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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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【 日本のゲンパツは持続可能なエネルギーでも無い、民主主義的選択でも無い 】

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福島第一原発の事故以前のレベル近くまで、原子力発電所のフル稼働を強く推進する安倍政権
地震が多発する国土において、原子力発電所は本当に安全を確保出来るのか
日本の原子力発電ロビー、いわゆる原子力ムラの政治的影響力はいったいどこまで及んでいるのか?

ガブリエル・ドミンゲス / ドイツ国際放送 1月29日

九州電力
国民の多くが依然反対しているにもかかわらず、安倍政権は国内の原子炉の全面再稼働を強く求め続けています。
エネルギーの専門家飯田哲也氏がその背景にあるものについて、ドイツ国際放送に開設してくれました。

日本は2011年の福島第一原子力発電所の事故を受け、国内のすべての原子炉を停止させました。
福島第一原発の事故では大量の放射性物質が放出され、そのために未だに160,000に昇る人々が避難を強いられたままとなっています。

しかし2014年、安倍晋三首相の政権は原子力を段階的に排除するという前の政権の決定を覆しました。

安倍政権は安くて入手可能なエネルギーを提供することが必要なのだと主張しました。

福島第一原発の事故発生以前、日本は電力供給の約3割を原子力発電に依存していましたが、現在は価格の高い液化天然ガスと輸入原油による火力発電が主体となっています。

反原発自転車
安倍政権は2030年までに、原子力発電による電力供給割合を20~22パーセントまで引き上げる計画を進めています。

しかし、原子力エネルギーへの一般国民の反対は不変のままです。
東日本大震災と福島第一原発事故の災害の記憶は未だに国民の中で生々しく、特に地震が多発する国土において原子力発電所が本当に安全を確保出来るのかどうか、大きな懸念を抱いています。

関西電力は福島第一原発の事故の後改定された安全基準をクリアしていることが確認され次第、国内で第3番目となる原子力発電所の再稼働計画を発表しました。

ドイツ国際放送によるインタビューの中で、持続可能エネルギー政策の専門家である飯田哲也氏は、日本の原子力産業界のロビーは経済的動機だけでなく、今後の日本のエネルギー政策の中で原子力発電にこれからも重要な役割を担わせていくという、保守的な強い信念に基づき再稼働を進めていく方針を持っているのだと語りました。

飯田哲也氏
(Q)ドイツ国際放送:日本国民の多くが反対しているにもかかわらず、なぜ日本政府は原子力発電所の再稼働を進めようとしているのでしょうか?

(A)飯田哲也:日本の特定の人々の間には、原子力発電は発電手段の中で最も重要な構成要素のひとつであるという強い確信があります。
この時代遅れで頑迷固陋なエネルギー政策のコンセプトは日本の電力業界の中枢にいる勢力、たとえば政権与党の自民党、実業界の強力な政治団体である経団連などによって共有されています。
彼らにとって、原子力発電の再開は最重要課題なのです。
こうした背景があり、日本政府は原子力発電の再開を強く迫られたのです。

 

(Q)安倍首相率いる保守政権は、日本国民の原子力発電に対する懸念に誠実に向き合うつもりはないのでしょうか?
(A)安倍首相が国民の懸念に誠実に向き合おうとしているとはとても思えません。
私の見解では、福島第一原発の事故の後でさえ、安倍首相は原子力発電が安全、安価、そして安定したエネルギー源だと信じています。
原子力発電に反対の立場の人々によれば、日本国民の多くは原子力発電所の再稼働によって生じる様々な潜在的危険に対し大きな懸念を抱いており、エネルギー政策の転換を求めています。

川内原発再稼働
(Q)ではなぜ安倍政権の再稼働推進政策に対し、一般国民の間に反対が拡大しないのでしょうか?
(A)日本の大多数の人々は、原子力発電所の再稼働を推進する安倍政権の方針に反対しています。
しかしその事が、自分たちの政治的な立ち位置や選挙の際の投票行動に結びついてはいないというのが現実です。
安倍政権による日本国内のメディアに対する締めつけも、原子力発電の再稼働推進政策に対する一般国民の抵抗が盛り上がらない事の減員のひとつになっています。

 

(Q)日本の原子力発電ロビー、いわゆる原子力ムラの政治的影響力の強さというのは、どの程度のものなのでしょうか?
(A)経済的利益だけでなく、今後の日本のエネルギー政策の中で原子力発電にこれからも重要な役割を担わせていくという、保守的な強い信念が存在しています。

