会は、政府が国民に対してもっと透明性の高い情報提供を要求しました。

2011年12月に『冷温停止状態達成』の宣言を行った後、3度にわたるCAT-スキャンを行った結果に基づき、日本政府は空間線量が20ミリシーベルト以下の汚染地域についいて、帰還が可能であるとのガイドラインを提示しました。
政府はこの場所はもう安全だとしていますが、さらなる低線量化が必要であることは明らかです。

福島では
10万人以上の人々が、20キロ圏内の立ち入り禁止区域からの避難を余儀なくされました。


ナスヴィット博士は、住民の帰還は福島第一原発からの距離ではなく、帰還した住民の累積被ばく線量が数値的にどうなるか、きちんと積算した上でなされるべきである、と指摘しました。
「年間被ばく線量が20ミリシーベルト以下に保たれるのであれば、国際基準に照らして帰還を望む人々に許可を与えることは可能です。しかし、帰還は20キロ圏内などという尺度で行ってはなりません。個別に放射線量を測定した上で、初めて帰還を許可すべきです。場所ごとの放射線量がすべて明らかになった上で無ければ、人々の帰還を許可すべきではないのです。」
そしてその上で、もっと科学的で徹底的な除染の取り組みが必要である、とナスヴィット博士が語りました。

2月初旬、福島第一原発周辺に設定されている避難区域にある川内村の村長が、現在行われている除染作業によって、もはや村内への帰還を行っても安全である、と宣言しました。
遠藤村長は役場、学校などの公共施設が2012年4月に再開される、と語りました。

川内村の約3分の1は避難域内に位置し、立ち入り禁止のままです。
そして避難区域外の住民も、自ら村を去る選択を行いました。
こうした住民は今回の呼びかけに複雑な思いで接しました。故郷に帰りたいと思う半面、 放射線の健康被害、特に子供たち対する悪影響を懸念しているのです。


〈ゴーストタウンと化した福島第一原発の被害地区、富岡町〉

1986年4月26日に発生したチェルノブイリ事故は、ほとんどヨーロッパ全土に放射性物質による死の灰をまき散らし、中でもウクライナ、ベラルーシ、ロシア西部で暮らす数十万の人々に深刻な被ばくをさせました。
その時汚染された森林や農地はいまだに汚染されたままになっており、この事実は今日本人に対し、福島第一原子力発電所事故による汚染も、これから長い期間その被害が続くことを警告しています。


当時のソ連の指導者は事故後数日間周辺住民に対する避難させず、健康被害に関する警告も行わなかったため、これら周辺地域で暮らす人々の間に大きな不信感を与えることになりました。

チェルノブイリの事故は最終的に、アメ リカが広島に投下した原子爆弾の約400倍以上の放射線を放出しました。
国連の世界保健機関(WHO) はこの事故の影響を受けたとみられる600,000人の中、平均死亡者数を約4,000人を上回る人々が、この事故が原因となったガンによって死亡したものと見ています。



日本政府は福島第一原発を廃炉にするまで約40年以上の年月を必要とする、と言っています。
しかし土壌から汚染を取り除かれ、水や空気、そして食品の中から放射線の影響が消える までの年月は、現時点では全く分からないのです。
そのためには長い、長い道のりをこなしていかなければなりません。

東京電力と政府はこの問題に対し、迅速な取り組みが要求されます。


そして人々の感情をなだめるのではなく、科学的に適切な措置を採らなければならないのです。

http://www.cbsnews.com/8301-505245_162-57370493/chernobyl-experts-hopeful-on-fukushima/?tag=mncol;lst;2
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また残念な出来事がありました。
御前崎市長選挙で再び『脱原発』の民意が証明されなかったことです。
毎日新聞の報道の中に
「原発に頼って生きている人の生活を考えてほしい。」という50代の男性のインタビューが掲載されていましたが、こうした意見が当然のことのように出てくる背景にはやはり、福島の真実が十分に日本国民の間に伝わっていない、という事を感じます。

生活が苦しい、とはどういうことなのでしょうか?
ここ被災地(宮城県)は福島第一原発が吹き上げた放射性物質があちこちに飛び散ってしまいました。
福島県を還流して宮城県南部で太平洋に注ぎ込む阿武隈川では日々汚染濃度が増している、と漁業関係者に直接聞きました。
そして日本有数の米どころの大崎平野の農民の方々は、何を育てても収穫してもびくびくしています。
被災地の真ん真ん中にいる感想としては、生活環境の中に日々放射能汚染の脅威が潜んでいる生活は苦しい以上のものがあります。
この上『欠陥型原子炉』と言われるGE MarkⅠ型原子炉と、そのマイナーチェンジ型原子炉がずらりと並んだ女川原発が再稼働などしてしまったら、大げさでなく南東北は終わりだと思っています。
そして北東北・青森県の六ヶ所村の核廃棄物施設が、福島第一原発と同じ災害に見舞われたら半径100kmに暮らす人々は即死する、とある本に書いてありました。

