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【 津波の下に消えてしまったこどもたち : 3.11の想像を絶する悲劇の真相 】《3》

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所要時間 約 9分

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避難を求める必死の呼びかけにも関わらず、なぜかすぐには行動しようとしなかった人々

多くの人が自分めがけて真っ黒な津波が押し寄せるまで、事態の深刻さを理解できなかった

津波が襲ってきた方向に避難するよう、指示を受けていた大川小学校の子供たち

 

 

リチャード・ロイド・パリー / ガーディアン 2017年8月24日

 

地震が襲ってきたとき、石巻市職員で支所の一つに勤務していた及川俊信さん、グレーのスーツに身を包んだ50代の男性は大川小学校から遠くない事務所にいました。

5分も経たないうちに、気象庁から最初の津波警報を受け取りました。
及川さんと同僚の5人は、15分以内に屋根に拡声器を取りつけた市の3台の車に分乗し、直接警報を伝えるために市内に向け走り出しました。

 

及川さんたちがちょうど釜谷地区の外側に差し掛かった時、3キロほど先に見える北上川が海に注ぐあたりで見たこともない異常な光景が起きつつあることに気がつきました。
その場所は松原、海外沿いに松林が続く砂州と畑が広がっている場所でした。
松林の一本一本は樹齢が100年を超えたものばかりで、多くの樹が20メートル以上の高さに育っていました。

そして、今、及川さんの眼の前で海面がみるみる盛り上がり、緑色の表面を無数に泡立たせながら松林をのみ込み、松林をズタズタに引き裂いていました。

「私たちには木々の上で波頭が白く泡立っている様子がはっきりと見えました。」
及川さんがこう語りました。
「巨大な波が滝のようになって松林の上に降り注ぎました。そして近くにいた車の運転手たちが口々に私たちに叫んでいました。
「津波が来ているぞ!逃げろ!、逃げろ!すぐに私たちはUターンし、来た道を戻りました。」

数秒後、彼らは再び釜谷を駆け抜けていました。
数多くの余震が発生していましたが、集落全体に呪文がかけられたようになっていました。
及川さんの同僚のが車に取り付けられたスピーカーから叫んでいました。
「巨大津波が松原に到達しました。避難してください!すぐに高い場所に避難してください!」

「町中の路上に7〜8人の人が出ていて、おしゃべりしていました。」
及川さんが当時をこう振り返りました。

「しかし彼らは私たちにほとんど無関心でした。」

 

警察のパトロール・カーが集落の交番の前に駐車されているのを見かけました。
しかし警察官は警報を伝達しようとはしていなかったし、逃げようともしていませんでした。」
「私たちは学校の前も通過しましたが。車のスピードが早く、停止もしなかったため校庭の様子まではわかりませんでした。しかし私たちの発した警報は聞こえていたはずです。でもスクールバスはその場所に停まったままでした。」

 

その時、釜谷の集落では地震の後にいつも見られる光景が展開されていました。
その中に畑の中の大きな一軒家に住み農業に従事していた60歳代の男性、永野和一さんがいました。
「私も全部の警報を聞きました。」
永野さんがこう語りました。

市役所の広報車があたりを行ったり来たりしながら
「巨大津波が近づいています。避難してください!すぐに高い場所に避難してください!」
と言っていました。
至る所で警報も鳴っていました。
でも誰もそれを深刻に受け止めようとはなかったのです。

 

大川小学校の校庭では子供たちはますます落ち着きを失っていきました。
あたりを支配していたのは一種あきらめにも似た捨て鉢な気分でした。
そして寒さに苦しんでいたみんなは毛布や手袋や使い捨てカイロを分け合って使いました。
次々に何かが起きているという切迫感はありませんでしたが、間も無く何かが起きるという漠然とした恐怖感がありました。

 