(Q)現在原油価格を始めとする化石燃料は価格が下落し、輸入代金も下がっています。
しかし安倍政権は原子力発電は発電コストが安いだけでなく、発電燃料を輸入に頼る必要が無く、独立したエネルギー政策の立案を可能にすると主張しています。
再生可能エネルギーも同様に日本のエネルギー政策の独立を可能にするでしょうか?
(A)再生可能エネルギーは、日本のエネルギー政策の独立運営を可能にするのはもちろんです。
しかも再生可能エネルギーは日本のエネルギー政策の独立運営を可能にするだけでなく、雇用を創出し、経済成長に貢献し、さらには気候変動問題の最終的解決手段にもなります。

 

no more 05

(Q)日本のように高度に工業化した国家に最もふさわしい再生可能エネルギーとは、具体的には何でしょうか?
(A)自然条件を考えると、日本に最もふさわしいのは風力、そして太陽光発電です。

 

(Q)現在近隣のアジア諸国では多数の原子炉を建設中です。
これらの原子炉の受注競争が行なわれた場合、日本の原子炉建設受注能力は高いと思われますが、それでも日本は完全に原子力発電から手を引くことはできるのでしょうか?
(A)大丈夫です。日本は原子炉建設を受注できなくなっても、充分な経済力を保つことが可能です。
現実を見ても、原子力発電にしがみつく経済構造はもはや時代遅れであるという事が可能です。
再生可能エネルギーは21世紀の新たな産業革命の象徴なのです。

(Q)あなたご自身は原子力発電の専門家であるはずですが、再生可能エネルギー推進の立場に変わられた理由は何ですか?
(A)それは原子力発電が持続可能な発電手段でも無いし、民主主義的選択でも無いからです。
だからこそ、私自身の人生の中で原子力発電に見切りをつけたのです。
代わりに、再生可能エネルギーの推進と発展にこの身を捧げる決心をしたのです。

※飯田哲也氏は、日本の持続可能エネルギー政策研究所の責任者です。
http://www.dw.com/en/nuclear-energy-has-no-sustainable-democratic-future-in-japan/a-19011468

【「政治状況はわが術中にあり!」選挙戦の勝利に確信を深める安倍政権 】

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国内野党のあまりの力の無さと中国・北朝鮮の軍事的台頭に、計り知れない恩恵を受けてきた安倍首相
国民の多くが憲法第9条の改定には反対、しかし報道統制の上に乗り、着々と進められる改定への環境づくり
「衆参両院の3分の2議席以上の確保は可能!」メディア支配をさらに強め、安倍政権が衆参同日選挙に踏み切る公算は大

 

ジュリアン・ライオール / ドイツ国際放送 2016年1月25日

安倍首相02
第二次世界大戦(太平洋戦争)後に制定された現在の憲法を書き換えるという最終目標に向け、7月に安倍首相が衆参両院の同日選挙に踏み切る可能性が現実味を帯びてきました。

複数のアナリストが安倍政権下の自由民主党が、憲法改定の発議に必要な衆参両院の3分の2の議席を確保できる可能性があると見ています。
自民党を始めとする日本の保守派の多くが、現在の憲法は1945年に戦争に勝利したアメリカによって『押しつけられたもの』だと主張してきました。

安倍首相が改定の目標にしているのは第9条です。
第9条は国際紛争の解決手段としての戦争を放棄するとうたっており、日本の交戦権を認めていません。
保守派はこれではいざという時に国民を守ることができないと批判し、憲法改定の特定目標としてきました。

一般市民の多くが第9条の改定には慎重であるにもかかわらず、安倍首相は国内野党のあまりの力の無さと中国の軍事能力の台頭に計り知れない程助けられてきました。

安全保障法案02
▽ 弱体野党

「最大野党の民主党ですら党内はまとまらず、首尾一貫した方針があるかのように見せつつ、内部に異論があることについては取り繕うしかないという有様です。」
明治大学国際総合研究所客員研究員の奥村準氏がドイツ国際放送の取材にこう答えました。
日本の民主党の党内には政治信条的に極右から極左までが混在し、それを何とかまとめあげようとしているため、結果的に矛盾が表面化することになっています。
その点がまさに自民党の思うつぼとなっているのです、奥村氏はこう指摘しました。