【星の金貨】でも、福島第一原発の事故により周辺住民の方々がどれ程の苦しみの中に突き落とされてしまったか、くりかえし各国の記事をご紹介してきました。

原子力発電所がいったん事故を起こせば、人々の生活はおろか無数の人生そのものを破壊してしまうことを、

英国BBC放送、ガーディアン(英国)、ル・モンド・ディプロマティーク(フランス)、ドイチェ・べレ(ドイツ国際放送)、デア・シュピーゲル(ドイツ)、アルジャジーラ(アラブ首長国連邦)、そしてアメリカCNNテレビ、CBS放送、NBC放送、ABC放送など世界中のメディアが繰り返し報道してきました。

それを当の日本人が、それほど深くは理解していないように思います。
政府や大手メディアの隠蔽が功を奏してしまっているようです。

こうなれば私たち自身がもっと冷静に、理路整然と、しかしできるだけ多くの場で正しい情報発信をしていきましょう。

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【 タイタニック、生存者たちのそれぞれの思い 】

アメリカNBCニュース 4月13日

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4月15日日曜日はあのタイタニックが沈没してからちょうど100年目に当たります。
事故の生存者とその子孫にとってはあの日を振り返り、その一日が意味するところを深く考える時間かもしれません。
今夜はあの日の出来事によって、生まれたときから数奇な運命により結ばれた一組のアメリカ人カップルについてお伝えします。

キャサリンとボブ・マクガイアはランニングなど数多くの共通の情熱を持っていますが、この数年間の結婚生活を始める前から同じ情熱を共有していたのです。

「私たちは二人とも、祖先がタイタニック号の乗客だったのです。」
ボブの祖父であるジャック・フェールは当時17歳、ヨーロッパでの休暇を過ごした後、タイタニック号の一等先客としてアメリカへの帰路についていました。

そして当時60歳だったキャサリンの曾祖母エマ・バックネルも一等先客として乗船していましたが、彼女はもう何十回も大西洋上を行き来した経験を持っていました。

2人は凍りつく水面上に見せている姿に対し、実際にはその3倍の大きさの氷山に衝突し、1,500もの人々が犠牲となったタイタニック号の悲惨な事故の生存者でした。

ポルトガルを出港したそもそもの始まりから、彼らは共通の運命を持っていました。
ジャックは、タイタニックが沈没するわずか数分前に、デッキから飛び降りていました。

「飛び込んだ後、私の体はめちゃくちゃに回転しながら、どんどん沈んでいきました。それでも私は船からできるだけ遠くに離れようと、必死に泳ぎ続けました。」
しばらくして彼は何とか水面上に頭を出し、そこにあった転覆した救命ボートにしがみついて、その夜を過ごしました。
一方その時ミセス・バックネルは、別の第8番の救命ボートの上にいました。

「その救命ボートに乗り合わせた人々は暗闇の中、何とか生き延びようと努力を続けました。夜は永遠に続くように長く感じました。」
彼女のその夜は1958年に映画化 された「忘れえぬ一夜」のシーンそのものでした。

幸い二人とも無事生還を果たしましたが、多くのタイタニック号の生存者は事故の後同じような試練を抱えて生きることになりました。
バックネル夫人はその後、二度と大西洋を横断しようとはしませんでした。

ジャックの方は第一次世界大戦に従軍の後銀行家として成功しましたが、自分だけが生き残ったという罪悪感にとらわれ続け、わずか50歳でこの世を去りました。

多くの人命が失われたくさんの悲劇が生まれましたが、ケイトとボブはこの巨大な悲劇が無ければ生まれなかっただろう、数々の人々の物語に着目することの大切さの方を感じています。

現実の世界において、それは彼らの3人の子供たちに象徴されています。

ルーシーとジャックは、二人とも音楽にかぐれた才能を発揮、そして長男ボビーはプロのピアニストです。
キャサリンとボブは再び自分たちの祖先の話を進んで話そうとはしませんが、彼らは祖先が長い間引きずってきた影を海に対して感じながら、祖先を愛する気持ちを抱き続けています。

【地震活動が活発化するリング・オブ・ファイア(環太平洋地震火山活動活発地帯)】

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アメリカCNNスチューデント・ニュース 4月13日

~ 今日は中東の話題からです。
シリア国内で続く暴力を停止させるべく、世界中から様々なグループが訪れ停戦の後押しをしています。
昨日、わずかな時間ですがそれが実現したようです。シリア各地の都市では。砲撃の音が響き渡るのが常態化しています。
一部停戦案は12日の木曜日までに実現される予定です。

町の真ん中に戦車がいますが、砲撃の音は聞こえません。少なくともしばらくの間、先頭は行われていないようです。
国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長は、シリアの暴力を終わらせるための重要な瞬間が訪れた、と語りました。しかし彼はまた一方で、世界は、シリア政府に対し世界は懐疑的な目を向けている、と語りました。これまであまりにも多くの約束が繰り返し反古にされてきました。

~ 太平洋をぐるりと『リング・オブ・ファイア(環太平洋地震火山活動活発地帯)』が取り囲んでいます。実際には環というよりはアルファベットのSに近い馬蹄形をしています。
リング・オブ・ファイアは地震活動が活発な巨大なエリアです。
事実、世界で発生する地震の90%がこのエリアの内側で発生しています。
4月11日にインドネシアを襲ったその地震もこのエリアで発生しました。
その後マグニチュード8.2の余震も発生しています。現在までに大きな被害の報告はありません。

