ホーム » エッセイ » 隣国への配慮も、思慮も足りない、靖国参拝国会議員団
【 誰がために鐘は鳴る?! 】
「これ以上悪いタイミングは無かった…」
4月末に予定されていた尹炳世韓国外相と日本の岸外相との会談は、両国の緊密な関係について改めて確認するものになるはずでした。
ところが日本の麻生副首相兼財務大臣が4月21日に東京の靖国神社に参拝し、韓国が尹外相の訪日を取りやめ、会談はキャンセルされました。
神道の聖地である靖国神社には240万人の第二次世界大戦(太平洋戦争)の日本人犠牲者とともに、14名のA級戦犯が合祀されています。
このため日本の隣国にとって、靖国神社に詣でるという事は、そのまま戦争責任に対する反省の欠如に直結するものとなっています。
麻生副首相が参拝をした同じ日、日本の安倍首相は水から赴く代わりに祭壇を飾るための供物を捧げました。
さらに週末、現職の2人の閣僚が参拝しました。
しかし神社関係者さえ驚いたのは、例年であれば100名程度の規模になる国会議員による参拝が、今年は168人という規模で行われたことでした。
4月23日、彼らはまるで軍列を組むようにして靖国神社にやって来ました。
その様子を見て、中国も韓国同様、非難の列に加わりました。
そのことはこの問題に関する他国の感情に対する配慮の無さに加え、これから日本が孤立化に向かおうとしていることを暗示しているかのようでした。
これ以上悪いタイミングは無かったかもしれません。
日本は中国との間で5つの小島からなる尖閣諸島、中国名ダイユー諸島をめぐって、本格な紛争に発展しかねない緊張した駆け引きを毎日行っています。
アメリカの観測によれば、中国との間に領土問題を抱え、北朝鮮の脅威に直面する日本は、何より良好な日韓関係を構築する必要があるはずでした。
日本政府の当局者は、麻生氏の参拝は個人的なものであると語りました。
しかし非公式ながら中国側の見解としては、日本の首相、官房長官と外務相が靖国への参拝を行わない限り、関係をこれ以上悪化させるつもりは無いはずだと、上智大学の中野晃一準教授が語りました。
2001年から2006年にかけ、当時の小泉純一郎首相が毎年参拝を行いましたが、それ以降は靖国に参拝した首相はいません。
しかし副首相兼財務相の麻生氏の参拝は、こうした両国の黙契をもう少しで破綻させるものでした。
かつての小泉首相が率いていた自民党による政権を引き継いだ安倍首相は、就任当初韓国、そして中国との関係修復に動きました。
しかし一部の識者は、安倍氏が率いる自民党がその本性を露わにし始めたことに、危惧の念を抱いています。
株価の急上昇と世論調査による支持率の上昇により、自民党はその国家主義的な行き方を思う存分進めようと考えている可能性があります。
安倍首相が自分の代わりに麻生副首相を靖国に参拝させた、あるいは黙認したという事実は、安倍政権の傲慢さを端的に表している、かつて外務大臣をつとめた民主党の岡田克也氏がそう指摘しました。
事態をさらに悪化させたのは、安倍首相が議会の委員会の席上、かつての政権が行った隣国への謝罪を取り消そうという意思を明らかにしたことでした。
彼が行った諸問題の定義づけは、まさに屁理屈でした。
しかし靖国参拝については、4月よりも8月15日、日本人にとって思い入れの深い敗戦記念日の方が重要な意味を持ちます。
ある自民党の年配の議員は、麻生氏の参拝は、安倍氏があたかも靖国からは距離を置いているということを、政治的に装うことが目的であったと語りました。
彼によれば、そうしなければ自民党内の右翼勢力が、安倍氏は外国の圧力に屈して節を曲げたとして、一斉に反発する恐れがあったと語りました。
麻生氏がかつて提案した、靖国神社の問題性に関する緩和策に期待する人々もいます。
麻生氏は首相だった2006年、問題の根本的解決を図るため、合祀されているA級戦犯をどこかほかの場所に祀る考えを示しました。
しかし当面は、改めて損なわれてしまった外交関係の方に目が行くことでしょう。
※『誰がために鐘は鳴る』(たがためにかねはなる、For Whom the Bell Tolls)は、スペイン内戦を舞台としたアーネスト・ヘミングウェイの長編小説。
ファシスト党の残酷さを語る一方、内部抗争に明け暮れ自滅していく自由主義勢力の様子を描いている。
http://www.economist.com/news/asia/21576724-visit-controversial-yasukuni-shrine-upsets-neighbours-whom-bell-tolls
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【星の金貨】を継続する中で、自民党が目指す社会とは何かという事を考えざるを得ませんでした。
今思っていることは、日本を垂直統合社会にしたいのだろう、という事です。
電力ムラ、原子力ムラ、マスコミムラ、そんなものを作って自分たち自民党議員がそれぞれの村長(ムラオサ)に収まり、この国を思い通りに運営する。
その方が『効率的な国家運営ができる』そう考えているのではないでしょうか?
彼らにとってまず大切なのは、ムラの存立であり、国家や国民の存在は二の次でしかありません。
そう考えれば、原発問題も、TPPも、憲法改正も、その根っこはすべて同じだと気づきます。
そしてそれを束ねた頂点に立つものが、自民党であり、靖国神社であるのでしょう。
そんな彼らにとって何より目障りなのは、市民が自発的に、『勝手に』横につながっていくことです。
国土が狭く、資源も少なく、人口ばかりが多いこの国をどう食べさせていくか。
戦前日本は、アジアを植民地化することにその答えを求め、自滅しました。
今度は一億総企業化し、効率的に人間という資源を『使って』国を富ませようとしている、そう考えられます。
「旨い物を食わせてやる、いい服も着れるようにしてやる、快適な家にも住ませてやる。その代り人権や自由を多少制限されることぐらいは我慢しろ。」
もちろん、村長たちだけには様々な制約はありません。
私たち人間は、物質的豊かさを極めるためにこの世に生を享けたのでしょうか?
時はまさに風薫る5月、自然がその美しさを輝かせる季節になりました。
答えを出さなければならないのは、私たち自身です。