「安倍政権の政策に対し、その弱点を明らかにする有効な手立てを持たないだけでなく、民主党はその政権与党としての短い任期の最終段階においては、国内の報道機関のほとんどを敵に回してしまったのです。」
「こうした経緯すべてが、野党として否定的な評価につながっているのです。安倍政権を増々利するばかりです。」
奥村氏がこうつけ加えました。

▽追い風に乗る安倍政権

SEALDs 8
安倍政権の経済政策、いわゆるアベノミクスが中身に乏しく、薄っぺらな基盤の上に築き上げられたものだと批判勢力が声を強めても、現在の日本経済が数年前と比較すればまだましだと思われている以上、安倍政権に対する支持はさらに拡大するでしょう。

衆参同日選挙が行なわれた場合、アジア太平洋地域の現在の情勢は日本の有権者の投票行動にどう影響するか、テンプル大学の日本キャンパスで研究を続けるジェフ・キングストン教授がドイツ国際放送の取材に次のように答えました。
「中国政府、そして北朝鮮政府の強硬姿勢が、結果的には安倍政権にシャンパンのケースを送ることになった、このことに賛成する意見が数多くあります。」

南シナ海で次々と領土紛争を引き起こしている中国政府の強硬姿勢、そして北朝鮮が最近行った核実験が、日本人の間の安全保障問題に関する懸念を大きくしたと、キングストン教授が指摘しました。

憲法解釈変更 7
「中国北朝鮮の武力による威嚇のすべては、直接自民党への支持拡大につながりました。」
こうした国民感情の変化が、安倍首相の憲法改定への意欲を増々後押しすることになったのです。
「平和憲法を改定することに日本人の多数派の意見が向かうかどうか、私には判断はできません。しかし自分たちの安全が脅かされていると日本人が感じていれば、安倍政権が強調しているように、安全を保障する党への支持が拡大することを回避することはできません。」
アジア太平洋地域の専門家は厳しい口調でこう語りました。

▽ 自民党の圧倒的多数

2014年12月に実施された直近の衆議院議員選挙では、日本国民は475の議席中291議席を自民党に与え、6割以上を支配する第1党としての地位を不動のものにさせました。
そしてこの選挙で議席数を31に増やした仏教団体が後援する公明党は、自民党と連立を組んでいます。同党は2015年、第二次世界大戦以降初めて日本の軍隊の海外での戦闘行動を可能にする安全保障関連法案の成立のため安倍政権の政策を支持、成立させました。

安全保障関連法案の成立に拍手を送る与党議員たち

安全保障関連法案の成立に拍手を送る与党議員たち

しかし日本人のこの問題の専門家である奥村氏は、憲法改定の最終手続きである国民投票において、計算違いをするのは安倍首相の側になるだろうことを信じています。
かなりの数の有権者が安倍政権の政策の多くを支持するようになるかもしれないものの、中東その他の世界の紛争地帯に自衛隊を派遣するという方針にはためらいを見せる可能性が強いと奥村氏は考えています。

「日本の内外の状況がこれまでとあまり変わらないのであれば、私は自民党・公明党の連立与党か衆参同日選挙で若干の議席を失うことは確実だと思っています。しかし野党の側の状況が今以上に悪くなってしまえば、結果はますます不透明なものになるでしょう。」
奥村氏はこの点に留意するよう促しました。
「無所属の議員が議席数を増やし、その結果先行きが一層解りにくくなる可能性は充分にあります。」

 

http://www.dw.com/en/japans-abe-sets-sight-on-supermajority/a-19002776
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自民党安倍政権はナチスドイツのゲッペルス宣伝相が果たした重要な役割を熟知している、そして一方で民主党はそのことにあまりに鈍感に過ぎる、そんなことを感じました。
今問題にされている北朝鮮のミサイル発射にしても、日本のNHKのように「大変だ!大変だ!」と取り上げているメディアはなく、アメリカNBCニュースも英国ガーディアンも現時点でこの問題はトップ10ニュースにも入っていません。
そして米国CNN、アルジャジーラそれぞれの【アジアのトップ10ニュース】にもありません( http://edition.cnn.com/ASIA/ , http://www.aljazeera.com/topics/regions/asia.html )。
安倍政権のメディア支配、実に巧妙なものだな…と思います。

そして野党の弱体。
福島第一原発の事故、沖縄の基地問題、広島や長崎の過去の真実の軽視…
全国各地に反安倍政権の強い思いがあるはずなのに、それを国レベルに引き上げ、反安倍フォースを形成させることができずにいます。
これまでもワシントンポスト(米)やエコノミスト、ガーディアン(英)などを中心に、この状況では日本国民は救われないという指摘がありました。
野党、特に民主党はこの点に関する強烈な反省と、行動が必要だと思います。
ヴ・ナロード(民衆の中へ)!