しかし、リング・オブ・ファイア上の地震はこれだけではありません。
翌日早朝にはメキシコ沿岸でも大きな地震が発生しました。
しかしインドネシアの地震ほどは大きくなく、本震はマグニチュード6.9、余震はマグニチュード6.2でした。

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【 北朝鮮は今回の失敗をどう言い訳するつもりか?! 〈後編〉】
[新たな発射実験の準備に入ることは、世の中にとって有害無益]

NBC放送宇宙問題解説者ジェームズ・オバーグ / NBCニュース 4月12日 (日本時間13日)

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▽神話を傷つけるわけにはいかない

今回の失敗について、見学者たちに対しありとあらゆる言い訳が用意されているに違いありません。
ロケット開発に当たった科学者たちは次の失敗を引き起こすものは、最初に起きた失敗を忘れること、もあるいは失敗があったことを否定する、その態度であることを知っています。
しかし北朝鮮の国そのものは、以前に行った2回の打ち上げが成功した、と主張しており、この事実はこの国の未来が明るくないことを示唆しています。

今回の失敗に対する平壌からの最初の、そしてお決まりの対応は「今回の打ち上げは成功した」と主張することでしょう。
同じことが1998年と2009年にもありましたが、しかし今回は招待した西側の報道機関と世界中のアマチュア無線家からがしっかり見ていましたから、そんな茶番は通用しないでしょう。

しかしながらとんだ言いがかりをする可能性もあります:外国の敵を非難することです。
失敗が飛行を始めた段階で起きたとすると、韓国が干渉したと主張することが可能です。
北朝鮮の無線が届かないエリアで衛星の墜落した場合には、アメリカの敵対感情が標的にされる可能性があります。
これは本能のようなもので、かつてロシアが火星探査衛星の打ち上げに失敗した時、ロシアの科学者の間でまことしやかにアメリカ陰謀説がささやかれた例がありました。
アメリカのレーダーによる捕捉範囲は広大であり、この状況を踏まえた北朝鮮が自国の失敗を他人に転嫁する必要上、卑怯な振る舞いに出る可能性は十分にあります。

その他、北朝鮮政府は随分昔のスターリン時代から用いられてきた手段、外国の干渉によるサボタージュがあったと主張する可能性があります。
そうなった場合には、今回の権力移譲に批判的な政権内部の人間に対し、粛清などの苛烈な処置がとられる可能性があります。
数百人が文字通り首を切られ、多数の銃殺者が出る可能性があります。
政権内部の大掃除の格好の理由にされるわけです。
ところでロシアは最近、そのフォボス・グラント火星探査衛星の事故について、『神のなせる業』とも言うべき責任転嫁のための格好の口実を見つけました。
宇宙放射線です。
おそらくは2個のコンピュータチップが地球に住んでいる人間にはどうすることもできない、宇宙の力によって破壊されてしまったのです。
この言い訳を北朝鮮も採用してくれれば、無用の流血を避けることができます。

▽ 別の秘密兵器の実験説

今回の失敗は実は最初から計画されたものであった、とするのであれば、欧米各国にその模範例を求めないわけにはいきません。
今回の打ち上げ失敗はトップシークレットに属する秘密兵器の実験のため、最初から計画されていたものなのだと発表するかもしれません。
優れた極秘開発計画については、これまで実際にあったことがウェブ上で公開されているのですが、それに多少のフィクションを加味することで、もっともらしい結論を作り上げることができます。

現実にそのような秘密兵器は実在します。
秘密兵器である『衛星』ミサイルはまだ発射されたことはありませんが、すでに一部は実戦配備されており、大気圏への再突入に際し、先端のカプセルは熱に対する防御力を持っています。
この技術が開発されるまでは、いったん宇宙空間を飛行して目的地に向かったミサイルの弾頭は、再度大気圏に突入した際に燃え落ちてしまっていたため、何千発発射したところで目標には到達できなかったのです。

この問題を解決するために、ノーズコーンの下に試験用の弾頭を配置する技術が考案されました。
これを装着したミサイルを『衛星』として打ち上げ、完成度をチェックするのです。
打ち上げた後、第2段階の噴射装置を切り離すと同時に、この弾頭も大気圏に向け落下させ、小艦艇や潜水艦で電波を傍受しながら追跡するのです。
こうすると落下した弾頭をいちいち回収して、実物を検証する必要がないのです。

ご紹介したようなすべての言い訳は、単純で理解しやすいという長所を持っています。
ともあれ今回北朝鮮が世界に向け証明してみせたことは、その国内が異常なほどの緊張感に覆われているという欠点とは別に、要するに北朝鮮は間違っている、ということです。
そして北朝鮮が新たな発射実験の準備に入ることぐらい、世の中にとって無益で有害なことはありません。

http://www.msnbc.msn.com/id/47030095/ns/technology_and_science-space/#.T4e9-NkXR6Y

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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