午後3時25分、石巻市職員の及川さんを含め3台の広報車が走っていました。
大川小学校の校庭では先生たちが子供たちが体温を奪われないように、木に石油をかけてドラム缶で焚き火をする準備をしていました。

 

午後3時30分、川のそばに自宅があった高齢の高橋和夫さんが自宅から避難しました。
高橋さんも突如自宅の脇の川を海水が逆流し始めたのを見るまでは警報を無視していました。
それは地球の底から地殻を打ち破って噴き出してきたようにも見えました。
目の前の道路の金属製のマンホールの蓋が、噴き出した水によって上に持ち上げられました。

そして地震によって道路にできた亀裂の間からは、真っ黒な泥水が溢れ出していました。

高橋さんはこの辺りではもっとも近い避難場所である、大川小学校の裏側にある丘に向かって車を走らせました。
釜谷地区のメインストリートでは、友人や知人がひとかたまりになって立ち話をしていました。
彼は車の窓を開けると「津波が来てる。早くここから逃げろ!」
高橋さんはいとこ、そして妻の口からも同じことを言わせました。
しかし友人や知人たちは手を振って微笑み、そして警告を無視しました。

 

高橋さんは大川小学校の脇に車を停めました。
そして丘の頂上をめがけて丘を登り始めたとき、急いで学校から飛び出してきた大勢の子供たちに気がつきました。
その中に学校の校庭に同級生と一緒にとどめ置かれていた只野哲也くんがいました。

 

教頭の石坂氏の姿は校庭には見えませんでしたが不意に姿を表すと、こう告げました。
「津波が来ているようだ。急いで国道の安全地帯まで避難しよう。きちんと整列して、走らないように。」

 

哲也くんと友人の紺野大輔くんがグループの先頭に立ちました。

国道の安全地帯は集落の外れのここから400メートルに満たない、新北上大橋にかかるところにありました。
哲也君は国道の交差点に差し掛かると、まっ黒な水の塊が国道の上を彼めがけて文字通り怒涛のごとく押し寄せて来るのを目撃したのです。

子供たちが校庭を飛び出してから1分が経過したかしなかったか、わずかな間でした。
哲也君は轟音とともに真っ黒な上に白い泡が一面に浮いたかたまりが迫ってきていることに気がつきました。
それは子供たちがその場所に行くように指示された、川の方から迫ってきたのです。

避難した子供たちの先頭にいた何人かはすでに津波に飲み込まれ、波の表面で凍りついていました。

 

哲也君や大輔君含む数人が一斉に方向転換し、来た道を戻り始めました。
残りの子供たちはまだ津波がやってくる国道に向かって急いでいました。
後ろからやってきた低学年の小さな子供たちは、反対方向に向かって走る上級生の子供たちを目の当たりにし、明らかに困惑していました。

 

すぐに哲也君と大輔君は、自分たちが丘のふもとの最も斜面の険しい、最も木が密生している場所を登っていることに気がつきました。

どのタイミングだったのか覚えていませんが、哲也君は大輔君がすべり落ちてしまったことに気がつき、友人を助け上げようとしましたが失敗しました。

仕方なく哲也君は独りで丘をよじ登りました。

哲也君が後ろを振り返ると、真っ黒な津波がすぐ後ろで大きく盛り上がっていました。

それは哲也君の足を包み、すね、太もも、そして背中にへとかぶさってきました。

「その時、巨大な重力が自分をのみこんだように感じました。」

哲也君がこう語りました。

「強烈な力を持った何かが自分をおもいきり押しているような感じでした。呼吸ができなくなり、息をするために必死でした。」

哲也君は津波が自分の周囲で大きく盛り上がった瞬間、自分が岩と樹木の間に挟まれてしまったことに気がつきました。

それから先はまっ暗闇が襲ってきました。

 

-《4》に続く –
https://www.theguardian.com/world/2017/aug/24/the-school-beneath-the-wave-the-unimaginable-tragedy-of-japans-tsunami

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