【 原爆雲が湧き上がった時、長崎市民は恐ろしい犠牲を払わなければならなくなった 】

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すさまじいばかりの原爆の傷跡は長い間、学校におけるいじめ、社会的な差別へとつながってしまった
原爆被害に関するいかなる事実も公表を禁止、放射線障害に関する事実も隠ぺい、適切な治療が妨げられ死亡する例が相次いだ

エコノミスト  2015年8月1日

長崎原爆02
ウラニウム型原爆リトルボーイが広島市を壊滅させた3日後の1945年8月9日午前11時2分、アメリカは2発目となるプルトニウム型原爆を長崎市に投下しました。

その後の年月、長崎の被爆者(原爆の爆発の被害に遭った人々、あるいは原爆を投下された現地にいながら生き残ることができた人々)たちの物語は常に『広島に次ぐ』立場に置かれてきました。
世界初の核兵器使用による被害を象徴する世界で最も有名なシンボルは、常にヒロシマでした。

こうしたアンバランスこそ、長崎の原爆を生きのびた5人のティーンエイジャーに関するスーザン・サウザード氏による調査が正そうとするものに他なりません。

日本の戦争指導者たちが広島に投下された原爆の威力に衝撃を受け、どのような形で降伏すべきかの審議がすでに始まっていたその時、2発目の核爆弾が投下され70,000人の市民が殺され、その後も数多くの人命が喪われました。
この点から、長崎への原爆投下は初回の広島と比較して正当性に乏しいという議論が行なわれることになりました。

長崎06
その後しばらく、長崎市民は自分たちの都市が壊滅させられたことについて、広島の被爆者以上に冷静に運命を受け入れたのだと、多くの日本人が考えていました。
長崎市の北を流れる浦上川のそばに巨大な穴を掘ったのは原爆ではなく、日本の軍国主義であったと訴えたのは人々の尊敬を集めていたカトリックの司祭、永井孝史氏でした。
彼はやがて長崎の被爆者の心情の代弁者となりました。
「私たちは軍国主義に踊らされた挙句、自分たちでこの結末を引き寄せたのです。」
彼の眼に映る長崎は、世界平和の祭壇にいけにえとして捧げられた都市でした。
この見方は戦後日本を占領し、原爆に関する出版物すべてに厳しい監視の眼を光らせていたアメリカ軍当局も受け入れることになりました。

しかしサウザード氏が物語る若い主人公たちは違った見方をしています。
原爆について彼らを支配したのは寛容ではなく、怒りでした。

吉田勝二さんは13歳の時に爆心地から約1キロメートル離れた場所で、井戸から水を汲み上げている最中に被爆しました。

広島12
長い間、被爆者の人々はその時の状況について、妻や夫にすら話すことができませんでした。
焼けて炭化してしまった人間の胴体、切断された手足やぱっくりと口を開けた頭部、さらにひどいのは命は取り留めたものの眼窩から外に溶けだした眼球、原爆の熱線で体全体の皮膚が剥がれ落ち、焼けただれた地面の上を垂れ下がる自分の皮膚を引きずりながら歩いていた人々の姿。

16歳だった谷口稜曄(すみてる)さんは背中一面が焼けただれ、うつぶせになって苦しみながら、「こんな悲惨な体験を強いることになった戦争を防ぐために、何もしなかった両親や日本中のおとな達」に怒りを向けていました。

しかしこうした悲惨な体験を公表することは、占領軍を続けるアメリカ軍に対する憎悪をかきたてることになると判断した合衆国政府は、原爆被害に関するいかなる事実も公表を禁止しました。
同時にアメリカ国民に対して放射線障害に関する事実は隠ぺいされ、日本国内では研究結果の公表が禁止され、適切な治療が妨げられ死亡する例も相次ぎました。

長崎04
サウザード氏の著作で最も衝撃的なのは、被爆者が戦後占領軍、そして同じ日本人から受けなければならなかったネグレクトについてです。
厳しい検閲の実施は、1950年代に入るまで核兵器攻撃によって長崎や広島の人々がどれ程の苦痛を被ったのか、日本人の正しい理解を妨げることになりました。

この間亡くなることを免れても被爆者の人々は、日本政府の公的な援助を受けられないまま原爆症との戦いを続けなければなりませんでした。
被爆者の人々のひどい怪我や放射線障害による深刻な症状は、多くの場合国民健康保険や社会保険の対象にもなりませんでした。

そしてそのすさまじいばかりの傷跡は長い間、学校におけるいじめ、社会的な差別へとつながってしまったのです。

原爆症治療のための環境の整備と技術は、ゆっくりとしか進みませんでした。

広島12
わかっているだけで10,000人にのぼる韓国人被爆者が、日本人被爆者と同様の医療補償を受けられるようになるまでは11年がかかりました。
しかし補償を受けるためには、原爆が投下された時その場にいたことを証明できる日本人の証人を必要とする旨、法律に明文化されたのです。
しかし韓国人の多くは彼ら自身のコミュニティで暮らしていました。

「私の隣人は皆、原爆に殺されてしまいました。」
ひとりの韓国人被爆者がこう語りました。
「どうすれば彼らを証人として連れてくることができるのでしょうか?幽霊を連れてくるのですか?」
サウザード氏の著作は第二次世界大戦太平洋戦線におけるこれ以上の人的損害を防ぐ必要性がアメリカにあったこと、あるいは大日本帝国の軍隊による残虐行為と、原爆による悲惨な被害を対比させることはほとんどありません。

こうしたことからサウザード氏の著作は、アメリカが原爆=核兵器を使用したことに対する反論とも受け取られかねません。

長崎02
この著作においてはそれほど重要ではないと思われる結末において、最も強く訴えてくるのは被ばく者本人の個人的な思いです。
すなわち被爆者の人々が強い関心を寄せるのはアメリカを批難することではなく、この世界の核兵器の根絶を目指すキャンペーンへの取り組みです。

その成果は長崎、広島に原爆が投下されてから70年が経ち、被爆者の人々の寿命が尽きようとしている今になっても、ほとんど達成されていないのです。

http://www.economist.com/news/books-and-arts/21660070-terrible-price-citizens-nagasaki-paid-atom-bomb-when-cloud-parted?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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【 1月29日の報道写真から 】

アメリカNBCニュース 1月29日

day01
2016年1月29日金曜日、アイオワ州スペンサー近くの日没の雪景色。
そして2月1日月曜日の夜、アイオワの住民はコミュニティ・センター、消防署、図書館に集まり、共和党、民主党の党公認大統領候補を決めるための討論会が開催されることになります。(写真上)

1月29日夕刻、マケドニアから国境を越えた場所にあるセルビアのプレセボで、北行きの列車を待つ間、たき火をして暖を取る中東難民。(写真下・以下同じ)
国連難民機関によると、2015年に地中海を横断してヨーロッパへ渡ろうとした難民の数は100万人を超えました。うち約半数近くがシリア難民です。
day02
1月30日、移民を載せて技師者へ向かう途中、トルコのアイバシーク沖のエーゲ海に浮かぶ転覆したボートの残骸。
この船は30日土曜日、岩に衝突して転覆、子ども5人を含め、少なくとも33人が死亡しました。残りの75人程は救助されました。
day03
1月30日、トルコのアイバシークの海岸に打ちあげられた幼児の遺体。
トルコの国営アナトリア通信社はこのボートに乗っていたのはミャンマー、アフガニスタン、シリアからの難民だったと語りました。
難民02
1月29日のシリアの首都ダマスカス郊外で、反乱軍の支配地域であるアルビーンの潜伏場所から政府軍の航空機の来襲を監視する反乱軍の兵士。
Day05
1月30日、マニラのヴィラモア空軍基地から日本に向かって離陸する天皇・皇后両陛下を乗せた旅客機に手を振る日本大使館のスタッフ。
day06
http://www.nbcnews.com/slideshow/today-pictures-january-30-n507796

【 ヒロシマ : ありのままを描き残すよう、あの場にいた人々が求めているのです 】《後篇》

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70年前目の前に拡がっていたのは、地獄の光景そのもの
今日にあっても尚、多くの被爆者が差別を恐れて口を閉ざしたまま

アルジャジーラ 8月6日

広島04
宮川さんが今見ているものが地獄の光景そのものであることを思い知らせたのは、ひとりの赤ん坊の死体でした。
「私はこの赤ちゃんの死体が最初に目に飛び込んできた瞬間のことは覚えていません。その赤ちゃんが男の子か女の子か、判別のしようもありませんでした。近づいて確かめようとは思いませんでした。」
「赤ちゃんは何かにすがろうとでもするように、腕を伸ばした状態であおむけに転がっていました。でも赤ちゃんの死体は何もつかんではいませんでした。私にとって、この赤ちゃんは原爆の惨禍を代表するものになりました。今でもあの時の光景をありありと思いだすことができます。」
「死体に外傷はありませんでした。きれいなままだったのです。まるで誰かがそこに置いていったように…これ程残酷なことは無い、そう語っているように…」

宮川さんはおじの1人を見つけ出し、なんとか彼を家に連れ帰ることができました。
しかし数日のうちに彼は亡くなりました。

広島原爆ドーム06
まだ未成年であったにもかかわらず、宮川さんには死体を火葬にする、つまりは焼却する仕事が与えられました。
「私は怖かったので一人の少年に一緒に行ってくれるように頼みこみました。でも彼は逃げ去ってしまいました。」
「人間の死体を焼却するというのは、魚をグリルで焼くのと同じではないのです。火葬にするための具体的な方法などまるで知りませんでした。焼却されると人間の体は動くものなのです。」
「しばらくすると私も体調を崩しました…そして入れ替わり、たくさんの人々が死んでいったのです。」

これまで語られてきたような記憶を絵にするという行為は、亡くなっていった人々の姿を画面に甦らせるという事です。
最新作の川岸に横たわるモノクロの作品はたった4時間で書き上げました。
その理由のひとつは、あの時のイメージがまだ鮮明に残っているからです。
もうひとつの理由は、長い時間そうしたシーンに取り組むことがつらすぎるからです。

広島・爆心地
「犠牲者の姿を絵にするのは、非常につらい作業です。私は作品の中によくシャクヤクを描きます。シャクヤクを描いていると私の心が落ち着くからです。私は原爆とシャクヤクを並べて描くと、不思議と安心感がわいてくるのです。死んだ女の子はシャクヤクに姿を変えています、そうすることで私は救われるのです。」

宮川さんには横に長いパノラマ上の作品があり、季節そして数十年の時間の推移が描かれています。

左側にあるのは宮川さんが幼少期を過ごした、広島市郊外の村の冬景色です。
そして春、広島市の中心部により近い場所で10代の宮川さんは、後に原爆で命を失うことになる一人の少女と一緒に腰かけています。

原爆、夏として表現されているのはそれだけです。燃えるような赤い絵の具が画面を大きく覆っています。

そして秋は、赤さび色の再建のイメージが描かれています。

宮川氏作品
89歳になった宮川さんは、自分自身の秋が終わりに近づいていることを知っています。
宮川さんに原爆を描くことを勧めた友人たちは、全員が先に逝きました。

「友人たちが今、私の周囲にいてくれたらどんなに良かっただろう…」
宮川さんがこう語りました。
「私がここまでやってこれたのも、友人たちがいてくれたおかげなのです、私は今彼らに心から感謝しています。しかしもう私は一人きりになってしまい、孤独を感じています。私がしてきたことに誇りを感じさせてくれる人間は、もういなくなってしまいました…」

〈 完 〉
http://www.aljazeera.com/blogs/editors-blog/2015/08/hiroshima-japan-atomic-bomb-painter-keigo-miyagawa-150805155310433.html
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【 1月27・28日の報道写真から 】

アメリカNBCニュース 1月27・28日

day 1
1月28日、イングランドのアッパー・ランボーンを駆ける競走馬。(写真上)

1月28日、マケドニア国境を越えセルビア領内に入る難民の人々。(写真下・以下同じ)
day 2
インド、ムンバイのアラビア海海岸沿いの干潟で餌を啄ばむフラミンゴ。
Day 3
ドイツ、ザクセンハウゼン強制収容所の門を入る男性。「働けば自由になれる」の文字が見える。1月27日は1945年のこの日にアウシュヴィッツ強制収容所が解放されたことから、国際ホロコースト追悼祈念日に指定されている。
Day 4
http://www.nbcnews.com/slideshow/thursday-pictures-january-28-n506346
http://www.nbcnews.com/slideshow/wednesday-pictures-january-27-n505441

このサイトについて
ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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